どうしょういむ

田原摩耶

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お前らとの関係を断ち切る方法を考える。五日目。

嘘吐きと嘘吐き

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 サダと別れ、俺はこそこそと逃げるように慈光家までやってきた。
 途中であいつらと鉢合わせになるんじゃないかと思っていたが、どうやら杞憂だったようだ。道中何事もなく辿り着いたが、こうやって一人で慈光家へと帰宅するのは初めてのことで、どんな顔をしてこの扉を叩けばいいのかわからず暫く右往左往するハメになる。
 結局、インターホンを鳴らすことにした。
 オバサンに扉を開けてもらい、俺は慈光家へと足を踏み入れた。

「おかえりなさい、遠君」
「た、ただいま……です」
「あら、一人? 燕斗と会わなかった?」

 よし、あいつらの靴はないな、と玄関口の靴を確認していたときのことだ。
 さらっとオバサンの口から出てきた言葉に、「え?」と俺は思わずアホみたいな声を出してしまう。

「さっき遠君迎えに行くって出ていったけど、もしかして入れ違いになったのかもね」
「……」

 まさか。いやまさか。
 そんなわけない。大丈夫だ。俺の悪いところはなんでも悪い方を想定してしまうところだ。大丈夫だ、まだバレたわけではない。
 それに、今回はちゃんと燕斗にも迎えはいらないというメッセージを送ってたはずだ。

 そう、上着のポケットに突っ込んでた携帯を取り出そうとしたときだ。
 背後の扉がガチャリと音を立て開く。
 そして、

「ただいま」

 ――なんつータイミングだ。
 噂をすれば、というやつか。丁度帰ってきた燕斗は、玄関口で突っ立ってた俺の姿を見て目を丸くした。

「え、燕斗」
「なんだ、美甘の方が早かったみたいだね」

 もしかして、サダと一緒にいたところを見られたのではないか。
 そんな嫌な予感に冷や汗を滲ませていた俺だったが、対する燕斗の反応はあくまでもいつもと変わらなかった。

 ……本当に入れ違いになってただけか?
 ……俺の考え過ぎなのか?

「あ、ああ……そうだな」
「一人で帰ってきたんだ?」
「……そう、だけど」
「なんだ、それなら学校で待っててくれたらよかったのに」
「いや、流石にそれは……遠いし、お前も疲れるだろ」

 靴を脱ぎ、スリッパへと履き替える燕斗に倣って俺も慌てて靴を脱ぎ、廊下へと上がる。

「疲れるなんて。……美甘の顔を見られたら疲れなんて吹き飛ぶよ」
「……なに言ってんだよ」

 そんな他愛ない会話をながら、俺は洗面台へと手を洗いに行く。そんな俺の後ろからついて洗面所へと足を踏み入れる燕斗。昨晩宋都に抱かれた場所で燕斗と二人きりになるのは抵抗があったが、ここは平常心だ。
 さっさと手を洗って洗面所を出よう。そう、ハンドソープで泡立てた手を水で洗い流そうとしたとき。背後から伸びてきた手にそのまま手を握られた。

「っ、な、おい、燕斗……」

 ぬる、と大きな燕斗の手は手の甲ごとすっぽりと握り、そのまま指を絡めてくる。
 衛生的にも感触的にも不快でしかない。離れろよ、と背後から抱きしめてくる燕斗を見上げようとしたとき、燕斗と目があった。

「ところで美甘、美甘って俺の嫌いなもの、覚えてる?」
「は? 嫌いなものって……茄子……」
「それは6歳のときに克服した。……他には?」

 ぬち、にちゅ、と更にソープを足した燕斗は俺の手を両手で包み込むように握りしめる。泡立てるというよりも、皮膚に塗り込むような絡め方がただただ嫌で、気が散る。
 なにを聞かれてるのか、何を試されているのか俺にはわからない。

「なに、嫌いなものって……」
「言って、この前教えたばっかだろ」

 頭を回転させれば、数日前燕斗が酷く怒っていた日のことを思い出す。
 忘れもしない、あれは俺が無断でサダの家に泊まりに行ったときのことだ。
 その日の深夜早朝、宋都が俺を迎えに来たのだ。

