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I will guide you one person
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首輪を付けられ人にリードを握られるなんてのは俺にとって初めての体験であり、やはり、慣れない。
俺の首を絞めないよう気を遣ってくれているらしい南波は地雷を前にしたような顔で、その動きはあまりにもノロく、どんだけ危険物扱いなんだと呆れつつこのままでは埒があかないと判断した俺は「俺のことはいいんで普通に歩いていいですよ。こっちで歩幅あわせるんで」と声をかけることにした。
というわけで、ようやくナメクジのような動きをやめた南波とともに俺は屋敷を出た。
仲吉にいつでも会えるようあの崖上で待機したかったのだ。
途中余所見した南波のせいで木の枝にリードを引っ掻け死にそうになったりしながらも俺たちの行動範囲ギリギリのそこへと来たとき。
暗い闇の中、車を一台見つけた。それはいまはもう見慣れた仲吉の車で、『なんでこんなところにあるんだ』と辺りに探りを入れたとき。
その側の木陰にはぼんやりとした人影を見つけた。
――仲吉だ。木の幹に寄り掛かり、なにやら携帯電話を弄っている仲吉は俺に気付いていないらしい。
「なかよ……」
し。
そう声をかけようとして俺は自分の状況に気付いた。
嵌められた首輪にリードを握る南波。こんな姿を仲吉に見られたら。
そう考えたら全身から血の気が引いたが、無視するわけにもいけない。
「……」
こうなったらやけくそだ。
ぐっと唇を噛み、首を縛るそれを掴んだ俺はそのまま仲吉に歩み寄る。
「よう」
「おわっ!」
そう声をかければ、幹から体を離した仲吉は飛び上がり、呆れたようにこちらを見た。
そして俺の姿を確認するなり、頬を綻ばせる。
「って、なんだ準一かよ。びびったー」
「来てたんならあっちで待っとけばよかっただろ」
「いや、あー、うん。……ちょっとな、心の準備が」
言いながら、仲吉は脇に抱えていたバッグを持ち上げ、立ち上がる。
風のない深夜の森の中。仲吉の動きに合わせて近くの草むらがガサリと揺れる。
この暗さだ。どうやら仲吉には首輪が見えていないらしい。ほっとすると同時になんとなく歯切れが悪い仲吉に嫌なものを感じた。胸が小さくざわつく。
「奈都の彼女のことでなんかあったのか?」
「……うーん、まあな」
渋い顔をして頷く仲吉に胸の中のもやもやはハッキリとした不穏なものに変わる。
顔を引き締めた俺は「どうした」と問い掛ければ、顔を上げた仲吉はきょろりと辺りを見渡した。
「な、準一。今さ、奈都どこにいんの?」
「奈都?屋敷じゃないのか?……まだ会ってないな」
思い出しながら答えれば、ほっと息を吐いた仲吉は「そっか、ならよかった」と小さく呟いた。
よかった――確かに仲吉はそう言った。
「どういう……」
意味だ。そう仲吉を見たときだった。
バッグからなにかを取り出した仲吉はそれを俺に押し付けた。それは、数枚の用紙が入ったファイルのように見える。
「見ろよ」と仲吉。促され、小さく頷いた俺は用紙を取り出し、それに目を通した。
仲吉から手渡されたそれは新聞の記事をコピーしたもののようだった。仲吉の携帯の灯りを頼りに記事に目を走らせる。
まず目についたのは『幽霊の仕業か?肝試しの学生、崖から転落』という俗物的な見出しだった。
発行日は約二年前の冬。事故が起きたのはこの付近で、これがなにを表しているのか気付くのは然程時間はかからなかった。決定的な確信をしたのは被害者の欄に見慣れた名前を見つけたからだ。
『崖から墜落した奈都知己は着地時に頭蓋骨を骨折し、即死。一緒にいた志垣真綾も重体で急遽病院へ搬送されたが搬送途中死亡が確認された。』
無味乾燥などこか冷たい文字の羅列に俺は背筋がじんわりと冷たくなるのを感じた。
「奈都知己って、これ、もしかして」
「場所もここだし、奈都で間違えないだろ。……ほら、ここ」
そういって記事を覗き込む仲吉は志垣真綾の名前をなぞる。
シガキマアヤ。つい最近聞いたことのある名前だと思ったら、奈都の彼女で間違えないようだ。
「病院に搬送されたが、数時間後……」
そう、改めて事実を確認した上で再度文字に目を走らせた俺はいいかけて、言葉を飲み込んだ。
「っ……仲吉」
眉を寄せ、仲吉の顔を見れば仲吉は困ったように眉を寄せ、そして小さく息をついた。
「流石にこれ、本人に伝えんのはまずいだろ」
「じゃあ、なんだよ。……このこと、奈都に言わないつもりか?」
「いやいやいや言わない方がいいだろ、普通に考えて。わかんなかったって俺から謝っとくから、準一も黙っとけよ」
まさか仲吉がそんな提案をしてくるとは思わなくて、確かにショックな内容だが奈都の求めていた事実には違いない。そう考えていた俺は呆れたように仲吉を睨む。
「そんなの、駄目だろ。頼まれたんだから、奈都にはちゃんと言わないと……あいつだって、事故って死んだ時点で最悪の想定は出来てるはずだ。わかってくれるよ」
「確かにそうかもしれないけどなぁ、準一。準一が言ってる意味もわかるけど、あいつが準一と同じ考えとは限らないだろ。もし、奈都が彼女は生きていると信じている場合はどうすんだよ」
「でも、このまま放っておくのも……」
「だから言ってんだろ。俺が言うって。なんなら、彼女は元気に暮らしているって言うよ。それならいいだろ、なあ」
仲吉なりに奈都のことを思ってくれているのは痛いほどわかった。
多少強引だが、基本は困ったやつは見過ごせないようなお人好しだ。
だから、相手を悲しませるようなことをしたくないのだろう。
やつの性格は嫌いではないし寧ろ好きなのだが、それが本当に奈都の求めているものかどうかと考えれば簡単に頷けなくて。
