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しおりを挟むこの男は。本当に。いや、俺も俺だ。分かっていたはずだ。こいつはこういうやつなのだと。
無意識の内に握り締めていた拳に力が入る。一発ぶん殴ってやろうかとしたところ、あっさりと片方の手首も取られた。そして「捕まえた」と真夜は笑う。
「あれ、愛ちゃん泣いてる? まだサブドロの後遺症出てんのかな」
「泣いてない……っ! ぉ、お前は……他人事みたいに……」
「他人事だろ。だから言ってやってんの。愛ちゃんの依存性、矯正しないとこの先自滅するだけだって」
「よりによってあの人なんかに恋するから」真夜には珍しくその言葉には明確な悪意が含まれていた。それは菖蒲さんに対するものだ。分かったからこそ余計頭にきた。
「っ、だまれ、お前に何が……ッ」
「分かんねえよ。だから言ってんだよ。愛ちゃん、お前は好きになったらダメなやつ好きになっちゃってんの」
「……っ!」
ふざけるな、とその手を振り払ってやりたいのに、真夜の力は強い。手首に食い込む指先はちょっとやそっとじゃ離れず、それどころか逃げようとしていた俺をそのまま引き寄せた。
覗き込んでくるその目はいつものような軽薄な笑みもない。あの時、強引に抱かれたときの記憶が蘇り、心臓が脈打つ。
「愛ちゃんがあの人のこと待ってても、この先、愛ちゃんが報われることなんてないんだよ」
吐き出されるその言葉に、怒りを通り越して冷静になっていく。
握り締めるあまり指先が冷たくなっていくのが分かった。
「……っ、そんなこと、最初から承知だって言ってるだろ」
「なら、俺にしろ」
「は――」
「俺で良いじゃん。……もう」
なんだよ、なんだよそれ。
結局それだ。俺のことはまだいい、菖蒲さんのことを馬鹿にしておいて言ってることはただ対抗しようとしているだけではないか。
「良いわけないどろ、ただ菖蒲さんのことが気に入らないだけだろ、お前……っ! それで俺を懐柔して気持ちよくなってるんだろ」
「そりゃあな。愛ちゃんに頼られるのは気持ちいいしな、俺も」
「な、に、開き直って……っ」
「良いから、《人の話は最後まで聞け》」
ふざけんな、と続けるよりも先にコマンドによる命令で言葉が詰まる。そのまま口を開いたまま黙りこくるしかできない俺の両頬を手で挟み、真夜はじっとこちらの目の奥を覗き込んでくる。
「……良い子だ。愛ちゃん」
「……っ、……」
「こうしてると本当、利口そうに見えんのにな。……口を開けば、どーしてこうも憎たらしいんだか。……ま、そこがお前のいいところだからな」
ぞわりと蕩けそうなほどの熱に負けそうになりながらも喧嘩売ってるのか、と睨みつければ、真夜はそれを真っ直ぐに受け止める。睨みつけるこちら側が馬鹿馬鹿しくなるほど真っ直ぐに俺を見つめ返してくるのだ。
「会長へのマウント道具にしてるって? ……なるほどな、一理あるけどそれ、愛ちゃん大分自意識過剰だよな。俺からしてみればただ同じ生徒会――会長と会長補佐って枠組みでしかないんだよな」
そんなわけ……ない、と否定することはできなかった。真夜の言葉は鋭い刃物のようにするりと心臓を貫いてくる。
恥ずかしい。まるで自意識過剰のように真夜に笑われ、否定すればするほどその反応の裏側まで覗かれているようで怖くなる。
「っ、は、ゃ、ちが、お、俺は……分かってる、そんなこと分かってる……お前に言われなくたって……っ」
「じゃあさ、捨てちゃえよ」
「……な」
何言ってるんだ。と顔を上げるよりも先に、顎先を指で軽く撫でられる。ゆっくりと首の付け根まで辿る指先に耐えきれずにその手を掴めば、真夜は小さく笑った。