「……っ、…………うそ?」

 無意識の内に声が震えていた。燕斗はにっこりと目を細めて笑った。

「ああ、そうだよ」と溢れ出す水が手にまとわりついていたソープを洗い流していく。ぬめりがなくなり、濡れた燕斗の手の感触だけがしっかりと残っていた。

「……」
「ちゃんと手を拭いて、アルコール消毒もしないとね」
「え、んと……あの……」
「ほら、美甘。袖が濡れてる」
「燕斗――」

 離してくれ、と手を振り払おうとしたとき、俺の手首をそのままがっちりと掴んだ燕斗はそのまま強引に袖を捲くり上げた。

「……まだ汚いな」

 そして、ぼそりと吐き出されたその言葉に背筋が震えた。
 やっぱり、見ていたのか。
 青ざめる俺を無視して、何度も何度も手を洗わせた燕斗はそのままタオルで手を拭う。それから指先から滴るほどのアルコールを吹き掛けられ、消毒させられるのだ。
 俺はその間言葉を発することも、燕斗の顔を見ることもできなかった。
 ただの過保護だと思いたいのに、『見られていたのではないか』という恐怖に支配され下手になにも言えないのだ。

「消毒したら、次は着替えないとね。……ほら、制服脱いで美甘」
「……っ、燕斗」
「いいから脱げって言ってるんだよ、美甘」

「聞こえなかったか?」と微笑んだまま続ける燕斗。その目は笑っていない。
 従うことしかできなかった。下手に逆らったときの後が怖いのもある。上着を脱ぎ、そのまま震える指先でシャツのボタンを外していく。

「脱いだやつはこっちに渡すんだよ、美甘」
「……わ、わかった」
「別にわざわざ背中向けなくてもいいのに」

 恥ずかしいから、ではない。見られたくなかった。見られるのが怖かった。こんな明るい場所で、昨夜の感触もまだ浅い内に。
 背中に突き刺さるほどの燕斗の視線を感じながら、俺は脱いだばかりの体温が残ったシャツを燕斗に渡した。
 それを受け取った燕斗はそのまま洗濯機へと突っ込む。そして、代わりに着替えを手にした燕斗がそれを着せてくるのだ。

 前にもこんなことはあった。燕斗に見守られながら服を着替える。死刑囚のような気分のまま、燕斗に服を着せられそうになったとき。不意に伸びてきた指に項の辺りを撫でられ、びくりと体が震えた。

「っ、……な、なに……」
「美甘、何をさっきからそんなにビクビクしてるんだ?」
「お、お前が……近いから」
「今更だろ、そんなの」
「……っ、ぁ……」

 ちゅ、と項に押し当てられる柔らかな唇の感触に驚くのも束の間、そのまま軽く吸い上げられた瞬間、濡れた音が洗面所に響く。
 燕斗、と、背後の男を押し退けて止めようとしたとき。そのまま強く項を噛まれた。

「ぃ゛ッ、う゛……っ」
「美甘」
「え、燕斗、ぃ、痛い……っ」
「……美甘」

 いきなり噛まれたと思いきや、今度はじんじんと甘く痺れだすそこに舌を這わされるのだ。ぴちゃ、と濡れた音を立て、ぬめる燕斗の舌の熱に噛まれた箇所が疼く。
 奥歯を噛み締め、声を殺そうとしたとき。目の前の鏡越しに燕斗と目があった。
 見たことがないほど冷たい目をした燕斗と、目が。

「――嘘吐き」

 そして、その唇が動くのを見た瞬間、全身が凍りついた。

「え、んと……ッ、んぅ……っ!」

 どうにかしてこの場を乗り切らなければならない。
 そう思った矢先、顎を掴んだ燕斗の指が唇に触れる。つうっと薄皮の上、なぞるように這わされる指先にひくりと喉が震えた。

「嘘を吐いたのはこの口か? ……なあ、美甘。一人で帰ったんじゃなかったか?」
「っ、そ、れは……っ」
「――まだあいつに付きまとわれているのか?」

 細められる燕斗の目。一層低くなるその声に、嫌な予感が駆け抜けていく。
 燕斗がまた、サダに絡みに行くという最悪の予感が。
 それだけは避けなければ。その一心で、咄嗟に「違うっ」と声を上げた。

「つ、付きまとわれてるんじゃない……サダは違う……っ!」
「……違う?」
「た、たまたま……そっ、そうだよ、たまたま会ったんだ」
「たまたま会って、仲良く手まで繋いでいたのか」
「っ、……ッ!」
「……たまたま道端で会ったどうでもいい男と手を繋ぐのか、美甘は」

「……俺に嘘を吐いて、聞き苦しい言い訳並べて誤魔化してまで」肩のラインを撫でていた燕斗の指が、ぐ、と皮膚に食い込む。その痛みに堪らず逃げようとするが、足が震えて動けない。
 鏡の中、燕斗は俺を見詰めていた。ただじっと、冷たい目で。こちらを。

