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CASE.07『同業者にご注意』
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――それにしても紅音君、どこに行っちゃったんだろう。
ノクシャスとともに部屋を出た俺は、取り敢えずノクシャスの後をついていくことにする。
ノクシャス曰く、紅音の体には予めもしものときのために通信機器が埋め込まれているらしい。それを確認するために、モルグがいる研究室へと向かうことになっていた。
「ったく、あの野郎……」
「モルグさん、まだ連絡つかないんですか?」
「ああ、……別に珍しいことじゃねえけどな。どうせ爆睡してるか、改造手術に夢中になってるかだな」
なるほど、と思わず納得しそうになる。
モルグらしいといえばモルグらしくはあるが、それで良いのだろうかと心配する気持ちもあったりなかったり。
というわけで苛ついてるノクシャスとやってきた研究室前。
モルグと同じように白衣姿の研究員たちは俺たちの――主にノクシャスの顔を見るとわっと嬉しそうな顔して話しかけていた。
「ノクシャスさん、ノクシャスさん自らここに来てくれるなんて……とうとう自ら被験体になってくれるということですか?!」
「ちげえよ! つうかモルグはどこだモルグは、あいつに用があんだよ」
「ああ、なんだ。室長ですか」
そう徐にがっくりと肩を落とす研究員たち。その奥の扉から同じく白衣の男が現れた。白衣の下、きっちりとスーツを着込んだその男には見覚えがある――確か、考藤だ。
「室長ならここには居ませんよ、ノクシャスさん」
糸のような細い目のその男はノクシャスを前に静かに続ける。いつぞやのバーで見かけたときのふにゃふにゃの考藤ではなく、冷たい氷を纏ったような考藤の方だ。考藤に目を向けたノクシャスは「ああ、お前か」と小さく口を開いた。
「副室長のお前がいるなら早い。頼みたいことがある」
「頼みたいことですか? 俺に?」
「ああ、俺の部下の一人がいなくなった。そいつを追跡してもらいたい」
「ああ……彼ですか」
誰とは言わないが、考藤も紅音のことは知っているらしい。他の研究員たちは知らないようだ、興味がなくなったかのようにそのまま各自自分たちの持ち場へと帰っていく。
「構いませんよ、室長からは貴方が来たら通すようにと予め承っておりましたので。……こちらへどうぞ」
「あいつ、すっぽかす気満々だったのかよ」
「そのようですね。……ですが、今回は別件が入ったようです。つい先程、呼び出しがかかって慌てて外出されていましたので」
そう先を歩き、研究室の奥へと歩いていく考藤。その奥にあったのはいかにもな薬品に溢れた怪しい研究室――ではなく、複数の機械が置かれた部屋に繋がっていた。薄暗い部屋の中、複数のモニターが浮かんでは煌々と部屋の中を照らしている。そこに映し出されているのはダウンタウンだったりこの社内だったりと様々だ。
「使い方は分かりますか」
「問題ねえよ」
「彼のコードナンバーは30156です。履歴の消去は忘れずに、ということでした」
「余計なお世話だって言っとけ」
なにかを考藤から受け取ったノクシャスはそのまま中央のモニターに触れる。空中に浮かび上がる電子キーボードを操作すれば、そのモニターは町中の定点カメラからマップのような映像へと切り替わる。
そんなノクシャスを眺めていた考藤だが、やがて「鍵は後から返してくださいね」と踵を返す。
「見張ってなくていいのか?」
そう尋ねるノクシャスに、考藤は「そんなことすれば、俺が貴方に殺されかねませんからね」と冷笑を浮かべた。
どういう意味なのだろうか、ヴィランジョークということなのだろうか。その割にノクシャスは笑ってないし、ふん、と鼻を鳴らしたっきり出ていく考藤を見送ろうともしない。
宣言通り、考藤はそのモニタールームから出ていった。二人きりになった部屋の中、俺はノクシャスが機械を操作してるのを眺めていた。
「ノクシャスさん、さっきのってどういうことなんでしょうか」
「あ?」
「ノクシャスさんが考藤さんを殺すだとか……」
「そのまま以外の他になにがあるんだよ」
「え」
「……チッ、言葉の綾だ。いちいち真に受けんな。……幹部である俺を疑う方がおかしいって話だろ」
「あいつの場合は、お前に付き合ってられるほど暇じゃねえんだよ。ってのが正解だろうがな」と皮肉げに吐き捨てるノクシャス。
もしかして二人は仲が悪いのだろうか。
なんとなくそれ以上深入りできなくて、大人しくノクシャスの作業を見守っているとどうやらなにか見つけたようだ。
「……ああ?」
「どうしたんですか?」
「ちょっと前までの記録はあったんだが……今は追跡不可状態になってんな」
「え……それって」
「面倒だな」
そう小さく舌打ちをしたノクシャスはなにやらモニターを更に操作した。
映し出されたのはダウンタウンの一角だ。どこかの電柱にぶら下がった定点カメラの映像だろうか、行き交う派手なヴィランたちの中に混ざって、赤いフードを被った人影を見つけた。
「紅音君……っ?!」
「見てえだな」
モニターの中の紅音は誰かを尾行しているようだ。時折立ち止まり、物陰に隠れていた紅音はそのままどこかの建物に入った。
「この時間帯だ、この建物に入ったのと同時に追跡不可になってる」
「この建物に行けば……」
「おい落ち着け。お前みたいなのが突っ込んでも死体が増えるだけだっての……あ?」
なにやらキーボード操作していたノクシャスは、定点カメラの映像を更に遡っていた。
「……こいつは」
そして、紅音が建物に入っていくその前の映像。急にノイズが走り、数分間の映像が途絶えている。そして更に遡れば、そこには見覚えのある人物が映っていた。
「っ、サディークさん……?!」
その建物の側、辺りを警戒するように目を向けていたサディークはそのまま正面入口を無視し、建物と建物のその薄暗い路地裏へと通っていく。その数分後には見覚えのある黒服たちがその定点カメラの映像の端をちらちらと過ぎっていた。
「サディークって……ああ、あいつか。ってことは、……なるほどな」
「ノクシャスさん、ノクシャスさんもサディークさんのこと知ってるんですか?」
「『も』ってことは、お前も聞いたのか? 安生たちから」
こくりと頷き返せば、ノクシャスはなにか考え込んでるようだ。
「ノクシャスさん、これってもしかして……紅音君もなにか関係あるってことですか?」
「さあな、わかんねえけど……あいつが絡んでんなら実働部隊に連絡しねえとな。ここから先は俺の管轄外だ」
「連絡って……」
言いかけたとき、既に通信端末を取り出していたノクシャスは「よお」と端末に向かって声をかけていた。
「安生、テメェに話がある。ちょっといいか?」
――なんだか色々大事になってきた。
この建物に一体なにがあるのかわからないが、それでも良い気はまるでしない。
ざわつく胸の奥、俺はノクシャスと安生のやり取りを大人しく待つことにした。
安生とノクシャスと通信はすぐに終わる。
ソワソワと落ち着かない気持ちでそれを待っていたときだ。通信機を乱暴に上着に突っ込んだノクシャスはこちらを振り返る。
そして、
「良平、行くぞ」
「行くって、もしかして……」
「安生達んとこだ」
俺も行っていいんですか、と驚いた。
足手まといになるからとここで帰される覚悟をしていたから、余計に。
色々聞きたいことはあったが、今は状況が状況だ。ノクシャスが許可下したのなら大丈夫なのだろう。
俺は「わかりました!」と大きく頷いた。
それから俺たちは研究室を出て、そのままevil本社を後にする。以前モルグが使っていたどこにでも繋がる扉をノクシャスも使えるようだ、それを使って俺たちはすぐにダウンタウンの一画へと移動したのだ。
扉を開けば、あのモニタールームの映像で見たままの町並みが広がっていた。
