亡霊が思うには、

田原摩耶

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 この感覚には覚えがあった。
 何度も体験したが、やはり未だ慣れそうにはない。

「ぐ、いッ!」

 放り出された意識は自分の口から洩れ出した潰れるような声をきっかけに覚醒する。そして弾かれるようにぱち、と目を開いたときだった。
 暗い視界、遮るように鼻先数センチまで迫るそれが人の顔だと気付いた瞬間、「おわっ!!」と口から悲鳴が漏れる。

「おや、あんまりな反応では御座いませんか。……準一さん」

 元凶でもある和装の男がそこにいた。いつもと変わらない、ゆるりとした笑みを携えて。
 一瞬身構えたが、なんだか先ほどまでと雰囲気が違う。先程までの冷たさはなく、「立てますか」と真っ白な手をこちらへと差し出してくる男を見上げたまま、恐る恐る「あんた、凛太郎さんか」とその名前を口に出せば花鶏――花鶏凛太郎は微笑んだ。

「もしかして、さっきの今でもう私の顔を忘れてしまったのですか?」
「そうじゃないけど、……ややこしいんだよ、あんたらは」

 思わず突っ込んでしまったが、今はそんなに悠長にしている場合ではないことを思い出す。

「そうだ……それより、なんでここにあんたが」

 いるんだ、と凛太郎に目を向ける。
「何故だと思いますか?」そう聞き返してくる凛太郎の様子からして、花鶏がなにをしたのか、何故俺がここにやってきたのか分かってるのではないだろうか。そう思えるほど、凛太郎は落ち着いていた。

「まさか、あんたらグルか」
「ぐる……ああ、ぐるーぷ、ということでしょうか。準一さんがそう思っても致し方御座いません。それほどのことをあの子は行ったのですから」
「……」

 凛太郎の言葉の裏が読めない。言葉を額面通りに受け取るのならば、つまりそれは――助けてくれたということなのか。
 改めて辺りを見渡す。畳張りの和室の中、木製の頑丈な柵で覆われている。その天井は低く、立ち上がろうものなら中腰のまま頭をぶつけてしまいそうなほどの低さだった。
 窓すらも見当たらないそこは前に仲吉が持ってきた時代劇もののホラー映画で見たことがあった。座敷牢、と言われるものだ。湿気で腐り始めているのか、ところどころ柔らかくなったその畳の上。凛太郎は正しく座り直し、背筋を伸ばしてこちらをじっと見るのだ。その表情には笑みを携えたまま。

「凛太郎さん、まさかここは……」
「あなた方の言葉で言うのなら私の精神世界――」

 やはりそういうことなのか、だとしてもこの物騒な部屋は何なのだ。あのキャンパスの置かれた部屋はどこに、などと思案していると「と言いたいところですが」と凛太郎はぽんと膝の上で手を叩いた。

「残念なご報告と嬉しいご報告、どちらから聞きたいですか? 準一さん」
「ま、待ってくれ……どういうこと、ですか」
「ああ、そんな敬語など使わないでも結構ですよ。私の場合、これは染み付いてしまった癖のようなものですが、貴方はそうではない。友人である貴方にはもっと親身に接していただきたいそう思っておりますゆえ」
「……わ、わかった。わかったから、その悪い報告ってなんだよ」

 相変わらずマイペースな凛太郎にこちらの調子は狂わされっぱなしだった。促せば、「ああ、そうでした」と思い出したように凛太郎は頷く。

「まず、前提として伝えておきましょう。信じるか信じないかは貴方のご自由です」
「……ああ、なんだよ」
「一つ目、アレの言うことは、私の意志ではないということ」

 軽く右手を掲げた凛太郎は人差し指を立て、『1』を作ってみせた。アレ、というのは言わずもがな俺たちのよく知る花鶏のことだろう。俺の返事を待たずして、凛太郎は中指を立てる。『2』だ。