押し黙る俺に対し、不安そうな顔をした仲吉は「準一」と促してくる。
「わかってる、わかってるけど……」
「準一はなにも心配しなくていい。俺がちゃんとやるから」
「だから、安心していいからな」そう、俺の肩を掴んでくる仲吉の手の感触に驚いて顔を上げれば目が合った。
そこにいつもアホみたいな顔をした仲吉はいなくて、目の前にはいつになく真剣な仲吉がいた。
自分が弱っていたからか、なんとなく仲吉が眩しく見えてつい目を逸らしてしまう。
心はまだ、本当に仲吉に任せていいのだろうかと迷っていて、それを相手の勢いに気圧された俺は「わかった」と小さく頷いた。仲吉の顔に安堵の色が浮かぶ。
「取り敢えずこれは俺が外で処分しとくから。奈都には『やっぱり見つからなかった』って言っとくし口裏合わせといてくれよ」
「あぁ」
「それじゃあ、屋敷に行くか」
そう、気を取り直した仲吉がいつもと変わらない朗らかな笑みを浮かべたときだった。
バッグへと仕舞おうとしていた新聞のコピーが、仲吉の手の中から消える。
音もなく消えたコピー用紙に「あれ?」と目を丸くさせ自分の手を見る仲吉のその背後。確かにその影は動いた。
「なーんか、面白そうなこと聞いちゃった」
直後、すぐ耳元で聞き覚えのある声が聞こえる。
明るく軽薄に弾んだその声にさっと青ざめた俺は慌てて振り返り、そして目を見開いた。
「幸喜……っ」
背後に立つ幸喜は俺の言葉ににこりと笑う。その手には仲吉がコピーしてきた例の新聞記事。
青ざめる俺とは対照的に「幸喜?」と不思議そうな顔をする仲吉にはどうやら幸喜の姿は見えていないようだ。ならば、代わりに取り返すしかない。
歯を噛み、目の前で笑うやつを睨む。
「おい、それ返せよ」
「しかしまー準一たちってば俺に秘密でこんな面白そうなことするなんてずるくね?つーかハブ?仲間外れすんなよ、悲しいじゃん!」
「いいから返せって!」
相変わらず茶化してくる幸喜に苛ついて怒鳴れば、幸喜は口に手をあて「うわ、準一が怒ったー!」と驚いた真似をする。
それも一瞬。
「準一がぁそんな風に言うんならもういいや、奈都に見せてこよーっと」
「おい待てって!幸喜!」
「っ、準一さん!」
拗ねたように唇を尖らせ、姿を消そうとする幸喜を追い掛けようとしたとき慌てたような南波の声が聞こえた。
それでも構わず幸喜の薄い肩を掴もうと手を伸ばしたときだ。
「仲吉ガード!」
いきなり立ち止まったと思った矢先、いいながら幸喜は突っ立っていた仲吉を引っ張る。
勝手に動く体に「へ?」と目を丸くした仲吉。
いきなり目の前に現れた仲吉にぎょっとした俺は慌てて止まろうとしたが、あまりにも近すぎた。
そして次の瞬間、ごちんと骨同士がぶつかり合う。唇には、柔らかい感触。
「~~っ!」
「あはははっ!ちゅーだ、ちゅー!」
暗闇の中に響く笑い声。咄嗟に仲吉の肩を掴み、引き離した俺は舌打ちをし声の聞こえる方を見たが一歩遅かった。
幸喜の姿は闇に消える。
幸喜がいなくなり、辺りに静寂が戻る。小さく舌打ちをした俺は仲吉を掴んでいることに気付き「わり」と慌てて手を放した。
しかし、返事はない。
「おい、大丈夫か?」
「……」
「仲吉?」
まさか、痛かったのだろうか。痛覚が存在しない自分ならともかく仲吉は生身の人間だ。
心配になって仲吉の顔を覗き込めば、びくっと目を見開いた仲吉は慌てて俺から離れる。
「ゃ、大丈夫……です……」
そして、口を押さえたまま仲吉は目を逸らした。
なんで敬語だ。
「準一さん!大丈夫すか!」
あまりにも様子が可笑しい仲吉に戸惑っていると、リードを手にした南波が駆け寄ってくる。
「ん、まあ」と頷き返し、改めて仲吉に向き直った。
「おい仲吉。とにかく幸喜を追い掛けるぞ」
「へ?幸喜?」
「化けたあいつが新聞持っていったんだよ、ぜってえ奈都に見せるつもりだ……っ」
そう吐き捨てれば、ようやく事態が飲み込めたようだ。
「まじで?」と目を丸くする仲吉に俺は頷き返す。
「まじだよ。だからほら、取り敢えず行こうぜ」
「わ、わかった……」
このままじゃ、せっかく奈都を心配する仲吉の気遣いが台無しだ。
なんとしてでも取り返さなければ。
そう決意した俺は早速幸喜を捕まえるためにまず奈都がいそうな場所を当たることにした。
そして奈都を探すため、俺たちは屋敷まで戻ってきた。
瞬間移動出来ればすぐなのだが、拘束する首輪が邪魔で諦める。
幽霊屋敷、奈都の部屋の前。
どこか様子が可笑しい仲吉の代わりに扉を軽く叩けば、乾いた音が響く。
「奈都、俺だ。入ってもいいか」
返事は返ってこない。
このままじゃ仕方ないので俺は「入るぞ」と小さく呟き、そのまま扉を開いた。
その先には、薄暗い闇が広がっていた。
簡易ベッドがひとつ。
それと、その側には一人用のテーブルがあり、花瓶には花が生けられていた。
質素だが、混沌した幸喜たちの部屋やなにもない俺の部屋よりかは幾分ましだろう。
一歩足を踏み入れ、部屋を見渡したとき。
不意に、廊下の外から物音が聞こえてきた。
「準一さん、奈都がいました」
そう声をかけてきた南波。
慌てて部屋を出た俺は、南波が指差す方へと向かう。
長い長い廊下の突き当たり。
月明かりが射し込む窓の前、奈都はいた。
「奈都、丁度よかった」
「どうしたんですか、皆さん揃って」
俺の声に反応し、こちらを振り返る奈都は少し驚いたような顔をする。
よかった、まだ幸喜に会っていないらしい。安堵した俺は奈都に歩み寄った。
「いや、別にどうしたってわけじゃないんだけど」
どう続ければいいかわからず、そう口ごもったときだった。
「……どうしたわけじゃない?」
獣が唸るような低い声。
先ほどまで柔和だった奈都の表情が一瞬にして険しくなる。
「準一さんにとってどうしたってわけじゃないんですか、これは」
