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キスの日 2024.05.23
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都内で探偵事務所を構えている海藤猛は、新宿の裏路地で薄汚いビルの一室を睨むように見つめていた。
すえた匂いのこの路地で張り込みを始めて一週間。簡単な浮気調査のはずだったが、予想外に時間がかかっている。調査対象の旦那が用心深く、なかなかぼろを出さないからだ。
「あの旦那、今まで相当浮気してきたな。ここまで用意周到に隠蔽するのは浮気のプロだろ」
この張り込みを始めてから恋人である真木洋介に会えないどころか声も聞けていない猛は相当に苛立っている。
弁護士である洋介は多忙だが、今週だけは奇跡的にゆっくりできると言っていた。なのに猛はこの浮気調査のせいで洋介と会えていない。
「くそっ! 本当なら今週は毎晩ベッドで洋介を啼かせてるはずだったのに」
思わず悪態が口をついて出る。
世界中の誰よりも洋介を愛し、執着心丸出しの猛は周囲に自分の気持ちを隠さないが、弁護士である洋介は自分の恋人が男だということをカミングアウトしているわけではない。親しい友人や家族には隠さずオープンにしているが、仕事関係の人たちには特に知らせていない。
同性の恋人がいることで先入観を持たれたり、裁判で不利な情報として使われたりする可能性があるため自発的には公表していないのだ。
洋介は容姿端麗、頭脳明晰という言葉がよく似合う人物だ。猛に抱かれるようになってからは色気が増してどこにいても人目を引いてしまうが、本人はまったく自覚がない。
この自覚のなさも猛の悩みの種だったりする。周りの誰をも魅了していることに洋介は気づいていない。
ときには法廷で敵対する検事でさえも洋介の魅力に飲み込まれ、裁判中にぼーっと洋介を見つめていたり、洋介にきつい口調で反論されるとしどろもどろになってしまう者までいる。
洋介が浮気することはないと信用しているものの、洋介に魅了された者の行動は断じて信用できない。
男も女も洋介に下心を持っている者のアプローチは後を絶たず、警戒心のない洋介は彼らの下心に気づかず丁寧に相手をするので猛は気が休まらない。
気をつけろと何度か洋介に忠告したが、「彼らに下心なんてないよ」と笑い飛ばされてしまう。魅力的な男を恋人に持つ者の苦労は絶えない。
****
ガチャリ
張り込みをしていた部屋のドアが開いて監視対象者とその浮気相手が出てきた。しかも浮気相手の腰に手を回し熱烈なキスまでしている。
猛は大きな望遠レンズの付いたカメラをすかさず取り出し、決定的な証拠を何枚もカメラに収める。
「これで依頼主の奥さんも納得するだろう」
そう言うと、猛は撤収の準備を始めた。これでやっと張り込みが終わる、洋介に会えると浮かれたが時刻は夜中の3時。洋介はとうに寝ているに違いない。
今夜はこのまま自分の部屋に帰ろうかと思ったが、どうしても洋介の顔が見たい、あの肌に触れたいという欲望が心の中に芽生え、あっという間に育って無視できなくなった。
「顔だけでも見に寄るか」
足早に大通りに出た猛はタクシーを捕まえて洋介のマンションへと向かった。
****
合鍵でそっとドアを開け、洋介のマンションの中に入る猛。
部屋の中は真っ暗で、やはり洋介は寝ているようだ。
猛は新宿での浮気調査という下世話な匂いを消し去りたくて、素早くシャワーを浴びた。
腰にタオルを巻いた姿で寝室に入ると、洋介が静かな寝息を立てている。
猛は洋介を起こさないようにそっとベッドに滑り込み、背中から洋介を抱きしめ洋介の首筋に鼻先を埋めた。
大きく息を吸い込むと、いつもの洋介の香りが肺いっぱいに広がる。たったそれだけのことで猛は幸せを実感できる。愛する男が今自分の腕の中で安心して寝息を立てている。これほど幸せなことがあるだろうか。
洋介のうなじにそっと唇を押し付けキスをする。
すると洋介がほんの少し眠りから覚め「……猛?」と少し舌足らずな声で猛の名を呼ぶ。
「起きなくていいからそのまま寝てろ」と洋介の耳元で猛が囁くと、猛の声に安心した洋介は一瞬微笑んでまた眠りに落ちていった。
洋介を背中から抱きしめたまま、もう一度洋介のうなじにキスをすると今度は「……ん、ふぅぁ……」と柔らかい音が洋介の口から漏れてきた。これは幸せで満足しているときに洋介から聞こえてくる音。
