亡霊が思うには、

田原摩耶

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「ふざけないで下さっ……く、ふ、んんぅ……ッ」

 言いかけた矢先、服の下で皮膚の感触を味わうように腹部を撫で回していた花鶏の指が徐々に胸へと上がり、その細い指先で乳輪を撫でられればひんやりとしたその冷たい感触にぞくりと背筋が震える。
 花鶏はその反応を見逃さなかった。
 優しく輪郭をなぞるように、突起に触れないようにその回りを円を描くように撫でる指のこそばゆい感触に俺は逃げるように背中を丸め、首が絞まるのも構わず俯き唇を噛み締める。

「っ、ふ、ぅ……く……ッ」

 あまりのこそばゆさに相手に触れられている箇所に血液が集中し、気付けばまだ触られてもいないそこは固く尖っていた。

 ただ同性相手に胸を触られてるだけだ。別に、普通のスキンシップだと思えばこんなのどうってことない。

 そう自分に言い聞かせるが、やはりダメだ。
 部屋に流れる空気に雰囲気、拘束され明らかに下心を孕んだ指先に触られただのスキンシップだと思い込むことが出来るはずもなく、次第と全身が熱くなり息が浅くなる。
 唇を噛み、声を圧し殺そうと試みる俺だったがいたずらに硬く凝った突起を撫でられれば口の中で「んっ」とくぐもった喘ぎ声が出てしまう。

「っ、んぅ、ふっ、くぅう……ッ」

 指の腹でやんわりと押し潰され、摘まれたまま指の間で転がされれば緊張した全身の筋肉がびくんと跳ね上がり、そんな様子を楽しむ花鶏は執拗に乳首を弄び始める。
 服の下、蠢く花鶏の指は呻くように反応する俺に構わず突起を潰すように転がし引っ張り引っ掻き摘みと好き勝手弄り倒す。
 ただでさえ硬く勃起していた乳首は皮膚下で充血し次第に真っ赤に腫れたように膨れ、そこを指先で触れられればピリッとした鋭い刺激に全身が震えた。
 逃げる俺に構わず腫れた突起に爪を立てる花鶏に「ひっ」と小さく息を飲む。
 通常よりも敏感になったそこは少しの刺激でも大きく受け取るようになり、与えられた尖った痛みになんだかもう俺は泣きそうになった。

「っぁ、も、やめて……ください……っほんと」
「やめると思いますか?」

 思いません。
 気付いたら首が絞まらないよう俺は首輪とリードにゆとりを持たせるように胸を仰け反らせ花鶏の上半身に凭れるような体勢になっていた。
 通りで距離が近いと思ったわけだ。なんて暢気になる余裕なんて俺にはなく。

「緊張しているのですか、準一さん。体が硬いですよ。ついでに解して差し上げましょうか」
「いいです、いいですってばっ」
「そう遠慮なさらずに」

 そう笑いながら花鶏は突起を摘んで引っ張り、尖った先端を指の腹でくにくにと押し潰す。
 背筋を震わせるその強い刺激に電流が走ったようにビクッと跳ねた俺は身動ぎをし、なんとか花鶏の指先から逃れようとするが逸らした胸は相手に触ってくださいと言わんばかりに突起を突き出すばかりで。

「んぅ、っく……ふぅ……んんッ!っはぁ、ぁ、クソッ、まじやめろってば……っ!」

 もがこうとすればするほど指先の力は加わり、強弱をつけ扱かれれば乳首から全身へと波のような快感が押し寄せてくる。

「っひ、ぅ……や、ぁあ……ッ」
「潰しても潰してもすぐに硬くさせるんですから弄り甲斐というものがありますね」

 執拗に与えられる刺激に耐えられずビクンビクンと魚のように花鶏の腕の中で跳ねる俺を眺める花鶏はくすくすと上品に笑った。
 そしてちゅ、と小さく髪に唇を落とす花鶏はゆっくりと肩越しに俺の胸部に目を向ける。

