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第8章 運命の時 呪いの儀式

331話 超克

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「やっぱり期待するだけ無駄だったわ。残念、さようなら」

 僅かに隙を晒した刹那、青い大きな刃がルミナを背後から貫く。同時刻、伊佐凪竜一もまたオレステスに心臓を貫かれた。絶望的な光景は旗艦を駆け巡り、連合中にまで波及する。2人を貫く刃がゆっくりと身体にめり込む光景に、時が止まり、音が消え、世界を染める艶やかな色が抜け落ちる感覚に支配される。

 絶望的な光景を見ると身体はこんな反応をするのか。凄惨な光景を見る全員に、等しく同じ思考が過る。伊佐凪竜一の背中側からは血がとめどなく溢れ、巨大な刃に貫かれ膝立ち状態のまま微動だにしないルミナの口元からは血が零れ落ち、大聖堂の一角を赤く染める。

 声が、止んだ。誰もが期待を寄せた英雄の最期に、誰も声を上げられず。あの2人ならば、あの時と同じくこの逆境を跳ね返してくれる、そんな希望は、願いは、祈りは容易く手折られた。もう、誰にもこの状況を覆せない。波打ち際に寄せては返す波のように繰り返した絶望と希望は、人を絶望の闇に叩き落としたところで止まった。

「ウフフッ、アハハハハッ!!」
「ハハ、ハハハハハハハッ!!」

 銀河の反対側で、同時に、タナトスとオレステスが英雄の敗北を、死を嘲笑った。計画最大の障害、英雄の排除を成した興奮と歓喜が、感情が抑えきれず、心の底から吹き零れる。

「そうだ、所詮1人じゃ何も出来ない。コレがお前の、人の限界なんだよッ!!」

 オリンピア大聖堂にオレステスの叫びが木霊し……

「無様ね、貴女も。でも悲しまないで、直ぐに"皆"追い付くから、ね。全員纏めて、さようなら」

 旗艦大聖堂に立つ改式からは冷笑を含んだタナトスの言葉が静かに戦場へと広がる。

「とんだ肩透かしだ」

「えぇ、そうね。そっちも終わった?」

「俺がしくじると思っていたのか」

「さぁね。それじゃあ邪魔者もいなくなったことだし、愛しのお姫様の元に向かいなさいな。悲願なんでしょう?」

「言われずとも」

 婚約者の仮面を投げ捨てたオレステスは、返り血に染まった冷徹な表情でバルコニーを見上げた。視線の先には純白のウェディングドレスを纏う連合の頂点、現人神あらひとがみフォルトゥナ=デウス・マキナ。

 絶対不可避の死を前に姫は微塵も動じず、寧ろ笑みさえ浮かべた。悲壮な、痛々しい笑み。彼女は今日この日を、ずっと待ち焦がれた。オレステスの殺意に姫は気付いていた。偽りの関係は終わり、真実の姿が剝き出しとなる。運命の相手という認識に間違いはなかった。ただ、人々の望む形ではなかったと言う、それだけだった。

「……ごめんなさい。私も、直ぐ後を追います」

 たった1人に連合の未来を委ねた歪みの表出か。それとも神を都合のよい道具と見做みなした罰か。否。その両方。

 今この瞬間、全人類は理解した。個々人が発する悪意は些細であっても、寄り集まれば人どころか神でさえ殺傷し得る事を理解した。姫を追い詰めたのは、神に頼るのが当たり前、結果を出すのが当たり前、神が人間の尻拭いをする事が当然と考えた自らである事を。

 しかし、こんな土壇場で理解出来たところで全てが手遅れ。責任の所在を考える必要も無ければ論ずる意味も無い。神は己が力を十全に使い、自死を決断した。最早、誰にも止める事など出来ない。その資格さえ、無い。遠からず神殺しは成り、連合は崩壊する。神が支えた世界は終焉し、人は寄る辺なき世界に投げ捨てられる。祈る先を失った、自ら切り捨てた人々の心中には何も無い。ただ、空っぽの闇が広がる。

