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CASE.07『同業者にご注意』

13※【嫉妬/未遂】

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 頭がふわふわする。
 顔を上げればすぐそばには兄の顔があった。
 何故ここに兄さんがいるのか、そもそもこれは本当に夢なのか。

 恐る恐る手を伸ばし、そっと兄の横顔に触れたとき。そのまま兄に手を握られる。

「なにを笑ってるんだ? 良平」
「……兄さん、本物だ」
「ああ、本物だよ」
「……へへ」

 営業部に配属されてからというものの、ここ最近忙しかったからこそ久しぶりに兄に会えたことが嬉しくて、つい自然と口元が緩んでしまう。

「全く。……効きすぎるのも困りものだな」

 頭の上で兄がなにかをぽつりと口にしたが、よく聞こえなかった。代わりに、そのまま指先を握られ、掌全体を包まれるような感触に安心して緊張が緩んだ。

「兄さん……寂しかった」
「ああ、悪かった。けど、お前が頑張っていることは知っていたぞ」
「本当?」

 思わず顔を上げれば、兄は「ああ」と微笑んだ。
 気付けば辺りは見慣れない景色が広がっていた。普段の社員用通路とは違う無機質な通路。
 そんな中、とある扉を開いた兄はそのまま中に踏み入れた。

 応接室のような部屋だ。けれどどこか暗く、そして部屋の中央には大きな机とソファーが置かれていた。

「……ここ、どこ?」
「さあ、どこだと思う?」
「兄さんの部屋……?」
「まあ、遠からずだな」

 くすりと笑い、そのまま兄は近くにあったソファーに俺を座らせるのだ。柔らかすぎないそのソファーに思わず寝転がりそうになり、「良平」と兄に身体を寄せられた。
 そのまま隣に座る兄はこちらを見ていた。いつもと変わらない、優しい笑顔。それなのに、じっと見つめられると不安になってくる。

「兄さん……もしかして、怒ってる?」
「どうしてそう思うんだ?」
「……なんか、怖い」

 もっと笑ってほしくて、恐る恐る目の前の兄の頬に手を伸ばそうとしたところを兄に手を撮られた。そのまま先程のようにぎゅっと握り締められ、先程のような安心感よりも逃げられないような感覚を覚える。

「どうして怖いんだ?」
「……それは、……」
「言い方を変えよう。お前は俺を怒らせるようなことをした自覚はあるのか?」

 言葉も柔らかいはずなのに、兄の纏う周囲の空気の温度がいくつか下がるのを感じて、思わず身動ぐ。後退ろうとしたが、背後の背もたれが邪魔でそれはできなかった。

「良平」
「ご、めんなさい……」
「それは、なんの『ごめんなさい』だ?」
「兄さんとのこと、バレそうになった……」

 ごめんなさい、ともう一度口にすれば、兄は笑う。「そんなこと、些細な問題だ」と。

「でも、兄さん困るって……」
「ああ、結果的にそれがヒーロー協会に知られればだ。……お前がうっかり口を滑らせたとしても、その前に手を打てばなんの問題もないってことだ」

「だから、そのことは気にしなくていい」と、兄は静かに続ける。

「じゃあ、どうして」
「本当に分からないか? 良平」
「……嘘、吐いた。安生さんたちに」

 ぽろぽろと口からは言葉が溢れ出る。
 そんな俺に、子供を宥めるようそっと頬を撫でながら兄は「ああ、そうだな」と静かに頷いた。

「だから、こんな薬を使わされるんだ。……本当に、いつの間にそんなに悪い子になったんだ。良平」

「お前はそんな子じゃなかっただろう」柔らかく、穏やかであるがその言葉には静かな怒りが含められているのがわかった。
 だからこそ、兄が本気で怒ってるのだと分かって身が竦む。ごめんなさい、と項垂れれば、そのまま顎を軽く持ち上げられた。

「確か、容疑者はお前の担当だったな。……脅されたのか?」
「ちが、サディークさんはそんな人じゃ……」
「お前は優しいな。そこは長所でもあるが、短所でもある」
「兄さん、俺……」
「覚えておくといい、この地下では優しいかどうかは重要視されない。地上と違ってな」

