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第8章 運命の時 呪いの儀式

322話 別れを惜しむ暇もなく

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 終わってない。その声には、悲痛や憎悪、色々な感情が織り交ざる。一つの事象はそれを何処で見るか、どんな立場から見るかによって様々に変わる。物事の本質は一つであっても、受け取る側により印象は変わる。

 終戦後の世界が山県大地に見せたもの、残したもの。生き方を選べなかった嘆きと、責任と憎悪を一身に押し付けられた絶望。声が、顔が、心中を物語る。少なくとも、生き残った幸運など微塵も感じていない。

「何が終わったんだッ、まだ生きてるだろうがッ!!俺はッ、俺がまだ生きているッ!!それにあの戦いを傍観したヤツ等もだ!!罪を償わねぇで逃げおおせてる奴らが生きてるんだよォ!!ソイツ等が生きてる限り終わらねぇんだッ!!俺はッ、一度決めた道を変える事なんて出来ねぇんだ!!だがなァ……」

 男は口を閉ざし、抜き身の刀を鞘に納めた。居合いの構え。と、同時に分身をけしかける。回避と攻撃を封じる為だ。意図を察した伊佐凪竜一は攻撃を加えるが、さながら流水の如く不定形に変化する分身は容易く回避しながら身体に巻き付き、拘束する。とても青く、桁違いに硬い鎖に伊佐凪竜一の動きが止められた。

「何よりお前だ!!お前に、勝つッ」

 怒りと悲しみを凌駕するのは酷く単純な理由、目の前の男に勝ちたいというたったそれだけ。その意志に弾かれ、山県大地が視界から消失した。ナノマシン製の脚部は人体では出し得ることが出来ない力にも余裕で耐える。人間の限界を超えた男は、己が限界を超えた一撃で伊佐凪竜一を葬ろうと凄まじい速度で突撃した。高機動から放つ、正しく必殺の斬撃。命を賭した一撃。

 刹那、互いの視線がかち合った。睨み合う視線に、伊佐凪竜一は理解する。いや、既に嫌というほどに理解出来ている。だから、止まらない。死ねない理由が、彼を突き動かす。その意志に、山県大地の意志を汲み取った伊佐凪竜一の意志に、戦う理由に、カグツチが呼応する。

 次の瞬間、彼は自らを縛る青い鎖を力任せに引き千切ると、そのまま拳を振り抜いた。淡く輝く拳は青い刀を容易くへし折り、山県大地の胴体にめり込む。折れた刃は地面に突き刺さり、殴られた男は背後の改式に叩きつけられた。

 圧倒的な力の差による、一方的な決着。カチンと音を立てながら折れた刃が地面へと転がり、溶ける様に霧散した。その光景に、山県大地が重なる。少しずつ、ほんの僅かずつだが男の形が崩れ落ち始めている。が、それでも諦めない。男の心は未だ折れず、崩れ落ちそうな腕を支えに、ふらつく足で立ち上がった。

「まだだぁああああッ!!」

 山県大地が叫んだ。その足は力強く地を踏みしめ、爛々と輝く目はジッと一点を凝視する。男は、生き方を選べなかった。その過去は無数の資料、映像が証明している。神魔戦役より以前は清雅の頂点、清雅源蔵の道具として。半年より以後はタナトスの傀儡かいらいとして。しかし男の目は、敗北間際だというのに、死の間際だというのに、歓喜に溢れる。生きる喜びを噛み締める。そんな男を、伊佐凪竜一は無言で見つめる。

 生きている。今、その実感に満ちている。己が選択に、人生を委ねる。ソレが例え傀儡だとしても、戦いの道だとしても、その先に死が待ち受けようとも、止まらない。己が選択に殉じ、死ぬまで戦い続ける事こそが望みであり、救いである事を最も良く理解しているのは他ならない彼だけだ。この世界で山県大地を一番理解するのは伊佐凪竜一。だから、彼も止まらない。

 躊躇も、加減もしない。伊佐凪竜一は漸く立ち上がった山県大地の眼前に移動すると、腹部を思い切り殴り飛ばした。振り抜いた拳からは白い輝きと共に青いナノマシンが付着、地面に向け零れ落ちる。次いで、大きな衝撃。改式が、激しく揺さぶられた。

 改式に叩きつけられた山県大地は再び動きを止めた。ズルズルと地面へと吸い寄せられる様子を伊佐凪竜一は無言で見守る。優しさはない、けれども冷酷でもない。そんな不思議な眼差しは装甲に背を預ける男をずっと見つめる。山県大地を待っている。もし戦い続けるならば、伊佐凪竜一は再び、何の躊躇いもなく力を振るうだろう。

「クソ、クソクソクソクソクソクソクソクソッ!!何度やっても何でテメェに勝てねぇんだ!!」

 男は震えるながら胴体を起こしながら、呪詛を吐き出した。言葉に乗る感情に、周囲の空気が震える。しかし、伊佐凪竜一は眉一つ動かさない。勝敗は決した。気勢に反し、山県大地の身体は縛り付けられたように動かない。

