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第5章 聞こえるほど近く、触れないほど遠い

132話 守護者 其の3

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「なるほど……つまり行動の全てに問題が無いと?」

 ファイヤーウッドでの一連の騒動から数時間後。連合標準時刻 火の節85日、午後。高天原の艦長室(旧名:陽光の間)に隠し切れない怒気を孕んだ男の声が木霊した。

 守護者総代補佐、オレステス=アイールティス・アレウス。机に浮かぶ夥しい報告書を睨む男の拳は固く握り締められており、机を叩くという直接的な行為で心中の怒りを発散するのは時間の問題に思えた。

 一方、怒りの矛先、机を挟んだ対面に立つルミナはその様子をただ黙って見つめる。この部屋の主はまだ彼女の筈なのだが、ソレを主張する事は許されない。両者の力関係はもうそこまで傾いているのだ。

「ありません」

「ほぅ、そうは思えませんが?貴女は列車が通り過ぎる事を事前に知ってたからこそ、あのような行動に出たのでは?」

 ルミナは静かにそう回答すると、艦長室の椅子に体重を預ける端整な顔が彼女を睨みつけた。その視線には露骨な不快感で溢れ、厭味ったらしい喋り方や口調には相手への侮蔑と軽蔑で溢れる。

「あのような、とは?」

「言わないと理解出来ないのでしょうかね?駅方面に蹴り飛ばした事ですよ。ソレにあの程度ならば追い付けたでしょう?」

「油断すれば死ぬ相手、無我夢中で行った結果です。追い付けと言いますが、姫の剣たる守護者が遅延、ないし破壊すれば数千万以上の市民に影響を及ぼす水運搬専用の特別列車での戦闘を推奨するのはどうかと思いますが?」

「口だけは随分と達者な事だな?」

「結果は結果、処分は甘んじて引き受けます。ですがその前に、私達が提出したデータには目を通して頂けたのでしょうか?その上での判断であると?」

 このまま黙って流されては最悪の結末を辿ると、そう判断した彼女は僅かな抵抗を試みた。が、一蹴され容易く窮地に立たされた。このまま責め続けられ、疲弊した末に艦長の座を下ろされるという事態に陥れば、求心力を失った旗艦は守護者達の手に落ちたも同然の状態、つまり支配下に置かれてしまう。

 正しく決定打、致命傷。私は縋るようにルミナを見つめたが……だがどうも様子がおかしい。

「答える必要がありますか?」

 それは突然の変化だった。何故か、目の前にいる男は彼女のデータをマジマジと眺めたかと思えば、どうしてか強い口調で責めたてる様な真似を取りやめると穏やかに事を進めようと試み始めたのだ。その変化にはルミナも僅かに動揺を見せたほどだ。

 どうやらこの男、生来の性格か病気かは不明だが強烈な二面性を持っているらしい。良く言えば切り替えが早い、悪く言えば気分屋か、あるいは解離性障害でも患っているのか。

 オレステスは精神を落ち着けるかの様に大きく溜息をつくと、改めてルミナを見つめた。その眼差しに先ほどまで露骨な不快感を露にしていた品のない男の姿は欠片も見えず、主星で評価される"王子"という愛称に相応しい眉目秀麗びもくしゅうれいな男がそこにいた。

「そうですか、では処分を下します」

 慇懃無礼いんぎんぶれいとは違う純粋な礼節から来る男の言動は何処までも穏やかで、だからこそ余計に不気味さを感じる。が、処分を言い渡そうとする口を止める音が机から鳴り響いた。

「待たせたね」

 来客を告げる鈴の音に反応した2人が示し合わせた様に部屋の扉を見つめると、無音で空いた扉奥から1人の男が姿を見せた。

「お疲れ様です、アイアース総代」

「お初にお目に掛かります」

 アイアース=デュカキス。主星フタゴミカボシにおいて姫を守る為に結成された最高戦力"守護者"の総代、つまり最も強く姫の次に権力を持つ男だ。

 しかしこの表現は正しくない。守護者の纏め役である"総代"という役職は正確には存在しないからだ。誰もがこの男、アイアース=デュカキス、引いては代々絶やすことなく守護者を輩出するフタゴミカボシの名門デュカキス家の有能さを"総代"という仮の役職でもって称えているだけに過ぎない。

 守護者の直轄の上司は当代の"姫"であり、守護者に上下の区別は無い。しかし、この男やデュカキス家はその際立って高い能力を買われる形で代々"総代"という仮の役職を任され、数千名を超える守護者を纏め上げる。

 だが、より重要で危険な事実がある。それはこの男に嵌められた黒い腕輪の存在、"テンサイ"の証だ。"テンサイ"とは体内カグツチ濃度が極めて高い人間の総称で、そのような人間が何かの切っ掛けで意志を爆発させればマガツヒを呼び込む危険性がある為、その措置として体内濃度調整用の腕輪を嵌める必要がある。この男は"テンサイ"と呼称される特別な人類、要約すれば桁違いに強いという事だ。

