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第三章「魔王ちゃん、王都を救う」

第三十二話「新生活のはじまり」

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 王都ウルカンヘイム。
 日は、そろそろ傾きかけたところだ。

 巨大な門を潜り、石畳の道を馬車が進む。

 フィンもクレイも、初めて見る王都の街並みに目を輝かせていた。
 高い石造りの建物が建ち並び、広い通りに馬車が行き交う。
 広場に出ると、リーンベイルの街では見たことがないような大きな市が立っている。

「旦那さま! さっきめちゃくちゃ美味しそうな肉が焼いてありました! 戻りましょう!」
「行き先は馭者ぎょしゃさんに任せてある。食い歩きくらい、じきにできるさ」

 そう答えながら、フィンも馬車の窓に張り付いている。
 街並みも、歩いている人々の服装も、なにもかもがリーンベイルと違うのだ。

「バーチボルトの旦那、宿へ着きました。私は、ここまでで」

 馭者が声をかけると、フィンは馬車を降りて礼を言った。
 そしてあらためて、モルデン侯爵に用意された宿を見上げる。

「すごいなこれは……」

 マーガレットの宿の五倍ほどの規模はあろうか。
 庭には花が咲き乱れ、噴水まであった。

 入り口に衛兵がいるのにも驚く。
 衛兵はフィンの乗ってきた馬車を見ると、一礼して道を開けた。
 モルデン侯爵の紋章か何かが描かれていたのかもしれない。

 中に入ると、赤い絨毯の敷かれた広いエントランス。
 喫茶スペースまであって、仕立ての良い服を着た男女がお茶を楽しんでいる。
 フィンは何もかもに圧倒されてしまう。

 モルデン侯爵には、受付で名乗ればいいと言われていた。

「すみません」
「はい、お客様。いらっしゃいませ」

 弓矢を背負った客というのは、珍しいに違いない。
 しかし受付の男は、何も気にしていない様子で答えた。

「フィン・バーチボルト、と名乗ればいいと言われたんですけれど……」

 その瞬間、男の顔色が変わった。

「少々……お待ちください……!」

 男がカウンターの奥に引っ込むと、別の中年の男が早足で出てくる。
 話を聞くと、宿屋の支配人ということだった。

「モルデン侯爵からお伺いしております。バーチボルトご夫妻、お待ちいたしておりました」
「はい、ご夫妻でーす!」

 深く頭を下げる男に、クレイは元気に返事する。
 ため息をつきかけたフィンは、ふとエントランスのざわめきに気がついた。

「モルデン侯爵の客……」
「あの狩人が……」
「まさか……」
「執政官殿があのような……」

 ひそひそと交わされる、そんな会話がフィンを落ち着かなくさせる。

「荷物をお持ちいたします。早速お部屋にご案内してよろしいでしょうか?」
「どうも、よろしくお願いします……」
「わたくしと旦那さまの、新たな愛の巣ですね?」

 クレイはぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでいる。

「冒険者のお客様をお泊めすることは、なかなかございませんので……」

 支配人は言った。

「行き届かぬことがあるかもしれません。なにかございましたら、遠慮なくお申しつけください」
「はーい、お申しつけまーす!」

 クレイの返事を笑顔でいなすと、支配人はフィンに鍵と大きめの封筒を渡した。

「こちらはお部屋の鍵です。それとモルデン侯爵から、お手紙をお預かりしております」

 封筒と鍵を受け取る。
 そしてたどり着いたのは、立派なドアの前だ。

 フィンは祈る。
 どうかこのドアはクレイに破壊されませんように……!

「それではごゆっくり、おくつろぎください」

 支配人は一礼して去っていった。
 フィンがドアを開くと、ビンツ男爵の応接間に勝るとも劣らない空間が広がっていた。

 革張りのソファー、大きな化粧台。
 猫足のテーブルには、みずみずしい花が活けてある。

 そしてなにより、驚いたのがベッドだ。

「ふっかふかですー! 大きいですー!」

 クレイが飛び込んで転がりまわる。
 これはカップルや夫婦がふたりで眠るためのベッドだ。

 それがひとつだけ、ドンと置かれていた。

「やっぱり愛の巣はこうでないといけません! 旦那さま、眠るときは一緒ですよ!」
「お……おう……」

 さすがにこんな立派な部屋で、床に寝るというわけにはいかない。

 ――夫婦で、同じベッド。

 クレイの一方的な主張が、どんどん戻れないところまできている気がする。

「なんか、気疲れしちゃったな……」

 フィンはソファーに腰を下ろすと、支配人から渡された封筒を開いた。
 中にはさらに2通の封筒が入っている。

 フィンは自分宛てのものを開き、手紙を広げた。


稀代きだいの冒険者、フィン・バーチボルト君。

 長旅、大変ご苦労だった。
 王都の中心ならもう少し宿を選べたのだが、冒険者ギルド近辺の方が便利が良かろうと思い、その宿を選んだ。
 あまり広い部屋ではないが、サービスは保証付きだ。
 まずはゆっくりと旅の疲れを取ってもらいたい。

 宿代のことだが、もちろん私が全額負担させていただく。
 これは貸しではなく、君への投資だと考えている。
 いつか必ず君の力を借りるだろうと、私は確信しているからだ。

 ギルド長に宛てた封筒は、冒険者ギルドの受付まで持って行くように。
 なにか困ったことがあれば、いつでも我が家を訪ねてくれたまえ。
 君の友人は、英雄の手助けをしたくてうずうずしているのだ。

 王都での、君の成功を祈っている。

 敬具 ホーラント・モルデン』


「これであまり広くない部屋って……さすが王都だな」

 もちろん王都にも狭い安宿はあるのだが、フィンがそういうことを知っていくのはこれからのことだ。

「宿代を持ってもらえるってのは、ありがたいな」
「でしたら旦那さま、何もしなくても生きていけるのではありませんか?」

 ベッドの上をころんと転がって、クレイが言った。

「そうじゃない。俺への投資だと書いてある」

 フィンは手紙を畳んで、封筒にしまう。

「つまり冒険者として、結果を出さなきゃいけないってことさ。そうのんびりとしていられる身分じゃないぞ」

 自分に言い聞かせるように、フィンは言った。

「でも冒険者ギルドへ登録に行くには、少し遅い時間になっちゃったな」

 モルデン侯爵が書いたように、とりあえずは旅の疲れを取るのが先かもしれない。
 フィンが立ち上がって、荷物を部屋の隅に置いたとき、ドアがノックされた。

「失礼いたします、バーチボルトさま。ご夕食は食堂でとられますか? それともお部屋で?」

 フィンは考える。
 食堂、というのも興味がないわけではない。
 しかし思い出すのは、エントランスで感じた好奇の目だ。

 フィンの服は、リーンベイルの服屋が新しく縫ってくれた。
 けれどもこれは狩人の服であって、高級宿の食堂で食事ができる格好じゃない。

「……部屋で、お願いできますか」
「かしこまりました、のちほどお持ちします。失礼いたします」

 使用人が行ってしまうと、クレイがベッドの上で足をパタパタさせた。

「旦那さま、食堂ってところ行ってみたかったです! まっしゅぽてとが出るところでしょう?」
「救貧院の食堂とは、たぶんちょっと違うかな……」

 冒険者として人並み以上に稼げるようになったら、ピシッとした服を着せて、ここの食堂に連れて行ってやりたい。
 そうしたらクレイは、どれだけ喜ぶだろう――。

 気づけばフィンの目標には、自然とクレイが紛れ込むようになっていた。

「………………」

 それはきっと“目標”などというものを持てたきっかけが、クレイであるからに違いない。




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