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四巡目
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しおりを挟むその後、執務室にやってきたハルベルに「今夜はアンフェールのところに泊まるから送迎は必要ない」とだけ伝えれば、その俺の言葉にハルベルも察したようだ。「畏まりました」とだけ頭を下げてその場を去った。
かといってすぐに実行に移すわけにはいかない。あとからやってきた他の執行部の人間に一連の事情説明をしたり、俺も教師に捕まることになってしまった。
実家にまで連絡されそうになり、慌てて止めた。
以前の俺なら是非にと吊し上げていたかもしれないが、今はそんな対応に時間を取られてる余裕もない。今回は公にはせず、箝口令を敷いてもらうことにする。そして、細かい処遇についてはアンフェールに一任すると。
そんなやりとりなどしている内にすっかりと日が暮れてしまっていた。
諸々の対応が片付いたあと、俺たちはアンフェールの部屋へと帰ってきていた。
『取り敢えず、風呂、入ってこい。……気持ち悪いだろ、体』
相変わらずぶっきらぼうな物言いではあるがアンフェールなりに俺のことを気遣ってくれたのだろう。アンフェールだって業務外の対応で疲れてるだろうに、と咄嗟に「一緒に入るということもできるけど」と言い掛けて、やめた。
それから言われるがまま押し付けられた手拭いと着替えを抱えて浴室へとやってきたが。
「……」
なんだか、未だ夢を見ているような気分だった。
トクトクと脈打つ心臓を抑え、俺は着ていたシャツに手を掛けた。別に抱かれるわけではない、項を噛まれるだけだと考えたらまだ気は楽になるだろうと思ったがそんなことはなかった。
ハルベル以外は知らない。
今夜、俺とアンフェールは番になれるのだ。
そう思うとなんだか悪いことをしているような罪悪感、後ろめたさ――そして、それ以上の高揚感に胸が高鳴った。
せめて、首元は念入りに洗わなければ。そう、首輪に手を掛けながら壁にかかった鏡を覗き込んだときだった。
「……ッ」
本来ならば金髪の青年が映るべきそこに卯子酉丁酉の顔が映り込み、息が停まりそうになる。
けれど、それはほんの一瞬のことだった。瞬きをした次の瞬間には見慣れたリシェスの顔があった。驚愕したまま、青褪めたリシェスの顔が。
――惑わされるな。全部夢なのだ。
そう自分に言い聞かせ、俺は首輪を外した。
体を念入りに洗って浴室を出たあと、アンフェールが風呂に入ることになった。
アンフェールが風呂を出てくるまでの間、俺は緊張のあまり何度もベッドの上、無意味に足を崩したり正したりを繰り返していた。
アンフェールも俺を待っている間こんな気持ちだったのだろうか。そんなことを考えながら。
首元を締め付けるものがなくなったせいかなんだか心許なく、つい首筋に触れてしまう。念入りに洗いすぎたあまり擦れてしまったようだ、触れると少しだけぴりっと痛みが走った。
こういうとき、ハルベルからもらった香油を使うのだろうか。部屋に取りに行こうかと迷ったが、流石に諦める。
そして一人考え事していたとき、遠くから浴室の扉が開くのが聞こえた。ぴくりと姿勢を正したとき、寝室の扉が開く。
「……」
「ぁ……アンフェール」
「……喉、乾いてないか」
「え? いや、大丈夫だ」
「…………そうか」
「……」
なんだ、この妙な間は。もしかしてアンフェールも緊張してるのだろうか。
風呂上がり、湯気立つアンフェールはそのまま少しだけ扉の前に佇み、それから俺の座っていたベッドまでやってくる。そのまま少し離れたところに腰をかけるアンフェール。
「アンフェール、まだ髪が濡れてるぞ」
「……知ってる」
「ちゃんと拭いた方がいい。風邪でも引いたら……」
そう、使っていない手拭いを探してアンフェールに渡そうとしたとき、伸びてきた手に手首を掴まれる。そして掴まれた手首から焼けるようなアンフェールの体温が流れ込んできた。
「っ、アンフェール……」
「夢じゃないんだな」
「え?」
「風呂から出たら、お前もいなくなってるんじゃないかと思った」
「……それで、急いで風呂から出てきたのか?」
まさか、と恐る恐る尋ねれば、アンフェールはばつが悪そうに視線を逸らす。風呂上がりのせいかは知らないが、耳のふちが赤くなってるのを見て胸の奥がまた痛くなる。
ああ、これは。この感覚は――。
「……笑いたきゃ笑えよ」
「笑わない。……笑うわけ無いだろ」
俺だって似たようなものだ、とつられて口元が綻ぶ。先程までの不安なんてどっかいったみたいに愛おしさの方が強くなっていた。
堪らずそっとアンフェールの頬に触れれば、アンフェールは俺の手を避けなかった。くすぐったそうに、目を細める。
「正直、俺も戸惑っている」
「こんなこと、今までなかった」とアンフェールは小さく続ける。それは照れ隠しとはまた違うニュアンスに聞こえ、「どういうことだ」と思わず聞き返したとき、アンフェールの手が俺の首筋を撫でた。
普段首輪で隠されていたその部分を優しく撫でられる。その感触はほんの少しの力で破けてしまうような薄い膜を触れられている感覚に近い。それなのに、他の奴らに感じた恐怖や不快感はない。
「間違ったことをしている。やってはいけないことをしてる。――頭ん中ではわかってるのに、止めることができない」
「っ、アンフェール……」
「もし、お前が俺以外の他の男が好きだと言い出しても……全部手遅れになるんだぞ」
太い筋を撫でるアンフェールの指。あまりにも的はずれなことを言い出すアンフェールに思わず目を開いた。
「なに言って……っ、俺はアンフェールの婚約者だぞ、他に好きなやつなんてできるわけないだろ」
そう我慢できずアンフェールの手首を掴んだとき、アンフェールはハッとしたように目を開いた。そして、「そうだな」と呟いた。
「何を言ってるんだ、俺は。お前には俺以外には選択肢がないんだよな」
まるで言い聞かせるように口にするアンフェールの言葉に胸の奥がざわつく。
アンフェールに首筋を噛まれることになるのは今回が初めてのはずなのに、アンフェールの言葉が頭の中、鼓膜に焼き付いたように離れない。
――もし、お前が俺以外の他の男が好きだと言い出しても……全部手遅れになるんだぞ。
――お前には俺以外には『選択肢』がないんだよな。
風呂に入ったばかりの全身に汗が滲む。
そんな、はずはない。ないはずなのに。
頭の中、体験したことのないはずの記憶が溢れ出す。
リシェスの記憶ではない――卯子酉丁酉の記憶だ。
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