なにか不味いことでも言ってしまったのだろうか。
ずいっと詰め寄ってくる奈都は上着からとある用紙を取り出し、それを俺に叩き付ける。
慌てて受け取り、その用紙に目を向けた俺は青ざめた。
「奈都、これ……」
「そうですよね、準一さんからしてみたら所詮他人事ですもんね。僕の大切な人が死んでも、それは準一さんにとって痛くも痒くもないですしね。そうですよね、それが普通の反応ですよね。僕だけが一人勝手に舞い上がってたみたいですね、お見苦しい姿を見せてしまい申し訳ないです」
「無駄な手間を掛けさせてしまいすみません」あくまでも丁寧な口調で続ける奈都だがその言葉には触れたら切れてしまいそうなくらいの棘が含まれていて、こちらを睨む薄暗い瞳に俺は言葉を無くした。
一歩、遅かった。
グシャグシャになった新聞記事のコピーを握り締め、俺は奈都の背後に目を向ける。
奈都の影に佇む幸喜は俺と目をあわせるなりくすくす笑いながら手を振ってきた。
――本当、間が悪い。
「悪い、今のは俺が悪かった」
アクシデントに慣れていない自分が面白いくらいあたふたしているのがわかった。それ以上、言葉が出ないのだ。
奈都に隠そうとしたのは事実だし、奈都に手渡ったコピーも事実だ。
今、なにを言ったところですべて墓穴に繋がりそうな気がして。それ以上に、奈都の態度がショックで。
「謝らなくていいですよ。準一さんはなにも悪くないんですから。わかってますよ、そのくらい。……わかってます」
口ごもる俺に、奈都は眉を寄せる。切羽詰まった声。奈都も奈都で動揺しているのだろう。
幸喜が奈都になにを吹き込んだかはわからなかった。
しかし、事実を膨張させあることないこと口にしたのは大体想像つく。
「ごめんなさい、迷惑かけて」
苦虫を噛んだみたいに顔を歪める奈都はそう頭を下げ、そのまま俺たちの脇を通り抜けようとする。
「奈都」
そう、慌てて奈都を呼び止めようとしたとき、伸ばした手を振り払われた。
「……すみません、一人にさせて下さい」
じゃなきゃ、準一さんたちに八つ当たりをしてしまいそうで怖いんです。
奈都はそう泣きそうな声で呟いた。
そんなことを言われれば無理に呼び止めることができるはずがなく、奈都から手を引いた俺の前を奈都は颯爽と立ち去る。
「……あーあ、泣いちゃった。カワイソ」
「幸喜、てめえ」
奈都がいなくなったのを確認するかのようにぐるりと視線を巡らせた幸喜は俺を見るなりくすくすと笑い出す。
あまりの不快さに幸喜を睨めば、「そんなに見詰めないで」と肩を竦めた。
「なに言ったんだよ、あいつに」
「なにも、『準一たちがこれを持ってた』って言っただけだよ?」
「本当かよ」
それだけであんなに奈都が不機嫌になるはずがない。
そう勘繰るように目を細めればとぼけたように上目遣いをする幸喜は「ああ、あと」と思い出したように口を開く。
「彼女は散々苦しんで死んじゃったのにお前だけ即死ってずるいよな、って」
頭に血が昇るのが自分でもわかった。
全身の血が煮えたぎり、気付いたときには体が勝手に動いていた。華奢な幸喜の胸ぐらに手を伸ばせば呆気なく捕まった幸喜をそのまま強引に引き寄せる。
至近距離。鼻と鼻がぶつかりそうなくらい顔を近付け、やつの胸ぐらを掴み上げれば幸喜は楽しそうに笑いながら俺の首に繋がったリードを掴んだ。
そのときだった。
「おい、落ち着けって、準一っ」
背後から伸びてきた手に腕を掴まれ、そのまま幸喜から引き離すように羽交い締めにされる。
――仲吉だ。
「離せよ、仲吉」
捕まる俺にくすくす笑う幸喜にぶち切れそうになって、そのまま蹴り入れようとすれば後退した幸喜はあっさりとかわす。
「準一ってほんと、変わってるよね。なんで準一がムキになるわけ?奈都ならともかくさぁ」
「お前がムカつくからに決まってんだろ」
「ひっどいなあ。藤也のことは大好きなくせに」
「は……っ」
あまりにも脈絡のない幸喜の言葉に、思わず声を荒げそうになり自分がやつのペースに引き込まれそうになっているのに気付き、言葉を飲んだ。
「そーいうさ、差別っていうの?よくないよ。俺悲しくなっちゃうし」
そうさも悲しがるような素振りを見せるわけでもなく幸喜は変わらない笑みを浮かべたまま。
「藤也も俺と一緒なんだから」
「今、あいつは関係ないだろ」
そう怒鳴れば、僅かに眉を下げた幸喜は笑い「どうだろうね」と呟く。
「準一、お前どうしたんだよ。さっきから」
仲吉の腕を振り払い、一発だけでもいいから幸喜をぶん殴ってやろうと思ったとき今度は手首を掴まれ引き留められる。
「どうって、わかんねえのかよ」
「だから、なにが」
「幸喜のやつが、奈都に……っ」
「幸喜?幸喜がいんのか?」
「いるだろ、目の前に!」
とぼけてんのかと掴みかかりそうになるのを必死に堪え声を荒げれば、俺が指差した方向に目を向ける仲吉。
しかし、不可解といった表情は変わるどころか解消されず。おずおずと仲吉は俺を見た。
「……誰も見えないんだけど」
その一言につられるように幸喜に目を向ければ、すでにそこに人影すらなくやつの気配はなくなっていた。
――あの野郎。
腸が煮えくり返るのを感じながら舌打ちした俺は苛々を堪えることが出来ず、近くの樹を蹴り上げる。
「ひっ」と側で南波が小さな悲鳴を上げるのを聞きながら俺はざらざらと鳴る葉音が響く薄暗い森の中、これからどうするか思案した。
これから自分はどうしたらいいのか。
奈都からの依頼である志垣真綾の安否を調べるということは果たした。結果がどうであれ、やることはやった。
頭では理解していたが、どうしても去り際の奈都の泣きそうな顔を思い出してしまい胸がつっかえる。
こんなのって、どうなんだ。このまま知らんぷりなんて出来るわけがないだろう。だとしたらどうする。幽霊になった志垣真綾を探し出すか?そして奈都と会わせて願いを叶えさせるか?
