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世界共有共感願望
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最悪の事態が起こってしまった。
「っ、親父……親父ッ!!」
動かなくなる最上に駆け寄る南波、その声に現実に引き戻される。不思議と頭の中は落ち着いていた。恐らく、この男の存在が俺を嫌でも冷静にさせてくれるのだろう。
――剣崎辰爾。
「お前……っ!」
「どうせ死にかけてたのを殺してやったんですよ?むしろ、感謝されるべきじゃないっすか?俺」
恐怖を通り越して強い怒りが込み上げる。この野郎、と銃を取り出したとき、体がふらつく。違う、これは足元が、世界が歪んでいるのだと気付いたときには遅かった。
咄嗟に南波に目を向ける。
「っ、南波さん……ッ!」
最上の前、放心したように蹲る南波の姿を見た瞬間、頭に痛みが走った。
「っ、ぐ……ぅ……ッ!!」
頭の中を何者かに弄られてるような違和感と、頭蓋骨を直接殴られてるかのような痛み。
そして、頭の中に何かが直接入ってくる。
俺のものではない記憶が一気にだ。
中には見覚えのある景色や光景、人物がよく動いていた。この世界よりも鮮明な、現実の記憶。
それが誰のものかはすぐに分かった。この記憶の中には絶対にいなければならない、俺がよく知る男の姿がなかったからだ。
――これは、南波の記憶か。
『……どうせ死にかけてたのを殺してやったんですよ、むしろ、喜ぶべきですよ?宗親さん』
コンクリート打ちっぱなしの部屋の中に響くのは変わらない剣崎の声だ。血と、汚物が混ざったような最悪な匂いの中。椅子に縛り付けられ、項垂れているのは最上だ。殴られ、腫れ上がったその顔形は跡形もなくなっていたがそれでも見覚えのあるスーツと髪型でわかった。頭から血を流した最上は、そのままピクリとも動かない。血溜まりの中、震えた手のひらに目を向ける。
南波の手には銃が握られていた。
「っ、ぉ、お、お……俺っ……俺は、また……ッ!親父を……っ!俺は……っ、俺……、俺が……ッ!!」
「っ、南波さん、今の、まさか記憶が……」
「っ俺のせいで、俺が、親父、親父を……っ嫌だ……ッ、俺は……ッ!!」
青褪めた南波は頭を抱え、半狂乱にぐしゃぐしゃに掻き毟る。獣じみた咆哮が森の中に響いた。
……そうだったのか、最上を現実で殺したのは、南波だったのか。けれど、その背後に剣崎がいた事は間違いない。南波だって、脅されていたのだ。そうならざる得ない精神状態へと追い込まれていた、無理もない、なんて俺が言える立場ではない。
けれど、この状況はまずい。
「そうですよ、今更知ったんですか」
そんな中、ただ一人場違いなまでに涼し気な顔をした男が歌うように笑う。
ゆっくり、一歩一歩南波に歩み寄るのだ。
「全部アンタのせいですよ、アンタが役立たずの使えないゴミだったせいで最上さんもみーんな死んでしまった。……可哀想に」
放心する南波に言葉の刃を突き立てる。見てられるはずがない。聞いてられるはずがなかった。
俺は、取り出した銃をやつのコメカミに突きつければ、やつは笑うのをやめた。
「……っ、黙れよ……」
「またヘッドショット狙うつもりっすか?無理ですよ、アンタに俺は殺せない」
「……だったらなんだよ」
俺だって、死なない。こんなやつなんかに殺されてたまるか。
挑発に耳を傾けるつもりはなかった。
俺は焦点を定め、引き金を引いた。銃弾は棒立ちの剣崎の横を通り抜け、背後、道すがらに乗り捨てた車、その下方部に当たる。
「流石素人、下手くそっすね」
そう剣崎が笑ったときだった。剣崎の背後で爆発が起きる。アクション映画のようにガソリンタンクまで貫通するか不安だったが、壊れかけだったことが逆に幸いしたようだ。爆発に巻き込まれる剣崎を見て、俺は息を呑んだ。
熱風に皮膚が焼けるように痛むが、チャンスは今しかない。俺は南波の腕を掴み、引っ張り上げた。
「っ南波さん、逃げますよ!」
「っ、じゅ、んいち……」
