モノマニア

田原摩耶

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人の心も二週間

不審者と狂犬

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 扉を開くと、既に消灯の時間が過ぎていたようで廊下は真っ暗だった。
 うわぁ、超不気味じゃん。なんて思いながらも一歩踏み出した。そのときだ。

「「「仙道さん、お勤めお疲れ様でした!!」」」

 綺麗にそろった三つの声。
 ぎょっと目を見開き、振り返ればそこには90°に腰を折り曲げ頭を下げる赤、黄、青の信号機カラーの派手な頭髪をした三人組。名前は忘れたけど、チームのやつだろう。その信号機カラーには見覚えがある。

「うん、多方面に誤解されるからそういう言い方やめてよね。っていうか君らわざとだよね?」

 ちーちゃんに聞かれてたら爆笑されてたぞ、と恥ずかしくなりながらも慌てて扉を閉める。
 呆れたように眉間を寄せる俺に、一番落ちいてそうな青が顔を上げる。

「いつまで経っても出てこないので乗り込もうかと相談してたんですよ」
「そーですよ!他の奴らは呼んでもねえのに出てくるし、残ってるのはあの石動千春と仙道さんだけって聞いてもしかしたらって……あいてっ!」

 青に隠れ、ぴーぴーと吠える黄の頭部をスパーンと叩く赤。今のは痛そうだ。

「馬鹿、本人に言うなよ!」
「なんだよ、殴んなよ!いてえんだよ!馬鹿になったらどうすんだよ!ばーか!」
「おい、お前ら喧嘩してる場合じゃないだろ!」

 ぎゃいぎゃいと本格的に掴み合いを始めそうな赤と黄に、呆れた顔の青が慌てて仲裁に入る。
 仲がいいのか悪いのかわからないが、なんだろうか。賑やかなのは髪と服装だけではないようだ。

「………ね、純はいないの?」

 恐らく、というか間違いなくこいつらは俺の出迎えを頼まれたのだろう。自発的なものかどうかは分からないが、いつもなら自ら率先して呼んでもないのに付け回してくる純やユッキーの姿がないのは気になった。
 尋ねてみれば、案の定三人の顔色が悪くなる。

「え?えーっと、純は……なあ?」
「なんか、昼飯で食った焼きそばパンに当たったとかって……ねえ?」
「気分悪くなったって先帰りました!」
「ふぅん……」

 上から赤、青、黄。うんまぁ、普通に怪しいよね。
 なにか隠している、そう直感した。

「じゃ、ユッキーも?」
「雪崎さんはなんか用事があるそうです」
「あ、二人がいなくても大丈夫ですよ!俺達が命に代えても仙道さんをお守りしますので!なあ!」

 黄の言葉に「「おう!」」と声を揃える二人。
 なんか無駄に張り切っているところが不気味なくらい心配なのだが、まあいい。煩かったら適当に撒けばいい話だ。

「ま、いいや。じゃ、静かにね」
「「「うっす!!!」」」

 聞いてたか、人の話。

 というわけで、俺は信号機の三人組を護衛に学生寮まで戻ることになった。
 消灯時間が過ぎ、いつも使ってるエレベーターが使えないのはダルかったけど階段があるので然程問題ではない。
 他にあるとしたら……。

「でも、夜の校舎ってなんかすげー雰囲気ありますよね」
「おい、やめろよ、変なこと言うの」
「言ってねーよ、別に。ビビり過ぎなんだって、お前」
「はあ?ビビってねえし!」

 肝試し気分なのか、ここがどこで今が何時なのかもお構いなしに大声ではしゃぐ後輩たち。
 その中でも特に声が煩い黄がえらく暗闇にビビっているようで、少し脅かしてやろうかなと俺は前を歩く黄に近付く。そして、

「……ふっ」
「ほわあああ!!!」

 無骨なピアスがぶらさがるその耳に息を吹きかければ、ビクゥッ!と飛び上がりこちらまで脱力しそうな抜けた悲鳴が辺りに響き渡る。やべえ、面白いけどすげえうるせえ。

「…君、静かにねぇ?」
「せ、仙道さんんん…………!」

 耳を抑えたまま真っ赤になって俺を見る黄に、自然と口元が緩む。後輩イジメ?違う違う、ただのスキンシップだってば。

「あーくそ、てめえの声でちびりそうになっただろ!ちょ、俺トイレ…」

 黄同様、オカルト方面には臆病らしい赤は内股で床を足踏みし始めた。
「トイレならそこの突き当りない?」そう、奥を指差せば、青い顔した赤はすかさず駆けていく。そして。