そんなことも考えてみたが、まずこの山の外にいるであろう彼女を探し出すことが困難だろう。
それに、探し出したとしても彼女が奈都に会いたがるかどうかもわからないし、最悪、俺たちみたいこの世に留まっているかすらも怪しい。
つまり、俺たちに出きることはなにもなくなった。
一つを除いて。
「……」
「……」
「……」
――屋敷内、俺の部屋にて。
リードを持っている南波は好きに行動できるはずなのに何故こいつは自ら俺の部屋に足を運ぶのだろうか。ここ最近俺と一緒に行動していたお陰で俺の部屋を自分の部屋と勘違いしてないだろうか。
なんて疑問に思いながら思案に耽ていると、ふと仲吉と目があった。
「なに」
「え、あ、いや……」
すぐ目を逸らされる。
不自然に動揺する仲吉を訝しげに思いつつ「なんだよ」とちょっと強い口調で問いただせば逸らされた仲吉の目は再度俺を見た。そしてゆっくりと下ろされる。
「……つかさ、お前、なんで首輪つけてんの?」
忘れてた。
「は、なにが」
あまりにも突然の問い掛けに動揺のあまりしらばっくれる俺。
自分の首に触れれば、皮膚に食い込む革製の輪の感触が。
「いや、ほら、なんかついてるし」
「リード?」と不思議そうな顔をして南波が持つリードを引っ張る仲吉。
拍子に首が絞められ「っあ」と喉から声が漏れた。
「っおい、ばか、引っ張るなってば……っ!」
「ほら、やっぱり首輪じゃん。……なにこれ?幽霊になるとこういうの特典についてくるわけ?」
「てめえ勝手に触ってくんじゃねえ」と怒鳴る南波の声が届いていない仲吉はくいくいとリードを操りながら興味津々になって尋ねてくる。なんか妙に鼻息が荒い。思わず後ずさった。
「そうだよ、だから離せ。この首輪が外れたら俺がダメージ受ける」
本当は花鶏の悪趣味な戯れなのだがわざわざそんなこと言って俺まで同類扱いされたら堪ったものではない。
適当に答えてみるが、まあ、嘘ではない。ダメージ受けるし。
仲吉にもその発言の効果があったらしく、慌ててリードから手を離した仲吉は「ごめんな」と不安そうに眉を垂れさせた。
「別に外れたらだからいい。……それより、お前いつまでここにいるつもりだよ」
首に絡み付く首輪を調節しながら俺は個室についた窓に目を向ける。
先程まで塗り潰したような黒が広がっていた空は僅かに明るくなっていた。つられて窓を見た仲吉は小さく欠伸をする。
「いやさ、実は旅館の門限ギリギリでこっちまで来ちゃったから六時になるまで入れないんだよね」
「じゃあ車で寝たらいいだろ」
「えー、だって車場荒らしとかいたらこえーじゃん」
オカルトグッズで溢れたお前の車のがこえーよと言い返したくなるのをぐっと堪え、俺は仲吉に目を向けた。何か期待するようにこちらを見返してくる仲吉。
まさか、こいつ。
「なあなあ準一、六時まででいいからここで休ませ「ダメ」っえぇ!即答かよ!」
ほらみろ嫌な予感がした傍からこれだ。
拗ねたように顔を赤くする仲吉は「いいじゃんケチ」と声を荒げた。
まあ確かに仲吉も眠たそうだし、わざわざこんな時間帯に山へ出させたのも元はと言えば俺だ。
だけど、この屋敷には車場荒らしなんかよりも面倒なやつが沢山いる。
恩人の仲吉だからこそ、それだけは避けたかった。
しかし、仲吉も仲吉で頑固なやつだった。
「なんでだよ、いいじゃん」
「すきま風あるし、お前が寝たら潰れるようなベッドしかないぞ」
「俺床でも寝れるよ!」
「大体、虫とかどっから涌いてくるかわからないし」
「準一じゃないから俺虫平気だし」
ああいえばこういう仲吉はそう言ってヘラヘラと笑う。
こいつ、人の気もしらないで。
「大体なあ、お前……」
ここがどういう場所かわかっているのか。そう問い質そうと仲吉を振り返ったときだった。
ふわりと生暖かい風が巻き、花の匂いを鼻腔が感じた。
そして、瞬きをした次の瞬間目の前にそいつは立っていた。
「おや、いいじゃないですか。私は大歓迎ですよ、仲吉さん」
「あとりんさん!」
鼓膜に染み付いて離れないその艶かしい声に眉を寄せた俺は音もなく現れた花鶏を睨む。
目があって花鶏は静かに微笑んだ。
「寝床なら私が用意しましょう。ちょうど一台ベッドがあるんですよ」
それってもしかして前言っていたおんぼろベッドのことじゃないのか。
花鶏に目を向ければ俺の疑問を汲み取ったようだ。「この間掃除したんですよ、南波が」と付け足す。花鶏にこき使われてる南波が安易に瞼裏に浮かぶ。南波に同情せずにはいられなかった。
「まじっすか。ほら、準一!あとりんさんもいいっていってるじゃん」
「そうですよ、準一さん。一晩くらい良いじゃないですか」
「あなただって本当は嬉しいんでしょう。仲吉さんがいてくださるのが」含み笑いを浮かべる花鶏に、俺は顔が熱くなるのを感じた。
無意識に舌打ちが出る。
「花鶏さんには関係ないでしょう。俺たちの問題に口を挟まないでください」
「そんな寂しいこと言わないでください。せっかく生身のお方と知り合えたんですから色々話を聞きたいんですよ」
「まあ、これは私と彼の問題なのですからもちろん貴方は口を挟まないですよね」うっすらと笑う花鶏は唇を歪める。
ああ言えばこう言う花鶏。
「そーそー」と隣で頷く仲吉を誰のために言ってるんだとド突きたくなるのを必死に堪える。
しかし、思ったよりも自分は短気だったようだ。
「じゃあもう勝手にしろ!」
能天気で興味好奇心で行動する仲吉に我慢出来ず、気がついたら自分の口からそんな言葉が出た。