「できないって言うんなら……俺がお前を壊してやるよ、愛ちゃん」
それは最早、ただの犯行声明だった。
「愛ちゃんのその会長への想いもぜーんぶ、俺がぶっ壊してやる。そうすりゃ、もう余計なこと考えなくて済むじゃん。俺もハッピーで一石二鳥じゃね?」
「……っ、なに、言ってんだ。お前……は、犯罪者……」
「俺が犯罪者なら、あの男も同じだろ。まだまっさらな状態の愛ちゃんをここまで束縛依存させておいてろくに可愛がらず飼い殺しにしようとしてんだから」
「……っ、ち、がう、菖蒲さんは――」
そんな人じゃない、と言い終わる前に唇を塞がれる。普段の愛撫の一種のようなそれではない。ただ唇を塞ぎ、黙らせるためだけの強引な口付けだった。
「ん、ぅ……っ! ふ、ぅ……っ」
「……っ、ん……愛ちゃん、《逃げるな》」
「っ、ふざ、……っ、ん、っぅ……っ」
噛みついて、啄まれて、口を開こうとするたびに舌を捩じ込まれる。独善的なその仕草に耐えきれず、その舌を噛み切ってやりたかったのに、できない。
コマンドに意識を阻害され、音を立てて舌ごと絡み取られる内に頭の奥が甘く痺れ出してくる。この感覚はよく知ってる。現実と夢の狭間で何度も脳に叩き込まれていた、嫌な感覚。
「っ、は、……っ、ぅ、む……っ、」
出したくもない声が鼻から抜けていく。
くそ、違う。こんなのは俺ではない。Dom相手に誰彼構わず尻尾振るようなSubとは違う。違う、のに。
長い舌先に顎の天井から口蓋垂を舌先で撫でられるだけで粘膜からは唾液がじわりと滲み、粘膜同士が擦れる度に耳障りな音が響く。鼻にかかった自分の声がひたすら聞きたくないのに、耳を塞ぐこともできない。
執拗なキスの末、俺が抵抗する気力を失ったのを見て、ようやく真夜は俺から舌を抜いた。唾液の糸が伸び、真夜はそれを舐めとるように軽く俺にキスをした。今度は触れるだけのやつだ。
「お前があの人の名前出す度、こうやって黙らせるから」
「さ、いあく、お前、本当に……っ」
「コマンド嫌だって言ったの、愛ちゃんの方だろ」
「……っそれで絆されると思ってるのか、お、お前がしてるのは……こんなの……脅しだ……っ!」
「脅しって……はは、かわいーな。愛ちゃんは。……本当に」
怒る俺に対して真夜はただ笑っている。会話してるはずなのに噛み合っていない。それが気持ち悪くて、君が悪くて、それなのに――こいつを拒絶することが出来ない。脳がバグを起こし始めている。真夜に何を言っても無駄だと言う諦めのような感情が脳を占めていた。
なんで、なんで放っておいてくれないんだよ。俺が何をしたのか。確かに小晴には恨まれてたかもしれないが、俺とお前はほぼ他人だ。なのに、こんな。
感情的になればなるほど疲弊していく。擦り減っていく。どんだけ嫌だと言っても、こいつの一言で俺の意思も発言も全て無に帰すのだ。
「……泣くなよ、愛ちゃん」
「泣いてない……っ、お前のせいだ……っ」
「なにそれ、どっち?」
「……っ、ど、Domなんて、嫌いだ……」
こう言う時に限って真夜はコマンドを使わない。なんでもいい。黙れとか、また眠らせるとかしてくれた方がましだった。
感情の昂りを制御することもできず、子供のように言い返すことしかできない。それでも逃げることはできない。どうしようもできないのだ。自分の意思では。
そして何より、そんな俺をあやすように背中を撫でる真夜の手が優しくて――それが何よりも癪だった。
「ん。……ま、いーや。俺のことだけが嫌いじゃないんなら、取り敢えず」
なんだよそれ。無茶苦茶だ。
なんで笑ってるんだよ、お前。何が面白いのか全く理解できない。
したくもなかった。
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