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√α:ep.2『解いて結ぶ』
04
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「……」
「……」
「……あの、落ち着いた?」
「僕は最初から落ち着いている」
「ご、ごめん」
場所は変わって、適当な空き教室内。
俺と安久は二者面談のように一つの机を挟んで向き合って座っていた。
授業中ということもあって周囲に人気がないことは助かった。が、問題はここからだ。
「それで、さっきの話なんだけど……どうしてそこまで芳川会長のことを目の敵に……」
「会長なんて言うな!」
「あいつに会長になる資格なんてないんだよ、これっぽっちも、あんなやつ……」突然声を張り上げる安久にぎょっとする。
――まただ。どうも、安久は芳川会長の話題になると平常ではいられなくなるようだ。
「本当は、伊織さんのために用意された席なのに、それをあいつが……前会長を……っ」
どう声をかけたらいいのか迷っている時、拳をきつく握りしめ低く呻く安久の言葉に思わず「え?」と聞き返す。
「ちょっと、待って、それってどういう……」
「そのままだよっ! 自分が会長になりたくて、あいつは伊織さんを嵌めたんだ! それだけじゃない、前会長まで陥れて……っ」
「あんたは転校してきたばかりだから知らないだろうけど、無茶苦茶なんだよ、あいつは! 自分のことしか考えていない、あんたのことだってこれっぽっちも考えてないからな」これっぽっちも、と安久は親指と人差し指を近付け一センチ程度の隙間を作る。
ヒステリックに声を上げる安久の言葉の半分くらいは頭に入らなかった。
阿賀松のために用意された席――その言葉が鼓膜にこびりついたように離れなくて。
「あいつは自分の利益しか興味無いんだ」
「……証拠は?」
「……なに?」
「証拠はあるの? ……その、会長が先輩たちを嵌めたっていう証拠は」
阿賀松が生徒会長になるはずだったということにただ驚いた。
その反面、納得する自分がいた。
阿賀松くらいプライドと自尊心が高いとなると会長になれなかったら妬むだろう。妬みから憎悪の逆恨みに転換するというのはなくはない話だ。
だけど、会長が現在の立場に上り詰めるために阿賀松を陥れたというとなるとまた話が変わってくる。
「……僕のいうことが信じれないって?」
「違う、そうじゃないんだ。ただ……」
会長がわざわざ阿賀松や前会長を陥れる必要があるのかがわからなかった。
そんなことしなくても、会長なら生徒たちの支持を集めることは容易いことだろう。
裏でなにしていたとしても、表向きの会長の堂々とした立ち振る舞いや気遣い、人気は全てが全て偽りではないはずだ。
わざわざ敵を作るようなことをしなくても、会長なら小細工抜きで生徒会長に選ばれるはずだ。
……そう思ってしまう俺は既に洗脳されているということか。
だけど、そう思わせるものが会長にあるのは事実だ。少なくとも、俺にはそう感じた。
「それなら当事者に聞いてみればいいだろ」
「当事者って」
――まさか会長に?
痺れを切らしたように息を吐く安久は苛ついた調子で俺を睨みつけた。
そして、その名前を口にした。
「――志摩亮太」
「あんたたち、仲良いんだろ」そう、しっかりとした口調で続ける安久に今度こそ俺は思考停止した。
「……志摩が、当事者?」
恐る恐る口に出してみて、ようやくその言葉の意味を咀嚼することができた。
――志摩が当事者。
どうしてここで志摩が出てくるのかわからなくて、ただ戸惑った。そんな俺に、安久は意外そうな顔をするのだ。
「なんだ、あんた知らなかったの? あいつの兄貴は生徒会長だよ」
「でも、志摩にお兄さんはいないって」
「いる。二つ上に」
「いや、いたって言った方があってるか?」そして、少し考えて訂正する安久に血の気が引いていく。
「……っ、ちょっと待って、いたって、まさか……」
『あいつは人殺しだ』
今朝、阿賀松が電話越しで口にした言葉が脳裏に蘇る。
でも、でも、と、まだどこかで信じられなかった。けれど、実際自分の悪い想像を否定する素材はどこにもなかった。
「……あんたの考えている通りだよ、齋藤佑樹」
