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異国の風

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 英次郎が不慣れなペンを使って必死の思いで書き上げた「釣書き」は、太一郎の検分を経てからライターに渡された。
 するとライターは、それをクルチウスとフリシウスに見せ、クルチウスがそれを丁寧に折りたたんで懐へとしまいながら、英次郎の方へと歩みよった。
 もちろん、通訳のフリシウスも一緒だ。
「お……?」
 背が高く彫の深い顔、というのは共通している。が、英次郎は思わず異国の人々に釘付けになる。
「ほう、目玉の色も髪の色も三者とも異なるのか」
「我らは、ほとんどが黒髪黒目であるが、異国は様々な色を持っておるな」
「なんとも不思議な……」
 英次郎の前で、カピタンが人懐っこい笑みを浮かべた。阿蘭陀商館長、幕府の要人と対面する偉い人、という身分を思い出した英次郎は、自然と背筋を伸ばす。
「それがし、本所の北割下水に住まいする御家人佐々木家の次男英次郎と申す」
 太一郎が先ほど握手をしていたのを思い出し、そっと手を出してみる。カピタンは躊躇うことなく握り返してくれた。そして、何事かを語り掛けてくれた。
 雰囲気で、お礼であろうことが察せられて思わず英次郎が笑顔になる。
「英次郎。命を助けてくれてありがとう。お礼に、良い子がいたら必ず君を紹介するから期待していて欲しいと、カピタンが言っている」
 フリシウスが告げる。予想外の言葉がついていて慌てる英次郎をよそに、太一郎が律儀に頭を下げた。
「見ての通りの好青年、よろしく頼む」
「太一郎、彼にはやはり江戸の娘が良いのかな? それとも、長崎の娘でも……?」
「そこじゃ、フリシウス。英次郎ならば、阿蘭陀国の娘でも良かろうと思うのだが……クルチウス、どう思う?」
 フリシウスが太一郎の言葉を訳し、二言三言会話をした後、
「カピタンも同じ意見だそうだよ。英次郎はぜひ、異国を知るべきだと言っている」
「そうであろうな! わしも同じ意見であるぞ」
 何やら勝手に盛り上がるカピタンたちから離れ、ワイングラスを手にした英次郎は、硝子窓から外を見た。
 いつの間にか、建物の外はすっかり落ち着きを取り戻していた。英次郎が倒した浪人たちはどこへ行ったか。
「出会い方が異なれば、異人とも仲良くなれるのであろうな……」
 太一郎は極端に仲が良いのであろうけれども、異人だからといってむやみに襲撃するのもまた、極端であろう。
「阿蘭陀国とはどのような国かな……」
 英次郎は、まだ見ぬ異国に思いを馳せる。
 カピタンたちが、船でこちらまで来たのだ。こちらからも、阿蘭陀国へ船で行けるに違いない
 どのくらい日にちはかかるのだろうか。費用は、船の大きさは……。
「そも、御家人の次男坊であるおれが、母上とともに異国へ行くにはどうしたら良いのだろうか?」
 そう思った英次郎は、カピタンたちのところへ戻った。
「親分、ちと、尋ねたい」
「なんじゃ?」
「商館長たちの船に一緒にのれば、おれも異国へいけるのか?」
 太一郎が、ぎょっとした顔になり英次郎の口を塞いだ。ついで、周囲を見渡し、のんびり歓談している蘭学者や商人たちに「聞かなかったことにしてくれ」と言った。
「親分? 何をそんなに慌てる?」
「英次郎、知らぬのか? かつて、密航しようと試みて投獄された者がおってな」
「なんと! ……え? 投獄?」
「なんでも……死罪になりかけたが国元蟄居で済んだときいておる。興味を抱くのは構わぬが、迂闊に異国へ行くなどと口にしてはならぬぞ。そなたを死なせるわけには参らぬでな」
 承知した、と、英次郎も素直に頷いた。
「さ、クルチウス、もっと阿蘭陀国のことを我らに聞かせてくれ。英次郎の母者に、土産話をせねばならぬ」
 太一郎が、愛想よく言う。カピタンたちが喜んだのは言うまでもない。

 陽が傾き始めたころ、太一郎たちはそっと長崎屋を後にした。クルチウスたちは残念がったが、太一郎にはこれから賭場を回るという大事な仕事があるのに、既にくたくたなのである。
 佐々木邸に戻ってお絹かすていらを食べたいと、親分が駄々をこねたのだ。
「親分、なかなか刺激的な一日であった。礼を申す」
 隣を歩く英次郎は、未だ興奮冷めやらずである。
 それはよかった、と、太一郎もほおが緩む。カピタンの一行に英次郎は思いのほか早くになじんでくれた。
「英次郎、また次回、ゆっくり異国の話を聞くが良いぞ」
「楽しみだな、親分」
 太一郎の脳裏には、洋装で舳先にたつ英次郎の姿がくっきりと浮かんでいた。

【第一話・了】
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