人生の汚点様

田原摩耶

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「……なんだよ、それ」

 大聖の手に再び掴まれそうになり、思わずビクリと反応したときだった。
 部屋の扉がコンコンと叩かれる。
「ねえ、どうしたの?」と扉の向こうから聞こえてくるのはゆまの声だ。
 眠たげなその声に、大聖は俺から手を離した。そして、そのまま部屋の扉を開いた。

「悪い、起こしたか? ……なんもねえ、ちょっと揉めただけだ」
「え、ちょっと大聖君、鼻血……?!」
「ああ、大丈夫大丈夫。――俺、もう帰るわ」

「えぇっ?」と驚くゆまに「じゃあな」とその頭をわしわしと撫で、出ていく大聖。
 俺は暫くやつの方を見ることはできなかった。

 あいつのことだからもっと、子供じみた駄々でも捏ねると思ったのに。

「ちょっと、兄ちゃん。大聖君と喧嘩したの?」
「……してねえよ」
「って、兄ちゃんもなんか血が……」

 大丈夫?と覗き込んでくるゆまにハッとし、俺は慌ててそこらに転がってたティッシュで口元を拭った。

「大丈夫だ。……もういい、寝てろ」
「寝てろって言われても」
「起こして悪かったな」
「……」

 変なものを見るかのような目でこちらを見ていたゆまだが、空気読みは相変わらず得意のようだ。ゆまは「わかった」とだけ言ってそのまま部屋を出た。

 パタンと静かに閉められる扉。部屋の窓から外を確認すれば、大聖が家を出ていくのが見えた。
 大聖が家を離れるのを確認し、それから、口の中があまりにも鉄臭いので俺はそのまま洗面所へと向うことにする。

 ……腹の中、まだ気持ち悪い。
 まだ口の中に大聖の舌が突っ込まれているような感覚がする。早く、口を濯ぎたい。

 その時の俺はとにかく大聖の身勝手なふるまいへの怒り諸々で冷静では居られなかったが、今だったら分かる。あの時の大聖のあの面、まるで何故俺に拒否されたのか理解できなかったって顔だ。
 俺も軽率だった。あいつが強引だったとしても、部屋に招き入れる真似なんかしたら“思い違い”を助長させてしまう。
 が、結果的に大聖は理解したのだろう。

 その晩をきっかけに、再び俺達の関係は変わった。
 というよりも、主に変わったのはあいつだ。
 あんなことをしてても昔のように振る舞っていた大聖の態度は“他人”になった。いや、もしかしたらもっと冷たいものかもしれない。

 そして、俺自身も。

「明日真君、あの、好き――」
「いいよ」
「……え?」
「付き合いたいんだよね。……いいよ、じゃあよろしく。……取り敢えず、連絡先の交換だけしておこうか?」

 目の前、狼狽える女子生徒に笑いかける。
 大聖のことがあってから、人と関わりたくなくて、裏切られたくなくて、自分から深く人と繋がるのを避けていた。
 けれど、そのせいで大聖に勘違いさせたのだと思うとなによりも癪だった。これは、あいつへの腹いせのつもりでもあった。
 数年振りに恋人が出来た。顔も名前も知らない子だったけど、ちょうどタイミングがよかったから。
 それから、香春たちともよく遊ぶようになった。今まで断ってきた分、誘われたら取り敢えず顔を出すようにした。

「なあ、明日真。お前、なんかあった?」

 そして、その日も香春と立ち寄ったカフェで気になってたケーキを頼んだときた。
 向かい側に腰をかけた香春は声を潜め、ド直球に尋ねてくるのだ。

「何って、何がだよ」
「色々だよ。……急に彼女作るし、その割に俺達とも遊んでくれるし……」
「友達の大切さに気付いたんだ」
「そりゃ結構だけどさ、例の彼女とはどうなってんの?」
「…………さあ?」
「さあっ?!」
「おい、香春声でかいって」
「やべ……いやいや、さあって何だよ」

 まあ、どうせいつか突っ込まれるとは思っていた。

 恋人ができたあと、取り敢えず人との付き合い方を思い出そうと理想の彼氏をしてみようとした。努力はした。
 けれど――早い話、駄目だった。
 キスをする空気になった瞬間、全身に悪寒が走る。誤魔化そうとしてきたが相手から迫られ、とうとう俺は『ごめん』とだけ言い残して、その場から逃げ出してしまったのだ。


「色々あって、気まずくなってからそのままになってる。多分、このまま自然消滅コースかな」
「…………」
「香春?」
「……いや、なんか、変わったな。お前」

 心臓が軋む。自覚するのと、友人から言われるのとでは大分違う。
 それに、否定することはできなかった。

「それで自然消滅狙ってんだろ? そんなことすんなら最初から今まで通り振ればいいのに、またどうして」
「……どうしてって聞かれると、困る」
「なんで?」
「……多分、香春にも引かれるから」

 自然と語尾は消え入りそうになってしまう。
 呟く俺に、香春は笑った。快活な笑顔で。

「大丈夫だよ。寧ろ明日真のクズエピソード聞くと、お前も同じ人間なんだって安心出来て好きよ」
「……身も蓋もないな」
「今までがお綺麗すぎたんだもん。だってお前、その面で数年彼女なしとかまじか? ってなるじゃん、修行僧かと思ったし」

 褒められてるのか、これは。
 あまりいい気分ではなかったが、香春に今の自分を受け入れてもらえて嬉しい自分も確かにいた。
「そりゃどうも」と呟き、カフェラテに口つける。

「ま、それなら一層彼女なんて拘らずに遊んじゃえばいいじゃん」
「遊ぶって……」
「そういや、この前の男の先輩とかどうなん? 女の子が無理なら、男はイケるかもよ」
「何言ってんだよ、無茶言うなよ」

 カラカラと笑う香春。けれど、香春の言葉は俺の胸に突っかかっていた違和感をほんの少し解してくれた。
 ……遊ぶ、か。
 その言葉を聞いてどうしても大聖が過る。そうだ、あいつも女遊びは酷い方だ。
 同じところに落ちたくないという気持ちもある反面、今このままでは余計トラウマになりそうな気がしている自分もいた。

「……善処するよ」

 あいつばかりが楽しんで、何故俺がこんなに苦しまなければならないのか。
 そんな理不尽な関係性にただただ嫌気が差していた。

 ――このときの俺は自暴自棄になっていたのだと思う。
 自分でも分かっていたが、傷を誤魔化すためにはまた新しい傷を作って記憶を塗り替えるのが一番手っ取り早い。
 大聖のことを忘れたいがため、使えるものは全て使おうとしていた。
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