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第1章 日常 夢現(ゆめうつつ)

9話 夢?

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 連合標準時刻 木の節 58日

 地球と殆ど変わらない風呂場の外に出ると、ソコには小さな身体から伸びたマニュピレーターマニュピレーターを使い器用にタオルを持ったツクヨミが出迎えている。

 彼女は身体を拭いたタオルを器用に運びながらも同時に今日の予定を教えてくれるが、今日も今日とて訓練一色に変わりは無い。ただ誰が特訓相手かと言う違いでしかないし、その相手もタガミとクシナダの2人。そんな話に耳を傾けながらリビングへと向かえば、彼女が自ら作ったと言う(どうやって作ったのか皆目見当が付かないが)栄養素をバランスよく含み、且つ消化吸収にも良い朝食が用意されていた。

 和洋折衷どころか異星の食事さえ器用に作れるその実力と味に舌鼓を打つのは特訓漬けの日々において貴重な心休まる時間……なのだが、美味しかったか不味かったか、味付けは濃いか薄いかなどなどといった事を毎回詳細に報告しなければならないのが苦痛と言えば苦痛だ。

 彼女、何をどうしてか毎回毎回味付けの好みを詳細に聞いて来る。そこまでするのは医療機関の指示なのかと聞いてもはぐらかされるのできっと個人的な事情なのだろうけど。

 そうして短い食事を終えて外に出ると、ソコにはツクヨミ以外の顔がズラリと並ぶ。特に毎度毎度出会うのは"サクヤ"という医療機関から出向しているコノハナ女史と、あともう1人は黒点観測部門と言うところからやって来るニニギ主幹、ソレから兵装開発担当者やらなんやらに加え報道機関からも何人かが来艦していた。

 見慣れた顔に見慣れない顔、訓練所に向かう僅かな時間はそんな人達からの報告やら要望やらを聞く時間に充てられる。本来ならばコレもツクヨミが捌くはずなのだが、一部はどうしても直接話を聞きたいと強固な態度を崩さない為になし崩しでこうなっているらしい。

 彼女も彼女で大変だし、それ以外も色々と事情があるのだろうと察した俺は両耳から入る相当な情報量に対し、即答できる質問は即答し、出来ない質問は後日回答すると適当に濁した。この場合、ツクヨミの録音機能頼みになってしまうのだが、彼女はそれが不満どころか嬉しい様だ。

 多分もう地球の神みたいな真似がしたくないのだろうな。地球全土を管理するよりもたった1人を管理する方が楽に決まっている。そうやって今日もまた昨日までと同じく訓練所まで歩く見慣れた光景は突然終わりを告げた。

 眠気が残っていたのか、ほんの一瞬だけ意識を手放した次の瞬間に傍にいた全員の姿が見えなくなっていた。先程まで数人と一緒に歩いていた廊下には誰1人おらず、唐突に別世界に飛ばされたかの様な感覚を覚えた。夢、そう夢だ。だが、初めこそそう思いながら彼方此方を見て回った俺は、次第にコレが夢では無いと悟った。近くのトイレに入り洗面所に入り水を流してみると、その音はとてもリアルだったし触った感触も手に残る。

「誰かいないのか?」

 廊下に出てそう叫んでみれば、伽藍洞とした廊下に自分の声が虚しく響く。矢も楯もたまらず走り出してみるが、聞こえるのは靴が冷たい廊下を叩くコツッコツッと言う音だけであり、それ以外の何1つ音さえ聞こえない。

 アチコチ部屋を覗いてみてもそこには誰かが何かしらをしていた痕跡が残っているだけだった、飲みかけの飲料物が入ったカップ、机上に無造作に広げられた幾つものディスプレイにはよく分からないデータが散らばっている。

 その後も幾つかの部屋を覗いてみたが、やはり何処も彼処も突然誰かが居なくなってしまったかの様な有様が広がってるだけだった。誰もいない、唐突に世界に置いて行かれた感覚が肌に触れる。冷たい、温度調整の機能は生きているようだし廊下の上部からは真白い光が煌々と照らしているのだが、まるで裸で冬の夜空に放り出されたような感覚があった。