 総代とテンサイ。この2つの事実だけでこの男がどれだけ厄介かは嫌と言う程に理解できるし、そのアイアースが補佐に任命したオレステスもまた同じく。この男の腕にも黒い腕輪が光っている。

「ところでオレステス、随分と疲れているようだな。酷い顔だぞ?」

「大丈夫です、問題ありません」

 部下を労わる上司の至極真っ当な言葉をオレステスは拒絶した。だが正確には違う。ソレまで穏やかだったこの男の表情が露骨なまでに崩れたのはアイアースの顔を見た途端から、というのが正解だ。もしかして、折り合いでも悪いのだろうか。

「そうは思えん。向こうで処方して貰った安定剤も切れる頃だろう。医療機関サクヤにでも寄って処方してもらって来るといい。ソレから今日はもう休め、後は私が引き継ぐ」

「しかし……」

「コレは命令だ。部下を正しく管理するのも上の義務だが、それだけでは無い。お前を総代補佐に推した手前もあるし、何よりもう直ぐ忙しくなるだろう?はやる気持ちは分かるが、ココは私の顔を立ててくれると助かるのだがね」

「……承知しました、ではこれで失礼します」

 オレステスはせめてルミナの処遇だけでもと粘ったが、アイアースの言葉には抗しきれなかった。椅子を乱雑に押しのけ艦長席から立ち上がった男は速足で部屋から引き上げていった。

 部屋に暫しの静寂が訪れた。オレステスと入れ替わる形で艦長席に座ったアイアースは、納得いかないと言う苛立ちを露骨な行動と共に外へと向かう背中に向け小さく溜息をついたが、すぐさま対面に立ち続けるルミナへと視線を移した。先程の男とは違う、微塵の容赦もない冷酷な目が彼女を貫く。

「心労の理由、理解しているだろう?」

「はい」

 射抜くように鋭い視線、常人ならば尻込みするか威圧され真面に話せなくなるであろう視線を受けながら、それでも彼女は平然と会話を続けるどころか威圧的な視線を真っ向から見つめ返した。

「もうすぐ婚姻の儀が始まる。先ずは旗艦アマテラスで、その次に我が星で。この状態でもし式が中止となれば来賓と姫のお顔に泥を塗る事にもなるが、何よりアレは連合の安定に必須の儀式。そもそも君は今の連合がどの様な有様か理解しているのか?」

「はい、連合内に不和が発生しているという情報は私の元にも届いております。連合を支える神の一柱、アマテラスオオカミが自らその座を退いた事により絶対であったパワーバランスが崩れ……」

「絶対だと?どうやら君は大きな勘違いしているようだ?」

 ルミナの模範的な返答に男はフンッと厭味ったらしい笑みを浮かべた。先程まで見せた射殺しかねないような視線は鳴りを潜め、無知を嘲笑ちょうしょうする侮蔑的な視線へと変わる。

「と、言いますと?」

「連合を治めていたのは実質"姫"お一人という事だ。ココの神はそれを補佐し、ついでに"スサノヲ"を制御する装置程度の存在でしかないのだよ。だがその神は身勝手にも役目を放棄、駄犬共を野放しにした。それは少なからず連合に不安を与え、我が主はその尻拭いに奔走する羽目になっている、コレが現状だ」

 その言葉に何も言い返せないルミナの態度を見たアイアースは、幸いとばかりに弁舌を振るい続ける。一方的な言い分に私は酷く立腹した。腹の底から煮えくり返る程の熱が身体を駆け巡り、顔を紅潮させる。

 コッチが下と言わんばかりの言動もそうだが、尻拭いはのを絶対に知っている立場から発せられた傲慢な言動が何より私の神経を逆なでする。

「よもやスサノヲから裏切り者が出るとは思いもしなかった。下の者が命令を無視して妨害行為を行う真似を許しては組織の体を成せん。そんな有様だから神は鎖で君達を縛ったのだろうが、しかし無責任にその座を退いた。人の可能性、そんな曖昧なものに頼った結果がこのザマだ。本題に移ろう、ファイヤーウッドで起きた件については私も一通り目を通した。部下の独断にせよ、監督者たる君がそう指示を出したにせよ、実に厄介で面倒な問題だ。偽れば余計に立場が悪くなると理解しているだろうから素直に答えろ。君がスサノヲに命令を出したのか、それとも彼らの独断か、何方だ?」

 男の態度がまたしても一変した。嘲笑と侮蔑に塗れた言動に取って代わったのは冷淡で熱の無い声。抑揚なく、淡々と相手を追い詰める声が艦長室を支配した。
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