6 / 110
CASE.04『非日常的日常』
01
しおりを挟む
幼い頃、憧れていたヒーローがいた。
いつも泣いてばかりだった俺を守ってくれた。
俺だけじゃない、どんな困ってる人も見逃さずに助けてくれたヒーロー。
ずっと、そんな風になりたいと思っていた。
兄――善家吉次は、俺の憧れのヒーローだった。
それも十年以上昔の話だ。
俺が幼い頃、有名なヒーローだった兄はとあるヴィランとの戦闘の末行方を晦ましたのだ。
◇ ◇ ◇
微睡む意識の中、部屋に来訪者を知らせるチャイムが響く。体を起こし、扉まで駆け寄り扉を開けば、そこには見覚えのある青髪の男がいた。
――ノクシャスだ。
「……よお、まだ寝てたのか?」
「……ノクシャスさん、おはようございます」
「もうこんにちはだぞ、あと鏡見てこい。寝癖がとんでもねえことになってるぞ」
ここ、とわしわしと頭を撫でつけられる。
ノクシャスとこうして一緒になるのは前回ぶりなので緊張していたが、ノクシャスの方は至って変わりない。なんだか一人だけ意識してるみたいで恥ずかしくなってくる。
今朝はなかなか寝付きが悪かった。
昨夜ナハトに付き合って夜更ししてゲームしたせいもあるが、自分でも大きな原因はわかっていた。
――あの夢のせいだ。
兄が生死不明になり、両親はヒーローという職業に対して不信感を持つようになる。勿論、俺がヒーローになりたいと言う度に反対される。俺が向いてないのもあるだろうが、兄の存在があるからこそ余計恐れていることを知ってた。
それでも俺は兄との約束を忘れられなかった。
兄のようなヒーローになりたい。それだけを考えてこの十年間を生きてきたのだ。
ノクシャスに待ってもらい、部屋の鏡で寝癖を直してくる。完全に戻ることはないが、それでも先程よりかはましだと部屋の前で待機していたノクシャスの元へ戻れば、そこには人影が増えていた。
「やあ、おはようございます。良平君」
「安生さん」
「なんかテメェに用だとよ。俺はここで待ってるからさっさと済ませてこいよ」
「そういうことです、ノクシャス君からの許可も貰ったので失礼してもいいですか?」
「あ、は、はい……どうぞ」
用ってなんだろうか。
なんとなく不安になるが、拒む理由もない。
俺は安生を部屋に招き入れた。
「あの、飲み物とかは……」
「ああお気遣い結構。用を伝えにきただけなので」
そう、安生は胸ポケットからなにかを取り出した。それは小さなカードのようだ。硬質なそれを受け取れば、そこにはなにも記載されていない。
「……これは?」
「ボスの部屋のカードです」
「……え?!」
「これを君に渡してほしいと言付けを頂きまして自分がここに来た次第です」
「え、あの……なんで俺に……」
「あー……それは本人に聞いた方が早いかもしれませんねえ、私にもそれは解らないので」
そう肩を竦め、笑う安生。
安生の言葉を聞いた途端まるでカードの重みが変わってくる。
「エレベーターの端末にこのカードを使えばボスの部屋まで行けます。……が、多忙な方なので常に部屋にいるかどうかはわかりません。今晩ならいる、と本人は言ってましたので会いに行くなら今夜ですかね」
「…………」
前々から何者かと思っていたが、急にボスに会える鍵なんてもらってもどうしようもない。
そもそも、俺はまるでボスのことも知らないのだ。
キーを手にしたまま固まる俺に、安生は笑った。
「ああ、でも。その鍵のことは秘密ですよ。ノクシャス君たちならばいいですが……他の社員には言わないように」
「は、はい……わかりました」
「それじゃあ、私はこれで。……ご健闘お祈りしますね」
なんて言い残し、そのまま安生は部屋を出ていった。
そして安生と入れ違うようにノクシャスが部屋へと上がってくる。
「よお、済んだか?」
「の、ノクシャスさん……」
「あ? どうした、んな情けねえ声出して」
どこから言うべきか。安生はノクシャスたちには話していいと言っていたが、そもそも俺は話せるほどの情報もなにもないのだ。
ならば。
「あの、ノクシャスさん……ボスについて教えて下さい」
「うお、なんだよいきなり。……あ、お前まだ会ったことねえのか?」
「はい……」
「そういやんなこと言ってたっけな……。まあいいや、取り敢えず飯食おうぜ。お前もまだ食ってねえんだろ」
はい、と応えるよりも先にデリバリースタッフが「ども、お届け物でーす」とどんどん料理を持って上がってくる。デジャヴ。
「の、ノクシャスさん、これ……」
「任務帰りでまだ食えてねえから腹減ってんだよ。……あ、酒は頼んでねえから安心しろ」
「……は、はい……」
というか、やっぱり覚えてたのか。
思わず声が上擦ってしまうが、ノクシャスは至っていつもと変わらない様子で運ばれていく飯たちを眺めていた。
そして数分後、いつぞやと同じように部屋の中はあらゆる飯で埋め尽くされる。
「そんで……ボスの話だったか?」
何枚目かのピザを丸めて一口で食すノクシャスに呆気取られそうになりながらも、俺はこくこくと頷き返した。
