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ふたつでひとつ
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部屋の配置は以前と変わりない。
部屋の奥、壁にくっつくようにして配置された子供用のベッドと、その隣においてある小さな机。
その机にはいくつか引き出しも取り付けられている。
どちらも薄汚れてはいるが、アンティークと呼べるほどのものでもない。
リサイクルショップで特価で並んでいても違和感のないくらいのそれに、ここの部屋の持ち主を想像してみる。恐らく俺が生まれる前くらいの子供だろう。
性別はわからない。
けれど、と机の前にやってきた俺は引き出しを開けた。
入っていたのは端切れだった。
黒、茶色、赤、肌色、オレンジ。フェルト生地のそれには見覚えがあった。藤也の持っていた人形だ。
全て、あの人形を形成していた端切れと一致する。
ということは。
あの時の少年の姿が脳裏を過る。
俺は他の引き出しも開いた。
『初めてのフェルト人形』という手芸に関する本が出てきた。何度も読んだのだろう。ヨレヨレになったその本はとあるページにのみ折り目が付けられていて、ページを開いた俺は確信する。
そのページはあの人形と同じぬいぐるみの作り方が書かれていた。
完成図の写真には、色は違えど同じ型の男の子の人形が写っていた。
「……」
ということは、やはりここはあの少年の部屋だということか。
でも、それがわかったところでどうしようもない。
他に、なにかないだろうか。俺はその下の引き出しに手を伸ばした。
今思えば、この時点で止めておけばよかったと思う。
ここから先は誰のことも関係ない、俺の好奇心による行動だ。
あの少年のことが知りたい。
藤也たちがあの人形に固執する訳を、知りたい。
そう掻き立てられてしまった俺のエゴだ。
頭では理解できていても、自分を止めることが出来なかった。
「……これ、は」
一番大きな最下部の引き出しには、教科書や色々なものが詰め込まれていた。
それ全てを取り出し、机の上に広げる。
教科書やノート、その名前欄にはどれも同じ名前が記入されていた。
『嘉村義人』……カムラヨシト。
詰め込まれた教科書から推測するに学年は中学二年生。
だけど、待てよ。俺の現れたあの少年が嘉村義人だとすれば、おかしい。あいつはどうみても小学生、それも低学年だ。到底中学生には見えなかった。
俺の考え方が間違っているのか、それとも他に何かを見落としているのか。もう一度引き出しの中身を探る。
修学旅行の栞、小学校の頃の卒業アルバム、そして教科書。
特にひっ掛かるものはなかった、けれどこれを見れば一番早い。俺は卒業アルバムを手に取る。
あまり開いていないようだ、小綺麗なそれの表紙に目を向ける。約二十年前のもののようだ。
となると、卒業した時点で十二歳だから今は……。
そこまで考えて思考停止する。ここにこれがあるということからして今の年齢は考えるだけ無駄だ。
俺は嘉村義人の写真を探す。
結論から言えば、嘉村義人の写真はすぐに見つかった。
けれど、肝心の顔の部分の色が薄くなっていて見えない。
辛うじて輪郭がわかるが、顔の造形などは全くわからなくて。
それよりも、気になるものを見付けた。
嘉村義人と同じクラスメートたちの顔写真がずらりと並ぶ中、二人の男子生徒に目を向ける。
『伊塚幸喜』と『北条藤也』。
顔写真は昔のものとは言えパーツから全て違うし、恐らく他人だろう。それにあいつらは双子だ、苗字が違うのも不自然だ。
けれど、それをただの偶然と片付けることが出来なかった。
どういうことなのだろうか、これは。
胸がざわつく。まるで自分が見てはいけないものを見てしまったかのような、そんな不安感が足元から襲ってきて。
笑顔で取っ付きやすそうな伊塚幸喜とは対照的に、北条藤也は冷たそうな雰囲気のする少年だった。顔そのものは違えど、雰囲気は二人によく似ていて。
