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SSS
巻末
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初めての失恋だった。そもそも、人を好きになったのも初めてだった。毎晩胸を焦がすこれが恋だと気付いて俺はいても立ってもいられなくなったのだ。
会いに行こう。そう思い、上着を羽織ってあいつの家へと向かった。
あいつは今時の高校生にしては珍しく携帯電話を持っていない。というよりも、持っているには持っているが、それは家族専用のものというのだ。
番号は知っていた。血迷って一度連絡してみたが、やはり応答はなかった。当たり前だ。家にいるときは電話できないといっていたし。賭けのようなものだった。
それでもじっとしていられなくなって、一か八かであいつの家へと向かった。
午後11時。静まり返った夜の街。その一角、どんと佇む大きな日本家屋。あいつの家は既に明かりが落ちていた。皆眠ってるのか。来たはいいが、俺はあいつの部屋の位置も知らない。結局、燻る恋心をどうすることもできないまま自宅へと引き返した。けれど、ひとつだけわかったことがある。この熱は夜の冷たい空気に充てられても冷えなかった。一過性のものではない。
俺は、そのときの自分の選択を今でも悔やんでいた。このとき俺があっさり引かず、無理矢理にでもあいつに会いに行ったらきっとまた未来は違ったのだろうと思った。
翌日、あいつは死んだ。
強盗殺人だった。あいつだけではない、あいつの父親も、母親も、殺された。
家には火が放たれた。夜中寝静まり返った街をけたたましいサイレンを鳴らしながら消防車が駆け抜けていくのをうるせえななんて思いながら寝返りを打った早朝四時頃、その時間にあいつの体は炎に包まれていた。
朝起きてつけっぱなしのテレビを見ていたら流れてきた見覚えのある町並みと『一家殺人』という禍々しい見出し。続いて表示されたあいつの名前に、俺は、持っていたカップを落とした。
人は、許容量を超えると何も感じなくなるらしい。何を見ても何を聞いても何も感じなかった。何を食べても、何を言われても、まるで現実として受け止められなかった。
あいつの家に行けば、たくさんのマスコミと警察、そして野次馬がいた。俺は、それを遠巻きに眺めることしかできなかった。
犯人は逃走中らしい。野次馬が言っていた。戸締まりには気をつけないとと、口々にする。
既にあいつの死体は運ばれた後だったようだ。残っていたのは最早瓦礫と化したあいつの家だけ。
昨日、あいつを送った家。俺が『今日俺の家に泊まれよ』と言えば、その一言だけで、あいつは焼死体になることなんてなかったのに。そう思うだけで、心臓がぽっかりと空いたような虚無感を覚えた。涙は、やっぱり出なかった。
俺は、その場を離れた。そして、毎朝あいつと登校していたその道程を歩いていく。
あいつは、言えば友達がいないやつだった。というよりも、本人も必要としていなかったし、それを察した周りも無理にあいつにつるもうとしなかった。自然と一人で行動するあいつをみて、妙な親近感が湧いたのがきっかけだ。
好きな作者が同じだった。最初は語り合って、それから本の貸し借りをするようになる。そして一緒に本屋に行くことになるまでにあまり時間は掛からなかった。
俺は読書家ではない。テレビも読むしゲームもする。漫画も読むし、何か一つのことに集中することは寧ろ苦手な部類だろう。気紛れに本を手を取ることはあるが、それも読書家と呼ばれる人たちに比べると取るに足りないレベルだ。
その選んだ一冊がただ、あいつと同じだけだったという話だ。
けれど、あいつと話すようになってあいつに勧められた本を読むと、没頭してしまうのだ。あいつと同じ世界を見てるようで、堪らなく、胸が熱くなるのだ。変なものだ。そのときからきっかけはあったというのに、俺は。
本屋の前を通り過ぎる。制服姿の生徒たちが、あいつの家の方を指差してなにかを話していた。
公園の前にはバスを待つ子供たちと、数人の主婦がいた。恐々とした様子で噂話をし合うその人たちの横を通り過ぎたとき、「あの制服、確か息子さんと同じところの……」という声が聞こえてきた。
