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しおりを挟む会長としての菖蒲さんに会いにいく。
星名の世話係を他のやつらに回すため、その話をするために。
そう決めたはずなのに、掌が熱い。
自分が緊張しているというのは分かった。いつだって菖蒲さんといる時はしっかりしようと一層気張っていたが、今回はその時の緊張とは違う。
――大丈夫だ、平常心でいろ。
小晴真夜たちとの関係を菖蒲さんに知られることのないようにしろ。
「……失礼します」
扉をノックし、俺は生徒会室の扉を開く。生徒会室には菖蒲さんと海陽先輩がいた。
二人は何かを話していたようだ。けれど、少なくとも楽しそうな雰囲気はない。
「お邪魔でしたか」
「いや、問題ないよ。……久しぶりだね、愛佐」
「それじゃあ、俺は失礼する」
「ああ、ありがとう。君にはいつも助けられているな」
海陽先輩はそのまま俺の脇を通り過ぎ、生徒会室を後にした。
問題ないと言われたが、雰囲気からして俺が来たから話を切り上げたのではないか――そんな不安が募った。
「あ、あの……」
「随分と遠いな、愛佐」
「菖蒲さん」
「……」
にこ、と微笑み、菖蒲さんはこちらに向かって手招きする。いつものように「おいで」と言われれば駆け寄ってたというのに、敢えてコマンドを使わない菖蒲さん。
俺が体調崩したことを知っていたのだろうか。
「は、い……」
何を言われるまでもなく、ふらふらと菖蒲さんの側まで歩み寄る。椅子から立ち上がった菖蒲さんはそのまま手を広げ、俺の体を抱き締めた。
「ぁ、あやめ、さん」
「……うん? なんだい?」
「お、お話があって……きました」
「……お話かあ。それって急ぎ?」
「急ぎ、では……ありませんが……」
久しぶりの菖蒲さんの体温に心臓がトクトクと反応する。前まではただこの抱擁も幸福でしかなかったのに、今は『この距離、もしかしたら真夜の匂いでも染み付いているのではないか』と思うと同時に怖くもなってしまう。
「そっか」と菖蒲さんは俺の背中に手を伸ばし、そのまま優しく俺の体を撫でた。
「ぁ、菖蒲さん……」
「緊張してるね。……体調は?」
「大丈夫です。問題はありません」
つい食い気味に答えれば、菖蒲さんは目を細める。その口元には笑みが浮かべたまま。
「……そっか、ならよかった。君が大丈夫だと思ってても見えないところに負担がかかってる場合もある。……君は我慢強いから気になっていたんだ」
「菖蒲、さん……」
「君は《頑張り屋さん》だから」
その言葉に全身がびくりと震える。
一瞬、自分でも理解できなかった。脳裏にあいつらの顔が浮かぶなんて。
「……愛佐?」
「い、いえ、なんでも……」
ないです、と声を絞り出す。なんでも、ないはずだ。なんでこんなタイミングであいつらのことを思い出さなければならないのか。
最悪だ、と後ろめたさで息が苦しくなる。
俺はそれを誤魔化すようにそっと菖蒲さんの胸を押し返した。
「愛佐?」
「……あの、会長。それよりもお話があってきました。
――転校生、星名璃空についてです」
真面目な話をしたい。
そう目で訴えかければ、それは菖蒲さんにも届いたらしい。俺からそっと手を離した菖蒲さんは再び椅子に腰を掛ける。背凭れに凭れ掛かりながら、「君も座りなよ」と菖蒲さんは近くの椅子を指差した。
「いえ」と断われば、菖蒲さんはそれ以上勧めてくることはなかった。
そして、俺は星名がSwitchであることを菖蒲さんに伝えた。
それから、あいつの世話係から外してほしいということも。
菖蒲さんは黙って僕の話を聞いていた。テーブルの上に置かれたティーカップ、そこに注がれた表面をじっと見つめながら。
「……Switch、ね」
一通り口頭で伝え終えたあと、まず菖蒲さんの口から出てきた言葉はそれだった。まるで何かを懐かしむような、そんな口調だ。
「あの、ご報告が遅れてしまって申し訳ございません……星名に黙っててほしいと言われて」
「それで、黙っててあげたんだね」
「ご、めんなさ……」
「ああ、謝らなくてもいいよ。責めてるわけじゃないんだ。……けど、黙っててほしいと言われたのに僕に話す気になった理由が気になってね」
「何かあった?」とこちらを見上げてくる菖蒲さんに息が詰まりそうになる。
この人は柔和でありながらも、その芯は鋭い人だ。不意な問い掛けに汗が滲む。
責めてるつもりはない、という言葉は本当なのだろう。それでも俺にとって星名がSwitchだと発覚したときに起きた出来事は忘れ去りたい記憶でもあった。
言葉に詰まり押し黙る俺に、菖蒲さんは「別に無理して答える必要はないよ」と逃げ場を用意してくれる。追い込むことだって出来たはずなのに、この人はいつでも俺を逃がすのだ。
そんな俺の心境を知ってか知らずか、菖蒲さんは静かに続ける。
「僕も何度かSwitchと会ったことはあるよ。大抵、後天性の場合が多い。遊びでコマンドを言い合ってたら切り替わった例もある。けど、その大抵はサブドロップやディフェンスに陥った場合転化し易い。――まあ、一種の防衛本能みたいなものだね」
「防衛本能……」
「……星名、彼は目立っていたというのは海陽からも聞いている。あまり同級生たちと上手くいっていなかったと。そして、君がそのために星名と仲良くしていたということもね」
ふとこちらへと目線を送ってくる菖蒲さんは、目が合えばふわりと微笑んだ。
――菖蒲さん、見ててくれていたのか。
嬉しかった反面、こんな形で役割放棄することになってしまったことが申し訳なくもあり、素直に喜ぶことはできなかった。
一息を吐くように、菖蒲さんは手にしていたカップをソーサーへと戻す。
「星名のことは僕に任せててくれ。悪いようにはしない。……ここまで彼の面倒を見てくれてありがとう」
微笑む菖蒲さん。その言葉に胸の奥にじんわりと熱が広がる。なのに、それと同時に後ろめたさに首を絞められているような、喉に突っかかったまま言葉は出てこない。
いえ、と言葉を絞り出すのが精一杯の俺に菖蒲さんはすうっと目を細めた。
「それから、愛佐。ここから先は僕の独り言のようなものなんだけど、……聞いてくれるかい?」
ワントーン、菖蒲さんの声が低くなる。
菖蒲さんの周囲の空気が重くなるのを感じ、自然と背筋が伸びた。
「は、い……」
「ああ、そんなにガチガチにならないで。……先に言っておくが、別に責める意図はない。答えたくなければ答えなくてもいい。けれど、大切なことだ」
す、と菖蒲さんは立ち上がる。向き合うような形で目の前に立つ菖蒲さんに思わず緊張する。俺の頬を触れよう伸びたその指は動きを止め、そして菖蒲さんは目を伏せた。
「今の君はなんというか、とても苦しそうに見える」
どくん、と鼓動が響く。一枚一枚、固めていた鍍金を剥がされていくような、そんな恐怖と不安に足が竦む。
俺の目を覗き込むように、視線を合わせた菖蒲さんはいつになく真面目な顔だった。
「……単刀直入に聞くよ。
――今僕といるのは苦痛かい?」
問いかけられたその言葉に、全ての音が遠くなる。
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