「つってもな、ボスはあんま人前に出ることを嫌がるんだよ。……お前みてーなよくわかんねえのはともかく、立場が立場だからな。ま、そこらの雑魚に狙われてヘマするような弱え人じゃねえけど」
「こ、怖い人なんですか……?」
「バーカ、お前……無法地帯だったこんな会社作ろうとした人だぞ。……ま、そういう意味じゃあある意味怖えかもな」
そう話すノクシャスは楽しそうだ。
見ててノクシャスが『ボス』のことを慕っているのだとよく分かった。
悪い人じゃなさそうで一先ずは安心し、俺は目の前のピザを一切れ頂戴した。……ノクシャスのマネをして一口で食べようとしてみたが無理だ、大人しく五口に分けて咀嚼することにする。
「んぐ……そういえば、ナハトさんもボスの言うことはちゃんと聞いてるみたいですしね」
「ハハッ! たしかにな、あいつがボス以外の命令素直に聞いてるところ見たことねえわ」
「人望が厚い方なんですね……それ聞いてちょつと安心しました」
「ああ、まずいきなりとって食われることはねえだろうな」
だったらなんでそんな人がヴィランサイドにいるんだろう。不思議だが、まあ色々事情があるのかもしれない。
そんな風に思えるようになったのも、ここで生活するようになってからだ。
「ま、モルグよりかはよっぽど善人だ」
そうノクシャスが炭酸ジュースの缶を開けながらつぶやく。その一言に思わず手に取ろうとしていたグラスを零してしまった。そして中に入ってたお茶が勢いよく床にぶちまけられる。
「あ゛……ッ!」
「おい、なにやってんだ」
「す、すみません……っ! すぐ拭きます……!」
そう慌てて布巾を用意し、濡れた床を拭う。
まだ記憶に真新しいモルグとのアレコレを思い出してしまったせいだ。
落ち着け、平常心だ。そう自分に言い聞かせながらも床を拭いてると……。
「そういやモルグがお前の面倒を見てたらしいな」
「……へっ?」
「何か妙なことされなかったか?」
ぎくりとした。というかなんでそんなことを聞かれるのか分からず、それでも脳裏に例のマッサージが過り顔が熱くなる。
ノクシャスの顔をまともに見ることができず、「いや、まさかそんな。滅相もございません」と誤魔化そうとした矢先。伸びてきた大きな手のひらに肩を掴まれる。
「ひえ……ッ!!」
「……されたのか?」
鼻先数センチ。テーブルを乗り越えこちらへと距離を詰めてくるノクシャス。
あまりのその距離の近さに口から心臓が飛び出そうになる。目を逸したくても逸らせない。近い。近すぎる。
「っ、さ、されて……ないです、その、マッサージは……してもらいましたけど……ッ!! そんな、そんな変なこととかは一切……っ!!」
そうだ、あれは疚しいことではない。そう自分に必死に言い聞かせながらもはそうぶんぶんと首を横に振り、否定する。
「本当か?」と訝しむノクシャスに、俺は更にうんうんと頭を縦に振った。
するとやや間があって、ようやくノクシャスは俺から手を離す。そしてそのままどかりと再びソファーに腰を沈めるのだ。
「……ならいいが、あいつは変態だからな。人を実験対象としか見ていねえ」
「た、確かにそれは……」
「つか……マッサージなあ。あいつがねえ? 珍しいこともあるもんだ。寝てる間に妙なもん仕込まれたり改造されてねえのか?」
「え……?!」
まさか、と咄嗟に自分の体を触ってみるが異変はない……はずだ。というか、ノクシャスの口ぶりからしてモルグには前科があるようだが……。
「ま、あいつは変態だけど腕は確かだしな」
「その、前に何かあったんですか……?」
「俺じゃねえけど、モルグと飲みに行って酔い潰れたりでもすりゃ次に目を覚ましたときは半身が機械になってたりよく分かんねえ薬の投薬されたりってのがしょっちゅうあんだよ。あいつはその度に『おかしいなあ~ちゃんと事前に許可はもらったんだけどねえ~?』って酔ってるときに書かせた誓約書出すんだけどな」
「そ、それは……」
怖すぎる……。そして地味にノクシャスのモルグのモノマネが似てる……。
「モルグさんとお酒飲むときは気をつけます」
「ああ、それがいいな」
と、言い掛けてノクシャスが動きを止める。
その顔がややばつが悪そうなものになるのを見てしまい、俺はノクシャスがなにを考えてるのか分かってしまう。
「……っと、その……だな。この前のことなんだが……」
言いにくそうにするノクシャス。お互いに触れないようにしていたのに、まさかノクシャスからこうして触れてくるとは思わず戸惑う。
今このタイミング、しかもあのときと似た状況である今こうして切り出されるのはあまりにも恥ずかしくて、咄嗟に俺は 「あの、ノクシャスさん!」と立ち上がった。
「うお……、なんだテメェ。声でけーな」
「お、俺は……その、全然気にしてないので……っ!!」
「…………は?」
「だから、その……あのときは俺もノクシャスさんも酔ってて、それで、不可抗力というか……っ仕方なかったと思います……っ!」
「………………………………」
沈黙。
勇気を出して先手を打ったが、ノクシャスの反応はあまりにも鈍かった。
「……あ、あの……ノクシャスさん……?」
俺、なんか言っちゃいましたか?
