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「体調は」
「もうばっちりです」
 体調を崩した翌週の週末。休みの間に無事に回復して週明けから出勤したものの、篠崎はひどく心配して送り迎えをしてくれた。もう大丈夫だと伝えても、心配だからと気にかけてくれる優しさが嬉しくて甘えたままだった。そしてその空間が心地よくて、あっという間に一週間が終わった。
「無理はしていないな?」
「はい」
「よかった」
 その言葉には心がこもっていていかに篠崎が心配してくれていたかが伝わってくる。だから本当なら、せめて水曜日くらいにはもう大丈夫だから送り迎えは不要だと言うべきだった。篠崎だって多忙なのだし。けれど、言えなかった。篠崎の送り迎えが嬉しかったから。
 しかし篠崎はひどく多忙だ。なのに自分の疲れや忙しさなどおくびにも出さなかった。
 自分のせいで篠崎が倒れたりしたらーーそう思うと怖くてたまらない。けれど、仕事について自分が手伝えることはない。それならせめて、自分にできることをしたかった。

 先日、キスをしてもらえるようになってからーー
 おはようとおやすみ、それから行ってらっしゃいとただいま。日に少なくとも四回のキス。けれどそれだけじゃなく、唐突に可愛いと言われてのキスもたくさん額にされた。まだ額だけ。篠崎はとても優しくて気を遣ってくれているから。でも額へのキスだって、される度に嬉しくなる。幸せな気持ちになる。視界が明るくなって、すべてが楽しく感じられる。ドキドキする。疲れていても頑張ろうって思える。
 だから、篠崎にも同じように感じてもらえるかもしれない。
「篠崎」
「ん?」
 今日の篠崎も忙しそうだ。相変わらず篠崎は安西の仕事について何も訊いてこないので安西も篠崎に訊いてはいない。想像だけれど、先日景山に役員を辞任すると言っていたのでその引き継ぎなんかもあるのかもしれない。果たして日本にいるままでできるのかはわからないけれど、もしかしたらすでに日本で新しい何かを始めていてそちらが忙しいのかもしれない。そして元々それほどまでに忙しかったところに安西の看病と送迎。パンク状態なのだろう。申し訳ない。
 この数日、安西が仕事から帰って来ても篠崎は書斎に籠っていることが多い。夕食を作り終えたところで声をかけ、一緒に食事を取ったら安西はシャワー、その間に篠崎が洗い物をしてくれて、その後にシャワーを浴びたら篠崎は申し訳なさそうな顔で額にキスを落として書斎に戻ってしまう、そんな生活がこの数日ずっと続いている。
 今も篠崎はシャワーを終えて髪も乾かさないまま書斎に向かおうとしている。その背中にかけた言葉。
「あの、仕事無理しないでくださいね」
「ああ、ありがとう」
「……あの」
「ん?」
 早くしないと。篠崎はそれでなくても忙しいのに、安西が寝る時間になると仕事を中断して寝かしつけをしてくれるのだ。それだけで大きな迷惑をかけている。だから少しでも迷惑をかけないようにしたい。それと、無理もしてほしくないけれど仕事が趣味だったと言っていたから頑張ってほしいとも思う。
「目、閉じてください」
「うん?」
 篠崎は疑うことなく目を閉じてくれた。信頼されているみたいで嬉しい。
 腕を引き、身体を引き寄せる。少しだけ背伸びをして、頬に触れるだけのキス。ーー触れるというか、距離感がわからなくて押し付ける感じになってしまったけれど。
「!諒、」
「あの、仕事、頑張ってください」
「……ああ、ありがとう」
 笑顔になるかな、と思ったけれどならなかった。
 安西は篠崎が額にキスをしてくれるようになってから毎日が明るくなって、キスを思い出すだけで顔が柔らかくなってしまうほどだったので、安西もすれば篠崎も同じように思ってくれるかもしれないと思っていた。疲れていても、頑張ろうって、そう思ってくれるかもしれないと。けれど、違った。自分からのキスが篠崎の活力剤になるかもしれないなんておこがましかった。恥ずかしくて消えてしまいたい。
「……あの、引き止めてごめんなさい、仕事、」
「ダメだ」
「え?」
「ダメだ、今日はもう仕事はダメだ」
「ご、ごめんなさい」
 まさかそんなに嫌だったなんて。応援したいと思っていたけれど逆に迷惑をかけてしまった。
「あの、ごめんなさい、僕、」
「違う、嬉しかった」
「え」
「嬉しいんだ。だからもう仕事なんてする気になれない。一緒にいよう」
「え、や、あの」
「うん?」
「仕事、頑張ろうって思えるかなって、その、篠崎にキスしてもらうと僕がそう思えるので、だから……」
 それなのにまさか篠崎のやる気を削いでしまうなんて。
「いいんだ、ここ最近仕事が多すぎた。大丈夫、もう元気をもらった。君が寝た後でも仕事はできる。だから今は諒くんといたい」
「……ごめんなさい」
「謝らないでくれ。それよりもっとしてほしい」
「え、と、あの」
 篠崎に手を引かれソファに座る。篠崎の距離が近い。頬を差し出される。
「あの、篠崎、」
「諒、もう一度してくれ。驚きすぎて覚えていない。勿体ないことをしてしまった」
「え、と」
 普段一定の穏やかさである篠崎のテンションが上がっている。喜んでくれているのだ、とようやく実感できた。
「目、つぶってください」
「あぁ」
 篠崎が目を閉じる。長い睫。そういや一緒に寝てもらうようになった頃もこの睫の長さに驚いたっけ。
 キスのやり方なんて知らない。けれど唇を触れさせるだけで喜んでくれたからそれでいいのだろう。もう一度唇を頬に当てた。
「嬉しい。ありがとう」
「あの、篠崎」
「うん?」
「僕も、その、頬にしてほしいです」
「いいのか」
「最近、もっとしてほしいなって思うようになって……いやらしいですか」
「いや、嬉しいよ」
 そう言って篠崎はちゅ、と音を立てて頬にキスをくれた。そのスムーズさに経験の差を痛感する。でもいいのだ、篠崎は安西の拙いキスでも喜んでくれたから。
「ありがとうございます」
「……キスでお礼を言われるというのもいいな」
「え?」
 篠崎の言葉の意味が分からず首を傾げるが、篠崎は小さく笑うだけで応えてはくれなかった。 
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