風見星治

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本編

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 警察ってほら、人の生き死によく出会うからそう言った話もよく聞くっていうでしょ?でもまさか俺がその場面に出くわすとは思わなかったなって。

 あれは3年前の年末、街の外れに建つアパートに住んでる大学生から電話が掛かって来たのが始まりだった。内容はアパートの一室、5階建ての4階1号室から誰かが助けを呼んでるって通報さ。俺達には「例のアパート」で通ってるある意味有名な場所だ。変?なんでそう呼ばれているかって?あぁ、先ずはそのアパートに付いて話した方がいいな。実はソコ、欠陥と言う程ではないんだけどちょっと問題のある構造になっててね。

 まず部屋の入口を潜ると廊下の両側にドアが二枚ついてるんだ。引き戸じゃなくて開閉式ドアな。片方はトイレ付の風呂場に繋がってる、換気と採光を兼ねた小さな窓の付いたユニットバスだ。で、もう片方はちょっと広めの物置。

 この何が問題って、双方の開閉ドアの位置なんだよ。ホラ、開閉式ドアって自重で半開きになっちまうだろ?で、風呂と物置の扉の位置が廊下を挟んだ反対側に設置されている。もう分かっただろ?そう、うっかりどっちかの扉を半開きにした状態でもう片方の部屋の扉を閉めちまうと、こう「入」の字みたいに半開きの扉がもう片方の扉をつっかえさせちまうんだ。要は閉じ込められちまうって訳さ。

 で、年に数回は警察に電話が来るわけだよ「まーた誰かが閉じ込められちまった」ってな具合にさ。大抵は近くに住む大家に連絡するんだけど、運悪く家にいなかったりするとコッチに連絡してくるんだ。だから何時の間にか誰もソレを特に気にも留めなくなったってワケ。俺も電話口で「誰かが助けを呼んでる」って通報に「はいはい、またかよ」ってな具合で暗記しちまった管理人の携帯に連絡を入れて、万が一用に梯子を用意させて現場に向かったのさ。

 向かった先、例のアパートの入り口に立ってたのはまだ若いにーちゃんだった。話を聞けば県内の大学に通う大学生だとさ。で、何でもバイトに行こうとしたら通りがかった部屋の窓から人の声がするってぇんで通報したそうだよ。だけどその学生さん、妙に顔が真っ青だった。

 だけど「どうしたんです?」って聞いてもしどろもどろで何も話さない。そうこうする内に何人かの野次馬と一緒に管理人さんが到着して、さぁ鍵を開けようってところまで話が進んだらさ、その学生さんが「あの、止めませんか?」って、いきなり変な事言いだしたんだな。

 オイオイって、俺達と管理人さんは呆れたよ。何だよ、誰かが助けを呼んでるって電話したのはアンタだろ?ってな具合にその時は誰も彼の話を聞かずに鍵を開けた。で、中に踏み込んでみてビックリした訳さ。

 あぁ、違う違う。目の前に化け物の類がいた訳じゃないよ。びっくりしたってぇのは入り口がゴミだらけになってた事に、だな。管理人さん呆れた様子で「多分誰かが不法侵入したなァ」って愚痴ってたね。で、最初に説明した通り、扉だよ。物置側の扉が半開きになってて風呂場側の扉をつっかえさせてたんだ。こりゃあ開かない訳だよと、俺と管理人さんは苦笑いさ。

 だけど物置側の扉を閉めて、改めて風呂場側の扉を全開放したら……だぁれもいなかったんだ。俺と管理人さんは顔を見合わせた。おいおい、なんで誰もいないんだよって顔して互いを見つめてたよ。あぁ、おかしいよな?風呂場についてる採光用の小窓は子供だって通れない位に小さいし、入り口の扉はつっかえてて、コッチも子供が通ることさえ不可能な位の隙間しか空いてなかったんだ。

 じゃあ声の主は何処から脱出したんだ?どうやって逃げ出したんだってぇ話になる。俺達も困ったけど、だけどもっと困ったのは管理人さんだ。犯人が逃げたんじゃあ弁償もさせられない。とは言ってもこの有様……部屋中に散乱した安酒の空きカップやら酒の肴用のツマミやら何やらを見れば恐らくホームレスの可能性が最も高そうだから、仮にいたところで弁償させられたかどうか怪しいって頭を抱えてたよ。

 とにもかくにも犯人がいないとなれば俺達は逃げたと仮定して犯人を特定する情報を探さなきゃあならない。ちょっと同情した管理人さんにゴミ捨てを許可しながら、俺と仲間は手分けして仕事にとりかかった。それまで外を見回っていた仲間は部屋の中を調べて人物特定できる何かが落ちていないか捜査、俺はその間に学生さんと話をするため一旦外に出た。

 周囲を調べていた仲間の報告によれば、犯人は多分身軽なヤツじゃないかなと推測していた。つい数日前に引き払われた4階の1号室によじ登るにはどうしても女の筋力では難しい。随分と身軽なヤツだよ。ベランダとか木とか、確かに足場に出来るものはあったけどスルスルと4階までよじ登った痕跡と、後は物影に吸い殻の山が見つかったと言っていたよ。ソコから隙を伺っていたんだろうな。

 で、次は俺の番さ。寒い中ずっと外で待たせていた学生さんに話を聞こうと近づいてみたんだが、やっぱりソイツの顔は真っ青のまま、とうとう立っていられなくなったのか廊下に座り込んでたよ。まぁ、驚くだろうさ。中に誰もいないって一連の話を外から聞けばそうもなるわな。

