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CASE.06『ヴィラン派遣会社営業部』

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「あ、安生さん……! あの、兄さんは……?」
「ボスなら出かけられましたよ。それで、代わりに私が来たってわけです。概ねボスからは聞いてますね?」
「は、はい……」
「話が早くて助かります。では早速、こちらに着替えてください」

 そう言うなり立ち上がった安生は、ローテーブルの横に置かれていた見慣れないアタッシュケースを取り出し、テーブルの上に広げる。
 そして中を開く安生。俺は安生の傍へ行き、中を恐る恐る覗き込んだ。
 そして息を飲む。

「これは……」
「細やかながら、私からの就職祝いを用意させていただきました」

「手に取っていただいて結構ですよ」と微笑む安生。
 アタッシュケースの中には見るからに上等そうなスーツが一式入っていたのだ。手に取り、徐に広げる。暗すぎず明るすぎないグレーのスーツだ。

「い、いいんですかこんな良いものを……!」
「ええ。寧ろ良平君に受け取ってもらうために用意したんですから」
「あ、安生さん……!」

 思わず打ち震えそうになる。
「ありがとうございます、大切にします!」と頭を下げれば、安生はにっこりと笑った。

「そこまで喜んでいただけるなんて、私としても贈り甲斐がありました。本日からの勤務ではそちらのスーツを着用していただきます。あとこちらは君の社員証です」

 そう差し出されたのは首から下げるタイプのステレオタイプの社員証だ。安生がいつも首から下げてるのと同じだ、と思いながらそれを手に取る。
 真っ青なカードには幾何学的な模様が書かれている。それはネックストラップ付きケースに入って大事に保護されていた。

「カード個体識別番号が割り振られてます、番号は良平君の名前で登録されてますのでくれぐれも落とさないようにしてくださいね」
「は、はい……!」
「基本的に社内施設利用する際はカードキーが必要になりますので肌身離さず持ち歩くこと。……くらいですかね、言うことは」

 そうか、今日から俺もこの会社の社員になるのだ。
 社員証を手にしたまま感極まる俺に、「ああ、そうでした」と安生は手を叩いた。

「良平君、君はコードネームはどうしますか?」
「こ、コードネーム……ですか?」
「ヴィランネームとも言いますかね。本名で働く者も居ますが、当社では偽名を使う者が大半です」
「安生さんは本名なんですか?」

 つい何気なく疑問を口にすれば、ほんの一瞬安生が笑顔のまま動きを止める。
 あ、やばい余計なことを聞いてしまった。そう直感した俺は慌てて「なんて、聞いたら駄目ですよね」と軌道修正を測ったが。

「無論私は偽名ですよ。安らかに生きるなんて私に勿体ない名前だと思いませんか?」
「あ、え……は、はい……?」

 まさか答えてくれるとは思ってもいなかった。
 そして、なんて返せばいいのかわからない一言コメント付きで。
 言葉に詰まってしまったことに後悔したが、安生の方はさして気にしていないようだ。
「君はどうしますか?」と尋ねられ、俺は悩んだ。

「えと、じゃあ俺は……良平で」
「そのままでいいんですか?」
「フルネームじゃなかったらまだいいのかなって思ったんですけど、やっぱり偽名の方がいいですかね……」
「まあ別にいいんではないでしょうか。名字まで知れ渡ってしまえば万が一ボスの素性に繋がる可能性もあったでしょうが、下の名前だけならそこまで気にする必要もないでしょうし」

「それに、私としても慣れている呼び方なので助かりますしね」と安生は笑う。
 そうか、レヴェナントとしての兄ではなくイビルイーターだった兄に繋がる可能性もあるのか。ヒーロー名も個人保護の目的があるとはいえ、やはり迂闊に本名を扱うのは危険なようだ。慎重にならなければ。
「それでは『良平』で登録しておきますね」と空間にパッドを浮かばせ、安生は何かを操作する。
 そして一通りの作業を終え、安生は一息ついた。

「取り敢えず、詳しい説明はその都度行っていきましょう。……それでは早速君には準備してもらいますか」
「は、はい! すぐ準備してきます!」
「はは、そんなに慌てなくとも大丈夫ですよ。それでは私はここで待ってますね」
「わ、分かりました」

 ようやくこのときが来たのだ。
 程よい緊張の中、俺は一度スーツに着替えるためにスーツ一式と社員証を抱えて寝室へと移動した。


 安生からのスーツからは新品の匂いと、それからなんだかいい匂いがした。
 俺のサイズに合わせてくれてオーダーメイドしてくれたのだろうか、皺もなくぴっしりとしたスーツに腕を通しただけで背筋が伸びるようだった。変なところがないか姿見の前で何度もくるくると回り前後を確認したあと、忘れないように社員証を首から下げる。それをポケットに仕舞えば、本当に自分が社会人になったのだとしみじみとした気持ちになった。
 ……当初想像していた社会人とは大きくずれているが、それはそれだ。
 髪も整え、よし!と気合を入れ直した俺はそのまま寝室を出て安生の待つ居間へと移動した。

