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I will guide you one person
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「ってことで、一旦帰らせていただきます」
――屋敷内、応接室。
そこにはソファーで寛ぐ花鶏と、そんな花鶏にリードを掴まれたまま不機嫌顔の南波がいた。
一通りの事情を説明すれば、花鶏は「そういうことでしたか」と微笑む。
「そろそろ日が落ちる頃なので夜道には気を付けて下さいね」
「ありがとうございます、あとりんさん」
すっかりあとりんさんで定着してるな、と仲吉を横目に見てたとき。「あ、そうだ」と仲吉は思い出したように声を上げた。
「あとりんさん、またここに来るときなんかちゃんとした土産持ってきたいんすけど。幽霊って食べ物とかどうなんですか? なんか欲しいもんとかあったら持ってきますけど」
「いえ、我々死者に気遣いなど無用です。その気持ちだけで有り難いものです」
「酒! 焼酎! 日本酒!」
「……おや、なにやら雑音が聞こえてきますね」
南波の酒コールは仲吉には届いていないようだ。「雑音?」と小首傾げる仲吉に、「南波さんはお酒がいいってよ」と耳打ちすれば「ああ、そういうこと」と笑った。
「全く……申し訳ございません、仲吉さん。ですが本当にお気遣いなど結構ですからね。私は、貴方のような方が遊びに来てくださるだけでも喜ばしいことだと思っておりますので」
「いえ、あとりんさんもありがとうございます。……それじゃ、そろそろ俺も帰ります」
「ええ、またお待ちしております」
花鶏たちと別れ、俺は仲吉を見送るために一緒に応接室を出た。
――応接室前廊下。
「あれ、お二人とも……どこか行かれるんですか?」
そこには奈都がぼうっと立っていた。どうやら応接室へと向かう途中だったようだ。
陰に紛れて現れた奈都にぎょっとする俺の横、仲吉は驚くことなく「いや、帰るとこなんだ」と笑った。
「もう帰ってしまうんですか?」
「ああ、用事できてな。……あ、でもまたすぐ戻ってくるから」
「……そうですか」
そう答える奈都はどこかほっとした様子だった。
なんとなくその表情が引っ掛かった。そんなに喜ばしいことなのだろうか、そんな小骨のような違和感だったが、ただでさえ退屈な樹海だ。幽霊が見れる客人という刺激を求めてしまうのも無理はないかと自分を納得させることにした。
奈都とも軽い別れの挨拶を済ませ、そのままの足取りで俺達は玄関ロビーへと続くY字の階段を下っていく。いつの日か落とされていたシャンデリアのトラウマが過り、なるべく壁際を歩きながらそのまま俺達は屋敷の外へと出た。
――屋敷外、樹海。
「じゃあ持ってくるのは電気を使わないやつだけでいいんだな?」
「ああ」
「他にいるもんとかねーの?」
「……いや、それだけでいい。あんまでかい荷物だったら怪しまれるかもしんねえから気を付けろよ」
「おーけー、了解」
車を停めてあるという崖へと歩く途中。
念押しする俺に仲吉はヘラヘラと笑いながら頷く。
本当にわかっているのか心配だ。
あまりにも緊張感がない仲吉を横目に見れば、目が合う。
またなにか口煩く言われると思ったのだろうか、俺が口を開くより先に仲吉は「でも」と声を上げた。
「本当におばさんたちに言わなくていいのか?」
「言うって、なにが」
「準一のこと。通夜で久し振りに会ったけど、すっげー元気なかったぞ」
そりゃ通夜でハイテンションになる身内はそうそういないだろう。
突っ込みかけて、やめた。そのときの家族の様子を想像すると胸の奥がちくりと傷んだからだ。
――確かに、家族のことは気掛かりだった。
が、だからといってこの山から出られることが出来ない今なにをすることも出来ない。
「こう、安心させるため手紙とか書いたら? 僕は元気です~みたいな」
なんのホラーだよ。気を遣ってくれているのか、また妙な提案をしてくる仲吉に突っ込まずにはいられない。
死んだはずの家族から手紙って普通に怖いぞ。
「……あの人たちの中じゃもう俺は死んだことになってるんだよ。無理して掘り返す必要もないだろ」
「えー、準一がまだいるってわかったら喜んで会いに来ると思うけどなあ」
俺の言葉が納得いかないのか、そう不思議そうな顔をする仲吉。
楽観的で脳みそお花畑な仲吉らしい意見だと思ったが、相手は仲吉ではなくうちの家族だ。
まず俺がまだいるという話を信じてくれるかどうかすらわからないし、もし万が一信じてくれたとしても問題はある。
……例えば、相性だ。
「仲吉、お前なにか勘違いしてるようだけどな、相手がお前だから俺はこうして話せるんだよ」
「会いに来た全員が全員、仲吉みたいに俺の声が聞こえるかわからないだろ」そうだ、幽霊はいると信じている仲吉だからこそこうして話すことが出来るんだ。
残念ながら、俺の頭が堅いのは血筋らしくうちの家族は夢の欠片もないやつばっかだ。
そうきっぱりと言い切れば、仲吉は少し意外そうな顔をする。
「それって、俺が特別ってこと?」