「残念だよ。美甘」

 そう呟く燕斗の表情に、最早笑みはなかった。
 最悪、燕斗に嫌われるのならば仕方ないと諦めがついた。いっそのこと、その方が気楽なのかもしれない。
 ――けれど、こいつは。

「こっちに来い、美甘」

 俺がお前を綺麗にしてやる。
 そう、燕斗は俺の手を取る。逃げ出そうと思えば逃げ出せた。おそらく、それがいい。けれど、逃げたところでこいつは追いかけて来ることを知っていた。

「美甘」

 ここは、なるべく刺激しては駄目だ。
 本気で怒っているときの燕斗のことは俺がよく知っている。そして、そんなやつを落ち着かせる方法も、残念ながら俺は知ってる。

 ――こいつに逆らわないこと。
 口は災いの元だ。平穏無事に約束の一週間を過ごすためには、余計なことを言わずにこいつに従っておくのが吉。
 そんなこと分かっているはずだが、心がそれを拒否する。

「……っ、ぃ、やだ」
「なんだって?」

 こちらを振り返る燕斗。その眉間がぴくりと反応する。

「え、燕斗……怒ってる……から、やだ」
「…………」
「嘘吐いたのは……悪かった、けど、ぉ、俺だって……言いたくないことの一つくらい……」
「あっていいわけないだろ、美甘」

 言いかけた瞬間、伸びてきた燕斗の手に顔を掴まれる。口元を覆うように手のひらで塞がれ、息苦しさに逃げようとするが敵わなかった。
 顔面を掴んだまま、燕斗は俺を風呂場へと引きずっていく。

「んぐ、……っ、ぅ……っ!」
「俺に嘘を吐くな。俺に隠し事をするな。俺を欺けると思ってるのか、美甘」
「っは、なし、……っ」

 離してくれ、と慌てて逃げようとすれば、更に強い力で引っ張られる。
 風呂場の中、シャワーを手にした燕斗はこちらを見下ろした。
 そしてシャワーヘッドから勢いよく水が噴き出す。

「っ、冷た……ッ!」
「安心しろ、すぐに丁度いい温度になるはずだ」
「え、んと……ッ」
「今のお前に必要なのは頭を冷やすことだよ。美甘。今までろくに人付き合いしてこなかったから、今こうやってお前は上辺だけの薄っぺらいリップサービスに踊らされるハメになるんだ」
「っ、ち、違う……サダはそんなんじゃない……」

 降り注ぐ冷水のシャワーが次第にぬるくなっていく。それでも、指先まで凍りついていくような感覚は抜けなかった。
「違わない」と、即答する燕斗がただ怖くて震えが止まらない。
 それでも、このままでは。

「お前はあの男に騙されてるんだよ。……可哀相なやつ。散々教えてきただろ、俺たち以外を信用するなって」
「……っ、燕斗……っ!」
「お前には良い顔するだろうな、そりゃあ。口説き落とすのにわざわざ汚い本性を出す男はいないよ」
「っ、やめろ……っ、これ以上サダのことを悪く言うのは――……んんッ!」

 やめろ、と言いかけた矢先、顎を掴まれる。抵抗する力もなかった。俺の顎を掴み、真正面を向かせた燕斗はそのまま深くキスをしてくる。

「っ、ん、ぅ……っ! ふ、……っ、ゃ、え、……っ、ん゛む……ッ!」

 自分まで濡れてしまうことも構わず、シャワーの水を被った燕斗はそのまま何度も唇にしゃぶりつき、強引に舌で口をこじ開けてくるのだ。
 ふざけんな、やめろ。そう舌も噛んでやりたいのに、弱いところを散々知り尽くした燕斗に咥内の粘膜を舐められるだけで体の奥がじんわりと熱くなってしまう。

 執拗なキスで散々咥内を荒らされ、体から力が抜け落ちそうになったとき。俺の体を支えた燕斗は唇を離した。

「っ、……お前だって、そうだろ」

 浅い呼吸を整えるよう、そう声を絞り出せば、燕斗はすっと目を細める。

「……それは、俺がお前にいい顔をするために嘘吐いてるって言いたいのか?」

 温かいお湯が降り注いでいるはずなのに、どんどん体温が下がっていくようだ。
 濡れて張り付いた前髪を搔き上げ、燕斗はその目をこちらへと向ける。

「本気で言ってるのか、それ」

 燕斗の顔に、笑みの欠片もなかった。
 ――燕斗が本気で怒ってる。
 それは恐らく誰が見ても一目瞭然だろう。
 怒らせるのは悪手だと分かっていたはずなのに、サダを悪く言われることだけは耐えられなかったのだ。
 けれど、今の燕斗を前にした途端その意気も消沈していくようだ。代わりに、手足がぶるぶると震え出す。