俺の首を絞めないよう気を遣ってくれているらしい南波は地雷を前にしたような顔で、その動きはあまりにもノロく、どんだけ危険物扱いなんだと呆れつつこのままでは埒があかないと判断した俺は「俺のことはいいんで普通に歩いていいですよ。こっちで歩幅あわせるんで」と声をかけることにした。
というわけで、ようやくナメクジのような動きをやめた南波とともに俺は屋敷を出た。
仲吉にいつでも会えるようあの崖上で待機したかったのだ。
途中余所見した南波のせいで木の枝にリードを引っ掻け死にそうになったりしながらも俺たちの行動範囲ギリギリのそこへと来たとき。
暗い闇の中、車を一台見つけた。それはいまはもう見慣れた仲吉の車で、『なんでこんなところにあるんだ』と辺りに探りを入れたとき。
その側の木陰にはぼんやりとした人影を見つけた。
――仲吉だ。木の幹に寄り掛かり、なにやら携帯電話を弄っている仲吉は俺に気付いていないらしい。
「なかよ……」
し。
そう声をかけようとして俺は自分の状況に気付いた。
嵌められた首輪にリードを握る南波。こんな姿を仲吉に見られたら。
そう考えたら全身から血の気が引いたが、無視するわけにもいけない。
「……」
こうなったらやけくそだ。
ぐっと唇を噛み、首を縛るそれを掴んだ俺はそのまま仲吉に歩み寄る。
「よう」
「おわっ!」
そう声をかければ、幹から体を離した仲吉は飛び上がり、呆れたようにこちらを見た。
そして俺の姿を確認するなり、頬を綻ばせる。
「って、なんだ準一かよ。びびったー」
「来てたんならあっちで待っとけばよかっただろ」
「いや、あー、うん。……ちょっとな、心の準備が」
言いながら、仲吉は脇に抱えていたバッグを持ち上げ、立ち上がる。
風のない深夜の森の中。仲吉の動きに合わせて近くの草むらがガサリと揺れる。
この暗さだ。どうやら仲吉には首輪が見えていないらしい。ほっとすると同時になんとなく歯切れが悪い仲吉に嫌なものを感じた。胸が小さくざわつく。
「奈都の彼女のことでなんかあったのか?」
「……うーん、まあな」
渋い顔をして頷く仲吉に胸の中のもやもやはハッキリとした不穏なものに変わる。
顔を引き締めた俺は「どうした」と問い掛ければ、顔を上げた仲吉はきょろりと辺りを見渡した。
「な、準一。今さ、奈都どこにいんの?」
「奈都?屋敷じゃないのか?……まだ会ってないな」
思い出しながら答えれば、ほっと息を吐いた仲吉は「そっか、ならよかった」と小さく呟いた。
よかった――確かに仲吉はそう言った。
「どういう……」
意味だ。そう仲吉を見たときだった。
バッグからなにかを取り出した仲吉はそれを俺に押し付けた。それは、数枚の用紙が入ったファイルのように見える。
「見ろよ」と仲吉。促され、小さく頷いた俺は用紙を取り出し、それに目を通した。
仲吉から手渡されたそれは新聞の記事をコピーしたもののようだった。仲吉の携帯の灯りを頼りに記事に目を走らせる。
まず目についたのは『幽霊の仕業か?肝試しの学生、崖から転落』という俗物的な見出しだった。
発行日は約二年前の冬。事故が起きたのはこの付近で、これがなにを表しているのか気付くのは然程時間はかからなかった。決定的な確信をしたのは被害者の欄に見慣れた名前を見つけたからだ。
『崖から墜落した奈都知己は着地時に頭蓋骨を骨折し、即死。一緒にいた志垣真綾も重体で急遽病院へ搬送されたが搬送途中死亡が確認された。』
無味乾燥などこか冷たい文字の羅列に俺は背筋がじんわりと冷たくなるのを感じた。
「奈都知己って、これ、もしかして」
「場所もここだし、奈都で間違えないだろ。……ほら、ここ」
そういって記事を覗き込む仲吉は志垣真綾の名前をなぞる。
シガキマアヤ。つい最近聞いたことのある名前だと思ったら、奈都の彼女で間違えないようだ。
「病院に搬送されたが、数時間後……」
そう、改めて事実を確認した上で再度文字に目を走らせた俺はいいかけて、言葉を飲み込んだ。
「っ……仲吉」
眉を寄せ、仲吉の顔を見れば仲吉は困ったように眉を寄せ、そして小さく息をついた。
「流石にこれ、本人に伝えんのはまずいだろ」
「じゃあ、なんだよ。……このこと、奈都に言わないつもりか?」
「いやいやいや言わない方がいいだろ、普通に考えて。わかんなかったって俺から謝っとくから、準一も黙っとけよ」
まさか仲吉がそんな提案をしてくるとは思わなくて、確かにショックな内容だが奈都の求めていた事実には違いない。そう考えていた俺は呆れたように仲吉を睨む。
「そんなの、駄目だろ。頼まれたんだから、奈都にはちゃんと言わないと……あいつだって、事故って死んだ時点で最悪の想定は出来てるはずだ。わかってくれるよ」
「確かにそうかもしれないけどなぁ、準一。準一が言ってる意味もわかるけど、あいつが準一と同じ考えとは限らないだろ。もし、奈都が彼女は生きていると信じている場合はどうすんだよ」
「でも、このまま放っておくのも……」
「だから言ってんだろ。俺が言うって。なんなら、彼女は元気に暮らしているって言うよ。それならいいだろ、なあ」
仲吉なりに奈都のことを思ってくれているのは痛いほどわかった。
多少強引だが、基本は困ったやつは見過ごせないようなお人好しだ。
だから、相手を悲しませるようなことをしたくないのだろう。
やつの性格は嫌いではないし寧ろ好きなのだが、それが本当に奈都の求めているものかどうかと考えれば簡単に頷けなくて。
押し黙る俺に対し、不安そうな顔をした仲吉は「準一」と促してくる。
「わかってる、わかってるけど……」
「準一はなにも心配しなくていい。俺がちゃんとやるから」
「だから、安心していいからな」そう、俺の肩を掴んでくる仲吉の手の感触に驚いて顔を上げれば目が合った。
そこにいつもアホみたいな顔をした仲吉はいなくて、目の前にはいつになく真剣な仲吉がいた。
