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CASE.07『同業者にご注意』

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 今度こそ忘れ物がないかを確認したあと、俺はナハトとともに部屋を出る。
 こうしてスーツに身を包むのは新鮮だ。
 ――それに、ナハトといるのも。

「そう言えば、安生のこと聞いた?」
「はい、安生さんが挨拶に来てくださって、そのときに」
「……ふーん。あっそ」
「寂しくなりますよね、安生さんと暫く会えなくなるのは」
「……アンタ、本当呑気だね。寧ろこれくらいで済んだの、ボスの温情もあるでしょ」
「な、ナハトさんまで……」
「……は? までってなに?」
「ノクシャスさんも言ってました、ナハトさんと同じこと」

 人気のない通路を歩きながらそんな会話を交えていると、ぴくりとナハトが反応した――ような気がした。仮面の下の表情はわからないが、なんとなく周囲の雰囲気がピリつくのを感じる。

「……ふーん」

 あ、やっぱり気のせいではなさそうだ。
 ノクシャスの名前を出した途端、露骨にナハトの声がワンオクターブ落ちていることに気付いてしまう。

「え、えと……ノクシャスさんとはその、くお――トリッドのこととかで色々一緒になる機会があったというか……っ!」
「いや、別に聞いてないし。……俺とモルグが手ぇ空いてない間、あいつが一緒にいるのは分かってるんだし」
「う」
「……てかなにその弁明。逆にムカついてきたんだけど」

 どうやら久し振りのこともあってか、口を開けば開くほどナハトの地雷を踏んでしまうらしい。俺は大人しく「ごめんなさい」と口を噤んだ。

「……はあ」

 そしてため息だ。仮面の下のナハトの顔が見えてくるようだ。恐らく今、とてつもなく冷たい目をこちらに向けてるに違いないだろう。

「あ、あの、ナハトさん……サディークさんとカノンちゃんのこと、何か聞いてますか?」

 このままではどう転んでも空気が悪くなる未来しか見えない。そう考えた俺は、思い切って話題を切り替えることにした。

 ここ数日、ずっと部屋で大人しくしていたお陰で外からの情報が入ってこなかった。
 気がかりだった二人のことを尋ねれば、「アンタ、安生から何も聞いてないの?」とナハトはこちらに顔を向ける。

「いえ、なにも……」
「ふーん、じゃ俺も言わない」
「え、そ、それは……」

 それを言われてしまえば、俺も無理して聞くことは出来なくなってしまう。
 そこをなんとか、とナハトに手を合わせれば、ナハトは恐らくうんざりしたような顔をして「しつこすぎ、お前」とそっぽ向いた。

「少なくとも死んじゃいないってことだけ教えてあげる」
「え――」
「……それと、どうせ近い内また顔を合わせるハメになるだろうし」

 ぽつり、と呟くナハトの言葉を聞き逃すわけにはいかなかった。
「本当ですかっ」と思わず声が裏返る。

「俺から言えるのはここまで。……けど、以前のままと思わない方がいい」
「……はい、そうですね」

 少なくとも、ECLIPSEの皆が元気ならばいいが。
 そう自分を納得させることにした。



 それから俺たちは食事を済ませ、途中で営業部の皆へのお休みのお礼にお菓子を買っていく。それからいつものようにナハトに営業部まで送ってもらうことになったのだが……。

「ナハトさん、ここまで送って下さりありがとうございました……って、あれ」

 つい先程までいたはずのナハトの方を振り返ったとき、そこが既にもぬけの殻になっていることに気付きいた。
 やはり忙しいのだろうか。なんだか寂しくなりながらも、営業部へと足を踏み入れたときだ。

「良平……っ?」

 不意に、通路の方から声が聞こえてきた。
 休憩していたのか、ラウンジから丁度出てきた望眼は俺の姿を見て固まった。
 なんだか望眼とは久し振りに会った気がする。そこで俺は望眼と最後に会った時のことを思い出した。

