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CASE.08『デート・オア・デッド』

01

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 新たなレッド・イルが現れた。
 その事実はすぐに兄やノクシャスたちの耳にも入ったようだ。
 レッド・イルが紅音だと知っている面々からしてみれば問題であることは違いない。
 ヒーロー協会ではレッド・イルほどのヒーローを量産することが出来るのか、あまり考えたくない話だ。

 今の紅音にはレッド・イルのときの記憶はないため、紅音の前ではヒーロー協会の話はなるべく避けていた。

 一難去ってまた一難、落ち着く暇もなくevil本社は相変わらず慌ただしい空気が流れていた。

 とはいえど、俺に出来ることはいつも通り担当のヴィランたちの話を聞くことである。


 ――某日、紅音の部屋にて。

「それでトリッド、調子はどう?」

 仕事帰り、紅音と落ち合う約束をしてやってきたのは社員寮の紅音の部屋だった。
 必要最低限の物しか置かれていない、ストイックな紅音らしい部屋だ。俺より一足先に部屋に入った紅音は、ソファーに座ったままこちらを見上げる。

「絶好調、ってわけじゃねえんだけどな。まあぼちぼちかな」
「トリッドがそんな風に言うなんて珍しいね。何かあったの?」
「あったと言えばあったけど」
「……?」
「ま、いいからこっちこいよ。良平」

 こっち座れ、というかのように隣の空いた座面をぽんぽんと叩く紅音。
 俺は「じゃあ、お邪魔します」と今さら頭下げ、そのままいそいそと紅音の隣に腰を下ろした。

 紅音が担当となってどれほどが経ったのだろうか。
 最初こそはノクシャスが俺たちの間に入ってくれてはいたが、ここ最近は件の二代目レッド・イルのお陰でノクシャスも忙しそうだ。
 が、紅音の日頃の行いと頑張りをノクシャスは認めてくれたようだ。今日のように、俺と紅音が二人きりで会うことを許してもらえるようになっていた。
 これについては素直に俺も喜ばしく感じていたが、先輩であるノクシャスと離れて他の人とも仕事をするようになった紅音は以前よりも疲れているように見える。
 現に、隣に座ると「はぁ~……」と紅音は大きな溜息を吐くのだ。

「わ……すごい溜息だね、トリッド」
「溜息ってか、これ、お前の顔を見ると気が抜けたんだよ。……最近、この近辺のパトロールを任されたって良平には話したよな」
「うん、ノクシャスさんが推薦してくれたんだよね」

 予め紅音から聞いていた話を思い出せば、紅音は「おう、それそれ」と嬉しそうに笑った。

「確か、他の人と組むってやつだったよね」
「そうそう、今回の相方は気の合うやつだったんだよな」

 以前仕事仲間と合わないと言っていた紅音がこうやって嬉しそうに仕事について教えてくれると、なんだかこっちまで嬉しくなってしまう。
「それは良かったね」と素直に思ったことを口にすれば、少しだけ頬を緩ませた紅音はなんだか微妙な顔をするのだ。

「まあ、『それは』な」
「……?」
「この地下のやつら、見ねえ顔ってだけで絡んでくるんだよな。……ノクシャスいるときはビビって縮こまってるような連中がさ」
「それは……」
「俺って舐められやすいらしいからだって、一回黙らせた方がいいぞって相方は言うんだけど……それってどうなのって考えちゃうんだよなぁ」

 ――なるほど。先程から紅音の様子がおかしいと思ったら、そういうことか。

 血の気の多いヴィラン相手の現場での仕事は俺も想像出来ないが、それでも紅音の気持ちも分かった。

「殴れりゃそりゃ早いけど、それはしたくねえし。かと言って言われっぱなしも癪だし……良平にこんなこと言っても困るかもだけど」
「そんなことないよ。寧ろ、聞かせてほしいな。……トリッド、頑張ってるんだね」