余計、嘉村義人と二人の関係性がわからない。それ以上に、どうして嘉村義人の写真だけこんなに消えかけているのか。
顔写真、古くなったからとだけでは片付けようのない不自然なそれに指を伸ばした時。
「……やっぱり、手遅れだったな」
すぐ耳元で聞こえてきたその声に全身が跳ね上がる。咄嗟に振り返ろうとしたが、岩のように体が動かない。
掴まれているわけではない。けれど、自分の体の上に重く何かがのしかかってきているのだけはわかった。
「と、うや……?」
「準一さん、わざわざ見つけ出してくれたみたいだね。……ありかとう」
そう藤也に机の上に広げた卒業アルバムを取り上げられる。
咄嗟に取り返そうとするが、指先一本一本が鉛のように重くなり、動けなくなる。
なにかが異常だ。こびりついて離れない、この身に付き纏ううざったい感覚は恐怖によく似ている。
息が苦しい。
「だけど、気安く同調しすぎるのはよくない。……習わなかった?」
同調。確かに藤也はそういった。誰が、なにに。
声を上げ、聞き返そうとするが酸素を吸う度に穴という穴から水が流れ込んでくるようなそんな錯覚を覚える。溺れる。
「間抜け面」
こちらを見下ろしていた藤也はそう小さく吐き捨てる。
伸びてきた手に首根っこを掴まれ、無理矢理床へ放られる。
ろくに受け身もとることが出来ず、けれど、痛みも衝撃もなかった。
その代わり、体が軽くなる。否、全身に付き纏っていたなにかが引き剥がれたようなそんな感覚が襲ってきて。
その時だ、
『うわあああん!痛いよおお!』
すぐ傍で聞こえてきた泣き声に驚いて飛び上がる。
俺が振り返るよりも早く、藤也が動くのが早かった。俺のすぐ背後、いつの間にかに移動していた藤也は思いっきり床の上のなにかを踏みつける。それはこの間見た子供、いや、幼い嘉村義人で。
「おい、藤也、お前何して……ッ」
「同情するなよ、準一さん。優しくするな。依代が無くなったんだろ?……アンタが食われるぞ」
「な、なに……言って……」
意味がわからない。けれど、目の前で行われる幼児虐待を見過ごすことなんて出来なくて。
『嫌だ、助けて、助けてお母さんっ』
「藤也、止めろッ」
「うるさい!アンタには関係ないだろ!」
藤也が怒鳴ったことにも驚いたが、それ以上に、藤也の口からその言葉が聞けたことにより俺は確信する。
「……お前、そいつのこと知ってるのか?」
嘉村義人との関係を、藤也は認めた。
恐る恐る尋ねれば、押し黙る藤也は服の中から何かを取り出す。
それはカエルの死骸のようで。
「……すぐに取り戻すから、少しそれで我慢しろ」
その言葉が俺ではなく、嘉村義人に吐き出されたものだとすぐに気付く。
瞬間、藤也の下にあった嘉村義人の体は消え、その代わり、ひっくり返ったままぐったりとしていたカエルが動き出したときは目を疑った。
「藤也……今のって……っ」
「義人はあんたらでいうとこの死にかけ。……だから、他人から生気を奪うことで辛うじて姿を現す事が出来る」
「それって」
「悪霊。……コイツ自身それほどの力はないからどうでもいいんだけど。俺も、最近知ったばかりだったから」
「コイツがまだ生きてるって」そう呟く藤也はカエルを手に取る。
緊張していたカエルだったが、藤也に撫でられると心地よさそうに寛いでいた。
正直俺は虫や爬虫類が駄目なのだが、今はそんなことで驚いている場合ではない。
「ちょっと待てよ、依代って、まさか……あのぬいぐるみか?」
「そうだな。……だけど、あいつが壊したんだろう?」
「……っ、悪い」
「別にいい。あいつが考えることはわかるから。でも、あんたも一緒にいたお陰で一緒に燃え尽きずには済んだ」
「は?」
「……そう、義人が言ってる。ありがとうって」
「お人好し」と小さく唇が動く。
それは恐らく、嘉村義人の言葉ではないのだろうが。
燃え尽きずにってことは、あの時点で既に嘉村義人は俺に憑いていたというこだろうか。
そう考えると余計頭が混乱したけど、それでも、助けることが出来たのなら。
「……そうか」
よかった。