 ――そうだ、確か自白剤を飲まされたときだ。
 しかもあのときは兄に連れ出され、それっきりになっていたことを思い出す。しかもその後もバタバタしてて、結局連絡するタイミングも失ってしまっていた。
 なんというべきだろうか、と言葉を探る。

「あの、お休みいただきありがとうございました! ……これ、よかったら皆さんで食べてください……っ!」

 色々言いたいことが溢れ出した結果、俺は手に抱えていたお菓子が入った紙袋を望眼に渡した。
 そして、それを押し付けられた望眼は何度か瞬きを繰り返したあと、「ああ、ありがとな」と紙袋を受け取る。

「けど、わざわざ準備しなくてよかったのに。無断で休むやつもいるし、急に消えるやつも普通にいんだから」
「いえ、でも……いつもお世話になってますし、それに、ご迷惑もおかけしてしまったので」
「迷惑って……」

 言い掛けて、心当たりに気付いたらしい。望眼は気まずそうに咳払いをした。

「あー……あのさ、俺の方こそ、色々悪かったな。お前に無茶させて……」
「無茶……?」
「自白剤とかさ。……サディークのことは俺たちも聞いた。もっとちゃんと相談に乗るべきだったよな」
「い、いえっ! 望眼さんは悪くありません! それに、俺もあのあとちゃんと連絡すべきだったのに……」
「いやまあそれはな……って、そうだ、あの後大丈夫だったか?」
「え?」
「……ほら、あの、なんか紳士っぽい人に連れて行かれただろ? ……お姫様抱っこで」

 もしかして兄のことを言ってるのだろうか。紳士で間違いないが、お姫様抱っこかどうかまでは覚えていない。

「はい、なんとか……一応俺にお話できることはしましたので」
「それならよかったけど……それにしてもあの人誰だったんだ? 俺もここに来て数年経つが、見ない顔だったな」
「さ、さあ……? 俺もあのときの意識、あまりハッキリしてなくて……」

 あまり兄のことについて話したくなかった。何を言ってもうっかりぽろりと零してしまいそうになるからだ。
 曖昧に答える俺に、望眼は「だよなあ」と笑う。

「ま、裏での活動メインの人もいるし、素顔見たことない人がいてもおかしくはないしな、ここ」
「そうですね」

 ……よかった、なんだかいい感じに切り抜けられたようだ。
 雑談は程々に切り上げ、それから俺は望眼とともに営業部に顔を出す。丁度いた貴陸に休みのお礼をし、それから自分のデスクへと付くことになった。

 タブレットを開けば、サディークの連絡先が目についた。俺がECLIPSEのアジトに向かうことになったあの日、あのときでメッセージは止まってる。
 もうサディークとこのタブレットで連絡を取り合うことは無いかも知れないと思うと寂しかったが、気分を切り替え、俺は貴陸から貰ったトレッドの資料に目を通した。
 そして、新しい担当として改めてトレッドに連絡をすることになる。



 紅音に連絡を取り、それから改めてラウンジで会おうということになる。
 ノクシャスも着いてきたが、あくまで何かあったときのため基本は離れた席から見守ってくれるという感じだ。なんだかんだ言いつつも紅音のプライバシーを尊重してくれるノクシャスに優しさを感じた。

 ……とは言えど、ファーストインプレッションは済んでるので最近の調子を話したり世間話が主になる。

「トリッド、体の調子はどう?」
「ああ、もう全然へーき。結局入院前と数値変わんなかったし」
「そっか、なら良かったよ」
「なあ、善家……あ、良平って呼んだ方がいいんだっけ」
「そうだね。……けど、慣れないだろうから呼びやすい方でもいいよ」
「でも、お前も俺のことトリッドって呼ぶしな」
「うん、でもやっぱりなかなか慣れないけどね」

 ヴィランネーム、なんて俺も紅音も学校に通っていたときは考える羽目になるとは思わなかっただろう。
 けれど、実際にこうやって向き合ってるとなかなか不思議だ。

「……そういえば、単独行動は暫く駄目って言われてたんだっけ?」
「そーそー、ノクシャスが許可するまで駄目だって。あの人厳しいから多分相当掛かりそうな気ぃすんだよな」
「……トリッドはグループ行動苦手なの?」