 そっと肩をぽんぽんと叩けば、背もたれに深く凭れたトリッドはそのままこちらに目線を向けてきた。

「なあ良平、お前ならどうする?」

 それは純粋な疑問だった。
 あくまでも想像の範疇にはなってしまうが、職場やグループでの対人関係の悩みについては俺にも身に覚えがある。

「俺もトリッドと同じかな。……そもそも俺の場合は腕に自信ないっていうのもあるけど、ほら、俺が我慢すればいい話なのかなって考えちゃうし……」

「あ、でも、トリッドにそれを強要したいわけじゃないんだ。……何かあったら教えてほしいし、トリッドに無理してほしいわけじゃないからね」慌てて付け足せば、こちらをじっと見上げていた紅音は「ああ、分かってるよ」と笑う。

「本当、お前らしいよな。善家」
「トリッド……」
「なあ、俺のことも名前で呼んで」

 いきなりそんなことを言い出す紅音に思わずギクリとした。
「え、でも」と狼狽えていると、伸びてきた紅音の手にそっとスーツの袖を引っ張られる。

「今は二人きりなんだし、少しくらい良いだろ? ……なんか、さっきからムズムズするんだよな」
「わ、わかったよ。うーん……じゃあ、紅音君……?」

 なんだか改めて口にすれば照れ臭くなってしまう。目のやり場に困ってると、こちらを覗き込んだ紅音は「善家」と笑いながら俺の名前を口にした。
 変な話だ。普段は下の名前で呼ばれてるというのに、苗字で呼ばれた方がなんだか特別に感じてしまうのだから。
 それは俺が『善家良平』という人間だということを知ってる紅音だからこそ、より特別に感じるのかもしれない。

「ふふ、なんか懐かしいね」
「ん、そうだな。……善家」

 言いながら、こちらの方へと凭れかかってくる紅音。重くはあるが、紅音の体温と重みが逆に心地よく感じるのも不思議だ。

 ……とはいえ、相当疲れてるみたいだ。
 そっと紅音のフードを外してその赤い髪を撫でつければ、少しだけ驚いたように紅音がこちらを見た。

「あ、ごめん……疲れてるのかなって思って……」
「……いや、それもっとして」
「え?」
「……その、撫でるやつ」

 ぽそぽそと呟く紅音。言われるがまま「こう?」と髪を撫でれば、紅音は「ん、そう」と心地よさそうに目を瞑る。

「……善家の声、落ち着く」
「そうかな? ……このまま休んでいいよ、紅音君。俺も、この後オフだから」
「いいのか? お前だって疲れてるんじゃ……」
「俺は大丈夫だよ。今日は仕事少なかったし……ね、紅音君」
「……ん。じゃあお言葉に甘えて」

 そのまま紅音の頭を自分の膝の上へと持っていく。膝枕が気持ちいいのかわからないが、こんなに紅音を側に感じるのは久し振りのことのように思えた。

 前にも、こんなことがあった気がする。
 今ではもう懐かしくすらある記憶を思い出しながら、俺は目を閉じる紅音の頭をそっと撫でる。

 そして、暫くもしない内に規則正しい寝息を立て始める紅音。

 ――もう寝ちゃった。紅音君、よっぽど疲れてたんだな。

 いくら肉体的にタフだろうと、そのメンタルまでもタフというわけではない。
 頑張ってる紅音を手伝いたいが、俺に出来ることは限られている。
 こうして紅音に休んでもらい、力になれればそれが一番なのだが……。

 そんなことを考えながら、俺もうつらうつらと意識が揺らぐのを感じた。
 あ、まずい、寝そう。そう気付いたときには手遅れで、心地よい微睡みの中、俺は紅音とともに眠りに落ちることになったのだ。



 どうやら俺はいつの間にかに眠ってしまっていたようだ。
 次第にハッキリとしていく意識の中、なにか硬い感触が触れた。

「ん……?」

 ほんのりと熱を持ったそれに包み込まれるようなそんな心地よさの中、次第に意識は覚醒していく。
 指先に当たるのは硬く、骨っぽい感触。
 ……骨?