そう言っていいものかはわからない。けれど、多分、よかったのだろう。
ありがとうと言われるほどのことはしてないが、素直に受け取ることにする。
「なあ……藤也、お前とその、義人って……なんだ?」
他に言いようがなかったのかと自分でも思ったが、ないのだ。
単刀直入に尋ねてみれば、藤也は押し黙る。
なにかまずいことでも聞いてしまったのだろうか。
そう思った時だ。
「義人は、俺の……俺達の親だよ」
「…………はっ?!」
「………………」
「お、親……?」
ゲコ、と喉を鳴らす嘉村義人と目の前の藤也を見比べれば、藤也は面倒臭そうに「文句ある」と吐き捨てる。
いや、文句はないが、随分とお若いお父さんで……。
と口ごもっていた矢先だ。
何かが砕け散るような、凄まじい破壊音が屋敷内に響き渡る。
それは下の階の方からだった。
「今のって……」
「…………あの馬鹿が」
「は?……って、おい!藤也!」
肝心なことも聞き出せていないというのに、物音に反応した藤也はカエルもとい義人を机に乗せるなりそのまま部屋を飛び出す。
追い掛けようか迷ったとき、曇った眼でこちらを見詰めてくる義人と目があった。
ちなみに俺は爬虫類が嫌いだ。
半ば義人から逃げるように藤也の後を追い掛けることにする。
先程の凄まじい物音の正体はすぐにわかった。
ロビー。天井に吊り下げられていた豪奢なシャンデリアはワイヤーごとぶった切られて落下している。しかし、前回のようにその下に血まみれの幸喜はいない。
その代わりに……。
「な……南波さん、大丈夫ですかっ!」
佇む藤也の正面、全身ガラスの破片突き刺さってだらだら出血している南波に普通にビックリした。
それはやつも同じのようで。
「うっ、す、すみません!すみません!こんなお見苦しい姿を準一さんに……!」
「いっ、いや、そうじゃなくて……めっちゃなんか血が……」
「俺は全然大丈夫っすから!俺の心配までして下さりありがとうございます!すみません!ごめんなさい!シャンデリアも避けられない恥さらしですみません!」
どうやら今回シャンデリアの餌食になったのは南波のようだ。
それにしても出血しながらも痛くないという南波の精神力というかタフさには驚くが……今はそんなことに感心している場合ではないのだろう。
「おい藤也!てめえあの糞ガキどうにかしろ!いきなり俺の通行邪魔するとはどういう教育してんだよ!ぁあ?!」
「……幸喜はどこに行った?」
「あ?知らねえよ!この先の通路走ってたけど食堂にでもいるんじゃねえのか?」
藤也に凄まれ答える南波。
礼も言わずにそのまま通路へと向かう藤也。
「おいっ!てめえお礼ぐらい……」
「南波さん、お大事に」
「ああぁ、ありがとうございます準一さん!!これくらいの傷一秒で治してみせますので!!」
「お、おう……」
相変わらずコロコロ表情が変わる南波に戸惑わずにはいられないが、目を合わせただけでガタガタ震えていた頃に比べれば進歩だろう。それでも未だろくに目を合わせて一定の距離を空けなければ会話にならないのだから素直に喜ぶべきか謎だが。
というわけで、南波が回復してる隙を狙って俺も藤也の後を追い掛けたのだけれど。
食堂へと向かう途中、何かが陶器のようなものが砕けるような音が聞こえてくる。
嫌な予感がしながらも足を止めない藤也の後に続き、食堂までやってきた俺を迎えたのは砕け散った陶器の破片の上、座り込む花鶏だった。
「ああ……これはこの世に十二枚しかないスープ皿でしたのに……ああ……また尊い命が犠牲に……」
食堂には一人しくしくとわざとらしく泣き真似をする花鶏の姿しかなかった。
どうやらここも既に幸喜が去った後のようで。
恐らくこの砕け散った食器たちも幸喜の仕業なのだろう。食堂内は目の当てられない有り様になっていた。
「花鶏さん、幸喜は」
「この状況で皿のことに突っ込もうともしない藤也のこと、私は嫌いではないですよ」
「……」
「幸喜なら階段を上がっていきましたよ。あの方向には確か客室があるはずですが……」