「……まあ、そうなるんじゃないのか? ……って、なんだよその顔」
「や、なんか、そういうの……すっげーこう嬉しいなーって」
耳を赤くした仲吉は目があえば気恥ずかしそうにはにかみ、慌てて顔を逸らした。
そこまで大したことを言ってないつもりだが、仲吉の中での特別という言葉が意味あるものだったということだろう。
今更こっちまで恥ずかしくなってきたが、否定出来ないのも事実だ。
俺は「そうだな」とだけ答え、顔を逸らした。
そんなやり取りをしてる間に、あっという間に例の崖下まで辿り着く。
「お前これ登んのか」
足を止め、見上げる。
手摺に手頃な樹や蔦が生えたその斜面は緩やかだが、それでも安全とは言い難い。
「うん、何度かやってるし」
そんな俺の横、同じように崖上を見上げる仲吉。
……そういやこいつ廃病院の門よじ登るようなやつだった。
「でも、油断するなよ」
「わかったわかった。……本当、心配し過ぎなんだよ準一は。こんくらい余裕だって」
「けど……」
「ま、そんときは準一が受け止めてくれるだろ」
冗談のつもりだろうが、全く笑えなかった。
「おい」と睨めば、仲吉は笑った。そして、やつが「んじゃ、また後でな」と近くにあった木の幹に手を置いたときだった。
「あーーっ!」
聞こえてきたのは鼓膜をぶち破るほどの大きな声だった。辺りに木霊するその声に驚き、発生源である後方を振り返る。
そして、木々の間。そこに立っていたやつらの姿を見て血の気が引いた。
「仲吉じゃん、仲吉みっけー!! おい藤也、ほらあいつだ! 仲吉だ!! 仲吉来てんじゃん!!」
「……見ればわかる」
「なんだよもー準一のいけず~! 仲吉来てんなら教えてくれりゃあいいじゃん! せっかく飛び降りドッキリさせてやろうと思ったのにさ~!」
顔形は瓜二つ、しかし纏う空気は対照的な双子の青年――もとい幸喜と藤也がそこに立っていた。
このタイミングで現れるか。
このまま会わなければそれが一番いい、そう願っていたがどうやらそれは無理な願いだったようだ。
「あ、なに? あれも幽霊?」
どうやら仲吉にも見えているようだ。仲吉の視線の先には確かに幸喜がいた。
「お前、見え……」
「そうそう幽霊! つーか見えるようになったんだね、よかったよかった~! 準一が仲吉仲吉仲吉仲吉仲吉仲吉って煩かったからこれでようやく準一が寂しくならなくて済むんだ、おめでとう!」
見えるのか、と続けようとする俺の声は幸喜によって掻き消される。
そして幸喜は一瞬の内に消えたと思えば、次の瞬間にゅっと俺と仲吉の間へと割り込んでくる。
やつの瞬間移動に驚く暇もなく、あいつは笑顔を浮かべ「やるじゃん」と大袈裟な拍手をするのだ。
「……っおい……」
こいつが現れたことも最悪だが、余計なことまでぼろぼろと口にする幸喜に動揺せざる得ない。
勝手なことを言うな、と睨めば「別に隠さなくてもいいじゃん?」と歯を見せて笑うのだ。
そして俺の隣、呆気取られていた仲吉の胸に指を突き立てる。
「ずーっと準一、お前のこと気にかけてたんだよ」
「俺?」
「そう、お前だよお前」
いきなり現れて捲し立ててくる幸喜に流石の仲吉も圧倒されているようだ。
あまりの近距離、何をしでかすか分からないやつなだけに俺は咄嗟に「幸喜」と仲吉から引き剥がそうとしたときだった。
俺がそうするよりも先に、音もなく幸喜の背後に立った藤也が幸喜の首根っこを掴み、半ば強制的に引き離す。
「なんだよ、邪魔すんなよな藤也。別に俺嘘ついてないだろ?」
「知らない」
「出た出た、『知らない』。知らねーやつの前だから緊張してんの? それとも準一の前だからカッコつけてんの?」
「どうでもいいって言ってんの」
そう問答無用で抜け出そうとしていた幸喜を再び引きずる藤也。
あの暴走機関車のような幸喜を片手で止めていることに驚いていると、ふと藤也は俺の方を見上げる。
「……もう帰るの?」
「あ……ああ。こいつを長居させるわけにはいかないし」
幸喜がいる手前、また来るだとか余計なことは言わない方がいいだろう。
そうはぐらかしたとき、そこでようやく固まっていた仲吉がくいくいと俺の服を引っ張ってくる。
「なんだよ」と顔を向ければ、仲吉は「つかなに、あとりんさんの言ってた他の住人?」とひそひそと小声で尋ねてくる。
「あー……まあ、そんな感じだな」
「お? なになになに? もしかしてもう花鶏さんたちに会ったの? ってことは奈都屋南波さんとも?」
すると、地獄耳幸喜は藤也の拘束から抜け出しまた仲吉の隣に現れた。
にゅっと当たり前のように会話に混ざってくる幸喜に流石の仲吉も「おわっ!」と驚きの声をあげる。
「なにそれすげえ、瞬間移動?」
「あは、だろ? 仲吉にもできるようにしてやろうか?」
「え、まじで……」
「おい幸喜!」
あまりにも笑えない冗談を口にする幸喜に血の気が引く。自分でも予期せず大きな声が出てしまい、遠くで鳥が数羽羽撃く音が聞こえてきた。
青ざめる俺に「必死じゃん、準一」と幸喜は喉を鳴らすのだ。
「ま、お楽しみは後からっていうしな」
「お前な……」