「……」

 まさか、と思って目を開こうとした矢先、伸ばしかけた手首を取られ、俺は目を見開いた。
 そして、すぐ目の前にあった端正な顔に息が止まりそうになる。艷やかな黒髪、そして睫毛に縁取られた切れ長な目。

「あのさぁ……いつまで寝惚けてんの?」
「っ、な、ナハトさ……ん゛?!」

 ――まさか、これは夢なのか。
 あまりの近さに慌てて離れようとしたところ、ベッドから転がり落ちそうになる俺の体をナハトは抱き止める。
 そこで、俺はここが自分の部屋だということに気付いた。

「な、ナハトさん……なんでここに……」
「俺の役目がなんなのか、もしかしてもう忘れたわけ? 鳥頭すぎない? それともあの男に膝枕なんてするほど平和ボケなの?」
「あ……」

 畳み掛けてくるナハトの言葉に、断片的ながらも記憶が蘇ってくる。
 そうだ。俺、紅音の部屋にいたんだ。紅音の話を聞くために……そして、そして?

「ムカついたから催眠ガスを散布して眠らせて連れて帰ってきた」
「え……っ?!」
「え、じゃないし。当たり前でしょ。……アンタ警戒心なさすぎ。無防備。平和ボケすぎ。なんのために俺が見てやってると思ってんの?」

 ナハトの言葉と態度から理解するが、ということはあのまま紅音を残してきたのか。
 驚きのあまり固まる俺に、更に面白くなさそうな顔をしたナハトは俺の頬をむぎゅ、と引っ張ってくる。ナハトさんは俺の頬をおもちゃかなにかと思ってる節があるかもしれない。

「ぁ、あう……ごめんなひゃい……れも、おひほとでひて……」
「あいつの担当ってのは知ってる。……はぁ、ノクシャスのやつも大概平和ボケし過ぎ。いくら最近大人しくても、あいつは元あっち側の人間ってのに」
「にゃはとひゃん……」
「そもそも俺、寝るなら自分の部屋で寝ろって毎回言ってる気がするんだけど?」

 ナハトの怒りの原因も概ね理解できた。
 久し振りのナハトの再会がこんなことになってしまうとは、迂闊だった。

「ご、めんにゃひゃい……」
「誠意が足りない」
「うぅ……ごめんなさい、ナハトさん。あの、お疲れのところにお仕事増やしてしまって……」

 ようやく頬を離され、些か伸びたような気がする頬を撫でながら俺は深々と謝罪すれば、ベッドに腰を下ろしたナハトはそのまま俺をじとりと見下ろす。

「本当それ。……久し振りに迎えに行ったらこれだし、油断も隙きもなさすぎじゃない?」

 何を言っても今のナハトの機嫌が直ることはなさそうだ。ごめんなさい、と項垂れていると、ナハトはそのままふい、とそっぽ向く。
 ナハトと色々話したいことあったのに、初手怒りのナハトから何を話そうとしていたか分からなくなってしまった。
 ここは大人しくしておいた方がいいかもしれない、とちらりとナハトの様子を伺ったとき、思いっきりナハトと目があった。
 そして、

「……で?」
「……え?」
「俺のことは癒やしてくれないわけ?」
「………………あ」
「あ、じゃないし。何、あ、って」

 ……これはもしかして、ナハトさんなりに甘えているということなのだろうか。
 ナハトが膝枕のことを言ってるのだと気付いたとき、顔面に一気に熱が集まった。
 というか、何故言い出しっぺのナハトさんもやや照れているのか。

「な、なんで……」
「なんでって、アイツが良くて俺は駄目なわけ?」
「そういうわけじゃないですけど、その……っ」
「……アイツだけ特別扱い、なんて言わないよな」

 少しだけむっと眉を寄せるナハト。そろりとこちらに顔を寄せてくるナハトに至近距離から見詰められ、首から上に熱が一気に集まってくるのがわかった。
 駄目だ、やっぱりナハトさんは心臓に悪い。
 紅音のときはこんなにドキドキしなかったのに、なんでだ。