「あ、安生さん! 着替えました……!」

 扉を開けば、安生がこちらを振り返った。そしてくしゃりと笑ったのだ。いつものどこか醒めた愛想笑いとは違う自然な笑顔だ。

「ああ、よく似合ってますね。少しネクタイがよれてるのが気になりますが」
「あ、あれ? 確認したはずなのに……」
「いえいえ、誤差のようなものですよ。それにしても良平君の晴れ姿を見れないなんて、ボスもさぞ悔しがることでしょうねえ」
「へへ……」

 ここまで手放しに褒められるとなんだか気持ちよくなってしまうが、気を引き締めなければならない。慌てて緩む頬を引き締める俺に、安生は小さく笑った。

「それじゃあ準備も済んだことですし、食堂で朝食を摂ってから部署に向かいましょうか」
「食堂?」
「ええ、社員専用の食堂があるんですよ。顔見せがてら覗きましょうか。これから君がお世話になるところでもありますので」
「は、はいっ」

 社員食堂ということは、やっぱり他の社員もいるのだろう。
 ジムや建物内ですれ違うことは多々あったが、自分が正式な立場として顔見せするのとはまた変わってくる。
 ちゃんと挨拶しなきゃとか、そんなことをぐるぐる考えてる内に目が回りそうになる。
 とにかく、深呼吸だ。こういうのは第一印象が大切だって本でも読んだことがある。

「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ、良平君」
「安生さん……」
「ナハト君たちと仲良くなれる君です、きっとすぐに溶け込めますよ」

 安生の言葉は力強い。
 じんわりと胸のうちが暖かくなったあと、幾分緊張が解けたようだった。

 というわけで、俺は安生とともに社員寮から本社へと移動する。移動のためのエレベーターに運ばれ、やってきたのはevil本社。そのロビー。
 社員寮のジムとは訳が違う。そこには俺や安生のようにスーツを身に着けた者から、テレビで見かけたことのあるようなヴィランたちが行き交っていた。

「わぁ……たくさん人がいる」
「そりゃそうでしょ、無人なわけないし」
「確かに……って、え」

 いきなり背後から聞こえてきた声に驚き、振り返る。そこには黒衣を身に纏った仮面の青年――もといナハトが立っていた。

「あれ? ナハト君じゃありませんか、珍しいですね。こんな時間にいるなんて。君は夜行性だったはずでは?」
「……今戻ってきたところ。そしたら、間抜けな声が聞こえてきたから」

 そう素っ気なく答えるナハトに「ああ、そういうことでしたか」と安生は笑った。
 そしてナハトはこちらをじっと見る。仮面越しにナハトの視線が爪先から天辺まで向けられるのだ。

「あの、ナハトさん……」
「その姿、馬子にも衣装ってやつだね」
「え?」
「……まあ、悪くないんじゃない?」

 そしてジロジロとこちらを見ていたナハトはそのままふい、とそっぽ向いた。
 これは、もしかしてナハトさんなりに褒めてくれてる……?!
 嬉しくて「ナハトさん……っ!」と声をあげれば、ナハトに「うるさい、騒ぐなよ」と怒られた。声セーブしたつもりだったのにどうして……。

「丁度よかった、ナハト君も一緒に社員食堂で朝食でもいかがですか?」
「いやだ。俺は飯は一人で食う主義だから。それにこの時間帯に固形物を喉に通す気になれないし」
「ですよねえ。残念ですが、それではまた……」

 これで失礼します、と安生が続けようとしたときだった。安生の肩を掴んだナハト。

「おや、まだなにか?」
「……別に、着いていかないとは言ってないけど?」
「な、ナハトさん……」

 素直じゃないというか、いやこれは寧ろ素直なのか?
 安生もこれにはにっこりしていた。
 ナハトとなかなかゆっくり出来ていなかったので嬉しい反面、安生がいるとはいえこの間のことを思い出してどんな顔をして対面すればいいのか俺は未だ決めかねていた。
 けど、ナハトはいつも通りなのだから俺もいつも通りでいるのが普通か?
 一人だけ変に意識しててもおかしいしな、と思いながらも俺は安生、ナハトとともに社員食堂へと移動することとなった。


 社員食堂はカウンターで注文する方式のようだ。
 もっと賑わっているのかと思ったが、思ったよりも静かだった。

「社員食堂なんて久しぶりにきた」
「確かにナハトさん、部屋で食べてることのが多いですよね」
「ここの飯は俺の口に合わないから」
「ナハト君が偏食すぎるだけですよ。美味しいじゃありませんか、健康志向で」