ダウンタウンの表通りから少し奥、人気のない寂れたその路上。そこには先程紅音とサディークが入っていっていた施設もあった。その看板すらないビルの前には今、厳つい見張りらしき男がいる。ノクシャスはそれを確認し、そのままそのビルから離れた。そして俺の手を掴んだまま向かい側の参道にある喫茶店へと向かうのだ。
「え、あ、……あの……」
「こっちでいいんだよ。……先に安生たちと合流する」
正反対を行くノクシャスに驚き戸惑っていると、俺に背中を向けたままノクシャスは続けた。なるほど、と思いながら、俺は繋がれた手を思わず見つめた。
……迷子にならないように、という配慮なのだろうが、あまりにも普通に握られたしまったせいで驚いてしまった。
相変わらず大きなノクシャスの手だが、力の加減をしてくれてるのだとすぐに分かった分、なんだか余計むずむずした。
――喫茶店の中は落ち着いた……とは言い難い、なかなか尖った内装の空間が広がっていた。
出迎えてくれた謎の生き物の剥製にぎょっとしていると、奥のカウンター席から見覚えのある男がひょっこりと顔を出した。
「あれまあ、本当に来たんですね。善家君」
そこにはスーツ姿の安生と、黒服のヴィランがいた。
黒服たちは現れた俺たち、というよりもノクシャスに頭を下げる。それを軽く流し、ノクシャスは安生の前に立った。
「こんなところでのんびりティータイムか、呑気なことだな」
「そんな意地の悪いことを言わないでください。先程も伝えたでしょう、あのビルの入り口は結界で封鎖されていると」
「今私の部下たちが頑張って扉をこじ開けてる最中なのですよ、なのでこれは『頑張れのお茶休憩』ってやつです」
「はっ! 物は言いようだなあ、安生。……ビル自体にゃ興味はねえが、おい、トリッドのやつはまだ出てこねえのか」
「ええ、窓を覗こうにも中が見れないように細工をされてるようでしてね。このビルのオーナーは余程秘密主義らしい」
「というわけで、貴方がたも座ってはいかがですか。善家君、飲みたいものがあれば好きなものを選んでいいですよ」なんてにへらとこちらに笑いかけてくる安生。流石の俺でも甘えるような空気ではないというのは分かった、「いえ、お気持ちだけで十分です」と慌てて断れば「おや、振られてしまいましたね」と安生は肩を竦めた。
「んじゃ俺コーラ」
「ノクシャス君、喫茶店の意味をご存知ですか」
「ねえのかよ。……クソッ、じゃあ一番甘えやつ持ってこい」
言いながら、近くにいたウエイトレスに声をかけたノクシャスはそのまま安生たちが座っていた席――ではなく奥の一番広いボックス席に腰を下ろした。俺もその後ろについていき、ノクシャスの隣に座る。
「狭え店だな」
それはノクシャスのサイズ感からしたらどこの店も小さく感じるのかもしれないが、確かに天井は低いだろう。
それから安生も俺たちの席へと移動してくる。しっかりとコーヒーカップを片手に。
周りに他の客はいないものの、カウンターにいる初老の無口なマスターと同じく無口なウエイトレスがやはり気になった。
「ここは元々うちの社員がよく巡回や警備でお世話になってるんですよ。……つまりお得意様です。特別に貸し切りにしていただいてるのでそんなに周りを気にしなくても大丈夫ですよ、善家君」
「え」
「私達がうっかり大事な話をぽろぽろしないか気が気でなかったのでしょう? 大丈夫ですよ、その辺は我々の管轄なので君は気にしなくても」
「あ、……は、はい……」
微笑む安生にぎくりとした。
安生には人の心を読む力もあるのだろうか、なんて冷や汗が滲んだ。
ウエイトレスが運んできた、ノクシャスサイズの大きなジョッキに入った生クリームが盛られたカフェラテ……だろうか。俺はカフェラテがこんな盛り方をされているのは初めて見た。そしてノクシャスはそれを気にすることなく、まるで酒か何かのように一息で半分ほど飲み干すのだ。
そんな様を見て「すごい……」と呆気にとられていると、ノクシャスはどん、とジョッキの底をテーブルに叩きつけるように置く。その音にびっくりする俺に「わり」とだけ呟き、そして向かい側の席で追加注文で届いたサンドを齧っていた安生に目を向けるのだ。
「それで、このまま大人しく結界だのなんだのがぶっ壊れるのを待ってるつもりか?」
ノクシャスの低い声が静かに響く。
もむもむとサンドを咀嚼していた安生はそれをごくりと飲み込み、そして唇を舐めた。
「確かに君の馬力なら壊すことは可能でしょう。けれど、あのビルは我々が目を付けていた同業者の方々の溜まり場でもあります。逃げられては元も子もありませんのでねえ」
「トリッドのやつが中に入ってったんだ、もうどうなってんのかわかんねーぞ。中」
そういえば、そうなのだ。
なにがあって紅音がわざわざあのビルへと潜入きたのか分からないが、今の紅音は俺達の仲間のはずだ。
とはいえど、紅音がたまたまあのビルに入っただけなのか、あそこが今噂の同業者のアジトなのか知った上で潜入してるか否かで大きく変わってくる。
「トリッド……彼も不思議なんですよね。そもそも、あの結界は人が通れば認知されるような仕組みになっているはず。侵入者対策にしては些か大袈裟ですが、君から送られてきた映像を確認する限り――」
「トリッドは結界に反応しなかった」
「……そう考えるのが妥当でしょうね」
安生の言葉に考えた。
結界――俺としてはバリアだと考えた方が想像しやすかった。わざわざ安生が解除させるようなそのバリアをトリッドが抜けられたその理由、それをあまり考えたくはなかった。
「まあ他にも可能性はありますよ。敢えて見逃されているという可能性、それから私達をおびき寄せるための餌として彼を利用してるという可能性」
「……だとしたら、厄介だな。情報漏洩レベルじゃねえだろ」
幹部たちにとってトリッド――レッド・イルの存在はそこらへんのヴィランたちとはまた違う。そしてレッド・イルがトリッドだと気付いた上、なにかしらの方法でトリッドをおびき寄せたとなるとぞっとした。
「くお……トリッドは、大丈夫なんでしょうか」
不安になり、ノクシャスを見上げたとき。こちらを見下ろしていたノクシャスはそのまま俺の後頭部をがし、と掴む。
「あいつを教育したのは俺だ。大丈夫じゃねえわけがねえだろ」
「……っ、ノクシャスさん」
もしかしたらノクシャスなりに励ましてくれてるのだろうか。些か後ろ髪がぐしゃぐしゃになってる気がしてならないが、力強いノクシャスの手に少し緊張が解れる。
そんな俺たちを横目に、カップのコーヒーを一口飲んだ安生は「そうですね」と小さく息を吐いた。
「……それに、こう言ってはなんですがあちらさんにトリッド――彼を制御するほどの設備や技術力が備わっているとは思えませんしね」
「所詮は他人の契約をちょろまかすようなネズミ集団ですから」とにこりと微笑む安生。その言葉の端々には隠しようもない私怨を感じた。
……安生さん、怒ってる。
無理もないが、それ以上に安生の言葉に確かに、と納得できる部分もあった。
「そんなネズミだったら正面から一掃しちまった方がいいんじゃねえか」
「ノクシャス君、君はまた……悪い案ではありませんが、この場合は危険なんですよ」
「危険?」と片眉を釣り上げるノクシャスの前に、安生はスーツの中からタブレットを取り出した。それを操作すれば、テーブルの上にモニターが浮かぶ。
そこには複数人のヴィランらしき人物の写真が載っていた。
そして、そこにサディークの顔写真も表示されているのを見て息を飲んだ。
「今現在、このビルの内部にいると思われるヴィランたちです」
「……ふーん、六人か」
「元々このビルは廃ビルでした。というわけで、ここにいる六名は全員今回の件の関係者と見て結構です」
「つまり、処罰対象ですね」と笑顔を浮かべたままさらりと口にする安生に思わず顔を上げる。
安生と目が合う。「おや、どうしましたか。善家君」ととぼけたような口調で聞き返してくる安生。
――そうか、サディークはもうすでに裏切り者扱いされているのだ。
「……っ、い、え……」
ここで下手にフォローして、敵対グループの人間に肩入れしてると思われても厄介だ。『やっぱりお前は帰れ』と追い返されてしまえばなにもできない。