「どんだけお前が優しい人だと思った相手でも、裏でなにをしているか分からないもんだ」そう口にする兄の言葉は鼓膜から浸透していくようだった。
 いつまでも子供なわけではない。そんなこと重々わかっていたつもりだった。
 それでも今まで俺はまだ世の中を全然知らなかったのかもしれない。いざ実際に裏切られたかもしれない、という事実を受け入れられることができていなかった。

「それは、兄さんも?」

 そう兄に尋ねれば、兄の目が僅かに開かれる。頬を撫でていた指先が僅かに動きを止めた。
 それからすぐに、こちらを見つめていた兄の目はすっと細められる。

「ああ、そうだ」

 兄の言葉に思わず俺は兄の胸にしがみついた。
 実際、ここに来てから兄の知らない部分が遥かにたくさんあることを知った。
 俺が知ってるのは、幼い頃のヒーローだった兄だけだ。だからこそ寂しくなって、突き放すような兄の言葉が悲しくて、いても立ってもられなくなる。
 しがみつく俺を振り払うことなく、兄はそのまま俺の肩を優しく撫でた。

「良平、お前もこの会社の一員となったんだ。……俺の下で働く以上、組織を――俺を裏切るような真似はするな」
「……っ、……」
「これは、兄としての忠告だ。……俺はお前を守るだろうが、同じように社員も守るつもりだ」

「俺の言っている意味がわかるな?」と優しく頭を撫でられる。
 俺はただそれに頷く。ごめんなさい、と項垂れれば、兄はそのまま「よし、いい子だ」と額に優しくキスを落とす。そして、そのまま真っ直ぐに俺の目を見つめた。

「いい子なお前は、今度はちゃんと教えてくれるな? サディークのことを」

 逆らうことも、誤魔化すという考えも頭の中にはなかった。目の前にいる兄しか見えなくて、兄のことしか考えられなくなって、俺はぼんやりとした頭の中、はい、と小さく頷いた。

「あの男の能力は、触れた相手の思考を読み取るということで間違いないか?」

 頭の中、兄の声が響くように落ちてくる。
 聞き慣れた声のはずなのに、なんだか知らない人みたいなそんな怖さを覚えずにはいられなかった。
 こくりと頷けば、「それで、お前はあの男に触れられたのか?」と続けて聞いてきた。
 考える余裕もない。恐る恐る頷けば、兄は「そうか」と頷いた。

「どこまで読まれたかは分かるか」

 首を横に触ろうとして、止まる。

「に、兄さんの……こと、考えてしまって」

 確かあのとき、『今の男、誰だ?』みたいなことをサディークは言っていた。
 そんな俺の発言に顔色を変えるわけでもなく、ただ淡々と「そのことについてなにかやつは言っていたか?」と兄は詰めてくる。

「い、『今の男は誰だ?』って……」
「お前が思い浮かべたのは俺の顔だけか?」
「サディークさんの能力を聞いたあと、兄さんのことはバレたら駄目だって……思って」
「なるほど」

 なにに納得しているのだろうか。正直に話せば、兄は怒っているようではなかった。
 もしかしたら呆れられてるのかもしれない。
 俯いていると、「良平」と名前を呼ばれ、顔を上げる。兄の手が優しく頬を撫でる。
 くすぐったくて、優しくて、それでも状況が状況だからか素直に兄の手に甘えられない。

「――それで、他に俺に話していないことはないか?」
「っ、ぁ……」
「もう今ので全部か」
「そ、れは」

 ナハトの顔が浮かぶ。
 まさか、兄さんにナハトさんのこともバレているのか。
 でも確かに兄さんはすごい人だから気付かれても仕方ないというか……。

「あ、あります……」

 これ以上兄に隠し事して苦しい思いするよりも、またさっきみたいに冷たく突き放されるよりも、ちゃんと正直に兄に話した方がましだ。
 そう、俺は兄の手に恐る恐る触れる。

