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56.消えてくれるかな(sideリュート)

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「執着などしていませんわ! 自惚れないで。わたくしはただお兄様が哀れですの。それに、お兄様は一生わたくしに償う義務がありますのよ」

 一生。メイリーンの口からもう何度も繰り返されている単語が酷く億劫に聞こえた。
 今までなら何とも思わなかった。そうやって過ごしていくものだと思い込んでいたから。

 でも今は違う。何をしてでも生きてイブリスに戻りたい。
 幼い頃よりずっと恋焦がれてきたジゼルが、あろうことか自分を待っているのだ。

 こんな奇跡を失うわけにはいかなかった。
 メイリーンへの贖罪など、ジゼルの存在に比べれば取るに足らないものだ。

「……ああもう、面倒だな」

 漏れたのは小さな呟きだったが、他に音のない部屋では十分に聞き取れるものだった。
 いつも以上に抑揚のない声はメイリーンの眉を怪訝に顰めさせる。

「穏便に済ませたかったのに、なんかもう全て煩わしくなってきた。僕は早くジゼルの元へ戻りたいんだ」
「お兄様……?」

 仄暗い目をしたリュートが椅子からゆらりと立ち上がると、メイリーンは一歩距離を置いた。
 訝しむような彼女は心なしか青く見える。いつも高圧的な妹が怯えたような顔をするのは珍しいことだ。

 だけど、どんな表情をしようが何とも思わなかった。
 話し合いで解決するのならそれが一番いい。

 元より、殺意を抱くほどリュートはユスシアにも妹にも期待をしていない。
 しかしこのままでは埒が明かない。いっそ手っ取り早く済ませたかった。

 幸いにもこの国でリュートを知る人数は少ない。
 たった二週間ほどしか滞在していないイブリスのほうがおそらく多いだろう。

 それならば己の存在を知るもの全てを屠ってしまえばいい。
 優しいジゼルには絶対に言えないことだけど、物騒なこの案は初めから最終手段として考えていた。

 自らの首にある拘束具に手を当て、メイリーンを眺めたまま口角を上げる。

「こんな鎖で押さえつけられるとでも思ってた? 僕も軽く見られたものだね」

 いつものように作り笑顔を浮かべたはずなのに、息を呑んだメイリーンは更に後ずさる。
 顔色の悪い妹に構わず、リュートはベッドサイドに立てかけてある剣を手に取った。

 鞘から引き抜いた途端、メイリーンの肩が大きく跳ねた。
 それを視界の端で捉えながら、淡く発光するような青い刃を鎖に沿わせる。
 一気に引くと、簡単に切れた鎖は音を立てて床に落ちる。

 予想通りあまりにも脆く、少しの摩擦すら感じなかった。
 だけどメイリーンにとっては予想外の出来事だったらしい。青い瞳は見開かれ、かたかたと指先が震えている。

「嘘……、そんなはずない。だって、お兄様と同じ剣でも斬れなかったわ……」
「おかげ様で刃物の扱いにだけは自信があるからね。少しの力加減とか、角度とか。君は知らないだろうけど、バドゥーグの骨はもっと固い」

 口元だけで微笑んだリュートはメイリーンに一歩近づく。
 同じ距離だけ下がる彼女を扉まで追い詰めるのは容易い事だった。トンと軽い音を立て、妹の顔横に腕を突く。

 無感動なリュートを見上げるメイリーンの背中は強固な鉄の扉にぴたりと密着している。
 こんなふうに追い詰めることなどはじめてかもしれない。

 気丈に睨み返してくる彼女の顔色は酷く青い。
 力の差は知っているはずなのに、どうしていつまでも従順でいると思っていたのだろう。
 今更ながら不思議でもあった。

「面倒だから、消えてくれるかな。もういいだろう?」

 もう随分と長い間、メイリーンの狂気を受け止めて来た。
 気まぐれで残酷な刃の感触を思い出しながら、細い首に手を掛ける。

 抵抗する彼女の頼りない指など何の障害にもならなかった。華奢な骨は少しの力で砕けてしまいそうだ。

「こ、こんなこと、誰かに知れたら、お兄様も生きてはいけないわ……」
「そうだろうね。でも人々は僕を知らない。そう言ったのは君だ、メイ。真相は誰も気づかないさ」
「待っ……!」

 握る手に力を加えたその時。強い力が霧散するような、奇妙な気配を感じた。
 同時に、あり得ない予想が頭を過り、ざわりと胸が音を立てる。

 魔力なんてこの国には存在しないし、それを感知できるほどの能力はリュートにはない。
 でも今の感覚は決して間違いでも錯覚でもない。あの力だけは体が覚えている。
 短い期間に何度も触れた、温かく、泣きたくなるほど愛しい魔力。

「ジゼル……?」
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