その安久の言葉に、まるでトドメを刺されたかのように全身から血の気が引いた。
気が遠くなる。ざあっと全身の血の気が引く音が耳の裏から聞こえてくるようだった。
もしかしたらこれは夢かもしれない。そう思いたいくらい、安久から聞かされた内容はあまりにも俺にとって聞きたくなかったものだった。
「あんた、証拠が欲しいって言ったよね。志摩亮太に聞いてみればいい。そうすれば、馬鹿なお前にもわかるはずだ。――あいつが、どれだけ汚いやつかって」
静かな空き教室内、響く安久の声が酷く大きく聞こえた。
安久と別れた俺は、一人空き教室の中にいた。
志摩に会って話を聞く。次の目的は決まったのに、中々一歩を踏み出すことはできなかった。
そして、手の中。ピンク色のカバーがハメられた携帯端末を眺めた。
――数分前。
「携帯、持ってるんだろ。出せよ」
そう手をこちらへと差し出す安久。
「え」と狼狽える俺に構わず、「連絡先登録する。時間がない、用意できたら僕の連絡して」と制服から髪と同じ色の淡いピンクの携帯を取り出した安久は続ける。
「いち早く伊織さんの処分を免除したいんだよ、僕は」
「えっ、でも、あの……」
「決心ついてからでいい。無理強いしたところであんたが口を開かなければ話しにならないんだからな」
「どうせ、全てを知ればあんたはあいつの味方するのがどれだけ馬鹿な真似だったのかわかるよ」そう皮肉るように笑みを浮かべる安久。
渋々ではあるものの、まさか安久から連絡先の交換を要求される日が来るなんて思ってもなかった。
……というかそれ以前に。
「いや、あの俺、携帯持ってなくて……」
「…………」
間。
「ほんっとう、間が悪いやつだな!」
「ご……ごめん」
「時間がないんだって言ったばかりだろ……っ! クソ、ほらよ」
そして、安久は制服のポケットからもう一台端末を取り出したのだ。ピンク色のカバーがついた携帯端末だ。どうやら安久のサブ端末のようだ。
「そっちに僕の本体の連絡先も入ってるから、なにかあったらすぐに連絡してよ」
「わ、わかった……ちゃんと返すね」
「いらない。あんたが触ったものなんて僕使いたくないし、好きにしていいよ」
「あ、ありがとう、安久」
まるで消しゴムの貸し借り感覚な安久に『本当にいいのかな』とも不安になったが、ありがたいことには変わりない。
言われたまま制服のポケットにピンクのカバーの携帯を仕舞えば、安久は「ふんっ」と鼻を鳴らした。
そして不機嫌になった安久は部屋を出ていき、俺一人がこの教室に取り残されていた。
それにしてもこれは使えるかもしれない。
あとは志摩の連絡先がわかればいいのだが、と慣れない端末の操作に試行錯誤しながらも連絡先を確認すれば、やはりそこに志摩の名前はなかった。
無理もない、あの二人裏で連絡し合ってるような仲には見えないしな。
なんて納得しつつ、念の為他の登録された連絡先を確認してると、とある名前に視線が止まる。
「縁、方人…………」
そこに表示された名前に俺は息を飲んだ。
縁ならば志摩の連絡先は知ってるはずだ。
けれど、俺から直接縁に連絡する気にはなれなかった。安久のフリしてメッセージを送るのも考えたが、どうしてもあのときの縁とのやり取りが過ぎって気が進まない。
――やっぱりやめよう、別の方法を考えればいい。それに、志摩には最悪直接会いに行けばいいんだ。
そう自分を納得させながら、俺は端末をしまおうとしたとき、間違えて縁の連絡先に通話をかけてしまう。
画面が切り替わり、聞こえてくるコール音に心臓が停まりそうになった。
まずい、と慌てて電話を止めさせようとしたときだった。
響いていた呼出音が消え、そして――。
『もしもし?』
画面が切り替わり『通話中』の文字が表記される。そして端末から聞こえてきた柔らかいその声に全身が凍りついた。
縁方人が電話に出た。
――最悪だ。
『なに? 俺今忙しいんだけど。……安久? おい、またイタズラかよ。おい、おーい!』
「……っ、……」
どうしよう。頭が真っ白になり、声も出せず、通話を切るという判断すら忘れていた。
そんな俺に気付いていないようだ、端末越しに縁の舌打ちが聞こえてくる。
『ったく、用ねーなら切……ぉわっ!』
そのときだった。縁の驚いたような声とともに、大きな雑音が入った。
『っくそ、おい、待てやコラァ!!』
