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第5章 聞こえるほど近く、触れないほど遠い

147話 再会 其の4

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 互いの胸の内を語り終えた2人の間に静寂が横たわる。悲惨な事件は英雄から両親と幸福な未来を、ザルヴァートル財団総帥からは娘と孫を無情にも奪い去った。ソレがどれ程の傷と痛みを生んだだろうか。だが、2人ともどこか穏やかな表情をしている様に見えた。

 あぁ。漸く分かり合えたのかと私は納得した。片や娘、片や母親。呼び名は違えど同じ存在を失った喪失感、痛みを共有する相手との出会いが2人を繋いだ。互いが心の奥に抱えていた痛みを吐き出したのも初めての筈。理解されない苦痛を初めて分かち合った、その安堵が表情として浮かんでいるのだ。

「懐かしい……半年も経たないのに随分と昔の様に思える」

 アクィラ総帥はそう呟くと自らが淹れた紅茶を一口啜り、ゆっくりとカップを置いた。長く続いた会話は区切るには丁度良い場所で終わった為、音らしい音は紅茶を啜る音か上品な白色のカップと同色のソーサーが触れるカチャッという小さな音に、後は部屋の端に立て掛けられたアンティーク調の柱時計の秒針が規則正しく動く音しか聞こえない。

「あの日の続きを今話そうとは言わない、元よりそんな余裕もないだろう。しかしそうなると私に出来る事はそう多くは無い」

「御好意だけで結構です。それに……」

「話を聞く位ならば出来る、何でも良い。仕事でも、趣味でも、今の状況についてでも良い。何か聞いて欲しい事は無いかな?」

 そう頼む総帥の姿はそれまでとは様子が違った。それまでの財団総帥らしい凛然とした立ち居振る舞いは見られず、何処にでもいる人の好い老婆にしか見えなかった。あるいは、祖母から孫への愛情表現か。

 確かに聞いて欲しい事と聞かれたならば、今のルミナには聞いて欲しい事だらけだろう。ココに至るまでの状況は疑問符の連続で、如何に優秀とは言え彼女の限界を超えている。

 彼女の相談役はメンタルケアも兼ねる形で基本的に主治医のコノハナが担当しているのだが、彼女に会う為には居住区域を幾つも突っ切った先に建つ高度医療施設"サクヤ"まで行かねばならない。

 しかし居住区域を目立たず移動するのは非常に骨の折れる作業となる上、恐らく守護者の手も回っているだろう。それが証拠に、もはや体調だ健康だの言ってられないこんな状況にも関わらず何らの連絡も寄越さない。不自然。大々的に報道されたのだから、彼女が知らないとは考えられない。故に守護者の存在が頭を過る。

 となれば後はヒルメしかいないのだが、私がその場所を調べると現在位置が高天原と表示された。残念だが"元"神に会いに行くのも不可能だ。守護者に見つかってしまえば戦闘は避けられないが、その程度ならば……勝つだけならば何の苦もない。しかし、厄介なのは情報操作だ。もし戦えばその映像は改竄され、完全な犯罪者に仕立て上げられる事など簡単に予測できる。

 だから本来ならばヒルメが率先して連絡を入れるか、あるいは高天原を下るべきなのだが、実は何故かこんな状況下なのにヒルメも何らの連絡を寄越さなければ動く気配もない。漸く落ち着いたルミナとは違いアッチに緊急の要件など無いのに。あるいは……この状況を打開する為に動き始めているのか。だけど、それでも連絡の1つも無いのは流石に不気味だ。

 そんな訳で今の彼女に出来る事は連絡を待つしかない。能動的な行動はとれない故に、ここに留まるのは正しい選択肢だ。安全と言える場所はココ位しかない事などルミナも当に理解している。だけど、それでも彼女は隙あらばココから離れようと考えている。それは目の前にいる家族との距離感がつかめないからでもあるだろうし、漸く出会えた家族に危険が及ぶ事への危惧だろうし、何よりこれ以上誰にも犠牲になって欲しくないと考えているからだろう。