血の気の引いた唇に、怯えで見開かれた目。そこに居たのは、俺のよく知る南波だった。
「……手、離さないでください」
失っていた記憶を全部、取り戻した南波がどうなるかなんて、洋館での南波のことを知ってた俺はわかっていたはずだ。振り払われるかと思ったが、南波は俺の手を振り払わなかった。まだ混乱してるのかもしれない。
けれど、漠然とした何かに恐れていたあの頃の南波とは違う。生前と死後、全ての記憶を取り戻した南波は恐れていたものがなにか理解したのかもしれない。
最悪の形ではあるが、それは間違いなく突破口へと繋がるはずだ。
……そう思わなければ、遣る瀬無い。
ただ無我夢中で走った。
南波の手の感触だけを確かめ、後ろも振り返らず、とにかく剣崎から逃げるためだけに。
心臓が煩い。目の奥が熱くなり、それでも頭の中は恐ろしいほど冴え渡っていた。
枝を踏む音が響く。泥濘んだ土に足を取られないように、立ちふさがるように生える木の間を縫うように逃げた。
そんなことを暫く続けていたとき、掴んでいた南波の手に引っ張られる。
止められたのだと思ったが、そうではない。躓いたのだろう、膝をついた南波はそのまま蹲る。
「っ、南波さん……」
「じゅん、いち……さん……ど、して……」
弱まった語気。その声は震えている。
何に対しての問いかけかわからなかった。或いは、全てか。俺は言葉に詰まる。焦点の合っていないその目に、血の気の引いたその唇。言葉に詰まる。
答えなど最初から限られているのにだ。
「南波さんを助けるには、これしかないと思ったから」
「……っ」
「剣崎辰爾はもう死んでます。あの男は、南波さんの作り出した幻影です」
言わば、剣崎そのものが南波の心的外傷でもある。
それが具現化し、現実で襲いかかってきたとなると、ここでこの男を始末しなければ恐らくこのまま俺たちは共倒れということになる。
「あの男は俺が何をしても死にません。恐らく、南波さんじゃないと……」
「南波さんじゃないと、あいつを殺すことができない」口にしてしまえば簡単だが、恐らく、それは南波にとって簡単ではないはずだ。今、目の前にいる南波には全ての記憶が戻っている状態だろう。蒼白の南波は、飼い主を探す犬のように視線を彷徨わせるのだ。そして、縋ることができないと理解したのだろう。目を瞑る。
「……っ、剣崎……あいつは、俺には……殺せない」
「っ、南波さん……」
「そんなことしたら、俺は、最上さんは……」
「……っ、南波さん、しっかりしてください……」
最上はもう死んでる、なんて言いかけて、口に出来なかった。大きく見開かれる目が、俺が言わんとしてることに気づいたのだろう。俺を見てるはずなのに、俺を見ていない。無理だ、駄目だ、あいつだけは、駄目だ。そう、何度も呪詛のように口にする南波。その額から汗が流れる。手足を震わせる南波からして、その怯えようは明らかだ。
俺は、それ以上何も言えなかった。
南波は一度、剣崎に殺されてる。それも、死んだあとも心に傷を深く残すほど心身痛めつけてだ。
そんな相手に立ち向かえなんて言えるわけがない。……南波の記憶を見てしまった俺には、余計、無理だった。
「……っ、わかりました……」
「っ、準一……?」
「……なんとかできないか、別の方法を探してみます。……南波さんは、隠れててください。時間の問題かと思いますけど……あの男はきっと俺を先に殺すつもりだから」
おまけに、轢き殺したり爆死させたりとヘイトも充分溜まっているはずだ。震える手を握りしめる。どこまで保つかわからない。それも他人の精神世界だ、本人は不安定な状態で、もし俺まで喪失状態になればどうなるのだろうかなんて考えるだけ無駄だろう。
「っ、じゅ……――」
「……それじゃあ、後はお願いします」
やれることはやるしかない。
俺になにができるかなんてわからないけど、俺はこの人のことが助けたくてここにいるのだ。
それならば、それに準ずるだけだ。
時間稼ぎなんてこと、できるかどうかすらわからない。
けれど、やるしかない。
南波が決心できるまで、信じることしかできないのだ。