胸のざわつきを必死に押し殺しながら、俺は「続けてください」と呟いた。
「この六人の中には触れた物を爆弾に変えるという能力を持っている者がいましてね、……ああ、こいつです」
「……」
「ノクシャス君、君もよく知ってるでしょう。彼のことは」
映し出された複数人の写真の中から一人、ノクシャスにどことなく雰囲気の似た柄の悪いヴィランを指差す安生。
柄の良いヴィランがいるのかと言われればなんとも言えないが、派手な身なりのその青年は人相が悪い。多分、目の前にいたら俺は萎縮してしまうだろう。そんなタイプだ。
その青年の写真を見たノクシャスは「まさか」と少しだけ驚いた。
「君の昔の部下だった彼ですよ。……今は『デッドエンド』なんて名乗っているようですが」
「デ……ッ」
「…………」
な、なんて物騒な名前なのだ……。
能力も物騒だが、ヴィランらしいといえばヴィランのような人物なのだろう。
けれど、ノクシャスの横顔を見てなんとも言えない気持ちになる。
「ノクシャスさん……」
元身内が、しかも部下となるともっと近い存在ではないのか。というか、ノクシャスさんに部下がいたんだ。とか。
色々気になることはあったが、深く尋ねられるような空気感ではない。
なんと声をかければいいのか、と狼狽えていたときだ。いきなりノクシャスはテーブルの上に残っていたラテジョッキを手に取り、それを空になるまで一気に飲み干した。そして、どん!とそのジョッキを叩きつける。今度こそジョッキが砕けたのではないかと思っていたが無事だった。
そして、辺りに甘いクリームの匂いが漂う。
「だったら尚更俺向けだろ、俺を突っ込ませろ」
「ノクシャス君」
「デッドエンドだかなんだか関係ねえよ。……裏切り者は裏切り者だ、んでこいつらは俺らに喧嘩を売ったんだからな」
そう続けるノクシャス。その目に甘さはない。
普段、比較的優しいノクシャスを見てきたからこそ、久しぶりに肌で感じるヴィランの“ノクシャス”という男の威圧感に押し潰されそうになった。
そんなノクシャスに安生は笑みを浮かべた。
「君のそういう性格、私は嫌いではありませんよ」
「じゃあ、」
「けど先程も言った通り、彼の能力と君は相性がよくない。というか、今回はノクシャス君の出番は後の方になりそうなんですよね」
「……ああ?」
びき、と苛ついたように額に青筋を浮かべるノクシャスを無視し、安生は「善家君」とこちらを振り返った。
「君にわざわざノクシャス君とついてきてもらったのには訳がありましてね」
「え、は、はい」
「善家君に少し頼みたいことがあるんです」
にこにこにこ、と営業スマイルを浮かべる安生。
まさかこの流れで俺に振られると思っていなかっただけに、嫌な予感しかしない。
あまりにも勿体振る安生に「は、はい……」と震えを堪えつつ頷き返せば、微笑んだ。
「君を囮にしてこの男を呼び出しますが構いませんね?」
『この男』と、並ぶ写真の内の一人を指差し、安生は微笑んだ。そこに写った今にも倒れそうな暗い顔の男、もといサディークに俺はひくりと喉を鳴らす。
「っ、そ、それは……」
「理由付けは何でもいいです。恐らくこの男は君からの連絡ならば反応するようなので。ですがなるべく、今までと同じような感じで誘いのメッセージなりなんなりを送りつけていただきたいのですよ」
「……っ、サディークさんを、捕まえる……ってことですか?」
「結果的にはそうなりますが、その前に彼にはやっていただきたいことがいくつもありますので……ちょっと軽く脅す感じと捉えていただいて結構です」
俺に配慮してるつもりなのか。
言葉を選ぶ安生だったが、今までの会話の流れからして物騒な予感しかしない。
「大丈夫ですよ、君はただメッセージを送るだけでいいんです。なんなら、端末を貸していただければ私が君の文体をコピーして送りますよ」
にこ!とこちらへと手を出してくる安生。つまりそれはそこに俺の意思は関係なく、お前が嫌がるのならお前のタブレットを取り上げるからなという圧しか感じない。
「おい安生」と咎めるように口を開くノクシャス。
「おや? 勘違いしないでください。何度も言ってますが、私は善家君に危険な目に遭わせるつもりは毛頭ないのですから」
「っ、安生さん」
俺はスーツのポケットに決まっていたタブレット端末を取り出した。
「サディークさんには俺から連絡します」
「おや、本当ですか?」
「はい、その代わり……お願いがあります」
俺の言葉に、薄く開かれた安生の目がこちらを向いた。
安生は時折酷く冷たい目をする。背筋を凍りつかせるような冷たい目――それはどうしても極悪ヴィラン、ニエンテの影を想起させるのだ。
怖くないわけではない。緊張もするが、ここで決めなければ恐らく後悔するだろう。
俺は真っ直ぐに安生を見つめ返す。そして、
「もしサディークさんを捕まえたら、そのときは俺にも話をさせてもらっていいですか」
「良平、お前何言ってんだ」
呆れたようなノクシャスの声が喫茶店内に響く。
そんな反応をされても無理もない。護衛でもあるノクシャスからすれば、自分から危険な目に遭いに行こうとしてるようなものだ。
そんなノクシャスに対して、安生はあくまでもいつもと変わらない調子だった。
「まあノクシャス君、いいではありませんか」と、そっとノクシャスを諌める安生は、そのまま視線を俺の方へと向けた。
「まさか善家君がこうして私にお願いしてくれるなんてねえ、いやはや感慨深いものもありますが」
「……っ、安生さん、お願いします」
反対されることは承知だった。
だからこれは一種の賭けのようなものだった。
別に安生たちからしてみれば、この作戦には俺でなくてもサディークと連絡が取れる端末があればいいのだ。交換条件にしてはハイリスクすぎるとわかっていても、このままサディークをただの犯罪者として扱いたくなかったのだ。
頭を下げる俺を、安生はじっと見つめていた。そして、
「いいでしょう、話すぐらいでしたら」
安生の口から出てきたその言葉に、思わず「本当ですか!」とガバリと顔を上げる。そこにはいつもの笑みを浮かべた安生がこちらを見下ろしていた。
「ですが、その結果君が危険な目に合うと判断したときは速攻中断させていただきます」
それは安生にしては珍しく強い語気だった。
ぴり、と周囲の空気が引き締まる感じがしたが、相手はサディークといえど今はスパイ容疑者の一人だ。そういう扱いされても仕方ない。
理屈では分かっているが、やはり心が納得できない。だからこそ余計、俺の条件を飲んで許可してくれた安生に驚き、そして安堵する。
「……わかりました。ありがとうございます、安生さん」
そう改めて頭を下げれば、安生は「まだ礼をいうのは早いんじゃありませんか?」と笑った。俺の隣、ノクシャスは微妙な顔をしたまま舌打ちをしたのがやけに耳に残っていた。
それから、俺は安生との約束を守るためにサディークに『これから会えないか』というメッセージを入れた。
既読はついたものの、なかなか返事は返ってこない。
「まあそりゃそうでしょうね。……っと、私は少し上で部下たちの様子を見てきます。また動きがあれば呼んでください」
どうやら喫茶店のニ階には他の社員たちがいるらしい。わかりました、と俺は安生に頷き返し、それから再び握り締めていた端末をじっと見ていた。
「んなに見てたって返事が来るわけじゃねえだろ」
そんな俺に、いつの間にかに頼んで届いたランチメニューのピザを食べながらノクシャスは声をかけてくる。
この喫茶店、コーラはないけどピザもあるのか。と思いながらも、「……そうですね」と俺は一度端末をテーブルに置いた。
ここにきてから、いや、サディークが裏切り者だと聞いてからずっと息が詰まっているような感覚が取れない。
俺は一先ず緊張をほぐすため、「ノクシャスさんのおすすめはありますか?」と紙のメニューを開いて尋ねれば、ノクシャスの目がこちらを見た。
「お前みてーのは、このプリンパフェがお似合いだろ」
「わ、甘そうですね……ノクシャスさんは甘いのが好きなんですか?」
「あ? なんで」
「だってさっき、すごく甘そうなものを飲んでたので」