そう恐る恐る顔を上げると同時に、ノクシャスは手にしていた缶を片手でめきょりと捻り潰す。ぎょっとしたとき。
「……俺、お前になんかしたか?」
「………………へ?」
「記憶がねえんだ」
――あの日、お前の部屋に上がったあとの記憶が。
そうポツリと口にするノクシャスに今度は俺が固まる番だった。
「お、覚えて……ないんですか……?」
「お前のその言い方……俺、まさかまたやっちまったのか?」
「えっ、い、いや、その……ッ」
「おい。誤魔化すんじゃねえ、洗いざらい吐けよ」
「え、えええと……っ」
なんで俺が迫られてるのか。
いや、これは寧ろ言わない方がノクシャスのためではないかと思うが「おい! 吐け!」と胸倉を掴まれれば迫力のあまり「分かりました! 吐きます! 吐きますので許してください!」とこの口から勝手に言葉が出てしまう。
「よし、言え」
「で、でも本当に大したことはされてないので……本当に……お互いお酒入ってたくらいで……」
「御託は良いから早く言えっつってんだろ」
「は、はひ……っ!! え、ええと……その……ほんのちょっと、触られたくらいで……その、俺も触ったのでおあいこというか……っ!!」
「……ッ!!」
ノクシャスの顔が青ざめる。
しまった、余計なこと言ってしまったか。
「あ、で、でもあの! 俺も気持ちよかったので……っ!」
「き、気持ちよかっただと……?」
「あーその、違います……その、無理矢理とかじゃなくて……その、えーと……っみ、未遂ですので……っ!」
「未遂……っ?!」
これも駄目だったか。みるみるうちに顔つきが変わり、更に潰されていく缶だったものに息が停まる。
どうしたら、どうしたらいい。ノクシャスのプライドを傷つけずにこう、穏便に済ませるには……。
考えろ、考えろ。と今日一脳味噌を回転させ、閃く。俺はわなわなと震えるノクシャスの隣に移動し、その逞しい腕を掴んだ。
「お、俺から……誘ったことだったので……その、だから気にしないでください」
そう耳打ちをすれば、ぴくりと手のひらの下の上腕二頭筋が反応する。ぎろりとノクシャスの鋭い目がこちらを睨み、一瞬怯みそうになったが堪える。
「っ、お……まえ……」
そう、ノクシャスの顔が僅かに赤くなる。
そして、その唇がなにかを言いかけた矢先だった。
本日二度目の来訪者を報せるインターホンが鳴り響いたのだ。
今日は客人が多い。……が、このタイミングで来てくれるのはありがたい。俺はノクシャスから逃げるように立ち上がり、「ちょっと行ってきます」とノクシャスに告げて玄関口へと向かった。
ノクシャスの反応が恐ろしすぎて、後ろを振り返ることはできなかった。
そして玄関の扉を開けば、そこには。
「やあ良平君、おはよ~」
噂をすればなんとやらだ。
そこには珍しく私服姿のモルグが立っていた。
「モルグさん……? おはようございます。あの……」
「んー? ちょっと通りかかったから顔見に来ただけなんだけど~、今日の当番はノクシャスだっけえ?」
「あ、は……」
はい、と言いかけたとき。背後から伸びてきた腕が扉のドアノブを掴む。そして、モルグの目の前、勢いよく閉められる扉にぎょっとして振り返れば、背後にはノクシャスが立っていた。
「あの、ノクシャスさ……」
そんなにいきなり閉めるのは流石に、と言いかけた矢先。すぐに扉は開き、むっとしたモルグが覗き込む。
「ちょっと~ノクシャスいきなり閉めるの酷くな~い?」
「何しに来たんだテメェ」
「なにって、ちょっと様子見に来たんだよ。善家君は元気かなぁ~って。……ね、あれから調子はどう?」
そう、今度はノクシャスの背後にいた俺を覗き込んでくるモルグ。
いつもと変わらない調子で尋ねられ、『あれから』がいつを指すのか気付いた瞬間顔が熱くなった。
「え、えと……大丈夫です。お陰様で……」
「そ、なら良かった~。またしてほしくなったらいつでも言ってね」
ノクシャスがいる前でなんてこと言い出すのだ。
いや、違う。ただのマッサージのことを言ってるのだ、平常心、平常心……。
「またってなんだよ」
と思ってると、ノクシャスがずいと首を突っ込んでくる。
「ん? 前立腺マッ……」
考えるよりも先に扉を閉めてしまう。
が、すぐに扉の向こうからモルグにこじ開けられてしまう。
「ちょっと、善家君まで僕を閉め出すの……?!」
「モルグさん、モルグさん。取り敢えず、すみません朝食中なんで俺たちはこれで失礼します!」
「え、善家く……」
と、言い終わるよりも先にノクシャスが扉をバンッ!と閉める。そして施錠までの流れも早い。
……モルグには申し訳ないが、これ以上ノクシャスの耳に入れたくなかった。というか、あの人悪気はないのだろうが恐ろしすぎる。
「それじゃあ、食事に……」
戻りましょうか、と振り返ろうとしたとき。
目の前に立ちはだかる壁……ではなく、ノクシャス。その胸にぶつかってしまいその反動でよろめいてしまったとき、ノクシャスの腕に行く手を阻まれる。
「あ、あの……ノクシャスさん……」
「お前が言ってた『あれ』、前立腺マッサージなわけ?」
なんだ、何故尋問をされてるのか。というか胸圧に押し潰されそうになりながらも必死に俺は逃げ道を探す。が、見当たらない。
「……っ、そ、その……でも、その、リラックスできるマッサージだとお聞きして……」
「……お前、もうモルグに付き合うな。二人きりにもなるな」
「え」
「いいか?」と念押しされ、思わず言葉に詰まる。
「でもモルグさんは俺の相談にも乗ってくれて……良い人です……っ!」
「ほぼ初対面のやつ相手に前立腺マッサージするやつが良いやつなわけねえだろ」
「の、ノクシャスさんは俺にフェラさせましたよ……っ!!」
流石にモルグだけを悪者にするのもいたたまれず、必死に反論する俺にノクシャスの顔が引きつった。
「っ、それは……っ」
「お、覚えてないかもしれませんけど、『こっちも鍛えてあるんだけどしゃぶるか?』……みたいなことを言って……」
「うるせえ! テメェそれ以上言うとその口塞ぐぞッ!!」
「ひ……っ!」
お、怒った……! ノクシャスが怒った……っ!