自分が弱っていたからか、なんとなく仲吉が眩しく見えてつい目を逸らしてしまう。
心はまだ、本当に仲吉に任せていいのだろうかと迷っていて、それを相手の勢いに気圧された俺は「わかった」と小さく頷いた。仲吉の顔に安堵の色が浮かぶ。
「取り敢えずこれは俺が外で処分しとくから。奈都には『やっぱり見つからなかった』って言っとくし口裏合わせといてくれよ」
「あぁ」
「それじゃあ、屋敷に行くか」
そう、気を取り直した仲吉がいつもと変わらない朗らかな笑みを浮かべたときだった。
バッグへと仕舞おうとしていた新聞のコピーが、仲吉の手の中から消える。
音もなく消えたコピー用紙に「あれ?」と目を丸くさせ自分の手を見る仲吉のその背後。確かにその影は動いた。
「なーんか、面白そうなこと聞いちゃった」
直後、すぐ耳元で聞き覚えのある声が聞こえる。
明るく軽薄に弾んだその声にさっと青ざめた俺は慌てて振り返り、そして目を見開いた。
「幸喜……っ」
背後に立つ幸喜は俺の言葉ににこりと笑う。その手には仲吉がコピーしてきた例の新聞記事。
青ざめる俺とは対照的に「幸喜?」と不思議そうな顔をする仲吉にはどうやら幸喜の姿は見えていないようだ。ならば、代わりに取り返すしかない。
歯を噛み、目の前で笑うやつを睨む。
「おい、それ返せよ」
「しかしまー準一たちってば俺に秘密でこんな面白そうなことするなんてずるくね?つーかハブ?仲間外れすんなよ、悲しいじゃん!」
「いいから返せって!」
相変わらず茶化してくる幸喜に苛ついて怒鳴れば、幸喜は口に手をあて「うわ、準一が怒ったー!」と驚いた真似をする。
それも一瞬。
「準一がぁそんな風に言うんならもういいや、奈都に見せてこよーっと」
「おい待てって!幸喜!」
「っ、準一さん!」
拗ねたように唇を尖らせ、姿を消そうとする幸喜を追い掛けようとしたとき慌てたような南波の声が聞こえた。
それでも構わず幸喜の薄い肩を掴もうと手を伸ばしたときだ。
「仲吉ガード!」
いきなり立ち止まったと思った矢先、いいながら幸喜は突っ立っていた仲吉を引っ張る。
勝手に動く体に「へ?」と目を丸くした仲吉。
いきなり目の前に現れた仲吉にぎょっとした俺は慌てて止まろうとしたが、あまりにも近すぎた。
そして次の瞬間、ごちんと骨同士がぶつかり合う。唇には、柔らかい感触。
「~~っ!」
「あはははっ!ちゅーだ、ちゅー!」
暗闇の中に響く笑い声。咄嗟に仲吉の肩を掴み、引き離した俺は舌打ちをし声の聞こえる方を見たが一歩遅かった。
幸喜の姿は闇に消える。
幸喜がいなくなり、辺りに静寂が戻る。小さく舌打ちをした俺は仲吉を掴んでいることに気付き「わり」と慌てて手を放した。
しかし、返事はない。
「おい、大丈夫か?」
「……」
「仲吉?」
まさか、痛かったのだろうか。痛覚が存在しない自分ならともかく仲吉は生身の人間だ。
心配になって仲吉の顔を覗き込めば、びくっと目を見開いた仲吉は慌てて俺から離れる。
「ゃ、大丈夫……です……」
そして、口を押さえたまま仲吉は目を逸らした。
なんで敬語だ。
「準一さん!大丈夫すか!」
あまりにも様子が可笑しい仲吉に戸惑っていると、リードを手にした南波が駆け寄ってくる。
「ん、まあ」と頷き返し、改めて仲吉に向き直った。
「おい仲吉。とにかく幸喜を追い掛けるぞ」
「へ?幸喜?」
「化けたあいつが新聞持っていったんだよ、ぜってえ奈都に見せるつもりだ……っ」
そう吐き捨てれば、ようやく事態が飲み込めたようだ。
「まじで?」と目を丸くする仲吉に俺は頷き返す。
「まじだよ。だからほら、取り敢えず行こうぜ」
「わ、わかった……」
このままじゃ、せっかく奈都を心配する仲吉の気遣いが台無しだ。
なんとしてでも取り返さなければ。
そう決意した俺は早速幸喜を捕まえるためにまず奈都がいそうな場所を当たることにした。
そして奈都を探すため、俺たちは屋敷まで戻ってきた。
瞬間移動出来ればすぐなのだが、拘束する首輪が邪魔で諦める。
幽霊屋敷、奈都の部屋の前。
どこか様子が可笑しい仲吉の代わりに扉を軽く叩けば、乾いた音が響く。
「奈都、俺だ。入ってもいいか」
返事は返ってこない。
このままじゃ仕方ないので俺は「入るぞ」と小さく呟き、そのまま扉を開いた。
その先には、薄暗い闇が広がっていた。
簡易ベッドがひとつ。
それと、その側には一人用のテーブルがあり、花瓶には花が生けられていた。
質素だが、混沌した幸喜たちの部屋やなにもない俺の部屋よりかは幾分ましだろう。
一歩足を踏み入れ、部屋を見渡したとき。
不意に、廊下の外から物音が聞こえてきた。
「準一さん、奈都がいました」
そう声をかけてきた南波。
慌てて部屋を出た俺は、南波が指差す方へと向かう。
長い長い廊下の突き当たり。
月明かりが射し込む窓の前、奈都はいた。
「奈都、丁度よかった」
「どうしたんですか、皆さん揃って」
俺の声に反応し、こちらを振り返る奈都は少し驚いたような顔をする。
よかった、まだ幸喜に会っていないらしい。安堵した俺は奈都に歩み寄った。
「いや、別にどうしたってわけじゃないんだけど」
どう続ければいいかわからず、そう口ごもったときだった。
「……どうしたわけじゃない?」
獣が唸るような低い声。
先ほどまで柔和だった奈都の表情が一瞬にして険しくなる。
「準一さんにとってどうしたってわけじゃないんですか、これは」
なにか不味いことでも言ってしまったのだろうか。
ずいっと詰め寄ってくる奈都は上着からとある用紙を取り出し、それを俺に叩き付ける。
慌てて受け取り、その用紙に目を向けた俺は青ざめた。