「それより、自己紹介だっけ? 俺は幸喜。んであっちにいるのが俺の弟の藤也君です!」
そう、木陰の下で退屈そうにしていた藤也を指す幸喜。意外にも素直に自己紹介する幸喜に驚いたが、それよりも「あっち?」と小首傾げる仲吉に引っ掛かった。
「お前……藤也は見えないのか?」
「トーヤ? トーヤってやつがいるのか?」
「おい藤也、出てこいよ! 仲吉がお前に会いたがってんぞ~!」
どうやら意図的に藤也は自分の姿を隠しているようだ。
幸喜に煽られるが、藤也は表情ひとつ変えない。どうやらよろしくするつもりはないようだ。
藤也なら仕方ないか、と納得できてしまうのだから不思議だ。寧ろ、俺は幸喜にもそうしてほしいと切に思うが。
「藤也は恥ずかしがり屋さんだからな。ま、俺の可愛い弟君だから仲良くしてやってくれよな。あ、もちろん俺とも!」
「ああ、よろし――」
何気ない仕草で仲吉に手を差し出す幸喜に、これまた何気ない仕草でそれを握り返そうと手を伸ばす仲吉。その不自然に丸まった幸喜の手に目を向けた俺はぎょっとした。
そして咄嗟に幸喜の拳を掴めば、突然握手の邪魔をされた仲吉は「準一?どうした?」と目を丸くするのだ。
「こんなところで愚図ってる暇ないだろ。ほら、さっさと行けよ」
握手の邪魔をされたのが意外だったのか、驚く仲吉に構わず俺はそう急かせば物分りの悪いあいつも何かを気取ったようだ。「ん、ああ」となんとなく戸惑いつつも仲吉はそのまま歩き出すのだ。
感じはよくないだろうが、仲吉を離れさせるためだ。後で謝ればいいだろう。
思いながら、固められた幸喜の指を剥がす。
「んじゃ、またな」
そう少し寂しそうにする仲吉だったが、すぐに気を取り直したように笑顔を浮かべこちらへと手を振り返すのだ。
そしてそのまま仲吉は離脱した。
残されたのは俺と双子のみ。
僅かにゆるくなった幸喜の手の中、いつの日かと同じように仕込まれたガラスの破片をもぎ取った俺はそのまま遠くへと放り投げた。
ガラスの破片を握った拍子に掌が傷付けられたらしい、掌からポタポタと滴る血液を感じながら俺は目に前で笑ってる幸喜を睨んだ。
手で握って隠せるくらいの大きさだったが、使い用によっては重傷に追い込むこともできる。
「あれ? 準一って人が話してんの邪魔するような意地悪な人だったんだ?」
「あんなもの持って握手しようとするやつに言われたくねえよ」
「ははっ! そんなこと言うなよ、せっかくこっちに来たんだから仲間外れは可哀想だろ?」
「お前がやんねーから俺が代わりに一皮脱いでやったっていうのに酷いよな」笑う幸喜に罪悪感は微塵も感じられなかった。
何が、俺のためだ。
こいつの言葉を真に受けるだけ無駄だと分かっていても腹立たしかった。
「準一、手、血ィ出てるよ」
幸喜の言葉に釣られて自分の掌に視線を向ける。
先ほど、破片を奪った拍子に傷付けてしまったようだ。恐らく、それ以外にも原因はあるのだろうが。
「……っ、お前のせいだろうが」
「そんなに仲吉殺されたくないんだ? そんなにムキになっちゃうなんて、本っ当準一ってかわいーよね」
幸喜に隠れ、服の裾で掌にべっとり付いた血を拭うように傷を治そうとした矢先だった。
伸びてきた幸喜の手に、たった今傷を治そうとしていた腕を掴まれる。
「……っ!」
「あはっ、せっかく塞がったのにまた出てきちゃったね~血」
「さ、わるな……ッ」
「そんなに毛嫌いしなくったっていいだろ? 俺は準一と仲良くなりたいだけなんだし」
「あ、もちろん仲吉ともな」と歯を剥き出しにして笑う幸喜に背筋が凍り付く。
こいつの言葉に裏もなにもない、何も考えてない発言だとしても不愉快だった。
幸喜に掴まれた腕、その皮膚の下で細胞がさざめき立つような感覚がただ不愉快だった。ぶちぶちと毛細血管が千切れるような感触がし、俺は必死にそれを意識しないように幸喜の手を振り払おうとするがやつの手はびくともしない。
「っ、……なに」
「なにって、せっかく仲吉と遊ぼうと思ったのに逃がされちゃったから、こうなったら準一で遊ぼうかなって思ってさ」
「……っ、どうしてそうなるんだよ」
「んー、ムカつくから?」
「……は?」
「だってせっかくイイとこだったのに、準一邪魔しちゃったじゃん。一応準一のためでもあったのにさ」
いけしゃあしゃあとこの男は勝手なことを言い出すのだ。
「俺のためって……」
「準一も欲しいだろ? 新しい“友達”」
「だから連れてきたんだろ、あいつ」と平然と幸喜は口にした。ああ、と思った。やはりこいつとは分かり合えない。
「お前……ッ」
不快感や恐怖よりも込み上げてきたのは怒りだった。分かっていたはずだ、こいつがこういうやつだということは身を持って。
その腕を振り払おうと血の滲む拳に力を入れたときだった。
「――幸喜」
いつの間にかに隣にやってきていた藤也は、静かに幸喜の名前を呼ぶ。
俺を見据えていた幸喜の眼球が動き、目だけ藤也の方へと向いた。
「なんだよ藤也、今いーとこなんだけど? しょうもないこと言ったら切腹させるからな」
「……今、狸があっちにいった」
――は?
一瞬、藤也の言葉の意味が分からなかった。
狸って言ったか、今。……なんで?