慌ててノクシャスの腕から逃げ出し、近くのソファーの物陰に避難する。
ノクシャスは忌々しげに舌打ちをし、その髪をぐしゃぐしゃと搔いた。
「つうか全然触り合っただけじゃねえじゃねえか……っ!」
「で、でも……そこまででしたし……」
「お前の貞操観念はどうなってんだっ!」
……何故かノクシャスに叱られてしまう。薄々気付いていたがこの人、わりとまとも……なのかも知れない。やはり怖いが。
「……っ、とにかくだ。俺も酒は控えるけども、あいつは素面でああなんだよ。お前も危機感持てよ」
「……お前にだけは言われたくないだろうけどね、善家も」
そう、当たり前のように会話に混ざってくるその気怠げな少年の声にぎょっとする。
すると、いつの間にかソファーにはヴィランスーツのナハトが座って寛いでいた。仮面を嵌めたまま唯一露出した口元にピザを持っていき、そのままもぐもぐと齧っているナハトにノクシャスは舌打ちをする。
「うるせえ、つうか扉から入ってこい」
「……あんたらが玄関口で揉めてて邪魔だったからこうしただけ。てか、タバスコ掛けすぎやめて。……俺食えないから」
「お前のために用意したんじゃねえよ」
「あっそ」
一触即発とはまさにこのことだろう。
今にもブチ切れそうなノクシャスを前にナハトはいつもと変わらない様子だ。
あわわわと二人の間で右往左往してると、ノクシャスが先に折れた。そのままどかりと向かい側に腰を掛ける。
「善家はこっち……俺の横」
「ああ? なんでだよ」
「危機感は大事なんだろ?」
「ッ、ぐ……」
「はやく」ととんとんと犬を呼ぶみたいにソファーを叩くナハトに、俺は慌てて隣へと腰を掛ける。
なんだか空気が悪い気がしないでもないが、ナハトが来てくれて嬉しいというのが正直な感想だった。
「そういえば、ナハトさんお仕事で暫くこれないんじゃ……」
「……そ。今から出る予定だったけど、念の為様子見に来たらこの有様だし」
「モルグといいお前といい、どいつもこいつもんなに俺のことが心配なのかよ。ああ?」
「……あんたってより、こっちだけど」
言いながらツン、と腕を小突いてくるナハト。
顔を上げれば、仮面越しにナハトがこちらを見てる気配がした。
それもすぐ、ふい、とナハトは顔を逸す。
「お前宛の依頼は面倒なのが多いからな。精々頑張れよ」
「……あんたに言われなくてもそのつもり」
「あの、ナハトさん。どれくらいいないんですか……?」
「予定では二、三日。……殺すだけなら簡単なんだけど」
その言葉を聞いて、あ、と思った。
……そうだ、ここ最近すっかり平和ボケしていたので忘れていたがナハトの仕事というのはつまり……そういうことなのだ。
決して人の為になるものではない、どこかの誰かの命を奪う。それでもナハトの身を案じてしまう自分がいて、戸惑った。
……人を殺すのはよくないことだと思っていたのに、俺……。
項垂れてると、下からナハトが覗き込んできた。
「……なにその顔」
「ナハトさん、気をつけて……」
「っは、良かったなあナハト。お前のこと心配してくれるやつがいてくれてよお」
「……うっさいし。てか、俺がヘマするわけないじゃん。……お前は俺がいない間自分のことだけ考えてなよ」
そう言って、ナハトは静かに立ち上がる。
「あと、ゲームも練習してなよ。……どうせ暇なんでしょ」
「は、はい……」
「じゃ、後片付けよろしく」
そう言った矢先だった。ナハトが仮面を嵌め直したと思った次の瞬間、ほんの一瞬でそこにいたはずのナハトの姿は消えていた。
……もう行ってしまったのだろう。
分かってはいたが、ここ最近ナハトといることが多かったのでほんの少し寂しくなってる自分がいることに気付いた。
「ナハトさん……」
「なに寂しがってんだ。……んな顔してっからモルグの野郎に付け込まれるんだろ」
「す、すみません……」
それからナハトがいなくなった部屋の中、俺達はすっかり冷めていた料理を平らげることとなる。
いつも泣いてばかりだった俺を守ってくれた。
俺だけじゃない、どんな困ってる人も見逃さずに助けてくれたヒーロー。
ずっと、そんな風になりたいと思っていた。
兄――善家吉次は、俺の憧れのヒーローだった。
それも十年以上昔の話だ。
俺が幼い頃、有名なヒーローだった兄はとあるヴィランとの戦闘の末行方を晦ましたのだ。
◇ ◇ ◇
微睡む意識の中、部屋に来訪者を知らせるチャイムが響く。体を起こし、扉まで駆け寄り扉を開けば、そこには見覚えのある青髪の男がいた。
――ノクシャスだ。
「……よお、まだ寝てたのか?」
「……ノクシャスさん、おはようございます」
「もうこんにちはだぞ、あと鏡見てこい。寝癖がとんでもねえことになってるぞ」