なるべく、南波が落ち着けるようにと離れた場所へと戻ってきた。夜の樹海に方向感覚なんて通用するわけもなく、数歩歩いただけで最早自分がどこにいるのかすらわからなくなる。
深い夜の闇、頭上を照らす月の光だけが頼りだった。
自分の足音と呼吸音だけが聞こえる。南波の方も心配だったが、あの男は南波よりも俺を先に殺そうとする確信はあった。
あいつは南波の一部だ。ならば、いつでも殺そうと思えば殺せるはずだ。けれど俺はそうではない。
「……二人で仲良しこよしで逃げ帰ったと思えば、今度は一人ですか。不用心すぎじゃありませんか?」
「……」
――剣崎辰爾は、現れた。
あれほどの爆発に巻き込まれたはずなのに、音も立てず、影の中から現れるあの男に俺はいつもと変わらない身なりだった。まるで何事もなかったかのように銃を指先で弄ぶように回し、そして、呆れたように軽薄な笑みを見せる男。すぐに殺すつもりはないのだろうか。ポケットの中、忍ばせていた銃を握り締めたまま俺はやつから一定の距離を取る。
「それで、庇ってるつもりなんすか?隠れても無駄なんすからもう少し賢くなればいいのに……あの人も、アンタも」
「……お前だって、南波さんなんだろ」
剣崎は銃に向けていた目を俺へと移す。そして、その涼しい目を細めて笑うのだ。腹立つほどの余裕の笑顔。
「そっすね。……親父さんも、宗親さんも、この世界も全部俺っすよ。だからどこに逃げようが俺に筒抜けってわけです」
「なら、何がしたいんだよ、お前……もし南波さんが死んだら、お前だって死ぬことになるんだろ」
そうだ、南波の自我を崩壊させればこの精神世界は勿論消えることになる。そうなれば、下手すりゃ霊体としても留まることはできなくなる。……それは、俺達にとって二度目の死だ。
話が通じる相手とは思わないが、それでも、聞かずにはいられなかった。そんな俺に、剣崎は顔を歪めるようにして笑う。
「……本当、バカっすね。アンタって」
「全てを思い出して、俺が生まれたんですよ。南波宗親は死にたがっている。俺に殺されたいと心から思ってるんですよ」そう言って、剣崎は銃をこちらへと向けた。
鈍く光るその銃身に、体が強張る。
「だから、この世界で邪魔なのはアンタだ」
「っ……死ぬつもりなのかよ」
「あの人は別に生きたかったわけじゃない。寧ろ、親父さん殺されてまで自分がまだこうして存在してることの方があの人にとっては理解し難い状況なんだ。あるべきものを正しき道に戻す、それだけっすよ」
ああ、と思った。これが、南波の本音なのか。
本当にそうなのか。これは、南波の認識してる剣崎という男のまやかしではないのだろうか。
……そうだ、俺は、まだ南波自身の言葉をちゃんと聞いていない。
銃を引き抜く。手の震えを誤魔化すように、剣崎に銃口を突き付けた。引き金を引くのに躊躇はなかった。
やらなければ死ぬ、そう悟った俺は剣崎の頭目掛けて発砲した……つもりだった。
けれど。
「その手に二度も引っかかると思うんです?」
耳を劈くような破裂音が空に響いた。その反動に痺れる腕を無理矢理動かし、声のする方へと視線を向けた時。
伸びてきた腕に首を掴まれる。あの弾を避けられたようだ、無傷の剣崎は俺の手から銃をもぎ取り、そのまま俺の額に銃口を押し付けるのだ。
「……邪魔なんだよ、お前」
「っ、それが、本性かよ……っ!」
「さあ?そんなに俺のこと、気になるんです?」
ごり、と鈍い痛みが頭蓋骨に直接響く。
癪に障る笑い方。無言で睨み返せば、剣崎は鼻を鳴らして
笑い、そして、銃身へと掴み直した剣崎は間髪入れずに人を殴った。グリップで殴られたのだと気づいたときには遅かった。
「っ、……ぐ……ッ!!」
ほんの一瞬、衝撃に耐えられず剣崎から目を逸した瞬間、そのまま泥濘んだ地面へと押し倒される。
「っ、こ、ンの野郎……ッ!」
「知りたいんでしょう、俺のこと」
腕を掴まれ、捻り上げられる。ベルトで両腕を縛られ、しまったと思った次の瞬間、月をバックにしたあの男は緩やかに笑った。そして、暗転。瞬きをしたほんの一瞬で世界は切り替わり、気づけば見知らぬ部屋、その真ん中の椅子に座らされていた。