 これは純粋な疑問だった。俺にとって紅音と言えば成績優秀・皆のリーダー・優等生という典型的な模範生徒だったからだ。
 トリッドは「そういうわけじゃないんだけど」と言葉を濁す。

「……ほら、ここにいるやつらってなんかクセが強いっていうかさ……ノクシャスはいいんだけど、やっぱ悪いやつもいるじゃん」
「あー……まあ、ヴィランだからね……」
「話は通じるならまだいいけど、やたら俺に食いかかってくるやつが多いんだよな。なんか、ノクシャスに目を掛けられてるのが気に入らないらしい」
「それは……」

 あれだけ慕われるノクシャスだ、確かに紅音ばかりと僻む部下の人たちがいても仕方ない……のか?
 幸い俺の回りにはそんなに好戦的な人はいなかったが、実際に現場で働くヴィランの人たちとなるとやはりそれなりに荒い気性の人が多そうだ。

「……悪い、なんか愚痴っぽくなったな」
「ううん、いいよ。それに、そういう話を聞いて改善策考えるのも俺の仕事だし……っ!」
「営業部って何だよって思ったけど、なるほどな。……それって、お前にぴったりだな。良平」
「……そ、そうかな」

 真っ直ぐにこちらを見つめてくる紅音。昔の俺を知ってる相手だからこそ、そう言ってくれるのは嬉しかった。
 なんとなく気恥ずかしくなって笑って誤魔化せば、「ああ、そうだ」と紅音は頷く。

「……お前も頑張ってんだから、俺も頑張ってみるよ。……そうだな、取り敢えず挨拶からか?」
「うん、いいと思う。ノクシャスさんの部下の人たちは、俺みたいなのにも優しくしてくれる人もいるから」
「みたいなのって……それはお前の愛嬌の賜物だろ」
「ほ、褒めすぎだよ……っ! もうなにも出てこないよ?」
「はは、真っ赤だ」

 紅音が笑ってるのに釣られ、俺は頬が綻ぶのを感じた。
 紅音は優しい言葉を掛けてくれるが、実際まだ俺は皆に助けられている部分が大きいことは分かっていた。
 もっと、頑張らないとな。
 紅音の言葉は俺の背中を強く推してくれる。これは昔からだ。



 それから、穏やかながらも忙しい日々が続いた。というのも、どうやら東風が数週間ほど弊社からいなくなるらしい。詳しい話は聞いていないが、それも仕事というのだ。
 その代わり、東風の担当の一部を望眼が引き継ぐということで望眼の負担が膨れ上がる。
 普段ならばデスクでまったり缶コーヒーを飲んでる望眼の姿もぱたりと見なくなるくらいだ。



「あ、あのっ! 貴陸さん……っ!」

 望眼が営業回りで殆ど出ずっぱりな中、俺は勇気を出して貴陸のデスクの前に立つ。
「おう、どうした良平」と作業の手を止めた貴陸はこちらを見た。相変わらずの強面だが、優しい人だと俺は知ってる。
 それでも、この瞬間だけは緊張した。

「お願いがあるんですけど――」
 





 ――数日後。
 ――社内通路にて。


「ながら歩きは危ないぞ」

 腕時計で次の予定を確認しながら、担当のデータとやり取りの内容を再度目を通していたときだ。不意に、向かい側から聞こえてきた声に「す、すみませんっ!」と慌てて顔を上げたときだ。
 そこに立っていた人物を見て、俺は「望眼さん」と声を上げる。

「よ。良平」
「っ、も、望眼さん……っ! お久しぶりです」
「ああ、久し振り。……って、この前も久し振りって言ったばっかだよな、俺ら」

 少し前は毎日のように顔を合わせていたからだろうか、外回りから帰ってきたところだったらしい望眼になんだかほっとした。

「なあ、少し時間大丈夫か?」
「はい。早めに用意はしていたので」
「そうか、ならよかった」

 とは言えど望眼の方が忙しいはずなのに、と思いながらも俺は望眼の提案で近くのラウンジに入った。
 適当なドリンクを頼み、二人用の席に腰を掛ける。望眼はいつものコーヒーを頼んでるようだ。