そう花鶏が言い終わる前に、藤也は食堂を後にした。凄まじい速さだった。
続けて俺も出ていこうとした矢先だ、音もなく目の前に現れた花鶏に行く手を塞がれてしまう。
「あの、花鶏さん、今急いでんすけど」
「私はともかく皿の心配もしてくれないのですか、準一さんは……。悲しいですね、南波はあんなに心配していたというのに……」
「なんで知って……」
「藤也と一緒にいるお陰で感化されたのですか?ああ、これだから影響受けやすい若者は」
どうやら何も突っ込まない俺の態度が気に入らないらしい。
そんなことしてる場合ではないのだが、このままでは本当に出遅れてしまう。
というかまじでなんで知っているんだ。天井や壁に耳でも付いているのか。あながち有り得なくもないので余計怖いんだが。
「だ……大丈夫ですか」
「おや、皿よりも私のことを気にかけてくれるのですね。私はご覧と通り」
そう笑顔を浮かべる花鶏になんだか脱力してしまいそうになるが、これで文句はないはずだ。
「そうですか」とだけ言い残し、さっさと食堂を出ていこうとするが伸ばされた花鶏の腕にまた遮られて。
「ですが、あまり幸喜の状態がよろしくないようです。……準一さん、貴方何かしましたか?」
変わらない笑みを浮かべたままそう尋ねてくる花鶏。
その細められた目が、視線が、絡み付いてくる。
心当たりが動揺となって現れてしまったのだろう、押し黙る俺に花鶏は距離を詰めてきて。
「よろしければ教えて下さい」
「あの子と貴方の間に何があったのか」真正面、至近距離、後ずさる俺に鼻先を近づけてきた花鶏は静かにそう口にする。
こんなところで時間潰している場合ではないのだが、花鶏の細く長い指に肩を掴まれ、とうとう逃げられなくなる。
「なに、ほんの好奇心ですよ。あんなに狼狽える幸喜は初めて見たので今後の参考にしたいんです」
なので、そんなに怯えないで下さい。
そう耳元で笑う花鶏の声がやけにうるさく鼓膜に響いた。
「参考にって……あんた……っ」
数十分前、最後に見た幸喜の顔を思い出す。
幸喜の奇行が俺のせいだと言われているようで、実際そうなのだろうが面白半分で指摘されて愉快なわけがない。
咄嗟に、花鶏の腕を振り払おうとする。けれど、下手したら幸喜の手よりもか細いその手は絡み付いて離れない。
それどころか、
「それとも、お二人だけの秘密にするつもりですか?……つれない方ですね」
何をそんなに知りたがっているのかわからない。
それよりも。
「これは……俺とあいつの問題だ、あんたには関係ない」
花鶏の目が笑っていない。得体の知れないなにかが目の奥で揺らいだのが見え、寒気が走る。
だからか、絶対に花鶏には話したくない。その一心が、俺を意固地にさせた。
「おや……もしや、この間のことまだ根に持ってるんですか」
「あっ……あれは関係ない!」
「そんなこと言って、先程から私が動く度に筋が緊張しているの気づいてますか?」
これは誘導だ。関係のない話で狼狽させて付け込む気なのだ。花鶏の汚いやり口にはそろそろ慣れてきた。……と思う。
上の階からなにかが叩き割られるような音が聞こえてくる。
そうだ、こんなところで花鶏に足取られている場合ではない。
「……花鶏さん、放して下さい」
「ようやく話す気になりましたか?」
あまり、実力行使に出たくはなかった。
けれど、今は一分一秒すら惜しくて。
念じる。具体的なことは念じなかったけれど、それでも花鶏を止めるために俺は強く念じる。
「話しません」
そう言い切ったと同時に、ピシリと音を立て足元に散らばった白い破片たちが小さく動くのを俺は見た。
その音に花鶏も気付いたようだ、その視線が俺から離れた瞬間だった。
ざあ、と。一斉に浮かび上がった破片たちはその鋭い先端を花鶏に向けた。
「これは……また面妖な。準一さん、こんなことも出来るようになったのですか」
正直、俺も自分で驚いてる。
こんな化物染みた能力を使えるようになったことと、想像以上の疲労感に。
「……花鶏さん、早く退いて下さい」
でなければ、これ以上この破片を空中に止めていられる自信がない。