体を動かそうとするが、肘置きに縛り付けられた腕と椅子の足と一体化するようにぐるぐるに縛られた体は文字通り縫い付けられたように動かない。
声を出そうにも、口の中に何かが入ってる。視覚では確認できなかったが、何か猿轡を噛まされてることだけはわかった。
天井、チカチカと点灯する裸の電球の周りには蛾や羽虫が集まっている。
泥と埃で汚れたコンクリート。そこには覚えがあった。
南波の記憶の中で出たあの部屋だ。
なんで、とかどうしてとか、そんな疑問はここでは通用しない。質素な部屋の奥には頑丈そうな作業台がある。俺にはそれが解剖台のように見えて仕方なかった。
黒い手袋を手に嵌めた剣崎は、こちらを振り返り、そして背もたれに触れるように覗き込んでくる。
「その顔、アンタもここがなんなのか知ってるんでしょう。……準一サン」
「……っ、……ッ」
ここは剣崎と南波が死体の処理や拷問に使っていた場所だ。――そして、最上が殺された場所でもある。
染み込んだ吐き気がするほどの悪臭と、聞こえないはずの悲鳴が聞こえてくるようだった。
俺の反応に剣崎はふ、と目を細め、そして台上に置かれた何かを手に取るのだ。
「準一さんは痛みには強い方ですか?」
「……」
「俺ね、昔から喧嘩とか弱くて、殴られたらすぐ泣いて親父に怒られてたんですよ。だからかな、我慢強い人見るとすごい憧れちゃって。かっこいいなーって。……どこまでこの我慢は続くんだろうって、気になって気になって仕方ないんです」
背筋に冷たい汗が滲む。聞いてもいないのに一人で喋る剣崎が気味悪かったし、その言わんとしてる意味が理解できたとき、吐き気がした。ゆっくりとこちらへと歩み寄る。その手には見慣れたものが握られていて。
ニッパーだ。
それは少し力を加えるだけで、大抵の金属を潰すことやねじ切ることを可能にする道具だ。何故そんなものを、なんて考えなくてもすぐにわかった。
「宗親さんは最後まで我慢強い方でしたよ。……準一さん、あなたはどうなんですかね?」
期待してますよ、なんて、女を口説くような甘い声で囁く剣崎に吐き気を覚えた。
「っ、親父……親父ッ!!」
動かなくなる最上に駆け寄る南波、その声に現実に引き戻される。不思議と頭の中は落ち着いていた。恐らく、この男の存在が俺を嫌でも冷静にさせてくれるのだろう。
――剣崎辰爾。
「お前……っ!」
「どうせ死にかけてたのを殺してやったんですよ?むしろ、感謝されるべきじゃないっすか?俺」
恐怖を通り越して強い怒りが込み上げる。この野郎、と銃を取り出したとき、体がふらつく。違う、これは足元が、世界が歪んでいるのだと気付いたときには遅かった。
咄嗟に南波に目を向ける。
「っ、南波さん……ッ!」
最上の前、放心したように蹲る南波の姿を見た瞬間、頭に痛みが走った。
「っ、ぐ……ぅ……ッ!!」
頭の中を何者かに弄られてるような違和感と、頭蓋骨を直接殴られてるかのような痛み。
そして、頭の中に何かが直接入ってくる。
俺のものではない記憶が一気にだ。
中には見覚えのある景色や光景、人物がよく動いていた。この世界よりも鮮明な、現実の記憶。
それが誰のものかはすぐに分かった。この記憶の中には絶対にいなければならない、俺がよく知る男の姿がなかったからだ。
――これは、南波の記憶か。
『……どうせ死にかけてたのを殺してやったんですよ、むしろ、喜ぶべきですよ?宗親さん』
コンクリート打ちっぱなしの部屋の中に響くのは変わらない剣崎の声だ。血と、汚物が混ざったような最悪な匂いの中。椅子に縛り付けられ、項垂れているのは最上だ。殴られ、腫れ上がったその顔形は跡形もなくなっていたがそれでも見覚えのあるスーツと髪型でわかった。頭から血を流した最上は、そのままピクリとも動かない。血溜まりの中、震えた手のひらに目を向ける。
南波の手には銃が握られていた。
「っ、ぉ、お、お……俺っ……俺は、また……ッ!親父を……っ!俺は……っ、俺……、俺が……ッ!!」
「っ、南波さん、今の、まさか記憶が……」
「っ俺のせいで、俺が、親父、親父を……っ嫌だ……ッ、俺は……ッ!!」
青褪めた南波は頭を抱え、半狂乱にぐしゃぐしゃに掻き毟る。獣じみた咆哮が森の中に響いた。
