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16.癒えた傷

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 ボタンの外されたシャツからは、くっきりとした体の凹凸が見えて、再び視線を彷徨わせたジゼルはぽすんと隣に腰掛けた。

(これは治癒行為であって決してやましくはないわ。そう、ここで狼狽える方が失礼というものよ)

 そう言い聞かせながらも緊張は否めない。頬は熱いし、顔はどうしても背いてしまった。
 もちろん羞恥もあるし、一度見てしまうと目が離せなくなりそうな気がするからだ。
 一国の王女たるもの、というより清純な乙女として、そんな不埒な行いを出来るわけがない。

 おそるおそる左手を伸ばすジゼルの耳に、耐え切れないような小さな笑い声が聞こえたのは気のせいではないだろう。

 ひたりと接触した指先が肌の弾力を認識する。
 リュートの体温はジゼルより高い。
 とくとく少し早い鼓動が、僅かに触れる指から伝わってきた。

 思わず息を止めてしまったジゼルは気を取り直し、ぺたりと手のひらを押し当てる。
 そうすると当然ながら触れる範囲が広くなって、更に生々しい肌の質感を振り切るよう魔力に集中する事にした。

 癒しの魔法は感覚で行う。
 魔力を流せばどの辺りの調子が良くないとか、ここが黒く淀んでいるとか、そういったことが把握出来る。

 昨日損傷の酷かった箇所に集中して魔力を流そうと思っていたのに、内側の傷を探り出したジゼルは思わず小さな声を漏らした。

「嘘……。ほとんど治ってる……?」
「うん。昨日、君が癒してくれたから治りが早かったんだ。ありがとう」
「え、でも……」

 昨日は完全に癒すことなど出来なかったし、塞いだ箇所は開いてしまったはずだ。
 回復速度を考えれば、たった一晩でこれほどまでに傷が癒えるだなんてありえない。

 羞恥など忘れて手のひらを胸から腰、引き締まった腹に移動させてもそれほど重症は見当たらなかった。
 よく見ると外傷だって昨日とは大違いだ。
 胸元に走る長い一筋の傷痕以外、手当など不要なほどに塞がって見える。 

「言っただろ? 僕は丈夫だから、寝てれば大抵の怪我は治るんだ」
「驚いたわ。ユスシアの人はみんなそうなの?」
「ううん、普通はあり得ないらしい。僕は特殊だから」
「特殊……。すごい! リュートは特別な人なのね」

 尊敬のまなざしを向けると、リュートはぽかんとジゼルを眺めた。
 予想外だとでも言いたげな驚きようはジゼルの首を傾げさせる。
 すぐに怪我が癒えるだなんて、とても素晴らしい体質だと思ったからだ。

 しばらくして彼は眉尻を下げ、やや困ったように笑った。泣いてしまいそうな笑みは、ジゼルの胸を切なく締め付ける。もともと感受性は高いほうだ。
 誰かがつらく悲しい思いをするの好きじゃない。

 それにリュートには、見ているこちらの気が抜けるような緩い笑顔が一番似合うのに。
 どれほどジゼルが優秀でも、魔法で心の痛みは癒せない。だからシーツにある彼の指をそっと握った。

 リュートの憂いはわからないけど、愛されて育ったジゼルは人肌が安心させてくれることを知っているから。
 少しでも痛みが和らげばいい。
 そんな気持ちが伝わったのか、今にも泣きだしそうだった顔は緩んだ笑みに変わっていた。

「ジゼルは本当に優しいね。僕の事、怖くないの?」
「怖いわけないでしょ。どうしてそんなことを聞くの?」
「人と違うから」
「それの何が怖いの?」
「……なんでだろうね。僕にもわからない」

 そう言って俯いたリュートはそれ以上何も言わなかった。

 数秒、数分。
 ただ静かな時間が流れて、手持ち無沙汰なジゼルは視線をゆっくり彷徨わせている。
 
 だがあいにく、整然とした客間には興味の惹かれるものなど置かれていない。
 なんとなく握っている手を離してみると、すぐに長い指が追いかけてきて今度は捕まえられてしまった。

 それでも握る力は緩い。抜け出すことは容易だろう。
 そこに物足りなさを感じるけど、触れるたびに戸惑いを見せていた彼からの接触は素直に嬉しかった。

「ごめん、もう少しこのままでいさせて」
「うん……」

 そうしてまた流れる森閑とした時間。
 なんとなく隣を見れば、気付いた青い瞳と視線が合う。
 隣に並んで座っているおかげで物理的な距離は近い。

 じっと見つめるリュートはやっぱり何も言わなくて、いたたまれず逸らしたジゼルの目はつい薄いくちびるで止まってしまった。
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