「今から殺し……なんだ?」

 会話が、不自然に途切れた。同時、映像がオレステスの顔をクローズアップする。困難な仕事を成し終えた歓喜に取って代わるのは、明らかな動揺。

「ちょっと何……何コレ?」

 また、旗艦大聖堂のタナトスも同じく。明らかに取り乱すと、改式が不自然に動きを止めた。何かが起きた、起きている。

「タナトス、どうされたのです?」

「な、何で?う、動かない!?」

「動かない、一体どうなっている!?」

 旗艦にいるタナトスと、遥か遠くに離れたオレステスは同じ言葉を漏らした。動かない、確かにそう言った。何が、と大勢の視線が吸い寄せられる様に同じ場所へと、心臓を貫かれた2人の英雄へと向かう。

「どうして、なんで、なんで動かないの!?」

「もしや、機体に何か異常が?」

「フツノミタマが……」

「ムラクモが……」

「「動かせない!!」」

 その言葉に、停止した感覚がゆっくりと戻り始め、時が刻み始めた。何かが起こった、ではない。起こした。英雄は今再び、あの時と同じく奇跡を起こして見せたのだと、人々がそう思うのに時間は掛からなかった。気が付けば誰もが映像を食い入るように見つめる。

「何故だッ、何だッ!!何が起こっている!?」

 オレステスの表情から、殺意が霧散した。映像が、異様な状況を伝える。伊佐凪竜一の身体から刀を引き抜こうとするが、どれだけ力を籠めようが微動だにしないという有り得ない光景。先程まで手足の様に操って見せた男とは思えない醜態が映像に映る。

「誰だッ、誰が喋った!?」

「何処……何処から聞こえたの今の声は!?」

 再び、オレステスとタナトスが言葉を重ねた。今度は声、と。共に、確かに聞いた。か細い声を、消え入るような、掠れる様な、喉の奥から振り絞り出した様な声をはっきりと届いた。囁かれたような感覚。しかし、傍には誰もいない。さながら頭に直接響いたような感覚に、やがて2人の視線は同じ場所を見る。心臓を貫かれ、動かない英雄へと。

「り……じゃ……ない」

「何ッ!?」

 再び、今度ははっきりと声が聞こえた。恐怖にひきつったオレステスの顔がゆっくりと下がり、そして見た。無数の護符の隙間から白い燐光が噴き出す光景を、その光が伊佐凪竜一へと吸い込まれる光景を……だが何より、心臓を貫かれた伊佐凪竜一が覚醒する様を見た。息絶えたと誰もが諦めた伊佐凪竜一は、あろう事かムラクモの刀身を握り締め、引き抜こうとしている。

 ズッ――

 護符に覆われた刀身を血塗れの手が握り締めると、それまで微動だにしなかった刀がゆっくりと動き出した。同じ結果になると高を括ったオレステスは絶句する。どれだけ力を籠めても動かせなかった刀が、己など眼中に無いとばかりに伊佐凪竜一の手に合わせ動き、遂には引き抜かれると中空に浮かび上がった。

「馬鹿なッ!?」

 狼狽しながらも、オレステスは抵抗を試みる。ユラユラと浮かぶムラクモを奪い返そうと柄を握り締めるが、やはり微塵も動かせない。自分の制御を離れた。そう認めざるを得なくなったオレステスは身一つで飛び退き、やや離れた位置からムラクモと膝立ち状態で息を荒げる伊佐凪竜一を視界に収め……直ぐに混乱し出した。

「どうなっている!?心臓を貫いたんだぞッ!!なのに傷がッ!?こんな、貴様は人間かッ!!」

 信じ難い光景が、連合中を駆け巡る。誰もがオレステスが混乱する理由を理解した。ムラクモが引き抜かれたその身体には、心臓を貫いた傷だけが無かった。他は傷だらけの中、その場所だけに傷が無い。また、石畳を染め上げた夥しい血も同じく。致命的な一撃を受けた証のことごとくが、まるで夢か幻の如く消え失せた。