「奈都、これ……」
「そうですよね、準一さんからしてみたら所詮他人事ですもんね。僕の大切な人が死んでも、それは準一さんにとって痛くも痒くもないですしね。そうですよね、それが普通の反応ですよね。僕だけが一人勝手に舞い上がってたみたいですね、お見苦しい姿を見せてしまい申し訳ないです」
「無駄な手間を掛けさせてしまいすみません」あくまでも丁寧な口調で続ける奈都だがその言葉には触れたら切れてしまいそうなくらいの棘が含まれていて、こちらを睨む薄暗い瞳に俺は言葉を無くした。
一歩、遅かった。
グシャグシャになった新聞記事のコピーを握り締め、俺は奈都の背後に目を向ける。
奈都の影に佇む幸喜は俺と目をあわせるなりくすくす笑いながら手を振ってきた。
――本当、間が悪い。
「悪い、今のは俺が悪かった」
アクシデントに慣れていない自分が面白いくらいあたふたしているのがわかった。それ以上、言葉が出ないのだ。
奈都に隠そうとしたのは事実だし、奈都に手渡ったコピーも事実だ。
今、なにを言ったところですべて墓穴に繋がりそうな気がして。それ以上に、奈都の態度がショックで。
「謝らなくていいですよ。準一さんはなにも悪くないんですから。わかってますよ、そのくらい。……わかってます」
口ごもる俺に、奈都は眉を寄せる。切羽詰まった声。奈都も奈都で動揺しているのだろう。
幸喜が奈都になにを吹き込んだかはわからなかった。
しかし、事実を膨張させあることないこと口にしたのは大体想像つく。
「ごめんなさい、迷惑かけて」
苦虫を噛んだみたいに顔を歪める奈都はそう頭を下げ、そのまま俺たちの脇を通り抜けようとする。
「奈都」
そう、慌てて奈都を呼び止めようとしたとき、伸ばした手を振り払われた。
「……すみません、一人にさせて下さい」
じゃなきゃ、準一さんたちに八つ当たりをしてしまいそうで怖いんです。
奈都はそう泣きそうな声で呟いた。
そんなことを言われれば無理に呼び止めることができるはずがなく、奈都から手を引いた俺の前を奈都は颯爽と立ち去る。
「……あーあ、泣いちゃった。カワイソ」
「幸喜、てめえ」
奈都がいなくなったのを確認するかのようにぐるりと視線を巡らせた幸喜は俺を見るなりくすくすと笑い出す。
あまりの不快さに幸喜を睨めば、「そんなに見詰めないで」と肩を竦めた。
「なに言ったんだよ、あいつに」
「なにも、『準一たちがこれを持ってた』って言っただけだよ?」
「本当かよ」
それだけであんなに奈都が不機嫌になるはずがない。
そう勘繰るように目を細めればとぼけたように上目遣いをする幸喜は「ああ、あと」と思い出したように口を開く。
「彼女は散々苦しんで死んじゃったのにお前だけ即死ってずるいよな、って」
頭に血が昇るのが自分でもわかった。
全身の血が煮えたぎり、気付いたときには体が勝手に動いていた。華奢な幸喜の胸ぐらに手を伸ばせば呆気なく捕まった幸喜をそのまま強引に引き寄せる。
至近距離。鼻と鼻がぶつかりそうなくらい顔を近付け、やつの胸ぐらを掴み上げれば幸喜は楽しそうに笑いながら俺の首に繋がったリードを掴んだ。
そのときだった。
「おい、落ち着けって、準一っ」
背後から伸びてきた手に腕を掴まれ、そのまま幸喜から引き離すように羽交い締めにされる。
――仲吉だ。
「離せよ、仲吉」
捕まる俺にくすくす笑う幸喜にぶち切れそうになって、そのまま蹴り入れようとすれば後退した幸喜はあっさりとかわす。
「準一ってほんと、変わってるよね。なんで準一がムキになるわけ?奈都ならともかくさぁ」
「お前がムカつくからに決まってんだろ」
「ひっどいなあ。藤也のことは大好きなくせに」
「は……っ」
あまりにも脈絡のない幸喜の言葉に、思わず声を荒げそうになり自分がやつのペースに引き込まれそうになっているのに気付き、言葉を飲んだ。
「そーいうさ、差別っていうの?よくないよ。俺悲しくなっちゃうし」
そうさも悲しがるような素振りを見せるわけでもなく幸喜は変わらない笑みを浮かべたまま。
「藤也も俺と一緒なんだから」
「今、あいつは関係ないだろ」
そう怒鳴れば、僅かに眉を下げた幸喜は笑い「どうだろうね」と呟く。
「準一、お前どうしたんだよ。さっきから」
仲吉の腕を振り払い、一発だけでもいいから幸喜をぶん殴ってやろうと思ったとき今度は手首を掴まれ引き留められる。
「どうって、わかんねえのかよ」
「だから、なにが」
「幸喜のやつが、奈都に……っ」
「幸喜?幸喜がいんのか?」
「いるだろ、目の前に!」
とぼけてんのかと掴みかかりそうになるのを必死に堪え声を荒げれば、俺が指差した方向に目を向ける仲吉。
しかし、不可解といった表情は変わるどころか解消されず。おずおずと仲吉は俺を見た。
「……誰も見えないんだけど」
その一言につられるように幸喜に目を向ければ、すでにそこに人影すらなくやつの気配はなくなっていた。
――あの野郎。
腸が煮えくり返るのを感じながら舌打ちした俺は苛々を堪えることが出来ず、近くの樹を蹴り上げる。
「ひっ」と側で南波が小さな悲鳴を上げるのを聞きながら俺はざらざらと鳴る葉音が響く薄暗い森の中、これからどうするか思案した。
これから自分はどうしたらいいのか。
奈都からの依頼である志垣真綾の安否を調べるということは果たした。結果がどうであれ、やることはやった。
頭では理解していたが、どうしても去り際の奈都の泣きそうな顔を思い出してしまい胸がつっかえる。
こんなのって、どうなんだ。このまま知らんぷりなんて出来るわけがないだろう。だとしたらどうする。幽霊になった志垣真綾を探し出すか?そして奈都と会わせて願いを叶えさせるか?