なにが起きたのか、と端末に耳を押し付けた矢先、聞いたことのない縁の怒鳴り声が聞こえてきた。そして次の瞬間、ぶつりと音を立てて通話が切れてしまう。
「……っ、……」
暫く俺は通話時間が表示された画面を見つめたまま動けなかった。
なにかあったのは間違いないだろう。けど、先程の縁の怒声からして俺のいないところでなにかが起きている。
そこまで考えて、現在時刻に気づく。生徒会室を出てもうすでに三十分近く経っていた。
まずい、これ以上もたもたしてる時間も惜しい。――とにかく志摩を探そう。
この時間帯ならば志摩も授業を受けているはずだ。教室に向かおう。
授業中であるこの時間ならば人に会うことはないが、念の為だ。なるべく目立たないよう、非常階段を使って二年の教室がある階へと降りることにする。
――非常階段前。
重たい鉄製の扉を開こうとしたとき、ふと扉の向こうに人の気配があることに気づく。
そして、そこにいた人物も俺に気付いたようだ。
「齋藤君?」
「灘君……っ?!」
まさか灘も俺がこんなところにいるとは思っていなかったらしい。ほんの僅かに灘の目が開かれた。それは俺も同じだ、なんで灘ここにいるのだ。
「何故ここに」と尋ねてくるその目には咎めるようなものがあった。どうやら灘は俺が勝手に生徒会室を抜け出したのだと思ってるようだ。
「こ……っ、これは、その……」
誤解を解かなければ。しかし、説明すれば長くなる。
そうごにょごにょと口籠ったときだった、灘に腕を掴まれる。
「えっ、あの、ごめんなさ……っ」
そのまま生徒会室に連れ戻されるのかと思ったが、違った。
非常階段から出た灘は、そのまま非常階段から離すように来た道を大股で戻っていく。
「えっ、ちょ、灘くん……っ」
「すみません、静かにしていただけますか」
「あ、ごめ……」
……どこに行くのかは教えてくれないようだ。
灘に引きずられるような形でやってきたのは生徒会室――ではなかった。用務用のロッカーが並ぶその通路で灘は足を止める。
ここになにか用があるのだろうか。いくつかのロッカーの扉を開き、中を確認した灘はそのまま空のロッカーの前で動きを止めた。
そして。
「すみません。少しだけでいいので、大人しくして下さい」
「へ」
どういう意味だ、と尋ねるよりも先に腕を引っ張られ、そしてそのままロッカーに詰め込まれた。
灘君、と驚いて目の前の灘を見上げる。灘は「静かに」とだけ唇を動かした。怒ってるわけでもない、なんだか事情があるのだろう。俺はつられて自分の口を手で塞ぎ、数回頷き返せば灘はそのままロッカーの扉を閉め、俺を閉じ込めたのだ。
なんなのだろう、なにが起きてるのだ。
隠れてろ、ということなのだろうか。ロッカーの扉の小さな口から灘の後頭部が見えた。
そんなとき、遠くからなにかを引きずるような音が聞こえてくる。灘は扉のすぐ向こうにいる、ならば、誰だ。
そう身構えたときだった。
『……あー、やっと追い付いた』
聞こえてきた声に息を飲む。
先程通話で聞いたその声が、今ロッカーの外から聞こえてきた。
『こんなところまで来るか? 普通。……俺、一応怪我人なんだからさぁ……こっちの身にもなれよ』
縁方人だ。縁がすぐそこにいた。
聞こえてきたのは間違いなく縁の声だった。
まだ快調ではないのだろう、僅かに息を切らした縁の声にはいつもの余裕が感じられない。
どうして縁が、と戸惑う反面、先程間違えてかけてしまった電話の内容を思い出す。
いきなり途切れた通話。もしかして、と俺は扉の向こう側にいるであろう灘に目を向けた。
勿論、灘はこちらに目もくれない。
『あそこでなにしていた?』
『分からずに追い掛けてきたんですか』
『視界に入った害虫は潰す主義なんだよ』
「……っ」
扉越しに聞こえてくるやり取りに耳を澄ませていると、なにか重いものが扉にぶつかる。ロッカー全体が揺れた。
扉に空いた小さな窓からなにからも見えない。どうやららぶつかったのは灘の体のようだ。
『……これ以上騒ぎを大きくすれば、痛い目見るのはそちらでは』
『そ、だから一緒に痛い目見ようか――って話なんだけど、どうかな?』
『拒否します』
そう灘が即答したときだった。さらに何かがぶつかるような音がし、そして縁が小さく呻いた。
ロッカーの外で何が起きているのかわからないからこそ恐ろしかった。
