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甘味の鬼

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 明け方に降った雪が、午の陽にとかされて枝からどさりと落ちた。紅い一輪が姿を現す。
「おお、庭の梅も雪に負くることなく咲いておったか。これは重畳」
 なによりなにより、と頷く男がいる。
「親分! 梅などどうでもよいから、おれの話を聞いてくれ」
「う、うむ。何度聞いても、不可解ではあるな」
 本所深川一帯を取り仕切っているやくざ・衣笠組の親分は、ひどく困惑した顔で腕組みをしていた。
「しかし、英次郎。かような風貌のものは『異国の人』であると、相場が決まっているのだぞ?」
「斯様なことはおれも百も承知。しかしあれは、異国の人ではない。鬼だ。絶対に、鬼なのだ」
「ううむ……」
「おれはカピタンたちと親しく交わっておるゆえ、阿蘭陀人のことは多少は覚えた。ゆえに、異国の人であるならそうだとわかる」
 困ったなぁ、と、親分は声に出さずに呟いた。
 目の前にいる若者――御家人・佐々木家の次男坊英次郎が、昼日中から鬼を見たのだと言って譲らないのだ。

 事は半刻ほど前にさかのぼる。
 自室の縁側に置かれた盆栽の紅梅が花開き、このまま居眠りができそうなほど心地よい昼下がり、縦にも横にも大きい男――衣笠組の親分・太一郎は、大きな口をあけて好物の饅頭を勢いよく口へ放り込んだ。
 むぐむぐ、と咀嚼しながら、ここ数日はこれといった大きな諍いも騒動もなくのんびりと甘味を食せることを、甘味の神仏に感謝していた。
「太平の世、こうでなくてはならぬ。こうでなくては、饅頭も団子も、お絹かすていらも、あまり食べられぬからな……」
 うむうむ、と満足気に頷いた太一郎の手は、休むことなく皿と口とを往復する。
 その食べっぷりときたら見事である。
 大人の握りこぶし二つ並べたほどもある大きな饅頭が、あっという間に飲み下されていく。まことに幸せそうで、その様は好物の菓子が出てきた童子そのものである。
「ああ、美味い……甘すぎぬ餡。甘みを引き立たせるのはよもぎであろうな……」
 目を閉じ、風味のみならず舌ざわり、歯ごたえ、のど越しを味わう。間違っても今日初めて食べるものではなく、ほぼ毎日のように食べている馴染みのものである。
「ああ、たまらぬ。至福のときじゃな」
「親分、もう少しゆっくり食べてくだせぇ……」
 のどに餅を詰めたら一大事です、と、いつの間にか親分のそばに来ていた若い男が大真面目に言う。見るからにやくざ者の風体だが、その手には、湯呑みと山盛りの饅頭がある。
 こちらはよもぎではなく焼き饅頭と細長い餅である。
「なんじゃ、この細長い餅は……」
「へぇ、糸切り餅のひとつ、尾張餅とか申すそうで……あっしも初めて見やした」
 喜一の仕事か、と、親分がにたりと笑う。手を伸ばしてあっという間に口に入れる。
「ああっ、だからゆっくり……!」
「餅がのどに詰まるとは、それはきちんと食えておらぬ証であるぞ。胃之腑まできちんと運んではじめて食したと言える。そんな悔いの残る死に方は出来ぬ」
 ずらり並んだ菓子を見詰めて、しみじみという。そんな親分を見て、別の男がどすの利いた声を出した。
「親分、本日の甘味はこれが最後となりやす」
「なっ、なんじゃと!? 喜一、それはどういうことじゃ!」
 材料が足らぬなら買いに行け、と、手文庫を手繰り寄せる親分の腕を、喜一と呼ばれた「菓子職人」がはっしと捕えた。
「蘭方医の良蘭先生と、佐々木の英次郎兄ぃに、親分に甘味をたらふく食わせてはならぬと、きつく申し渡されておりやす」
 喜一が、近頃より一層貫録を増した親分の腹回りに視線を投げた。帯が今にもちぎれそうである。
「くうっ……鬼じゃ、あ奴らは鬼じゃ! 退治してくれ……」
 甘味の大皿を大事そうに抱えた親分が半べそになったところへ、困惑顔の中年男性がやってきた。こちらもまた顔の右半分に刀傷が走っているという、悪人面である。
 手に壺を持っているところを見ると、賭場でさいころを振る稽古でもしていたのだろう。
「親分、ひどく取り乱した様子の、英次郎さまが玄関先に……」
 喜一と太一郎は、思わず顔を見合わせた。
「英次郎が、ここへ参っておるのか? 一人で?」
「へぇ」
 はて? と、太一郎は瞬きをした。
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