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CASE.06『ヴィラン派遣会社営業部』

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 順応性は生きるためには必要なものだと幼い頃から聞かされてはいたものの、なんだか最近余計な知恵ばっかりついている気がするなあ……。
 そんなことをぼんやりと考えながらも俺は流されるままモルグのものをお掃除することとなった。


 そして、更に数分後。

「いやぁ~お待たせサディーク君、なにか変わったことはあった?」
「…………ありませんけど」
「あ、そっか。じゃあ丁度よかったねえ、善家君」

「…………ふぁい」

 研究室備え付けの水道で口を濯いだものの、まだ喉や口にモルグの味が残ってるようで落ち着かない俺はなるべくサディークから離れて座った。匂いとかでバレたらと思うと恐ろしかったのだ。

 それにしても、時間を確認すればお待たせどころではない。結構な間サディークを一人にしてしまったことに、俺は先程のモルグの言葉を思い出して色々後悔していた。
 けれど、モルグの反応からして怒ってるわけではなさそう……なのか?
 思いながらちらりと目を向ければ、めちゃくちゃサディークの顔が赤くなっているではないか。

 ――ば、バレてる……?!
 嫌な予感と緊張動揺その他に釣られて顔が熱くなるのを感じながら、俺はさっとサディークから顔をそらした。

 そんなとき。

「ん? ……あー、とうとうきちゃったか」

 座ったばかりのモルグは白衣から連絡用端末を取り出し、面倒臭そうに立ち上がる。

「どうしたんですか?」
「紅音君、もうそろそろ会えるかもよ」
「――え?」
「僕は一足先に会いに行ってくるけど、二人はここで待っててね。……大丈夫そうだったら僕の部下走らせるから」

「じゃ、失礼するねえ」とそのままツカツカと研究室を出ていくモルグ。
 紅音君にようやく会えるのかとか、着替えなくて本当に大丈夫なのかとか、そもそもこの状態で俺とサディークを二人きりにするつもりなのかとか。色々言いたいことはあるが、俺の心の声は届かないまま目の前で自動ドアはぴしゃりと閉まった。
 ……無常である。

 こんな状況で俺達を二人きりにして残すなんて、モルグは一体どういうつもりなのだ。
 そう思ったが、いや逆にモルグがいなくなって良かったのではないか。サディークにちょっかいかけるの基本モルグなのだし、と自分で納得することにする。
 とは言えだ、問題はいくつかある。

「……」
「……」

 ……き、気まずい。
 モルグが立ち去ったあとの研究室内の空気は最悪だった。
 あまけに色々勘違いさせてしまっているようだし、いや確かにまあ事実なのかも知れないがやはりここはこれから先サディークとの良好な関係を築くためにも早急にその勘違いを払拭させる必要がある。

 よし、と気を取り直そうとした時だ。

「サディークさん……っ!」
「あの、良平君……」

 何ということだろうか、サディークに声をかけようとしたらどうやらサディークも同じことを考えていたようだ。声が見事に被り、俺たちは顔を見合わせたまま固まった。

「……ぁ、っ、ご、ごめんなさい……お先にどうぞ……っ!」
「い、いや……俺も別に大したことはないんだけど……」
「え、いやでも……」
「…………」

 ――そしてまた振り出しへ戻る。
 すっかり勢いを萎れさせたサディークに、このままでは埒が明かないと判断した俺は思い切って「サディークさん」と声をあげる。すると、驚いたようなサディークの目がこちらを向いた。

「……あの、サディークさん。さっきのその、モルグさんの言ってたことですけど……」
「へ? い、いやそれは……」
「本っ当に気にしないでくださいね! あ、あの人……その、誰にでもああいうところあるので……」

 それはモルグのいいところでもあるのだろうが、やはりここはしっかりとフォローしなければならない。
 そう続ければ、サディークは深く溜息を吐いた。そして面倒臭そうに髪を掻きむしる。

「あーっ、もう……」
「さ、サディークさん……?」
「…………別に気にしてない。ていうか、そこまでフォローされたら逆に嫌なんだけど」
「え、あ……っ! ご、ごめんなさい……っ!」
「……謝らなくてもいい。良平君は謝りすぎだし、それってなに? 俺のこと、アンタも馬鹿にしてんの?」
「え、ち、違います……そんな……」
「はぁ……いいよ別に、今更傷ついたり凹んだり落ち込んだりとかしないし。こういう役回りにも慣れてるから」

 ……さ、サディークさんがやさぐれてしまった。
 言葉とは裏腹にしっかり凹んでるように見えるのはきっと俺の見間違いではないはずだ。
 なんとかしなければ、そう思うがフォローすればするほどこの男のプライド自尊心その他諸々を傷付けてしまうとなるとどうしようもない。

「さ、サディークさん……」
「…………」
「う、あ……」

 む、無視された……。
 頭を抱え込んだまま動かなくなる姿を見て罪悪感諸々で潰されそうになる。

「サディークさん……げ、元気出してください……」
「……俺は元気だよ」

 今度はちゃんと答えてくれた。ホッとするが、その反面その声の元気のなさにこっちまで落ち込みそうになってきた。

 こういうときはどうしろと望眼に言われただろうか。必死に頭の中、叩き込まれたノウハウを呼び起こそうとしたときだ。ふと先程のモルグとのやり取りが頭を過る。

 ――こうなったら、ヤケクソだ。
 俺は「サディークさん!」とサディークの手を取った。骨張ったひんやりとした大きな手をぎゅっと握れば、サディークは何事かと目を丸くしてこちらを見る。