……そうだったのか、最上を現実で殺したのは、南波だったのか。けれど、その背後に剣崎がいた事は間違いない。南波だって、脅されていたのだ。そうならざる得ない精神状態へと追い込まれていた、無理もない、なんて俺が言える立場ではない。
けれど、この状況はまずい。
「そうですよ、今更知ったんですか」
そんな中、ただ一人場違いなまでに涼し気な顔をした男が歌うように笑う。
ゆっくり、一歩一歩南波に歩み寄るのだ。
「全部アンタのせいですよ、アンタが役立たずの使えないゴミだったせいで最上さんもみーんな死んでしまった。……可哀想に」
放心する南波に言葉の刃を突き立てる。見てられるはずがない。聞いてられるはずがなかった。
俺は、取り出した銃をやつのコメカミに突きつければ、やつは笑うのをやめた。
「……っ、黙れよ……」
「またヘッドショット狙うつもりっすか?無理ですよ、アンタに俺は殺せない」
「……だったらなんだよ」
俺だって、死なない。こんなやつなんかに殺されてたまるか。
挑発に耳を傾けるつもりはなかった。
俺は焦点を定め、引き金を引いた。銃弾は棒立ちの剣崎の横を通り抜け、背後、道すがらに乗り捨てた車、その下方部に当たる。
「流石素人、下手くそっすね」
そう剣崎が笑ったときだった。剣崎の背後で爆発が起きる。アクション映画のようにガソリンタンクまで貫通するか不安だったが、壊れかけだったことが逆に幸いしたようだ。爆発に巻き込まれる剣崎を見て、俺は息を呑んだ。
熱風に皮膚が焼けるように痛むが、チャンスは今しかない。俺は南波の腕を掴み、引っ張り上げた。
「っ南波さん、逃げますよ!」
「っ、じゅ、んいち……」
血の気の引いた唇に、怯えで見開かれた目。そこに居たのは、俺のよく知る南波だった。
「……手、離さないでください」
失っていた記憶を全部、取り戻した南波がどうなるかなんて、洋館での南波のことを知ってた俺はわかっていたはずだ。振り払われるかと思ったが、南波は俺の手を振り払わなかった。まだ混乱してるのかもしれない。
けれど、漠然とした何かに恐れていたあの頃の南波とは違う。生前と死後、全ての記憶を取り戻した南波は恐れていたものがなにか理解したのかもしれない。
最悪の形ではあるが、それは間違いなく突破口へと繋がるはずだ。
……そう思わなければ、遣る瀬無い。
ただ無我夢中で走った。
南波の手の感触だけを確かめ、後ろも振り返らず、とにかく剣崎から逃げるためだけに。
心臓が煩い。目の奥が熱くなり、それでも頭の中は恐ろしいほど冴え渡っていた。
枝を踏む音が響く。泥濘んだ土に足を取られないように、立ちふさがるように生える木の間を縫うように逃げた。
そんなことを暫く続けていたとき、掴んでいた南波の手に引っ張られる。
止められたのだと思ったが、そうではない。躓いたのだろう、膝をついた南波はそのまま蹲る。
「っ、南波さん……」
「じゅん、いち……さん……ど、して……」
弱まった語気。その声は震えている。
何に対しての問いかけかわからなかった。或いは、全てか。俺は言葉に詰まる。焦点の合っていないその目に、血の気の引いたその唇。言葉に詰まる。
答えなど最初から限られているのにだ。
「南波さんを助けるには、これしかないと思ったから」
「……っ」
「剣崎辰爾はもう死んでます。あの男は、南波さんの作り出した幻影です」
言わば、剣崎そのものが南波の心的外傷でもある。
それが具現化し、現実で襲いかかってきたとなると、ここでこの男を始末しなければ恐らくこのまま俺たちは共倒れということになる。
「あの男は俺が何をしても死にません。恐らく、南波さんじゃないと……」
「南波さんじゃないと、あいつを殺すことができない」口にしてしまえば簡単だが、恐らく、それは南波にとって簡単ではないはずだ。今、目の前にいる南波には全ての記憶が戻っている状態だろう。蒼白の南波は、飼い主を探す犬のように視線を彷徨わせるのだ。そして、縋ることができないと理解したのだろう。目を瞑る。
「……っ、剣崎……あいつは、俺には……殺せない」
「っ、南波さん……」
「そんなことしたら、俺は、最上さんは……」
