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第8章 運命の時 呪いの儀式

336話 死の救済

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「不快ね」

 ゾッとする程に冷たい声。勝利を見込むタナトスが地上目指し姿勢制御を行う、正にその時だった。

 ルミナは視線を女に合わせ、眼下にやる。蠢く人波。その誰もが、蒼天に浮かぶ深紅の機体とルミナを怯えた目で見つめていた。動揺。恐怖を訴えかける無数の視線に、ルミナの意識が奪われる。傍と、ルミナは視線をタナトスへと戻した。が、動きは無い。僅かとは言え、千歳一隅の隙を晒したのに微動だにしていない。

 視線が、再び眼下に落ちる。そうして初めて気づいた。誰もが祈りを捧げる様に手を組み、目を閉じ、呟く。"どうか私達をお助け下さい"、と。

「今更、何に祈ると言うのッ!!」

 言葉に乗る感情は露骨な苛立ち。改式は躊躇いなく引き金に指をかける。が、何を理由にしてか意識をルミナから逸らした。冷徹な女が見せた剥き出しの感情は、意志薄弱な人間に振り回される神への同情か、哀れみか。しかし、言わずもがな致命的なミス。

「グッ!?しまっ……」

 くぐもった声が、異変を告げる。隙を晒した罰と言わんばかり、タナトスの脇腹に青い刃が突き刺さった。

「だけどッ!!ク、フフ、ハハハ」

 鬼気迫る声に続け、力ない、渇いた笑いが木霊す。賽は投げられ、もう誰も止まる事など出来ない。タナトスは、眼下目掛けて銃弾を放った。巨大な銃口から放たれた弾丸が着弾すれば直撃した数人は跡形も残らず、衝撃で数十人以上を殺傷する。

「お前はッ!!」

 ルミナは怯まず、その場から無数の刃を制御する。彼女の意を汲んだ青い刃は弾道の軌道上に出現すると幾重にも折り重なり、さながら盾の如く銃弾を防ぎ切った。青い刃が銃弾と共に粉々に砕け散り、光を反射しながら地上目掛け降り注ぐその様子に、誰もが目を、心を奪われる。

「お前の敵は私だ、間違えるなッ!!」

「違う、わよ」

「何がだ!!」

「祈る位なら動きなさいよッ!!そうやって縋るだけ祈るだけで何もしないくせに、何も起こらなければ恨む憎む!!腹が立つのよッ。与えられた、持って生まれた自由で選ぶのは楽で怠惰で堕落した道ばかり!!」

 タナトスの意識は、ルミナに向いていない。演技ではない、恐らく本心。今の今まで決して己の内を見せず、常に暗い闇に包まれた女の本性が今、剥き出しになっている。

「お前も何かに縛られているのか?」

「女の秘密に気安く触れるなと、言ったでしょう」

 ドスの利いた声。機体越しに、凄みの利いた声が恫喝する。

「そうか。なら、力づくで聞きだす」

 ルミナも全く退かず、戦いが始まる。

「強引。でも、気が合うわね。私も欲しいのよ、その力が。運命を覆す……鎖から解き放つ力を、寄越しなさいッ!!」

 改式は再び眼下に銃口を向けた。銃口が向く先は悲鳴を上げ、逃げ惑う人々の群れ。躊躇いなど無い。殺意、決意、覚悟の証に、引き金を引いた。

 ドォン――

 避難施設を震わせる轟音。続けて、空に青い花が咲いた。ルミナが作り出す刃の盾が、弾丸の威力を完全に相殺する。初撃と全く同じ結果に、眼下の避難民は背を押された。叫び声と共に、散り散りに逃げ出した。

「アッハハ。でもそれ、囮よ?」

 その行動を、深紅の機体が嘲笑う。何もかも織り込み済みだと。施設が再び振動した。小刻み、何度も。同時、立て続けに何かが発射される音。正体は改式の周囲に灯った灰色の光、その向こうから発射された夥しい数の誘導弾。