「具体的に教えて欲しいんだけど、先ず誰の声を聞いたんだい?声色から性別とおおよその年齢くらいは分かるでしょ?」

 俺はしゃがみこんで学生さんにそう尋ねると、そいつはしどろもどろにこう答えたんだよ。「男。年齢は50とか、それ以上だと思う」ってね。なるほどなるほど。行方までは分からないが、幾つかの情報を切っ掛けに部屋の中で起きた事が朧げに浮かんでくる。

 その年の寒さは例年よりも厳しくて、だから寒さを凌ぐためにこっそりお邪魔したんだろう。で、無人の4階1号室に忍び込んだ男は恐らくトイレか、あるいは身体を綺麗にする為に風呂場へと向かった。管理人さんの話では、入居していた夫婦は翌月分の諸々の代金を払った上で逃げる様に引っ越してしまったと話していたから、年末どころか翌月まで一通りの機能が使える状態だった。水は勿論、部屋に入った時に電気が煌々と灯っていたからこの話は間違いない。

 が、このマヌケ。うっかり物置の扉を半開きにしたまま風呂場の扉を閉めてしまった。運の尽きだね。不法侵入した手前、助けを呼ぶわけにもいかず、さりとてこのまま待っていれば餓死するだけ。どっちか秤に掛けた結果、男は風呂場から助けを呼んだってのが真相だろうね。警察の厄介になる道を選んだわけさ。何とも情けない話だわな。

 ン?何処が怖いって?あぁ、本題はココからだな。未だしゃがみこんだ学生さんが俺を呼んでこう言う訳だよ。「まだ終わっていない」ってね。まだ?どういう事だよって俺が訪ねるのを遮るように彼はこう付け加えたんだ。「その後に女の声が聞こえて来た」ってね。

 なんてこった。俺は早合点していた。どうやら部屋に忍び込んだ男は別の女を部屋に引き込んだらしい。と、なれば仲間と管理人さんに連絡をいれなきゃあならない。うっかり女の痕跡を見逃したら上から叱られちまうからな。と、丁度良いタイミングで管理人さんがゴミと一緒に廊下に出て来たもんで、だから俺は学生さんからの言葉をそのまま伝えたんだよ。

「へ?女?ン~確かに汚かったけど、でも1人分くらいのゴミしかありませんでしたよ?」

 が、返って来た言葉に俺は混乱した。1人分?じゃあ女ってぇのは何なんだって事になる。俺の話に管理人さんも食い付いた。1人より2人の方が弁償して貰える可能性が高くなるって踏んだんだろうね。で、2人して学生さんに話を聞くとだ……彼、震える手で小窓を指すんだよ。アレ、アレ、ってな具合に。だけど風呂場には誰もいないのは俺と仲間と管理人さん全員で確認してる。今更……

「……テ……テ……」

 微かに聞こえた声に俺はビクッと肩を震わせた。彼が青ざめる理由が漸く分かった。声だ。声が聞こえる。小窓の向こう、誰もいない筈の風呂場から微かに声が漏れていた。耳をそばだててみれば確かに女の声の様な気がするが、しかし余りにもか細くて全然気づかなかった。だけど、今そこには誰もいないだろ?唯一部屋にいる仲間は部屋の中を調べている最中で、風呂場はもぬけの殻の筈だ。じゃあ、この声は誰なんだ?

「だから俺、言ったじゃないですか?」
 
 学生さんが震える声でそう零した。そうだ、彼はこう言っていた。止めよう、と。いや、違う。問題はその前からだ。彼は通報でこう言っていたんだった。「誰かが助けを呼んでいる」と。だが、呼んでいるか言っていなかった。もしかして、助けを呼んでいた理由は風呂場に閉じ込められたからじゃなくて、正体不明の声から助けて欲しいって事だったのか?

「だから言ったじゃないですか!!助けを呼んでるって!!俺、聞いたんですよ!!助けてくれ、中に誰か、俺以外の誰かが居るんだ。頼むから誰か助けてくれぇって叫んでたんですよ!!男が!!」

 学生さんは堰を切った様に捲し立て始めた。俺と管理人さんは漸く事態を吞み込んだ。この部屋、いや風呂場には不法侵入した男以外のがいる。俺も、管理人さんもその結論を笑えなかった。小窓から確かに聞こえる声は尚も微かに何かを訴えかけている。

「……デ……イデ……オイデ……」

 だがその小さな声はドンドンとはっきりと、大きな声を出し始めて、ソレに従い何を訴えているのか明らかになった。コッチに来い、そんな事を言っていた。助けを呼んでいた訳ではなかった。コイツはマズいと、直感に従った俺は部屋の扉を開けると仲間に向けて外に出るよう叫んだ……が、遅かった。

 部屋の中はもぬけの殻の伽藍洞だった。俺の背後から恐る恐る部屋を見た管理人さんはその場にへたり込んだ。ついさっきまでこの人も中にいたんだ、俺の仲間と一緒に。だけど、仲間は消えた。1人になった途端にフッと消えた。周囲からやかましいと指摘される位に何度も呼んだけど、終ぞそいつは現れなかった。消えちまった……いや、連れ去られたんだ。あの声に……

 俺と、管理人さんと、学生さんは仲良く小窓を見つめた。誰もいない風呂場から女の声が確かに聞こえる。だが、俺も、管理人さんも、消えた仲間も声の主を見ていない。アレは一体誰なのか、何も分からない。ただ、誰かを呼んでいるというそれだけしか分からなかった。
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