あいつとは、本の話ばかりをした。学校の話をしても、勉強の話をしても、あいつは興味を示さない。聞いているのか聞いていないのか分からないような手応えのない反応。そんなあいつが、読みかけの俺の本に興味を示したのだ。
あいつは本をよく読んでいた。一人でいるときはたいてい本を手にしていたような記憶がある。騒がしい教室の中、あいつの周りだけ時間が停まったみたいに静まっていたのをよく覚えている。
あいつは、本が好きだと言っていた。どうして好きなのかと聞けば、あいつは笑った。『自分が主役になったみたいだから』と、少しだけ恥ずかしそうに。
学校の前にはマスコミと教師がいて、何やら揉めている様子だったが、俺はそれを避けて校門をくぐった。
自分が主役になった世界。それは今ではないのか、なんて、臭い台詞を言うこともできないまま俺はそのときあいつの言葉を静かに聞き流していた。
あいつの家は、少し変わっていた。門限があり、それに少しでも遅れれば家に入れてもらえないのだという。そして、紙を放られる。家に入れてもらうには反省文を書かなければならないらしい。そこに謝罪の言葉と、自分の名前を書くのだ。あいつが小学生のとき、学校の話し合いが長引いて遅くなって泣きながら反省文を書いたという。
門限は6時。高校生になり学校も近くなり、寄り道する時間くらいはできた。そしてその時間を活用して図書館と本屋に足を運んでいたという。
過保護、と言えばそれまでだろう。けれど、親が放任主義の俺からしてみれば俄信じられなかった。
逆らえば殴られるのだろう。あいつは言わなかったが、体育の着替えるときに背中にアザが出来てるのを見たとき確信した。
何度か俺が親に言いに行ってやろうかとも言ったが、あいつは血相を変えて俺を止めた。こっちの事情だからと。それに、自分のせいだからとも言った。
正直に言おう。俺はあいつの家族が死んだことに関しては清々している。話したこともなければ、顔も見たこと無い。けれど、あいつがあんな風にこそこそと、好きなことも堂々とできずにいるのを見ると哀れに思えるのだ。学校が好きだと言うあいつの顔を思い出しては、腸が何度も煮え繰り返りそうになった。できることなら酷ったらしく、痛みに苦しんだ挙句死んでほしいと思うのだ。
だけど、あいつまで死んだのなら意味がない。
教室の中は騒然としていた。俺が教室に入るなり、先程まで騒いでいたクラスメートたちは一斉に静まり返った。
視線が突き刺さる。俺は、真っ直ぐに自分の席へと進んだ。
あいつの席は、当たり前だが空いていた。周りの音が、遠くなる。またあいつが澄ました顔で本を読んでる気がしてならないのだ。
鞄の中から、あいつに借りたままだった本を取り出した。
ファンタジーの冒険物語を好むあいつには珍しく、読んでてムズムズするような甘い恋愛小説だった。恋愛小説を全くと言っていいほど読まないからか進まなくて、借りて大分経っていた。けれど、今となっては、これもあいつの見てきた世界の一部であると思うと持っているそれが急に重みを増すから不思議なものだ。
読んだら感想を聞かせてほしいと、そうあいつは言った。感想と云われても、と思いながら本を開く。どうやって伝えればいいのだろうか。パラパラとページを捲ったとき。最後のページに書き込みがあることに気付いた。手を止め、ページを戻す。あとがき。その右下の余白部分。
『助けてくれ。』
何度も消した跡、その上に書き込まれた細い文字を見た瞬間、今まで受け流してきたすべてが一斉に自分の中に流れ込んできた。色、声、温度、痛み、全部、全部。気が付けば、クラスメートたちの目が集まっていた。俺は、今まで読み進めていなかった自分を殺したくてたまらなくて、あいつがどんな気持ちで俺の返答を待ち望んでいたかと思うと、申し訳なくて、悔しくて、こんなザマであいつのことが好きだと言っていた自分がただ殺したくて消したくてそれで俺は。俺は、本を握り締めたまま教室を飛び出した。
初めての失恋だった。あいつの想いを踏み躙ったのは、俺だ。
夕方、新しいニュースが流れた。一家強盗殺人事件。死亡時刻は深夜11時前。強盗の仕業と思われたその事件の犯人は父親だったという。午前3時、自分の息子と母親を殺した父親は家に火を放ち、自害した。