苛つきと疲労で青褪める俺に花鶏は笑う。
「これは貴方に対して考え改めなければなりませんね」と、静かに。
部屋の奥、壁にくっつくようにして配置された子供用のベッドと、その隣においてある小さな机。
その机にはいくつか引き出しも取り付けられている。
どちらも薄汚れてはいるが、アンティークと呼べるほどのものでもない。
リサイクルショップで特価で並んでいても違和感のないくらいのそれに、ここの部屋の持ち主を想像してみる。恐らく俺が生まれる前くらいの子供だろう。
性別はわからない。
けれど、と机の前にやってきた俺は引き出しを開けた。
入っていたのは端切れだった。
黒、茶色、赤、肌色、オレンジ。フェルト生地のそれには見覚えがあった。藤也の持っていた人形だ。
全て、あの人形を形成していた端切れと一致する。
ということは。
あの時の少年の姿が脳裏を過る。
俺は他の引き出しも開いた。
『初めてのフェルト人形』という手芸に関する本が出てきた。何度も読んだのだろう。ヨレヨレになったその本はとあるページにのみ折り目が付けられていて、ページを開いた俺は確信する。
そのページはあの人形と同じぬいぐるみの作り方が書かれていた。
完成図の写真には、色は違えど同じ型の男の子の人形が写っていた。
「……」
ということは、やはりここはあの少年の部屋だということか。
でも、それがわかったところでどうしようもない。
他に、なにかないだろうか。俺はその下の引き出しに手を伸ばした。
今思えば、この時点で止めておけばよかったと思う。
ここから先は誰のことも関係ない、俺の好奇心による行動だ。
あの少年のことが知りたい。
藤也たちがあの人形に固執する訳を、知りたい。
そう掻き立てられてしまった俺のエゴだ。
頭では理解できていても、自分を止めることが出来なかった。
「……これ、は」
一番大きな最下部の引き出しには、教科書や色々なものが詰め込まれていた。
それ全てを取り出し、机の上に広げる。
教科書やノート、その名前欄にはどれも同じ名前が記入されていた。
『嘉村義人』……カムラヨシト。
詰め込まれた教科書から推測するに学年は中学二年生。
だけど、待てよ。俺の現れたあの少年が嘉村義人だとすれば、おかしい。あいつはどうみても小学生、それも低学年だ。到底中学生には見えなかった。
俺の考え方が間違っているのか、それとも他に何かを見落としているのか。もう一度引き出しの中身を探る。
修学旅行の栞、小学校の頃の卒業アルバム、そして教科書。
特にひっ掛かるものはなかった、けれどこれを見れば一番早い。俺は卒業アルバムを手に取る。
あまり開いていないようだ、小綺麗なそれの表紙に目を向ける。約二十年前のもののようだ。
となると、卒業した時点で十二歳だから今は……。
そこまで考えて思考停止する。ここにこれがあるということからして今の年齢は考えるだけ無駄だ。
俺は嘉村義人の写真を探す。
結論から言えば、嘉村義人の写真はすぐに見つかった。
けれど、肝心の顔の部分の色が薄くなっていて見えない。
辛うじて輪郭がわかるが、顔の造形などは全くわからなくて。
それよりも、気になるものを見付けた。
嘉村義人と同じクラスメートたちの顔写真がずらりと並ぶ中、二人の男子生徒に目を向ける。
『伊塚幸喜』と『北条藤也』。
顔写真は昔のものとは言えパーツから全て違うし、恐らく他人だろう。それにあいつらは双子だ、苗字が違うのも不自然だ。
けれど、それをただの偶然と片付けることが出来なかった。
どういうことなのだろうか、これは。
胸がざわつく。まるで自分が見てはいけないものを見てしまったかのような、そんな不安感が足元から襲ってきて。
笑顔で取っ付きやすそうな伊塚幸喜とは対照的に、北条藤也は冷たそうな雰囲気のする少年だった。顔そのものは違えど、雰囲気は二人によく似ていて。
余計、嘉村義人と二人の関係性がわからない。それ以上に、どうして嘉村義人の写真だけこんなに消えかけているのか。
顔写真、古くなったからとだけでは片付けようのない不自然なそれに指を伸ばした時。