「に、兄さん……あの、あのね」
「ああ、どうした?」
「す……」
「す?」
「す……す、好きな人が……できた」

 かも、という語尾は言えなかった。
 そう口にした瞬間、兄の目の色が変わったことに気付いてしまったのだ。
 ほんの一瞬、俺の頬の感触を楽しむように頬を撫でてた指先が動きを止める。

「……待て、それは本件に関係ある話か?」
「わかんない……」
「わかんない?」
「でも、その……兄さんにちゃんと言わないとって思って……」

 言いながら、頭の中に今朝のナハトとのやり取りを思い出して頬がぽかぽかと熱くなってくる。そんな俺を見て、兄はそのまま押し黙った。

「にいさ……」
「待て、良平」
「んむっ」
「それ以上今伝えられると、そうだな。……この件が片付いてからまた改めてお前の口から正直に話させてもらおう」

 兄の手に口を塞がれたまま、俺はこくこくと頷き返した。
 確かに、言われてみたら関係ないかもしれない。俺、また先走っちゃったな。
 頷く俺のことを信じてくれたのか、俺の口から手を離した兄は「いい子だな」と俺の頭を撫でてくれる。
 けれど、なんだか先程よりも兄の態度が少しおかしいことに気付いてやはり反対されるのだろうかと少し怖くなった。

「因みに、良平」
「うん?」
「……その好きな人っていうのは、イニシャルはなんだ」

 イニシャルは気になるのか。
 先程よりも声のトーンを落として聞いてくる兄に、俺は少し考える。けれど、あまりうまく頭が働かない。

「え……えむ、えぬ、……ぬ?」
「どっちだ」
「わかんない……頭、ふわふわして」
「自白剤が効きすぎたのか。……仕方ない。暫くこの部屋でゆっくりして構わない。他の者は通らないようになってるからな」

「ソファーで寝ててもいいぞ」と兄は続ける。そのまま立ち上がろうとする兄につられてそのコートの裾を掴めば、兄は少し驚いたようにこちらを見た。

「兄さん……どこか行くの?」
「……ああ、連絡だ」
「また帰ってくる?」
「……そうだな。一旦、本件が落ち着いたらまた一緒に食事にでも行こう」

「話したいことは山のようにあるからな」と兄は子供をなだめるように俺の視線に合わせて屈んでくれるのだ。

「丁度ノクシャスが任務が終わったようだ。後でここまでお前を迎えに来てもらうことにする。……だから、それまでは薬が抜けるまでここで休むといい」

「あの自白剤は即効性だが、持続性はそれほど高くはない。持ってあと十分ほどだろう」そう兄は言っていたが、ふわふわとした頭の中ではその言葉の意味までしっかり理解することはできなかった。が、ノクシャスが来ることだけはわかった俺はうんうんと頷きだけ返す。


 兄がその部屋を後にし、ノクシャスを待つこと暫く。つい先程兄が出ていったその扉が自動で開き、大きなシルエットが現れる。

 ――ノクシャスだ。

「急に呼び出されたと思ったら、お前……なんかやったのか?」
「ノクシャスしゃ……しゃん」
「言えてねえよ」
「すみません、お迎え……お忙しい所」

 俺が座らせらていたソファーの傍までやってきたノクシャス。どうやら珍しくノクシャスは一人のようだ。ここ最近は紅音と一緒にいる印象が強かったので、少し驚いた。

「あの、紅音く――トリッドは」

 紅音のことをレッド・イルと呼ぶことにも慣れなかった俺だ。トリッドというヴィランネームにもすぐ慣れることはできなさそうだ。
 そんな俺を一瞥したノクシャスは、そのままそっぽ向く。

「一応大体のことは叩き込んでる。多少放っておいても大丈夫だ」
「そうですか、それは……よかったです」

 流石、紅音君だな。なんてぼんやりと誇らしく思ってしまう自分がいた。

「それよか、お前……妙なもん飲まされたのか?」
「じ、自白剤……だそうです。ポピュラーなやつって……」
「自白剤? なんでまたお前が……」

 兄からは聞かされてなかったようだ。ノクシャスは驚いたような顔をしていたが、答えようとすれば「いや、やっぱいい」と口を塞がれる。

「むぐ……っ」
「ボスからはお前を部屋に帰すようにとだけ聞いた。……っつーわけで帰るぞ」

 もご、と口を塞がれたまま返事をする。
 そのままノクシャスに抱き抱えられ、俺はそのよくわからない無機質な部屋を後にするのだった。


 幸い、部屋に帰ってくる途中で誰かとすれ違うことはなかった。
 運ばれている間に自白剤の効果も切れてきたようだ。
 ノクシャスに抱き抱えられたまま次第に覚醒していく頭の中、俺は自白剤のせいで色々ぺらぺら余計なことまで喋ってしまったことを思い出しては後悔した。