そう思った矢先だった。
「え……?! 狸?! まじまじまじ?! ちょ、どこ、狸どこ!」
狸という単語に幸喜は飛び上がる勢いで俺から離れるのだ。いきなりテンション上昇させる幸喜に鼓膜ぶち破られそうになりながら、俺は何事かと目の前の幸喜を見た。
そしてそんな幸喜に驚くわけでもなく、藤也は「あっち」と屋敷がある方角を指差すのだ。
「そういうことは早く言えよな藤也! ちょ、俺行ってくる! 早く捕まえた方が勝ちだからな!」
そう鼻息荒くした幸喜はそのテンションのまま屋敷の方へと猛ダッシュしていく。それをヒラヒラ手を振りながら見守る藤也。
そして、なにが起きたのか分からずそこで立ちすくむ俺。
「……な、なんだったんだ」
いつもの流れならば、また殺されるかもしれない。
そんな覚悟をしていただけに、あっさりと俺から手を引いて狸を優先させる幸喜になんだか出鼻を挫かれたような気持ちになる。
「……幸喜は狸がお気に入りだから」
そんな俺に、藤也はぽつりと呟く。そして俺に向き直った。相変わらず何を考えているのか読みにくい黒黒とした二つの目がこちらをじっと見る。
そしてその視線はそのままゆっくりと落ちていき、俺の手へと向けられるのだ。
「準一さん、手」
藤也に指摘され、つられて視線を落とし、ぎょっとした。気付かない内に出血していただけだった拳は鬱血したかのうに紫色に変色していた。
幸喜に触れられていたせいだろうか、「うわっ!」と思わず声をあげれば、藤也は「気付くの遅すぎ」と小さく呟くのだ。
「それ、大丈夫なの」
「あ……ああ、多分……」
「……それならいいけど」
無意識というものは恐ろしい。
これ以上藤也に余計な心配をかけたくなくて、俺は精神を安定させることに務めることにした。
幸喜がいなくなり、静まり返った崖の下。
暫くもしないうちに鬱血は解消され、ようやく指先まで元の血の通った手が蘇る。
あのまま放置してたら腐り落ちてたのではないのだろうか。そうぞっとしてると、隣までやってきた藤也は崖の上を見上げながら「あの人」と小さく呟いた。
「ん?」
「あの人、もう帰ったの?」
「……仲吉のことか? 仲吉なら、ちょっと色々頼んでてな。また後で来ることになってるんだ」
「ふーん、良かったじゃん」
「……良かった、のか?」
なんとなく疑問系になってしまう俺に、藤也はじとりとこちらを見上げた。
「嫌なの?」
「いや、嫌じゃねーけど……」
正直、さっきみたいなことがまたあるとなると肝が冷えるようだった。
「嫌じゃないけど、なに?」
「……正直、自分でも分からない」
「分からない? ……会いたかったのに?」
「……ああ、会いたかったけど。いざ会ってみると……」
「嫌だった?」
「……その逆だよ」
会えて嬉しかった。というか、あいつがいつも通り過ぎて逆に時折自分が死んだことを忘れかけるくらいだ。
「……逆? 嬉しかった?」
「……まあ、多少は」
「ふうん、なにが不満なわけ?」
「不満っていうか……怖いんだ」
「怖い?」と藤也は小首を傾げる。
弱味を見せ、そして受け入れてくれた藤也が相手だからだろう。こんな風に本音を吐露することができるのは。
「あいつ、また来るって言ってたんだ。……それも毎日。それって、どうなんだ?」
「どうって?」
「だって、あいつにはあいつの生活があるのに……」
そこまで言いかけて、自分の本音に気付く。
本来ならば既に死人である俺が干渉すべき存在ではないのだ、あいつだ。けれど俺があいつの日常を壊してしまったのではないかと今になって怖くなっている。
はっとする俺に、藤也はただじっとこちらを見ていた。
「……別にいいんじゃない?」
「い、良いって……そんな簡単に……」
「向こうが来たいって言ってるんだし、それにあんただって会いたかったんでしょ?」
静かに尋ねられ、つらりとこくりと頷き返せば「ならそれでいいじゃん」とそっぽ向くのだ。
「……あんたは今、自分のことだけを考えた方がいい」
そして、藤也は繰り返す。
藤也は人の生死に興味がないからこそそう簡単に言えるのだろう。確かに藤也からしてみれば仲吉は赤の他人だ。それでも、俺のためを思ってそう言ってくれるのだから余計麻痺してしまいそうになるのだ。
「ああ、分かってる。分かってるけど……」
「本当、人間って面倒臭いね」
「め……ッ」
というか、お前だって元人間だろ。とツッコミそうになり、やめた。
「……面倒で悪かったな」
「別に、苦しむのはアンタ自身だけだから」
「う゛……」
本当に歯に絹着せぬ物言いをするやつだ。
……けれど、その通りなのだから返す言葉もない。
それ以上会話は続かなかった。そのまま立ち去ろうとする藤也にはっとし、「そうだ」と声をあけまた。
「……お前なんで仲吉から隠れてたんだよ」
すると、藤也は立ち止まりこちらを振り返る。
「別に、わざわざ出る必要なかったし」
本当に、正直なやつだ。
今更呆れはしないけども。
「せっかく紹介しようと思ったのに」
「俺をあの人に? ……なんで?」
「なんでっていうか……ほら、色々お世話になったし」
「やっぱ、そういうのってちゃんと言っておきたいだろ」嘘ではない、ドライなところもあるがなんだかんだ藤也は優しいし面倒見もいい。