ここ、とわしわしと頭を撫でつけられる。
ノクシャスとこうして一緒になるのは前回ぶりなので緊張していたが、ノクシャスの方は至って変わりない。なんだか一人だけ意識してるみたいで恥ずかしくなってくる。
今朝はなかなか寝付きが悪かった。
昨夜ナハトに付き合って夜更ししてゲームしたせいもあるが、自分でも大きな原因はわかっていた。
――あの夢のせいだ。
兄が生死不明になり、両親はヒーローという職業に対して不信感を持つようになる。勿論、俺がヒーローになりたいと言う度に反対される。俺が向いてないのもあるだろうが、兄の存在があるからこそ余計恐れていることを知ってた。
それでも俺は兄との約束を忘れられなかった。
兄のようなヒーローになりたい。それだけを考えてこの十年間を生きてきたのだ。
ノクシャスに待ってもらい、部屋の鏡で寝癖を直してくる。完全に戻ることはないが、それでも先程よりかはましだと部屋の前で待機していたノクシャスの元へ戻れば、そこには人影が増えていた。
「やあ、おはようございます。良平君」
「安生さん」
「なんかテメェに用だとよ。俺はここで待ってるからさっさと済ませてこいよ」
「そういうことです、ノクシャス君からの許可も貰ったので失礼してもいいですか?」
「あ、は、はい……どうぞ」
用ってなんだろうか。
なんとなく不安になるが、拒む理由もない。
俺は安生を部屋に招き入れた。
「あの、飲み物とかは……」
「ああお気遣い結構。用を伝えにきただけなので」
そう、安生は胸ポケットからなにかを取り出した。それは小さなカードのようだ。硬質なそれを受け取れば、そこにはなにも記載されていない。
「……これは?」
「ボスの部屋のカードです」
「……え?!」
「これを君に渡してほしいと言付けを頂きまして自分がここに来た次第です」
「え、あの……なんで俺に……」
「あー……それは本人に聞いた方が早いかもしれませんねえ、私にもそれは解らないので」
そう肩を竦め、笑う安生。
安生の言葉を聞いた途端まるでカードの重みが変わってくる。
「エレベーターの端末にこのカードを使えばボスの部屋まで行けます。……が、多忙な方なので常に部屋にいるかどうかはわかりません。今晩ならいる、と本人は言ってましたので会いに行くなら今夜ですかね」
「…………」
前々から何者かと思っていたが、急にボスに会える鍵なんてもらってもどうしようもない。
そもそも、俺はまるでボスのことも知らないのだ。
キーを手にしたまま固まる俺に、安生は笑った。
「ああ、でも。その鍵のことは秘密ですよ。ノクシャス君たちならばいいですが……他の社員には言わないように」
「は、はい……わかりました」
「それじゃあ、私はこれで。……ご健闘お祈りしますね」
なんて言い残し、そのまま安生は部屋を出ていった。
そして安生と入れ違うようにノクシャスが部屋へと上がってくる。
「よお、済んだか?」
「の、ノクシャスさん……」
「あ? どうした、んな情けねえ声出して」
どこから言うべきか。安生はノクシャスたちには話していいと言っていたが、そもそも俺は話せるほどの情報もなにもないのだ。
ならば。
「あの、ノクシャスさん……ボスについて教えて下さい」
「うお、なんだよいきなり。……あ、お前まだ会ったことねえのか?」
「はい……」
「そういやんなこと言ってたっけな……。まあいいや、取り敢えず飯食おうぜ。お前もまだ食ってねえんだろ」
はい、と応えるよりも先にデリバリースタッフが「ども、お届け物でーす」とどんどん料理を持って上がってくる。デジャヴ。
「の、ノクシャスさん、これ……」
「任務帰りでまだ食えてねえから腹減ってんだよ。……あ、酒は頼んでねえから安心しろ」
「……は、はい……」
というか、やっぱり覚えてたのか。
思わず声が上擦ってしまうが、ノクシャスは至っていつもと変わらない様子で運ばれていく飯たちを眺めていた。
そして数分後、いつぞやと同じように部屋の中はあらゆる飯で埋め尽くされる。
「そんで……ボスの話だったか?」
何枚目かのピザを丸めて一口で食すノクシャスに呆気取られそうになりながらも、俺はこくこくと頷き返した。
「つってもな、ボスはあんま人前に出ることを嫌がるんだよ。……お前みてーなよくわかんねえのはともかく、立場が立場だからな。ま、そこらの雑魚に狙われてヘマするような弱え人じゃねえけど」
「こ、怖い人なんですか……?」
「バーカ、お前……無法地帯だったこんな会社作ろうとした人だぞ。……ま、そういう意味じゃあある意味怖えかもな」
そう話すノクシャスは楽しそうだ。
見ててノクシャスが『ボス』のことを慕っているのだとよく分かった。