「こんなにしこらせて……準一さんは胸を弄られるのがお好きなんですか?なかなか特異な方ですね」
「ちがっ、好きなわけ、な、ぁあ……っ」

 揶揄するような甘く優しい蠱惑的な声が鼓膜から浸透し、麻痺しかけた脳をドロドロに溶かす。
 失いかける理性の中、胸をまさぐる花鶏の言葉を必死に否定しようとすればすっと乳首から指が離れた。
 刺激を与えてくる指先が離れ、なにがなんだかわからずとにかくほっと安堵した矢先だった。

 細く、しかし骨格はしっかりとしたその白い花鶏の手はゆっくりと下腹部に伸び、ウエストを緩め始める。
 その動作は息絶え絶えの俺を起死回生させるには十分だった。
 下腹部をまさぐる指先から逃れることも出来ず、ただ緩められたウエストの中へ滑り込んでくるその華奢な手が自分の下着の中へと潜り込むのを歯をくいしばって受け入れることしか出来なかった。
 焦燥、嫌悪、快感、不安。その指の動き一つ一つに反応してしまい一抹の快感すら感じてしまう自分への嫌悪に言い知れぬジレンマが込み上げ、無意識に息が乱れた。崩れかけの理性が逆に自己を苛める。
 見たくない、と目を瞑り他人の手にまさぐられる自身の下腹部から顔を逸らせば花鶏はクスクスと笑い、そして下着の中のそれにつぅっと指を這わせた。

「おや、こんなに勃ち上がらせて。随分と溜まっていたようですね。触れただけで破裂しそうです」

 耳元で囁かれる。先端から根本まで浮かぶ血管をなぞる花鶏の言葉に全身の神経が触れられている性器に集中した。
 性器を撫でる指先の動き一つ一つが鮮明に伝わり、些細な刺激にも関わらず筋肉が硬直する。
 先端へと伸びた指が尿道の窪みに触れ、くちゅりと湿った音が室内に響いた。
 恥ずかしくて堪らなかった。
 意識すればするほど勃起した性器は硬く膨張し、先端から溢れる先走りが根本に向かって垂れていくそのぬるりとした感触に顔が熱くなる。

「……っ、花鶏さ……っ」
「こんなにいやらしい汁を垂らしてはしたない方ですねぇ。苦しいでしょう、あなたは手が使えませんし……そうですね、私が擦って差し上げましょうか」
「っあんたが縛ったんじゃないですか……っ」

 明らかに馬鹿にしたような花鶏の態度がムカついて「いりません」と喉奥から絞り出すように唸れば花鶏は「強情な方ですね」と愉快そうに喉を鳴らして笑う。そして、先走りでぬれた亀頭から指を離した。

「構いませんよ、苦しい思いをするのは私ではなくあなたなんですから。見栄を張るため限界まで我慢して追い詰められるあなたを見るのもまた一興」

 そそられますね、とうっすら微笑む花鶏に俺は寒気に似たものを覚える。
 目が笑っていない。
 反り返った性器を隠すことも出来ず、それでも一方的に言われて大人しく出来るほどの器量を持ち合わせていない俺は「きもちわる」と小さく吐き捨てた。本音だった。花鶏の言葉、まとう空気、触れるもの全てがどろどろとした不快感となりねっとりと全身に絡み付いてくる。
 脳味噌に直接毒を流し込まれているようなこの気分はお世辞にも気持ちいいとは言えず、そんな俺の不快感とは裏腹に腹の底から込み上げてくる熱が全身に行き渡り背筋をどろどろに溶かすような甘く心地のよい毒に犯されたように高揚する自分の体が恐ろしくてたまらなかった。
 そんな理性と本能との間に出来たギャップについていけず、戸惑う俺に気付いているのだろう。
 花鶏は静かに笑う。

「止めてください、興奮するじゃないですか」

 そう言って、下着の中へ手を滑り込ませた花鶏に慌てて足を閉じようとするが構わず花鶏は性器の奥へと指を伸ばした。
 足を動かし、持ち上げるように腰を浮かされれば下着の中の花鶏の手は臀部の割れ目の間を這うように緊張した窪みに触れる。