 ――しかも、兄さんにナハトさんのことを言おうとするなんて。

 いつかは然るべきタイミングで言わなければ、と思っていただけによりによってあんな状態で言う形になってしまったことに大きく後悔していた。
 あのときの兄の顔を思い出しては余計自己嫌悪に陥る。

 兄が大変なときにこんな、こんなことを言うなんて俺は、俺は弟失格だ……。


 ――自室。

「ここまで運んできてくださりありがとうございます、ノクシャスさん」
「今度は呂律が戻ってんな。自白剤の効果は切れたのか?」
「は、はい……すみません、情けないところを見せてしまって」

 担がれたまま自室に連れ込まれた俺は、そこでようやっとノクシャスに降ろしてもらった。
「情けねえとかの問題かよ」とノクシャスは呆れたような顔をしていたが、それ以上深く聞いてくることはなかった。

「それじゃ、俺は戻るぞ」
「え……?!」
「あ? なんだよ」

 どうやらノクシャスが兄に頼まれたのはここまでだったようだ。

「あ、あの……忙しいんですか?」
「別に忙しくはねえけどよ」
「だって、いつも一緒に居てくださったので……」
「あー……別にお前を放ったらからしにするわけじゃねえよ。つか、このあとも外から見張ってるし」
「え?」

 なんでわざわざそんなことをするのか疑問を覚えた。だって、今までだったらノクシャスは監視しつつトレーニング見てくれたり、ご飯食べたりしてたのに。
 避けられてるのだろうか、と不安になってちらりとノクシャスを見上げれば「なんだよ」とその強面が更にしかめっ面になった。

「いえ、その、俺と一緒にいるのは嫌だとか……そういう……」
「ちげえよ。さっきボスから言われたんだよ」
「え? 兄さんに?」

「何を言われたんですか」と、慌ててノクシャスの正面に回り込むが、ノクシャスは『しまった』という顔をしたままそっぽ向いた。

「の、ノクシャスさん……! なに言われたんですか……っ!」
「別に、お前には関係ねえよ。つうか、お前こそなんかボスに言ったんじゃねえのかよ」

 俺のことでなにか言われたに決まっているのに、俺に関係ないとはなにごとか。
 その上逆に詰め寄られ、俺は先程の兄とのやり取りを思い返した。
 ……心当たりしかない。

「いえ、その……色々です」
「ああ? お前の方こそなにはぐらかしてんだよ」
「だ、だって……」

 このことをノクシャスに話すとなると、まずナハトのことを話さなければならなくなるし、そんなことした暁にはナハトに何を言われるか分かったものではない。
 しかもただでさえナハトとノクシャスは同じ同僚とはいえど、毎回ソリが合わずに揉めてるような二人だ。
 二人のことは好きだし、信頼もしてるが、やはり俺が勝手に言い触らして良いことではない、と思う。
 うんうんと一人で頷いてると、「なに自己完結させてんだ」とノクシャスの骨太な指に顎を掴まれる。

「う、ノクシャスさん……っ」
「自白剤なんてなくても、俺くらいになると口を割らせることは簡単にできんだよ」
「ぼ、暴力はよくないです……っ!」
「馬鹿か、お前に暴力振るうわけねえだろ」
「え、じゃあ……」

 どうやって、と言いかけた矢先のことだった。ノクシャスの指に唇をなぞられ、思わず口を閉じる。
 視界が翳り、顎を持ち上げられたまま顔を寄せてくるノクシャスに見つめられた。

