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四巡目
08
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「夢でも、現実でもないって……」
少なくとも、俺はアンフェールはもっと現実的な男だと思っていた。
だから余計、「そのままの意味だ」と大真面目な顔をしてつぶやくアンフェールに戸惑う。
「なにか身に覚えはないのか。その前世とやらに」
「………………」
「あるのか」
「……わ、からない、まだ」
身に覚えはある。けれど、それをアンフェールに伝えるとなるとまず、この世界がゲームだということを説明しなければならなくなる。
そんなことをすれば――どうなるのか。アンフェールがなにを考えるのか、俺には分からない。分からないけど、理性がブレーキを掛けるのだ。それだけはやってはならないと。
そんな俺を見てアンフェールはなにを思ったのか、「そうか」とだけ呟くのだ。
「悪かった……朝から、変なこと言って」
「気にしなくていい。それに、お前が変なことを言い出すのは別に珍しいことでもないからな」
「……そんなことはないだろ」
つい言返せば、ふ、とアンフェールは小さく微笑んだ。それから立ち上がるのだ。
「学校には帰るのが遅れるという連絡をしてる。もう少しゆっくりしててもいいぞ」
「アンフェールはどこに……」
「着替えてくるだけだ。別にどこにも行かない」
「……そうか」
なんだか、これじゃ一人を嫌がってるみたいだ。そんなつもりはなかったが、仕方ないなという顔をしたアンフェールが「すぐに戻る」と続けるのを聞いて少しいたたまれなくなった。
そして、アンフェールがいなくなった寝室のベッドの上。俺は膝を抱えたまま暫くその場から動けなかった。
リシェスが架空のキャラで、この世界がゲームだとして――あの記憶が本物だとしたら。
卯子酉丁酉が転生した先がリシェスだった、のだと少なくとも俺は思っていた。
けれど、なにかが噛み合っていない。どちらにせよ、ピースが足りないのだ。
……俺も、支度をするか。
なるべく鏡を視界にいれないようにしながら、俺はアンフェールのいる隣の部屋へと移動する。
◆ ◆ ◆
それから街で朝食を取り、アンフェールの用意した馬車で学園へと戻ることになる。
アンフェールはハルベルに怪しまれないよう、アンフェールの実家に連れて帰ったと説明していたようだ。お陰で学舎で待っていたハルベルに変に怪しまれることはなかったのが救いだ。
「それで、如何でしたか」
「如何って、なにが?」
「アンフェール様と一晩お過ごしになられたんですよね」
「……お前な」
目をキラキラさせるハルベルに思わず顔の筋肉が引き釣る。
なんたって普通の朝帰りとはわけが違う。それに、なんでこいつはいつも通りなのか。
「別に、なにもない。急だったし、そんなにゆっくりできたわけでもないし」
「ああ……そうなのですね」
「悪かったな、期待に添えられず」
「い、いえ! そういうわけではないんです。……少しでもリシェス様の気分転換になったのなら、と思ったのですが」
「……まあ、気分転換にはなったけどな」
そうぼそりと返せば、ハルベルはニコニコと嬉しそうに笑う。
夢見こそは悪かったし、目的であるハルベルの尾行も酒のせいでままらなかったのは不甲斐なかったが、アンフェールがいてくれたことで取り戻せたような感じも確かにあった。
「そういえば、お前昨夜どこかに出かけていたのか?」
そう何気なく尋ねれば、「え?」とハルベルの目が丸くなる。
「一応昨日、学園を出る前にお前に声を掛けようと思ったら返事が無くて気になったんだ」
――そう、こちらが本題だ。
なるべく平静を装いながら尋ねれば、ハルベルは「そうだったのですね」と申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「実は俺も昨日出かけてて……そうだ、リシェス様。これを」
そう、特に取り乱すわけでもなく自然な流れでプレゼント用の梱包された箱を取り出した。