『クソ生意気だな、お前』
『でしたら、俺のことはお構いなく』
『見逃すわけねーだろ!』
瞬間、派手な音を立てて扉になにかがぶつかった。次に聞こえてきた灘の呻き声に血の気が引く。
これ以上はまずい。ロッカーごと壊すつもりかと思うほどの振動と物音に不安になり、慌てて扉を開けて止めに入ろうかと思ったが、そうすることはできなかった。
俺が出てこれないよう、灘は体で扉を塞いでいたのだ。
それでも声を出せば、或いは縁の注意を逸らすことくらいはできるはずだ。そう考えたときだった。
ロッカーの扉に空いた一センチ、くらいの隙間からなにかが入ってきた。
ひらりと落ちるそれを咄嗟に手に取れば、どうやらそれはぐしゃぐしゃになったメモ用紙のようだ。
灘がわざと入れたのだろう。少し迷いながらもそのメモ用紙を開けば、そこには『315』とだけ書かれていた。
『下っ端如きが俺の手間掛けさせんじゃねーよっ! なぁっ?!』
それからすぐ、聞いたことのない縁の声に全身が震えた。いつも優しい縁ばかり見てたせいか、こっちが本性なのかと今更驚くのもおかしな話だ。俺は既にこの男の凶暴性を知ってるはずだ。
殴られてるのだろう、それでも扉は開かない。灘が身を呈して守ってくれているのだと思うと余計歯がゆくて、どうすれば、と必死に考えた矢先のことだった。
『方人さん、何やってんすか!』
遠くから聞こえてきた声。その声は仁科の声だった。
第三者の登場に内心ホっとしたが、一応仁科も阿賀松側の人間だ。このままでは灘の状況は悪化するのでは無いのか。
『うるせえな、お前も邪魔すんのかよ……っ、なにかあったらてめえが代わりに責任取んのかよ、あぁっ?!』
『いっいえ、あの、傷が開いてますから……!』
興奮しているのか、怒鳴る縁にビクついた仁科は慌てて指摘する。
よほど体に無理していたのだろう。しかし、当の本人は気にとめてもいなかったのか『あ?』と素っ頓狂な声を上げた。
その次の瞬間だ。
『っ、ぐァッ!』
なにかが壁にぶつかるような音がした。それが縁の体だと気付いたとき、ロッカーを塞いでいた灘の影が動いた。
『っまた鬼ごっこかよ……ッ!! いいぜっ、捕まえてぶっ殺してやる!』
それからすぐにバタバタと騒がしい足音が響く。
どうやら、灘が逃げたようだ。後を追いかけたらしい縁に、仁科は『方人さん、駄目ですって!方人さん!』と声を上げながら更に追いかけていく。
どんどんと遠ざかる声。そして、あっという間に辺りに静粛が戻った。
薄暗いロッカーの中、俺は灘が無事逃げ切ることを祈ることしかできなかった。
それから完全に辺りに人がいないのを確認して、俺はロッカーから外に出る。
俺が閉じ込められていたロッカーもだが、他のロッカーもなかなか酷い有様になっていた。先程からずっと感じていた振動はロッカーを蹴ったものなのだろう。ボコボコになったそれらを一瞥し、俺は灘たちが向かったであろう通路の奥に目を向ける。そこにはもう人影すら見当たらなかった。
――それにしてもなんだろうか、これは。
手を開き、俺は灘から受け取ったメモ用紙に目を向ける。
『315』と謎の数字が書かれた灘のメモ。これがなにを意味するのか、なぜ、あのタイミングで俺に渡してきたのか。
そこまで考えて、一つの可能性に気づく。
――いや、違う、灘は俺に渡したんじゃない。手放したんだ。縁に見つからないように。
だとしたら、これはなにか縁に関係するもなのだろうか。
そう考えると、手の中のそれが爆弾かなにか危険物のように見えてきてしまう。
「ど……どうしよう……」
三桁ということは電話番号でもなさそうだし、もしかしたら学生寮の部屋番号だろうか。
なんて一人ロッカーの中で考えていると、制服のポケットが震えた。
――縁から電話だ。
「……っ」
安久から借りていた携帯端末を握り締め、えいっと俺は通話を切った。
なんで縁から安久に電話が、もしかして助けを求めているということだろうか。それとも、灘を捕まえたという報告か。切ってしまった今、不安だけがぐるぐると残る。
……志摩から話を聞かなければならない。だけど、灘たちを無視することもできなかった。
限られた時間の中、焦った思考は判断力を鈍らせる。
どこにいるかわからない志摩よりも、逃げている灘が気になった。