仲吉と仲良くしてほしいとまで我が儘は言わない。なにかあったとき仲吉を守ると考えたものの、やはり一人手は不安要素が多くなるべく藤也の力を借りたかったというのも本音だ。
そういうことを含めて二人には仲良くしてもらいたいと思ったのだが、やはりこんなことを言えば藤也にキレられそうだ。
一人百面相をする俺に対し、藤也は「変なの」と呟き小さく笑う。
「まあ、様子見て考えるよ」
「様子見って」
笑う藤也にも驚いたが、その言葉に戸惑わずにはいられない。
保留ということだろうか。突っぱねられるよりは遥かにましなのだろうが、素直に喜べばいいのかわからないが、そんな藤也の笑顔に少しだけほっとした。
……やはり俺って単純なやつなのだろうか。
――屋敷内、応接室。
そこにはソファーで寛ぐ花鶏と、そんな花鶏にリードを掴まれたまま不機嫌顔の南波がいた。
一通りの事情を説明すれば、花鶏は「そういうことでしたか」と微笑む。
「そろそろ日が落ちる頃なので夜道には気を付けて下さいね」
「ありがとうございます、あとりんさん」
すっかりあとりんさんで定着してるな、と仲吉を横目に見てたとき。「あ、そうだ」と仲吉は思い出したように声を上げた。
「あとりんさん、またここに来るときなんかちゃんとした土産持ってきたいんすけど。幽霊って食べ物とかどうなんですか? なんか欲しいもんとかあったら持ってきますけど」
「いえ、我々死者に気遣いなど無用です。その気持ちだけで有り難いものです」
「酒! 焼酎! 日本酒!」
「……おや、なにやら雑音が聞こえてきますね」
南波の酒コールは仲吉には届いていないようだ。「雑音?」と小首傾げる仲吉に、「南波さんはお酒がいいってよ」と耳打ちすれば「ああ、そういうこと」と笑った。
「全く……申し訳ございません、仲吉さん。ですが本当にお気遣いなど結構ですからね。私は、貴方のような方が遊びに来てくださるだけでも喜ばしいことだと思っておりますので」
「いえ、あとりんさんもありがとうございます。……それじゃ、そろそろ俺も帰ります」
「ええ、またお待ちしております」
花鶏たちと別れ、俺は仲吉を見送るために一緒に応接室を出た。
――応接室前廊下。
「あれ、お二人とも……どこか行かれるんですか?」
そこには奈都がぼうっと立っていた。どうやら応接室へと向かう途中だったようだ。
陰に紛れて現れた奈都にぎょっとする俺の横、仲吉は驚くことなく「いや、帰るとこなんだ」と笑った。
「もう帰ってしまうんですか?」
「ああ、用事できてな。……あ、でもまたすぐ戻ってくるから」
「……そうですか」
そう答える奈都はどこかほっとした様子だった。
なんとなくその表情が引っ掛かった。そんなに喜ばしいことなのだろうか、そんな小骨のような違和感だったが、ただでさえ退屈な樹海だ。幽霊が見れる客人という刺激を求めてしまうのも無理はないかと自分を納得させることにした。
奈都とも軽い別れの挨拶を済ませ、そのままの足取りで俺達は玄関ロビーへと続くY字の階段を下っていく。いつの日か落とされていたシャンデリアのトラウマが過り、なるべく壁際を歩きながらそのまま俺達は屋敷の外へと出た。
――屋敷外、樹海。
「じゃあ持ってくるのは電気を使わないやつだけでいいんだな?」
「ああ」
「他にいるもんとかねーの?」
「……いや、それだけでいい。あんまでかい荷物だったら怪しまれるかもしんねえから気を付けろよ」
「おーけー、了解」
車を停めてあるという崖へと歩く途中。
念押しする俺に仲吉はヘラヘラと笑いながら頷く。
本当にわかっているのか心配だ。
あまりにも緊張感がない仲吉を横目に見れば、目が合う。
またなにか口煩く言われると思ったのだろうか、俺が口を開くより先に仲吉は「でも」と声を上げた。
「本当におばさんたちに言わなくていいのか?」
「言うって、なにが」
「準一のこと。通夜で久し振りに会ったけど、すっげー元気なかったぞ」
そりゃ通夜でハイテンションになる身内はそうそういないだろう。
突っ込みかけて、やめた。そのときの家族の様子を想像すると胸の奥がちくりと傷んだからだ。
――確かに、家族のことは気掛かりだった。
が、だからといってこの山から出られることが出来ない今なにをすることも出来ない。
「こう、安心させるため手紙とか書いたら? 僕は元気です~みたいな」
なんのホラーだよ。気を遣ってくれているのか、また妙な提案をしてくる仲吉に突っ込まずにはいられない。
死んだはずの家族から手紙って普通に怖いぞ。
「……あの人たちの中じゃもう俺は死んだことになってるんだよ。無理して掘り返す必要もないだろ」
「えー、準一がまだいるってわかったら喜んで会いに来ると思うけどなあ」
俺の言葉が納得いかないのか、そう不思議そうな顔をする仲吉。
楽観的で脳みそお花畑な仲吉らしい意見だと思ったが、相手は仲吉ではなくうちの家族だ。
まず俺がまだいるという話を信じてくれるかどうかすらわからないし、もし万が一信じてくれたとしても問題はある。
……例えば、相性だ。
「仲吉、お前なにか勘違いしてるようだけどな、相手がお前だから俺はこうして話せるんだよ」
「会いに来た全員が全員、仲吉みたいに俺の声が聞こえるかわからないだろ」そうだ、幽霊はいると信じている仲吉だからこそこうして話すことが出来るんだ。
