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I will guide you one person
06
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――翌日。
俺はいつでも仲吉を出迎えれるようにあの崖上へと来ていた。
日が登り、日照り始めた森の中。
早朝独特のひんやりとした空気を感じながら、南波とともに俺はみんみんと喧しいセミの鳴き声をBGM代わりに仲吉がやってくるのを待っていた。
そして、どれほど時間が経過しただろうか。
日の位置が高くなり、じりじりと肌を刺すような陽射しが注ぎ始めた頃。
タイヤが砂利を踏む音が聞こえてくる。そして顔を上げれば、見覚えのある車が一台止まった。
――仲吉だ。
「なんだ、お前ずっと待ってたのか?」
「……やることねーからな」
「とか言って、なんだかんだ俺が来るの楽しみにしてたんだろ?」
「別に、期待はしてなかったけどな」
「なに照れてんだよ」
……別に照れてはない。
車から降りる仲吉は、そのまま車の後ろに回る。開くバックドアの中を覗きながら「今日は一人か?」と仲吉は聞いてくる。
「いや、南波さんも一緒だ」
「ああ、どうもこんにちは南波さん」
あらぬ方向へと頭を下げる仲吉に「そっちじゃねえよ」と唸る南波。やはり南波の姿は仲吉には見えないようだ。
「どうだったんだ? もらえたか?」
「ああ、なんとかな」
そう、トランクから大きめの段ボールを取り出した仲吉はそのままそれを俺に見えるように近くの平らな岩の上に置いた。それから他にも紙袋を取り出す仲吉。
結界に近づき過ぎないように警戒しながら、俺はじりじりと荷物に近付いた。
「一応部屋に残ってた本とか。こっちは雑誌と新聞……あとこれは俺からの差し入れね」
「差し入れ?」
「…あ、丁度いいや。これ南波さんたち用の酒。渡しといて」
そう俺に缶をダースごと渡してくる仲吉。
「酒だ!酒!」と先程までとは打って変わって大喜びしながら南波が受け取っていく。
「うお! 勝手に浮いてる!」
「今南波さんが喜んでるぞ」
「はは! そりゃよかった、本当はギリギリまで冷やしてたんだけどやっぱ限界あるからな」
早速ぷしゅっと音を立て缶を開けてる南波を尻目に、俺は「ありがとな」と代わりに礼を言っておく。
「やめろよ、今更水臭いな。……んで、お前にはこっち」
そう言って、再び運転席へ戻ったと思いきや仲吉はこちらへとなにかを放り投げてくる。
「あっぶね!」と慌てて受け取れば、それは俺が生前よく愛飲していたコーヒーだった。
久し振りに見た気がする。
「南波さんが酒もいけるってことは、お前も飲めるんだろ?」
「ん、まあ……けど、これ……」
「そっちも冷たいぞ、クーラーガンガンかけて冷やしといたから」
「…………いいのか?」
仲吉だってよく飲んでたはずだ。自分で飲めばいいものを、思わずちらりと見れば仲吉は「そのために持ってきたんだよ」と笑った。
「あとこれはこの間の余りの甘酒。俺だけで消費すんのキツかったから皆で飲めよ」
「んだよ、気が利くじゃねえか!」
「……南波さんが喜んでるぞ」
「はは? まじ? やった」
南波さん、まだ朝ですよとか言いたいことは色々あったが……まあ、いいか。
「南波さん、あまりグイグイ飲まない方がいいんじゃ……また、俺に運ばれることになりますよ」
早速一本空にして、二本目に手をかける南波に忠告だけしておくことにしたが、どうやらその忠告は効果覿面だったようだ。南波は手にした缶をそのままそっとケースの中に戻していた。
――おお、我慢した。
そんなに俺に運ばれるのが嫌だったのか、必死に葛藤と格闘しているようだ。うぐぐ、となっている南波に内心傷付きつつ「後であっちに戻ったらたくさん飲みましょう」とフォローを入れれば、ケースを大事そうに抱えた南波はコクコクと小さく頷いた。
抱えてるのが酒が入った箱ではなければまだ可愛く見えたのかもしれない。
「そんじゃ行こーぜ、あとりんさんたちにもお菓子持ってきたから」
言いながら、仲吉は買い物袋を取り出す。
今から宅飲みでもするのかという内容物だ。
「お前な、あんま無駄遣いするなって。花鶏さんからも言われただろ」
「いいじゃんいいじゃん。お供え物みてーなものじゃん」
「それは……」
中身を覗けば、確かにお盆によくスーパーで並んでるようなラインナップも取り揃えられている。
確かに、言われてみればそういうことなのか?いや、こいつに騙されるな。
と、頭を横に振って思考を振り払う。
そんな俺の横、仲吉はさっさと歩き出した。
「あっ、おい……!」
「ってことでまた案内頼むわ、準一」
元はと言えば、こいつに甘えたのは俺なわけだしとやかく言う事はできない。
それに、最初からそのつもりだ。
「……分かったよ」
「そんなに拗ねんなって。ちゃんとお前へお土産もあるから」
そう笑う仲吉。思わず「お土産?」と聞き返すが、仲吉はそれ以上なにも言わず、楽しそうに歩き出した。
勝手に歩き出してんじゃねえよと思いながら、慌てて俺はその後を追いかける。
仲吉の抱えてる箱と袋を受け取れば「お、悪いな」と仲吉は目を丸くした。
「重くないか?」
「見た目よりはそんなに」
「へえ、便利だな」
なんて会話を交わしながら、俺は後からついてくる南波のリードが木の枝に引っかかってないか気をつけながらも樹海を潜ることにした。