「あ、ありました!」

 そう声を上げる赤。すると、おずおずと黄も手を上げた。

「俺も、ちょっとトイレ……」

 そして、じわじわとトイレへと向かう黄に青は諦めたように息をつく。

「お前ら連れションかよ、早めに済ませろっていってただろ。ほら、仙道さん待たせんじゃねえぞ!」

「わかってる!」とトイレの方から二人の声が跳ね返ってきた。
 その場に二人残された俺と青。どうせなら青もトイレに行ってくれた方がよかったのだが二人に比べて用意周到なようだ、トイレに行く素振りすら見せない。
 なので、俺は正面切って行動することにした。

「じゃ、俺行くから」

 そう、隣の青に小さく手を上げれば、俺は青が動くより先にそのまま駆け出した。
 このままのほほんとアホヅラで後輩たちに庇われるのって、まあ普通にやだしね。

「えっ、ちょ、仙道さん!待ってくださいよ!一人はダメです!」

 青髪の声が背後から聞こえてくるが無視した。



 ――校舎内。
 突然開始された鬼ごっこに焦るように青髪が追いかけて来た。勿論、追い付かれるわけはないけど。

「んー、みんなそう言うんだけど、純たちからそう言われてるのぉ?」
「う…そ…それもありますけど、今は危ないんですって、ほら、皆ピリピリしてますし、なんか学校の中おかしいですし…っ」
「そうだね、マコちゃんがいなくなって調子付いてる」

 マコちゃんの前じゃ声も出せないようなやつが、粋がってる。
 もし俺が生徒会なんか入っていなければ、自ら一人ずつ制裁していくところだ。規約違反者を制裁する親衛隊の子たちが羨ましい。
 そう思う俺は宛らマコちゃん親衛隊だろうか。

「でしたら……っ、わぶ!」

 思いながら、本格的に青髪を撒こうとしたときだ。声が途切れたと思えば、次の瞬間、ガシャンとものが壁に当たるようなけたたましい音が響いた。
 脊椎反射で立ち止まり、振り返る。後方、青髪の足元にはどこから引っ張ってきたのか机が落ちていて。
 間一髪でそれを避けたらしい青髪の視線の先、開いた教室の扉から一人の影が現れた。

「おっしい!あともーちょいで頭いけたのに」

 まるでシュートに失敗した仲間を慰めるような、嫌味のなくてそれでいて軽薄な声。
 見慣れた制服の男の顔は見えないが、青髪の友達というわけでもなさそうだ。

「っなにすんだ、てめぇ!」

 ひっくり返った机の足を掴んだ青髪は、力任せにそれを男子生徒に向かって投げ付けた。それを軽々と避けた男子生徒の横、壁へ叩き付けられる机。
 ガラスが揺れ、どこかに亀裂が入った音が聞こえた。

「うわっとぉ!アブねぇな、そんなもん振り回しちゃって。当たったらどうすんだよ」

 笑いながら青髪から距離を取るそいつの後ろ姿に忍び寄り、肩を掴んだ。

「その言葉、そっくりそのまま返してあげようか?」

 あまり面倒事には関わりたくないが、目の前で校内を荒らす生徒がいてそれを見逃せるほど俺は寛容ではない。
 ましてや、マコちゃんが守ってきた校内の秩序を乱そうとするなら、余計。

「お、あんたがキョウだな。ステージで見るよりもずっとイイな。その目付き、堪んねえ」

 振り返ったそいつは、肩を掴む俺の手首を掴み返してくる。
 暗い廊下だ。顔まではハッキリと分からないが、見上げるほどの高身長はよくわかった。
 それよりも、『キョウ』と呼ばれ全身が反応する。それでも動揺を悟られないよう、なるべく声のトーンを落とした。

「……なあに?なんか俺の後輩に用?」
「ちげーって、用があんのはお前」

 乾いた笑い声。
 次の瞬間、手首を掴む男の指先にぐっと力が篭り、目の前のやつの体が傾いた。
 その男の動きを一足先に読み、咄嗟に顔を腕で庇った矢先、腕に衝撃が走った。