『クスクス……』

 当て所なく彷徨うだだっ広い施設を駆けまわる俺の耳にほんの微か、笑うような声が聞こえた。豪快な笑い方では無い、厭味の籠った笑い方でも無い、何と言うか本当に嬉しい事があったがソレを抑えているかのような声。だが俺は次の瞬間にはその声の方角に走り出していた。

 誰かがいる、よく分からない世界に自分以外の誰かが居るという喜びに支配された俺は微かに聞こえる笑い声の方向、屋外へと向かった。アメノトリフネ第5番艦。スサノヲが訓練を行う他に新兵装の実験棟なども兼ねた艦の屋外は基本的に他と変わらず緑と水に覆われている。

 昨日までのルーチンを思い出してみれば、何時もここから歩いて十分程の距離にある訓練所へと向かうスタート地点だ。周囲を見回せばまるで日本庭園さながらの光景が広がっており、何となく懐かしいと言う気持ちが湧き上がる。そう言えば、そう言う理由でこの場所が選ばれたのだったと言う事も思い出した。

『やぁ』

 今度ははっきりと耳元に声が聞こえた。先程聞こえた笑い声では無い、明確に俺に向けた声の方向を見れば、庭園の奥を流れるちいさな川に掛かる石製の反り橋に何か黒い物が蠢いているのが見えた。最初は何か分からなかった、だが恐る恐る近づくにつれそれが人、しかもまだ少女と呼べる年齢の小さな女の子である事が分かって来る。そして、その姿をはっきりと認識したと同時、少女は此方を振り返った。

『今の気分はどうだい?』

 振り返った少女はにこやかにそう語り掛けた。気分と言われても答えようがなかった、最初は不安と恐怖しか無かったが今は不思議と落ち着いている。が、ソレよりも気になったのは……この少女と何処かで会った事がある様な気がした。いや、確信がある。なのにそれを口に出す事が出来ない。喋ろうとしてもうまく口が動かせない。

『フフ……今その話は止そう。今日は君達と話をしに来ただけなのだから』

 君達?それは俺と……
 
『そう。君達はいずれ今私が作りだした状況に近い事態を経験する。ソレもある意味で試練と呼んで良いだろうし、あるいは運命と呼べるものかも知れないし、何者かの悪意が作り上げた牢獄かも知れない。君達は過去と同じく再び孤独の中に身を投じざるを得なくなる。覚えておくが良い。今、君の肌に感じるその感覚を。ソレが闇、恐怖、絶望、その他色々な名称を付けられた人の意志を挫く試練の名前だ』

 そう言うと少女はフワリと浮かび上がると俺の前にやって来た。目の前に少女が居る、白磁の肌に美しい光沢を放つプラチナブロンドの髪、そして最後に赤い瞳。俺は何時の間にか彼女の小さな手に顔を摩られていた。熱を感じない冷たい手は頬をなぞっていたが、その手は段々と頭の後ろの方へと回り、その動きに連動する様に少女の小さな顔がだんだんと近づいてくる。

 やがてお互いの吐息が聞こえる位にまで接近した。その爛々と輝く赤い瞳はまるで心の奥まで覗いている様な感触だった。少女の行動はまだ止まらない、目の前にまで来た少女の顔は次の瞬間に右耳の傍に移動していた。

『期待させてくれ、君達に。伊佐凪竜一、そしてルミナ=AZ1』

 右耳から聞こえたその言葉はまるで脳を突き抜けるかの様な衝撃と共に心と身体に刻まれ、そして次の瞬間……ソコには何時もの景色が広がっていた。やや喧騒に溢れた訓練場前と、ソコに集まった見知った面々。誰も彼もが俺の到着を待っていたようだが、しかしその誰もが先ほどの異常事態を経験していないかのように振る舞っている。

 疲れているのか?と、そんな事を考えてみるが答えは出そうになく、だから俺は流されるまま日課の訓練へと向かった。
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