「二つ目、アレと私は別個体です。彼は私のために動いてくれているようですが、それは私にとって本意ではありません」

 さらりと口にする凛太郎に言葉を失った。
 どういうことだ、と頭の中が余計こんがらがる。そんな俺の顔をじっくりと見つめたまま、凛太郎は親指を立てた。

「三つ目、私はアレに呑まれそうになっていたあなた方を助けるつもりでしたが――失敗しました」
「っ、待ってくれ、失敗ってことは……」
「ここはまだアレの腹の中、ということです。咄嗟に貴方だけでもと先に私が呑みこもうとしたのですが、間に合いませんでした」

 情報量が多すぎて咀嚼し切れない。
 というか、待ってくれ。

「嬉しいご報告ってのは……?」
「ああ、もちろんございますよ。恐らく、見たところ貴方が気にかけていたようでしたので一緒に連れてきたのです」

 ……連れてきた?
 妙な言い回しをする凛太郎に小首を傾げたときだった。ごそごそと着物の袖の下を探っていた凛太郎はなにかを取り出した。その手に握られたのは、ボロボロの布切れ……ではない。

「これは……」

 手作り感溢れるフェルト製のぬいぐるみには見覚えがあった。俺が何度も縫い直した縫い目も残っている。間違いない。

「……っ、幸喜?」
「――ああ、そうでした。コウキ、と呼ばれてましたね。私の部屋に投げ込まれたので少しだけ味見しましたが、彼の精神力はとても逞しいようでこうやって残骸として残り続けていたのですよ」

「どうでしょう、貴方は嬉しいですか?」とニコニコと笑いながらこちらを覗き込んでくる凛太郎。正直、俺にはまだ感情がついていけるほど現状を理解しきれていなかった。
 けれど、と手の中の人形を撫でたとき、ほんの一瞬右手の部分がぴくりと動いた――ような気がした。
 こうして他人の精神世界でもまだ手元に残っているということはまだ幸喜は消滅したわけではない。相変わらずしぶといやつだと思う反面、それを理解してようやく安堵した。
 それでも、本当にギリギリの状態なのだろう。精神力の摩耗のあまり縮んでいた藤也のことを考えると、この幸喜の姿からして伺える。ならば、と強く願う。今なら多少精神力吸ってもいいぞ、そう念じて。
 返事は返って来ないが、それでも少しだけ手の中の人形がぽわりと暖かくなったような気がした。

「余程大切な方だったんですね。……ようやく貴方のほっとした顔が見れて安心しました」

 そんな俺のことをただじっと見ていた凛太郎は微笑むのだ。先程までとは違う、優しい笑みだ。
 ばつが悪い。かと言ってここで否定しても野暮な気がして、俺は何も言い返すことはできなかった。

 それにしても、と目の前の男を見る。凛太郎が何を考えているのか、俺にはまだ理解することはできなくて。

「あんたは、あの人と――花鶏さんの仲間じゃないのか」

 少なくとも、花鶏と俺たちが呼んでいたあの男は凛太郎のために働いていた。そのやり方はともかくだ、嘗て一緒に過ごしてきた相手を養分扱いするほどだ。

「仲間ですか。なかなかいい響きですね」
「はぐらかさないで下さい」
「少なくとも、私は家族のように思ってますよ。ええ、今でもね」

 ――家族。
 同じ顔、同じ名前、瓜二つな容姿からして無関係だとは思っていなかった。けれど、凛太郎が“家族”と口にした瞬間、違和感を覚えた。それは凛太郎に対するものではない。ほんの少し、空気がざらついたのだ。まるで雑音が混ざるようなそんな違和感だ。
 元よりこの世界自体が違和感の巣窟である、気にし始めたらそれこそキリがない。

「家族ってことは、その……兄弟ってことか? あんたたち、よく似てるよな。……名前も」
「準一さん、やはり貴方は素直で真っ直ぐな方ですね」
「な、なんだよ急に」
「見えるものだけがすべてではない、ということです」

 どうやら答えるつもりはないようだ。
 もう一人の花鶏よりも少しはまともだと思ったが、どうやら回りくどい言い方は同じようだ。
「それはどうも」とだけ返しておく。全然褒められた気がしねえ。
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