「貴陸さんから聞いたよ。まさか、お前が俺の仕事手伝うなんて言い出すなんてな」
「……いえ、そんな。俺も何かできることはしたかったので」
「いや充分助かったよ。……つーか、俺よりもあの子の方がいいなんて言い出すやつもいたくらいだしな」
「えっ」
「お前のことそれくらい気に入ってるってことだよ」

 望眼は笑う。少しは睡眠は取れるようになったのだろうか。疲れはあるものの、前に見たときよりは大分顔色はマシになってる気がした。

 貴陸に頼み込んだ内容――それは、俺にも担当を増やしてほしいというものだ。
 紅音一人だけしか担当していない俺と、正確には聞いてはいないが恐らく二桁以上の担当を相手にしている上に、噂では手に負えない東風の担当たちまでも引き継ぐことになった望眼の負担は想像を絶するだろう。
 今までは俺が新人だからと言って貴陸や望眼も新人向けの担当が入ってきたら俺に宛行うということをしてくれていた。それが俺のためだと分かってたし、助かったが……ずっとこのまま望眼たちにおんぶに抱っこの状態は耐えられなかったのだ。

 だから、貴陸に頼んで望眼の担当する中から数人、『俺にも合うだろう』という担当を宛行ってもらうことにした。
 貴陸の判断はいつも正確で、どの人たちも望眼の代わりに来たというと「また仕事押し付けられてんだな」と笑っていた。
 代理ではあるので定期的なヒアリング調査が主になる。予め決まった内容についてヴィランの人たちに聞いて反応を見るという感じだ。
 これくらいならば、俺でもできるだろう。……というか、出来るようにならなければならないのだ。

 というわけでここ数日は紅音とも連絡を取りつつ、望眼の担当のヒアリング調査を行っていた。そして、このあともその予定はある。

「少しでも望眼さんの助けになったなら良かったです」
「……良平、ありがとな。けど、無理はするなよ。合わないと思ったら速攻貴陸さんに言って切ってもらえばいいから」
「い、いえ! 皆さんいい人たちばかりで……」
「ならいいけど。……なんか、これが後輩を持つ先輩の気持ちってやつか?」
「……え?」
「いや、頼もしいような寂しいような……」

 言いながら、なんだかしんみりしてる望眼だったがそれもすぐ望眼の端末に掛かってきた着信によって中断させられる。

「げ。……くっそー、まだ予定の三十分前だってのに急かしやがって……っ!」
「もしかして……担当の方ですか?」
「そうそう。東風さんの引き継ぎのな。……はーあ、さっさと東風さん帰ってきてくんねえかな」
「……そうですね」

 もう時間なのかと思うと名残惜しいが、仕方ない。立ち上がる望眼を目で追いそうになり、やめた。ここはちゃんと見送らなければならないのに後ろ髪を引かれてしまいそうになるからだ。

「……良平」

 そんなとき、ふと望眼の手が肩に触れる。
 先程までとは違う、優しい声に少しだけいつの日かのことを思い出して緊張した。
 望眼さん、と顔をあげようとしたときだ、視界が暗くなった。ほんの一瞬、覗き込んできた望眼にちゅ、と額にキスをされたと思えば望眼はいたずらっ子のように笑うのだ。

「もう少しの辛抱だ。……寂しがんなよ」
「っ、な、も、望眼さん」
「……なんてな。寂しがってんのは俺だけど」

 言いながら照れくさくなったらしい、それだけを言い残した望眼はそのまま「じゃあな」と俺を残していこうとする。
 言い逃げなんてずるい。俺は考えるよりも先に手を伸ばし、望眼の袖を掴んだ。
 引き止められるとは思っていなかったようだ、こちらを振り返る望眼。