「……っ」

 蹴りをまともに受けるなんて、久し振りだ。
 腕が鈍っているということもあるだろうが、それ以上に男の一発は重く、受け止めた腕の骨が軋むのがわかる。だけど、我慢できないほどではない。

 そのまま足を掴もうとすれば、思いっきり振り払われもう一発腕に打ち込まれた。
 今度はわざと同じところを狙ってきたのだろう。
 走る激痛を受け流し、体勢を崩さないようなんとか踏み止まった俺は男の足を振り払った。

「へえ、結構蹴りには自信あったんだけどなぁ……さっすが、イエローエッジの頭張ってただけはあんな」
「なにそれ、ちょーだせぇ名前。そんなとこ知らねえし」

 余裕こいたやつの顔を凹まさなければ気が済まなくて、言い終わるより先にやつの顔面に握り締めた拳を思いっきり叩き込もうとしたとき。
 ちょんと腕を突かれ、軌道を逸らされる。するりと男の顔の横をすり抜ける自分の拳に目を見開いた時、思いっきり腕を引っ張られ、そのまま抱き寄せられた。
 瞬間、唇になにかが触れる。

「っ、ん……ッ!」

 全身が緊張し、慌てて離れようとするが腰を抱き締められ、更に深く唇を貪られた。
 こんなの、さっきの蹴りに比べたら痛くも痒くもないはずなのに。他人の熱が触れた瞬間、全身の筋肉が縮み込み、鼓動が跳ね上がる。

「てめえ、なにして……」

 追い付いた青髪が、俺たちに気付き声を失ったときだ。

「なにやってんだてめぇゴルァアアアッ!!!」

 聞き慣れた咆哮に、遠退き始めていた意識が強引に引き戻される。
 覚醒した意識の中、猛スピードで廊下を突っ走ってくるどこで調達したのか木製のバッドを手にした純の姿が視界に入った。

「っやっべぇ、うるせえの来た…」

 唇を離した男は、こちらへと凄まじいスピードで向かってくる純に顔を顰めた。
 瞬間、その隙を狙い、密着した男の腹部に思いっきり拳をのめり込ませれば、もろそれを鳩尾に食らった男は「っぅ゛、」と呻き、腰を抱く腕が緩む。
 そのまま男を蹴り上げ、強引に自分から引き離せば、小さく噎せるやつはやっぱり爽やかに微笑んだ。

「今度はケツの穴にキスしてやるよ、キョウ」

 そう言うなり、純から逃げるように駆け出す男は廊下の奥の暗がりへとあっという間に姿を暗ます。
 そんな男に、目を血走らせた純は「ぶっ殺すッ!」とバッド振り回しながらその後を追いかけて行った。
 俺も足の速さには自信がある方だが、ああなった純から逃げられる自信はない。
 それでも、急所を狙ったというのにあのスピードで走れる男に驚きを隠せない。
 あの男と純の姿が見えなくなった途端、まるで嵐が去ったあとのように辺りに静けさが戻る。

「っは、……っ」

 先ほどの不意打ちに、まだバクバクと煩い胸を抑える俺は唇を拭った。何度も、残った微熱を拭い捨てるように。
 俺のことをキョウと呼ぶ人間は少なくない。事実、自分がそう呼ぶように言ったからだ。
 親に付けられた自分の名前が嫌いで、親と同じ苗字が嫌いで、だから、反抗期真っ盛りだった俺は周りにキョウと呼ぶように強制した。
 仙道京という自分を忘れたかったから、呼び名を変えたら自分も変われるような気がした。だから、当時、俺のことを知っているやつらはキョウと呼ぶ。
 だけど、チームのやつら違う。俺がヒズミに負けて、チームを解散させたとき、誰も俺のことをキョウと呼ばなくなった。今度はキョウという名前を捨て、仙道京に戻った。
 でも、今ならわかる。名前を捨てたところで全てを断ち切れるわけではないと。
 俺のことをキョウだと呼んだ男には、見覚えがない。
 あんな失礼な奴、接触していたら一発で覚えてるだろうが、正直、あまり人の顔を覚えることが得意ではない俺は記憶力に自信がない。興味ない人間の顔は片っ端から忘れていく性質なのだ。