件の香油だ、と直感する。それを差し出してくるハルベルから小箱を受け取れば、ふわりと甘い香りが辺りに漂った。
「これは?」
「この間、眠れないと仰っていたではありませんか。深い睡眠を取ることができると評判の香油を探したんです」
「……もしかして、わざわざ買いに行ったのか」
「ええ。一日でも早くリシェス様には心安らいでいただきたかったので」
その言葉自体に嘘偽りはないのだろう。が、その後ユーノと出会っていたときのことを思い出せばどうしても引っかかってしまうのだ。
「……そうか、ありがう。早速今夜から使わせていただく」
そう小箱を仕舞う俺に、ハルベルは「ええ、是非」と嬉しそうに微笑んだ。
それからはいつもと変わらない平穏な日常が帰ってくる。
アンリがやってくるまでの間、やれることがあれば試してみよう。そう、部屋で色々考えてはいたがなかなかどうしても上手くいかない。
アンリが転生する前日になる度にループでリセットすることも考えたが、死に戻ることに対してなんの代償がないとも考えられない。
それに、実際肉体と周囲の環境はリセットされるが、俺の記憶、経験はそのまま引き継がれている。そのせいで今回みたいにこの現実にまで影響が出てると考えるのが妥当だ。
……ということは、またリセットすればなにか記憶が蘇るというのだろうか。
夜も更け、机の上に開いたままになっていた手帳を見下ろす。書き散らかされた文字の羅列。
卯子酉丁酉のことについてなにかを知ることができるのなら、この世界でのバッドエンドを回避できるのなら――そう、机の引き出しに仕舞っていたペーパーナイフを思い出す。
そして、思考を振り払った。
……死ぬのは最終手段だ。デメリットがないとも限らない。現に、今の俺の精神状態はあまり芳しくない。
それに、と揺れる自分の影を見詰める。
ここ数日、アンフェールとの交わした言葉、ぬくもりが冷たくなっていた指先に戻るのだ。
「……まだ、死にたくない」
リシェスとしての脳に刻まれたプログラムなのか、それとも別の誰かの意思なのか判断つかなかった。
けれども、もっとアンフェールのことを知りたいと、このまままたなにもなかったことになって最初に戻ることが惜しく思える自分がいた。
少なくとも、俺はアンフェールはもっと現実的な男だと思っていた。
だから余計、「そのままの意味だ」と大真面目な顔をしてつぶやくアンフェールに戸惑う。
「なにか身に覚えはないのか。その前世とやらに」
「………………」
「あるのか」
「……わ、からない、まだ」
身に覚えはある。けれど、それをアンフェールに伝えるとなるとまず、この世界がゲームだということを説明しなければならなくなる。
そんなことをすれば――どうなるのか。アンフェールがなにを考えるのか、俺には分からない。分からないけど、理性がブレーキを掛けるのだ。それだけはやってはならないと。
そんな俺を見てアンフェールはなにを思ったのか、「そうか」とだけ呟くのだ。
「悪かった……朝から、変なこと言って」
「気にしなくていい。それに、お前が変なことを言い出すのは別に珍しいことでもないからな」
「……そんなことはないだろ」
つい言返せば、ふ、とアンフェールは小さく微笑んだ。それから立ち上がるのだ。
「学校には帰るのが遅れるという連絡をしてる。もう少しゆっくりしててもいいぞ」
「アンフェールはどこに……」
「着替えてくるだけだ。別にどこにも行かない」
「……そうか」
なんだか、これじゃ一人を嫌がってるみたいだ。そんなつもりはなかったが、仕方ないなという顔をしたアンフェールが「すぐに戻る」と続けるのを聞いて少しいたたまれなくなった。
そして、アンフェールがいなくなった寝室のベッドの上。俺は膝を抱えたまま暫くその場から動けなかった。
リシェスが架空のキャラで、この世界がゲームだとして――あの記憶が本物だとしたら。
卯子酉丁酉が転生した先がリシェスだった、のだと少なくとも俺は思っていた。
けれど、なにかが噛み合っていない。どちらにせよ、ピースが足りないのだ。
……俺も、支度をするか。
なるべく鏡を視界にいれないようにしながら、俺はアンフェールのいる隣の部屋へと移動する。
◆ ◆ ◆