 安生はカウンター席に腰をかけるので慌てて俺も座る。そして一席開けてナハトが腰を掛けた。
 食堂内、すれ違う社員たちがちらちらとこちらを見ていた気がしたので慌ててぺこりと会釈すれば、なんだか変な反応をされる。
 まるで物珍しいものを見るような、そんな目だ。

「偉いですね、良平君はもう挨拶ができて」
「やっぱり第一印象が大事なのかと」
「無視でいい、あんなの」
「ナハト君、また君はそうやって……」

 急に不機嫌になるナハトに戸惑っていると、右側に腰を掛けていた安生が「ナハト君は社内でも有名人ですからね、そんな君が食堂にいて皆驚いてるんですよ」と笑う。
 なるほど、さっきの妙な反応は俺ではなくナハトに向けてだったのか。

「はあ……うざ、やっぱ俺帰る」
「おや、せっかくドリンク頼んだんですからせめて飲んで行ったらどうですか?」
「萎えた。……お前にやるよ、良平」
「え、でも」
「就職祝」
「あ、ありがとうございます……」

 そう立ち上がったナハトはそのまま注文カードを俺のテーブルの前に置く。
 そして結局引き止めることもできないまま、俺は出口に向かって歩き出すナハトの後ろ姿を見送った。

「な、ナハトさん……大丈夫ですかね」
「ああ、気にしなくても大丈夫ですよ。彼はあれが普通ですからね、寧ろここまで来たことにびっくりしましたから」
「そうなんですか……」

 仕事帰りのようだったし疲れていたのかもしれない。
 その後、ナハトの頼んだドリンクを受け取ったが俺好みのフルーツたっぷりのジュースだった。
 もしかしたらナハトさんは最初から俺のために頼んでくれたのだろうか、なんて思ったがそれこそ都合のいい考えだろうか。

 それから安生と食事をしていたときだった。

「専務、おはようございます」

 不意に後方から声が聞こえてくる。
 まさか俺に言ってるわけではないだろうと思いながら何気なく振り返れば、そこには見慣れない青年が立っていた。
 明るい髪色だが、俺や安生のようにスーツを着用した好青年だ。
 誰だ、と思っていると隣でサラダスティックを齧っていた安生が椅子の座面をくるりと回して振り返る。
 そして、

「ああ、おはようございます。望眼もちめ君」

 まさか、専務って安生のことなのか。
 確かに代表取締役である兄と一緒によくいたが、それでもまさかそこまで偉いとは思ってなくて思わず安生を二度見してしまう。
 そうだ、あまりにも人間らしいせいで忘れていたがこの人はあのニエンテなのだ。そしてそのニエンテが専務ってなんなんだ。
 一人で混乱していると、「そっちの人は?」と望眼と呼ばれた好青年はこちらを見る。

「ああ、丁度よかったです。……良平君、こちら君が配属される営業部の望眼君です」
「あ、あの! 初めまして良平です!」
「うお、元気いいな。俺は望眼だ。よろしくな、良平」

 差し出された望眼の手を握り返せば望眼はにっと笑った。今まで接してきた人たちが人たちだったからこそ余計、人良さそうな望眼に安心感を覚える。

「あの望眼君もとうとう先輩になるんですねえ。良平君のことよろしくお願いしますね」
「確かに、まじでようやくって感じですけど。あ、良平隣いいか?」
「あ、ど、どうぞ」
「なんでお前まで立ってるんだよ」

 なんてやり取りを交わしながら、望眼を交えて三人で朝食を取る。
 話してみると望眼は俺よりも三つ上のようだ。だからだろう、なんだか近親感が沸くというか話しやすいというか……これが営業部ってことなのだろうか。望眼と話してると緊張も解けてくる。

「営業部って合計何人くらいいるんですか?」
「どうだっけ、確か三十人はいたと思うけど部署に全く顔出さないやつとかもいるからな」
「え?」
「派遣先のヴィランのところに出張してる人もいたり、能力持ちの人とかはそれこそ自分のペースに合わせてるからな」
「結構自由なんですね」
「自由か? ルールや規則があるなんて鬱陶しがるやつが多いけど、お前は変わってるんだな」

 望眼の言葉にハッとする。そうか、ここは元々無法地帯である地下の国だ。地上の人間だと悟られるなと言われていたことを思い出し、「あ、えと」と言葉を探していると安生が咳払いをし、「この子は育った環境が特殊でしてね」と助け舟を出してくれる。「はーなるほどすね」と納得したように頷く望眼に、俺は内心ホッとした。

 この場に安生がいてくれて本当によかった。

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