「仙道さん!」

 やがて、遠くから複数の足音が聞こえてきて、赤と黄がやってきた。青い顔して駈けつけてくるやつらに「大丈夫、大丈夫だから」と宥めた時、

「なにも大丈夫じゃないだろ」
「…ユッキー」

 騒ぎで駆け付けたのかもしれない。赤と黄たちの後ろに立っていたユッキーは、俺の目の前にやってくる。
 その顔に、いつものような人良さそうな笑みはない。
 …………やばい、怒ってる。

「なんで見張りを置いていくような真似したんだ」
「……やっぱり、ユッキーの仕業なわけ。この子ら」
「一人のときを狙われたら厄介だからな」
「要らないし、そんなの。俺一人でもあの程度ならやり返せるから」
「そうだな、あの程度が一人だけならな」

 そう言って、ユッキーは視線を逸らした。どこか含んでようなその言葉に、俺は目を細める。
 ピリつく空気の中、「すみません!」と赤と黄の声が重なった。

「雪崎さん、仙道さんは悪くないんです。俺がトイレ行こうとか切り出したばかりに」
「夜食べ過ぎなかったら…」

 しょんぼりと項垂れる二人に、冷ややかな目をしたユッキーは「ああそうだな、今度から仙道を見張る前は断食しろ」と素っ気無く答える。刺々しいその一言に、なんとなくカチンと来た。
 けど、後輩に庇われるのは少しだけ癪で。

「別に、君らは悪くないよ」
「そうだ、悪いのは無鉄砲なこいつだ」

 この野郎。そう、俺がユッキーを睨んだ時。

「ああっくそ、逃げられたっ!」

 吼えるような怒鳴り声とともに、壁が小さく軋んだ。
 戻ってきた純は、イラつきが収まらないようだ。
 再度乱暴に壁を蹴りあげた純は、大きな舌打ちをした。
 どうやらあの男、純を撒いたらしい。
 あの純を撒く人間は少ない。やはり、只者ではないということか。

「純、お前、保健室にいろって言ったろ。足の怪我は大丈夫なのか」

 そんな中、闘志を燃やす純に歩み寄るユッキーの言葉に俺は目を丸くした。

「怪我っ?」
「はぁ?あんなもんどうってことねえっすよ…つーか、それ言うなって言ったじゃないですか!」

 慌ててユッキーの口を塞ごうとする純。
 しかし、もう遅い。しっかりとこの耳で聞いたからには無視することができなくて。

「純、怪我してるの?」

 それなのにあんなに全力疾走したのか。おまけに壁まで蹴って。
 呆れて純の足元に目を向ければ、純はバツが悪そうに顔を逸らす。

「べ…別に、着地しくじって捻っただけですよ。こんなの、痛くねえし」

 そう言うなり、強がって足を動かす純だったが、足首をぐるりと回した瞬間その表情が僅かに引き攣るのを見逃さなかった。それはユッキーも同じらしくて。

「……っ、ほ、ほら、平気……」
「お前、鏡見てみろ。ひでえ顔になってるから」

 呆れ顔で突っ込むユッキーに、なにも言い返せなくなる純。
 純がなんで怪我したのかということも気になったが、自分のせいでそんな状態の体を酷使させたと思ったらなんとなく急に弱気になってくる。

「ごめん」

 そう、小さくつぶやけば、目を丸くした純はそのまま硬直し、そして顔を引き攣らせた。

「やめて下さい。あんたに謝れるとここらへんがゾワゾワする」

 言いながら、胸の辺りを摩る純。
 もしかして気を使ってくれているのだろうかとも思ったが、本人の様子からするにまじで薄気味悪がっているようだ。
 まさかそんな返しをされるとは思わず、ちょっとムッとなって「なにそれ」と唇を尖らせたとき。

「仙道、取り敢えずここを出るぞ。今の騒ぎで誰か来たらお前も困るだろ」

 ユッキーに、腕を掴まれる。大きな手。

「今度は逃げるなよ」

 咎めるような視線を向けられ、なんだか捕獲された珍獣のようで面白くないが、俺としてももう逃げる気はなかった。
 ヒズミと出会ったことによって植え付けられた嫌な記憶は、思いの外俺にとって大きなハンデになっていたようで。
 小さく頷き返し、俺達は夜中の校舎を後にした。
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