「……やっぱり、手遅れだったな」
すぐ耳元で聞こえてきたその声に全身が跳ね上がる。咄嗟に振り返ろうとしたが、岩のように体が動かない。
掴まれているわけではない。けれど、自分の体の上に重く何かがのしかかってきているのだけはわかった。
「と、うや……?」
「準一さん、わざわざ見つけ出してくれたみたいだね。……ありかとう」
そう藤也に机の上に広げた卒業アルバムを取り上げられる。
咄嗟に取り返そうとするが、指先一本一本が鉛のように重くなり、動けなくなる。
なにかが異常だ。こびりついて離れない、この身に付き纏ううざったい感覚は恐怖によく似ている。
息が苦しい。
「だけど、気安く同調しすぎるのはよくない。……習わなかった?」
同調。確かに藤也はそういった。誰が、なにに。
声を上げ、聞き返そうとするが酸素を吸う度に穴という穴から水が流れ込んでくるようなそんな錯覚を覚える。溺れる。
「間抜け面」
こちらを見下ろしていた藤也はそう小さく吐き捨てる。
伸びてきた手に首根っこを掴まれ、無理矢理床へ放られる。
ろくに受け身もとることが出来ず、けれど、痛みも衝撃もなかった。
その代わり、体が軽くなる。否、全身に付き纏っていたなにかが引き剥がれたようなそんな感覚が襲ってきて。
その時だ、
『うわあああん!痛いよおお!』
すぐ傍で聞こえてきた泣き声に驚いて飛び上がる。
俺が振り返るよりも早く、藤也が動くのが早かった。俺のすぐ背後、いつの間にかに移動していた藤也は思いっきり床の上のなにかを踏みつける。それはこの間見た子供、いや、幼い嘉村義人で。
「おい、藤也、お前何して……ッ」
「同情するなよ、準一さん。優しくするな。依代が無くなったんだろ?……アンタが食われるぞ」
「な、なに……言って……」
意味がわからない。けれど、目の前で行われる幼児虐待を見過ごすことなんて出来なくて。
『嫌だ、助けて、助けてお母さんっ』
「藤也、止めろッ」
「うるさい!アンタには関係ないだろ!」
藤也が怒鳴ったことにも驚いたが、それ以上に、藤也の口からその言葉が聞けたことにより俺は確信する。
「……お前、そいつのこと知ってるのか?」
嘉村義人との関係を、藤也は認めた。
恐る恐る尋ねれば、押し黙る藤也は服の中から何かを取り出す。
それはカエルの死骸のようで。
「……すぐに取り戻すから、少しそれで我慢しろ」
その言葉が俺ではなく、嘉村義人に吐き出されたものだとすぐに気付く。
瞬間、藤也の下にあった嘉村義人の体は消え、その代わり、ひっくり返ったままぐったりとしていたカエルが動き出したときは目を疑った。
「藤也……今のって……っ」
「義人はあんたらでいうとこの死にかけ。……だから、他人から生気を奪うことで辛うじて姿を現す事が出来る」
「それって」
「悪霊。……コイツ自身それほどの力はないからどうでもいいんだけど。俺も、最近知ったばかりだったから」
「コイツがまだ生きてるって」そう呟く藤也はカエルを手に取る。
緊張していたカエルだったが、藤也に撫でられると心地よさそうに寛いでいた。
正直俺は虫や爬虫類が駄目なのだが、今はそんなことで驚いている場合ではない。
「ちょっと待てよ、依代って、まさか……あのぬいぐるみか?」
「そうだな。……だけど、あいつが壊したんだろう?」
「……っ、悪い」
「別にいい。あいつが考えることはわかるから。でも、あんたも一緒にいたお陰で一緒に燃え尽きずには済んだ」
「は?」
「……そう、義人が言ってる。ありがとうって」
「お人好し」と小さく唇が動く。
それは恐らく、嘉村義人の言葉ではないのだろうが。
燃え尽きずにってことは、あの時点で既に嘉村義人は俺に憑いていたというこだろうか。
そう考えると余計頭が混乱したけど、それでも、助けることが出来たのなら。
「……そうか」
よかった。
そう言っていいものかはわからない。けれど、多分、よかったのだろう。
ありがとうと言われるほどのことはしてないが、素直に受け取ることにする。