俺は、リモコンを手に取り、テレビを消した。
会いに行こう。そう思い、上着を羽織ってあいつの家へと向かった。
あいつは今時の高校生にしては珍しく携帯電話を持っていない。というよりも、持っているには持っているが、それは家族専用のものというのだ。
番号は知っていた。血迷って一度連絡してみたが、やはり応答はなかった。当たり前だ。家にいるときは電話できないといっていたし。賭けのようなものだった。
それでもじっとしていられなくなって、一か八かであいつの家へと向かった。
午後11時。静まり返った夜の街。その一角、どんと佇む大きな日本家屋。あいつの家は既に明かりが落ちていた。皆眠ってるのか。来たはいいが、俺はあいつの部屋の位置も知らない。結局、燻る恋心をどうすることもできないまま自宅へと引き返した。けれど、ひとつだけわかったことがある。この熱は夜の冷たい空気に充てられても冷えなかった。一過性のものではない。
俺は、そのときの自分の選択を今でも悔やんでいた。このとき俺があっさり引かず、無理矢理にでもあいつに会いに行ったらきっとまた未来は違ったのだろうと思った。
翌日、あいつは死んだ。
強盗殺人だった。あいつだけではない、あいつの父親も、母親も、殺された。
家には火が放たれた。夜中寝静まり返った街をけたたましいサイレンを鳴らしながら消防車が駆け抜けていくのをうるせえななんて思いながら寝返りを打った早朝四時頃、その時間にあいつの体は炎に包まれていた。
朝起きてつけっぱなしのテレビを見ていたら流れてきた見覚えのある町並みと『一家殺人』という禍々しい見出し。続いて表示されたあいつの名前に、俺は、持っていたカップを落とした。
人は、許容量を超えると何も感じなくなるらしい。何を見ても何を聞いても何も感じなかった。何を食べても、何を言われても、まるで現実として受け止められなかった。
あいつの家に行けば、たくさんのマスコミと警察、そして野次馬がいた。俺は、それを遠巻きに眺めることしかできなかった。
犯人は逃走中らしい。野次馬が言っていた。戸締まりには気をつけないとと、口々にする。
既にあいつの死体は運ばれた後だったようだ。残っていたのは最早瓦礫と化したあいつの家だけ。
昨日、あいつを送った家。俺が『今日俺の家に泊まれよ』と言えば、その一言だけで、あいつは焼死体になることなんてなかったのに。そう思うだけで、心臓がぽっかりと空いたような虚無感を覚えた。涙は、やっぱり出なかった。
俺は、その場を離れた。そして、毎朝あいつと登校していたその道程を歩いていく。
あいつは、言えば友達がいないやつだった。というよりも、本人も必要としていなかったし、それを察した周りも無理にあいつにつるもうとしなかった。自然と一人で行動するあいつをみて、妙な親近感が湧いたのがきっかけだ。
好きな作者が同じだった。最初は語り合って、それから本の貸し借りをするようになる。そして一緒に本屋に行くことになるまでにあまり時間は掛からなかった。
俺は読書家ではない。テレビも読むしゲームもする。漫画も読むし、何か一つのことに集中することは寧ろ苦手な部類だろう。気紛れに本を手を取ることはあるが、それも読書家と呼ばれる人たちに比べると取るに足りないレベルだ。
その選んだ一冊がただ、あいつと同じだけだったという話だ。
けれど、あいつと話すようになってあいつに勧められた本を読むと、没頭してしまうのだ。あいつと同じ世界を見てるようで、堪らなく、胸が熱くなるのだ。変なものだ。そのときからきっかけはあったというのに、俺は。
本屋の前を通り過ぎる。制服姿の生徒たちが、あいつの家の方を指差してなにかを話していた。
公園の前にはバスを待つ子供たちと、数人の主婦がいた。恐々とした様子で噂話をし合うその人たちの横を通り過ぎたとき、「あの制服、確か息子さんと同じところの……」という声が聞こえてきた。
あいつとは、本の話ばかりをした。学校の話をしても、勉強の話をしても、あいつは興味を示さない。聞いているのか聞いていないのか分からないような手応えのない反応。そんなあいつが、読みかけの俺の本に興味を示したのだ。