残念ながら、俺の頭が堅いのは血筋らしくうちの家族は夢の欠片もないやつばっかだ。
そうきっぱりと言い切れば、仲吉は少し意外そうな顔をする。
「それって、俺が特別ってこと?」
「……まあ、そうなるんじゃないのか? ……って、なんだよその顔」
「や、なんか、そういうの……すっげーこう嬉しいなーって」
耳を赤くした仲吉は目があえば気恥ずかしそうにはにかみ、慌てて顔を逸らした。
そこまで大したことを言ってないつもりだが、仲吉の中での特別という言葉が意味あるものだったということだろう。
今更こっちまで恥ずかしくなってきたが、否定出来ないのも事実だ。
俺は「そうだな」とだけ答え、顔を逸らした。
そんなやり取りをしてる間に、あっという間に例の崖下まで辿り着く。
「お前これ登んのか」
足を止め、見上げる。
手摺に手頃な樹や蔦が生えたその斜面は緩やかだが、それでも安全とは言い難い。
「うん、何度かやってるし」
そんな俺の横、同じように崖上を見上げる仲吉。
……そういやこいつ廃病院の門よじ登るようなやつだった。
「でも、油断するなよ」
「わかったわかった。……本当、心配し過ぎなんだよ準一は。こんくらい余裕だって」
「けど……」
「ま、そんときは準一が受け止めてくれるだろ」
冗談のつもりだろうが、全く笑えなかった。
「おい」と睨めば、仲吉は笑った。そして、やつが「んじゃ、また後でな」と近くにあった木の幹に手を置いたときだった。
「あーーっ!」
聞こえてきたのは鼓膜をぶち破るほどの大きな声だった。辺りに木霊するその声に驚き、発生源である後方を振り返る。
そして、木々の間。そこに立っていたやつらの姿を見て血の気が引いた。
「仲吉じゃん、仲吉みっけー!! おい藤也、ほらあいつだ! 仲吉だ!! 仲吉来てんじゃん!!」
「……見ればわかる」
「なんだよもー準一のいけず~! 仲吉来てんなら教えてくれりゃあいいじゃん! せっかく飛び降りドッキリさせてやろうと思ったのにさ~!」
顔形は瓜二つ、しかし纏う空気は対照的な双子の青年――もとい幸喜と藤也がそこに立っていた。
このタイミングで現れるか。
このまま会わなければそれが一番いい、そう願っていたがどうやらそれは無理な願いだったようだ。
「あ、なに? あれも幽霊?」
どうやら仲吉にも見えているようだ。仲吉の視線の先には確かに幸喜がいた。
「お前、見え……」
「そうそう幽霊! つーか見えるようになったんだね、よかったよかった~! 準一が仲吉仲吉仲吉仲吉仲吉仲吉って煩かったからこれでようやく準一が寂しくならなくて済むんだ、おめでとう!」
見えるのか、と続けようとする俺の声は幸喜によって掻き消される。
そして幸喜は一瞬の内に消えたと思えば、次の瞬間にゅっと俺と仲吉の間へと割り込んでくる。
やつの瞬間移動に驚く暇もなく、あいつは笑顔を浮かべ「やるじゃん」と大袈裟な拍手をするのだ。
「……っおい……」
こいつが現れたことも最悪だが、余計なことまでぼろぼろと口にする幸喜に動揺せざる得ない。
勝手なことを言うな、と睨めば「別に隠さなくてもいいじゃん?」と歯を見せて笑うのだ。
そして俺の隣、呆気取られていた仲吉の胸に指を突き立てる。
「ずーっと準一、お前のこと気にかけてたんだよ」
「俺?」
「そう、お前だよお前」
いきなり現れて捲し立ててくる幸喜に流石の仲吉も圧倒されているようだ。
あまりの近距離、何をしでかすか分からないやつなだけに俺は咄嗟に「幸喜」と仲吉から引き剥がそうとしたときだった。
俺がそうするよりも先に、音もなく幸喜の背後に立った藤也が幸喜の首根っこを掴み、半ば強制的に引き離す。
「なんだよ、邪魔すんなよな藤也。別に俺嘘ついてないだろ?」
「知らない」
「出た出た、『知らない』。知らねーやつの前だから緊張してんの? それとも準一の前だからカッコつけてんの?」
「どうでもいいって言ってんの」
そう問答無用で抜け出そうとしていた幸喜を再び引きずる藤也。
あの暴走機関車のような幸喜を片手で止めていることに驚いていると、ふと藤也は俺の方を見上げる。
「……もう帰るの?」
「あ……ああ。こいつを長居させるわけにはいかないし」
幸喜がいる手前、また来るだとか余計なことは言わない方がいいだろう。
そうはぐらかしたとき、そこでようやく固まっていた仲吉がくいくいと俺の服を引っ張ってくる。
「なんだよ」と顔を向ければ、仲吉は「つかなに、あとりんさんの言ってた他の住人?」とひそひそと小声で尋ねてくる。
「あー……まあ、そんな感じだな」
「お? なになになに? もしかしてもう花鶏さんたちに会ったの? ってことは奈都屋南波さんとも?」
すると、地獄耳幸喜は藤也の拘束から抜け出しまた仲吉の隣に現れた。
にゅっと当たり前のように会話に混ざってくる幸喜に流石の仲吉も「おわっ!」と驚きの声をあげる。
「なにそれすげえ、瞬間移動?」
「あは、だろ? 仲吉にもできるようにしてやろうか?」
「え、まじで……」
「おい幸喜!」
あまりにも笑えない冗談を口にする幸喜に血の気が引く。自分でも予期せず大きな声が出てしまい、遠くで鳥が数羽羽撃く音が聞こえてきた。
青ざめる俺に「必死じゃん、準一」と幸喜は喉を鳴らすのだ。