「どうする?」

 背部に背負っていた実体型の刀を握り締めながら問うタナトスに、ルミナは無言で答える。何時の間にか取り出した銃を、空中に向けて乱射した。白い輝きを纏う弾丸は桁違いの誘導性と速度で誘導弾に追い付くと、ことごとくを破壊した。

 またしても……否。彼方此方で誘導弾が炸裂すると同時、夥しい数の破片が撒き散らされた。勝敗は、まだ決していない。

「破片誘導弾!?」

「貴女と戦うのよ。これ位の準備は、ネ」

 破片誘導弾。その名が示す通り、誘導弾の弾頭に殺傷能力の高い破片を詰め込んだ非人道的兵器。攻撃範囲は相当に広く、最大で100メートル超。兵器の情報を知るルミナは思考する。二撃目までを防いだ小さな盾では防ぎきれない。盾がいる。もっと、大きな盾が。その思考がフツノミタマに伝わり、空想の盾を現実に顕現させる。

 空に無数の刃が展開された。空を、陽光を覆わんばかりの刃の群れは次の瞬間に霧散、極小ナノマシン群へと姿を変えると破片と避難民の間を埋める。その分厚いナノマシンの層を、飛散する破片は突破できなかった。触れると即座に分解するナノマシンに阻まれ、破片は一欠片たりとも地上に届かず。三度、ルミナの勝利。が……

 ドン、と大きな衝撃。

 二度も見逃すまいと、タナトスが強襲した。衝撃の正体は改式の剣がルミナに激突する音。続けてズシン、と地面に激突する音、無数の悲鳴が不協和音が重なり、更に鈍く重い銃声が数発鳴り響き、最後に無数の瓦礫がバラバラと落下、地面に折り重なる音が不協和音を奏でたところで漸く静けさを取り戻した。

「随分と、手古摺てこずらせ……クッ、流石に限界……か、な」

 ルミナを行動不能に追い込んだタナトスは、改式の操縦席で脇腹に軽く触れた。青い刃は未だ女に突き立てられたまま。滴る血は服のみならず、操縦席のシートをも朱く染める。苦悶に歪んだ顔は若干蒼ざめ、状況から相当な量の血が抜け落ちた事実を物語る。

「今の、内に」

 タナトスは理解している。ルミナはこの程度では止まらない、と。未だ腹部に突き刺さる刃は、ルミナの命と意志が健在の証。故に、早急に行動を起こす。

 震える手を胸元へと滑らせ、治療用ナノマシンを取り出す。正体が割れるまで製薬会社のトップに成りすましていたのだから入手は容易。ケースから取り出した注射器を手早く腹部に射し、次に脇腹に突き刺さった刃へと手を伸ばす。

 カラン――

 瓦礫が僅かに揺れ動く音に、動きが止まった。緊張が、走る。薬が強力な治癒効果を発揮、脇腹から滴る血が止まった。が、次の行動に移れない。血塗れの手で刃を握り締めたまま、映像に映る瓦礫を見下ろす。刃を手に掛けたまま、獲物を睨む獣の如く瓦礫の奥に神経を尖らせる。

「この、程度でッ」

 弾けた瓦礫の中から、埃と泥に塗れたルミナが飛び出した。吹き飛ぶ瓦礫の中、空を蹴りながら瞬きする間に改式に接近、真上に陣取ると急反転、真下目掛けて回し蹴りを見舞い、真紅の改式を地面へと叩き落とした。

 ドシン――

 桁違いの衝撃と音が地面を伝い、その先の避難民の足を搦め取る。更に戦闘の余波で不安定になった幾つかの施設から無数の瓦礫が崩落した。避難民はその様子に心折られ、完全に足を止めた。巻き上がった土煙に咳き込みながら、しかし何処にも動けず、ただジッと戦禍が過ぎるのを祈り始める。