あいつは本をよく読んでいた。一人でいるときはたいてい本を手にしていたような記憶がある。騒がしい教室の中、あいつの周りだけ時間が停まったみたいに静まっていたのをよく覚えている。
あいつは、本が好きだと言っていた。どうして好きなのかと聞けば、あいつは笑った。『自分が主役になったみたいだから』と、少しだけ恥ずかしそうに。
学校の前にはマスコミと教師がいて、何やら揉めている様子だったが、俺はそれを避けて校門をくぐった。
自分が主役になった世界。それは今ではないのか、なんて、臭い台詞を言うこともできないまま俺はそのときあいつの言葉を静かに聞き流していた。
あいつの家は、少し変わっていた。門限があり、それに少しでも遅れれば家に入れてもらえないのだという。そして、紙を放られる。家に入れてもらうには反省文を書かなければならないらしい。そこに謝罪の言葉と、自分の名前を書くのだ。あいつが小学生のとき、学校の話し合いが長引いて遅くなって泣きながら反省文を書いたという。
門限は6時。高校生になり学校も近くなり、寄り道する時間くらいはできた。そしてその時間を活用して図書館と本屋に足を運んでいたという。
過保護、と言えばそれまでだろう。けれど、親が放任主義の俺からしてみれば俄信じられなかった。
逆らえば殴られるのだろう。あいつは言わなかったが、体育の着替えるときに背中にアザが出来てるのを見たとき確信した。
何度か俺が親に言いに行ってやろうかとも言ったが、あいつは血相を変えて俺を止めた。こっちの事情だからと。それに、自分のせいだからとも言った。
正直に言おう。俺はあいつの家族が死んだことに関しては清々している。話したこともなければ、顔も見たこと無い。けれど、あいつがあんな風にこそこそと、好きなことも堂々とできずにいるのを見ると哀れに思えるのだ。学校が好きだと言うあいつの顔を思い出しては、腸が何度も煮え繰り返りそうになった。できることなら酷ったらしく、痛みに苦しんだ挙句死んでほしいと思うのだ。
だけど、あいつまで死んだのなら意味がない。
教室の中は騒然としていた。俺が教室に入るなり、先程まで騒いでいたクラスメートたちは一斉に静まり返った。
視線が突き刺さる。俺は、真っ直ぐに自分の席へと進んだ。
あいつの席は、当たり前だが空いていた。周りの音が、遠くなる。またあいつが澄ました顔で本を読んでる気がしてならないのだ。
鞄の中から、あいつに借りたままだった本を取り出した。
ファンタジーの冒険物語を好むあいつには珍しく、読んでてムズムズするような甘い恋愛小説だった。恋愛小説を全くと言っていいほど読まないからか進まなくて、借りて大分経っていた。けれど、今となっては、これもあいつの見てきた世界の一部であると思うと持っているそれが急に重みを増すから不思議なものだ。
読んだら感想を聞かせてほしいと、そうあいつは言った。感想と云われても、と思いながら本を開く。どうやって伝えればいいのだろうか。パラパラとページを捲ったとき。最後のページに書き込みがあることに気付いた。手を止め、ページを戻す。あとがき。その右下の余白部分。
『助けてくれ。』
何度も消した跡、その上に書き込まれた細い文字を見た瞬間、今まで受け流してきたすべてが一斉に自分の中に流れ込んできた。色、声、温度、痛み、全部、全部。気が付けば、クラスメートたちの目が集まっていた。俺は、今まで読み進めていなかった自分を殺したくてたまらなくて、あいつがどんな気持ちで俺の返答を待ち望んでいたかと思うと、申し訳なくて、悔しくて、こんなザマであいつのことが好きだと言っていた自分がただ殺したくて消したくてそれで俺は。俺は、本を握り締めたまま教室を飛び出した。
初めての失恋だった。あいつの想いを踏み躙ったのは、俺だ。
夕方、新しいニュースが流れた。一家強盗殺人事件。死亡時刻は深夜11時前。強盗の仕業と思われたその事件の犯人は父親だったという。午前3時、自分の息子と母親を殺した父親は家に火を放ち、自害した。
俺は、リモコンを手に取り、テレビを消した。
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