「……っ、ぁ、あの、……膝枕、したいんですか?」
「……………………」
「あいたっ! ……な、なんでつつくんですか……?!」
「腹立ったから」
「ええ……っ?!」
「……それくらい、言わなくても察しろよ」

 そうむくれるナハトは珍しく年相応の少年のようにも見えてしまう。
 そんなナハトに心臓がぎゅうっと締め付けられ、俺はというともうどうしていいのか分からなかった。
 落ち着け、また変なことを言ってナハトさんの逆鱗に障るようなことはしたくない。

「あの、ナハトさん」
「……なに?」
「ど、どうぞ……?」

 そう、ナハトに向かって手を広げる。どこからでも来てください、という意を表する俺に対して、ナハトの反応はというと眉間に刻まれる皺一つ。

「疑問系なの腹立つ」
「あ、うぅ……ナハトさん、来てください……っ! お願いします!」
「…………まあ、許してやる」

 今のはいいのか、と思いながらもそのまま俺の腕の中に入ってくるナハト。瞬間、ナハトの体温や骨っぽくもありしっかりと筋肉で覆われた体、その硬さがより鮮明に伝わってきて、心臓が一気に騒ぎ出した。

「……おい、心音煩すぎ」
「う、う……ナハトさん……これ、結構キツイかもしれません……し、心臓が……」
「あいつの時は頭撫でるなんてサービスまでしてたくせに?」
「く、紅音君とナハトさんは違いますから……っ!」
「は? ……なにそれ」

 あ、まずい。言葉の選択を間違ってしまったかもしれない。
 ぴしりと凍り付くナハト周辺の空気に、俺は慌てて首を横に振る。

「紅音君は、友達です……けど、ナハトさんは……その、と、特別……ではあるので……」
「……ふーん」

 あ、ナハトさんの眉間の皺が消えた。
 言葉を聞いて安心したのかもしれない、先程までの殺気のようなオーラは消えて満更げな顔をするナハト。白くすらりとした指先がこちらへと伸びてきて、「まあ、そういうことにしてやるよ」とナハトは俺の横髪を耳に掛けるように撫でるのだ。

「……っ、ん、ナハトさん……あの、お疲れなんですよね……?」
「今元気になった」
「ほ、本当ですか?」
「うん。アンタのアホヅラ見てたらどうでもよくなるから」

 ……それは、褒めてくれてるのだろうか。
「ありがとうございます」と言い掛けて、そのままふに、と唇を撫でる指に体が震えた。
 ナハトといるとやはり、ナハトのペースに飲まれてしまう。その目に見つめられてるだけで、触れられているだけで、とろりと甘い空気に流されてしまうのだ。

 唇を開き、恐る恐るナハトの指に舌を這わせれば、ナハトは眉を寄せて笑った。

「……っ、それ、どこで覚えてきたの?」
「ん、わ……っ、わかんないです、けど、……つい……」

 ちゅぷ、とナハトの指先に甘く吸い付き、キスをしたところで、そのまま口の中にねじ込まれる指に「んんっ」と堪らず声が漏れた。

「っ、は、ん、む……っ、な、はとさ……っ」
「俺の指はそんなに美味しいわけ?」
「……っ、ん、ふ……っ」

 ちゅぶ、と濡れた音を立て、咥内の粘膜から滲む唾液を絡み取るナハトの指。
 その指に舌を捉えられ、そのまま柔らかく舌を引っ張られれば「ひゃひ」と無意識に言葉が漏れていた。ぽたぽたと唇の端から溜まった唾液が溢れ、落ちていく。それを目で置い、ナハトは笑った。
 ああ、やっぱり俺は笑ったナハトはもっと好きなのかもしれない。
 そんなことを思いながら、重ねられる唇を舌を出して迎えた。
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