「なあ……藤也、お前とその、義人って……なんだ?」
他に言いようがなかったのかと自分でも思ったが、ないのだ。
単刀直入に尋ねてみれば、藤也は押し黙る。
なにかまずいことでも聞いてしまったのだろうか。
そう思った時だ。
「義人は、俺の……俺達の親だよ」
「…………はっ?!」
「………………」
「お、親……?」
ゲコ、と喉を鳴らす嘉村義人と目の前の藤也を見比べれば、藤也は面倒臭そうに「文句ある」と吐き捨てる。
いや、文句はないが、随分とお若いお父さんで……。
と口ごもっていた矢先だ。
何かが砕け散るような、凄まじい破壊音が屋敷内に響き渡る。
それは下の階の方からだった。
「今のって……」
「…………あの馬鹿が」
「は?……って、おい!藤也!」
肝心なことも聞き出せていないというのに、物音に反応した藤也はカエルもとい義人を机に乗せるなりそのまま部屋を飛び出す。
追い掛けようか迷ったとき、曇った眼でこちらを見詰めてくる義人と目があった。
ちなみに俺は爬虫類が嫌いだ。
半ば義人から逃げるように藤也の後を追い掛けることにする。
先程の凄まじい物音の正体はすぐにわかった。
ロビー。天井に吊り下げられていた豪奢なシャンデリアはワイヤーごとぶった切られて落下している。しかし、前回のようにその下に血まみれの幸喜はいない。
その代わりに……。
「な……南波さん、大丈夫ですかっ!」
佇む藤也の正面、全身ガラスの破片突き刺さってだらだら出血している南波に普通にビックリした。
それはやつも同じのようで。
「うっ、す、すみません!すみません!こんなお見苦しい姿を準一さんに……!」
「いっ、いや、そうじゃなくて……めっちゃなんか血が……」
「俺は全然大丈夫っすから!俺の心配までして下さりありがとうございます!すみません!ごめんなさい!シャンデリアも避けられない恥さらしですみません!」
どうやら今回シャンデリアの餌食になったのは南波のようだ。
それにしても出血しながらも痛くないという南波の精神力というかタフさには驚くが……今はそんなことに感心している場合ではないのだろう。
「おい藤也!てめえあの糞ガキどうにかしろ!いきなり俺の通行邪魔するとはどういう教育してんだよ!ぁあ?!」
「……幸喜はどこに行った?」
「あ?知らねえよ!この先の通路走ってたけど食堂にでもいるんじゃねえのか?」
藤也に凄まれ答える南波。
礼も言わずにそのまま通路へと向かう藤也。
「おいっ!てめえお礼ぐらい……」
「南波さん、お大事に」
「ああぁ、ありがとうございます準一さん!!これくらいの傷一秒で治してみせますので!!」
「お、おう……」
相変わらずコロコロ表情が変わる南波に戸惑わずにはいられないが、目を合わせただけでガタガタ震えていた頃に比べれば進歩だろう。それでも未だろくに目を合わせて一定の距離を空けなければ会話にならないのだから素直に喜ぶべきか謎だが。
というわけで、南波が回復してる隙を狙って俺も藤也の後を追い掛けたのだけれど。
食堂へと向かう途中、何かが陶器のようなものが砕けるような音が聞こえてくる。
嫌な予感がしながらも足を止めない藤也の後に続き、食堂までやってきた俺を迎えたのは砕け散った陶器の破片の上、座り込む花鶏だった。
「ああ……これはこの世に十二枚しかないスープ皿でしたのに……ああ……また尊い命が犠牲に……」
食堂には一人しくしくとわざとらしく泣き真似をする花鶏の姿しかなかった。
どうやらここも既に幸喜が去った後のようで。
恐らくこの砕け散った食器たちも幸喜の仕業なのだろう。食堂内は目の当てられない有り様になっていた。
「花鶏さん、幸喜は」
「この状況で皿のことに突っ込もうともしない藤也のこと、私は嫌いではないですよ」
「……」
「幸喜なら階段を上がっていきましたよ。あの方向には確か客室があるはずですが……」
そう花鶏が言い終わる前に、藤也は食堂を後にした。凄まじい速さだった。
続けて俺も出ていこうとした矢先だ、音もなく目の前に現れた花鶏に行く手を塞がれてしまう。
「あの、花鶏さん、今急いでんすけど」