 俺は羞恥心諸々を一切かなぐり捨て、そのままサディークの手を自分の胸へと持っていく。
 胸筋の膨らみに掌を押し当てるよう、そのままサディークの腕ごとしがみつければ「良平君?!」とサディークが目を見開いた。

「ちょ、何やって……」
「さ、サディークさん……俺の胸を揉みますか……?!」
「……は?」

 ……そりゃそうなる。わかっていた。死ぬほど恥ずかしいが、これは科学的に証明されてることだとモルグは言っていた。そうだ、だから間違ってはいないはずだ。

「も、モルグさんが言ってたんです。その、他人の胸を揉むとその……癒やし効果があるのだと」

 シャツ越し、強張った指からサディークの緊張や震えが伝わってくる。
「またあの人かよ」と声をあげるサディークが手を離そうとするのを「ま、待ってください」と慌てて引き止めた。

「あの、分かります……仰っしゃりたいことは。けどその、俺の胸だって分かるのが嫌だっていうのならその、目隠しとかしてもらってもいいので……! その、ストレス解消のための道具として気楽に考えてもらえれば!」
「ど……ッ、待って、落ち着いて、き、君さあ……自分が何言ってんのかわかってんの? 結構なこといってない?」
「わ、分かってます……けど、俺はサディークさんが元気になってくれるなら……」

 だから無視しないでください、とサディークを見上げれば、サディークの喉がごくりと鳴るのが聞こえた。
 それから、やんわりとサディークに肩を押される。

「……っ、……はぁ」

 ま、またため息……?!
 頭を抱えたサディークはそのまま俺から視線を逸した。
 まさか俺またやってしまったのだろうかと冷や汗を滲ませたとき、胸に触れていたサディークの指が胸を鷲掴みにされる。

「……ぁ……ッ」
「……君、後先とかそういうのもっとちゃんと考えた方がいいと思うけど」
「っ、さ、でぃ……く、さ……っ」
「……それとも、俺だったら本当に何もしないと思ったわけ?」

 違います、と言いたいのに、指と指の隙間、先程までの行為で過敏になっていたそこを指で挟まれ、体が震えた。
 ――サディークが怒ってる。
 赤くなった顔、据わった目。いつの間にかにソファーの座面に押し倒されるような形になっていて、覆いかぶさってくるサディークに俺は唾を飲んだ。

「さ、サディークさん……っ」
「……ね。俺の能力、君には教えてあげようか」
「え?」
「――君さあ、俺が怒ってると思ってるでしょ」

「そんで、焦ってる。俺と関係切れるくらいなら『抱かせてやってもいい』って思ってる」薄暗い瞳がじっとこちらを見ていた。触れられた掌から鼓動がサディークに伝わってるのではないかと思うと汗が止まらなかった。

「……ど、して……」
「どうしてだと思う?」

 ――もしかして能力持ちか。
 最初にサディークについてのデータを貰ったときには特筆事項には何も書かれてなかったはずだ。
 そこまで考えて、サディークは「君の声、うるさいね」と笑った。皮肉げな、どこか自嘲染みた笑顔。

「……正解。俺、触れた相手の思考読み取れるの。……だから不必要に触られたくないんだけど、君は……はは、本当に考えてることと言ってること全部直結してるじゃん」
「っ、さ、サディークさん、待って……ください……ッ」
「ああ……そうだ。胸、揉ませてくれるんだっけ?」
「……っ、ん、ぅ……ッ!」
「じゃあ、脱いでよ。……この格好じゃ揉みにくいから」

「――どうせ、さっきまであいつとヤッてたらしいからね。君」まずい、この流れはまずい。
 引きつったように冷笑を浮かべるサディーク、その声から滲むのは侮蔑の色である。
 サディークが人との接触を自ら避けていた理由はよく分かったが、つまりそれは、下手したら俺の秘密も筒抜けなわけで。

「……君の秘密ってなに?」

 やめろ、思考を止めろ。そう必死に考えないようにすればするほど意識してしまうもので。
 兄の顔が浮かんだ瞬間、俺は咄嗟にサディークの手を振り払った。

「……っ、ゃ……」
「――今のって、誰?」

 サディークの腕の中から離れたとき、サディークは目を丸くしたままこちらを見ていた。
 やってしまったと思った。ギリギリ肝心なところは漏れ出さずに済んだようだが恐らくこれ以上は危険だ、そう考えたら俺はサディークから逃げるように立ち上がる。そして、

「――お、俺……トイレに行ってきます!」

 そう乱れたスーツを抑えたまま、俺はサディークから逃げるように研究室を飛び出した。


 頭の中では真っ先に反省会が繰り広げられていたが、これ以外に今俺にできることはなかったのだ。
 サディークに愛想尽かされても仕方ない。それよりも、兄の顔と兄がこの会社の代表だとバレてしまうことの方が俺にとっては恐怖だったのだ。

 ――研究室を出れば、その先にもまだ似たような部屋が続いていた。
 衣装室とはまた違う、実験器具など置かれたその部屋で出口はどこなのだろうかと右往左往していたときだった。
 実験室の奥、扉が開く。そして、モルグと同じような白衣羽織った見慣れない男が現れた。

「ああ、君が『ゼンケ君』か」

 白衣の下、シャツをきっちり着込んだその男は、糸のように細い目を僅かに開いてこちらを見る。

「モルグさんから君をお連れするようにと言われてきた。……来てもらおう」

 どこか冷たい雰囲気の男だった。戸惑ったが、出ていく直前のモルグの言葉を思い出した。
 そう言えば部下を寄越すと言っていたが、もしかしてこの人のことか。
 言いしれぬ威圧に気圧されそうになりながらも、良いのか悪いのか分からないその見計らったかのようなタイミングに今は取り敢えず『助かった』という気持ちだった。
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