ーー八月某日。
半日振りに会った友人は昨日よりも顔色が良くなっていたような気がした。
「もうこれだけか?」
「ああ、そうだな」
場所は変わって屋敷内自室。
結局仲吉と南波にも手伝ってもらって荷物を部屋の中へと運び入れることとなる。
「よっこいしょー!」
「おい、そっと置けって。床抜けるだろ」
「大丈夫大丈夫! ほら、ぴんぴんしてるって」
言いながら床を撫でる仲吉。どこを見てぴんぴんしてると判断してるのか謎だが、こいつの思考回路を百読もうとすらこと自体無駄だ。
荷物自体それほどなかったために位置往復で済んだ。
ようやく一息つく俺の横、仲吉はどっこいしょと腰を下ろした。
「一応すぐ持って来れそうなのだけ持ってきたんだけどそれでよかったよな? まだ足りなかったんならまた取りに戻るけど」
「いや、今はまだこれだけで十分だ」
ポンポンと近くの段箱を叩く仲吉に首を横に振る。そして、そのまま釣られて俺は中を開ける。
「準一の実家の方行ったら、もう遺品処分する用意してたからさ、俺まじで焦ったんだよな。慌てて預かりますって頭下げたらなんとかなんとか貰えてほんと、間一髪って感じ」
「まあ……そうだろうな」
恐らく俺の済んでた部屋も引き払われてるはずだ。
うちの家族はわりとその辺はすっぱりしてるしな、と思い出しながらも箱のガムテープを破る。
段ボール箱を開けば、中から本が現れた。
どれも本棚に並べるだけになっていた本たちだ。いつか読むだろうと思って並べていたが、まさか今になって役に立つ日が来るなんて思いもしなかった。
そしてそのまま本を取り出し、箱の側に積んでいく。それを一通り退かすと、下からは雑誌や漫画類が現れた。
面白いから読めよと仲吉に押し付けられたまま結局読まずじまいで返しそびれたハードカバーのホラー小説を退かせば、それは現れる。
その表紙には黒髪を横に流し、やけに色っぽい顔をした裸エプロンを着たカメラ目線の女性が描かれ、その横には『淫乱人妻特集!えっちな奥さまのご近所付き合いの方法とは?』というやけに身も蓋もない煽り。
ひくりと顔面を引きつらせた俺はなにごともなかったかのように仲吉から借りた小説をその上に乗せた。
「おい……まさかこれ全部実家にあったやつか?」
そして、キリキリと疼く胃の辺りを押さえながら俺はあくまでなにも見なかったようにそう恐る恐る尋ねる。
すると、ギリギリなにも見てなかったらしい仲吉は相変わらず無邪気な笑顔を浮かべ「ああ」と頷いてみせた。その一言に全身に戦慄が走る。
――ああ最悪だ。
せめて処分しとくべきだった。
くそ、なんで俺は形に残るものを買ったんだ馬鹿か俺は。俺の馬鹿。死にたい。死んでるけども。
今すぐエロ本を窓の外から投げ出したい衝動に駆られながら、こっそ箱に手を伸ばし中に隠していたエロ本を取ろうとする南波の手を叩く。
「ひぃッ!」と青い顔した南波は慌てて後退した。
というか本当この人はちょくちょく手癖が悪いというか、しかも見ていたのか素早く隠したつもりだったのに……!
「でもまあ、これでちょっとは暇潰しになりそうだな」
エロ本はともかくだ。
だらだらと流血する手を押さえながら生意気な真似してすみませんごめんなさいと喚く南波にこちらこそすみませんと謝りつつ、そう強引に話題を変える。
これだけ本があれは暫くは時間を潰すこともできるだろう。
「ありがとな、仲吉」
「なんだよ水臭いな。こんくらい気にすんなって」
そして俺たちは段ボールを開け、中身を確認する作業を再開させることにした。
エロ本は空になった段ボールの下敷きにしてやり過ごした。
それから全ての段ボールを開けるという作業を一段落終え、まったりと床の上で座り込んで寛いでいたときだった。
不意にコンコンと控えめなノック音が室内に響き、壊れた扉が開く。
誰かきたのか。まさか幸喜じゃないだろうな、と身構えながらも駆け寄ったとき。
扉の向こうには意外な人物が立っていた。
「あ、あの……すみません、お邪魔しちゃって」
そこに立っていたのは奈都だった。
相変わらず季節外れの着込んだ青年は、俺の肩越しにちらりと部屋の奥に目を向ける。
「奈都、どうしたんだ?」
「仲吉さんが来てる、と聞いて……その、少し仲吉さんにお話がありまして」
「……お話?」
「なになに? 俺がどーしたの?」
どうやら仲吉にも奈都の姿は見えているようだ。名前を呼ばれたことに気付いた仲吉は立ち上がり、にゅっと俺の後ろに立つ。
「ええと、あの、ちょっといいですか?」
「ん? 外ってこと?」
「は、はい……」
そう小さく頷き、奈都は今度はどことなく気まずそうにこちらを見る。そして、納得する。
なるほど、俺抜きで仲吉と一体一で話したいということか。
心配にならないといえば嘘になるが、相手はまだ常識的……であるはずの奈都だ。幸喜ではない。
お前に任せる――そう仲吉に視線を向ければ、奈都同様に俺の反応を待っていた仲吉は頷き、笑った。
「了解。んじゃ、ちょっと奈都に預かられてくるな」
「預からせていただきます」
「奈都、仲吉のやつがなんか失礼したらすぐに呼べよ」
「はは……ありがとうございます、準一さん」
そう奈都はほっとしたように笑っていた。
奈都の笑顔は新鮮だ。まあ、大丈夫……だよな。
そんな気持ちで部屋を出ていく二人を見送る。