「優しいな」

 唐突な総帥の言葉にルミナの身体が一瞬だけ強張った。驚きに満ちた目はテーブルを挟んだ反対側の総帥に釘付けとなっている。

「自分の為に私が傷つくのが耐えられんのか」

 ルミナは力なく俯き、その後に絞り出すように"はい……"とだけ呟いた。まるで本心を見透かされたかのようだ。

「その身に降りかかる苦難に耐えれば良い、そう思っておるな?」

「でも……」

「好転などしないよ、残念だがね。どうやら貴女にはその辺の自覚が足りないようだね?」

 まるで怒られた子供の様に言い訳を始めるルミナを総帥はピシャリとたしなめた。

「何のです?」

「貴女はどうして自分と他人を比較し、何時も自分を下に扱うのだ?」

「そ、そんなつもりはありません」

「自分を犠牲に私を助けたとして、貴女を失った私はどうするのだ?貴女が死んだ後の私の反応を貴女は考えたのか?」

 それまで淡々としながらも、どうにか祖母の問いかけに答え続けたルミナはとうとう言葉に窮した。

「自分の命を蔑ろにする者は他人を大切に出来ない。コレは我が一族の教えだが、丁度良いから貴女に教えておこう。よく聞きなさい。先ず自分を大切にしなさい。他者を助けたいならばその上で行いなさい。歪んだ意志は歪んだ結果しかもたらさない。その過剰な自己犠牲は何時かこんな思考を己の中に作りだす、"私がここまで頑張っているのにどうして変わらないのか、助けられないのか"と。犠牲を伴う献身は、やがて己の望む結果を周囲に強要する。故に、己を大切に出来ぬ者はやがて他人を大切にする事を忘れる。そんな事実を私達は長い時の中で学んでいる」

 捲し立てるような総帥の言葉にルミナは再び俯いた。どうやら指摘のことごとくが図星だったようだ。

「身に覚えがあるようだな?」

「はい……」

「誰かに似たような事を言われたかい?」

「彼……私と一緒に逃げてくれた伊佐凪竜一、彼が"もっと自分を大切にしろ"って……」

「そうかい。だが貴女はその言葉を忘れかけた、彼が居ないからかな?」

 ポツリポツリと話し始めたルミナは再び黙り込んだ。

「責めるつもりは無かった、済まない。歳を取るとどうにも説教臭くなるね、だが今はそれよりも話の続きだ。今の貴女を取り巻く状況、教えて貰えるね?」

「はい……」

「身内贔屓する訳では無いが、私は貴女が大それた真似をするとは思っていない。恐らく英雄である貴女が邪魔なのだろう。心当たりは?」

「いえ……」

「ふむ、そうか八方塞がりか。では少しばかり質問を変えよう。今、旗艦で起こっている状況を教えてくれるかね?」

「状況……ですか?私達が出会う切っ掛けとなった山県令子と言う少女が引き起こした騒動の余波は予想以上に大きく、神魔戦役からの復興は大きく遅れました。それがタナトスの狙いなのかは今でも不明ですが、しかし市民感情が徐々に悪化しています」

「そうか、そんな大変な時期にタナトスの呼び掛けに答えた私もある意味では同罪か」

「そんな事はありません……ヤハタと言う男はご存知でしょう?その男の話によれば、彼は随分と前からタナトスと通じていたそうです。山県令子と知り合ったのは全くの偶然で、当初は説得してヤタガラスに引き渡す算段だったようです。しかしタナトスは彼が立てた"旗艦を裏切った振りをして自分達の情報を集める"計画を見透かし、独自に山県令子に接触して自らの計画に巻き込みました。彼も又そんなタナトスの動きを察知、自らの持つルートを使い今後の計画をヤタガラスとスサノヲにリークしたものの、タナトスに潰され無駄に終わりました。結果としてあの騒動が起き、旗艦は再び大打撃を受けた。此処までがあの日起こった出来事の真相です」

「ヤハタの処遇は?私にまで聞こえてこないと言う事は極秘裏に処理したのかな?」

「いえ。相談されたので参考程度に意見を述べましたが、最終的には司法局が判断しました。要約すれば、"罰は与えるがその事実は秘匿する"という形です」

 ヤハタとは神魔戦役終戦後、旗艦内を逃げ回っていた元清雅社員の山県令子を匿った男。その山県令子は終戦から約一月後、己が使うナノマシン兵器を空調施設から居住区域にばら撒き大規模汚染を誘引、暴動を意図的に引き起こし大多数の死傷者を出した張本人。つまり、ヤハタも言い逃れしようがなく共犯関係となる。

 ルミナの口から語られたのはその男がいかなる処罰を受けたか、だ。しかし話を聞いた総帥は何とも納得がいかないと言った様子で対面のルミナを見つめる。また、その様子は当人も同じく。

 ……気が付けばティーカップから立ち上る湯気は消えていた。
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