「もう、いいだろう?友人を殺したくない」

「クハハハハハハハハハッ、友人か?目出てぇ奴だ。……友人、か。あぁ、いいさ……もう十分に生きた、諦めるよ」

 あろうことか友人と、伊佐凪竜一は口にした。甘さか、本心か。いずれにせよ、力なく呟いた彼の言葉に山県大地は突然大笑いを始めると、その最後に敗北を認めた。長いようで短かった戦いと、短かいようで長かった因縁が終わりを迎えた。

「そうか」

「辛気くせぇ顔するなよ。ウゼェ」

「そうでもない」

「オイ、一つ頼みがある」

「久那麗華か?」

「アイツの事だから多分、きっと」

「何となく、俺もそう思う」

「お前、そっちの技術でアイツ何とかしてやってくれよ。出来るんだろ?」

「分かった」

 とても短く、淡々とした、奇妙なやり取り。死力を尽くし殺し合った2人とは思えない約束の内容は山県令子の救済。伊佐凪竜一は即断で了承した。淡々と、それ以外に余計な事は語らない。悲痛な表情は、友人と言い切った山県大地の最期を察しているからだ。

 死期が、迫っている。出鱈目で、滅茶苦茶で、誰が死のうが構わない傲慢な振る舞いをしてきたのは、傀儡となってまで生き抜いてきたのは今日この日の為。自らの命が残り僅かと知ったならば、余生を山県令子と共に生きる選択肢もあった筈だ。しかし全てを投げ捨て、戦いを選んだ。結果は敗北。限界を超え、あらゆる手段を尽くしても、それでも駄目だった男の目は虚空を漂うが、一方でとても穏やかだった。

「そうか、じゃあ任せた……死人がベラベラと喋り続けるもんじゃねぇな……あぁ、そうだ」

 最後の時が近づく。山県大地の言葉は掠れ、どんどんと小さくなる。だがその最後に何かを伝えようと、最後の力を振り絞ろうとした。その時……

「俺にも、分かった事が」

「ゴメン、ナギ君気を付けて!!」

 改式の通信から今際いまわきわの告白を遮るクシナダの声が響くと……

「クシナダ?一体何が!!」

 割り込んだ通信に驚く伊佐凪竜一の目の前で、山県大地の身体を何かが通り過ぎた。さながら一筋の流星の如き白い線。直後、改式と山県大地が美しい断面を見せながら真っ二つに斬り割かれた。が、それでは終わらない。白い線が何度も何度も改式を通り過ぎるその度に、両者がバラバラになる。

「お……れ……やく……わ……」

 何かを伝えようとして、しかし終ぞ伝える事は叶わず。山県大地は改式と共に爆散四散するという無残な最期を遂げた。旗艦でその様子を見てしまった山県令子は声にならない叫びと共に微動だにしなくなった。最愛の男が迎えた無残な最期に正気ではいられず、意識を手放した。

「誰だッ!!」

 伊佐凪竜一が爆風に叫ぶと……

「もう、眠れ」

 爆風の向こうから、まるで返答の様に微かに男の声が聞こえ、次に爆風が横一閃に斬り裂かれた。その向こうにいた男を、伊佐凪竜一は見る。その目は憎悪に滾るり、手には爆炎を反射し赤く輝く一振りの剣を持つ。先程までの白い線は、この男の剣技が生み出した剣閃だった。

「次は俺が相手だッ、死ねよ伊佐凪竜一!!」

 オレステスが、いた。姫を大聖堂に送り届けた後、返す刀で戦場へと戻って来たオレステスの形相は怒りに満ちており、僅か数十分前まで儀の主役として朗らかな笑みを大衆に向けていた男とは別人に見えた。あるいは、今が彼本来の姿なのか。が、何方にせよ戦いは避けられない。

 オレステスの出現に伴い、市民達からは喝采の声が上がった。お姫様を救うのは眉目秀麗な王子様の役目。古典文学を遡れば、そんな話はうんざりする位に出てくる。人々は熱狂する。現代に蘇ったお伽噺に、正義が悪を討伐する物語に、正しい者が正しく救われる物語に救いを求める。

 監視者はそんな様子を呆然と眺めているだけで特に何もしない。いや、したくなかった、と言う方が正しい。目の前に広がる熱狂は熱狂とは違う、それに近いだけの別の現象だ。ただ目の前の餌に喰らいついただけ、面白そうだからというたったそれだけの理由で民衆は会った事もない、対して知りもしない人間に憎悪と殺意を向ける。

 罵詈雑言は、熱狂によく似た何かに充てられ過激さを増す。最早、誰にも止められない。何か、劇的に彼らの目を覚ます何かが起きなければ止まらない。しかしその"何か"が起こることはない。且つて地球で起きた奇跡は、それを起こした2人の英雄が分断された事により叶わぬ夢と化した。

 その光景に、監視者は一つの結論を導き出した。これは罰だ、と。人の意志の弱さに幻滅した何者かが与えた罰なのだ、と。その何者かは意志を弱めていく人という種族に嫌気がさしたのではないだろうか、と。荒唐無稽かもしれない。だが監視者は否定できなかった。

 熱狂とは違うある種の狂気が渦巻くオリンピア大聖堂で、伊佐凪竜一とオレステスの戦いが始まる。
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