こっそり後を着けるのもなんだか二人に悪いし、でも正直気になる。やはり、この前仲吉がどこかで奈都を見たことあると言っていたのがなにか関係しているのだろうか。
なんて一人、ぐるぐると考えていたときだった。
「しっかしまあ、この女乳でかすぎっしょ。絶対詰め物入ってんな、これ。なあ藤也」
「……知らない」
「おやまあ……準一さんは人妻ものが好きなんですか? なかなかいい趣味をお持ちでいらっしゃいますね」
「テメェ、おい返せよっ! 俺が見てんだろうがッ! 勝手にページめくんじゃねえ!!」
「……………………」
上から幸喜、藤也、花鶏、そして南波。
どっから沸いてきたのか、わいわいきゃっきゃと賑やかな気配が一気に増えたときには時すでに遅し。
慌てて振り返れば、いつの間にかに勢揃いした連中はエロ本を取り囲んでいた。そんな光景を目の当たりにし、全身から血の気が引いた。
「なっ、ど……っい、いつから……ッ」
「準一さんが憂いを帯びた表情で連れていかれた仲吉さんを見詰めていた辺りですね」
「いたんなら声かけたらどうですか……っ!」
さらりと答えつつ、エロ本を取り返そうとする南波のリードを引っ張り止める花鶏。その顔に悪びれた様子など微塵も感じられなかった。というか憂い帯びてない。描写しないでくれ。
そしてそんな横、南波から取り上げたエロ本(人妻特集)をペラペラと流し読みしてる双子たちに俺はもう生きた心地がしなかった。
「っていうかなに勝手にしてるんですか……っ!」
「まあまあ良いじゃん良いじゃん俺達仲間だろ?」
「お前、こういうときだけ……ッ」
「それにしてもまあ、準一も一応男なんだな! 真面目ぶってる堅物かと思ったら淫乱人妻巨乳かよ!」
「うっせえな、たまたまその特集だったんだよ……っ!」
「こらこら、駄目ですよ幸喜、人の性癖を笑っては。こういうのは人それぞれですからね、私はいいと思いますよ。人のものを欲しがるのも種の存続本能が強く、且つ身勝手で傲慢……なんとも人間らしいではございませんか」
「ち、ちが……ッ、だから……」
「……不純」
「う゛……ッ」
弄り倒すくらいなら逸そ罵倒してくれとは思ったが、ここまでストレートな罵倒もなかなかメンタルにくるものがある。藤也のやや冷たい視線混じりの他のメンツからの微笑ましい~という視線がただひたすら公開処刑に等しい。
何故俺はこんなに辱めを受けているのか。
「しっかし、死んでもしっかり性欲あるなんていいじゃんいいじゃん! けど、そんなに溜まってんだったら言ってくれりゃあいいのに」
「お前……っ、ちが、大体これは俺が持ってきたくて持ってきたわけじゃねえから! 勝手に入ってたんだよ!」
「犯人は大体そう言うんだよ、観念しろ」
「やめろのしかかって来るな……っ!」
なんてうざ絡みしてくる幸喜に凍りつき、慌てて引き剥がして逃げようとしたときだった。
見兼ねた花鶏がごほんと咳払いをする。
「幸喜、お止めなさい。……そんなに虐めては準一さんが可哀想じゃありませんか」
「あ、花鶏さん……」
さっきあんたもしっかりと加担してたけどな、と思った矢先だった。花鶏はこちらを見て艷やかに微笑む。
「せめて裸えぷろんを着たじーかっぷの淫乱黒髪人妻に化けて差し上げたらどうですか?」
「おっ、ナイスアイデア花鶏さん!」
何を言い出すのだこの男は、と俺が固まるのも束の間。「そぉれ」とその場でくるりと幸喜が回った次の瞬間、ぽんっ! と幸喜の周辺に煙が沸き立つ。
まじでなんなんだ。
そして束の間、もくもくと紫の煙が晴れていったと思った矢先、晴れた先に浮かぶ影を目の当たりにした俺は文字通り絶句した。
エロ本の表紙の娘と同じような女体とそれを纏う真っ白なフリル付きのエプロン。その肉質感は紛れもなく本物に近いが、問題は体ではなくその上――頭部だった。
明るい茶髪は黒く染まったが、しかしその顔はどっからどうみてもそのまま――というか黒髪になったお陰で首だけ藤也で身体がグラビアアイドルというキメラが出来上がっていたのだ。
「ひ……っ」
「ありゃ、藤也になっちゃっふぎっ!」
瞬間、間髪入れずに手に持った雑誌を丸く丸めた藤也は自分の顔で裸エプロンを着用する幸喜の顔面にそれを叩き付ける。素晴らしい早業だった。
あとはもう、いつもの兄弟喧嘩の流れだ。
それを察知した俺は南波を誘導し、逃げるように奈都たちが出ていった廊下へとこっそり抜け出すことにした。
――別に兄弟喧嘩をしようが構わないが、なぜ俺の部屋でするんだ。
避難のため俺と南波は部屋を離れ、廊下を歩いていた。
どうやら花鶏は逃げ遅れたようだ。まあ、無駄に図太そうあの人のことだ。心配しなくていいだろう。
「準一さん、俺も人妻好きっす」
「……ありがとうございます、南波さん」
なんの告白だ、と思ったがもしかしなくても南波なりのフォローらしい。いやこの人の場合本当に見境なさそうだしな。
――屋敷二階、廊下。
なんて話しながら歩いていると、ふと前方に仲吉と奈都を見つけた。こちらに向かってきていた二人も俺達に気付いたようだ。
「おー準一!」と仲吉が大きくこちらに向かって手を振り、それからすぐにばたばたとこちらへと駆け寄ってくる。仲吉に慣れていないらしい南波は「げっ」と声をあげ、俺の影に隠れた。
「仲吉、奈都も……。話はもう済んだのか?」
「えぇ、お陰様で。……仲吉さんが話しやすい方だったので」
俺の質問に答えたのは、仲吉の後ろからついてきていた奈都だった。
