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1.三日月が浮かぶ午前零時

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 世は戦国時代――は終結を迎え、今となっては過去の話である。

 

 すっかり平和が定着した島国アズチの首都、イナリシティ。賑やかな昼間とは打って変わり、人々はもう眠りにつく時間だ。

 

 寂しい星空に三日月が浮かぶ午前零時。

 人気のない路地で黒ずくめの少女アヤメが、同じく黒装束の青年を追い詰めていた。

 

 すずめのしっぽのように黒髪を一つでまとめた彼の背には塀があり、前方にはアヤメがいる。よって逃げ場はない。

 見上げる先にある彼の琥珀色した瞳は、こんな時ですら穏やかな光をたたえていた。

 

「観念するのね、ハヤト。今日こそは私と番つがいになってもらうから」

「うーん、それはやめたほうがいいと思うよ」

「なんでよ! ほら、うなじを噛むだけだから。ね? 簡単でしょ? なにも怖いことはないから大丈夫!」



 このセリフも何度目だろう。明るい声に加え、にっこり可愛らしく笑ってみせても、やっぱりハヤトは頷いてくれない。

 正直な話、めちゃくちゃ悔しい。

 アヤメがこうして昼も夜も彼を追うのは、世界の理をなんとしても利用したいからだ。

 

 アルファ、ベータ、オメガ。

 この世には男女とはまた別の二次性と呼ばれる特殊な性別が存在する。

 容姿も華やかで、文武共に優秀なアルファ。

 定期的に訪れる発情期は厄介だが、アルファを惹きつける希少な人口数のオメガ。

 そのどちらも有しない、一番人口の多いベータ。そして、男と女。

 この六つの性で世界は成り立っている。



 番とはアルファとオメガのみが結べる強い絆で、一度番ってしまえばどちらか片方がこの世を去るまで継続される契約のようなものだ。

 契約を結ぶとアルファは番にしか発情しなくなるし、オメガは番以外と肉体関係が結べなくなる。

 不思議なシステムだが、どういう仕組みなのかは神のみぞ知るもの。理解はできなくとも、みな常識として受け入れている。

 

 そして性交中にアルファがオメガのうなじを噛むことで、番の契約は成立する。

 もちろん経験したことはないけれど、これもまた一般常識である。

 軽率に頷いてほしいから、あえて軽く簡単に言ってみるのだが、アヤメとしては真剣そのものだった。

 しかしハヤトは困ったように眉根を下げて笑い、首を横に振る。



「噛むだけ……ね。自分を大切にしたほうがいいよ。アヤメは可愛いから俺なんか相手にしなくても、もっといい人がいるよ」



 彼はいつもこうだ。可愛いと言うのであれば素直に受け入れてくれたらいいのに。

 しかし、ここは人ひとりが通れるだけの細い路地。逃がすつもりなど、これっぽっちもない。

 勝利の確信を得たアヤメは懐から愛用の暗器を取り出した。

 縄の先に棒手裏剣のついた縄鏢はアヤメの得意とする武器である。捕縛技は得意だ。

 しかし縄を投げるより早く、ハヤトは姿勢を低くしてアヤメに手を伸ばす。とっさに後ろに飛んだけれど、手の中にあった縄鏢は奪われてしまった。

 

「か、返してよ!」



 夜も更けているため小声で噛みつくアヤメとは対称的に、ハヤトは穏やかは笑みのままである。

 悔しいほどまでに余裕な顔はアヤメのプライドを刺激する。しかし同時にときめく乙女心は実に厄介である。

 

 忍びとしての矜持と恋心。ジレンマにおちいるアヤメにむけて、「うん、そうするね」と微笑むハヤトはあくまで平静だ。

 そして縄鏢を取り戻そうとしたアヤメの腕をまとめ、素早い動作で縄をぐるりとかけた。

 
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