「っい、……ッどこさわって」
「少しは肩の力を抜いたらどうでしょうか、準一さん」

「こんなところまで緊張しているじゃないですか」言いながら周囲を優しくなぞる花鶏は笑う。
 セクハラじみたその言動に耳がかあっと熱くなるのがわかった。
 ふざけるな。
 そう怒鳴りそうになるが不意にまさぐっていた花鶏の手が下着から引き抜かれ、つい俺は開きかけた口を紡いだ。
 それも束の間。

「まあ、絡まった糸を一本一本解いていくのは得意なんですが」

 言いながら自らの指に唇を寄せ、そのまま骨張った白い指に舌を絡ませ全体を唾液で濡らす花鶏に俺は見開いた。
 嫌な予感に全身の筋肉が強張る。
 そして嫌な予感に限ってよく的中するらしく、もう片方の空いた手で尻が丸出しになるよう下着を股の辺りまで脱がしてくる花鶏はそのまま俺の両足を束ねる。
 そして、身動ぎをする俺に構わずその両足を俺の腹にくっつくよう抱き抱え、無理矢理腰を浮かせた。

「っちょ、待って、なにやって……ッ」

 勃起した性器が腹にぴたりとくっつき、まんぐり返しするような恥ずかしい体制に冷や汗を滲ませた俺は足をバタつかせる。
 しかし、花鶏はただ静かに笑うだけ俺を逃がすわけもなくそのままそっと唾液をたっぷりと絡ませ濡れたその指先で肛門を撫でた。
 下腹部から聞こえるくちくちという恥ずかしい水音にさらに顔に熱が集まり、死にそうになる。
 いっそのこと死ねたらどれだけましだろうか、そう思うほど。

 残念ながら他人に肛門を弄られるのは初めてではない。
 しかし、それでもこうしてじっくりと相手に見られながら型どるように触られるのとでは恥ずかしさは比べ物にならない。しかも、俺に肛門を弄るのをわざと見せ付けるようにするのだから、尚更。

「いやだっ、触るな……っ」

 声を上げる。震え、上擦り、泣きそうな自分の声に余計顔が熱くなった。
 身をすくめ、足をばたつかせれば俺の両足を束ねていた花鶏は「おや」と小さく呟く。
 そしてわざとらしく肩を竦めた。

「せっかくあなたが気持ち良くなるようお手伝いさせていただいているというのに……。人の好意は有り難く受け取るものですよ、準一さん」

 そう残念そうな演技めいた口調の花鶏は言い終わる前に閉じたそこに指先を沈める。
 ぬるりとした指先は唾液で濡れたそこに多少抵抗はあったもののずぷりと埋まり、腹に襲いかかる圧迫感に「っ、ひ」と息を飲んだ。
 侵入してくる異物を拒もうと全身が緊張で硬くなるが、花鶏の指を咥えるそこは意思とは反対に深く飲み込んで行くばかりで。

「うそ、やめ……っ、花鶏さ、ゆび、ゆび……っ抜い……っんんぅっ!」
「あなたは本当、素直で分かりやすい方ですね」

「それとも、生前からこんなに飲み込みのよい方だったんですか?」そう含み笑いを漏らす花鶏に俺は首を横に振る。

 ――こんなの知らない。俺の体じゃない。
 拒みたいはずなのに、内壁を掻き分けて奥まで入り込んでくるそれを止めることすら出来ずただ受け入れるハメになる。
 結局細く華奢な指は根本まで挿入され、呻く俺は見たくないと目を瞑った。
 真っ暗になった視界。
 体内で蠢く他人の指の感触が余計鮮明に伝わり、中をまさぐるように曲げられる指に内壁を引っ掻かれその感触にビクンと腰が跳ねる。