大丈夫だろうと内心心配していたが、見たところ二人の空気感も悪くはないし誤魔化してるように見えない。
「ならよかった」万一仲吉が失礼なことをしてたらとヒヤヒヤしていたが、どうやら杞憂だったようだ。ほっとする俺を尻目に、仲吉は奈都に目配せをする。
「なあ奈都、準一なら話していいんじゃね」
「……そうですね」
「ん? どうした?」
なんだか含みのある言葉に気になって尋ねれば、仲吉は「気になる?」と悪巧みするような意地の悪い笑みを浮かべた。どうやら気になると言ってほしいらしい仲吉のため「気になる気になる」と適当に頷いてやれば、「しっかたないな、じゃあ教えてやるよ」と自信ありげに胸を張る。子供か。
「いや、今さ、結界? つーかほら、近付けない場所あるらしいじゃん。だから、そこに俺が行ってその結界自体をどうにか出来ないかって話してたんだよ」
「僕たちなら近付けないんですが、生きてる仲吉さんなら破ること出来ないかなって思って」
「結界……って、確か樹のあれだよな。注連縄の」
「そうそう。だから、それなら樹伐っちゃえばいいじゃんって」
相変わらず疑うことを知らない無邪気な仲吉は「なあ」と奈都に同意を求め、それにつられるように奈都は「はい」と頷く。
随分意気投合したようだ。いや、それはそれでいいのだが突っ込みどころはそこではない。
「いや、いいのか勝手にそんな……」
倫理的にも普通なら罰当たりもいいところなことを言っている二人にただ俺は呆れた。
そんな俺に、奈都は「大丈夫ですよ」と笑うのだ。
「この樹海なら一本や二本くらいバレませんって」
何一つ大丈夫ではなさそうだ。
「いや待てよ。だからって、仲吉一人じゃ無理だろ……」
そこらへんの公園に生えてる木ですら業者頼みになるくらいなものに、一介の大学生がこの樹海ですくすくと栄養を吸って育ったあのぶっとい木を道具一つで伐採できるとは思えなかった。
なんとしても脱出したい奈都と、それを手助けしたいらしい仲吉らしい無謀で手段を選ばない方法だ。否定の言葉を口にするが、能天気の権化・仲吉は「まあ、なんとかなるだろ」と笑うばかりで。
なんとかってなんだよ、と突っ込みたいが頭が痛くなってきた……気がする。
そんなときだった。
「つか、こいつが樹ぃ伐るものあんのかよ」
俺の背後に隠れていた南波も流石に呆れていたようだ。思わず口を挟んでくる南波に、奈都は「はい」と頷くのだ。
「この間掃除したとき物置に斧がありました」
ああ、そう言えばあったなそんなもの。扉に突き刺さり、藤也が引き抜いた斧を思い出した。
花鶏にこってり絞られたあと、確か取り上げられたんだった。
どこに行ったのか気になっていたが、なるほど。物置に放置されていたのか。それにしても奈都はよくそんなもの見付け出したな。
「斧……っ、いや、あんな細いの振り回すくらいなら燃やした方がはえーだろ……ぜってえ」
そして、斧と言われてうっかり藤也に頭かち割られたことを思い出したようだ。顔を青くし、だらだらと冷や汗を滲ませる南波。
その言葉に俺達ははっとする。
「……燃やす?」
「いや、いやいやいや、そんなことしたら仲吉が放火犯扱いされるじゃないっすか! それに、巻き込まれたら流石に危ねえし……」
「なっ、生意気なこと言ってすみません! そういうつもりじゃなかったんです! すみません! 指詰めてきます!」
「いえ、詰めなくていいので……っ! すみません、俺も怒ってませんから……っ!」
怒鳴られたように感じたらしい、リードの限界まで離れた南波はあわわわと青褪め土下座してくる。そんな南波につられてあわあわしながらフォローした。
南波と話すときは言い方に気をつけなければ、と再び胸に刻むことにする。
「ん? 俺放火犯なの?」
「お前はなにも気にしなくていい」
「なんだよそれ、仲間外れはんたーい!」
「いえ……まあ確かに、僕たちだけならいざ知らず、仲吉さんまで巻き込まれるのは本意ではありませんしね」
「ですが、燃料になるものだけでも持ってきていただければこちらでも使えそうですね……」なんて一人でブツブツなにかを呟いてる奈都にただ冷や汗が滲んだ。
話題、話題を変えよう。このままでは危険な流れになっている。それに、仲吉はアホなので本気で山ごと燃やそうとしかねない。
「……なあ、斧の他になにかなかったのか? その、チェーンソーとか……」
「僕が見た限りは見当たりませんでしたね……後は本当に枝を切るための鋏とか」
「枝整えたって仕方ねえしな」
そして、振り出しに戻る。うーんと奈都たちは唸った。正直言って、俺としては諦めてくれた方が一番いい。
そりゃあここから出たくないわけではないが、仲吉に危険な真似をさせることはしたくなかった。
なんて思っていると。
「とにかくまあ、一旦斧で試してみるか? 一回その結界だかがある樹のところ行ってみればいいんだろ?」
「……いっとくけどな、仲吉。その樹って一本だけじゃないんだぞ」
「なら片っ端から伐ればいいだけだろ」
「お前はなんでそんなにお気楽なんだよ。万が一伐れたとしても、もし傾いた樹に潰されそうになったこと考えてみろよ。地盤に影響が出て土砂崩れになる可能性だってあるんだぞ」
「まーまーそういう心配は本当に潰されてからしろって。ほら、後悔先に立たずって言うだろ」
それはまたなんか違うだろう。
俺に対し一歩も引こうとしない仲吉は小さく微笑み、「別に死にやしねーよ」と気休めにもならない言葉を投げ掛けてきた。
