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70【side:菖蒲】
しおりを挟む僕には友達がいた。Subの友達が。
思春期になると突如発症するダイナミクス症候群――第三の性なるものが発見され、それからそれが当たり前のものになるまでに長い時間がかかった。
Normalではないというだけで周りから警戒されることが多かった。
無理もない。Domには意図的に人を操る力がある。犯罪にそれを使おうとする人間も居れば、意図せず人を支配する者もいる。
ダイナミクスに関する法律がきちんと布かれるまでDomとSubの存在は世間は持て余していた。
それでも、僕が中学に上がったときにはもう世の中は変わっていた。
DomもSubも関係ないと。不用意にコマンドを使いさえしなければただの人間と変わらないと。
そしてそんな中学一年の春、声変わりと同時期に僕はDomとして生まれ変わった。
最初は事故のようなものだった。僕の言葉にその場にいた友達が人が変わったように僕に従い始めた。
最初は冗談だと思った。けど、そんなことが何度もあった。それからすぐ、学校で行われた定期検診でDomであることが発覚した。
その日から周りの態度は一変した。
仲良かった友人たちもよそよそしくなり、教師や両親すら僕に気を遣うのだ。でも周りは悪くない。僕だって、僕がその立場なら扱いに困るだろう。
だから周りの人間を必要以上に警戒させないため、日頃から細心の注意を払っていた。
――命令語を使わない。睨まない。怒らない。我儘を言わない。声を張り上げない。
そうすれば周りと上手く溶け込める。怖がられなくて済む。腫れ物のように扱われることもなくなる。
実際、その効果はあった。
『菖蒲君はDomだけど優しいね』って何度も言われる度に、安心した。
人から頼られ、頼まれた、必要とされることがDomの喜びだ。
だから結局、僕は僕を守りたかっただけだった。だからこそ見誤った。周りのことを気遣ってるようで見えてなかった。
両親からとある学園への転校を勧められたのは夏頃だった。
その学園にはダイナミクスに密接でいて、学園内に病院もありダイナミクス専門のカウンセラーもいる。
無論その学園にはDomもNormalもいるがクラス分けはされていない。皆が平等に授業を受けられるようになっていて、一般の学校のようにダイナミクスが公にする必要はないのだと。
面倒ではあったが、その時の僕は両親の期待に応えるのがいっぱいいっぱいだった。
それに、また一からやり直せる。Domというレッテルを貼らされずに済むならば、と二学期から転校することを選んだ。
結果から言えば、学園での新生活は不満はない。
むしろ気楽で、薬を貰いに行く手間もない。まるでダイナミクスが発症する前からの生活に戻ったようで嬉しかった。
僕に初めて出来た友人がSubだと知ったのは、健康診断の結果が返ってきたときだ。たまたま目についたダイナミクスの項目に青褪める友人に僕は自分の秘密を共有した。
最初はぎょっとしていたけど、「嘘だ」と何度も言われた。「なら君のそれも嘘なの?」と言い返せば、呆れたような顔してそいつは笑った。
ダイナミクスも関係ない。プレイなんて介さずともDomとSub間にも友情は成立する。
僕たちの関係は周りに秘密で、無論僕たちのダイナミクスも秘密で、なんだか子供の頃に戻った時みたいに楽しかった。
けど、そんな関係も長くは続かなかった。
友人がレイプ被害に遭った。相手は上級生のDomだ。
なかなか口を割らず塞ぎ込んだ友人にコマンドを使った。使いたくなかった。けど、友人のためだと言い聞かせてその後ちゃんと習った通りケアもした。
先生にも言った。けど、その後もなんのお咎めもなく親友に関わろうとしていたDom相手に頭に血が昇り、二度目のコマンドを使用した。
先輩たちに自白させ、持っていた証拠も全部提出させ、先輩たちは退学していった。
その時はとにかく必死だった。だから手段も選べなかったけど、酷く自己嫌悪をしたことを覚えてる。
僕は嫌いなこの体質に助けられている。頼ってる。この力が無ければ、まともに助けることもできなかったのだろうと。
その日から周りの教師からの態度が少し変わったのを覚えてる。
それからまた暫くして、今まで通りとは行かずとも友人にも穏やかな時間が帰ってきた。けど、それも束の間。
親友だと思っていた相手に『パートナーになってほしい』と言われた瞬間、覚えたのは拒絶だった。
親友に対してではない、Domとしての自分にだ。
親友をSubとして扱いたくなかった。そんなこと必要ないだろうと。僕たちの間にプレイなんてなくともやっていけると。必死に説得した。
『あの時確かに一度プレイした。そのせいで君は錯覚起こしてるんだ。君にはもっと相応しい相手がいる。それに、僕たちはまだ子供で――』
『……わかった、もういい』
『……なんで泣いてるんだよ』
『好きになって、ごめん。菖蒲君』
今でも鮮明に残ってる。
彼はその翌日、首を吊って死んだ。