「……っ、の、ノクシャスさ……」

 ん、と言い終わるよりも先に、唇を塞がれて静止する。
 ――なんで、俺、ノクシャスにキスをされてるのだ。
 こうしてノクシャスに触れられたのは久し振りだからかもしれない、よりノクシャスの肌が熱く感じた。

「っ、ふ、ぅ……ッ」

 流石に、流石にこの流れはまずい。それは俺でもよくわかった。
 それなのに、顔を逸らそうとしても頬をがっちりと掴まれたまま肉厚な舌で咥内を荒らされると、なにも考えられなくなってくるのだ。

「ん、んん……っ、ぅ……ッ!」

 舌を絡め取られ、引きずり出される。
 待ってくれ、とその厚い胸板をそっと叩くが肝心の力がしっかりと入らず、ただじゃれついてると思われてるのかもしれない。より乱暴に舌を咥えられ、ノクシャスの長い舌先が巻き付いてはそのまま荒々しく愛撫するのだ。

「っ、ふ、ぅー~~……ッ」

 後頭部を押さえつけられたまま、舌の先から根本まで貪られ、唾液ごと啜られる。耳を塞ぎたくなるような音が口の中、鼓膜までより近く響き、頭の奥がじんわりと熱くなった。
 相変わらず、捕食に近いキスにひたすら翻弄される。
 脳の酸素が薄くなり、思考に靄がかかったような感覚が広がる。
 ――それは先程までの酩酊状態によく似ていた。
 ノクシャスのキスを受け入れるのでいっぱいいっぱいになっていた俺を見て、ノクシャスは意地の悪い笑みを浮かべるのだ。

「っ、は、……っ相変わらず、小せえ口だな」

 ぢゅぷ、と音を立て舌が抜かれる。お互いの唾液で濡れていた唇をそのままべろりと舐めとられ、背筋が震えた。

「っ、まっ、待って……ください……ノクシャスさん、これ以上は……っ」
「ああ? これ以上は、なんだよ」
「ん、えと……その……っ」

 ノクシャスの手が腹に触れ、思わずたじろぐ。そのままシャツの上から臍の下の辺りを指で押され、下半身が疼くのだ。

「……っ、ん……」
「ようやく吐く気になったか?」
「ぜ、全部はその、言えませんけど……少しだけなら」

 これ以上変な触れ方をされるとまずい。
 既に下腹部に熱が集まりだしてることに気付いたからこそ、俺はこの流れを変えようとノクシャスの腕にしがみついて止める。

「……あの、兄に言ったんです。俺」
「おう」
「き、気になる人が出来たって……」

 あのとき、自白剤を飲まされたときと今とでは状況は違う。顔面にじんわりと熱が集まるのを感じながら、火照った頬をそっと抑える。

「それで、誰かとは言ってないんですけど……多分それを兄が気にしてるかも……って、ノクシャスさん?」

 何故か無反応のノクシャスが気になり、恐る恐る顔を上げたとき。こちらを見下ろしたノクシャス、その影に視界が覆われた。
 そこにはなんと、見たことのない顔をしたノクシャスがいた。完全に硬直である。

「の、ノクシャスさん……あの……」
「待てよ」
「え?」
「……気になる人って、どういうことだ」

 先程よりも声のトーンが更に落ちる。ただでさえ迫力のあるノクシャスだ。見たことのない、感じたことのないノクシャスのその威圧感に押し潰されそうになっていた。
 ――いや、一度だけあるか。あれは確か、初めて俺がこの本社に連れてこられたときのことだ。
 あのときと似たような恐怖心と緊張感を覚えた。

「どこのどいつだ? あ?」
「な、なんで怒ってるんですか……っ?!」
「怒ってねえよ、そりゃボスだって心配するに決まってんだろうが。お前、ただでさえぽやついてんのに!」
「ぽ、ぽや……」

 ノクシャスの目には俺はそんな風に映っていたのか……。

「そ、それは言えません……っ!」
「なんでだよ」
「え、だ、だって……恥ずかしいですし……っ!」
「……恥ずかしいだと? お前それでも男か?」
「お、男もなにも関係ないです……っ! の、ノクシャスさんだって好きな人とか気になる人のこと、他の人に言うの恥ずかしくないんですか?」
「恥ずかしくねえよ」