「……」
本当、こいつは人の気も知らないで。
俺はいつでも仲吉を出迎えれるようにあの崖上へと来ていた。
日が登り、日照り始めた森の中。
早朝独特のひんやりとした空気を感じながら、南波とともに俺はみんみんと喧しいセミの鳴き声をBGM代わりに仲吉がやってくるのを待っていた。
そして、どれほど時間が経過しただろうか。
日の位置が高くなり、じりじりと肌を刺すような陽射しが注ぎ始めた頃。
タイヤが砂利を踏む音が聞こえてくる。そして顔を上げれば、見覚えのある車が一台止まった。
――仲吉だ。
「なんだ、お前ずっと待ってたのか?」
「……やることねーからな」
「とか言って、なんだかんだ俺が来るの楽しみにしてたんだろ?」
「別に、期待はしてなかったけどな」
「なに照れてんだよ」
……別に照れてはない。
車から降りる仲吉は、そのまま車の後ろに回る。開くバックドアの中を覗きながら「今日は一人か?」と仲吉は聞いてくる。
「いや、南波さんも一緒だ」
「ああ、どうもこんにちは南波さん」
あらぬ方向へと頭を下げる仲吉に「そっちじゃねえよ」と唸る南波。やはり南波の姿は仲吉には見えないようだ。
「どうだったんだ? もらえたか?」
「ああ、なんとかな」
そう、トランクから大きめの段ボールを取り出した仲吉はそのままそれを俺に見えるように近くの平らな岩の上に置いた。それから他にも紙袋を取り出す仲吉。
結界に近づき過ぎないように警戒しながら、俺はじりじりと荷物に近付いた。
「一応部屋に残ってた本とか。こっちは雑誌と新聞……あとこれは俺からの差し入れね」
「差し入れ?」
「…あ、丁度いいや。これ南波さんたち用の酒。渡しといて」
そう俺に缶をダースごと渡してくる仲吉。
「酒だ!酒!」と先程までとは打って変わって大喜びしながら南波が受け取っていく。
「うお! 勝手に浮いてる!」
「今南波さんが喜んでるぞ」
「はは! そりゃよかった、本当はギリギリまで冷やしてたんだけどやっぱ限界あるからな」
早速ぷしゅっと音を立て缶を開けてる南波を尻目に、俺は「ありがとな」と代わりに礼を言っておく。
「やめろよ、今更水臭いな。……んで、お前にはこっち」
そう言って、再び運転席へ戻ったと思いきや仲吉はこちらへとなにかを放り投げてくる。
「あっぶね!」と慌てて受け取れば、それは俺が生前よく愛飲していたコーヒーだった。
久し振りに見た気がする。
「南波さんが酒もいけるってことは、お前も飲めるんだろ?」
「ん、まあ……けど、これ……」
「そっちも冷たいぞ、クーラーガンガンかけて冷やしといたから」
「…………いいのか?」
仲吉だってよく飲んでたはずだ。自分で飲めばいいものを、思わずちらりと見れば仲吉は「そのために持ってきたんだよ」と笑った。
「あとこれはこの間の余りの甘酒。俺だけで消費すんのキツかったから皆で飲めよ」
「んだよ、気が利くじゃねえか!」
「……南波さんが喜んでるぞ」
「はは? まじ? やった」
南波さん、まだ朝ですよとか言いたいことは色々あったが……まあ、いいか。
「南波さん、あまりグイグイ飲まない方がいいんじゃ……また、俺に運ばれることになりますよ」
早速一本空にして、二本目に手をかける南波に忠告だけしておくことにしたが、どうやらその忠告は効果覿面だったようだ。南波は手にした缶をそのままそっとケースの中に戻していた。
――おお、我慢した。
そんなに俺に運ばれるのが嫌だったのか、必死に葛藤と格闘しているようだ。うぐぐ、となっている南波に内心傷付きつつ「後であっちに戻ったらたくさん飲みましょう」とフォローを入れれば、ケースを大事そうに抱えた南波はコクコクと小さく頷いた。
抱えてるのが酒が入った箱ではなければまだ可愛く見えたのかもしれない。
「そんじゃ行こーぜ、あとりんさんたちにもお菓子持ってきたから」
言いながら、仲吉は買い物袋を取り出す。
今から宅飲みでもするのかという内容物だ。
「お前な、あんま無駄遣いするなって。花鶏さんからも言われただろ」
「いいじゃんいいじゃん。お供え物みてーなものじゃん」
「それは……」
中身を覗けば、確かにお盆によくスーパーで並んでるようなラインナップも取り揃えられている。
確かに、言われてみればそういうことなのか?いや、こいつに騙されるな。
と、頭を横に振って思考を振り払う。
そんな俺の横、仲吉はさっさと歩き出した。
「あっ、おい……!」
「ってことでまた案内頼むわ、準一」
元はと言えば、こいつに甘えたのは俺なわけだしとやかく言う事はできない。
それに、最初からそのつもりだ。
「……分かったよ」
「そんなに拗ねんなって。ちゃんとお前へお土産もあるから」
そう笑う仲吉。思わず「お土産?」と聞き返すが、仲吉はそれ以上なにも言わず、楽しそうに歩き出した。
勝手に歩き出してんじゃねえよと思いながら、慌てて俺はその後を追いかける。
仲吉の抱えてる箱と袋を受け取れば「お、悪いな」と仲吉は目を丸くした。
「重くないか?」
「見た目よりはそんなに」
「へえ、便利だな」
なんて会話を交わしながら、俺は後からついてくる南波のリードが木の枝に引っかかってないか気をつけながらも樹海を潜ることにした。
ーー八月某日。
半日振りに会った友人は昨日よりも顔色が良くなっていたような気がした。
「もうこれだけか?」
「ああ、そうだな」
場所は変わって屋敷内自室。