悪い人じゃなさそうで一先ずは安心し、俺は目の前のピザを一切れ頂戴した。……ノクシャスのマネをして一口で食べようとしてみたが無理だ、大人しく五口に分けて咀嚼することにする。
「んぐ……そういえば、ナハトさんもボスの言うことはちゃんと聞いてるみたいですしね」
「ハハッ! たしかにな、あいつがボス以外の命令素直に聞いてるところ見たことねえわ」
「人望が厚い方なんですね……それ聞いてちょつと安心しました」
「ああ、まずいきなりとって食われることはねえだろうな」
だったらなんでそんな人がヴィランサイドにいるんだろう。不思議だが、まあ色々事情があるのかもしれない。
そんな風に思えるようになったのも、ここで生活するようになってからだ。
「ま、モルグよりかはよっぽど善人だ」
そうノクシャスが炭酸ジュースの缶を開けながらつぶやく。その一言に思わず手に取ろうとしていたグラスを零してしまった。そして中に入ってたお茶が勢いよく床にぶちまけられる。
「あ゛……ッ!」
「おい、なにやってんだ」
「す、すみません……っ! すぐ拭きます……!」
そう慌てて布巾を用意し、濡れた床を拭う。
まだ記憶に真新しいモルグとのアレコレを思い出してしまったせいだ。
落ち着け、平常心だ。そう自分に言い聞かせながらも床を拭いてると……。
「そういやモルグがお前の面倒を見てたらしいな」
「……へっ?」
「何か妙なことされなかったか?」
ぎくりとした。というかなんでそんなことを聞かれるのか分からず、それでも脳裏に例のマッサージが過り顔が熱くなる。
ノクシャスの顔をまともに見ることができず、「いや、まさかそんな。滅相もございません」と誤魔化そうとした矢先。伸びてきた大きな手のひらに肩を掴まれる。
「ひえ……ッ!!」
「……されたのか?」
鼻先数センチ。テーブルを乗り越えこちらへと距離を詰めてくるノクシャス。
あまりのその距離の近さに口から心臓が飛び出そうになる。目を逸したくても逸らせない。近い。近すぎる。
「っ、さ、されて……ないです、その、マッサージは……してもらいましたけど……ッ!! そんな、そんな変なこととかは一切……っ!!」
そうだ、あれは疚しいことではない。そう自分に必死に言い聞かせながらもはそうぶんぶんと首を横に振り、否定する。
「本当か?」と訝しむノクシャスに、俺は更にうんうんと頭を縦に振った。
するとやや間があって、ようやくノクシャスは俺から手を離す。そしてそのままどかりと再びソファーに腰を沈めるのだ。
「……ならいいが、あいつは変態だからな。人を実験対象としか見ていねえ」
「た、確かにそれは……」
「つか……マッサージなあ。あいつがねえ? 珍しいこともあるもんだ。寝てる間に妙なもん仕込まれたり改造されてねえのか?」
「え……?!」
まさか、と咄嗟に自分の体を触ってみるが異変はない……はずだ。というか、ノクシャスの口ぶりからしてモルグには前科があるようだが……。
「ま、あいつは変態だけど腕は確かだしな」
「その、前に何かあったんですか……?」
「俺じゃねえけど、モルグと飲みに行って酔い潰れたりでもすりゃ次に目を覚ましたときは半身が機械になってたりよく分かんねえ薬の投薬されたりってのがしょっちゅうあんだよ。あいつはその度に『おかしいなあ~ちゃんと事前に許可はもらったんだけどねえ~?』って酔ってるときに書かせた誓約書出すんだけどな」
「そ、それは……」
怖すぎる……。そして地味にノクシャスのモルグのモノマネが似てる……。
「モルグさんとお酒飲むときは気をつけます」
「ああ、それがいいな」
と、言い掛けてノクシャスが動きを止める。
その顔がややばつが悪そうなものになるのを見てしまい、俺はノクシャスがなにを考えてるのか分かってしまう。
「……っと、その……だな。この前のことなんだが……」
言いにくそうにするノクシャス。お互いに触れないようにしていたのに、まさかノクシャスからこうして触れてくるとは思わず戸惑う。
今このタイミング、しかもあのときと似た状況である今こうして切り出されるのはあまりにも恥ずかしくて、咄嗟に俺は 「あの、ノクシャスさん!」と立ち上がった。
「うお……、なんだテメェ。声でけーな」
「お、俺は……その、全然気にしてないので……っ!!」
「…………は?」
「だから、その……あのときは俺もノクシャスさんも酔ってて、それで、不可抗力というか……っ仕方なかったと思います……っ!」
「………………………………」
沈黙。
勇気を出して先手を打ったが、ノクシャスの反応はあまりにも鈍かった。
「……あ、あの……ノクシャスさん……?」
俺、なんか言っちゃいましたか?