「はぁ……っん、くぁ……ッ」

 緊張した内壁をほぐすようゆるく抜き差しされれば指に絡み付いた唾液が摩擦でぬちゃぬちゃと嫌な音を立てる。
 指から逃げるよう腰を揺らすが、効果はなく寧ろ花鶏を楽しませるばかりで。
 ぐっと、体内を大きく抉るように指が曲がりその指先が与えてくる刺激に下腹部がビクンと跳ねる。
 痒いところを掻いてもらったような、比べ物にならない快感に一瞬視界が白ばんだ。
 そして、先程まで探るように中を肉壁を掻き分けまさぐっていた花鶏の指先はそのまま執拗にある箇所を刺激してくる。
 朦朧とした意識の中、追い討ちを掛けるように与えられる強い快感に全身が震えた。

「ぁっ、や、抜けって、抜いてくださ……っあ、ぁあ……ッ!」
「あぁ、よく絡み付いてきます。私の見込んだ通りですね」
「なに、言って……っ」

 噛み合わない会話に焦燥にも似た苛立ちを覚える。
 しかしそれすらを掻き消すような強い刺激に脳は快感に塗り替えられ、くの字に折れ曲がった指にぐりぐりと攻め立てられれば「く、んぅっ」と洩れそうになる必死に喘ぎ声を圧し殺した。
 全身に滲む冷や汗。
 息が乱れ、毒に犯されたみたいに体が熱く意識が朦朧としてくる。
 息継ぐ暇もなく体内を掻き回され、限界に近付いた俺は噛み締めていた唇を開き声をあげた。

「ぁ、やめ、花鶏さ、止めてください……っ!花鶏さん……っ!」

 ただひたすら懇願する。なにがなんだかわからなくなる前に、なけなしの理性を失ってしまわないように。
 しかし、花鶏の手は止まることはなかった。

「止めてください、ですか。ここで止められて困るのはあなたの方ではないでしょうか、準一さん」

 わざと濡れた音を立て体内を引っ掻き回してくる花鶏はそう笑う。
 全身の筋肉を痺れさせるようなその甘い快感に指先から力が抜け、花鶏の胸元に頭を預けたままとずるずる崩れ落ちそうになれば花鶏は俺を抱え直し、しかし指は抜かないままで。
 腹部にくっついたガチガチに勃起した性器がまた膨張し、徐々に体内を巡る熱が性器の先端へと這い上がってくるのがわかった。
 射精が近付くのがわかり、焦燥に駈られた俺は必死に花鶏を止める。

「ふっぁ、やめッ、花鶏さん……っ!や……っ、ゆび、ゆびっ抜いてくださっ、ぁ……!」

 意思とは裏腹に腰が動き、爪先に力が入る。
 あまりの気持ちよさに思考回路は混線し最早自分がなにを言っているのかわからなかったが、ひたすら懇願した。
 そんな俺に構わず、ペロリと赤い舌で薄い唇を舐める花鶏は激しく指を抜き差し始め、性感帯を擦りあげる。

「あ、あぁ……あ……ッ」

 ただでさえ切羽詰まっていた俺は終わらない愛撫に震え、ガクガクと痙攣を起こしたように震える下半身に青ざめた。
 そして、糸が切れたようにびくんっと腰が大きく跳ねた瞬間だった。

「くぅッ、んんぅ!」

 極限まで熱を溜めていた性器は腰の動きに合わせて跳ね、瞬間、大量の精液を自らの腹部目掛けて吐き出した。
 息が乱れ、浅くなる。ガチガチに緊張していた筋肉は糸が切れたように緩み、脱力感に襲われる全身はだらりと背後の花鶏にもたれ掛かる。それを堪える力すら残っていなかった。

「おやおや、鳴き声まで犬じゃありませんか」

「これのお陰で飼い犬の気持ちがわかるようになったのでしょうか」花鶏は笑いながら自分にもたれ掛かる俺の首に指を這わせ、そのまま首を絞めるその首輪をなぞる。
 揶揄するような言葉がムカついたが、言い返す気力なんてなかった。まさに虫の息。
 全身に襲い掛かってくる多大な疲労感に潰されそうになる反面、堪えていたものが解き放たれたような爽快感があった。しかし、それが射精によって起こったものだと思うと気分が悪い。