結局仲吉と南波にも手伝ってもらって荷物を部屋の中へと運び入れることとなる。
「よっこいしょー!」
「おい、そっと置けって。床抜けるだろ」
「大丈夫大丈夫! ほら、ぴんぴんしてるって」
言いながら床を撫でる仲吉。どこを見てぴんぴんしてると判断してるのか謎だが、こいつの思考回路を百読もうとすらこと自体無駄だ。
荷物自体それほどなかったために位置往復で済んだ。
ようやく一息つく俺の横、仲吉はどっこいしょと腰を下ろした。
「一応すぐ持って来れそうなのだけ持ってきたんだけどそれでよかったよな? まだ足りなかったんならまた取りに戻るけど」
「いや、今はまだこれだけで十分だ」
ポンポンと近くの段箱を叩く仲吉に首を横に振る。そして、そのまま釣られて俺は中を開ける。
「準一の実家の方行ったら、もう遺品処分する用意してたからさ、俺まじで焦ったんだよな。慌てて預かりますって頭下げたらなんとかなんとか貰えてほんと、間一髪って感じ」
「まあ……そうだろうな」
恐らく俺の済んでた部屋も引き払われてるはずだ。
うちの家族はわりとその辺はすっぱりしてるしな、と思い出しながらも箱のガムテープを破る。
段ボール箱を開けば、中から本が現れた。
どれも本棚に並べるだけになっていた本たちだ。いつか読むだろうと思って並べていたが、まさか今になって役に立つ日が来るなんて思いもしなかった。
そしてそのまま本を取り出し、箱の側に積んでいく。それを一通り退かすと、下からは雑誌や漫画類が現れた。
面白いから読めよと仲吉に押し付けられたまま結局読まずじまいで返しそびれたハードカバーのホラー小説を退かせば、それは現れる。
その表紙には黒髪を横に流し、やけに色っぽい顔をした裸エプロンを着たカメラ目線の女性が描かれ、その横には『淫乱人妻特集!えっちな奥さまのご近所付き合いの方法とは?』というやけに身も蓋もない煽り。
ひくりと顔面を引きつらせた俺はなにごともなかったかのように仲吉から借りた小説をその上に乗せた。
「おい……まさかこれ全部実家にあったやつか?」
そして、キリキリと疼く胃の辺りを押さえながら俺はあくまでなにも見なかったようにそう恐る恐る尋ねる。
すると、ギリギリなにも見てなかったらしい仲吉は相変わらず無邪気な笑顔を浮かべ「ああ」と頷いてみせた。その一言に全身に戦慄が走る。
――ああ最悪だ。
せめて処分しとくべきだった。
くそ、なんで俺は形に残るものを買ったんだ馬鹿か俺は。俺の馬鹿。死にたい。死んでるけども。
今すぐエロ本を窓の外から投げ出したい衝動に駆られながら、こっそ箱に手を伸ばし中に隠していたエロ本を取ろうとする南波の手を叩く。
「ひぃッ!」と青い顔した南波は慌てて後退した。
というか本当この人はちょくちょく手癖が悪いというか、しかも見ていたのか素早く隠したつもりだったのに……!
「でもまあ、これでちょっとは暇潰しになりそうだな」
エロ本はともかくだ。
だらだらと流血する手を押さえながら生意気な真似してすみませんごめんなさいと喚く南波にこちらこそすみませんと謝りつつ、そう強引に話題を変える。
これだけ本があれは暫くは時間を潰すこともできるだろう。
「ありがとな、仲吉」
「なんだよ水臭いな。こんくらい気にすんなって」
そして俺たちは段ボールを開け、中身を確認する作業を再開させることにした。
エロ本は空になった段ボールの下敷きにしてやり過ごした。
それから全ての段ボールを開けるという作業を一段落終え、まったりと床の上で座り込んで寛いでいたときだった。
不意にコンコンと控えめなノック音が室内に響き、壊れた扉が開く。
誰かきたのか。まさか幸喜じゃないだろうな、と身構えながらも駆け寄ったとき。
扉の向こうには意外な人物が立っていた。
「あ、あの……すみません、お邪魔しちゃって」
そこに立っていたのは奈都だった。
相変わらず季節外れの着込んだ青年は、俺の肩越しにちらりと部屋の奥に目を向ける。
「奈都、どうしたんだ?」
「仲吉さんが来てる、と聞いて……その、少し仲吉さんにお話がありまして」
「……お話?」
「なになに? 俺がどーしたの?」
どうやら仲吉にも奈都の姿は見えているようだ。名前を呼ばれたことに気付いた仲吉は立ち上がり、にゅっと俺の後ろに立つ。
「ええと、あの、ちょっといいですか?」
「ん? 外ってこと?」
「は、はい……」
そう小さく頷き、奈都は今度はどことなく気まずそうにこちらを見る。そして、納得する。
なるほど、俺抜きで仲吉と一体一で話したいということか。
心配にならないといえば嘘になるが、相手はまだ常識的……であるはずの奈都だ。幸喜ではない。
お前に任せる――そう仲吉に視線を向ければ、奈都同様に俺の反応を待っていた仲吉は頷き、笑った。
「了解。んじゃ、ちょっと奈都に預かられてくるな」
「預からせていただきます」
「奈都、仲吉のやつがなんか失礼したらすぐに呼べよ」
「はは……ありがとうございます、準一さん」
そう奈都はほっとしたように笑っていた。
奈都の笑顔は新鮮だ。まあ、大丈夫……だよな。
そんな気持ちで部屋を出ていく二人を見送る。
こっそり後を着けるのもなんだか二人に悪いし、でも正直気になる。やはり、この前仲吉がどこかで奈都を見たことあると言っていたのがなにか関係しているのだろうか。
なんて一人、ぐるぐると考えていたときだった。