「ま、お楽しみは後からっていうしな」
「お前な……」
「それより、自己紹介だっけ? 俺は幸喜。んであっちにいるのが俺の弟の藤也君です!」
そう、木陰の下で退屈そうにしていた藤也を指す幸喜。意外にも素直に自己紹介する幸喜に驚いたが、それよりも「あっち?」と小首傾げる仲吉に引っ掛かった。
「お前……藤也は見えないのか?」
「トーヤ? トーヤってやつがいるのか?」
「おい藤也、出てこいよ! 仲吉がお前に会いたがってんぞ~!」
どうやら意図的に藤也は自分の姿を隠しているようだ。
幸喜に煽られるが、藤也は表情ひとつ変えない。どうやらよろしくするつもりはないようだ。
藤也なら仕方ないか、と納得できてしまうのだから不思議だ。寧ろ、俺は幸喜にもそうしてほしいと切に思うが。
「藤也は恥ずかしがり屋さんだからな。ま、俺の可愛い弟君だから仲良くしてやってくれよな。あ、もちろん俺とも!」
「ああ、よろし――」
何気ない仕草で仲吉に手を差し出す幸喜に、これまた何気ない仕草でそれを握り返そうと手を伸ばす仲吉。その不自然に丸まった幸喜の手に目を向けた俺はぎょっとした。
そして咄嗟に幸喜の拳を掴めば、突然握手の邪魔をされた仲吉は「準一?どうした?」と目を丸くするのだ。
「こんなところで愚図ってる暇ないだろ。ほら、さっさと行けよ」
握手の邪魔をされたのが意外だったのか、驚く仲吉に構わず俺はそう急かせば物分りの悪いあいつも何かを気取ったようだ。「ん、ああ」となんとなく戸惑いつつも仲吉はそのまま歩き出すのだ。
感じはよくないだろうが、仲吉を離れさせるためだ。後で謝ればいいだろう。
思いながら、固められた幸喜の指を剥がす。
「んじゃ、またな」
そう少し寂しそうにする仲吉だったが、すぐに気を取り直したように笑顔を浮かべこちらへと手を振り返すのだ。
そしてそのまま仲吉は離脱した。
残されたのは俺と双子のみ。
僅かにゆるくなった幸喜の手の中、いつの日かと同じように仕込まれたガラスの破片をもぎ取った俺はそのまま遠くへと放り投げた。
ガラスの破片を握った拍子に掌が傷付けられたらしい、掌からポタポタと滴る血液を感じながら俺は目に前で笑ってる幸喜を睨んだ。
手で握って隠せるくらいの大きさだったが、使い用によっては重傷に追い込むこともできる。
「あれ? 準一って人が話してんの邪魔するような意地悪な人だったんだ?」
「あんなもの持って握手しようとするやつに言われたくねえよ」
「ははっ! そんなこと言うなよ、せっかくこっちに来たんだから仲間外れは可哀想だろ?」
「お前がやんねーから俺が代わりに一皮脱いでやったっていうのに酷いよな」笑う幸喜に罪悪感は微塵も感じられなかった。
何が、俺のためだ。
こいつの言葉を真に受けるだけ無駄だと分かっていても腹立たしかった。
「準一、手、血ィ出てるよ」
幸喜の言葉に釣られて自分の掌に視線を向ける。
先ほど、破片を奪った拍子に傷付けてしまったようだ。恐らく、それ以外にも原因はあるのだろうが。
「……っ、お前のせいだろうが」
「そんなに仲吉殺されたくないんだ? そんなにムキになっちゃうなんて、本っ当準一ってかわいーよね」
幸喜に隠れ、服の裾で掌にべっとり付いた血を拭うように傷を治そうとした矢先だった。
伸びてきた幸喜の手に、たった今傷を治そうとしていた腕を掴まれる。
「……っ!」
「あはっ、せっかく塞がったのにまた出てきちゃったね~血」
「さ、わるな……ッ」
「そんなに毛嫌いしなくったっていいだろ? 俺は準一と仲良くなりたいだけなんだし」
「あ、もちろん仲吉ともな」と歯を剥き出しにして笑う幸喜に背筋が凍り付く。
こいつの言葉に裏もなにもない、何も考えてない発言だとしても不愉快だった。
幸喜に掴まれた腕、その皮膚の下で細胞がさざめき立つような感覚がただ不愉快だった。ぶちぶちと毛細血管が千切れるような感触がし、俺は必死にそれを意識しないように幸喜の手を振り払おうとするがやつの手はびくともしない。
「っ、……なに」
「なにって、せっかく仲吉と遊ぼうと思ったのに逃がされちゃったから、こうなったら準一で遊ぼうかなって思ってさ」
「……っ、どうしてそうなるんだよ」
「んー、ムカつくから?」
「……は?」
「だってせっかくイイとこだったのに、準一邪魔しちゃったじゃん。一応準一のためでもあったのにさ」
いけしゃあしゃあとこの男は勝手なことを言い出すのだ。
「俺のためって……」
「準一も欲しいだろ? 新しい“友達”」
「だから連れてきたんだろ、あいつ」と平然と幸喜は口にした。ああ、と思った。やはりこいつとは分かり合えない。
「お前……ッ」
不快感や恐怖よりも込み上げてきたのは怒りだった。分かっていたはずだ、こいつがこういうやつだということは身を持って。
その腕を振り払おうと血の滲む拳に力を入れたときだった。
「――幸喜」
いつの間にかに隣にやってきていた藤也は、静かに幸喜の名前を呼ぶ。
俺を見据えていた幸喜の眼球が動き、目だけ藤也の方へと向いた。
「なんだよ藤也、今いーとこなんだけど? しょうもないこと言ったら切腹させるからな」
「……今、狸があっちにいった」
――は?
一瞬、藤也の言葉の意味が分からなかった。
狸って言ったか、今。……なんで?