そんなことも考えてみたが、まずこの山の外にいるであろう彼女を探し出すことが困難だろう。
それに、探し出したとしても彼女が奈都に会いたがるかどうかもわからないし、最悪、俺たちみたいこの世に留まっているかすらも怪しい。
つまり、俺たちに出きることはなにもなくなった。
一つを除いて。
「……」
「……」
「……」
――屋敷内、俺の部屋にて。
リードを持っている南波は好きに行動できるはずなのに何故こいつは自ら俺の部屋に足を運ぶのだろうか。ここ最近俺と一緒に行動していたお陰で俺の部屋を自分の部屋と勘違いしてないだろうか。
なんて疑問に思いながら思案に耽ていると、ふと仲吉と目があった。
「なに」
「え、あ、いや……」
すぐ目を逸らされる。
不自然に動揺する仲吉を訝しげに思いつつ「なんだよ」とちょっと強い口調で問いただせば逸らされた仲吉の目は再度俺を見た。そしてゆっくりと下ろされる。
「……つかさ、お前、なんで首輪つけてんの?」
忘れてた。
「は、なにが」
あまりにも突然の問い掛けに動揺のあまりしらばっくれる俺。
自分の首に触れれば、皮膚に食い込む革製の輪の感触が。
「いや、ほら、なんかついてるし」
「リード?」と不思議そうな顔をして南波が持つリードを引っ張る仲吉。
拍子に首が絞められ「っあ」と喉から声が漏れた。
「っおい、ばか、引っ張るなってば……っ!」
「ほら、やっぱり首輪じゃん。……なにこれ?幽霊になるとこういうの特典についてくるわけ?」
「てめえ勝手に触ってくんじゃねえ」と怒鳴る南波の声が届いていない仲吉はくいくいとリードを操りながら興味津々になって尋ねてくる。なんか妙に鼻息が荒い。思わず後ずさった。
「そうだよ、だから離せ。この首輪が外れたら俺がダメージ受ける」
本当は花鶏の悪趣味な戯れなのだがわざわざそんなこと言って俺まで同類扱いされたら堪ったものではない。
適当に答えてみるが、まあ、嘘ではない。ダメージ受けるし。
仲吉にもその発言の効果があったらしく、慌ててリードから手を離した仲吉は「ごめんな」と不安そうに眉を垂れさせた。
「別に外れたらだからいい。……それより、お前いつまでここにいるつもりだよ」
首に絡み付く首輪を調節しながら俺は個室についた窓に目を向ける。
先程まで塗り潰したような黒が広がっていた空は僅かに明るくなっていた。つられて窓を見た仲吉は小さく欠伸をする。
「いやさ、実は旅館の門限ギリギリでこっちまで来ちゃったから六時になるまで入れないんだよね」
「じゃあ車で寝たらいいだろ」
「えー、だって車場荒らしとかいたらこえーじゃん」
オカルトグッズで溢れたお前の車のがこえーよと言い返したくなるのをぐっと堪え、俺は仲吉に目を向けた。何か期待するようにこちらを見返してくる仲吉。
まさか、こいつ。
「なあなあ準一、六時まででいいからここで休ませ「ダメ」っえぇ!即答かよ!」
ほらみろ嫌な予感がした傍からこれだ。
拗ねたように顔を赤くする仲吉は「いいじゃんケチ」と声を荒げた。
まあ確かに仲吉も眠たそうだし、わざわざこんな時間帯に山へ出させたのも元はと言えば俺だ。
だけど、この屋敷には車場荒らしなんかよりも面倒なやつが沢山いる。
恩人の仲吉だからこそ、それだけは避けたかった。
しかし、仲吉も仲吉で頑固なやつだった。
「なんでだよ、いいじゃん」
「すきま風あるし、お前が寝たら潰れるようなベッドしかないぞ」
「俺床でも寝れるよ!」
「大体、虫とかどっから涌いてくるかわからないし」
「準一じゃないから俺虫平気だし」
ああいえばこういう仲吉はそう言ってヘラヘラと笑う。
こいつ、人の気もしらないで。
「大体なあ、お前……」
ここがどういう場所かわかっているのか。そう問い質そうと仲吉を振り返ったときだった。
ふわりと生暖かい風が巻き、花の匂いを鼻腔が感じた。
そして、瞬きをした次の瞬間目の前にそいつは立っていた。
「おや、いいじゃないですか。私は大歓迎ですよ、仲吉さん」
「あとりんさん!」
鼓膜に染み付いて離れないその艶かしい声に眉を寄せた俺は音もなく現れた花鶏を睨む。
目があって花鶏は静かに微笑んだ。
「寝床なら私が用意しましょう。ちょうど一台ベッドがあるんですよ」
それってもしかして前言っていたおんぼろベッドのことじゃないのか。
花鶏に目を向ければ俺の疑問を汲み取ったようだ。「この間掃除したんですよ、南波が」と付け足す。花鶏にこき使われてる南波が安易に瞼裏に浮かぶ。南波に同情せずにはいられなかった。
「まじっすか。ほら、準一!あとりんさんもいいっていってるじゃん」
「そうですよ、準一さん。一晩くらい良いじゃないですか」
「あなただって本当は嬉しいんでしょう。仲吉さんがいてくださるのが」含み笑いを浮かべる花鶏に、俺は顔が熱くなるのを感じた。
無意識に舌打ちが出る。
「花鶏さんには関係ないでしょう。俺たちの問題に口を挟まないでください」
「そんな寂しいこと言わないでください。せっかく生身のお方と知り合えたんですから色々話を聞きたいんですよ」
「まあ、これは私と彼の問題なのですからもちろん貴方は口を挟まないですよね」うっすらと笑う花鶏は唇を歪める。
ああ言えばこう言う花鶏。
「そーそー」と隣で頷く仲吉を誰のために言ってるんだとド突きたくなるのを必死に堪える。
しかし、思ったよりも自分は短気だったようだ。
「じゃあもう勝手にしろ!」
能天気で興味好奇心で行動する仲吉に我慢出来ず、気がついたら自分の口からそんな言葉が出た。
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