その音に安心した猛も洋介を腕の中に収めたまま寝息を立て始めた。
End
すえた匂いのこの路地で張り込みを始めて一週間。簡単な浮気調査のはずだったが、予想外に時間がかかっている。調査対象の旦那が用心深く、なかなかぼろを出さないからだ。
「あの旦那、今まで相当浮気してきたな。ここまで用意周到に隠蔽するのは浮気のプロだろ」
この張り込みを始めてから恋人である真木洋介に会えないどころか声も聞けていない猛は相当に苛立っている。
弁護士である洋介は多忙だが、今週だけは奇跡的にゆっくりできると言っていた。なのに猛はこの浮気調査のせいで洋介と会えていない。
「くそっ! 本当なら今週は毎晩ベッドで洋介を啼かせてるはずだったのに」
思わず悪態が口をついて出る。
世界中の誰よりも洋介を愛し、執着心丸出しの猛は周囲に自分の気持ちを隠さないが、弁護士である洋介は自分の恋人が男だということをカミングアウトしているわけではない。親しい友人や家族には隠さずオープンにしているが、仕事関係の人たちには特に知らせていない。
同性の恋人がいることで先入観を持たれたり、裁判で不利な情報として使われたりする可能性があるため自発的には公表していないのだ。
洋介は容姿端麗、頭脳明晰という言葉がよく似合う人物だ。猛に抱かれるようになってからは色気が増してどこにいても人目を引いてしまうが、本人はまったく自覚がない。
この自覚のなさも猛の悩みの種だったりする。周りの誰をも魅了していることに洋介は気づいていない。
ときには法廷で敵対する検事でさえも洋介の魅力に飲み込まれ、裁判中にぼーっと洋介を見つめていたり、洋介にきつい口調で反論されるとしどろもどろになってしまう者までいる。
洋介が浮気することはないと信用しているものの、洋介に魅了された者の行動は断じて信用できない。
男も女も洋介に下心を持っている者のアプローチは後を絶たず、警戒心のない洋介は彼らの下心に気づかず丁寧に相手をするので猛は気が休まらない。
気をつけろと何度か洋介に忠告したが、「彼らに下心なんてないよ」と笑い飛ばされてしまう。魅力的な男を恋人に持つ者の苦労は絶えない。
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ガチャリ
張り込みをしていた部屋のドアが開いて監視対象者とその浮気相手が出てきた。しかも浮気相手の腰に手を回し熱烈なキスまでしている。
猛は大きな望遠レンズの付いたカメラをすかさず取り出し、決定的な証拠を何枚もカメラに収める。
「これで依頼主の奥さんも納得するだろう」
そう言うと、猛は撤収の準備を始めた。これでやっと張り込みが終わる、洋介に会えると浮かれたが時刻は夜中の3時。洋介はとうに寝ているに違いない。
今夜はこのまま自分の部屋に帰ろうかと思ったが、どうしても洋介の顔が見たい、あの肌に触れたいという欲望が心の中に芽生え、あっという間に育って無視できなくなった。
「顔だけでも見に寄るか」
足早に大通りに出た猛はタクシーを捕まえて洋介のマンションへと向かった。
****
合鍵でそっとドアを開け、洋介のマンションの中に入る猛。
部屋の中は真っ暗で、やはり洋介は寝ているようだ。
猛は新宿での浮気調査という下世話な匂いを消し去りたくて、素早くシャワーを浴びた。
腰にタオルを巻いた姿で寝室に入ると、洋介が静かな寝息を立てている。
猛は洋介を起こさないようにそっとベッドに滑り込み、背中から洋介を抱きしめ洋介の首筋に鼻先を埋めた。
大きく息を吸い込むと、いつもの洋介の香りが肺いっぱいに広がる。たったそれだけのことで猛は幸せを実感できる。愛する男が今自分の腕の中で安心して寝息を立てている。これほど幸せなことがあるだろうか。
洋介のうなじにそっと唇を押し付けキスをする。
すると洋介がほんの少し眠りから覚め「……猛?」と少し舌足らずな声で猛の名を呼ぶ。
「起きなくていいからそのまま寝てろ」と洋介の耳元で猛が囁くと、猛の声に安心した洋介は一瞬微笑んでまた眠りに落ちていった。
洋介を背中から抱きしめたまま、もう一度洋介のうなじにキスをすると今度は「……ん、ふぅぁ……」と柔らかい音が洋介の口から漏れてきた。これは幸せで満足しているときに洋介から聞こえてくる音。
その音に安心した猛も洋介を腕の中に収めたまま寝息を立て始めた。
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