こうなったらやけくそだ、とロッカーの扉を開いた俺は、先程灘たちが走っていったであろう方向へ向かって走り出した。
「……」
「……あの、落ち着いた?」
「僕は最初から落ち着いている」
「ご、ごめん」
場所は変わって、適当な空き教室内。
俺と安久は二者面談のように一つの机を挟んで向き合って座っていた。
授業中ということもあって周囲に人気がないことは助かった。が、問題はここからだ。
「それで、さっきの話なんだけど……どうしてそこまで芳川会長のことを目の敵に……」
「会長なんて言うな!」
「あいつに会長になる資格なんてないんだよ、これっぽっちも、あんなやつ……」突然声を張り上げる安久にぎょっとする。
――まただ。どうも、安久は芳川会長の話題になると平常ではいられなくなるようだ。
「本当は、伊織さんのために用意された席なのに、それをあいつが……前会長を……っ」
どう声をかけたらいいのか迷っている時、拳をきつく握りしめ低く呻く安久の言葉に思わず「え?」と聞き返す。
「ちょっと、待って、それってどういう……」
「そのままだよっ! 自分が会長になりたくて、あいつは伊織さんを嵌めたんだ! それだけじゃない、前会長まで陥れて……っ」
「あんたは転校してきたばかりだから知らないだろうけど、無茶苦茶なんだよ、あいつは! 自分のことしか考えていない、あんたのことだってこれっぽっちも考えてないからな」これっぽっちも、と安久は親指と人差し指を近付け一センチ程度の隙間を作る。
ヒステリックに声を上げる安久の言葉の半分くらいは頭に入らなかった。
阿賀松のために用意された席――その言葉が鼓膜にこびりついたように離れなくて。
「あいつは自分の利益しか興味無いんだ」
「……証拠は?」
「……なに?」
「証拠はあるの? ……その、会長が先輩たちを嵌めたっていう証拠は」
阿賀松が生徒会長になるはずだったということにただ驚いた。
その反面、納得する自分がいた。
阿賀松くらいプライドと自尊心が高いとなると会長になれなかったら妬むだろう。妬みから憎悪の逆恨みに転換するというのはなくはない話だ。
だけど、会長が現在の立場に上り詰めるために阿賀松を陥れたというとなるとまた話が変わってくる。
「……僕のいうことが信じれないって?」
「違う、そうじゃないんだ。ただ……」
会長がわざわざ阿賀松や前会長を陥れる必要があるのかがわからなかった。
そんなことしなくても、会長なら生徒たちの支持を集めることは容易いことだろう。
裏でなにしていたとしても、表向きの会長の堂々とした立ち振る舞いや気遣い、人気は全てが全て偽りではないはずだ。
わざわざ敵を作るようなことをしなくても、会長なら小細工抜きで生徒会長に選ばれるはずだ。
……そう思ってしまう俺は既に洗脳されているということか。
だけど、そう思わせるものが会長にあるのは事実だ。少なくとも、俺にはそう感じた。
「それなら当事者に聞いてみればいいだろ」
「当事者って」
――まさか会長に?
痺れを切らしたように息を吐く安久は苛ついた調子で俺を睨みつけた。
そして、その名前を口にした。
「――志摩亮太」
「あんたたち、仲良いんだろ」そう、しっかりとした口調で続ける安久に今度こそ俺は思考停止した。
「……志摩が、当事者?」
恐る恐る口に出してみて、ようやくその言葉の意味を咀嚼することができた。
――志摩が当事者。
どうしてここで志摩が出てくるのかわからなくて、ただ戸惑った。そんな俺に、安久は意外そうな顔をするのだ。
「なんだ、あんた知らなかったの? あいつの兄貴は生徒会長だよ」
「でも、志摩にお兄さんはいないって」
「いる。二つ上に」
「いや、いたって言った方があってるか?」そして、少し考えて訂正する安久に血の気が引いていく。
「……っ、ちょっと待って、いたって、まさか……」
『あいつは人殺しだ』
今朝、阿賀松が電話越しで口にした言葉が脳裏に蘇る。
でも、でも、と、まだどこかで信じられなかった。けれど、実際自分の悪い想像を否定する素材はどこにもなかった。
「……あんたの考えている通りだよ、齋藤佑樹」
その安久の言葉に、まるでトドメを刺されたかのように全身から血の気が引いた。
気が遠くなる。ざあっと全身の血の気が引く音が耳の裏から聞こえてくるようだった。