そうちら、と見上げれば、ノクシャスはそっぽ向いた。
「別に、嫌いじゃねえだけだ」
「そうなんですね。俺も結構好きですよ、甘いもの」
「……そうかよ」
「はい。……あ、すみません。このプリンパフェ? ください」
「……」
通りかかったウエイトレスさんに注文すれば、無言で頷いたウエイトレスさんはすぐにカウンターの方へと引っ込んだ。
それにしても、と俺はノクシャスをちらりと盗み見る。むぐむぐと頬にピザ詰め込んで飲み込むノクシャスの横顔はどう見ても不機嫌なそれだ。
やっぱり、さっきの安生への頼み事かな。
あのときのノクシャスの反応を見る限り、あれしかない。あれ以降ずっと、なんだかよそよそしいのだ。
無視されるわけでもないし、やっぱりノクシャスは優しいけどもだ。ただでさえ変な感じになってしまった分、余計空気がぎこちなく感じずにはいられない。
届いたプリンパフェを突きながら、なんとなく気まずい空気が流れた。
状況が状況なので和気藹々としてる場合でもないと分かっていたけども、とそんなことを考えながら、口にしたプリンの欠片の甘さにどんどん胃が重くなっていく。
……というか、めちゃくちゃ甘いな。
なんて思っていたときだ。
テーブルの上に置いていた端末の画面が点滅し、メッセージ受信を知らせてくれる。
――サディークからだ。
慌てて端末を手に取り内容を確認した俺は、そこに書かれていた内容に息を飲む。
隣に座っていたノクシャスが、「なんだって?」とこちらを覗き込んだ。
「……えーと、その……一応会ってはくれるみたいなんですけど、その」
「『指定した場所へ来てほしい』……ああ? テメェが来いって返事しろ」
「え、あ……ノクシャスさん待ってください……っ!」
ひょいと端末を取り上げてくるノクシャスに、慌ててしがみついたときだった。
俺たちの声が聞こえたのだろう、二階から安生が降りてくる。
「ああ、返事が返ってきたんですか?」
「ああ、みてーだ。……一人でアジトまでこいつを越させようとしてる」
「なるほど、やはりそうきましたか。善家君に全て知られてると思い込んでてヤケになってるか、はたまた人質にでもするつもりなんでしょうね」
あっけらかんと口にする安生の言葉に、胸の奥がずしりと重くなる。
――そんなわけがない、と思いたかった。
けれど、違和感は確かにあった。文章のこの感じ、普段のサディークのあの自分語りと入り混じったような文面を思い返す。たまにそっけないときもあったけど、こんなしっかりと細かく住所付きで指定することもなかった。
――状況が状況だから、向こうも追い込まれてると分かっていたとしたらそりゃ普段通りのままじゃないかもしれないけれども。
「で、どうするんだ」
「善家君、私が今から言うことを自分なりに噛み砕いて返信をしていただいてもいいですか?」
「は、はい……」
「『道がわからないので途中まで迎えに来てほしい』――甘える子犬のような感じの文体でよろしくお願いします」
なんだその注文は。
「無茶言ってんじゃねえ」
「あくまで下手で、何も知らないふりで構いませんよ。サディークだけをこの建物から――いえ、結界の外に出せればすぐに解決できることなので」
そう冷ややかに笑う安生に、俺は大丈夫だろうかと不安になりながらも「わかりました、やってみます」と頷いた。
それから安生たちから『もっと子犬のような感じで』と指導を受けながらも俺はサディークへの返信メッセージを完成させた。
そして、すぐにそれを送信する。
ふう、とひと呼吸置いた。先程の感じからすれば、また返信が返ってくるのは時間かかるだろうと思ったのだ。
けれど、思いの外サディークからの返信は早かった。
『わかった』
そうメッセージの1行目に打たれた文字を見て、ああ、と思った。
椅子に腰をかけ、何杯目かのコーヒーを飲んでいた安生は無言で立ち上がり、そして俺の肩を叩く。
「準備をしましょう、善家君」
「安生さん……」
「大丈夫ですよ、君を危険な目には遭わせませんので」
にこりと笑う安生の目は笑っていないように見えて、酷く恐ろしかった。
いつの日かテレビのモニター越しに見ていたニエンテを思い出しながらも、俺は頷き返した。
俺はノクシャス、安生とともに、喫茶店の二階へと連れて行かれた。
そこは多数のお客さんが利用する一階の飲食スペースとはまた違う、所謂個室の扉が並んでいた。その一番奥へと連れて行かれる俺。
その扉を開けば、あの扉型転移装置がそこには取り付けられていた。
「ここを抜ければ本社へと戻ります。君にはこれから何食わぬ顔で再び待ち合わせ場所へと向かってください」
「あ、あの、……」
「ノクシャス君には善家君の護衛を。無論、影からでお願いします。どこにネズミがいるかも分かりませんので」
「別にいいけどよ、サディークのやつはお前一人で大丈夫か?」
ノクシャスの言葉に、安生は「ええ、私には優秀な部下たちもいますので」と微笑んだ。
薄々気付いていたが、もしかしてノクシャスは安生がニエンテだということを知らないのだろうか。
思わず安生を見上げれば、安生は『しっ』と小さく微笑む。……なるほど、俺と兄以外の人は知らないようだ。
「それと、善家君にはこれを渡しましょう」
そして、思い出したように安生はその個室にあるテーブルの上、どかりと置かれたケースを手に取る。弁当箱くらいの大きさのそのケースを開ければ、中には腕時計が入っていた。
「これは私からのプレゼントです」
「……え?!」
「モルグ君が作ってくれたバリア装置ですよ。装着した者に身の危険が及べば、一度だけなら全ての衝撃を吸収するという優れものです。本来ならば高額で販売されるものなのですが、未だ試作品段階ということでしたのでプレゼントします」
後半の説明は頭に入ってこなかったが、つまりすごいやつということだけは分かった。
ケースの中から腕時計取り出した安生は、「善家君、手を」と促してくる。
そんな俺には勿体なさすぎる、ノクシャスとかのが持つべきなのではないか。そう思ったが、断る暇もなかった。そっと手を取られ、手首に巻かれる革製のベルトはよく肌に馴染んだ。
「い、いいんですか……俺に、こんな……」
「寧ろ、貴方だからこそですよ。善家君。……ノクシャス君は何度爆破されようが死にませんが、生身の貴方は違います」
「……」
「良平、大人しく貰っとけ」
どうやらノクシャスも安生と同じ意見らしい。
まあ、確かにこの中で一番すぐ死ぬのは俺だろう。わかりました、と頷き、俺は安生からのプレゼントを受け取った。
それにしても、腕時計なんてどれくらいぶりだろうか。最近は時間確認もタブレットで行っていたのでなんだか落ち着かない。
「似合ってますよ、善家君」
「あの、ちゃんと返します……」
「言ったでしょう、プレゼントだと。……それより二人とも。そろそろ行動をよろしくお願いします」
「は、はい……っ!」
「はいはい」
これから作戦が始まるのだと思うと緊張する。
ノクシャスに「おら、行くぞ」と首根っこを掴まれ、俺はそのままその転移装置で再びevil本社へと帰されることになったのだ。
相変わらず文明の機器はすごい。
あっという間に戻ってきたのは見慣れた幹部用の通路だ。人気の少ないその通路から俺は再び外へと出ることになる。
そのときにはもうノクシャスとはバラバラになった。
一応どこからかはノクシャスが見守ってくれているのだろうが、流石ヴィラン。どこにいるのか一般人の俺からはわからない。
そんな状態でダウンタウンまで出た時、先程アジトの方からなにかが爆発するような音が聞こえてきた。それは割りと離れた現在地まで聞こえてくるほどの空気、そして地盤の震動。
「……っ、な」
なんだ、と震源地らしき方角を振り返ろうとしたときだった。
狼狽えているのは俺だけで、他のヴィランたちはちらほら「またか」という顔するくらいだ。
けれど、先程聞いた『デッドエンド』というヴィランの能力を思い出す。
――まさかな。
そう思いたいのに、胸がざわついた。
辺りにノクシャスがいないか見渡したが、見当たらない。けど、ノクシャスならきっと着いてきてくれるだろう。そんな気がしたから俺は思わず走り出した。