「……っ、南波さん、しっかりしてください……」
最上はもう死んでる、なんて言いかけて、口に出来なかった。大きく見開かれる目が、俺が言わんとしてることに気づいたのだろう。俺を見てるはずなのに、俺を見ていない。無理だ、駄目だ、あいつだけは、駄目だ。そう、何度も呪詛のように口にする南波。その額から汗が流れる。手足を震わせる南波からして、その怯えようは明らかだ。
俺は、それ以上何も言えなかった。
南波は一度、剣崎に殺されてる。それも、死んだあとも心に傷を深く残すほど心身痛めつけてだ。
そんな相手に立ち向かえなんて言えるわけがない。……南波の記憶を見てしまった俺には、余計、無理だった。
「……っ、わかりました……」
「っ、準一……?」
「……なんとかできないか、別の方法を探してみます。……南波さんは、隠れててください。時間の問題かと思いますけど……あの男はきっと俺を先に殺すつもりだから」
おまけに、轢き殺したり爆死させたりとヘイトも充分溜まっているはずだ。震える手を握りしめる。どこまで保つかわからない。それも他人の精神世界だ、本人は不安定な状態で、もし俺まで喪失状態になればどうなるのだろうかなんて考えるだけ無駄だろう。
「っ、じゅ……――」
「……それじゃあ、後はお願いします」
やれることはやるしかない。
俺になにができるかなんてわからないけど、俺はこの人のことが助けたくてここにいるのだ。
それならば、それに準ずるだけだ。
時間稼ぎなんてこと、できるかどうかすらわからない。
けれど、やるしかない。
南波が決心できるまで、信じることしかできないのだ。
なるべく、南波が落ち着けるようにと離れた場所へと戻ってきた。夜の樹海に方向感覚なんて通用するわけもなく、数歩歩いただけで最早自分がどこにいるのかすらわからなくなる。
深い夜の闇、頭上を照らす月の光だけが頼りだった。
自分の足音と呼吸音だけが聞こえる。南波の方も心配だったが、あの男は南波よりも俺を先に殺そうとする確信はあった。
あいつは南波の一部だ。ならば、いつでも殺そうと思えば殺せるはずだ。けれど俺はそうではない。
「……二人で仲良しこよしで逃げ帰ったと思えば、今度は一人ですか。不用心すぎじゃありませんか?」
「……」
――剣崎辰爾は、現れた。
あれほどの爆発に巻き込まれたはずなのに、音も立てず、影の中から現れるあの男に俺はいつもと変わらない身なりだった。まるで何事もなかったかのように銃を指先で弄ぶように回し、そして、呆れたように軽薄な笑みを見せる男。すぐに殺すつもりはないのだろうか。ポケットの中、忍ばせていた銃を握り締めたまま俺はやつから一定の距離を取る。
「それで、庇ってるつもりなんすか?隠れても無駄なんすからもう少し賢くなればいいのに……あの人も、アンタも」
「……お前だって、南波さんなんだろ」
剣崎は銃に向けていた目を俺へと移す。そして、その涼しい目を細めて笑うのだ。腹立つほどの余裕の笑顔。
「そっすね。……親父さんも、宗親さんも、この世界も全部俺っすよ。だからどこに逃げようが俺に筒抜けってわけです」
「なら、何がしたいんだよ、お前……もし南波さんが死んだら、お前だって死ぬことになるんだろ」
そうだ、南波の自我を崩壊させればこの精神世界は勿論消えることになる。そうなれば、下手すりゃ霊体としても留まることはできなくなる。……それは、俺達にとって二度目の死だ。
話が通じる相手とは思わないが、それでも、聞かずにはいられなかった。そんな俺に、剣崎は顔を歪めるようにして笑う。
「……本当、バカっすね。アンタって」
「全てを思い出して、俺が生まれたんですよ。南波宗親は死にたがっている。俺に殺されたいと心から思ってるんですよ」そう言って、剣崎は銃をこちらへと向けた。
鈍く光るその銃身に、体が強張る。
「だから、この世界で邪魔なのはアンタだ」
「っ……死ぬつもりなのかよ」
「あの人は別に生きたかったわけじゃない。寧ろ、親父さん殺されてまで自分がまだこうして存在してることの方があの人にとっては理解し難い状況なんだ。あるべきものを正しき道に戻す、それだけっすよ」