「ほ、本気だ……」
「――そうか。よく分かったよ」

 どんな酷い目に遭わされるのだろうか。殴られるかもしれない。それでももういい、覚悟するしかないのだ――そう目を瞑ったが、一向に燕斗が動く気配がなかった。
 疑問に思い、恐る恐る目を開いたとき。降り注いでいたシャワーが止まる。そして燕斗は俺から手を離した。

「え、んと……」
「勝手にしろ」

 燕斗が吐き出した言葉の意味を理解することはできなかった。
 伸ばしかけた俺の手を振り払った燕斗は、そう俺を風呂場に残して出ていく。

 ――え?

 ドッドッと早鐘を打つ心臓。ポタポタと前髪から落ちていく雫は、そのまま足元の排水口へと流れていく。

 ――燕斗がなにもしなかった?
 それどころか、勝手にしろだなんて。

「……」

 バタンと閉まる扉の音を聞きながら、俺は暫くその場から動けなかった。

 許してもらえたとは程遠い、寧ろ呆れられたに近い。
 これでよかったはずなのに、よかったはずなのだ。望んでいたことなのに、何故だ。
 振り払われたまま行き場を失った自分の手を見つめたまま、この状況を咀嚼するのに暫く時間がかかった。

 冷え切った体をタオルで拭い、服を着替える。その間もずっと燕斗のあの顔、あの目、あの声が頭にこびりついていた。

 いつもだったら基本燕斗の部屋で過ごすことが多かった。とはいえ、それはあいつが俺を無理矢理引きずり込んでいくからだ。
 あんな風に拒絶されたあと、わざわざ自分から燕斗の部屋へと行く気にもなれず、俺は宋都の部屋へとお邪魔することにした。
 あいつはまだ帰ってきてないし、もし帰ってきたらその時はさっさと部屋から出ればいい。
 そんな軽い気持ちで。


 宋都のベッドに転がりながらスマホを確認する。
 そこで数件メッセージが入ってたことに気付いた。
 サダと、燕斗からだった。
 時間は丁度サダと帰ってる頃だろう。『迎えに行く。ついでにどこか寄っていかないか?美甘の好きなもの食べていいぞ』という内容だった。

 ……別に、食い物に釣られてるわけではない。
 けど、嫌な想像をしてしまったのだ。これを送ったあと、俺とサダがいるところを見た燕斗の顔を。

 頭を振り、俺は気を取り直してサダのメッセージも確認する。
 あの後無事帰れたかという内容だった。俺は大丈夫のスタンプだけ返して、そのまま端末から手を放した。

 ……頭の奥がズキズキする。心臓も、バクバクと鳴りっぱなしだ。
 落ち着かせようと深呼吸する度に呼吸は浅くなり、息苦しさを和らげようと俺は目を閉じる。けれど、変わらない。薬だけ服用し、俺は寝る努力をした。

 ……いつもこういうとき、どうしてたんだっけ。

 ここ数年、こんなに息が苦しくなることななかった。それ以前は燕斗と宋都が水を用意してくれたり、背中を擦ってくれたりしてた。
 ……別に、頼んでもないのに。

「……、……っ」

 別に、苦しくなんてない。
 これくらい平気だ。

 そう言い聞かせ、俺は目を反らすように宋都の枕にしがみついた。相変わらず男臭いが、パブロフ効果というやつだろうか。先程よりかは少しだけ器官が広がった気がする。

 ……今のうちに休んでおこう。
 目を瞑り、俺は逃避する。


 ◆ ◆ ◆


 ……。
 …………。
 ほんの少しだけ仮眠するつもりだった。
 夢の中、もぞりと何かが顔に触れるのを感じて寝返りを打とうとし、そこで体が動かないことに気付いた。
 金縛りか?と目を開こうとし、そこで自分に覆いかぶさっていた影を確認する。

「え……」
「んあ? 起きたのか?」
「さ、んと……っ?」

 俺の上に跨り、こちらを見下ろしていた宋都は「俺の顔も忘れたのかよ」と小馬鹿にするように笑った。
 帰ってきて風呂から上がったのか、既にラフな部屋着に着替えていた宋都。その髪は少し濡れてる。