「……望眼さん、俺もですからね」

 なにが、とは言わなかった。今の俺にはこれが精一杯だった。じわじわと頬を赤くした望眼は少しだけ唇を尖らせ、「……おう」と呟く。

 それから、望眼は店を出た。
 ……俺も、そろそろ行かなければならない。新しく買い替えた腕時計で時間を確認しながら、俺は店を出た。



 それから、営業部の仕事に励んでいる内に時間は過ぎていく。
 この間に何もなかったわけではないが、まあそれはおいておくとしようだ。

 ――二週間が経とうとしたときだ、東風が営業部へと戻ってきた。

「東風さん、やっと帰ってきた」
「本当疲れた。もう二度と現地行きたくない……あ、これお土産」
「なんすか、これ」
「こっちは他の人たち用、これは俺の担当たちも引き継いでくれた望眼と……頑張ってくれた良平に」
「え、お、俺もですか?」

 営業部内、久し振りに出社した東風に唐突に名前を呼ばれ驚いた。

「なんか貴陸さんに頑張ってたって聞いたから、ついでだけど」と、望眼と俺に個別で菓子折りを手渡してくれる東風に「あ、ありがとうございます」と慌てて頭を下げる。

「お菓子。どんなの好きか分かんなかったから、テキトーに選んできた」
「へ~珍しいっすね、東風さんがお土産用意するなんて」
「まあ……何でも好きなの持っていっていいって言われたから」
「言われてなかったらナシってことっすか」
「その時の気分による」

 相変わらず東風さんって感じだ。
 それでも、俺の分まで用意してもらえてるなんて思っていなかっただけに嬉しくなる。中をちらりと見ただけでは内容物はわからなかったが、今夜帰ってから食べよう。そういや、ナハトさんもお菓子好きだったよな。なんて思いながらそそくさと自分のデスクに紙袋ごと置いていると、ふと東風がこちらを見ていることに気付いた。

「……?」
「良平、それ一人のとき食べなよ」
「え」
「な、なんすかそれ。まさか変なもの買ってきたんじゃ……」
「君のために用意したから」

 な、なんだろうか、この言い方は。
 東風の言葉に特別な意味はないと分かってても、あまりにも意味深な東風にどきりとした。眠たげな目でじっとこちらを見つめてくる東風の顔を直視できないまま、「わ、わかりました」とつられて答えるしかない俺。
「大丈夫か~?」と心配そうに俺の左右から覗き込んでくる望眼だったが、すぐに東風に引き剥がされていた。

「……じゃ、俺は確かに伝えたから。……今日は一日オフだから帰る。おやすみ」

 くぁ、と小さなアクビを噛み締め、そのまま東風は営業部を後にした。
 いつものようにスーツ姿ではないと思ったらそういうことだったのか。
 お疲れ様です、と東風を見送ったあと、俺は東風のお土産をちらりと見た。

「本当に大丈夫か? あの人に限ってとは思うが、なーんか怪しいなぁ。……な、先に見てみねえ?」
「だ、駄目ですよ望眼さん! ……これは俺が帰ってから一人でこっそりいただきます」
「なんだよ、真面目だな」

 そんなやり取りをしながらも、望眼の言葉には俺も思わず揺らいだ。
 ……けどわざわざ東風がああいうのはなんだか別の理由がある気がしてならないのだ。


 そして、その日一日の仕事を終えた俺は東風からの菓子折りの入った紙袋を大事に抱えたまま、迎えに来たノクシャスともに部屋へと帰ることになった。

 案の定ノクシャスに「なんだ?その袋は」と聞かれたが、営業部の先輩からの土産だと言うと「ふーん」と大して興味なさそうに呟いた。

「先輩って……例のいなくなってたやつか」
「はい、今日戻ってこられたんです」
「じゃあ暫くはゆっくりできるんだな」

 ここ最近はいつもより帰る時間が遅くなっていた。俺が疲れてるのだろうと心配してくれてたのだろう、お風呂でうとうとしている度にさっさと休めと毎回ベッドまで連れて行かれていたことを思い出す。

