飼い犬Subの壊し方

田原摩耶

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 星名が帰ったあと、俺もさっさと帰ろうとしたところで小晴に引き止められた。

「今日はここで休んで行ったらどうだ?」

 笑いかけてくる小晴。
 そう言えばこの男は弟の真夜と同室だった気がしたが、そんなところに邪魔する気にはならない。

「大丈夫だ、部屋に戻る」
「《駄目》だ、寝てろ」

 そうさっさと小晴の部屋を出ようと足を踏み出したとき、ぐらりと頭の重心が傾く。
 転倒しそうになり、「おっと」と小晴の腕に抱えられた。一瞬何が起きたのかわからなかったが、にやりと笑う小晴を見て何をされたのか察する。

「お~よちよち、素直な方がいいぞ」
「っ、コマンドを気安く……っ、使うな……っ!」
「お前が強情だからだよ。それに、何かあったときのためにプレイの相手はいた方が良いだろ?」
「……っ」

 もっともらしいことを言う。

「……今のお前の軽率な行動のせいでストレス値が上がった」
「じゃあ癒やしてやる。何がいい? 抱っこか? 頭を撫でられるのが好き? それとも、耳元で一晩囁きかけてやろうか」
「……っ、いらない、余計なことするな!」

「はいはい」と笑いながら小晴は俺を抱きかかえ、そのままリビングのソファーへと座らせる。大きな掌で雑に頭を撫でられ、ぐちゃぐちゃになる髪の毛に「やめろ」と頭を振るが、小晴は手を止めない。

「そう嫌うなよ。俺、お前になんかしたか?」
「たった今な」
「それは抜きにしてだよ。お前はずっと俺のことを毛嫌いしてる。流石に傷つくだろ?」
「……」

 頭を撫でる手はゆっくりと背中へと回っていく。癇癪起こす子供を宥めるみたいに優しく何度も背中を擦られ、ずっと張り詰めていた緊張が僅かに緩んだ。

「俺は……いい加減なやつが嫌いだ」
「あとチャラチャラしたやつだっけか?」
「……お前は、……一年生の間でも有名人だ」

「なんて?」と耳元で小晴は問い掛けてくる。吹きかかる吐息にぶるりと背筋が震えた。

「《言ってみろ》」
「……っ」

 また、コマンド。
 息をするように、慣れている。Domだと知った今、意図を持ってコマンドを操るこの男が憎たらしくて仕方なかった。

「人を弄ぶ、と」
「……っく、はは、なんだそりゃ。随分とお上品な言い方だな、愛佐君らしいけど」
「……っ、命令したのはお前だ」
「どうせ適当なやつヤリ捨てしてるとかそういうのだろ。俺らの噂って」
「……!」
「お前だって知ってるだろ? 俺ほど真面目に執務こなしてる男はいねーよ。……真夜は知らねえけど」

 痛くも痒くもねえな、という顔で小晴は笑う。
 全て知ってるのか。
 双子というのも珍しいのに、ただでさえ人を惹きつける容姿の二人だ。それに立場も加え、月夜野兄弟に対する醜聞は酷いものだった。
 でも、それだけでは俺は信じない。実際に何度か校内で他の生徒と行為に及んでるのを見たことがある。あの時はまだ俺が生徒会に入る前だったし、まさかこの男が生徒会に所属してる人間だとは知らなかった。

「あー……その顔、なんか見たんだ?」
「……っ、……」
「けど、それ言うんだったら愛佐君とご主人様も同じようなものだろ? 俺も、合意の上のプレイだったわけだし?」
「……! そう、だったのか?」
「そうだよ。人助けみたいなもん。ほら、Subって放っておいたら辛いんだろ? だから、相手いないって子がいたら声かけてやってたんだよ」
「……そう、だったのか」

 確かに、同じようなものだと言われたら何も言えなくなる。
 でも、同時にこの男がDomだと分かって印象が変わった。校内で行為に及んだこの男が罪ならば、生徒会室で菖蒲さんの上に跨った俺も同罪だ。

「……それは、すまなかった。今までの非礼も詫びる」

 頭を下げれば、小晴は目を丸くする。

「随分と素直だな」
「……見直した」
「そこまで? ちょい単純過ぎて心配になるけど?」
「俺は引き摺らない男だからな」
「そうか? ……まあ、そういうことにしといやるか」

 くつくつと笑い、小晴は俺の頭を撫でる。
 さっきよりも少しだけ不快感はなかった。けれど。

「だからって、いきなり馴れ馴れしく触るな……っ!」
「あれ? 大体のSubは喜ぶんだけどな」
「俺とお前はあくまでも同じ生徒会の人間ってだけだ。恋人でもなんでもない、弁えろ……っ!」
「……あー、はいはい。やっぱお前、こっちのがいいな」

「何笑ってるんだ」と睨めば、小晴は「別にー?」とわざとらしく俺から手を離した。
 悪いやつではないと分かったが、それでもやっぱりいきなり慣れろと言われても難しい。それに、この男には色々言いたいことがあるのだ。