もしかしたらこれは夢かもしれない。そう思いたいくらい、安久から聞かされた内容はあまりにも俺にとって聞きたくなかったものだった。
「あんた、証拠が欲しいって言ったよね。志摩亮太に聞いてみればいい。そうすれば、馬鹿なお前にもわかるはずだ。――あいつが、どれだけ汚いやつかって」
静かな空き教室内、響く安久の声が酷く大きく聞こえた。
安久と別れた俺は、一人空き教室の中にいた。
志摩に会って話を聞く。次の目的は決まったのに、中々一歩を踏み出すことはできなかった。
そして、手の中。ピンク色のカバーがハメられた携帯端末を眺めた。
――数分前。
「携帯、持ってるんだろ。出せよ」
そう手をこちらへと差し出す安久。
「え」と狼狽える俺に構わず、「連絡先登録する。時間がない、用意できたら僕の連絡して」と制服から髪と同じ色の淡いピンクの携帯を取り出した安久は続ける。
「いち早く伊織さんの処分を免除したいんだよ、僕は」
「えっ、でも、あの……」
「決心ついてからでいい。無理強いしたところであんたが口を開かなければ話しにならないんだからな」
「どうせ、全てを知ればあんたはあいつの味方するのがどれだけ馬鹿な真似だったのかわかるよ」そう皮肉るように笑みを浮かべる安久。
渋々ではあるものの、まさか安久から連絡先の交換を要求される日が来るなんて思ってもなかった。
……というかそれ以前に。
「いや、あの俺、携帯持ってなくて……」
「…………」
間。
「ほんっとう、間が悪いやつだな!」
「ご……ごめん」
「時間がないんだって言ったばかりだろ……っ! クソ、ほらよ」
そして、安久は制服のポケットからもう一台端末を取り出したのだ。ピンク色のカバーがついた携帯端末だ。どうやら安久のサブ端末のようだ。
「そっちに僕の本体の連絡先も入ってるから、なにかあったらすぐに連絡してよ」
「わ、わかった……ちゃんと返すね」
「いらない。あんたが触ったものなんて僕使いたくないし、好きにしていいよ」
「あ、ありがとう、安久」
まるで消しゴムの貸し借り感覚な安久に『本当にいいのかな』とも不安になったが、ありがたいことには変わりない。
言われたまま制服のポケットにピンクのカバーの携帯を仕舞えば、安久は「ふんっ」と鼻を鳴らした。
そして不機嫌になった安久は部屋を出ていき、俺一人がこの教室に取り残されていた。
それにしてもこれは使えるかもしれない。
あとは志摩の連絡先がわかればいいのだが、と慣れない端末の操作に試行錯誤しながらも連絡先を確認すれば、やはりそこに志摩の名前はなかった。
無理もない、あの二人裏で連絡し合ってるような仲には見えないしな。
なんて納得しつつ、念の為他の登録された連絡先を確認してると、とある名前に視線が止まる。
「縁、方人…………」
そこに表示された名前に俺は息を飲んだ。
縁ならば志摩の連絡先は知ってるはずだ。
けれど、俺から直接縁に連絡する気にはなれなかった。安久のフリしてメッセージを送るのも考えたが、どうしてもあのときの縁とのやり取りが過ぎって気が進まない。
――やっぱりやめよう、別の方法を考えればいい。それに、志摩には最悪直接会いに行けばいいんだ。
そう自分を納得させながら、俺は端末をしまおうとしたとき、間違えて縁の連絡先に通話をかけてしまう。
画面が切り替わり、聞こえてくるコール音に心臓が停まりそうになった。
まずい、と慌てて電話を止めさせようとしたときだった。
響いていた呼出音が消え、そして――。
『もしもし?』
画面が切り替わり『通話中』の文字が表記される。そして端末から聞こえてきた柔らかいその声に全身が凍りついた。
縁方人が電話に出た。
――最悪だ。
『なに? 俺今忙しいんだけど。……安久? おい、またイタズラかよ。おい、おーい!』
「……っ、……」
どうしよう。頭が真っ白になり、声も出せず、通話を切るという判断すら忘れていた。
そんな俺に気付いていないようだ、端末越しに縁の舌打ちが聞こえてくる。
『ったく、用ねーなら切……ぉわっ!』
そのときだった。縁の驚いたような声とともに、大きな雑音が入った。
『っくそ、おい、待てやコラァ!!』
なにが起きたのか、と端末に耳を押し付けた矢先、聞いたことのない縁の怒鳴り声が聞こえてきた。そして次の瞬間、ぶつりと音を立てて通話が切れてしまう。
「……っ、……」