「はい……ノクシャスさんにもお世話になりました」
「いいんだよ、俺はお前を世話するのが任務でもあるからな」
「……そうですよね。けど、やっぱり、ありがとうございます」
「……ケッ、変なやつ」

 言いながら、隣を歩くノクシャスがそっぽ向く。最近分かったことだが、ノクシャスは照れると顔を逸す癖があるようだ。
 そんなノクシャスを見る度に俺は頬が綻んでしまう。……本人に言うと治されてしまいそうなので黙っておこう。


 そして、夜。
 ノクシャスがデリバリーさせた晩飯を一緒に食べ、お腹いっぱいになりながらも俺は一人寝室へと向かう。ノクシャスは隣でまだピザパーティーをしているようだったのでそのままだ。
 そして、ベッドの脇に予め置いていた東風からの土産に目を向ける。
 ……お腹いっぱいではあるが、中身だけ確認しておくか。
 なんだかそうしないといけない気がしたのだ。


 そして、紙袋から菓子折りを取り出した俺は箱を開けて、東風の言葉の意味を理解した。
 菓子の箱の中には一通の手紙が入っていたのだ。
 詰め合わせの小分けされたクッキーたちの上、やけにしわくちゃになった手紙が一通。封筒にはあまり書き慣れていないような震えた文字で『良平へ』と書かれてるのを見て、まずこれは東風からの手紙ではないことを理解する。
 それと同時に、こんな方法で、しかも古典的なやり方でしか連絡を取れない相手ーー取らざる得ない相手となると一人しかいない。

 俺は急いでその手紙を手に取り、そして封を開けた。 手紙を開き、紙面にゆっくりと文字に目を走らせる。

 そこには最後に挨拶ができなかったことへの謝罪、近況報告が淡々と綴られていた。
 そして、その最後には『ありがとう』と一言。差出人の名前は書かれていなかったが、誰からのものかはすぐに分かった。

 ――サディークさん。

 何度も書き直したのだろう、ところどころよれてしまっているその手紙にはまだぬくもりが残ってるような気がした。

 今、サディークたちは安生の指揮の元、生まれ育った街の復興のために日々コキ使われているようだ。
 契約上クビになってしまったサディークだが、地元の自警団としてECLIPSEの皆とともに安生に仕事を個別で依頼されているらしい。積極的に働くことを嫌がっていたサディークだったが、今は目的がある。そのためならば多少の筋肉痛も耐えられそうだ、とのことだ。

 どうやら今回、東風が駆り出されていた現地というのはサディークたちの地元だったようだ。スラムを牛耳っていた荒くれ者たちを実力行使で改心させ、ついでに浄化させた安生は一から街としての基盤を立て直すための仕組みを造りながらも壊れた建物の建て替えから食糧、資源の確保を計ってるらしい。
 とはいえど、近隣からも煙たがれるほどの荒れたスラムだ。一つのタウンとして自治を行えるようになるまでそれなりの労力と時間はかかるだろう。
 それでも、先が見えなかった今までよりかはマシだ、とサディークは綴っていた。

 そんな内容が続いたあと、最後に何度か消した跡があった。
 そこにうっすらと残っていた文字を見て、俺は思わず手紙を胸に抱いた。

 ――また会える日が会ったら、その時は友達として会いたい。

「……っ、……」

 結局、書くのをやめたのだろう。そして、東風が俺と同じ営業部だと知ったサディークが東風に頼み込んだのかもしれない。
 真実はわからないが、俺はここにはいない東風に感謝した。
 そして、そっとその手紙をサイドボードの鍵付きの引き出しに仕舞う。