「しっかしまあ、この女乳でかすぎっしょ。絶対詰め物入ってんな、これ。なあ藤也」
「……知らない」
「おやまあ……準一さんは人妻ものが好きなんですか? なかなかいい趣味をお持ちでいらっしゃいますね」
「テメェ、おい返せよっ! 俺が見てんだろうがッ! 勝手にページめくんじゃねえ!!」
「……………………」
上から幸喜、藤也、花鶏、そして南波。
どっから沸いてきたのか、わいわいきゃっきゃと賑やかな気配が一気に増えたときには時すでに遅し。
慌てて振り返れば、いつの間にかに勢揃いした連中はエロ本を取り囲んでいた。そんな光景を目の当たりにし、全身から血の気が引いた。
「なっ、ど……っい、いつから……ッ」
「準一さんが憂いを帯びた表情で連れていかれた仲吉さんを見詰めていた辺りですね」
「いたんなら声かけたらどうですか……っ!」
さらりと答えつつ、エロ本を取り返そうとする南波のリードを引っ張り止める花鶏。その顔に悪びれた様子など微塵も感じられなかった。というか憂い帯びてない。描写しないでくれ。
そしてそんな横、南波から取り上げたエロ本(人妻特集)をペラペラと流し読みしてる双子たちに俺はもう生きた心地がしなかった。
「っていうかなに勝手にしてるんですか……っ!」
「まあまあ良いじゃん良いじゃん俺達仲間だろ?」
「お前、こういうときだけ……ッ」
「それにしてもまあ、準一も一応男なんだな! 真面目ぶってる堅物かと思ったら淫乱人妻巨乳かよ!」
「うっせえな、たまたまその特集だったんだよ……っ!」
「こらこら、駄目ですよ幸喜、人の性癖を笑っては。こういうのは人それぞれですからね、私はいいと思いますよ。人のものを欲しがるのも種の存続本能が強く、且つ身勝手で傲慢……なんとも人間らしいではございませんか」
「ち、ちが……ッ、だから……」
「……不純」
「う゛……ッ」
弄り倒すくらいなら逸そ罵倒してくれとは思ったが、ここまでストレートな罵倒もなかなかメンタルにくるものがある。藤也のやや冷たい視線混じりの他のメンツからの微笑ましい~という視線がただひたすら公開処刑に等しい。
何故俺はこんなに辱めを受けているのか。
「しっかし、死んでもしっかり性欲あるなんていいじゃんいいじゃん! けど、そんなに溜まってんだったら言ってくれりゃあいいのに」
「お前……っ、ちが、大体これは俺が持ってきたくて持ってきたわけじゃねえから! 勝手に入ってたんだよ!」
「犯人は大体そう言うんだよ、観念しろ」
「やめろのしかかって来るな……っ!」
なんてうざ絡みしてくる幸喜に凍りつき、慌てて引き剥がして逃げようとしたときだった。
見兼ねた花鶏がごほんと咳払いをする。
「幸喜、お止めなさい。……そんなに虐めては準一さんが可哀想じゃありませんか」
「あ、花鶏さん……」
さっきあんたもしっかりと加担してたけどな、と思った矢先だった。花鶏はこちらを見て艷やかに微笑む。
「せめて裸えぷろんを着たじーかっぷの淫乱黒髪人妻に化けて差し上げたらどうですか?」
「おっ、ナイスアイデア花鶏さん!」
何を言い出すのだこの男は、と俺が固まるのも束の間。「そぉれ」とその場でくるりと幸喜が回った次の瞬間、ぽんっ! と幸喜の周辺に煙が沸き立つ。
まじでなんなんだ。
そして束の間、もくもくと紫の煙が晴れていったと思った矢先、晴れた先に浮かぶ影を目の当たりにした俺は文字通り絶句した。
エロ本の表紙の娘と同じような女体とそれを纏う真っ白なフリル付きのエプロン。その肉質感は紛れもなく本物に近いが、問題は体ではなくその上――頭部だった。
明るい茶髪は黒く染まったが、しかしその顔はどっからどうみてもそのまま――というか黒髪になったお陰で首だけ藤也で身体がグラビアアイドルというキメラが出来上がっていたのだ。
「ひ……っ」
「ありゃ、藤也になっちゃっふぎっ!」
瞬間、間髪入れずに手に持った雑誌を丸く丸めた藤也は自分の顔で裸エプロンを着用する幸喜の顔面にそれを叩き付ける。素晴らしい早業だった。
あとはもう、いつもの兄弟喧嘩の流れだ。
それを察知した俺は南波を誘導し、逃げるように奈都たちが出ていった廊下へとこっそり抜け出すことにした。
――別に兄弟喧嘩をしようが構わないが、なぜ俺の部屋でするんだ。
避難のため俺と南波は部屋を離れ、廊下を歩いていた。
どうやら花鶏は逃げ遅れたようだ。まあ、無駄に図太そうあの人のことだ。心配しなくていいだろう。
「準一さん、俺も人妻好きっす」
「……ありがとうございます、南波さん」
なんの告白だ、と思ったがもしかしなくても南波なりのフォローらしい。いやこの人の場合本当に見境なさそうだしな。
――屋敷二階、廊下。
なんて話しながら歩いていると、ふと前方に仲吉と奈都を見つけた。こちらに向かってきていた二人も俺達に気付いたようだ。
「おー準一!」と仲吉が大きくこちらに向かって手を振り、それからすぐにばたばたとこちらへと駆け寄ってくる。仲吉に慣れていないらしい南波は「げっ」と声をあげ、俺の影に隠れた。
「仲吉、奈都も……。話はもう済んだのか?」
「えぇ、お陰様で。……仲吉さんが話しやすい方だったので」
俺の質問に答えたのは、仲吉の後ろからついてきていた奈都だった。
大丈夫だろうと内心心配していたが、見たところ二人の空気感も悪くはないし誤魔化してるように見えない。
「ならよかった」万一仲吉が失礼なことをしてたらとヒヤヒヤしていたが、どうやら杞憂だったようだ。ほっとする俺を尻目に、仲吉は奈都に目配せをする。
