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しおりを挟む少し休んだ方がいい。
そう生徒会室のソファーに横にされる。菖蒲さんに恥ずかしいところを見られて恥ずかしくて情けなくて居た堪れなかったのに、「大丈夫だよ」と手を握られて囁かれてる内にうつらうつらとしてしまったようだ。
途中でハッと顔を上げれば、ずっとこちらを見ていたらしい菖蒲さんと目が合った。
「お、俺、今、眠って……」
「少しうとうとしていたね」
「すみません、俺」
「いいのに、そのまま眠っても」
「でも」
「ああ、それとも……部屋でゆっくり休ませるべきなのかな。ここは」
「菖蒲さんは……」
「傍に居るよ」
「……っ、だ、めです……」
そう思わず口にして、菖蒲さんの眉がぴくりと反応する。そこで自分の言葉が足りなすぎることに気づいた。
「あの、違います。……菖蒲さんの手を煩わせるわけにはいきません、ので……」
「……愛佐?」
「は、はい……」
「さっき言ったこと、君はもう忘れちゃった?」
子供をあやすような口調だった。それでいて、どこか拗ねたようにも聞こえる。
自分のことは気にしなくても良い――そう、菖蒲さんは言った。分かっていても、頭で理解できていても、やはり受け入れるには時間が要る。
押し黙る俺に、「君らしいと言えば君らしいのだけれどね」と菖蒲さんは微笑んだ。
「じゃあこうしよう。僕の部屋で休むと良い」
「え、それは」
「僕も用事を済ませる。その傍、君がちゃんと眠れているのかを確認したい」
「それなら問題ないだろう?」と手を叩く菖蒲さんにとうとう俺は何も言えなかった。
むしろ、そこまで譲歩してくれる菖蒲さんの気持ちは嬉しかった。
けど、つまりそれは。
「これは命令だ、愛佐。……《僕の部屋においで》」
……菖蒲さんはずるい。
最も俺が断りにくい条件を出してくる。そんなの、そんなことを言われてしまったら。
「……は、い」
「うん、良い返事だ」
菖蒲さんに撫でられた頭がじんわりと熱を持つ。
嬉しい。菖蒲さんに褒められるの。菖蒲さんに見捨てられずに構ってもらえるの、嬉しい。
のに。
「……」
幸福度が増すにつれ、胸の奥の棘も増えていく。チクチクと刺すような痛みはずっと消えなかった。
菖蒲さんとともに生徒会室を後にし、そのままの足取りで菖蒲さんの部屋へと向かう。
白で統一された落ち着いた部屋の中、どこもかしこも菖蒲さんのいい匂いでいっぱいのそこにソワソワしっぱなしだった。
菖蒲さんはそんな俺を寝室へと連れて行き、そのままベッドへと寝かしつける。
ベッドの端、腰をかけた菖蒲さんは俺の頭を撫でてくれた。
「愛佐は頭を撫でられる方が好きだって言ってたよね」
「……っ、は、はい……」
「君が眠りにつくまでこうしてあげるよ」
「あ、菖蒲さん……っ」
「うん?」
「お、お仕事……は……?」
さっき話では片手間に俺の様子を見るという話だったはずだ。菖蒲さんは「ああ、そうだったね」と呟き、それから悪びれもなく笑った。
「こうして君の寝顔を見ることかな」
「菖蒲さん」
「……安心して、君がぐっすり寝たらちゃんと戻るよ。だからほら、今は《おやすみ》」
頭の上から落ちてくる菖蒲さんの声は泣き疲れていた頭によく響いた。
甘えっぱなしじゃダメなのに。そう思うのに、逆らえない。その上、この人になら甘えてもいいのかもしれない、なんて思えてしまう。
「いいね、《余計なことは考えないで》。……いい夢を、愛佐」
意識がゆっくりと落ちていく。重なるコマンド。心地よい声だけが脳に残る。猥雑な思考も何もかも振り払い、ただ、菖蒲さんの熱だけが俺の体に残っていた。
閉じた瞼の奥で、軽く唇になにかが触れたような気がしたが目を開けて確認することもできぬまま俺は意識の深淵へと突き落とされるのだった。
『……ない。けど、荒療治にならざるを得ないときもある。その……には気をつけなければならない』
遠くから声が聞こえる。
この声は……菖蒲さんだろうか。
『彼の体調不良は……サブドロップ、それも重度のね。あの態度、言動からして下手すると……を誘発させかねない。……何があったかなんて………………もないよ。あの怯え方からして…………腹立たしいことにね』
壁を隔てた奥で微かに聞こえてくる声に次第に意識は浮上していく。
薄暗い部屋の中、体を起こす。硬くなった体を引きずり、恐る恐る俺は寝室の扉を開けた。
そしてリビングルームには菖蒲さんの姿を見つけた。誰かと通話していたらしい、スマホを手にしていた菖蒲さんはこちらを振り返る。
「ああ……分かってるよ。そっちも慎重にね」
俺に微笑みかけると同時に通話を終わらせ、スマホを制服にしまった。そのまま菖蒲さんはこちらに歩み寄ってくる。
「悪いね、起こしてしまったかな?」
「いえ。……こちらこそ、お電話中の邪魔をしてしまいすみませんでした」
「構わないよ。もう用件は済んでいたからね」
そう言いながらそっと頭、頬、顎の下を菖蒲さんは撫でてくる。くすぐったいし、寝起きの情けない顔を見られるのは恥ずかしい。けど、うりうりと顎の下を撫でられるのは気持ちいい。
「あの」と声を絞り出せば、菖蒲さんは「どうしたの?」と柔らかく微笑んだ。
「ベッド、ありがとうございました。……俺、もう自分の部屋に戻ります」
「なんだ、泊まればいいのに」
「いや、それは」
「愛佐、《こっちを見なさい》」
「……っ!」
「……僕は、君が傍にいてくれると嬉しい。……君がいない間確信したよ。補佐としての働きは勿論、君という存在があったからこそ僕は今まで頑張れてこれたのだと」
「あ、やめさん……?」
ぞわぞわぞわ、と足の裏から頭のてっぺんまで登ってくるのは快感にも似た甘い感覚だった。
真っ直ぐに覗き込んでくる菖蒲さんの目が眩しくて、逃げ出したいのに、逃げられない。動けない。目を逸らすことも許されない。
「《コーヒーを淹れてくれ》」
「……っ、……!」
「《砂糖はなし》……小晴や海陽の淹れたコーヒーは僕の口には合わなかった。君じゃないとダメなんだ、愛佐」
「……っ、……あ、やめ、さん……」
はいかYESしか浮かばない頭の中。無言で頷けば、菖蒲さんは「ありがとう、愛佐」と俺の頭を撫でた。
そのまま俺の隣を通り過ぎて行き、ソファーへと腰をかける菖蒲さん。
コーヒーテーブルの上には作業中らしいノートパソコンが置かれていて、本当に仕事をしていたらしい。疑っていたわけではないが、ただ自分のために時間を無為にしてるのではないと安心した。
なんだか、こういうのも久しぶりだ。
それでも俺自身ではなく、補佐として頼られることに安堵する自分がいた。きっとそれも菖蒲さんの気遣いのお陰なのだろう。それだけは分かった。
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