暫く俺は通話時間が表示された画面を見つめたまま動けなかった。
なにかあったのは間違いないだろう。けど、先程の縁の怒声からして俺のいないところでなにかが起きている。
そこまで考えて、現在時刻に気づく。生徒会室を出てもうすでに三十分近く経っていた。
まずい、これ以上もたもたしてる時間も惜しい。――とにかく志摩を探そう。
この時間帯ならば志摩も授業を受けているはずだ。教室に向かおう。
授業中であるこの時間ならば人に会うことはないが、念の為だ。なるべく目立たないよう、非常階段を使って二年の教室がある階へと降りることにする。
――非常階段前。
重たい鉄製の扉を開こうとしたとき、ふと扉の向こうに人の気配があることに気づく。
そして、そこにいた人物も俺に気付いたようだ。
「齋藤君?」
「灘君……っ?!」
まさか灘も俺がこんなところにいるとは思っていなかったらしい。ほんの僅かに灘の目が開かれた。それは俺も同じだ、なんで灘ここにいるのだ。
「何故ここに」と尋ねてくるその目には咎めるようなものがあった。どうやら灘は俺が勝手に生徒会室を抜け出したのだと思ってるようだ。
「こ……っ、これは、その……」
誤解を解かなければ。しかし、説明すれば長くなる。
そうごにょごにょと口籠ったときだった、灘に腕を掴まれる。
「えっ、あの、ごめんなさ……っ」
そのまま生徒会室に連れ戻されるのかと思ったが、違った。
非常階段から出た灘は、そのまま非常階段から離すように来た道を大股で戻っていく。
「えっ、ちょ、灘くん……っ」
「すみません、静かにしていただけますか」
「あ、ごめ……」
……どこに行くのかは教えてくれないようだ。
灘に引きずられるような形でやってきたのは生徒会室――ではなかった。用務用のロッカーが並ぶその通路で灘は足を止める。
ここになにか用があるのだろうか。いくつかのロッカーの扉を開き、中を確認した灘はそのまま空のロッカーの前で動きを止めた。
そして。
「すみません。少しだけでいいので、大人しくして下さい」
「へ」
どういう意味だ、と尋ねるよりも先に腕を引っ張られ、そしてそのままロッカーに詰め込まれた。
灘君、と驚いて目の前の灘を見上げる。灘は「静かに」とだけ唇を動かした。怒ってるわけでもない、なんだか事情があるのだろう。俺はつられて自分の口を手で塞ぎ、数回頷き返せば灘はそのままロッカーの扉を閉め、俺を閉じ込めたのだ。
なんなのだろう、なにが起きてるのだ。
隠れてろ、ということなのだろうか。ロッカーの扉の小さな口から灘の後頭部が見えた。
そんなとき、遠くからなにかを引きずるような音が聞こえてくる。灘は扉のすぐ向こうにいる、ならば、誰だ。
そう身構えたときだった。
『……あー、やっと追い付いた』
聞こえてきた声に息を飲む。
先程通話で聞いたその声が、今ロッカーの外から聞こえてきた。
『こんなところまで来るか? 普通。……俺、一応怪我人なんだからさぁ……こっちの身にもなれよ』
縁方人だ。縁がすぐそこにいた。
聞こえてきたのは間違いなく縁の声だった。
まだ快調ではないのだろう、僅かに息を切らした縁の声にはいつもの余裕が感じられない。
どうして縁が、と戸惑う反面、先程間違えてかけてしまった電話の内容を思い出す。
いきなり途切れた通話。もしかして、と俺は扉の向こう側にいるであろう灘に目を向けた。
勿論、灘はこちらに目もくれない。
『あそこでなにしていた?』
『分からずに追い掛けてきたんですか』
『視界に入った害虫は潰す主義なんだよ』
「……っ」
扉越しに聞こえてくるやり取りに耳を澄ませていると、なにか重いものが扉にぶつかる。ロッカー全体が揺れた。
扉に空いた小さな窓からなにからも見えない。どうやららぶつかったのは灘の体のようだ。
『……これ以上騒ぎを大きくすれば、痛い目見るのはそちらでは』
『そ、だから一緒に痛い目見ようか――って話なんだけど、どうかな?』
『拒否します』
そう灘が即答したときだった。さらに何かがぶつかるような音がし、そして縁が小さく呻いた。
ロッカーの外で何が起きているのかわからないからこそ恐ろしかった。
『クソ生意気だな、お前』
『でしたら、俺のことはお構いなく』
『見逃すわけねーだろ!』
瞬間、派手な音を立てて扉になにかがぶつかった。次に聞こえてきた灘の呻き声に血の気が引く。