 即答である。聞いてから後悔した。ノクシャスは元よりこういう人だ。
 というかヴィランの人たちは皆、なんでこんなに堂々としてるんだ。自信があることは羨ましいが、ここまでだと余計俺がちっぽけな存在に思えてしまうのだ。いや、違いはしないのかもしれないけれども。

「う、う~……でも、やっぱり恥ずかしいです。……俺が言えるのはここまでです、ノクシャスさんに気を遣わせてしまうのは申し訳ないですけど……」

 そうノクシャスから恐る恐る逃げようとしたとき、「待てよ」と腕を掴まれ、再びノクシャスの腕の中に連れ戻される。

「っ、ノクシャスさん……?」
「気になるってことは、付き合ってはねえってことだよな」
「え、えと……それは」

 そうですけど、と答えようとした俺はそのまま固まった。ノクシャスに抱き締められたからだ。向かい合うように、スーツ越しでも分かるほど筋肉で覆われた腕にがっしりと抱き締められれば身動きを取ることなどできない。

「の、ノクシャスさん……っ」
「なんか、すげえ腹立つな。……別に、誰がどいつを好いてようが興味ねえけど、お前が気になってるやつが俺じゃねえの」

「すげえムカついてきた」ごり、と臍の上に押し付けられる嫌に硬い感触に背筋が凍った。
 ――おかしい。流れを変えようとしたはずなのにさっきよりも悪化してないか、これ。

「の、ノクシャスさん……っん、ぅ……っ」

 落ち着いてください、と止める前にノクシャスに唇を塞がれる。噛み付くように薄皮ごと貪られ、びっくりして思わず硬直してしまった。
 腰を抱き寄せる大きな手に背筋を撫でられ、びくりと腰が震える。

「っ、ん、んぅ……っ!」
「……それで? どこのどいつだ?」
「っ、ぁ、な、内緒……」

 です、と言いかけるよりも舌打ちをしたノクシャスに尻を揉まれ、堪らず「んっ」と声が漏れてしまいそうになる。食い込む指に服の上から大きく揉みしだかれ、汗が滲んだ。

「ノクシャスさん、や、やめてください……っ」
「俺とはもうヤリたくねえって?」
「……っ、そ、れは……っ」

 頭の中でナハトの顔が浮かぶ。『この優柔不断の尻軽野郎!』と罵ってくるイマジナリーナハトにハッとし、俺は恐る恐る頷こうとしたとき。さらに尻の割れ目をスラックスの上から広げられ、ひく、と喉が震えた。

「ぁ、の、ノクシャスさん……広げないでください……っ」
「この間はお前の方から誘っておいて、人を共犯扱いしたのになあ? ……随分と軽薄じゃねえかよ」
「ぅ、あ……っ」

 腹にノクシャスの低い声が響く。そのまま広げられた肛門をすりすりと撫でられれば、それだけで下腹部がじんわりと熱くなっていくのだ。

「……っ、ぁ、あれはその、成り行きで……」
「ああ?」
「あぅ、ごめんなさい……っ! ぁ、謝りますので……っ!」

 許してください、とノクシャスの手から逃げようと腰を動かせば、今度は目の前のノクシャスの体にぶつかって性器同士がより近くなる。咄嗟に腰を引こうとしたところをさらに抱き寄せられ、硬くなったノクシャスの性器の圧に圧し潰されそうになる俺の性器。ぁ、あ、と震えてるところ、近付いてきたノクシャスの唇が重なった。

「っ、ふ……ッ、ぅ、んむ……ッ」

 抱き潰される、揶揄とかなんでもなく。がっちりと回された腕にホールドされたまま尻肉を揉まれ、ノクシャスの下半身を押し付けられた下腹部はいつぞやのあれこれを思い出してはすっかり芯を持ち始めていた。

 ぢゅぷ、ぢゅる、と品のない音を立てて喉の奥まで侵入してくる舌を拒むことはできなかった。
 顎を持ち上げられ、より奥まで舌の付け根ごと絡め取られ、引きずり出され、吸い上げられる。それだけで頭の芯はじんじんと痺れ、頭の中は真っ白になってしまうのだ。