サディークの待ち合わせ場所へ――爆発音のする方へ向かって。
ノクシャスとともに部屋を出た俺は、取り敢えずノクシャスの後をついていくことにする。
ノクシャス曰く、紅音の体には予めもしものときのために通信機器が埋め込まれているらしい。それを確認するために、モルグがいる研究室へと向かうことになっていた。
「ったく、あの野郎……」
「モルグさん、まだ連絡つかないんですか?」
「ああ、……別に珍しいことじゃねえけどな。どうせ爆睡してるか、改造手術に夢中になってるかだな」
なるほど、と思わず納得しそうになる。
モルグらしいといえばモルグらしくはあるが、それで良いのだろうかと心配する気持ちもあったりなかったり。
というわけで苛ついてるノクシャスとやってきた研究室前。
モルグと同じように白衣姿の研究員たちは俺たちの――主にノクシャスの顔を見るとわっと嬉しそうな顔して話しかけていた。
「ノクシャスさん、ノクシャスさん自らここに来てくれるなんて……とうとう自ら被験体になってくれるということですか?!」
「ちげえよ! つうかモルグはどこだモルグは、あいつに用があんだよ」
「ああ、なんだ。室長ですか」
そう徐にがっくりと肩を落とす研究員たち。その奥の扉から同じく白衣の男が現れた。白衣の下、きっちりとスーツを着込んだその男には見覚えがある――確か、考藤だ。
「室長ならここには居ませんよ、ノクシャスさん」
糸のような細い目のその男はノクシャスを前に静かに続ける。いつぞやのバーで見かけたときのふにゃふにゃの考藤ではなく、冷たい氷を纏ったような考藤の方だ。考藤に目を向けたノクシャスは「ああ、お前か」と小さく口を開いた。
「副室長のお前がいるなら早い。頼みたいことがある」
「頼みたいことですか? 俺に?」
「ああ、俺の部下の一人がいなくなった。そいつを追跡してもらいたい」
「ああ……彼ですか」
誰とは言わないが、考藤も紅音のことは知っているらしい。他の研究員たちは知らないようだ、興味がなくなったかのようにそのまま各自自分たちの持ち場へと帰っていく。
「構いませんよ、室長からは貴方が来たら通すようにと予め承っておりましたので。……こちらへどうぞ」
「あいつ、すっぽかす気満々だったのかよ」
「そのようですね。……ですが、今回は別件が入ったようです。つい先程、呼び出しがかかって慌てて外出されていましたので」
そう先を歩き、研究室の奥へと歩いていく考藤。その奥にあったのはいかにもな薬品に溢れた怪しい研究室――ではなく、複数の機械が置かれた部屋に繋がっていた。薄暗い部屋の中、複数のモニターが浮かんでは煌々と部屋の中を照らしている。そこに映し出されているのはダウンタウンだったりこの社内だったりと様々だ。
「使い方は分かりますか」
「問題ねえよ」
「彼のコードナンバーは30156です。履歴の消去は忘れずに、ということでした」
「余計なお世話だって言っとけ」
なにかを考藤から受け取ったノクシャスはそのまま中央のモニターに触れる。空中に浮かび上がる電子キーボードを操作すれば、そのモニターは町中の定点カメラからマップのような映像へと切り替わる。
そんなノクシャスを眺めていた考藤だが、やがて「鍵は後から返してくださいね」と踵を返す。
「見張ってなくていいのか?」
そう尋ねるノクシャスに、考藤は「そんなことすれば、俺が貴方に殺されかねませんからね」と冷笑を浮かべた。
どういう意味なのだろうか、ヴィランジョークということなのだろうか。その割にノクシャスは笑ってないし、ふん、と鼻を鳴らしたっきり出ていく考藤を見送ろうともしない。
宣言通り、考藤はそのモニタールームから出ていった。二人きりになった部屋の中、俺はノクシャスが機械を操作してるのを眺めていた。
「ノクシャスさん、さっきのってどういうことなんでしょうか」
「あ?」
「ノクシャスさんが考藤さんを殺すだとか……」
「そのまま以外の他になにがあるんだよ」
「え」
「……チッ、言葉の綾だ。いちいち真に受けんな。……幹部である俺を疑う方がおかしいって話だろ」
「あいつの場合は、お前に付き合ってられるほど暇じゃねえんだよ。ってのが正解だろうがな」と皮肉げに吐き捨てるノクシャス。
もしかして二人は仲が悪いのだろうか。
なんとなくそれ以上深入りできなくて、大人しくノクシャスの作業を見守っているとどうやらなにか見つけたようだ。
「……ああ?」
「どうしたんですか?」
「ちょっと前までの記録はあったんだが……今は追跡不可状態になってんな」
「え……それって」
「面倒だな」
そう小さく舌打ちをしたノクシャスはなにやらモニターを更に操作した。
映し出されたのはダウンタウンの一角だ。どこかの電柱にぶら下がった定点カメラの映像だろうか、行き交う派手なヴィランたちの中に混ざって、赤いフードを被った人影を見つけた。
「紅音君……っ?!」
「見てえだな」
モニターの中の紅音は誰かを尾行しているようだ。時折立ち止まり、物陰に隠れていた紅音はそのままどこかの建物に入った。
「この時間帯だ、この建物に入ったのと同時に追跡不可になってる」
「この建物に行けば……」
「おい落ち着け。お前みたいなのが突っ込んでも死体が増えるだけだっての……あ?」
なにやらキーボード操作していたノクシャスは、定点カメラの映像を更に遡っていた。
「……こいつは」
そして、紅音が建物に入っていくその前の映像。急にノイズが走り、数分間の映像が途絶えている。そして更に遡れば、そこには見覚えのある人物が映っていた。
「っ、サディークさん……?!」
その建物の側、辺りを警戒するように目を向けていたサディークはそのまま正面入口を無視し、建物と建物のその薄暗い路地裏へと通っていく。その数分後には見覚えのある黒服たちがその定点カメラの映像の端をちらちらと過ぎっていた。
「サディークって……ああ、あいつか。ってことは、……なるほどな」
「ノクシャスさん、ノクシャスさんもサディークさんのこと知ってるんですか?」
「『も』ってことは、お前も聞いたのか? 安生たちから」
こくりと頷き返せば、ノクシャスはなにか考え込んでるようだ。
「ノクシャスさん、これってもしかして……紅音君もなにか関係あるってことですか?」
「さあな、わかんねえけど……あいつが絡んでんなら実働部隊に連絡しねえとな。ここから先は俺の管轄外だ」
「連絡って……」
言いかけたとき、既に通信端末を取り出していたノクシャスは「よお」と端末に向かって声をかけていた。
「安生、テメェに話がある。ちょっといいか?」
――なんだか色々大事になってきた。
この建物に一体なにがあるのかわからないが、それでも良い気はまるでしない。
ざわつく胸の奥、俺はノクシャスと安生のやり取りを大人しく待つことにした。
安生とノクシャスと通信はすぐに終わる。
ソワソワと落ち着かない気持ちでそれを待っていたときだ。通信機を乱暴に上着に突っ込んだノクシャスはこちらを振り返る。
そして、
「良平、行くぞ」
「行くって、もしかして……」
「安生達んとこだ」
俺も行っていいんですか、と驚いた。
足手まといになるからとここで帰される覚悟をしていたから、余計に。
色々聞きたいことはあったが、今は状況が状況だ。ノクシャスが許可下したのなら大丈夫なのだろう。
俺は「わかりました!」と大きく頷いた。
それから俺たちは研究室を出て、そのままevil本社を後にする。以前モルグが使っていたどこにでも繋がる扉をノクシャスも使えるようだ、それを使って俺たちはすぐにダウンタウンの一画へと移動したのだ。
扉を開けば、あのモニタールームの映像で見たままの町並みが広がっていた。
ダウンタウンの表通りから少し奥、人気のない寂れたその路上。そこには先程紅音とサディークが入っていっていた施設もあった。その看板すらないビルの前には今、厳つい見張りらしき男がいる。ノクシャスはそれを確認し、そのままそのビルから離れた。そして俺の手を掴んだまま向かい側の参道にある喫茶店へと向かうのだ。
「え、あ、……あの……」