ああ、と思った。これが、南波の本音なのか。
本当にそうなのか。これは、南波の認識してる剣崎という男のまやかしではないのだろうか。
……そうだ、俺は、まだ南波自身の言葉をちゃんと聞いていない。
銃を引き抜く。手の震えを誤魔化すように、剣崎に銃口を突き付けた。引き金を引くのに躊躇はなかった。
やらなければ死ぬ、そう悟った俺は剣崎の頭目掛けて発砲した……つもりだった。
けれど。
「その手に二度も引っかかると思うんです?」
耳を劈くような破裂音が空に響いた。その反動に痺れる腕を無理矢理動かし、声のする方へと視線を向けた時。
伸びてきた腕に首を掴まれる。あの弾を避けられたようだ、無傷の剣崎は俺の手から銃をもぎ取り、そのまま俺の額に銃口を押し付けるのだ。
「……邪魔なんだよ、お前」
「っ、それが、本性かよ……っ!」
「さあ?そんなに俺のこと、気になるんです?」
ごり、と鈍い痛みが頭蓋骨に直接響く。
癪に障る笑い方。無言で睨み返せば、剣崎は鼻を鳴らして
笑い、そして、銃身へと掴み直した剣崎は間髪入れずに人を殴った。グリップで殴られたのだと気づいたときには遅かった。
「っ、……ぐ……ッ!!」
ほんの一瞬、衝撃に耐えられず剣崎から目を逸した瞬間、そのまま泥濘んだ地面へと押し倒される。
「っ、こ、ンの野郎……ッ!」
「知りたいんでしょう、俺のこと」
腕を掴まれ、捻り上げられる。ベルトで両腕を縛られ、しまったと思った次の瞬間、月をバックにしたあの男は緩やかに笑った。そして、暗転。瞬きをしたほんの一瞬で世界は切り替わり、気づけば見知らぬ部屋、その真ん中の椅子に座らされていた。
体を動かそうとするが、肘置きに縛り付けられた腕と椅子の足と一体化するようにぐるぐるに縛られた体は文字通り縫い付けられたように動かない。
声を出そうにも、口の中に何かが入ってる。視覚では確認できなかったが、何か猿轡を噛まされてることだけはわかった。
天井、チカチカと点灯する裸の電球の周りには蛾や羽虫が集まっている。
泥と埃で汚れたコンクリート。そこには覚えがあった。
南波の記憶の中で出たあの部屋だ。
なんで、とかどうしてとか、そんな疑問はここでは通用しない。質素な部屋の奥には頑丈そうな作業台がある。俺にはそれが解剖台のように見えて仕方なかった。
黒い手袋を手に嵌めた剣崎は、こちらを振り返り、そして背もたれに触れるように覗き込んでくる。
「その顔、アンタもここがなんなのか知ってるんでしょう。……準一サン」
「……っ、……ッ」
ここは剣崎と南波が死体の処理や拷問に使っていた場所だ。――そして、最上が殺された場所でもある。
染み込んだ吐き気がするほどの悪臭と、聞こえないはずの悲鳴が聞こえてくるようだった。
俺の反応に剣崎はふ、と目を細め、そして台上に置かれた何かを手に取るのだ。
「準一さんは痛みには強い方ですか?」
「……」
「俺ね、昔から喧嘩とか弱くて、殴られたらすぐ泣いて親父に怒られてたんですよ。だからかな、我慢強い人見るとすごい憧れちゃって。かっこいいなーって。……どこまでこの我慢は続くんだろうって、気になって気になって仕方ないんです」
背筋に冷たい汗が滲む。聞いてもいないのに一人で喋る剣崎が気味悪かったし、その言わんとしてる意味が理解できたとき、吐き気がした。ゆっくりとこちらへと歩み寄る。その手には見慣れたものが握られていて。
ニッパーだ。
それは少し力を加えるだけで、大抵の金属を潰すことやねじ切ることを可能にする道具だ。何故そんなものを、なんて考えなくてもすぐにわかった。
「宗親さんは最後まで我慢強い方でしたよ。……準一さん、あなたはどうなんですかね?」
期待してますよ、なんて、女を口説くような甘い声で囁く剣崎に吐き気を覚えた。
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メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
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