「バケモンに、見えるかよ」

 力無く呟く伊佐凪竜一は、立ち上がりながら否定した。確かに化け物とは程遠い。心臓への致命傷だけが忽然と消失してはいるが、満身創痍に変わりはない。身体はフラフラと揺れ、意識は朦朧としている。目は潰れているようで見えておらず、身体のアチコチが傷だらけ、更に骨も何本か折れている様に見えた。それでも尚、立ち上がる。化け物などではない。英雄に相応しい姿と精神。

 しかし、身体が追い付かない。彼は震える手を前方にかざし、眼前に浮かぶ刀を掴もうとするが、目が潰れている為にままならず。その様子にオレステスが動く。目に、淀んだ光が宿った。頭から混乱を押しのけ、怒りで満たした男は懐からプレートを取り出し、刀を実体化させると躊躇いなく伊佐凪竜一目掛けて振り下ろした。

 ムラクモを奪った理由は単純に戦力を落とす為。神代三剣という規格外の超兵器を旗艦側に揃えさせない為。みすみす伊佐凪竜一の手に渡すわけにはいかない。折角の優位を手放す理由は何処にもない。

 が、刃はまるで枯れ木が折れた様に情けない音を立てながら折れた。ムラクモは吸い寄せられる様に彼の手の中に収まると、主を護るかの様に彼の手を動かし、オレステスの凶刃から護った。空中を舞う刃が音もなくオレステスの傍に突き刺さる光景を、男は驚愕の視線で追う。

「馬鹿な……奇跡が、ムラクモが、この土壇場で、貴様を選定し、あまつさえ護ったとでもいうのか!!蘇るだけでは飽き足らず、ふざけるなよッ!!」

 神代三剣は自らを振るう者を選定する。その力と意志が、伊佐凪竜一を主と認めた。いや、"本来持つべき者"の手に収まった。それが事実であるかの如く、彼の周囲に光が渦を巻く。刀が所持者の意志と共鳴し、凄まじい量のカグツチを周囲に集め始めた。

「痛みを感じなかった。扱いきれなかったんじゃないのか?」

「そんな筈は無いッ、この半年どれだけ訓練したと思ってるんだ!!それをッ、それをッ!!」

 半年の努力を奇跡に踏みにじられたオレステスは折れた刀を投げ捨てると、懐から再びプレートを取り出した。瞬きする間に生まれた刀は、ムラクモに負けじと周囲のカグツチを取り込み始める。

「フォル、そこで待っていろ!!多少イレギュラーが起きたが結局何も変わらない。最後に勝つのは俺だ!!そしてッ!!」

「させない……絶対に。誰も望んでいない死なんて認められない」

「本人が認めたッ、貴様は何を聞いていたんだッ!!」

「お前こそ、何を見ていた!!」

「黙れッ、貴様こそ何を知っていると言うんだ!!あの女はなぁ、"幸運の星"を持つ女は悪魔なんだよ!!アレに殺されたッ、俺の家族も近しい人達も全員、全員奴の母親に幸運を吸い上げられて惨めに死んでいったんだ!!だから殺すッ、俺はその為に、その為だけに……今日この日を迎える為に全てを犠牲に生きてきたんだ!!なら聞いてみるがいいさ!!オイ、お前は何方を選ぶんだ?俺か、それともこの馬鹿か!!」

 オレステスが、腹の底から叫んだ。復讐の動機を。その最後に大聖堂のバルコニーを見上げ、そして問いかけた。選べ、と。その言葉に、フォルトゥナ姫は純白の衣装に相応しい笑みを浮かべる。その笑顔はとても悲壮で、痛々しく、それ以上に歪んでいた。

「もう……もう嫌なんですッ!!誰かが私のせいで不幸になるのを見るのはもう嫌……見たくないんです。でも止められない……逃げられない……だから、だからオレステス、アナタがココに来るのをお待ちしております」

 その言葉にオレステスは笑った。歓喜、愉悦、何より安堵。不測の事態により英雄と旅をした姫の心が未だ闇に捕らわれている、心変わりしていないと知った安堵に男は笑った。端整な顔が見せる歪んだ笑みは、己が勝利を確信するが故。

「それでも、止める」

 男の歪みを、伊佐凪竜一は否定した。完全無欠と謳われる幸運の星を前に、それでも英雄は止まらない。
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