「は、……ん……っ」
「っ、ふ、ぅ……っう゛……~~っ」

 舌を引きずり出され、そのまま舌肉ごと吸い上げられる。声を我慢することができず、くぐもった犬みたいな声が喉の奥から溢れた。唇の端から垂れる唾液を舐め取り、ノクシャスは凶悪な笑みを浮かべた。

「成り行き、だったなぁ? ……じゃあこれも成り行きか?」
「っは、ふ……ぅ、え」

 そして、ごりゅ、と膨らみで性器を柔らかく擦られ、下半身が震える。いつの間にかに俺の下半身も大きくなっていて、擦るようにいやらしく押し付けられるそれに目が回りそうになった。

「こ、これはっ、その……ぉ、……っ」
「好きなやつ以外とは寝ねえなんて立派な心がけだな、……なあ良平」
「っ、ぅ、あ……っ、ぁ、」

 まずい。やばい。汗がだらだらと流れては顔が、全身が熱くなっていく。
 指で撫でられるだけで肛門に意識がいってしまい、それだけで目が回ってしまいそうだった。

「ノ、クシャスさん」
「――俺がいいって言えよ」
「っ、ぁ、や」
「……良平」

 なんだ、なんだこれ。もしかして俺迫られてるのか。
 モテ期、なんてそんな言葉が浮かんでは煩悩によって掻き消された。
 こんな不純な関係はモテ期とは言えないし、身から出た錆と言われてもぐうの音も出ない。
 イマジナリーナハトが『日頃有耶無耶にして逃げてたからこうなるんだ』とチクチクと刺してくる。ああ、間違いない。

「ぉ、っ俺は――……」

 ぐるぐると回る頭の中、どうしたらいいかわからずなんだか意識が遠くなりそうなときだった。いきなり部屋の中に無機質なコール音が響いた。
 ノクシャスは舌打ちをし、そしてそのまま端末を取り出した。

 ――え、まさかこのまま応答するつもりなのか。

「どうした。……は? トリッドのやつがいなくなっただと?」

「え」と思わず声に漏れていた。
 ノクシャスは大きな溜息を吐き、「ああ、分かった。お前らはそのまま任務優先しろ。あいつはこっちで探す」とだけ応え、そのまま通話を終える。

「の、ノクシャスさん、トリッドって……まさか紅音君が?」
「みたいだな」

「タイミングを考えろっての、あの野郎」そう忌々しそうに吐き捨てたノクシャスはそのまま俺の体を引き剥がした。
 そのまま部屋から出ていこうとしたノクシャスの腕に慌てて俺はしがみつく。少し驚いた顔をしてノクシャスはこちらを見た。

「お、俺も……っ! くお……トリッド探し、手伝わせてください……っ!」

 もしかしたらなにかあったのかもしれない、そう思うといても立ってもいられなかった。
 ノクシャスは暫くこちらを睨んでいたが、やがて諦めたようだ。

「危険そうになったらすぐ連れて帰させるからな」
「……っ、ノクシャスさん……っ!」
「言っとくが、今お前をんな状態で一人で放っておくより俺の側に置いてた方がマシだって判断しただけだ」
「っ、は、はい……ありがとうございます!」

 乱れていたネクタイを直され、俺はなんだか今更恥ずかしくなりながらも気を引き締めた。
 しかし、ノクシャスの切り替えの速さもなかなかだ。というか、萎えてしまったのだろう。
 やや不機嫌丸出しのノクシャスとともに俺は部屋を出て、紅音改めトリッド捜索へと向かうことにした。
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配信ボタン切り忘れて…苦手だった歌い手に囲われました!?お、俺は彼女が欲しいかな!!

ふわりんしず。
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晒し系配信者が配信ボタンを切り忘れて 素の性格がリスナー全員にバレてしまう しかも苦手な歌い手に外堀を埋められて… ■ □ ■ 歌い手配信者(中身は腹黒) × 晒し系配信者(中身は不憫系男子) 保険でR15付けてます

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