これ以上はまずい。ロッカーごと壊すつもりかと思うほどの振動と物音に不安になり、慌てて扉を開けて止めに入ろうかと思ったが、そうすることはできなかった。
俺が出てこれないよう、灘は体で扉を塞いでいたのだ。
それでも声を出せば、或いは縁の注意を逸らすことくらいはできるはずだ。そう考えたときだった。
ロッカーの扉に空いた一センチ、くらいの隙間からなにかが入ってきた。
ひらりと落ちるそれを咄嗟に手に取れば、どうやらそれはぐしゃぐしゃになったメモ用紙のようだ。
灘がわざと入れたのだろう。少し迷いながらもそのメモ用紙を開けば、そこには『315』とだけ書かれていた。
『下っ端如きが俺の手間掛けさせんじゃねーよっ! なぁっ?!』
それからすぐ、聞いたことのない縁の声に全身が震えた。いつも優しい縁ばかり見てたせいか、こっちが本性なのかと今更驚くのもおかしな話だ。俺は既にこの男の凶暴性を知ってるはずだ。
殴られてるのだろう、それでも扉は開かない。灘が身を呈して守ってくれているのだと思うと余計歯がゆくて、どうすれば、と必死に考えた矢先のことだった。
『方人さん、何やってんすか!』
遠くから聞こえてきた声。その声は仁科の声だった。
第三者の登場に内心ホっとしたが、一応仁科も阿賀松側の人間だ。このままでは灘の状況は悪化するのでは無いのか。
『うるせえな、お前も邪魔すんのかよ……っ、なにかあったらてめえが代わりに責任取んのかよ、あぁっ?!』
『いっいえ、あの、傷が開いてますから……!』
興奮しているのか、怒鳴る縁にビクついた仁科は慌てて指摘する。
よほど体に無理していたのだろう。しかし、当の本人は気にとめてもいなかったのか『あ?』と素っ頓狂な声を上げた。
その次の瞬間だ。
『っ、ぐァッ!』
なにかが壁にぶつかるような音がした。それが縁の体だと気付いたとき、ロッカーを塞いでいた灘の影が動いた。
『っまた鬼ごっこかよ……ッ!! いいぜっ、捕まえてぶっ殺してやる!』
それからすぐにバタバタと騒がしい足音が響く。
どうやら、灘が逃げたようだ。後を追いかけたらしい縁に、仁科は『方人さん、駄目ですって!方人さん!』と声を上げながら更に追いかけていく。
どんどんと遠ざかる声。そして、あっという間に辺りに静粛が戻った。
薄暗いロッカーの中、俺は灘が無事逃げ切ることを祈ることしかできなかった。
それから完全に辺りに人がいないのを確認して、俺はロッカーから外に出る。
俺が閉じ込められていたロッカーもだが、他のロッカーもなかなか酷い有様になっていた。先程からずっと感じていた振動はロッカーを蹴ったものなのだろう。ボコボコになったそれらを一瞥し、俺は灘たちが向かったであろう通路の奥に目を向ける。そこにはもう人影すら見当たらなかった。
――それにしてもなんだろうか、これは。
手を開き、俺は灘から受け取ったメモ用紙に目を向ける。
『315』と謎の数字が書かれた灘のメモ。これがなにを意味するのか、なぜ、あのタイミングで俺に渡してきたのか。
そこまで考えて、一つの可能性に気づく。
――いや、違う、灘は俺に渡したんじゃない。手放したんだ。縁に見つからないように。
だとしたら、これはなにか縁に関係するもなのだろうか。
そう考えると、手の中のそれが爆弾かなにか危険物のように見えてきてしまう。
「ど……どうしよう……」
三桁ということは電話番号でもなさそうだし、もしかしたら学生寮の部屋番号だろうか。
なんて一人ロッカーの中で考えていると、制服のポケットが震えた。
――縁から電話だ。
「……っ」
安久から借りていた携帯端末を握り締め、えいっと俺は通話を切った。
なんで縁から安久に電話が、もしかして助けを求めているということだろうか。それとも、灘を捕まえたという報告か。切ってしまった今、不安だけがぐるぐると残る。
……志摩から話を聞かなければならない。だけど、灘たちを無視することもできなかった。
限られた時間の中、焦った思考は判断力を鈍らせる。
どこにいるかわからない志摩よりも、逃げている灘が気になった。
こうなったらやけくそだ、とロッカーの扉を開いた俺は、先程灘たちが走っていったであろう方向へ向かって走り出した。
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