 ――俺も、頑張ろう。
 今度サディークさんに会った時、恥ずかしくないように。

 胸の奥がじんわりと熱い。そのまま俺は眠りにつくことにした。





 ――数日後。

 今日は久し振りの休日。俺はノクシャス、紅音とともにトレーニングルームへと来ていた。
 けれど、今回は紅音の体力測定のためだけに来ていたわけではない。

 負荷に耐えきれずトレーニングマシーンから投げ出された俺だったが、それを見越していたらしい紅音に軽々とキャッチしてもらう。

「おい良平、大丈夫か?」
「ぜえ……あ、ありがと……大丈夫――」

「じゃ、ねえだろ」

 言いかけたときだった、紅音の肩越し、こちらを見下ろしてくるノクシャスと目が合った。

「それ以上やったらお前の体じゃ数日は響くぞ、もうやめとけ」

 あのスパルタノクシャスが止めるなんて、余程俺の限界がきていたらしい。ノクシャスストップがかかってしまえば、もうこれ以上の続行は難しいだろう。
 そのまま紅音に支えられ、俺は近くのベンチへと降ろされる。

「ほら良平、飲み物貰ってきたからちゃんと水分補給しろよ」
「ありがと、トリッド」

 ヴィランになっても相変わらず気の回る男だと思う。
 ボトルを受け取り、俺は好意に甘えて存分に喉を潤わせた。美味しい。

「それにしても、どうした? いきなりやる気になりやがって」
「いえ、俺も体力つけなきゃな、と思いまして……」
「……………………まあ、体力は大事だけどな」

 なんだその間は。けど、日頃から何度も体力があったらもっと結果出せたのにと思うことはあったのでいい機会だと思ったのだ。
 ……が、何事にも限度というものがあるらしい。

「けど、こうしてまた良平とトレーニングできるなんて、なんだか懐かしいな」
「……はは、そうだね。相変わらず、トリッドには敵わないけど」
「言ってるだろ? 俺はただの運動バカだって。……これくらいお前に勝たせてくれよ」

 ぼそ、と呟く紅音の言葉が引っ掛かった。
 なにを言ってるんだ、何から何まで俺よりも紅音の方が優れているのに。そう言いたかったが、それよりも先に「んじゃ、ゆっくり休めよ」と紅音は俺の肩を叩いてその場を離れるのだ。自分のトレーニングへと戻る紅音を見送ることしかできなかった。
 紅音の中に劣等感が、ましてやそれが俺に向けられてる?……そんなことあるのか。
 ただ俺を褒めてくれようとしただけなのかもしれないが、それでもやけに紅音の表情が頭に残っていた。

 それからノクシャスも紅音のトレーニングを見に行き、俺は少し離れたところからそれを見守っていた。

「……ふう」

 ここ最近はこうしてゆっくりすることはなかった分、こうして手持ち無沙汰になるのはなんだか新鮮だ。

 あれから、兄やモルグとはまだ会えていない。
 ちょこちょこナハトやノクシャスの口からは名前を聞くことはあったし、元気そうだというのも分かったが、正直寂しさもあった。
 それでも紅音がこうして暇なとき付き合ってくれるのはありがたかった。

 そういえば、最近ニュースチェックできていなかったな。
 営業に回るときは話題のためにも欠かさずニュースアプリを開いていたが、ここ最近は落ち着いてしまい可愛い動物たちの動画しかチェックできていなかった。

 今のうちに見ておくか、なんて思いながらタブレットを開いたときだ。

 トップニュースに現れた写真を見て思わず固まった。

「――え」

『ヒーロー協会』という単語、そしてその写真にはにこやかな笑顔を浮かべたヒーロー協会会長・大帝誓がいた。
 それならばいつものやつかと流せたのだが、俺が目を引かれたのはそこではない。
 鮮やかな赤を基調としたフルフェイスのマスク、そしてスーツ。――大帝誓と並ぶそのヒーローを俺は知っていた。

 ――レッド・イル。

『ヒーロー協会の期待の赤き新星【レッド・イル】活動再開』という仰々しい見出しとともに、新しい能力について大帝誓がつらつらと語る会見についての記事が数分前に投稿されていた。

 レッド・イルである紅音はここにいる。ヴィランとして生まれ変わったはずだ。
 ――じゃあ、こいつはなにものなのか。

 考えたくない可能性に冷や汗が滲んだ。二代目レッド・イルの写真を見つめたまま、俺は暫く何も考えられなかった。




 CASE.07『同業者にご注意』
 END
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