「こっちでいいんだよ。……先に安生たちと合流する」
正反対を行くノクシャスに驚き戸惑っていると、俺に背中を向けたままノクシャスは続けた。なるほど、と思いながら、俺は繋がれた手を思わず見つめた。
……迷子にならないように、という配慮なのだろうが、あまりにも普通に握られたしまったせいで驚いてしまった。
相変わらず大きなノクシャスの手だが、力の加減をしてくれてるのだとすぐに分かった分、なんだか余計むずむずした。
――喫茶店の中は落ち着いた……とは言い難い、なかなか尖った内装の空間が広がっていた。
出迎えてくれた謎の生き物の剥製にぎょっとしていると、奥のカウンター席から見覚えのある男がひょっこりと顔を出した。
「あれまあ、本当に来たんですね。善家君」
そこにはスーツ姿の安生と、黒服のヴィランがいた。
黒服たちは現れた俺たち、というよりもノクシャスに頭を下げる。それを軽く流し、ノクシャスは安生の前に立った。
「こんなところでのんびりティータイムか、呑気なことだな」
「そんな意地の悪いことを言わないでください。先程も伝えたでしょう、あのビルの入り口は結界で封鎖されていると」
「今私の部下たちが頑張って扉をこじ開けてる最中なのですよ、なのでこれは『頑張れのお茶休憩』ってやつです」
「はっ! 物は言いようだなあ、安生。……ビル自体にゃ興味はねえが、おい、トリッドのやつはまだ出てこねえのか」
「ええ、窓を覗こうにも中が見れないように細工をされてるようでしてね。このビルのオーナーは余程秘密主義らしい」
「というわけで、貴方がたも座ってはいかがですか。善家君、飲みたいものがあれば好きなものを選んでいいですよ」なんてにへらとこちらに笑いかけてくる安生。流石の俺でも甘えるような空気ではないというのは分かった、「いえ、お気持ちだけで十分です」と慌てて断れば「おや、振られてしまいましたね」と安生は肩を竦めた。
「んじゃ俺コーラ」
「ノクシャス君、喫茶店の意味をご存知ですか」
「ねえのかよ。……クソッ、じゃあ一番甘えやつ持ってこい」
言いながら、近くにいたウエイトレスに声をかけたノクシャスはそのまま安生たちが座っていた席――ではなく奥の一番広いボックス席に腰を下ろした。俺もその後ろについていき、ノクシャスの隣に座る。
「狭え店だな」
それはノクシャスのサイズ感からしたらどこの店も小さく感じるのかもしれないが、確かに天井は低いだろう。
それから安生も俺たちの席へと移動してくる。しっかりとコーヒーカップを片手に。
周りに他の客はいないものの、カウンターにいる初老の無口なマスターと同じく無口なウエイトレスがやはり気になった。
「ここは元々うちの社員がよく巡回や警備でお世話になってるんですよ。……つまりお得意様です。特別に貸し切りにしていただいてるのでそんなに周りを気にしなくても大丈夫ですよ、善家君」
「え」
「私達がうっかり大事な話をぽろぽろしないか気が気でなかったのでしょう? 大丈夫ですよ、その辺は我々の管轄なので君は気にしなくても」
「あ、……は、はい……」
微笑む安生にぎくりとした。
安生には人の心を読む力もあるのだろうか、なんて冷や汗が滲んだ。
ウエイトレスが運んできた、ノクシャスサイズの大きなジョッキに入った生クリームが盛られたカフェラテ……だろうか。俺はカフェラテがこんな盛り方をされているのは初めて見た。そしてノクシャスはそれを気にすることなく、まるで酒か何かのように一息で半分ほど飲み干すのだ。
そんな様を見て「すごい……」と呆気にとられていると、ノクシャスはどん、とジョッキの底をテーブルに叩きつけるように置く。その音にびっくりする俺に「わり」とだけ呟き、そして向かい側の席で追加注文で届いたサンドを齧っていた安生に目を向けるのだ。
「それで、このまま大人しく結界だのなんだのがぶっ壊れるのを待ってるつもりか?」
ノクシャスの低い声が静かに響く。
もむもむとサンドを咀嚼していた安生はそれをごくりと飲み込み、そして唇を舐めた。
「確かに君の馬力なら壊すことは可能でしょう。けれど、あのビルは我々が目を付けていた同業者の方々の溜まり場でもあります。逃げられては元も子もありませんのでねえ」
「トリッドのやつが中に入ってったんだ、もうどうなってんのかわかんねーぞ。中」
そういえば、そうなのだ。
なにがあって紅音がわざわざあのビルへと潜入きたのか分からないが、今の紅音は俺達の仲間のはずだ。
とはいえど、紅音がたまたまあのビルに入っただけなのか、あそこが今噂の同業者のアジトなのか知った上で潜入してるか否かで大きく変わってくる。
「トリッド……彼も不思議なんですよね。そもそも、あの結界は人が通れば認知されるような仕組みになっているはず。侵入者対策にしては些か大袈裟ですが、君から送られてきた映像を確認する限り――」
「トリッドは結界に反応しなかった」
「……そう考えるのが妥当でしょうね」
安生の言葉に考えた。
結界――俺としてはバリアだと考えた方が想像しやすかった。わざわざ安生が解除させるようなそのバリアをトリッドが抜けられたその理由、それをあまり考えたくはなかった。
「まあ他にも可能性はありますよ。敢えて見逃されているという可能性、それから私達をおびき寄せるための餌として彼を利用してるという可能性」
「……だとしたら、厄介だな。情報漏洩レベルじゃねえだろ」
幹部たちにとってトリッド――レッド・イルの存在はそこらへんのヴィランたちとはまた違う。そしてレッド・イルがトリッドだと気付いた上、なにかしらの方法でトリッドをおびき寄せたとなるとぞっとした。
「くお……トリッドは、大丈夫なんでしょうか」
不安になり、ノクシャスを見上げたとき。こちらを見下ろしていたノクシャスはそのまま俺の後頭部をがし、と掴む。
「あいつを教育したのは俺だ。大丈夫じゃねえわけがねえだろ」
「……っ、ノクシャスさん」
もしかしたらノクシャスなりに励ましてくれてるのだろうか。些か後ろ髪がぐしゃぐしゃになってる気がしてならないが、力強いノクシャスの手に少し緊張が解れる。
そんな俺たちを横目に、カップのコーヒーを一口飲んだ安生は「そうですね」と小さく息を吐いた。
「……それに、こう言ってはなんですがあちらさんにトリッド――彼を制御するほどの設備や技術力が備わっているとは思えませんしね」
「所詮は他人の契約をちょろまかすようなネズミ集団ですから」とにこりと微笑む安生。その言葉の端々には隠しようもない私怨を感じた。
……安生さん、怒ってる。
無理もないが、それ以上に安生の言葉に確かに、と納得できる部分もあった。
「そんなネズミだったら正面から一掃しちまった方がいいんじゃねえか」
「ノクシャス君、君はまた……悪い案ではありませんが、この場合は危険なんですよ」
「危険?」と片眉を釣り上げるノクシャスの前に、安生はスーツの中からタブレットを取り出した。それを操作すれば、テーブルの上にモニターが浮かぶ。
そこには複数人のヴィランらしき人物の写真が載っていた。
そして、そこにサディークの顔写真も表示されているのを見て息を飲んだ。
「今現在、このビルの内部にいると思われるヴィランたちです」
「……ふーん、六人か」
「元々このビルは廃ビルでした。というわけで、ここにいる六名は全員今回の件の関係者と見て結構です」
「つまり、処罰対象ですね」と笑顔を浮かべたままさらりと口にする安生に思わず顔を上げる。
安生と目が合う。「おや、どうしましたか。善家君」ととぼけたような口調で聞き返してくる安生。
――そうか、サディークはもうすでに裏切り者扱いされているのだ。
「……っ、い、え……」
ここで下手にフォローして、敵対グループの人間に肩入れしてると思われても厄介だ。『やっぱりお前は帰れ』と追い返されてしまえばなにもできない。
胸のざわつきを必死に押し殺しながら、俺は「続けてください」と呟いた。
「この六人の中には触れた物を爆弾に変えるという能力を持っている者がいましてね、……ああ、こいつです」
「……」
「ノクシャス君、君もよく知ってるでしょう。彼のことは」