後日、学園側に呼び出されたときに渡された遺書には震えた文字で僕への気持ちが丁寧に綴られていた。何度も書き直したぐしゃぐしゃになった遺書は僕宛のラブレターでもあったのだと理解したのは随分後になってからだった。
親友が死んで、葬式も終わり浮き足立っていた学園内にも徐々に平穏が戻り始めていた頃。
僕は理事長室に呼び出された。
『我が校ではダイナミクスが非常に重要視させられる。我が校の生徒会長になる為にはDom、それでいてハイクラスの人間ではなければならない』
『……』
『だが、君のようにDomという性別をひた隠しにしようとする生徒も多い。優秀なDomを集める為にこの学園ではダイナミクスの公開は任意となってる。するとどうなる? 集まってくるんだよ、DomとSubが。不思議なものでな』
目の前に差し出された親友からの遺書を手にしたまま、僕はただ理事長の話を聞き流すことしかできなかった。何を言っているのか到底理解することもできなかった。
したくも、なかった。
『これからの社会、優秀なDomの教育には無論、優秀なSubも必要不可欠になってくる。……しかし、世の中は頭の硬い連中が多くてな。やれ差別、やれ人権軽視と何かと口煩い。君ならば分かるだろう? Domの肩身の狭さが。被害者意識の強いSub様の機嫌を取らなければ、どんだけ優秀なDomも犯罪者扱いだ。――そのせいで人よりも優れたDomが才能を発揮されずに埋もれ社会に殺されるのは見ていられない』
『……何が仰りたいのですか』
『そこでだ。……取引しようではないか、桐蔭君。今回君の名前が書かれていたこの遺書はこちらで処分しておく。その代わり、君はこの先の学園生活で皆の“理想のDom”として在籍してくれないか』
理事長は笑う。
中高大一貫校であるこの学園での生活。それを全てここに捧げろというのか。
手にしていた遺書を握り潰してしまいそうになり、耐える。奥歯を噛み締め、息を吐く。それを繰り返す事で必死に抑えた。
『君の人柄は認めている。ああ、分かっているとも。君が表立ってDomを名乗るのは本意ではないと。だからあくまでこれはお願いだ。もし辞退するようならばこの遺書を本来あるべき場所へ返すだけだ。……そうなった場合は君の未来も傷が付く。ご両親もさぞ傷付くのではないかね。私からの願いは一つ、ただ君はこの学園で“模範となるDom”として悠々自適に過ごしてくれていたらいいだけだ』
『さあ、決めてくれたまえ。我々の明るい未来のためにも』吐き気がする。反吐が出る。何よりも、こんな愚問に返して突き返す事もできない弱い己にも。
猶予も時間も与えられなかった。返事をするまで部屋から出してもらえず、両親に連絡することも許されない。親友の葬式後、あの時の僕は間違いなく平常ではなかった。今ならわかる。そして、今の僕はもっと。
『……そうか、君が聡明な子で良かった。君にはDomの生徒たちの情報を渡しておこう。まずは彼らの管理からしてくれ。ケア、それから他のDomに逆らわないための基本的な教育。これからSubが生きていく社会には必要な教育だ。なに、難しく考える必要はない。君が今までしていた通りにSubに接するだけだ。ただ今回は“相手が思い違い”をしただけで、他は問題なかった。だから、その一線を超えなければいい。私はそう認識している』
肩に置かれる手。
『期待しているよ、桐蔭会長』と囁きかけられた言葉が今でも鼓膜にこびりついていた。
生徒会長である自分が嫌いだった。人に尊敬の目を向けられる度にナイフを突きつけられている気分になった。
愛佐の目は特に、僕にとっては痛かった。純粋であるが故に純度が高い猛毒のようで。
「……」
どれほどこうしてるのかも覚えていない。
僕の手にしがみついてはまた何度も魘される愛佐を抱き締めたまま思い出したくもないことを思い出していた。
この後僕はきっと処分されるだろう。Domが一般生徒にコマンドを放つのは暴力と等しい。そんなこと、僕が一番知っていた。
なのに後悔していない。悪いと思えない。愛佐、こんな僕を知ったらお前は軽蔑するだろう。ああ、いっそのことそっちの方がいいかもしれない。重荷でしかなかった生徒会長の役目からも解放される。けれど、そうしたらどうなる。誰がこの子を守るんだ?
「……愛佐……」
ここ最近見る見る痩せたその頬に唇を寄せる。
Subとの一線を超えない。恋愛感情を切り離す。相手に期待させないため、割り切るための自分への誓約すら僕は守れていない。
「……」
嫌われたっていい。失望されてもいい。お前が生きていたらいい。
どんどん自分があれ程嫌いだった独善的で醜いDomに堕ちていく。吐き気がする。頭痛も。けれど、愛佐に触れてる間だけは和らぐ。この子には僕が必要だから。だから。
「ん……」
先程までとは違う、擽ったそうに身じろぐ愛佐にハッとする。愛佐、と顔を覗き込んだ時、胸にしがみついたまま愛佐は頬を押し付けてきた。
うっすらと目が開く。先程のような険しさのない、穏やかな表情。
「あい――」
「ま、よる……?」
……。
………………。
「は?」
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