そう恐る恐る顔を上げると同時に、ノクシャスは手にしていた缶を片手でめきょりと捻り潰す。ぎょっとしたとき。
「……俺、お前になんかしたか?」
「………………へ?」
「記憶がねえんだ」
――あの日、お前の部屋に上がったあとの記憶が。
そうポツリと口にするノクシャスに今度は俺が固まる番だった。
「お、覚えて……ないんですか……?」
「お前のその言い方……俺、まさかまたやっちまったのか?」
「えっ、い、いや、その……ッ」
「おい。誤魔化すんじゃねえ、洗いざらい吐けよ」
「え、えええと……っ」
なんで俺が迫られてるのか。
いや、これは寧ろ言わない方がノクシャスのためではないかと思うが「おい! 吐け!」と胸倉を掴まれれば迫力のあまり「分かりました! 吐きます! 吐きますので許してください!」とこの口から勝手に言葉が出てしまう。
「よし、言え」
「で、でも本当に大したことはされてないので……本当に……お互いお酒入ってたくらいで……」
「御託は良いから早く言えっつってんだろ」
「は、はひ……っ!! え、ええと……その……ほんのちょっと、触られたくらいで……その、俺も触ったのでおあいこというか……っ!!」
「……ッ!!」
ノクシャスの顔が青ざめる。
しまった、余計なこと言ってしまったか。
「あ、で、でもあの! 俺も気持ちよかったので……っ!」
「き、気持ちよかっただと……?」
「あーその、違います……その、無理矢理とかじゃなくて……その、えーと……っみ、未遂ですので……っ!」
「未遂……っ?!」
これも駄目だったか。みるみるうちに顔つきが変わり、更に潰されていく缶だったものに息が停まる。
どうしたら、どうしたらいい。ノクシャスのプライドを傷つけずにこう、穏便に済ませるには……。
考えろ、考えろ。と今日一脳味噌を回転させ、閃く。俺はわなわなと震えるノクシャスの隣に移動し、その逞しい腕を掴んだ。
「お、俺から……誘ったことだったので……その、だから気にしないでください」
そう耳打ちをすれば、ぴくりと手のひらの下の上腕二頭筋が反応する。ぎろりとノクシャスの鋭い目がこちらを睨み、一瞬怯みそうになったが堪える。
「っ、お……まえ……」
そう、ノクシャスの顔が僅かに赤くなる。
そして、その唇がなにかを言いかけた矢先だった。
本日二度目の来訪者を報せるインターホンが鳴り響いたのだ。
今日は客人が多い。……が、このタイミングで来てくれるのはありがたい。俺はノクシャスから逃げるように立ち上がり、「ちょっと行ってきます」とノクシャスに告げて玄関口へと向かった。
ノクシャスの反応が恐ろしすぎて、後ろを振り返ることはできなかった。
そして玄関の扉を開けば、そこには。
「やあ良平君、おはよ~」
噂をすればなんとやらだ。
そこには珍しく私服姿のモルグが立っていた。
「モルグさん……? おはようございます。あの……」
「んー? ちょっと通りかかったから顔見に来ただけなんだけど~、今日の当番はノクシャスだっけえ?」
「あ、は……」
はい、と言いかけたとき。背後から伸びてきた腕が扉のドアノブを掴む。そして、モルグの目の前、勢いよく閉められる扉にぎょっとして振り返れば、背後にはノクシャスが立っていた。
「あの、ノクシャスさ……」
そんなにいきなり閉めるのは流石に、と言いかけた矢先。すぐに扉は開き、むっとしたモルグが覗き込む。
「ちょっと~ノクシャスいきなり閉めるの酷くな~い?」
「何しに来たんだテメェ」
「なにって、ちょっと様子見に来たんだよ。善家君は元気かなぁ~って。……ね、あれから調子はどう?」
そう、今度はノクシャスの背後にいた俺を覗き込んでくるモルグ。
いつもと変わらない調子で尋ねられ、『あれから』がいつを指すのか気付いた瞬間顔が熱くなった。
「え、えと……大丈夫です。お陰様で……」
「そ、なら良かった~。またしてほしくなったらいつでも言ってね」
ノクシャスがいる前でなんてこと言い出すのだ。
いや、違う。ただのマッサージのことを言ってるのだ、平常心、平常心……。
「またってなんだよ」
と思ってると、ノクシャスがずいと首を突っ込んでくる。
「ん? 前立腺マッ……」
考えるよりも先に扉を閉めてしまう。
が、すぐに扉の向こうからモルグにこじ開けられてしまう。
「ちょっと、善家君まで僕を閉め出すの……?!」
「モルグさん、モルグさん。取り敢えず、すみません朝食中なんで俺たちはこれで失礼します!」
「え、善家く……」
と、言い終わるよりも先にノクシャスが扉をバンッ!と閉める。そして施錠までの流れも早い。
……モルグには申し訳ないが、これ以上ノクシャスの耳に入れたくなかった。というか、あの人悪気はないのだろうが恐ろしすぎる。
「それじゃあ、食事に……」
戻りましょうか、と振り返ろうとしたとき。
目の前に立ちはだかる壁……ではなく、ノクシャス。その胸にぶつかってしまいその反動でよろめいてしまったとき、ノクシャスの腕に行く手を阻まれる。
「あ、あの……ノクシャスさん……」
「お前が言ってた『あれ』、前立腺マッサージなわけ?」
なんだ、何故尋問をされてるのか。というか胸圧に押し潰されそうになりながらも必死に俺は逃げ道を探す。が、見当たらない。
「……っ、そ、その……でも、その、リラックスできるマッサージだとお聞きして……」
「……お前、もうモルグに付き合うな。二人きりにもなるな」
「え」
「いいか?」と念押しされ、思わず言葉に詰まる。
「でもモルグさんは俺の相談にも乗ってくれて……良い人です……っ!」
「ほぼ初対面のやつ相手に前立腺マッサージするやつが良いやつなわけねえだろ」
「の、ノクシャスさんは俺にフェラさせましたよ……っ!!」
流石にモルグだけを悪者にするのもいたたまれず、必死に反論する俺にノクシャスの顔が引きつった。
「っ、それは……っ」
「お、覚えてないかもしれませんけど、『こっちも鍛えてあるんだけどしゃぶるか?』……みたいなことを言って……」
「うるせえ! テメェそれ以上言うとその口塞ぐぞッ!!」
「ひ……っ!」
お、怒った……! ノクシャスが怒った……っ!