「お前が諦めるまで、私は止まらない!!」

「いい加減、周りを見なさいよッ!!誰もが化け物としか見ていない!!それを分かっているの?」

 周囲とは反対に、戦場の中心で咆えるルミナは未だ心折れず。タナトスはそんな心を揺さぶりにかかる。攻撃の手を止め、剣の切っ先をルミナから逸らす。その先には、抗い難い戦いへの恐怖に震える避難民の姿。促されるまま、彼女は視線を避難民に向ける。直後。ヒッ、と恐怖に震える嗚咽が彼女の耳を掠めた。

 無数の嗚咽は、恐怖に震える顔は、ルミナに否応なく突きつける。無数に震える避難民の足を止める真の原因は、人外の如き力で戦う己が放つ恐怖の波動だと。逃げないのは、逃げられないのは自分のせいだと。

 彼女の目的は一切ブレていない。不条理から人々を救いたいという、それだけ。が、救われる側に届かない、認識されない、理解されない。マガツヒの波動に当てられれば正常な思考を失うのは止むを得ない。しかし、タナトスが言いたいのはそんな事ではない。

 避難民達を含めた大多数は、もう彼女を認める事はない。神と呼ばれたフォルトゥナ=デウス・マキナがそう思われていたように、人を超越するマガツヒの力を宿す彼女を、圧倒的な力を持つ者を弱者は恐怖する。自らと違う異形の存在を認められない、故に排除する。

 ルミナは覚悟していた。自らが遠からず排除されるであろう運命にある事を。例えマガツヒの力を持っていなかったとしても、ザルヴァートル一族の異端として排除されたであろう未来を彼女は描いていた。

 が、それでも戦いの手を止めない。己の決断に、だが何より遥か遠くで戦う伊佐凪竜一の為にルミナは戦う。たったそれだけの理由が、彼女を突き動かす。

「それがどうした!!」

「全くッ、見た目通りに可愛げのない子ね!!」

「それで結構!!」

「本当にッ」

「お前と言うヤツはッ」

「何処までも鬱陶しいッ!!」
「何処までも鬱陶しいわねッ!!」

 ルミナとタナトスが、再び激突する。互いを認めず、交わらない2つの色は、接触する度に大きな衝撃を生みだす。幾重にも折り重なる剣戟、銃撃、肉体を、巨大な四肢を使った直接攻撃。交差し、激突する両者の攻撃は最初こそ互角だった。

 が、少しずつルミナの優勢に傾き始める。神代三剣の2つを所持するという圧倒的優位だけではない。目的の為に他人を傷つけるタナトスへの怒りは、他者を想うが故の怒りはカグツチが強く反応する感情の1つ。結果、ただでさえ強力なルミナの力は更に底上げされた。対して、タナトスは怪我のハンデに苦しめられる。攻撃からは精細さや冷静さが消え失せ、強気で挑発的な言葉は聞こえなくなって久しい。

 圧倒的にルミナの優勢。

 しかし、その光景が暗い影を落とす。戦いの様子は全艦に遍く放送されている。満身創痍、今まで散々に追い詰められながらも戦い続け、挙句に死すら超越した英雄への恐怖。応援する声もある。が、心ない言葉の方が大きい。

「どうやって止めるんだ、あんなバケモノ」

「あんなの、人間じゃあない」

 人を超えた力に恐怖する声が、戦場、それ以外の区別なく聞こえ始めた。且つてザルヴァートル財団の総帥は"弱い者には神と悪魔の区別がつかない"、と語った。その予言めいた言葉は現実となり、ルミナは堕ちた英雄から旗艦に巣食う悪魔として認識されつつあった。

 あらゆる状況が、最悪へと向かいつつある。幸いなのはまだ当の本人は知るところではないという点。タナトスを止めねば被害の拡大は食い止められないと死力を尽くす彼女の耳に、雑音は入らない。

「ちぃッ!!」

 遂に、決着の時を迎える。タナトスの吐き捨てるような声を置き去りに、深紅の改式は吹き飛ばされ、地面に激突すると動きを止めた。連合中が目撃するのは、地面に叩きつけられた深紅の改式を冷徹に見下ろす銀髪の女。