 体内に深く挿入されていた花鶏の指が引き抜かれる。
 その指はそのまま腹部へ這わされ、黒地のシャツにかかった白濁を掬った。ぬちゃり、と嫌な音。

「は、ぁ……っ花鶏さん……ッ」
「こんなに汚して。いけませんねえ、私の部屋が栗の花臭くなってるじゃないですか」

 誰のせいだと思ってるんだ。
 親指と人差し指に精液を絡ませわざとらしく糸を引かせ見せ付けてくる花鶏に苛立ちを覚え、奥歯を噛み締めた俺は背後のやつを睨み付ける。目が合えば、花鶏は肩すくめ笑った。

「そんな怖い顔しないで下さい。少しは晴れやかな気分になれたでしょう」
「まったく」
「そうですか、でしたらあなたの気が済むまで付き合いますよ」
「っなに言って……ッ!」

 まさかそんな返答をされるとは思わず、精液で濡れた指が萎え切った性器に伸びるのを見て俺は咄嗟に身を引く。
 その矢先のことだった。

「てめえぇ!見付けたぞゴラアアァッ!!」
「っ!!」

 バンと勢いよく扉が開くと同時に飛び込んできたチンピラの怒声にビクリと緊張した俺は目を見開き凍り付く。
 丁度扉に背中を向けているような形だっただけに扉は見えなかったがどう考えても南波だろう。

 なんつータイミングだ。

 そう青ざめる俺の背後にいた花鶏は伸ばしかけていた手を引っ込め、咄嗟に乱れていた衣服を整えてくれた。そっちに驚く。

「……おや、部屋に入るときは一言言うようにといつも言ってるじゃないですか」

 言いながら腕を束ねていたリードをほどく花鶏は俺から手を離し、やれやれと言うように南波を見た。
 まさかこんな簡単に解放してくれるとは思わずしばらくきょとんとしていた俺は慌てて服やら精液などを消し、記憶を塗り替える。
 そんな俺に気付いていないのか、構わず南波は部屋に土足で踏み込んできた。

「いきなり人を縛ったやつが言うことかよっ!」
「ええ、そうですね」
「てめえ……っ」

 言いながら、離れる俺を一瞥した花鶏はゆるりとした動作で立ち上がり南波に向き直った。
 行為前の状態に修復した俺はつられるように立ち上がる。

「って、じゅっ、準一さん!」

 そこでようやく南波は俺に気付いたようだ。
 花鶏の影から現れた俺を見て焦ったような顔をする南波に俺は「……どうも」とだけ返す。

 つくづくついていない。

「よかったですねぇ、準一さん。飼い犬がちゃんと飼い主の元へ帰ってきましたよ」
「誰が犬だコラ!」

 くすくすと笑う花鶏に吼える南波。
 今にも噛み付いてきそうな勢いの南波を見据え、薄く微笑む花鶏は「犬じゃないですか、それも薄汚れた野良犬」と底意地の悪い台詞を口にした。

「あともう一歩遅かったらもっと楽しめたのでしょうが……いえ、準一さんからしてみればもう遅いのでしょうか」

 着物の袖を口に当て、わざとらしく肩を竦める花鶏。
「花鶏さん」とやつを横目で睨めば、花鶏は笑いながら手を振った。

「怒らないで下さい。私は決してあなたに危害を加える気はないんですから」

 嘘つけ。
 そう言い返したいところだったが、相手にする気にもなれなかった。
 行為後独特のどっとやってくる疲労感がヘドロのように全身に絡み付き、気力を奪う。
 涼しい顔した花鶏はそんな様子露ほど見せないが。それがまたムカつく。

「しかしまあ、わざわざ自らの追い掛けて私の部屋へ乗り込んできただけ進歩でしょうね。成長しましたね、南波」
「うるせぇ!勝手に縛って沁々してんじゃねえよ!御託は良いからさっさと準一さんの首輪を外しやがれっ!」
「きゃんきゃんきゃんきゃん喧しい方ですね、騒々しい」

 花鶏に掴みかかる南波。
 今度はそれを避けず受け止めた花鶏は髪に隠れた耳を塞ぎ、小さく息を吐いた。そして、俺を一瞥する。

「準一さんの首輪でしたね。残念ながらそれは出来ません」
「んだと?」
「約束は約束ですからね、はいはい聞いていたら不平等でしょう」
「既に俺の扱いが不平等なんだよっ!」