それから街で朝食を取り、アンフェールの用意した馬車で学園へと戻ることになる。
アンフェールはハルベルに怪しまれないよう、アンフェールの実家に連れて帰ったと説明していたようだ。お陰で学舎で待っていたハルベルに変に怪しまれることはなかったのが救いだ。
「それで、如何でしたか」
「如何って、なにが?」
「アンフェール様と一晩お過ごしになられたんですよね」
「……お前な」
目をキラキラさせるハルベルに思わず顔の筋肉が引き釣る。
なんたって普通の朝帰りとはわけが違う。それに、なんでこいつはいつも通りなのか。
「別に、なにもない。急だったし、そんなにゆっくりできたわけでもないし」
「ああ……そうなのですね」
「悪かったな、期待に添えられず」
「い、いえ! そういうわけではないんです。……少しでもリシェス様の気分転換になったのなら、と思ったのですが」
「……まあ、気分転換にはなったけどな」
そうぼそりと返せば、ハルベルはニコニコと嬉しそうに笑う。
夢見こそは悪かったし、目的であるハルベルの尾行も酒のせいでままらなかったのは不甲斐なかったが、アンフェールがいてくれたことで取り戻せたような感じも確かにあった。
「そういえば、お前昨夜どこかに出かけていたのか?」
そう何気なく尋ねれば、「え?」とハルベルの目が丸くなる。
「一応昨日、学園を出る前にお前に声を掛けようと思ったら返事が無くて気になったんだ」
――そう、こちらが本題だ。
なるべく平静を装いながら尋ねれば、ハルベルは「そうだったのですね」と申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「実は俺も昨日出かけてて……そうだ、リシェス様。これを」
そう、特に取り乱すわけでもなく自然な流れでプレゼント用の梱包された箱を取り出した。
件の香油だ、と直感する。それを差し出してくるハルベルから小箱を受け取れば、ふわりと甘い香りが辺りに漂った。
「これは?」
「この間、眠れないと仰っていたではありませんか。深い睡眠を取ることができると評判の香油を探したんです」
「……もしかして、わざわざ買いに行ったのか」
「ええ。一日でも早くリシェス様には心安らいでいただきたかったので」
その言葉自体に嘘偽りはないのだろう。が、その後ユーノと出会っていたときのことを思い出せばどうしても引っかかってしまうのだ。
「……そうか、ありがう。早速今夜から使わせていただく」
そう小箱を仕舞う俺に、ハルベルは「ええ、是非」と嬉しそうに微笑んだ。
それからはいつもと変わらない平穏な日常が帰ってくる。
アンリがやってくるまでの間、やれることがあれば試してみよう。そう、部屋で色々考えてはいたがなかなかどうしても上手くいかない。
アンリが転生する前日になる度にループでリセットすることも考えたが、死に戻ることに対してなんの代償がないとも考えられない。
それに、実際肉体と周囲の環境はリセットされるが、俺の記憶、経験はそのまま引き継がれている。そのせいで今回みたいにこの現実にまで影響が出てると考えるのが妥当だ。
……ということは、またリセットすればなにか記憶が蘇るというのだろうか。
夜も更け、机の上に開いたままになっていた手帳を見下ろす。書き散らかされた文字の羅列。
卯子酉丁酉のことについてなにかを知ることができるのなら、この世界でのバッドエンドを回避できるのなら――そう、机の引き出しに仕舞っていたペーパーナイフを思い出す。
そして、思考を振り払った。
……死ぬのは最終手段だ。デメリットがないとも限らない。現に、今の俺の精神状態はあまり芳しくない。
それに、と揺れる自分の影を見詰める。
ここ数日、アンフェールとの交わした言葉、ぬくもりが冷たくなっていた指先に戻るのだ。
「……まだ、死にたくない」
リシェスとしての脳に刻まれたプログラムなのか、それとも別の誰かの意思なのか判断つかなかった。
けれども、もっとアンフェールのことを知りたいと、このまままたなにもなかったことになって最初に戻ることが惜しく思える自分がいた。
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