「私はともかく皿の心配もしてくれないのですか、準一さんは……。悲しいですね、南波はあんなに心配していたというのに……」
「なんで知って……」
「藤也と一緒にいるお陰で感化されたのですか?ああ、これだから影響受けやすい若者は」
どうやら何も突っ込まない俺の態度が気に入らないらしい。
そんなことしてる場合ではないのだが、このままでは本当に出遅れてしまう。
というかまじでなんで知っているんだ。天井や壁に耳でも付いているのか。あながち有り得なくもないので余計怖いんだが。
「だ……大丈夫ですか」
「おや、皿よりも私のことを気にかけてくれるのですね。私はご覧と通り」
そう笑顔を浮かべる花鶏になんだか脱力してしまいそうになるが、これで文句はないはずだ。
「そうですか」とだけ言い残し、さっさと食堂を出ていこうとするが伸ばされた花鶏の腕にまた遮られて。
「ですが、あまり幸喜の状態がよろしくないようです。……準一さん、貴方何かしましたか?」
変わらない笑みを浮かべたままそう尋ねてくる花鶏。
その細められた目が、視線が、絡み付いてくる。
心当たりが動揺となって現れてしまったのだろう、押し黙る俺に花鶏は距離を詰めてきて。
「よろしければ教えて下さい」
「あの子と貴方の間に何があったのか」真正面、至近距離、後ずさる俺に鼻先を近づけてきた花鶏は静かにそう口にする。
こんなところで時間潰している場合ではないのだが、花鶏の細く長い指に肩を掴まれ、とうとう逃げられなくなる。
「なに、ほんの好奇心ですよ。あんなに狼狽える幸喜は初めて見たので今後の参考にしたいんです」
なので、そんなに怯えないで下さい。
そう耳元で笑う花鶏の声がやけにうるさく鼓膜に響いた。
「参考にって……あんた……っ」
数十分前、最後に見た幸喜の顔を思い出す。
幸喜の奇行が俺のせいだと言われているようで、実際そうなのだろうが面白半分で指摘されて愉快なわけがない。
咄嗟に、花鶏の腕を振り払おうとする。けれど、下手したら幸喜の手よりもか細いその手は絡み付いて離れない。
それどころか、
「それとも、お二人だけの秘密にするつもりですか?……つれない方ですね」
何をそんなに知りたがっているのかわからない。
それよりも。
「これは……俺とあいつの問題だ、あんたには関係ない」
花鶏の目が笑っていない。得体の知れないなにかが目の奥で揺らいだのが見え、寒気が走る。
だからか、絶対に花鶏には話したくない。その一心が、俺を意固地にさせた。
「おや……もしや、この間のことまだ根に持ってるんですか」
「あっ……あれは関係ない!」
「そんなこと言って、先程から私が動く度に筋が緊張しているの気づいてますか?」
これは誘導だ。関係のない話で狼狽させて付け込む気なのだ。花鶏の汚いやり口にはそろそろ慣れてきた。……と思う。
上の階からなにかが叩き割られるような音が聞こえてくる。
そうだ、こんなところで花鶏に足取られている場合ではない。
「……花鶏さん、放して下さい」
「ようやく話す気になりましたか?」
あまり、実力行使に出たくはなかった。
けれど、今は一分一秒すら惜しくて。
念じる。具体的なことは念じなかったけれど、それでも花鶏を止めるために俺は強く念じる。
「話しません」
そう言い切ったと同時に、ピシリと音を立て足元に散らばった白い破片たちが小さく動くのを俺は見た。
その音に花鶏も気付いたようだ、その視線が俺から離れた瞬間だった。
ざあ、と。一斉に浮かび上がった破片たちはその鋭い先端を花鶏に向けた。
「これは……また面妖な。準一さん、こんなことも出来るようになったのですか」
正直、俺も自分で驚いてる。
こんな化物染みた能力を使えるようになったことと、想像以上の疲労感に。
「……花鶏さん、早く退いて下さい」
でなければ、これ以上この破片を空中に止めていられる自信がない。
苛つきと疲労で青褪める俺に花鶏は笑う。
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