 ごもっとも。
「おや、自覚あったのですか」と意外そうにする花鶏にぐっと歯軋りする南波は「てめえ……っ」と唸る。頑張れ南波さん。

「しかしまあ、仕方ありませんね。せっかくあの逃げ腰の南波が頑張ってここまで来たのですから褒美が必要でしょうし」

 今にも殴りかかってきそうな南波に怖じ気付いた、というわけではないのだろう。
 気が変わったのか、俺の首輪に繋がるリードを握り直した花鶏は「南波」とそれを手渡した。
 花鶏の行動に目を丸くする俺。
 対する南波は無理矢理花鶏の手からかっさらい、俺に駆け寄ってくる。

「待っててください、準一さんっ。すぐにくっ、首輪を……ッ」

 そう、瀕死寸前の人間を助けるかのように今にも死にそうな顔をして南波がこちらに手を伸ばしたときだった。

「誰が外していいと許可しましたか」

 響く、静かな声。
 俺の首へ伸ばされた南波の手首を取った花鶏はにこりと微笑む。

「私はあなたにリードを預けましたが外していいとは一言も口にしていません」
「なにを屁理屈言って……っ」
「外したければ外して構いませんよ。しかし、そうですね……もし朝日が昇る前にその首輪を外したら、そのときは先程の続きをしていただきましょうか。準一さん」

 狼狽える南波に構わずそう静かに続ける花鶏は言いながら俺を見据える。
 まともに目が合い、『先程』のことを思い出した俺は全身がギクリと緊張するのがわかった。

 くそ、なにが俺のためだ。全部自分のためじゃねえか、色情霊が。

 歯を食いしばり、腸が煮え繰りそうになるのを必死に抑え込む。
 そんな俺とは対照的に全く話についていけていない南波は「先程?」と訝しげに眉を寄せ、花鶏を睨んだ。

「おい、なに意味わかんねえこと言って……」

 そしてそう案の定突っ込んでこようとする南波に俺は「南波さん」と慌てて相手を呼ぶ。
 ビクッと震え、何事かと硬直した南波は青い顔をしてこちらをみた。

「俺の首輪のことは気にしなくていいんで、リードのことお願いしてもいいですか」
「じゅっ準一さん、正気ですか……ッ!」
「そんなに私と営むのは嫌ですか?傷付きますねぇ」

 驚いたように目を見開く南波と、それとは対照的にくすくすと笑う花鶏。
 品のないその言葉に不快感を覚えた俺は眉をひそめ、花鶏を睨んだ。
 目が合って、花鶏は笑いながら目を伏せる。

「おや、冗談ですよ。そんなに私のことを意識しないで下さい。どきどきするじゃありませんか」
「準一さんに気持ち悪いこと言ってんじゃねーよアホ!ばーか!」

 愉快そうに笑う花鶏に吠え散らかす南波。
 あまりにも低レベルな罵倒にあきれた顔をした花鶏「あなたは何歳児ですか」と突っ込む。
 そんな花鶏に構わず、しっかりとリードを握り直した南波はちらりとこちらを見、「準一さん」とリードを軽く引っ張った。
 顔を上げれば、ガチガチに緊張した南波と目があう。
 慌てて南波は目を逸らした。

「あの、では、行かせてもらいますね。苦しかったらお気軽に好きなだけ俺に言ってくれていいんで!」

 これは、本当に南波に任せてて大丈夫なのだろうか。
 花鶏よりかはかなり頼もしいが、不安要素の方が大きいのも確かだ。
 しかし、この人に頼るしかない。
 答えるように「お願いします」と呟けば、やり取りを眺めていた花鶏が「どちらが飼い主かわかりませんね」と笑った。
 初めから俺たちはどちらが犬やら飼い主やら決めていないのだからわからなくて当たり前だろう。
 言い返したかったが、口を利くのもムカついたので敢えて聞こえないフリをする。
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