「……いつからだ」
「ん?」
「いつから菖蒲さ……会長と、俺のこと……」
「あれ? お前の御主人様って会長なんだ?」
「……っ!」

 この期に及んでカマを掛けたのか、と思わず立ち上がりそうになる俺の肩に手を回し、「なーんてな」と小晴は笑った。

「そりゃ、見たら分かるっての。あんだけ全身でスキスキ言ってりゃな」
「い、言ってない……っ!」
「それに、会長は別にDomってこと隠してねえし? お前みたいにホイホイ懐くSubも多いからな。ほら、会長優しいだろ? 真面目だし」

 ……確かに。それに関しては全面的に肯定せざる得ない。
 うんうんと頷く俺の顔を覗き込んだまま、小晴は目を細める。

「そいつらと愛佐君、同じ目してたから」

 他のSubの存在は知っていたが、そんな不特定多数と同じと言われて胸の奥が微かに軋む。
 恥ずかしさもあった。生徒会の一員としている時はせめてバレないようにと取り繕っていたというのに。
 この男がDomだから気付いたのか。

「会長とのことは……」
「言わねえよ」
「ほ、本当に?」
「てか、俺が言わなくても皆気付いてるだろうけど」
「……っ!」
「あ、でも海陽先輩はそういうの疎いからな。案外大丈夫なのかも?」

 一人ごちる小晴に心底ほっとする。
 海陽先輩にまでバレていたとなると、次からどんな顔をして生徒会室に行けばいいのかわからなくなる。

「と、とにかく、他言無用だ……! 会長にも迷惑が掛かる。だから――」
「じゃあさ、俺に鞍替えすんのもありじゃん?」

 ごく当たり前のことのようにそんなことを言い出す小晴に思わず固まった。
 鞍替え。何故。意味がわからん。

「なんで」
「プレイの相手が欲しかったから会長に頼んでたんだろ? あの人、ここ最近忙しそうじゃん。だから、俺の方が愛佐君のこと可愛がってあげれるよなって思ってさ」

 善意だよ、善意。
 そうからりと笑う小晴の言葉を咀嚼するのに少し、時間がかかった。

「それとも、体の相性が大事だってんなら試してみる?」
「……っ、やっぱり、お前は……好かん」
「何が気に入らねえのよ、俺の」
「その態度だ、お前は……俺が会長に対して不満があると思ってる態度が気に入らない」

 そして、それに付け込もうとしてくる態度も。

「俺は会長に不満は一切ないし、会長に捨てられるまであの人以外とどうこうなるつもりはない。……お前の手助けは必要ない」

 思ってた以上に俺の琴線に触れた。
 分かっていた。多分俺とこの男は性質的に相性が悪いと。根本的な思考が相容れないのだと。

 一息に言葉を吐いた瞬間、小晴の顔から笑顔が抜け落ちる。それもほんの一瞬のこと。「ああ、そう?」と口角を持ち上げるだけの笑みを浮かべるのだ。

「随分しっかりとしてんね。一途じゃん」
「大抵はそうだ」
「それはお前が何も知らないだけだよ」

 どういう意味だ、と小晴を睨みつけたとき。玄関の扉の方から物音が聞こえてきた。
 片割れが戻ってきたのか。慌てて俺は小晴から距離を取ろうとしたとき、扉が開く。そして、そこから現れたのは想定してなかった人物だった。

「やあ、愛佐。体調はどうだい?」
「ぁ、あ、菖蒲さん……!」

 どうしてここに、と慌てて姿勢を正す。菖蒲さんの背後からは真夜が顔を出した。

「さっきそこで転校生と会長と会ってさ……愛ちゃん大変だったね。大丈夫?」
「も……問題はない、見ての通りだ」

 別にやましいことはないはずなのに、咄嗟に誤魔化してしまった。「そうかい、それならよかった」と微笑む菖蒲さんに胸の奥がざわつく。

「小晴、愛佐の面倒見てくれてありがとう」
「いーえ、別に。俺の可愛い後輩でもあるんで」
「君に後輩可愛がる趣味があったのは驚きだよ。……ほら、愛佐。《おいで》」

 大好きな声に呼びかけられる。本能が喜んでいる。
 菖蒲さんに求められている。それだけで傷ついていた肉体が修復されているようだった。
 ふらりと立ち上がり、縺れそうになる足を無理矢理動かして菖蒲さんの元へと向かえば、そのまま菖蒲さんは俺を抱き締めるように受け止めた。

「おっと……まだ本調子じゃないんじゃないか」
「ぃ……いえ、大丈夫です」
「強がりは罪だよ」

 その一言にまた胸の奥がずきんと疼く。
 それも一瞬、「それじゃ、僕たちは失礼するよ」と会長は双子たちに笑いかける。月夜野兄弟は俺達を視線で見送るだけで何も言わなかった。
 ――最後まで小晴の視線がやけに絡みついてきた気がしたが、気のせいだと思うことにする。
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