「なあ奈都、準一なら話していいんじゃね」
「……そうですね」
「ん? どうした?」
なんだか含みのある言葉に気になって尋ねれば、仲吉は「気になる?」と悪巧みするような意地の悪い笑みを浮かべた。どうやら気になると言ってほしいらしい仲吉のため「気になる気になる」と適当に頷いてやれば、「しっかたないな、じゃあ教えてやるよ」と自信ありげに胸を張る。子供か。
「いや、今さ、結界? つーかほら、近付けない場所あるらしいじゃん。だから、そこに俺が行ってその結界自体をどうにか出来ないかって話してたんだよ」
「僕たちなら近付けないんですが、生きてる仲吉さんなら破ること出来ないかなって思って」
「結界……って、確か樹のあれだよな。注連縄の」
「そうそう。だから、それなら樹伐っちゃえばいいじゃんって」
相変わらず疑うことを知らない無邪気な仲吉は「なあ」と奈都に同意を求め、それにつられるように奈都は「はい」と頷く。
随分意気投合したようだ。いや、それはそれでいいのだが突っ込みどころはそこではない。
「いや、いいのか勝手にそんな……」
倫理的にも普通なら罰当たりもいいところなことを言っている二人にただ俺は呆れた。
そんな俺に、奈都は「大丈夫ですよ」と笑うのだ。
「この樹海なら一本や二本くらいバレませんって」
何一つ大丈夫ではなさそうだ。
「いや待てよ。だからって、仲吉一人じゃ無理だろ……」
そこらへんの公園に生えてる木ですら業者頼みになるくらいなものに、一介の大学生がこの樹海ですくすくと栄養を吸って育ったあのぶっとい木を道具一つで伐採できるとは思えなかった。
なんとしても脱出したい奈都と、それを手助けしたいらしい仲吉らしい無謀で手段を選ばない方法だ。否定の言葉を口にするが、能天気の権化・仲吉は「まあ、なんとかなるだろ」と笑うばかりで。
なんとかってなんだよ、と突っ込みたいが頭が痛くなってきた……気がする。
そんなときだった。
「つか、こいつが樹ぃ伐るものあんのかよ」
俺の背後に隠れていた南波も流石に呆れていたようだ。思わず口を挟んでくる南波に、奈都は「はい」と頷くのだ。
「この間掃除したとき物置に斧がありました」
ああ、そう言えばあったなそんなもの。扉に突き刺さり、藤也が引き抜いた斧を思い出した。
花鶏にこってり絞られたあと、確か取り上げられたんだった。
どこに行ったのか気になっていたが、なるほど。物置に放置されていたのか。それにしても奈都はよくそんなもの見付け出したな。
「斧……っ、いや、あんな細いの振り回すくらいなら燃やした方がはえーだろ……ぜってえ」
そして、斧と言われてうっかり藤也に頭かち割られたことを思い出したようだ。顔を青くし、だらだらと冷や汗を滲ませる南波。
その言葉に俺達ははっとする。
「……燃やす?」
「いや、いやいやいや、そんなことしたら仲吉が放火犯扱いされるじゃないっすか! それに、巻き込まれたら流石に危ねえし……」
「なっ、生意気なこと言ってすみません! そういうつもりじゃなかったんです! すみません! 指詰めてきます!」
「いえ、詰めなくていいので……っ! すみません、俺も怒ってませんから……っ!」
怒鳴られたように感じたらしい、リードの限界まで離れた南波はあわわわと青褪め土下座してくる。そんな南波につられてあわあわしながらフォローした。
南波と話すときは言い方に気をつけなければ、と再び胸に刻むことにする。
「ん? 俺放火犯なの?」
「お前はなにも気にしなくていい」
「なんだよそれ、仲間外れはんたーい!」
「いえ……まあ確かに、僕たちだけならいざ知らず、仲吉さんまで巻き込まれるのは本意ではありませんしね」
「ですが、燃料になるものだけでも持ってきていただければこちらでも使えそうですね……」なんて一人でブツブツなにかを呟いてる奈都にただ冷や汗が滲んだ。
話題、話題を変えよう。このままでは危険な流れになっている。それに、仲吉はアホなので本気で山ごと燃やそうとしかねない。
「……なあ、斧の他になにかなかったのか? その、チェーンソーとか……」
「僕が見た限りは見当たりませんでしたね……後は本当に枝を切るための鋏とか」
「枝整えたって仕方ねえしな」
そして、振り出しに戻る。うーんと奈都たちは唸った。正直言って、俺としては諦めてくれた方が一番いい。
そりゃあここから出たくないわけではないが、仲吉に危険な真似をさせることはしたくなかった。
なんて思っていると。
「とにかくまあ、一旦斧で試してみるか? 一回その結界だかがある樹のところ行ってみればいいんだろ?」
「……いっとくけどな、仲吉。その樹って一本だけじゃないんだぞ」
「なら片っ端から伐ればいいだけだろ」
「お前はなんでそんなにお気楽なんだよ。万が一伐れたとしても、もし傾いた樹に潰されそうになったこと考えてみろよ。地盤に影響が出て土砂崩れになる可能性だってあるんだぞ」
「まーまーそういう心配は本当に潰されてからしろって。ほら、後悔先に立たずって言うだろ」
それはまたなんか違うだろう。
俺に対し一歩も引こうとしない仲吉は小さく微笑み、「別に死にやしねーよ」と気休めにもならない言葉を投げ掛けてきた。
「……」
本当、こいつは人の気も知らないで。
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