 そこで、俺は自分が宋都のベッドで眠りについたことを思い出す。
 それから、燕斗と揉めたことも。

「……っ!」
「っぶねえな、急に起き上がんなよ」
「燕斗は……」
「あ? 知らね。あいつならどっか行ってるみたいだぞ」
「どっかって……」
「さあな。けど、あいつがこんな時間帯にほっつき歩くのは珍しいな。……いつぶりだ?」

 ニヤニヤしながらこちらを覗き込んでくる宋都。含みあるその物言いが余計嫌な感じだ。

「……なんだよ」
「燕斗と喧嘩しただろ、お前」
「……っ、別に、関係ないだろ」
「ある。あいつが機嫌悪いとこっちも面倒なんだよ、分かるだろ?」
「…………」

 否定はできない。
 昔からだ。人前では完璧な燕斗だが、その皺寄せが片割れである宋都にくることは屡々あった。
 昔の話だ。中学生になる頃にはもう俺達の前でも取り繕うことが上手くなっている燕斗を見てきていたからこそ余計、あんな燕斗を見て衝撃を受けてるのかもしれない。

 言葉とは裏腹に楽しそうに笑う宋都に、「喧嘩じゃないし」とぼそりと言い返す。
 あれは、喧嘩よりももっと一方的な感情のぶつけ合いだ。

「なんでお前まで凹んでるんだよ」
「……凹んでない」
「嘘吐け、全身で慰めてオーラ出してんじゃねえ」

 さっさとベッドから降りようとした矢先、伸びてきた宋都の手に腰を抱かれ、そのまま再び宋都の腕に捕らわれる。

「降ろせよ」と暴れる俺を無視し、宋都はそのまま膝の上に俺を座らせてくるのだ。そして頭の上にずしりとやつの顎が乗せられた。重い。

「おい、さん――」

 宋都、と振り返ろうとしたときだった。するりと伸びてきた指が項に触れる。
 瞬間、ぴりっと皮膚に刺すような痛みが走った。

「ぃ゛……っ!」
「これ、あいつにやられたんだろ」

 なにが、と言い返す前に、俺は燕斗に項を噛まれたことを思い出した。

「さ、触るなって、痛い」
「だろうなぁ? いつもならこんな場所に、しかも傷になるような真似しねえのにな、あいつ。それも、手当もなしとか相当怒らせたんだろ」
「……っ」

 そんなことない、と言えない自分がいた。
 俺に見えず、第三者からは嫌でも目につく場所に目立つ傷をつける燕斗のいやらしさには今さら怒りすらも覚えない。

「ババアに見せんなよ、それ。病院に連れて行かれるぞ」
「わかってるよ。……宋都、絆創膏あるか」

 下手な心配もかけたくないし、何よりこれを見られるのは俺としても最悪だ。渋々宋都に頼み込めば、「面倒くせえな」と言いながらも起き上がる。そして、そのまま絆創膏を持ってきた宋都に雑に絆創膏を貼られることになった。

「ほら、これで大丈夫だろ」
「……ありがと」
「キッモ」
「き、キモくはないだろ……っ!」

 やっぱりこいつ嫌いだ、と呻く俺を見下ろしたまま宋都は底意地悪そうな笑みを浮かべる。

「仕方ねえな。今日は俺のベッド、タダで貸してやるよ」
「金取るつもりだったのかよ……」
「んなわけねえだろ。暇潰し相手にでもなってもらおうかと思ったけど、今のお前、死にそうだしな」
「…………」

 ぴとりと額を撫でられる。宋都の手が思いの外冷たくて飛び上がりそうになった。
 今度は逃げる気にもならなかった。そのまま固まる俺に、宋都はそのまま俺をベッドに転がした。

「寝てろ。んで、さっさと元気になれよ。病人抱く気になんねえから」
「っ、無茶苦茶だな、お前……」

 はいはいうるせえなという顔をし、そのまま雑に布団をかぶせてくる宋都。けれど、そんな宋都にホッとしてる自分がいることに気付いて血の気が引いた。
 心が弱ってる証拠だ、他人の優しさに縋り付きたい気分になってる。

「いいこと教えてやる、美甘」

 ぬくもりの残ったままの布団に包まれ、ついうとうとしたとき。頭上から落ちてくる宋都の声を聞いた。

「あいつは機嫌損ねると面倒臭えぞ」

 ……それは、知ってる。
 答えるよりも先に、意識はどろりと微睡んでいく。
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