 勝利した。ルミナがタナトスを下した。が、人々はその光景を呆然と見つめるに終始する。恐怖の対象がタナトスとルミナから、ルミナ1人に変わっただけ。大多数から見れば、たったそれだけの違いしかない。

「意志は全てが持つ。人だから宿る、人でないから宿らない理屈はまだ誰も証明していない。甘く見た、その代償を支払う時だ。兵器が意志に目覚める筈が無いと、奇跡は何度も起こらぬと高を括ったお前の負けだ」

 改式を見下ろすルミナは眼下にそう吐き捨てた。兵器が意志を宿す。無機物に意志が宿る。彼女が語る奇跡とは、半年前の神魔戦役の最中に自我を獲得したタケルを指す。

「フフ、知らないのね?ソレ、最初からよ。誰かを、ずっと待っていた。ただ、それが私ではなかったという、ソレだけよ」

 意志が全てに宿る可能性の排除。奇跡の再来という可能性の見落とし。その奇跡が万全を期して用意した神代三剣に起こると予見できなかった事が敗因と分析したルミナを、タナトスはせせら笑った。笑いながら、神代三剣の真実を語った。

「ウフフッ、でもね。幾ら強かろうが意味なんて無いわ。その力……」

 勝利の為に起こした奇跡と得た力を、タナトスはやはり笑った。最後まで変わらないと、ルミナは黙って耳を傾ける。

「気付いてるでしょ?悍ましい、化け物。いえ。もう、人間の敵そのもの。貴女も何れ、否定されるわ。哀れな姫の様に、人造の神アマテラスオオカミの様に、私の様に。何れ、何れ……」

 皮肉か、同情か、恐怖か。改式から聞こえる声は、か細く小さい。操縦席を見れば、タナトスの腹部から再び血が溢れ出していた。流す血が、女を朱く染め上げる。もう、う長くはもたないだろう。

「フ……フフッ……無様ね、私も、貴女も」

「お前には聞きたい事が山ほどある、それにアメノウズメ|(※アマテラスオオカミを封印する天岩戸の解除キー)も返して貰う」

「あぁ、そんなモノ、あったわね。いいわ、勝者、だもの。受け取り、なさいな。だ……どその前に……」

「何をするつもりだ!!」

「別に……大したこと……ゃないわ」

 改式の中、己が命を諦めたタナトスは、血塗れの手で通信端末を操作し始めた。程なく、女の虚ろな目が1人の少女を映す。純白のドレスを身に纏った少女は突然の通信が映す凄惨な光景、操縦席にべったりと染める真っ赤な血に驚き、怯え、恐怖に支配された。

「聞……える?マイフレンド。見なさい、コレが貴方が望み、恋い焦がれる"死"よッ!!」

 掠れるようなタナトスの声が、一際に大きくなった。まるで、蝋燭の最後の灯火の如く。その最後、バンと、渇いた破裂音が空気を引き裂いた。以後、機体は不気味な程に静まり返る。何も、言葉の1つも聞こえない。

「お前は、最後まで!!」

 ルミナは、破裂音を聞くや反射的に動く。ハッチを無理矢理解放し、操縦席を見たルミナは悲壮な表情をと共に空を見上げ、叫んだ。先程まで苛烈な戦いを繰り広げた人物とは一致しない、悪魔とは似ても似つかない弱々しい女の姿が陽光に浮かぶ。しかし、果たしてどれだけがそう思ってくれるだろうか。

 ※※※

 もう1人、別の一面を覗かせた女がいる。

「あと、は、任せ……よ、ね?」

 僅か前、自ら命を絶ったタナトスは引き金を引くその直前、ルミナ以上の悲壮を顔に浮かべた。今際の際に見せた、本心。しかし、誰も気づかず。唯一、通信に出た少女だけが目撃したタナトスの本心は、凄惨な光景に目と心を奪われたが為に気付かれる事はなかった。

 女は連合中を引っ搔き回したその最後、自ら舞台を去った。複雑な内心も、計画の全容も、何かもを抱え込んだまま、死んだ。
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