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三巡目

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 何故、こんなことになってるのか。

「ここがリシェス君の部屋……」
「おい、あまりウロウロするなよ」
「あ、ご、ごめんね……! やっぱり、僕の部屋と違って広いね」
「当たり前だ。一緒にされては困る」

 ただでさえ家柄も出自も不明なアンリだ。そんな言葉に怒るわけでもなく、夢中になって部屋の中をキョロキョロと見て回っているアンリを一瞥し、息を吐いた。

 ……落ち着かない。
 こういうやつだと概ね把握はしていたが、正直接し方がいまいち分からない。
 それに、とちらりとアンリを見る。初めて家にきた子犬のようなちょこまかとした動きに、なんとなく放っておくこともできなかった。

「おい、少しくらいじっとできないのか?」
「ごめん、つい」
「……」
「ここがリシェス君が生活してる場所だと思ったら、なんだか感動しちゃって……」
「……感動?」

 なんだか妙な言い回しをするアンリに引っかかる。少しだけ照れ臭そうに、アンリは「うん」と頷いた。

「なんだかリシェス君の部屋、甘い匂いがする」
「甘い匂いって……別になにもしてないぞ」

 香を焚いているわけでもないし、まだこの世界ではハルベルの香油も貰ってすらいない。
 夜食で齧った砂糖菓子の匂いが残っていた?
 いやでもあれはいつの話だ。なんて考えながら匂いの根源を突き止めようとしたとき、「あの」とアンリは遠慮がちに口を開く。

「言葉にするのは難しいんだけど……なんというか、優しくて不思議な香りがするんだ」
「………………おい、気色の悪いことを言うな」
「あ、ごめん、つい」

 ――ついってなんだ。

 物理的なことを言っているのかと思ったが、そうではないのか。これがアンリのルートに入ってからの変化だというのか。

 なんだか独特な距離の取り方をしてくるアンリにはやはり戸惑う。というか、接し方が未だに把握できていない自分もいた。

 せっかく招き入れたのだ、このまま放置するわけにもいかない。俺は前にハルベルから貰っていた紅茶を淹れることにした。
 それから暫くしない内にハルベルもやってきた。俺の部屋にアンリがいるのを見た途端、ハルベルの顔色が変わる。

「あ……ハルベル君おはよう。お邪魔してるね」
「アンリ様? ……何故アンリ様がここに」
「こいつ、朝から押しかけてきたんだよ」
「それはそれは……」

 言いながら、ほんの僅かにハルベルの表情が曇る瞬間を見てしまう。
 これは、少しまずかっただろうか。前回の世界線のことを思い出し、俺は咄嗟に「ハルベル」と肩を叩いた。

「丁度良かった。……紅茶を用意した。お前の腕には構わないだろうが、お前も飲むか?」
「リシェス様が? ……いいんですか?」
「元はお前に貰った茶葉だ」

 そう話題を変えれば、ハルベルは俺の話題に乗ってくれた。何事かと目を丸くしていたハルベルだったが、それもつかの間。
「ありがとうございます」とほんのりと頬を赤くするハルベルの意識はアンリから俺へと向けられたようだ。
 そんなハルベルの様子を見て、内心ほっとする。

 かといってハルベルばかりにかまけているわけにもいかない。

 何故朝からこんなに疲れなければならないのか、なんて思いながら俺はハルベルの分のティーカップを用意することにした。



 そんな調子で朝はアンリとハルベルとともに登校することになる。
 思ったよりも平和な日常が続いていた。ただ、大きく変わったことと言えばあれからアンフェールとは顔が合わせられていないということだ。
 そろそろ顔合わせておいた方がいいのではないかとも考えていたのだが、ここ最近はアンリがなにかと俺に付き纏ってくるようになっていた。
 ここでアンリとアンフェールのフラグを立ててまた同じ道を辿りたくもない、だから俺は暫くアンフェールよりもアンリを優先させることにしたのだ。



「リシェス君、ハルベル君、こんにちは」
「どうも、アンリ様」
「……ああ」

 この顔触れで過ごすこともなんだか慣れてきた。
 が、アンリの顔を見る度にハルベルの表情筋がぴくりと反応するのを見て、じぐじぐと胃の内側から小さな針で刺すような痛みが拡がっていく。
 アンリとハルベルの親密度を上げないようにするためには、やはり俺がアンリと積極的に会話を交わさなければならない。そうなるとハルベルが相対的に機嫌悪くなっていくのだ。
 だからハルベルを放置しない程度にアンリの相手をする、そんな時間を過ごすことになっていた。

「アンリ、いい加減お前は俺たち以外に飯を食べれる友人でも作ったらどうだ」

 そして今まで我慢していたが、とうとう限界を迎えた。

 テーブルを挟んで向かい側、にこにこと笑っていたアンリは俺の言葉にぴたりと動きを止める。
 それと同時に、俺の隣にいたハルベルが少し嬉しそうな顔をしていたのを俺は見てみぬふりをした。

「友人……そうだね、けど僕はリシェス君といるだけで十分楽しいんだけどな」

 そういう意味ではないのだが、と思わず突っ込んでしまいそうになった。薄々感じていたがもしかして嫌味が通じないタイプなのか。
 恥ずかしげもなくそんなことを口にするアンリに何故か俺の方が恥ずかしくなってくる始末だ。

「それに僕みたいなのと仲良くしてくれるの、リシェス君たちだけだよ。……周りも皆いい人たちなんだけど、皆僕に気遣ってくれてるのか避けられてるというか……」
「自覚はあったんだな」
「まあ、そうだね。……流石に感じるよ、僕だけ周りから浮いてるし」

 言う割に然程深刻に捉えていないようだ。普段天真爛漫で明るいアンリとは遠い、なんとなく冷めたその目が気になった。
 ……というか、てっきり俺は気付いていないのかと思っていた。
 そんなアンリを眺めていると、不意にアンリの目がこちらを向いた。そして、すぐにふにゃりといつもの笑顔が浮かぶのだ。

「だから、僕はリシェス君といるのが一番落ち着くんだよ。……君は僕に壁を作らないし、なんだかんだで優しくて……」
「……いい、わかった。それ以上言わなくても」
「あ、リシェス君耳赤くなってるね?」
「…………気のせいだ」
「そっか。じゃあ、そういうことにしておこうかな」

 ……本当に調子狂わされる。
 グイグイくるアンリに気圧されそうになりながらも、俺はアンリの視線から逃げるように体ごと顔を逸した。

「ですが、リシェス様の仰られることも最もだと思います」

 そんなとき、先程まで黙っていたハルベルが口を開いた。
 
「僕の方でもなんとかアンリ様の今後の学園生活が充実するものとなるよう、周囲に声がけしておきましょう。なんでしたら、僕の友人を紹介しますよ」
「本当に? いいの?」

 嬉しそうに立ち上がるアンリに、ハルベルは「ええ、もちろんです」とにっこりと微笑んだ。
 瞬間、笑い合う二人の声と顔にノイズが走る。

「……」

 ハルベルの友人か、と俺はそんな二人のやり取りを敢えて止めずに見ていた。
 ……ハルベルのやつ、なにを考えているのか。
 ハルベルの動向には気をつけた方がいいかもしれない。思いながら、俺はカップに残っていた紅茶を飲み干した。
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