そう思った矢先だった。
「え……?! 狸?! まじまじまじ?! ちょ、どこ、狸どこ!」
狸という単語に幸喜は飛び上がる勢いで俺から離れるのだ。いきなりテンション上昇させる幸喜に鼓膜ぶち破られそうになりながら、俺は何事かと目の前の幸喜を見た。
そしてそんな幸喜に驚くわけでもなく、藤也は「あっち」と屋敷がある方角を指差すのだ。
「そういうことは早く言えよな藤也! ちょ、俺行ってくる! 早く捕まえた方が勝ちだからな!」
そう鼻息荒くした幸喜はそのテンションのまま屋敷の方へと猛ダッシュしていく。それをヒラヒラ手を振りながら見守る藤也。
そして、なにが起きたのか分からずそこで立ちすくむ俺。
「……な、なんだったんだ」
いつもの流れならば、また殺されるかもしれない。
そんな覚悟をしていただけに、あっさりと俺から手を引いて狸を優先させる幸喜になんだか出鼻を挫かれたような気持ちになる。
「……幸喜は狸がお気に入りだから」
そんな俺に、藤也はぽつりと呟く。そして俺に向き直った。相変わらず何を考えているのか読みにくい黒黒とした二つの目がこちらをじっと見る。
そしてその視線はそのままゆっくりと落ちていき、俺の手へと向けられるのだ。
「準一さん、手」
藤也に指摘され、つられて視線を落とし、ぎょっとした。気付かない内に出血していただけだった拳は鬱血したかのうに紫色に変色していた。
幸喜に触れられていたせいだろうか、「うわっ!」と思わず声をあげれば、藤也は「気付くの遅すぎ」と小さく呟くのだ。
「それ、大丈夫なの」
「あ……ああ、多分……」
「……それならいいけど」
無意識というものは恐ろしい。
これ以上藤也に余計な心配をかけたくなくて、俺は精神を安定させることに務めることにした。
幸喜がいなくなり、静まり返った崖の下。
暫くもしないうちに鬱血は解消され、ようやく指先まで元の血の通った手が蘇る。
あのまま放置してたら腐り落ちてたのではないのだろうか。そうぞっとしてると、隣までやってきた藤也は崖の上を見上げながら「あの人」と小さく呟いた。
「ん?」
「あの人、もう帰ったの?」
「……仲吉のことか? 仲吉なら、ちょっと色々頼んでてな。また後で来ることになってるんだ」
「ふーん、良かったじゃん」
「……良かった、のか?」
なんとなく疑問系になってしまう俺に、藤也はじとりとこちらを見上げた。
「嫌なの?」
「いや、嫌じゃねーけど……」
正直、さっきみたいなことがまたあるとなると肝が冷えるようだった。
「嫌じゃないけど、なに?」
「……正直、自分でも分からない」
「分からない? ……会いたかったのに?」
「……ああ、会いたかったけど。いざ会ってみると……」
「嫌だった?」
「……その逆だよ」
会えて嬉しかった。というか、あいつがいつも通り過ぎて逆に時折自分が死んだことを忘れかけるくらいだ。
「……逆? 嬉しかった?」
「……まあ、多少は」
「ふうん、なにが不満なわけ?」
「不満っていうか……怖いんだ」
「怖い?」と藤也は小首を傾げる。
弱味を見せ、そして受け入れてくれた藤也が相手だからだろう。こんな風に本音を吐露することができるのは。
「あいつ、また来るって言ってたんだ。……それも毎日。それって、どうなんだ?」
「どうって?」
「だって、あいつにはあいつの生活があるのに……」
そこまで言いかけて、自分の本音に気付く。
本来ならば既に死人である俺が干渉すべき存在ではないのだ、あいつだ。けれど俺があいつの日常を壊してしまったのではないかと今になって怖くなっている。
はっとする俺に、藤也はただじっとこちらを見ていた。
「……別にいいんじゃない?」
「い、良いって……そんな簡単に……」
「向こうが来たいって言ってるんだし、それにあんただって会いたかったんでしょ?」
静かに尋ねられ、つらりとこくりと頷き返せば「ならそれでいいじゃん」とそっぽ向くのだ。
「……あんたは今、自分のことだけを考えた方がいい」
そして、藤也は繰り返す。
藤也は人の生死に興味がないからこそそう簡単に言えるのだろう。確かに藤也からしてみれば仲吉は赤の他人だ。それでも、俺のためを思ってそう言ってくれるのだから余計麻痺してしまいそうになるのだ。
「ああ、分かってる。分かってるけど……」
「本当、人間って面倒臭いね」
「め……ッ」
というか、お前だって元人間だろ。とツッコミそうになり、やめた。
「……面倒で悪かったな」
「別に、苦しむのはアンタ自身だけだから」
「う゛……」
本当に歯に絹着せぬ物言いをするやつだ。
……けれど、その通りなのだから返す言葉もない。
それ以上会話は続かなかった。そのまま立ち去ろうとする藤也にはっとし、「そうだ」と声をあけまた。
「……お前なんで仲吉から隠れてたんだよ」
すると、藤也は立ち止まりこちらを振り返る。
「別に、わざわざ出る必要なかったし」
本当に、正直なやつだ。
今更呆れはしないけども。
「せっかく紹介しようと思ったのに」
「俺をあの人に? ……なんで?」
「なんでっていうか……ほら、色々お世話になったし」
「やっぱ、そういうのってちゃんと言っておきたいだろ」嘘ではない、ドライなところもあるがなんだかんだ藤也は優しいし面倒見もいい。
仲吉と仲良くしてほしいとまで我が儘は言わない。なにかあったとき仲吉を守ると考えたものの、やはり一人手は不安要素が多くなるべく藤也の力を借りたかったというのも本音だ。
そういうことを含めて二人には仲良くしてもらいたいと思ったのだが、やはりこんなことを言えば藤也にキレられそうだ。
一人百面相をする俺に対し、藤也は「変なの」と呟き小さく笑う。
「まあ、様子見て考えるよ」
「様子見って」
笑う藤也にも驚いたが、その言葉に戸惑わずにはいられない。
保留ということだろうか。突っぱねられるよりは遥かにましなのだろうが、素直に喜べばいいのかわからないが、そんな藤也の笑顔に少しだけほっとした。
……やはり俺って単純なやつなのだろうか。
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