映し出された複数人の写真の中から一人、ノクシャスにどことなく雰囲気の似た柄の悪いヴィランを指差す安生。
柄の良いヴィランがいるのかと言われればなんとも言えないが、派手な身なりのその青年は人相が悪い。多分、目の前にいたら俺は萎縮してしまうだろう。そんなタイプだ。
その青年の写真を見たノクシャスは「まさか」と少しだけ驚いた。
「君の昔の部下だった彼ですよ。……今は『デッドエンド』なんて名乗っているようですが」
「デ……ッ」
「…………」
な、なんて物騒な名前なのだ……。
能力も物騒だが、ヴィランらしいといえばヴィランのような人物なのだろう。
けれど、ノクシャスの横顔を見てなんとも言えない気持ちになる。
「ノクシャスさん……」
元身内が、しかも部下となるともっと近い存在ではないのか。というか、ノクシャスさんに部下がいたんだ。とか。
色々気になることはあったが、深く尋ねられるような空気感ではない。
なんと声をかければいいのか、と狼狽えていたときだ。いきなりノクシャスはテーブルの上に残っていたラテジョッキを手に取り、それを空になるまで一気に飲み干した。そして、どん!とそのジョッキを叩きつける。今度こそジョッキが砕けたのではないかと思っていたが無事だった。
そして、辺りに甘いクリームの匂いが漂う。
「だったら尚更俺向けだろ、俺を突っ込ませろ」
「ノクシャス君」
「デッドエンドだかなんだか関係ねえよ。……裏切り者は裏切り者だ、んでこいつらは俺らに喧嘩を売ったんだからな」
そう続けるノクシャス。その目に甘さはない。
普段、比較的優しいノクシャスを見てきたからこそ、久しぶりに肌で感じるヴィランの“ノクシャス”という男の威圧感に押し潰されそうになった。
そんなノクシャスに安生は笑みを浮かべた。
「君のそういう性格、私は嫌いではありませんよ」
「じゃあ、」
「けど先程も言った通り、彼の能力と君は相性がよくない。というか、今回はノクシャス君の出番は後の方になりそうなんですよね」
「……ああ?」
びき、と苛ついたように額に青筋を浮かべるノクシャスを無視し、安生は「善家君」とこちらを振り返った。
「君にわざわざノクシャス君とついてきてもらったのには訳がありましてね」
「え、は、はい」
「善家君に少し頼みたいことがあるんです」
にこにこにこ、と営業スマイルを浮かべる安生。
まさかこの流れで俺に振られると思っていなかっただけに、嫌な予感しかしない。
あまりにも勿体振る安生に「は、はい……」と震えを堪えつつ頷き返せば、微笑んだ。
「君を囮にしてこの男を呼び出しますが構いませんね?」
『この男』と、並ぶ写真の内の一人を指差し、安生は微笑んだ。そこに写った今にも倒れそうな暗い顔の男、もといサディークに俺はひくりと喉を鳴らす。
「っ、そ、それは……」
「理由付けは何でもいいです。恐らくこの男は君からの連絡ならば反応するようなので。ですがなるべく、今までと同じような感じで誘いのメッセージなりなんなりを送りつけていただきたいのですよ」
「……っ、サディークさんを、捕まえる……ってことですか?」
「結果的にはそうなりますが、その前に彼にはやっていただきたいことがいくつもありますので……ちょっと軽く脅す感じと捉えていただいて結構です」
俺に配慮してるつもりなのか。
言葉を選ぶ安生だったが、今までの会話の流れからして物騒な予感しかしない。
「大丈夫ですよ、君はただメッセージを送るだけでいいんです。なんなら、端末を貸していただければ私が君の文体をコピーして送りますよ」
にこ!とこちらへと手を出してくる安生。つまりそれはそこに俺の意思は関係なく、お前が嫌がるのならお前のタブレットを取り上げるからなという圧しか感じない。
「おい安生」と咎めるように口を開くノクシャス。
「おや? 勘違いしないでください。何度も言ってますが、私は善家君に危険な目に遭わせるつもりは毛頭ないのですから」
「っ、安生さん」
俺はスーツのポケットに決まっていたタブレット端末を取り出した。
「サディークさんには俺から連絡します」
「おや、本当ですか?」
「はい、その代わり……お願いがあります」
俺の言葉に、薄く開かれた安生の目がこちらを向いた。
安生は時折酷く冷たい目をする。背筋を凍りつかせるような冷たい目――それはどうしても極悪ヴィラン、ニエンテの影を想起させるのだ。
怖くないわけではない。緊張もするが、ここで決めなければ恐らく後悔するだろう。
俺は真っ直ぐに安生を見つめ返す。そして、
「もしサディークさんを捕まえたら、そのときは俺にも話をさせてもらっていいですか」
「良平、お前何言ってんだ」
呆れたようなノクシャスの声が喫茶店内に響く。
そんな反応をされても無理もない。護衛でもあるノクシャスからすれば、自分から危険な目に遭いに行こうとしてるようなものだ。
そんなノクシャスに対して、安生はあくまでもいつもと変わらない調子だった。
「まあノクシャス君、いいではありませんか」と、そっとノクシャスを諌める安生は、そのまま視線を俺の方へと向けた。
「まさか善家君がこうして私にお願いしてくれるなんてねえ、いやはや感慨深いものもありますが」
「……っ、安生さん、お願いします」
反対されることは承知だった。
だからこれは一種の賭けのようなものだった。
別に安生たちからしてみれば、この作戦には俺でなくてもサディークと連絡が取れる端末があればいいのだ。交換条件にしてはハイリスクすぎるとわかっていても、このままサディークをただの犯罪者として扱いたくなかったのだ。
頭を下げる俺を、安生はじっと見つめていた。そして、
「いいでしょう、話すぐらいでしたら」
安生の口から出てきたその言葉に、思わず「本当ですか!」とガバリと顔を上げる。そこにはいつもの笑みを浮かべた安生がこちらを見下ろしていた。
「ですが、その結果君が危険な目に合うと判断したときは速攻中断させていただきます」
それは安生にしては珍しく強い語気だった。
ぴり、と周囲の空気が引き締まる感じがしたが、相手はサディークといえど今はスパイ容疑者の一人だ。そういう扱いされても仕方ない。
理屈では分かっているが、やはり心が納得できない。だからこそ余計、俺の条件を飲んで許可してくれた安生に驚き、そして安堵する。
「……わかりました。ありがとうございます、安生さん」
そう改めて頭を下げれば、安生は「まだ礼をいうのは早いんじゃありませんか?」と笑った。俺の隣、ノクシャスは微妙な顔をしたまま舌打ちをしたのがやけに耳に残っていた。
それから、俺は安生との約束を守るためにサディークに『これから会えないか』というメッセージを入れた。
既読はついたものの、なかなか返事は返ってこない。
「まあそりゃそうでしょうね。……っと、私は少し上で部下たちの様子を見てきます。また動きがあれば呼んでください」
どうやら喫茶店のニ階には他の社員たちがいるらしい。わかりました、と俺は安生に頷き返し、それから再び握り締めていた端末をじっと見ていた。
「んなに見てたって返事が来るわけじゃねえだろ」
そんな俺に、いつの間にかに頼んで届いたランチメニューのピザを食べながらノクシャスは声をかけてくる。
この喫茶店、コーラはないけどピザもあるのか。と思いながらも、「……そうですね」と俺は一度端末をテーブルに置いた。
ここにきてから、いや、サディークが裏切り者だと聞いてからずっと息が詰まっているような感覚が取れない。
俺は一先ず緊張をほぐすため、「ノクシャスさんのおすすめはありますか?」と紙のメニューを開いて尋ねれば、ノクシャスの目がこちらを見た。
「お前みてーのは、このプリンパフェがお似合いだろ」
「わ、甘そうですね……ノクシャスさんは甘いのが好きなんですか?」
「あ? なんで」
「だってさっき、すごく甘そうなものを飲んでたので」
そうちら、と見上げれば、ノクシャスはそっぽ向いた。
「別に、嫌いじゃねえだけだ」
「そうなんですね。俺も結構好きですよ、甘いもの」
「……そうかよ」
「はい。……あ、すみません。このプリンパフェ? ください」
「……」
