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動く屍
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しおりを挟む北割下水のどん詰まり、今は人が誰も住んでおらぬはずの武家屋敷。
いつのころから、ずず、ぞろり、ずるり、べちゃり、と不気味な音がすると、近隣の住民が噂をしあった。
最初は日が落ちてからだけだったものが、次第に、昼夜問わずとなり、音も大きくなっている。
ついに、不審感を募らせた近所の女房連中が手に手をとって様子を見に行った。だが、女房連中は三日たっても五日たっても戻らぬ。
男たちは、首を傾げた。
家出とも宿下がりとも思えず、念のため里や知人に使いをだしたが戻ってないという。
暫くすると、近隣で男も数人消えたという。これは手の込んだ駆け落ちであったかと人々は憤り、落胆した。
しかし、屋敷への不審は募るばかり、奇妙な音がなくなったわけでもない。
さてもさてもどうしたものかと幼馴染の同心に酒の勢いに任せてつい、こぼした男があった。
同心は酒を飲む手を止めて首を傾げた。
「それは面妖な……ちと、調べてみるゆえ暫時待て」
その翌日、不審なる屋敷の様子を見に行ってくるといって出かけた同心とその手下が、忽然と姿を消した。
真面目一筋、お役目を放りだすような男でなし、大騒ぎになったがついぞ見つからぬ。
が。
ずる、ぺたり。
べちゃり、ずるり。
その音ばかりは、日に日に大きくなっている。
そして、屋敷の奥で赤く光る瞳が無数あることを、まだ誰も知らない。
◇ ◇ ◇
ど派手な赤い袷をその身にまとった男が、
「どいてくれ、どいてくれ!」
喚きながら初夏の陽気漂う日本橋を渡っていく。
本人は走っているつもりなのだが、どたどた、と足音ばかりが響いて少しも前進しない。如何せん、太り過ぎである。縦にも横にも大きく、貫禄――を通り越している。
見苦しいほどに肉が乗っている腹に、たぷたぷと揺れている顎。
「ど、どいてくれぇ……」
橋の真ん中でぜぇぜぇと顎を突き出して喘ぐ男の腰のあたりを、とんとん、と叩く者が居た。
「おじちゃん」
稚い声にようよう振り向いてみれば、長屋住まいと思しき子供たちが数人いる。
「おじさん、どうしたの? どこ行くの?」
「お、おじ……さ……?」
男は、そろそろ四十に手が届こうかという年齢だ。十になるかならぬかの子供たちからしたら十分におじさんである。
いや、それ以前に彼は、本所深川界隈を仕切っているやくざで金貸しの衣笠組の親分・太一郎である。
子供たちに親しげに声をかけられる謂れはない。
ない……はずなのだが。
「おじさん、いつも佐々木家の英次郎さんと一緒に駆け回ってるよね」
「う、うむ」
どうやら英次郎と二人一組で子どもたちに覚えられてしまったらしい。
「お絹さんところの英次郎さん、まだそのあたりにいると思うから呼んできてあげるね」
「い、いや、それには及ばぬ」
幼気な子供たちを、使い走りにするわけにはいかないと、親分は首を横に振った。
「でも、おじさん走るの遅いし、今にも倒れそうだよ。きっと、坊が走ったほうがはやいよ?」
「坊?」
「うん、この子だよ」
坊、と呼ばれたのは、鼻水を垂らした幼子――三つくらいであろうか。にこっ、と無邪気な笑みを浮かべる。
「ぐぬぅ……わしは、そんなに走るのが遅いか?」
うん、と子供たちはいっせいに首を縦に動かし、親分はその場にがっくりと膝をついた。
「じゃあ、坊、頼む。英次郎を連れてきてくれ」
「はーい」
坊と共に子どもたち数人が走り出し、残った年長の少年がどこからか持ってきた竹筒を差し出してくれた。
「おじさん、お水。おいしいよ」
「ありがたい!」
ごくり、と親分が素直に水を飲む。
いつもと同じ水であろうが、親分にとっては格別に美味いものに感じられた。
「うまい!」
「よかった」
しかし子供たちに世話を焼かれるやくざの親分、お江戸広しといえども、そうそう居るものではないだろう。
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