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第一章「あなたの妻です」

第六話「初夜でしたので」

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 住宅街をずっと歩いて、街の中心部まで行くと、教会がある。
 件の“冒険者殺し”のせいか、もう夜更けだというのに表門付近は憲兵たちが巡回していた。

 フィンは憲兵に見つからないよう裏手へ回ると、なるべくそっと裏口の扉を叩いた。

「はい、どちらさまでしょう」

 出てきたのは、サンティだった。
 優しい眼差しが、カンテラの灯りに照らされていた。

「俺だ、フィンだ」

 フィンが小さな声で告げると。

「そしてその妻、クレイ・バーチボルトです!」

 クレイはフィンに腕を絡ませたまま、バチンとウィンクした。

「うおい!」
「はい?」

 クレイは不思議そうな目で、フィンを見上げた。
 フィンは慌ててささやく。

(親戚って話だっただろう!)
(妻も親戚でしょう? ゼロ親等です!)

 サンティを見ると、無表情で硬直していた。

「フィンさんの、おおおおおおくさまで、でで……」
「違うんだ、誤解だ! なんというか、そう、知り合いなんだよ! 冗談が好きなやつで!」

 フィンが必死に弁解すると、クレイは胸を張った。

「はい! 冗談は好きですよ! ではここでひとつ小咄こばなしを……」
「そういうの今はいらないかな!」

 サンティのカンテラがカタカタと震えている。

「お知り合い……すごく親密なお知り合いですのね……ふふ……」
「いや、なんというか妹みたいなもので……」
「それはそれは……仲の良い“妹”さんですねえ……」

 口角をひきつらせながら、サンティは笑みを作ろうとしていた。

「はい! おしどり夫婦です!」
「お願いだから、ちょっと黙っていようね」

 フィンはクレイの腕をふりほどくと、サンティに近づいた。

「頼む。俺もこいつも、今晩泊まるところがないんだ」
「“恋人の宿”でもお泊まりになればよろしいんじゃないですか?」

 サンティは冷たい目でフィンを見据えた。

「いや、こいつはそういうのじゃない。部屋もふたつに分けてくれるとありがたいくらいだ」
「それは当然のことです」
「この街で頼れるのは君しかいないんだ。だから、頼むよ」

 ふう、とため息をついて、サンティは言った。

「わかりました。教会は来るものを拒みません。粗末な寝床でよろしければ、お貸しいたしましょう」
「すまない、恩に着るよ」

 フィンの言葉に、サンティはどこか不機嫌そうに答える。

「……神様のおぼしめしですから」


 そうして、フィンとクレイはなんとか宿を確保することができた。

「ご案内いたします」

 カンテラを持ったサンティに、ふたりはついて歩く。
 夜の教会は静かだ。

 外に面した渡り廊下に出て、しばらく歩くと救貧院きゅうひんいんにたどり着いた。

 壁はひび割れ、すきま風が吹いている。
 きれいに掃除されてはいるが、そのせいでかえって建物の傷み具合があらわになっていた。

 街から集まる献金だけで、救貧院を維持するのは大変なことなのだろう。

「さきほど申し上げた通り、2部屋に分かれて泊まっていただきます」
「大丈夫です! ベッドひとつに無理矢理収まりますから! なんなら上に乗って……いや旦那さまが上のほうが……」

 サンティの頬がひきつった。

「……フィンさん、ここは神聖な神の家ですよ?」
「別の部屋で! 別の部屋でお願いします!」
「承知しました」

 そうして、フィンとクレイは古びた鍵を渡された。
 2部屋は、すぐ隣だった。

「あいにく、ここしか空いていないのです」

 サンティは真顔でくちびるを噛んでいた。

「ほんとうに、すまないな……」
「これが私たちの務めですから」

 ぎこちない笑顔で、そう答える。

「夜遅くにすまなかった」

 フィンが頭を下げると、サンティは目を細めた。

「では、おやすみなさい。良い夢を」

 きびすを返して、立ち去っていく。
 フィンたちも、自分の部屋へと向かった。


 そのとき。


「……あの小娘、なんとかしないと」


 フィンの耳になにか、妙なつぶやきが聞こえたような気がした。
 たぶん誰かの寝言だろう。

「ほら、さっさと寝るぞ」
「一緒の部屋が良かったですぅ!」
「ダメだ。規則は規則だ」

 フィンは自分の部屋に入ると、さっそくベッドに寝ころんだ。
 あの安宿よりも固いベッドだ。

 シーツはところどころ破れて、縫い直したあとがある。
 それでも、清潔なせっけんの香りがしていた。

 費用の限られた中で、できる限りのことをしてくれているらしい。
 だがいまのフィンには、夜風をしのぐ屋根と壁があるだけでもありがたいことだ。

「……サンティには、明日改めて礼を言わないとな」

 相変わらず、フィンには返せるものがない。
 また、借りが増えてしまった。

 いつかきっと彼女の恩に報いなければ。
 そんなことを思いながら、心身ともに疲れ切ったフィンは深い眠りに落ちていった。


 ………………。

 …………。

 ……。


 翌朝。

 窓からの日射しを浴びて、フィンは目を覚ました。
 いつもの朝だ。
 固いベッドに、薄い毛布、かたわらに温かくて柔らかい感触。

 フィンはいつものように大きく伸びをして――。

「……ん?」

 温かくて柔らかい感触。

「……んんん?」

 隣を見ると――女の子が小さな寝息を立てながらすうすうと眠っていた。

「うおっ!!」
「むにゃ……ん、もう……朝ですか……?」

 クレイは目をこすると、上体を起こし、しなやかな体で伸びをした。

「なんで君がここにいるんだ!」
「初夜でしたので!」

 クレイは目覚めばっちりの笑顔でそう言った。
 言葉の意味は、あまり理解していないようだが。

「さあ旦那さま、おはようのキスをしましょう! 文献によると人間のつがいは日常的に唾液を交換するそうですよ!」

 ルビーのような瞳をらんらんとさせながら、クレイはフィンに顔を寄せる。
 長い睫毛が朝日に輝いている。

「待て、そもそも俺たちはつがいじゃない」
「なにを仰いますやら。ともに初夜を過ごした仲ではありませんか!」
「そもそも君、どうやって入ってきたんだ。カギをかけておいたはずだぞ」

 フィンが部屋の入り口に目をやると、そこにドアは存在しなかった。
 ただ下に降り積もった燃えカスが、昨夜の蛮行を物語っている。

「初夜の前には薄い木の板など、なんの障壁にもなりはしません」
「毎回ドアへの当たりキツくない? ドアかわいそうじゃない?」

 フィンは困ったように下を向き、ため息を吐いた。

「……まったく、こんなところをサンティに見られたら」


「見られたらどうなるんですか?」


 その声にフィンがはっと顔を上げると。
 燃え落ちたドアの向こうで、サンティが頬を引きつらせていた。


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