通りかかったウエイトレスさんに注文すれば、無言で頷いたウエイトレスさんはすぐにカウンターの方へと引っ込んだ。
それにしても、と俺はノクシャスをちらりと盗み見る。むぐむぐと頬にピザ詰め込んで飲み込むノクシャスの横顔はどう見ても不機嫌なそれだ。
やっぱり、さっきの安生への頼み事かな。
あのときのノクシャスの反応を見る限り、あれしかない。あれ以降ずっと、なんだかよそよそしいのだ。
無視されるわけでもないし、やっぱりノクシャスは優しいけどもだ。ただでさえ変な感じになってしまった分、余計空気がぎこちなく感じずにはいられない。
届いたプリンパフェを突きながら、なんとなく気まずい空気が流れた。
状況が状況なので和気藹々としてる場合でもないと分かっていたけども、とそんなことを考えながら、口にしたプリンの欠片の甘さにどんどん胃が重くなっていく。
……というか、めちゃくちゃ甘いな。
なんて思っていたときだ。
テーブルの上に置いていた端末の画面が点滅し、メッセージ受信を知らせてくれる。
――サディークからだ。
慌てて端末を手に取り内容を確認した俺は、そこに書かれていた内容に息を飲む。
隣に座っていたノクシャスが、「なんだって?」とこちらを覗き込んだ。
「……えーと、その……一応会ってはくれるみたいなんですけど、その」
「『指定した場所へ来てほしい』……ああ? テメェが来いって返事しろ」
「え、あ……ノクシャスさん待ってください……っ!」
ひょいと端末を取り上げてくるノクシャスに、慌ててしがみついたときだった。
俺たちの声が聞こえたのだろう、二階から安生が降りてくる。
「ああ、返事が返ってきたんですか?」
「ああ、みてーだ。……一人でアジトまでこいつを越させようとしてる」
「なるほど、やはりそうきましたか。善家君に全て知られてると思い込んでてヤケになってるか、はたまた人質にでもするつもりなんでしょうね」
あっけらかんと口にする安生の言葉に、胸の奥がずしりと重くなる。
――そんなわけがない、と思いたかった。
けれど、違和感は確かにあった。文章のこの感じ、普段のサディークのあの自分語りと入り混じったような文面を思い返す。たまにそっけないときもあったけど、こんなしっかりと細かく住所付きで指定することもなかった。
――状況が状況だから、向こうも追い込まれてると分かっていたとしたらそりゃ普段通りのままじゃないかもしれないけれども。
「で、どうするんだ」
「善家君、私が今から言うことを自分なりに噛み砕いて返信をしていただいてもいいですか?」
「は、はい……」
「『道がわからないので途中まで迎えに来てほしい』――甘える子犬のような感じの文体でよろしくお願いします」
なんだその注文は。
「無茶言ってんじゃねえ」
「あくまで下手で、何も知らないふりで構いませんよ。サディークだけをこの建物から――いえ、結界の外に出せればすぐに解決できることなので」
そう冷ややかに笑う安生に、俺は大丈夫だろうかと不安になりながらも「わかりました、やってみます」と頷いた。
それから安生たちから『もっと子犬のような感じで』と指導を受けながらも俺はサディークへの返信メッセージを完成させた。
そして、すぐにそれを送信する。
ふう、とひと呼吸置いた。先程の感じからすれば、また返信が返ってくるのは時間かかるだろうと思ったのだ。
けれど、思いの外サディークからの返信は早かった。
『わかった』
そうメッセージの1行目に打たれた文字を見て、ああ、と思った。
椅子に腰をかけ、何杯目かのコーヒーを飲んでいた安生は無言で立ち上がり、そして俺の肩を叩く。
「準備をしましょう、善家君」
「安生さん……」
「大丈夫ですよ、君を危険な目には遭わせませんので」
にこりと笑う安生の目は笑っていないように見えて、酷く恐ろしかった。
いつの日かテレビのモニター越しに見ていたニエンテを思い出しながらも、俺は頷き返した。
俺はノクシャス、安生とともに、喫茶店の二階へと連れて行かれた。
そこは多数のお客さんが利用する一階の飲食スペースとはまた違う、所謂個室の扉が並んでいた。その一番奥へと連れて行かれる俺。
その扉を開けば、あの扉型転移装置がそこには取り付けられていた。
「ここを抜ければ本社へと戻ります。君にはこれから何食わぬ顔で再び待ち合わせ場所へと向かってください」
「あ、あの、……」
「ノクシャス君には善家君の護衛を。無論、影からでお願いします。どこにネズミがいるかも分かりませんので」
「別にいいけどよ、サディークのやつはお前一人で大丈夫か?」
ノクシャスの言葉に、安生は「ええ、私には優秀な部下たちもいますので」と微笑んだ。
薄々気付いていたが、もしかしてノクシャスは安生がニエンテだということを知らないのだろうか。
思わず安生を見上げれば、安生は『しっ』と小さく微笑む。……なるほど、俺と兄以外の人は知らないようだ。
「それと、善家君にはこれを渡しましょう」
そして、思い出したように安生はその個室にあるテーブルの上、どかりと置かれたケースを手に取る。弁当箱くらいの大きさのそのケースを開ければ、中には腕時計が入っていた。
「これは私からのプレゼントです」
「……え?!」
「モルグ君が作ってくれたバリア装置ですよ。装着した者に身の危険が及べば、一度だけなら全ての衝撃を吸収するという優れものです。本来ならば高額で販売されるものなのですが、未だ試作品段階ということでしたのでプレゼントします」
後半の説明は頭に入ってこなかったが、つまりすごいやつということだけは分かった。
ケースの中から腕時計取り出した安生は、「善家君、手を」と促してくる。
そんな俺には勿体なさすぎる、ノクシャスとかのが持つべきなのではないか。そう思ったが、断る暇もなかった。そっと手を取られ、手首に巻かれる革製のベルトはよく肌に馴染んだ。
「い、いいんですか……俺に、こんな……」
「寧ろ、貴方だからこそですよ。善家君。……ノクシャス君は何度爆破されようが死にませんが、生身の貴方は違います」
「……」
「良平、大人しく貰っとけ」
どうやらノクシャスも安生と同じ意見らしい。
まあ、確かにこの中で一番すぐ死ぬのは俺だろう。わかりました、と頷き、俺は安生からのプレゼントを受け取った。
それにしても、腕時計なんてどれくらいぶりだろうか。最近は時間確認もタブレットで行っていたのでなんだか落ち着かない。
「似合ってますよ、善家君」
「あの、ちゃんと返します……」
「言ったでしょう、プレゼントだと。……それより二人とも。そろそろ行動をよろしくお願いします」
「は、はい……っ!」
「はいはい」
これから作戦が始まるのだと思うと緊張する。
ノクシャスに「おら、行くぞ」と首根っこを掴まれ、俺はそのままその転移装置で再びevil本社へと帰されることになったのだ。
相変わらず文明の機器はすごい。
あっという間に戻ってきたのは見慣れた幹部用の通路だ。人気の少ないその通路から俺は再び外へと出ることになる。
そのときにはもうノクシャスとはバラバラになった。
一応どこからかはノクシャスが見守ってくれているのだろうが、流石ヴィラン。どこにいるのか一般人の俺からはわからない。
そんな状態でダウンタウンまで出た時、先程アジトの方からなにかが爆発するような音が聞こえてきた。それは割りと離れた現在地まで聞こえてくるほどの空気、そして地盤の震動。
「……っ、な」
なんだ、と震源地らしき方角を振り返ろうとしたときだった。
狼狽えているのは俺だけで、他のヴィランたちはちらほら「またか」という顔するくらいだ。
けれど、先程聞いた『デッドエンド』というヴィランの能力を思い出す。
――まさかな。
そう思いたいのに、胸がざわついた。
辺りにノクシャスがいないか見渡したが、見当たらない。けど、ノクシャスならきっと着いてきてくれるだろう。そんな気がしたから俺は思わず走り出した。
サディークの待ち合わせ場所へ――爆発音のする方へ向かって。
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