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23.癒しの魔法

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 迫り来る鎌のような爪を思い出し、ジゼルの血の気が一気に引いた。
 あんなに鋭い凶器、掠っただけで命を失うかもしれないのに。

「な、なにが、大丈夫? なのよ! あなたこそ酷い怪我をしているじゃない! 早く見せて!」

 憤慨するジゼルの剣幕に驚くリュートの上着を強引に脱がせ、シャツのボタンを急いで外す。
 震える手は思うように動かなかった。不安は苛立ちを助長し、何も出来なかった自分が悔しくて涙が溢れてくる。

「え、ちょ、ちょっと、ジゼル!」

 僅かに抵抗を見せる彼を睨みつけ、血濡れた袖を一気に肘までひん剥く。
 いつもであれば絶対に出来ない行為だが、今のジゼルに恥じらいなどという感情は二の次だった。

 一刻も早く傷を癒さなければならない。ただそれだけが心を支配している。
しかしリュートは怪我自体には少しも慌てる気配がなかった。

(こんな酷い傷を負うことも日常なのかしら。もしかして、隠している左目は傷痕になっているのかも……)

 そう考えると頑なに見せたくないと言った彼の心情も少しは納得できた。それにしても異様な怯えようだったが。 
 溢れる血液の出所に視線を移し、ジゼルは思わず眉をしかめた。

「酷い……」

 右肩から背にかけて三本の爪が掠めたらしく、抉られた線が三つ。
 幸いにもそれほど深くはないようだが、相当な痛みがあるはずなのに。

 むしろあの状態で致命傷に至らなかったことが不思議なくらいだ。
 傷口に手をかざし、急いで回復を施す。

「こんな……、死ぬかもしれないのに、なんで……。馬鹿よ、本当に馬鹿……」
「ジゼルが怪我をするよりずっといいよ。それにこれは僕のせいでもあるから。多分、この間逃げられた奴だと思う」

 やはり彼はバドゥーグと戦ったことがあるらしい。
 出会ったあの日の怪我は個体は違えど、きっとあの魔獣によるものだ。

「何を言うのよ! 私のせいで誰かが命を落とすなんて、あってはならないのよ」
「やっぱりジゼルは優しいね。僕の命なんて大した価値もないから気にしないで。むしろ君を守って死ねるなら本望だし」
「馬鹿! こんな傷、私がすぐに……」

 苛立ちで荒くなった声はすぐに小さくなった。
 ジゼルの治癒能力はイブリス一で、どんなに酷い負傷でも対象者が生きている限り治せないことはない。

 しかし治癒の魔法を施しても、やっぱりリュートの傷は先程とあまり変わりないように見える。
 思わず口をつぐんだジゼルを見たリュートは視線を肩へ移し、やや驚いた顔をした。

「さすがだね、傷口が塞がってる」
「そうよ、塞いだだけよ。こんな傷も治せないなんて情けないわ……」

 完治からは程遠い。うっすらと膜が張った適度だ。
 一番癒してあげたい人なのに。

 悔しくて悲しくて、くちびるを噛み締めたジゼルは俯く。
 しかしリュートは「とんでもない」と首を振った。 

「十分すごいよ。イブリスの人は当たり前かもしれないけど、一瞬で傷が癒えるような技術はユスシアには存在しないからね」
「そうなのね……。ユスシアの人はもしかしてみんな魔法耐性があるのかしら……」

 ううん、そんなはずないわ。
 口から出そうになった言葉をジゼルは自分で否定する。

 だって幼い頃に会った少年の傷は癒すことが出来た。
 疑問符を浮かべるとリュートはふるりと首を横に振る。

「そういうわけじゃないと思う。ユスシアには魔法が存在しないから断言できないけど、僕はちょっと特殊だから。それに、これくらいの傷なら二日もあれば治る」

 たしかに先日の傷も異様な速さで完治した。彼の言う特殊とは何なのだろう。 
 再び眉を顰めるジゼルに彼は無言の笑みで返す。

 こうやって微笑む時は誤魔化したい時だ。それ以上は答えてくれない。
 リュートの一面を知れば知るほど彼のことがわからなくなる。

 無性に腹立たしくなったジゼルが口を開く直前、もたれるよう寄り添っていたルゥが離れる気配がした。
 白い毛を目で追えば、ゆらゆら尻尾を揺らしながらリュートに近付き、頬をひと舐めする姿が見える。

「わ、何?」

 人懐っこいルゥは一際リュートがお気に入りのようだ。特定の者にしか触れさせない頭も大人しく撫でられている。
 もしかすると主人の好意を感じ取っているのかもしれないけど。
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