慌ててノクシャスの腕から逃げ出し、近くのソファーの物陰に避難する。
ノクシャスは忌々しげに舌打ちをし、その髪をぐしゃぐしゃと搔いた。
「つうか全然触り合っただけじゃねえじゃねえか……っ!」
「で、でも……そこまででしたし……」
「お前の貞操観念はどうなってんだっ!」
……何故かノクシャスに叱られてしまう。薄々気付いていたがこの人、わりとまとも……なのかも知れない。やはり怖いが。
「……っ、とにかくだ。俺も酒は控えるけども、あいつは素面でああなんだよ。お前も危機感持てよ」
「……お前にだけは言われたくないだろうけどね、善家も」
そう、当たり前のように会話に混ざってくるその気怠げな少年の声にぎょっとする。
すると、いつの間にかソファーにはヴィランスーツのナハトが座って寛いでいた。仮面を嵌めたまま唯一露出した口元にピザを持っていき、そのままもぐもぐと齧っているナハトにノクシャスは舌打ちをする。
「うるせえ、つうか扉から入ってこい」
「……あんたらが玄関口で揉めてて邪魔だったからこうしただけ。てか、タバスコ掛けすぎやめて。……俺食えないから」
「お前のために用意したんじゃねえよ」
「あっそ」
一触即発とはまさにこのことだろう。
今にもブチ切れそうなノクシャスを前にナハトはいつもと変わらない様子だ。
あわわわと二人の間で右往左往してると、ノクシャスが先に折れた。そのままどかりと向かい側に腰を掛ける。
「善家はこっち……俺の横」
「ああ? なんでだよ」
「危機感は大事なんだろ?」
「ッ、ぐ……」
「はやく」ととんとんと犬を呼ぶみたいにソファーを叩くナハトに、俺は慌てて隣へと腰を掛ける。
なんだか空気が悪い気がしないでもないが、ナハトが来てくれて嬉しいというのが正直な感想だった。
「そういえば、ナハトさんお仕事で暫くこれないんじゃ……」
「……そ。今から出る予定だったけど、念の為様子見に来たらこの有様だし」
「モルグといいお前といい、どいつもこいつもんなに俺のことが心配なのかよ。ああ?」
「……あんたってより、こっちだけど」
言いながらツン、と腕を小突いてくるナハト。
顔を上げれば、仮面越しにナハトがこちらを見てる気配がした。
それもすぐ、ふい、とナハトは顔を逸す。
「お前宛の依頼は面倒なのが多いからな。精々頑張れよ」
「……あんたに言われなくてもそのつもり」
「あの、ナハトさん。どれくらいいないんですか……?」
「予定では二、三日。……殺すだけなら簡単なんだけど」
その言葉を聞いて、あ、と思った。
……そうだ、ここ最近すっかり平和ボケしていたので忘れていたがナハトの仕事というのはつまり……そういうことなのだ。
決して人の為になるものではない、どこかの誰かの命を奪う。それでもナハトの身を案じてしまう自分がいて、戸惑った。
……人を殺すのはよくないことだと思っていたのに、俺……。
項垂れてると、下からナハトが覗き込んできた。
「……なにその顔」
「ナハトさん、気をつけて……」
「っは、良かったなあナハト。お前のこと心配してくれるやつがいてくれてよお」
「……うっさいし。てか、俺がヘマするわけないじゃん。……お前は俺がいない間自分のことだけ考えてなよ」
そう言って、ナハトは静かに立ち上がる。
「あと、ゲームも練習してなよ。……どうせ暇なんでしょ」
「は、はい……」
「じゃ、後片付けよろしく」
そう言った矢先だった。ナハトが仮面を嵌め直したと思った次の瞬間、ほんの一瞬でそこにいたはずのナハトの姿は消えていた。
……もう行ってしまったのだろう。
分かってはいたが、ここ最近ナハトといることが多かったのでほんの少し寂しくなってる自分がいることに気付いた。
「ナハトさん……」
「なに寂しがってんだ。……んな顔してっからモルグの野郎に付け込まれるんだろ」
「す、すみません……」
それからナハトがいなくなった部屋の中、俺達はすっかり冷めていた料理を平らげることとなる。
115
お気に入りに追加
943
あなたにおすすめの小説
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる