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分岐点:現れる過去
06
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「じゃあ、準備ができたら……その時は連絡するから」
「本当に齋藤一人で大丈夫なの?」
「……うん、あいつはまだ暫く帰って来ないみたいに言ってたから」
そう返せば、まだ何か言いたさげなものの志摩も一応は納得してくれたようだ。
「わかったよ」と小さく息を吐く。
「じゃあ、俺は齋藤がいつでもきていいように準備しておくよ。あとおやつとかも」
「あ……ありがとう。けど本当、気遣わなくていいからね……?」
「わかったわかった」
本当に分ったのだろうか。疑問は残るが、お願いする立場である以上俺の方からはなにも言えない。
――学生寮三階・自室前。
俺は志摩を見送り、その背中が見えなくなったのを確認して行動を開始することにした。
◆ ◆ ◆
学生寮三階、とある生徒の部屋の前。その廊下に俺は一人立っていた。
ただこの扉をノックするだけなのに、酷く緊張する。会いたいという気持ちよりも後ろめたさが勝っているからだろう、ただでさえ重い体が鉛みたいに固くなっているのが自分でもわかった。
なんで今さらと思われるだろう、間違いなく。
それでも今この状況で頼れる相手は一人しかいなかった。
――阿佐美詩織。
彼にルームメイトに戻ってもらうため、俺は元ルームメイトの部屋へ訪れていた。
ただ扉をノックするだけだ、こんなことで躓いていたらこの先何もできないぞ。
そう自分を叱咤しながら、俺はええいと半ばヤケクソに扉をノックする。
力んだあまり拳が傷んだ。
しかし、待てども待てども扉の向こう側から反応が返ってくることはなかった。
「……?」
寝坊助な阿佐美だが、とっくに動を始めている時間だ。
部屋を空けてるのだろうか。いや、もしかしたら聴こえていないのかもしれない。
気構えていた分なんだか肩透かししつつ、もう一度扉を叩く。しかし、反応はない。
まさかまだ寝ているのだろうか。何ヵ月か同室だったときのことを思い出しながら、何気なくドアノブを掴んだ瞬間だった。
いきなり目の前の扉が勢いよく開いた。
避けなければ。そう思った時には時すでに遅し。その扉の角に額を強打する。
「う゛っ」
「あ?」
……あ?
衝撃に耐えられずよたよたと扉を離れたときだった。不意に、頭上から聞き覚えのある柄の悪さを隠そうともしない不機嫌な声に冷や汗がぶわりと滲んだ。
ここは、阿佐美の部屋のはずだ。そうだ、間違いない。
――なのに、何故あの男がここにいるんだ。
「あ……っ、阿賀松先輩……?」
血しぶきを連想するかのような真っ赤な髪。頭一個分高い位置にあるのは、ピアスの重さのせいかだらしなく弛んだ口許に浮かぶ品のない笑み。
鋭い双眼は扉の前、立ち竦む俺を見付け、愉快そうに細められた。
「なんだ、ユウキ君かよ」
――阿賀松伊織。
久し振りどころかまだ離れて二十四時間も経っていないであろうその男との予期しなかった再会に、俺は全身から血の気が引く音を聞いた。
「なんだ? お前も詩織ちゃんに用事なわけ?」
『も』って。まさか、阿賀松も阿佐美に用があって来ていたというのか。
にたりと凶悪な笑みを浮かべる阿賀松に、どうこの場をやり過ごすか必死に思考を巡らせたその矢先だった。
「おーい、詩織ちゃーんユウキ君が遊び来てんぞー」
なにを思ったのか、阿賀松は部屋の中にいるであろう阿佐美に向かって大きな声で呼びかけだした。
それは廊下に響くほどの声量だった。
そんな大きな声を出してしまったら、と俺が止める暇もなかった。
そして次の瞬間、部屋の奥からバタバタと喧しい足音が聞こえてきた。
こちらを向いた阿賀松は笑っていた。
「あーあ、ユウキ君が来たから詩織ちゃん引っ込んじゃった」
やはり、今の足音は阿佐美の足音だったようだ。
無理もない、俺だって阿賀松に「壱畝遥香が来たぞ」なんて言われたら窓からでも逃げ出す自信はある。
――阿佐美に中での俺が、壱畝と同義になってしまうのはそれはそれで悲しいが。
「で? なんか詩織ちゃんに用あったんだろ? 伝えといてやるよ」
どうしたものかと頭を抱えた矢先、そんなことを提案してくる阿賀松に驚いた。
「や、あの……やっぱ、いいです」
「なんでだよ。ユウキ君のくせに遠慮してんじゃねえよ」
「いいから言えって言ってんだろ」とこちらに詰め寄ってくる阿賀松につい反射で後ずさる俺。
人の好意も押し付けられれば恐怖の対象になるとはまさにこのことだろう。
なんて思いながら、「大丈夫です」「気にしないで下さい」と慌てて首を横に振る俺。この人に借りだけは作りたくなかった。
せっかく志摩に内緒で阿佐美のところに来たのに、どうしてこうもうまくいかないのだろうか。
なんとしても阿賀松にはルームメイトのことを知られたくなかった。ここはなんとか切り抜けなければ、と思うが、こうなったときの阿賀松のしぶとさは恐らく学園一かもしれない。
「ユウキ君、お前俺に隠し事でもするつもりか?」
「ほ、本当に大したことではないので……!」
なんて押し問答をしている間に、あっという間に壁際へと追い込まれていた。
目の前にはやや機嫌が悪くなり始めている阿賀松、そして背後には壁。
「大したことかどうかは俺が決めてやる。だから言え」
なんでもうキレているんだ。両頬を鷲掴みされ、食い込む指。こうなった以上簡単には逃げられないだろう。終わった、と諦めかけた時だった
「あ、あっちゃん……っ!」
開いたままになっていた阿佐美の部屋の扉から、ずっと待っていた人物が現れたのだ。
「しほひ」とその名前を呼んだ時、阿賀松に追い詰められた俺を見た阿佐美は慌てて阿賀松の手を離させるのだ。
「あっちゃん、なにやってるんだよ」
「んだよ、せっかく良いところだったのに邪魔すんなよ」
もしかしたら阿賀松がブチ切れるのではないかと思ったが、阿賀松は不服そうにするどころか阿佐美の姿を見て楽しそうに笑った。
そんな阿賀松に対して阿佐美は慣れた様子で「邪魔じゃないよ」と答える。
「……頼まれてたの、終わったから教えに来たんだ」
「へぇ、随分早いな」
「あっちゃんのに送っといたよ」
「ご苦労さん。流石詩織ちゃん。褒美は何がいい?」
「いらない」
「相変わらずだな、お前は。……ま、いーや」
一通り話が終わったようだ。
こちらへと振り返った阿賀松は俺の方に近づいてくる。
頭に向かって伸びてきた大きな手のひらに驚いて、条件反射で飛びのいた時だった。
そにままぐしゃぐしゃに頭を撫でられる。うわわ、と突然の阿賀松の奇行に戸惑っていると、小さく屈んだ阿賀松に頬を齧られた。
「い……ッ」
「あ、あっちゃん……?!」
「じゃ、また今度遊ぼうな、ユウキ君」
なにをしてるんだと呆れたような顔をする阿佐美に阿賀松は小さく笑い、そのまま何事もなかったかのようにその場を後にしとうとした。
と思った矢先、阿賀松は思い出したようにこちらを振り返る。
「そーだ詩織ちゃん、そいつ詩織ちゃんに用があるんだってよ」
「え……」
何か言いたげな顔をする阿佐美に、阿賀松は「よかったな」と続ける。何かを含んだような、それでいてどこかいたずらっ子のような笑みを浮かべ――そして嵐の目、もとい阿賀松伊織は今度こそその場を離脱した。
阿賀松が離脱し、通路に言い知れぬ気まずさだけが残った。
言いたいことは色々あったはずなのに、阿賀松という邪魔があったせいで頭の中で組み立てていた段取りも何もかもが吹き飛んでしまった。
と、ふと視線を感じて阿佐美の方を向けば、視線があった……ような気がした。
「取り敢えず、えっと……どうぞ」
「お、お邪魔します……」
気まずい空気のまま、俺は阿佐美に促されるがまま阿佐美の私室へと足を踏み入れた。
――学生寮、阿佐美の部屋の玄関にて。
居間へと繋がる扉を開くなり「ちょっと待ってて」と顔を青くした阿佐美に言われ待つこと数分。がたがたと扉越しに凄まじい物音を聞きながら待機していたが、どうやらようやく済んだようだ。
再び俺の前へと顔を出した阿佐美はすでにやや疲れている様子で、「どうぞ入って」という阿佐美に本当に大丈夫なのだろうかとハラハラしつつ部屋へとお邪魔することとなった。
既に魔境と化していた部屋の中、唯一掃除された形跡のあるソファーへと座らせられる。
そしてその向かい側に置かれた一人用のソファーに腰を下ろす阿佐美。
、部屋の奥でこんもりと山を作っていた洗濯物たちが気になったが、今日俺がここに来たのは阿佐美の生活習慣を調べに来たわけではない。
「なんか、久し振りだよね。……詩織と、こうやって二人だけで話すの」
どうやって同室のことを切り出そうか。
一度はきっぱりと断られた身だからこそ余計つい慎重になってしまったが、どうやら慎重になりすぎてしまったようだ。
会話を試みたものの、すぐに「うん」という阿佐美の返事を最後に途切れてしまった。
――そして沈黙。
必死に脳を回転させ、次の言葉を探していた時だった。
「えぇと……それで、なにか用あったんだよね?」
見兼ねた阿佐美の方から本題に入ってくれる。
「あ、あの、うん。その……用っていうか、お願いなんだけど」
「お願い?」
「この前詩織に迷惑掛けたのはわかってるけど、その、頼みたいことが……」
「それで、お願いって?」
「し……詩織と、その……よりを戻したいんだ」
考えた末、単刀直入に俺の本心を告げた瞬間、丁度グラスに入った炭酸ジュースを口にしていた阿佐美が噴き出した。
「し、詩織?! だ、大丈夫……?!」
「ご、ごめん。大丈夫……なんだって?」
「だからその、詩織とよりを……」
「と、とりあえず、その考えに至るまでを聞いてもいいかな」
「なるべく、わかりやすく」そう、ティッシュで口元を拭いながら阿佐美は促してくる。まるで子供をあやすような優しい声音だった。
俺は小さくうなずき返し阿佐美にその経緯を説明する。
――そして、数分後。
「…………」
「…………」
一頻り事情を説明し終えたとき、部屋の中には微妙な空気が流れていた。
阿佐美は終始神妙な面持ちで俺の話を聞いてくれた。
「えっと、つまり……新しいルームメイトさんと気が合わないから一人部屋になりたいけど、今空いている部屋がないから現時点の一人部屋の生徒のルームメイトになれないか申請するってこと?」
「……うん」
「それで、俺のところに?」
確認するように尋ねてくる阿佐美に、俺は無言で頷いた。
大体のことは説明したが、壱畝遥香が前の学校でクラスメートだったこと・そして奴にいじめられていたことなどもちろん言えるはずがなく。
「新しいルームメイトと性格が合わない」ということにしたが、もしかしたらそれがかえって悪かったのかもしれない。
阿佐美からすれば、性格の不一致という我が儘みたいな自分都合で再び二人部屋を申し込んできたようなものだ。
そして案の定、阿佐美の反応は渋い。
「一応、一人部屋の生徒を調べさせてもらったけど……やっぱり、知ってる人の方がいいかと思って。……やっぱりダメ、かな」
「いや、いいよ、全然!」
「そうだよね……って、え?」
てっきり断られる流れだと思っていただけに、思わず「いいの?」と聞き返してしまう。
阿佐美は二杯目注がれたジュースにストローを刺しながら、「もちろん」と頷いた。
「……ゆうき君がこんな風にわざわざ俺を頼ってくるのって相当だと思うし……でも、志摩は大丈夫なの?」
そう心配そうに尋ねてくる阿佐美。ホッと安堵するのもつかの間のことだった。
――そう、俺と阿佐美の関係で一番ネックになるのは志摩の存在だった。
先日のことを思い出す。
志摩は阿佐美と俺が一緒にいることが気に入らず、あんな手の込んだ嫌がらせをしてきたのだ。
そして、それを回避するために阿佐美は志摩からの要求を飲んで俺と別室になる条件を飲んだ。
そして現在に至ったわけだが、正直な話、阿佐美が俺と距離を置くようになったところで志摩が丸くなったとは思えないのだ。
今その矛先が向いてるのは壱畝だが、幸い俺としても壱畝のことは願い下げなので利害は一致してるものの、その執念にも近い性質の歪みに関しては改善されてるとは思えない。
おまけに、阿佐美との約束も志摩も守っていない。
――つまり、阿佐美がこうして気を遣ってくれても無意味だった。
だからとはいえ、志摩が守ってないから阿佐美も志摩の言うことを守らなくていいと言っても阿佐美を説得はできないだろう。
どうにかしてでも阿佐美には約束を解消してもらう必要があった。
――だから俺は、嘘を吐くことにする。
「大丈夫。志摩にはもう話はつけてるから」
「……詩織には絶対迷惑掛けないから、お願い。俺を部屋に置いて下さい」なにか言いたそうな阿佐美に構わず、膝に手を置いた俺は深く頭を下げる。
本来ならば土下座するつもりだったが、生憎床は埋め尽くされそんなスペースはなかった。
頭を下げる俺に阿佐美はぎょっとし、慌てて立ち上がって俺の肩を掴み、顔を上げさせる。
「ゆ、ゆうき君……っ、いいよそんなこと……。別に駄目とは言ってないんだから」
「詩織……」
「……志摩のことが大丈夫なら、さっきも言った通り俺は構わないよ」
「だから、頭なんて下げないで」そう、阿佐美はしどろもどろ言葉を選ぶのだ。
そっと乱れた前髪を撫で付けられれば、その指の優しさにじんわりと胸の奥が熱くなる。
「ありがとう、詩織……っ」
「うん……。でも、そのルームメイト申請はどうしたらいいの? 先生に言えばいいのかな」
「うん、多分……」
「わかった。じゃあそのとき俺に教えてね。一緒に行こう」
「一応明日、朝一で先生に会いに行くつもりだけど……」
「なら明日朝迎えに行くよ」
そう、壁に掛かった時計を向く阿佐美。
俺は阿佐美の口から出た言葉に驚いた。
「し、詩織が? ……起きれるの?」
「ゆ、ゆうき君……俺も、用事があるときくらいちゃんと起きるよ」
「ごめん……」
ややショックを受ける阿佐美ではあるが、言われてみれば確かに俺のために一緒に登校してくれたときも起きていた。
あまりにも夜行性のイメージが強いだけで、阿佐美だってやるときはやるのだ。
それでも生活リズムを変えるというのはそう簡単ではないだろう、それが俺のためだと思うと余計頭が上がらない。
それから俺達は一通り明日の予定を話し合い、阿佐美の部屋を後にするこにした。
本当はもう少し阿佐美と一緒にいたかったが、どうやらこのあと阿佐美は予定があるようだ。
「それじゃあ、また明日」
「うん。本当にありがとね、詩織」
「いいよ別に気にしなくて」
阿佐美の部屋の前。
帰る俺をわざわざ見送りにきてくれた阿佐美はそのままそろりと手を振ってくれる。
本当は門前払いも覚悟していただけに、そんな阿佐美の気遣いや優しさが今は身に染みるようだった。
俺はそれに恐る恐る手を振り返し、そしてその場を後にした。
――もうすぐ晩飯の時間だ。
◆ ◆ ◆
阿佐美と別れた俺は、やや空いてきた小腹を満たすために一階のショッピングモールへと降りてきた。
そういや壱畝も誰かと夕食を食べに行くとか言っていたが、まだ一階を彷徨いているのだろうか。出来るだけなら会いたくない。
俺は壱畝がいる可能性が高い食堂を避けて、コンビニへと軽食を買いに行く。
――学生寮一階、コンビニ。
店内はやや賑わっていた。
人目を避けるように俺は真っ直ぐに惣菜パンコーナーへと向かう。
そして商品棚の前。
相変わらず通常のコンビニに比べて劣らずの品揃えだ。適当に無難なものを選ぼうといちごジャムパンへと手を伸ばしたときだった。
不意に、横から伸びてきた手と重なった。
デジャヴ。
嫌な予感がして、ばっと顔を上げたとき、俺はそこに立っていた人物を見て息を飲んだ。
「……灘君」
俺から手を離した灘は、こちらを見下ろしたまま「どうも」と小さく口にした。そして、いちごジャムパンの奥にあった『餅入りきな粉抹茶アンパン』を手に取っていた。
……商品名からして胃がむかむかしてきそうだ。
「あ、これ……ごめんね」
「なにがですか」
「いちごジャムパン、欲しかったんじゃ……」
「いえ、自分が取ろうとしてたのは最初からこっちでしたので」
灘はそう言って手にしていたカゴに餅入りなんとかパンを放り込んでいた。
本当なのだろうか、気を使わせたのではないだろうか。と気になったが、よく見ると既にそのパン以外にも似た系統のパンが複数入っていた。
「す、すごい量だね……食べるの?」
「ええ」
「そ、そっか……」
確かに、いつの日かも灘は大量にパンを買ってきてくれていた。
が、今回はカゴに入ってるのは惣菜パンだけではない。ニリットルボトルのジュースにパーティー用の菓子袋、まるでこれからパーティーでも始めるかのような……。
とそこまで考えたとき、俺は志摩とのやり取りを思い出した。
――そうだ、生徒会の打ち上げだ。
「あーいたいた、おい、灘! お前どこまで行って……」
と、そんなときだった。
コンビニの自動ドアが開いたと思えば、聞き覚えのある太い声が聞こえてくる。
その声に、俺と灘は振り返った。
――そこには既に両腕に荷物を抱えた五味がいた。
五味は灘の横にいた俺の姿を見付け、目を丸くした。
「……って、齋籐。お前も一緒だったのか?」
「あ、ど、どうも……お邪魔してます」
「お邪魔って……はは、相変わらずだな。……ってそうだ、おい灘、お前どんだけ買ってんだよ。もう食いもんはあるんだからちょっとでいいんだって」
「……分かりました」
五味に指摘された灘はそう言って、餅入りなんとかパンを棚に戻していた。その無表情も心なしか少し残念そうに見える。
偶然なのかそれとも予定調和なのか、会計と副会長、生徒会面子が集うコンビニ内。
もしかしたら会長も来ているのだろうか、なんて思いながら辺りを見渡してみるがそれらしき人影はない。
「あの、すごい荷物ですね……」
「ああ、これか? まあな、ちょっと色々野暮用があって……」
「それも、打ち上げに使うやつなんですか?」
そう尋ねれば、五味は驚いたようにこちらを見る。
「……なんだ、お前灘から聞いたのか?」
「あ、すみません……その、志摩に聞いて……今日、生徒会の打ち上げがあるって……」
「志摩――ああ、あいつか」
正直に答えれば、納得したように五味は頷いた。
「あいつ、本当に口が軽いな」
「す……すみません」
「あ、いや違う違う、別にお前に言ってないから」
「でも、やっぱ場所変えるべきだったな。会長もなんでよりによって十勝の部屋にしたんだよ」一般生徒もいるってのに、と五味は不服そうだった。
芳川会長提案なのか、そのことに俺は驚いた。
「会長は狭くて騒ぎやすい方がいいと仰っていました」
そして、五味に言われた通り買い物かごの中身をいくつか減らしてきたらしい灘がいつの間にかに五味の背後に立っていた。普通に会話に入ってくるので驚いた。
そんな灘に驚くわけでもなく、相変わらずどこか浮かない様子の五味は「いい予感全くしねぇな」と深く溜め息を吐く。
どう答えればいいのかわからず、俺は小さく苦笑を溢した。
そのとき、ふとこちらを向いた五味は口を開けた。
「――そうだ、お前も来るか?」
一瞬なんのことか分からなかったが、話の流れからしてこれは恐らく――というか間違いなく打ち上げのことだろう。
「……俺ですか? いいんですか、でも」
「ああ、ほら、お前がいた方が会長も少しぐらいはゆっくり出来るだろうし」
人良さそうに笑いながらそう続ける五味に灘は「五味先輩」と小さく名前を呼ぶ。
どうやら咎めているようだ。そんな灘に対し、五味は「いいだろ?どうせ無関係ってわけじゃないんだから」と声を潜める。
……なんだろうか。なんとなくだけど、胸騒ぎがする。
ただの善意なだけとは思えなかったのだ。
けれど、誘われてなくて落ち込んでいた身としては素直に喜ぶ自分もいた。
「まあ、せっかくだしほら、暇だったら来いって。無理強いはしないけどな」
「ありがとうございます。……でも、せっかくの仲直りしたところに俺なんかが入っていいんですか?」
「仲直り?」
「……え?」
そう恐る恐る尋ねてみれば、五味は驚く。
まさかそんな反応されるとは思っていなかっただけに、こちらまでまずいこと言ってしまったのかと内心焦った。
「ち、違うんですか?」
「んーまあ、はは、そうだな。仲直りか……」
そして五味はわかり易いほど視線を泳がせ、その後頭部を掻いてみせた。そして、引きつったような笑みを浮かべる。
「そうそう、仲直り仲直り。仲直りしたんだよ、俺ら」
「正確には会長に呼集をかけられた、ですが」
そう誤魔化すように笑う五味に対し、相変わらず眉一つ動かさず灘は訂正を入れる。
……打ち上げとかいうからもっと楽しげなものかと思っていたが、なんだこの流れは。この不穏な空気は。
「……良いんですか?」
「構わねえって、別に。打ち上げには変わりねーんだから」
そして、そう最終確認をすれば五味は面倒臭くなったのかやけに投げ遣りな口調で続け「なあ、灘」と灘に同意を求める。それに対して灘は無言で頷いた。
喋らなければなに考えているかわからない灘だが、言動に嘘偽りはない……はずだ。
恐らく、打ち上げには変わりないのだろう。
打ち上げというものがよくわからなかったが、その内容は文化祭の総括的なものになるに違いない。
せっかく誘われてるのに断るのも申し訳ないが、だからといってノコノコついていって良いものなのだろうか。わからない。志摩の話によると他の委員会の人たちも来る可能性があるわけだし、知らない人もいるかもしれない。そんな中、全くの部外者が紛れ込んでいて大丈夫なのだろうか。
「で、どうする? 来てくれるんならこのまま付き合ってもらうけど」
最後にそう、確認するように問い掛けてくる五味。ここで断ったらもう後に退けない状況になるに違いない。
五味たちと一緒にいれば、壱畝と一緒の部屋にいなくても済む。その後、帰ってからなに言われるかわかったもんじゃないが一分一秒でも壱畝から離れられるならそれが一番好ましい。
「えっと、じゃあ、あの……ご一緒させていただきます」
――どちらにしろ、志摩の部屋にお邪魔させてもらうつもりだったしな。
そう、自分に言い聞かせるように口の中で呟いた。
「本当に齋藤一人で大丈夫なの?」
「……うん、あいつはまだ暫く帰って来ないみたいに言ってたから」
そう返せば、まだ何か言いたさげなものの志摩も一応は納得してくれたようだ。
「わかったよ」と小さく息を吐く。
「じゃあ、俺は齋藤がいつでもきていいように準備しておくよ。あとおやつとかも」
「あ……ありがとう。けど本当、気遣わなくていいからね……?」
「わかったわかった」
本当に分ったのだろうか。疑問は残るが、お願いする立場である以上俺の方からはなにも言えない。
――学生寮三階・自室前。
俺は志摩を見送り、その背中が見えなくなったのを確認して行動を開始することにした。
◆ ◆ ◆
学生寮三階、とある生徒の部屋の前。その廊下に俺は一人立っていた。
ただこの扉をノックするだけなのに、酷く緊張する。会いたいという気持ちよりも後ろめたさが勝っているからだろう、ただでさえ重い体が鉛みたいに固くなっているのが自分でもわかった。
なんで今さらと思われるだろう、間違いなく。
それでも今この状況で頼れる相手は一人しかいなかった。
――阿佐美詩織。
彼にルームメイトに戻ってもらうため、俺は元ルームメイトの部屋へ訪れていた。
ただ扉をノックするだけだ、こんなことで躓いていたらこの先何もできないぞ。
そう自分を叱咤しながら、俺はええいと半ばヤケクソに扉をノックする。
力んだあまり拳が傷んだ。
しかし、待てども待てども扉の向こう側から反応が返ってくることはなかった。
「……?」
寝坊助な阿佐美だが、とっくに動を始めている時間だ。
部屋を空けてるのだろうか。いや、もしかしたら聴こえていないのかもしれない。
気構えていた分なんだか肩透かししつつ、もう一度扉を叩く。しかし、反応はない。
まさかまだ寝ているのだろうか。何ヵ月か同室だったときのことを思い出しながら、何気なくドアノブを掴んだ瞬間だった。
いきなり目の前の扉が勢いよく開いた。
避けなければ。そう思った時には時すでに遅し。その扉の角に額を強打する。
「う゛っ」
「あ?」
……あ?
衝撃に耐えられずよたよたと扉を離れたときだった。不意に、頭上から聞き覚えのある柄の悪さを隠そうともしない不機嫌な声に冷や汗がぶわりと滲んだ。
ここは、阿佐美の部屋のはずだ。そうだ、間違いない。
――なのに、何故あの男がここにいるんだ。
「あ……っ、阿賀松先輩……?」
血しぶきを連想するかのような真っ赤な髪。頭一個分高い位置にあるのは、ピアスの重さのせいかだらしなく弛んだ口許に浮かぶ品のない笑み。
鋭い双眼は扉の前、立ち竦む俺を見付け、愉快そうに細められた。
「なんだ、ユウキ君かよ」
――阿賀松伊織。
久し振りどころかまだ離れて二十四時間も経っていないであろうその男との予期しなかった再会に、俺は全身から血の気が引く音を聞いた。
「なんだ? お前も詩織ちゃんに用事なわけ?」
『も』って。まさか、阿賀松も阿佐美に用があって来ていたというのか。
にたりと凶悪な笑みを浮かべる阿賀松に、どうこの場をやり過ごすか必死に思考を巡らせたその矢先だった。
「おーい、詩織ちゃーんユウキ君が遊び来てんぞー」
なにを思ったのか、阿賀松は部屋の中にいるであろう阿佐美に向かって大きな声で呼びかけだした。
それは廊下に響くほどの声量だった。
そんな大きな声を出してしまったら、と俺が止める暇もなかった。
そして次の瞬間、部屋の奥からバタバタと喧しい足音が聞こえてきた。
こちらを向いた阿賀松は笑っていた。
「あーあ、ユウキ君が来たから詩織ちゃん引っ込んじゃった」
やはり、今の足音は阿佐美の足音だったようだ。
無理もない、俺だって阿賀松に「壱畝遥香が来たぞ」なんて言われたら窓からでも逃げ出す自信はある。
――阿佐美に中での俺が、壱畝と同義になってしまうのはそれはそれで悲しいが。
「で? なんか詩織ちゃんに用あったんだろ? 伝えといてやるよ」
どうしたものかと頭を抱えた矢先、そんなことを提案してくる阿賀松に驚いた。
「や、あの……やっぱ、いいです」
「なんでだよ。ユウキ君のくせに遠慮してんじゃねえよ」
「いいから言えって言ってんだろ」とこちらに詰め寄ってくる阿賀松につい反射で後ずさる俺。
人の好意も押し付けられれば恐怖の対象になるとはまさにこのことだろう。
なんて思いながら、「大丈夫です」「気にしないで下さい」と慌てて首を横に振る俺。この人に借りだけは作りたくなかった。
せっかく志摩に内緒で阿佐美のところに来たのに、どうしてこうもうまくいかないのだろうか。
なんとしても阿賀松にはルームメイトのことを知られたくなかった。ここはなんとか切り抜けなければ、と思うが、こうなったときの阿賀松のしぶとさは恐らく学園一かもしれない。
「ユウキ君、お前俺に隠し事でもするつもりか?」
「ほ、本当に大したことではないので……!」
なんて押し問答をしている間に、あっという間に壁際へと追い込まれていた。
目の前にはやや機嫌が悪くなり始めている阿賀松、そして背後には壁。
「大したことかどうかは俺が決めてやる。だから言え」
なんでもうキレているんだ。両頬を鷲掴みされ、食い込む指。こうなった以上簡単には逃げられないだろう。終わった、と諦めかけた時だった
「あ、あっちゃん……っ!」
開いたままになっていた阿佐美の部屋の扉から、ずっと待っていた人物が現れたのだ。
「しほひ」とその名前を呼んだ時、阿賀松に追い詰められた俺を見た阿佐美は慌てて阿賀松の手を離させるのだ。
「あっちゃん、なにやってるんだよ」
「んだよ、せっかく良いところだったのに邪魔すんなよ」
もしかしたら阿賀松がブチ切れるのではないかと思ったが、阿賀松は不服そうにするどころか阿佐美の姿を見て楽しそうに笑った。
そんな阿賀松に対して阿佐美は慣れた様子で「邪魔じゃないよ」と答える。
「……頼まれてたの、終わったから教えに来たんだ」
「へぇ、随分早いな」
「あっちゃんのに送っといたよ」
「ご苦労さん。流石詩織ちゃん。褒美は何がいい?」
「いらない」
「相変わらずだな、お前は。……ま、いーや」
一通り話が終わったようだ。
こちらへと振り返った阿賀松は俺の方に近づいてくる。
頭に向かって伸びてきた大きな手のひらに驚いて、条件反射で飛びのいた時だった。
そにままぐしゃぐしゃに頭を撫でられる。うわわ、と突然の阿賀松の奇行に戸惑っていると、小さく屈んだ阿賀松に頬を齧られた。
「い……ッ」
「あ、あっちゃん……?!」
「じゃ、また今度遊ぼうな、ユウキ君」
なにをしてるんだと呆れたような顔をする阿佐美に阿賀松は小さく笑い、そのまま何事もなかったかのようにその場を後にしとうとした。
と思った矢先、阿賀松は思い出したようにこちらを振り返る。
「そーだ詩織ちゃん、そいつ詩織ちゃんに用があるんだってよ」
「え……」
何か言いたげな顔をする阿佐美に、阿賀松は「よかったな」と続ける。何かを含んだような、それでいてどこかいたずらっ子のような笑みを浮かべ――そして嵐の目、もとい阿賀松伊織は今度こそその場を離脱した。
阿賀松が離脱し、通路に言い知れぬ気まずさだけが残った。
言いたいことは色々あったはずなのに、阿賀松という邪魔があったせいで頭の中で組み立てていた段取りも何もかもが吹き飛んでしまった。
と、ふと視線を感じて阿佐美の方を向けば、視線があった……ような気がした。
「取り敢えず、えっと……どうぞ」
「お、お邪魔します……」
気まずい空気のまま、俺は阿佐美に促されるがまま阿佐美の私室へと足を踏み入れた。
――学生寮、阿佐美の部屋の玄関にて。
居間へと繋がる扉を開くなり「ちょっと待ってて」と顔を青くした阿佐美に言われ待つこと数分。がたがたと扉越しに凄まじい物音を聞きながら待機していたが、どうやらようやく済んだようだ。
再び俺の前へと顔を出した阿佐美はすでにやや疲れている様子で、「どうぞ入って」という阿佐美に本当に大丈夫なのだろうかとハラハラしつつ部屋へとお邪魔することとなった。
既に魔境と化していた部屋の中、唯一掃除された形跡のあるソファーへと座らせられる。
そしてその向かい側に置かれた一人用のソファーに腰を下ろす阿佐美。
、部屋の奥でこんもりと山を作っていた洗濯物たちが気になったが、今日俺がここに来たのは阿佐美の生活習慣を調べに来たわけではない。
「なんか、久し振りだよね。……詩織と、こうやって二人だけで話すの」
どうやって同室のことを切り出そうか。
一度はきっぱりと断られた身だからこそ余計つい慎重になってしまったが、どうやら慎重になりすぎてしまったようだ。
会話を試みたものの、すぐに「うん」という阿佐美の返事を最後に途切れてしまった。
――そして沈黙。
必死に脳を回転させ、次の言葉を探していた時だった。
「えぇと……それで、なにか用あったんだよね?」
見兼ねた阿佐美の方から本題に入ってくれる。
「あ、あの、うん。その……用っていうか、お願いなんだけど」
「お願い?」
「この前詩織に迷惑掛けたのはわかってるけど、その、頼みたいことが……」
「それで、お願いって?」
「し……詩織と、その……よりを戻したいんだ」
考えた末、単刀直入に俺の本心を告げた瞬間、丁度グラスに入った炭酸ジュースを口にしていた阿佐美が噴き出した。
「し、詩織?! だ、大丈夫……?!」
「ご、ごめん。大丈夫……なんだって?」
「だからその、詩織とよりを……」
「と、とりあえず、その考えに至るまでを聞いてもいいかな」
「なるべく、わかりやすく」そう、ティッシュで口元を拭いながら阿佐美は促してくる。まるで子供をあやすような優しい声音だった。
俺は小さくうなずき返し阿佐美にその経緯を説明する。
――そして、数分後。
「…………」
「…………」
一頻り事情を説明し終えたとき、部屋の中には微妙な空気が流れていた。
阿佐美は終始神妙な面持ちで俺の話を聞いてくれた。
「えっと、つまり……新しいルームメイトさんと気が合わないから一人部屋になりたいけど、今空いている部屋がないから現時点の一人部屋の生徒のルームメイトになれないか申請するってこと?」
「……うん」
「それで、俺のところに?」
確認するように尋ねてくる阿佐美に、俺は無言で頷いた。
大体のことは説明したが、壱畝遥香が前の学校でクラスメートだったこと・そして奴にいじめられていたことなどもちろん言えるはずがなく。
「新しいルームメイトと性格が合わない」ということにしたが、もしかしたらそれがかえって悪かったのかもしれない。
阿佐美からすれば、性格の不一致という我が儘みたいな自分都合で再び二人部屋を申し込んできたようなものだ。
そして案の定、阿佐美の反応は渋い。
「一応、一人部屋の生徒を調べさせてもらったけど……やっぱり、知ってる人の方がいいかと思って。……やっぱりダメ、かな」
「いや、いいよ、全然!」
「そうだよね……って、え?」
てっきり断られる流れだと思っていただけに、思わず「いいの?」と聞き返してしまう。
阿佐美は二杯目注がれたジュースにストローを刺しながら、「もちろん」と頷いた。
「……ゆうき君がこんな風にわざわざ俺を頼ってくるのって相当だと思うし……でも、志摩は大丈夫なの?」
そう心配そうに尋ねてくる阿佐美。ホッと安堵するのもつかの間のことだった。
――そう、俺と阿佐美の関係で一番ネックになるのは志摩の存在だった。
先日のことを思い出す。
志摩は阿佐美と俺が一緒にいることが気に入らず、あんな手の込んだ嫌がらせをしてきたのだ。
そして、それを回避するために阿佐美は志摩からの要求を飲んで俺と別室になる条件を飲んだ。
そして現在に至ったわけだが、正直な話、阿佐美が俺と距離を置くようになったところで志摩が丸くなったとは思えないのだ。
今その矛先が向いてるのは壱畝だが、幸い俺としても壱畝のことは願い下げなので利害は一致してるものの、その執念にも近い性質の歪みに関しては改善されてるとは思えない。
おまけに、阿佐美との約束も志摩も守っていない。
――つまり、阿佐美がこうして気を遣ってくれても無意味だった。
だからとはいえ、志摩が守ってないから阿佐美も志摩の言うことを守らなくていいと言っても阿佐美を説得はできないだろう。
どうにかしてでも阿佐美には約束を解消してもらう必要があった。
――だから俺は、嘘を吐くことにする。
「大丈夫。志摩にはもう話はつけてるから」
「……詩織には絶対迷惑掛けないから、お願い。俺を部屋に置いて下さい」なにか言いたそうな阿佐美に構わず、膝に手を置いた俺は深く頭を下げる。
本来ならば土下座するつもりだったが、生憎床は埋め尽くされそんなスペースはなかった。
頭を下げる俺に阿佐美はぎょっとし、慌てて立ち上がって俺の肩を掴み、顔を上げさせる。
「ゆ、ゆうき君……っ、いいよそんなこと……。別に駄目とは言ってないんだから」
「詩織……」
「……志摩のことが大丈夫なら、さっきも言った通り俺は構わないよ」
「だから、頭なんて下げないで」そう、阿佐美はしどろもどろ言葉を選ぶのだ。
そっと乱れた前髪を撫で付けられれば、その指の優しさにじんわりと胸の奥が熱くなる。
「ありがとう、詩織……っ」
「うん……。でも、そのルームメイト申請はどうしたらいいの? 先生に言えばいいのかな」
「うん、多分……」
「わかった。じゃあそのとき俺に教えてね。一緒に行こう」
「一応明日、朝一で先生に会いに行くつもりだけど……」
「なら明日朝迎えに行くよ」
そう、壁に掛かった時計を向く阿佐美。
俺は阿佐美の口から出た言葉に驚いた。
「し、詩織が? ……起きれるの?」
「ゆ、ゆうき君……俺も、用事があるときくらいちゃんと起きるよ」
「ごめん……」
ややショックを受ける阿佐美ではあるが、言われてみれば確かに俺のために一緒に登校してくれたときも起きていた。
あまりにも夜行性のイメージが強いだけで、阿佐美だってやるときはやるのだ。
それでも生活リズムを変えるというのはそう簡単ではないだろう、それが俺のためだと思うと余計頭が上がらない。
それから俺達は一通り明日の予定を話し合い、阿佐美の部屋を後にするこにした。
本当はもう少し阿佐美と一緒にいたかったが、どうやらこのあと阿佐美は予定があるようだ。
「それじゃあ、また明日」
「うん。本当にありがとね、詩織」
「いいよ別に気にしなくて」
阿佐美の部屋の前。
帰る俺をわざわざ見送りにきてくれた阿佐美はそのままそろりと手を振ってくれる。
本当は門前払いも覚悟していただけに、そんな阿佐美の気遣いや優しさが今は身に染みるようだった。
俺はそれに恐る恐る手を振り返し、そしてその場を後にした。
――もうすぐ晩飯の時間だ。
◆ ◆ ◆
阿佐美と別れた俺は、やや空いてきた小腹を満たすために一階のショッピングモールへと降りてきた。
そういや壱畝も誰かと夕食を食べに行くとか言っていたが、まだ一階を彷徨いているのだろうか。出来るだけなら会いたくない。
俺は壱畝がいる可能性が高い食堂を避けて、コンビニへと軽食を買いに行く。
――学生寮一階、コンビニ。
店内はやや賑わっていた。
人目を避けるように俺は真っ直ぐに惣菜パンコーナーへと向かう。
そして商品棚の前。
相変わらず通常のコンビニに比べて劣らずの品揃えだ。適当に無難なものを選ぼうといちごジャムパンへと手を伸ばしたときだった。
不意に、横から伸びてきた手と重なった。
デジャヴ。
嫌な予感がして、ばっと顔を上げたとき、俺はそこに立っていた人物を見て息を飲んだ。
「……灘君」
俺から手を離した灘は、こちらを見下ろしたまま「どうも」と小さく口にした。そして、いちごジャムパンの奥にあった『餅入りきな粉抹茶アンパン』を手に取っていた。
……商品名からして胃がむかむかしてきそうだ。
「あ、これ……ごめんね」
「なにがですか」
「いちごジャムパン、欲しかったんじゃ……」
「いえ、自分が取ろうとしてたのは最初からこっちでしたので」
灘はそう言って手にしていたカゴに餅入りなんとかパンを放り込んでいた。
本当なのだろうか、気を使わせたのではないだろうか。と気になったが、よく見ると既にそのパン以外にも似た系統のパンが複数入っていた。
「す、すごい量だね……食べるの?」
「ええ」
「そ、そっか……」
確かに、いつの日かも灘は大量にパンを買ってきてくれていた。
が、今回はカゴに入ってるのは惣菜パンだけではない。ニリットルボトルのジュースにパーティー用の菓子袋、まるでこれからパーティーでも始めるかのような……。
とそこまで考えたとき、俺は志摩とのやり取りを思い出した。
――そうだ、生徒会の打ち上げだ。
「あーいたいた、おい、灘! お前どこまで行って……」
と、そんなときだった。
コンビニの自動ドアが開いたと思えば、聞き覚えのある太い声が聞こえてくる。
その声に、俺と灘は振り返った。
――そこには既に両腕に荷物を抱えた五味がいた。
五味は灘の横にいた俺の姿を見付け、目を丸くした。
「……って、齋籐。お前も一緒だったのか?」
「あ、ど、どうも……お邪魔してます」
「お邪魔って……はは、相変わらずだな。……ってそうだ、おい灘、お前どんだけ買ってんだよ。もう食いもんはあるんだからちょっとでいいんだって」
「……分かりました」
五味に指摘された灘はそう言って、餅入りなんとかパンを棚に戻していた。その無表情も心なしか少し残念そうに見える。
偶然なのかそれとも予定調和なのか、会計と副会長、生徒会面子が集うコンビニ内。
もしかしたら会長も来ているのだろうか、なんて思いながら辺りを見渡してみるがそれらしき人影はない。
「あの、すごい荷物ですね……」
「ああ、これか? まあな、ちょっと色々野暮用があって……」
「それも、打ち上げに使うやつなんですか?」
そう尋ねれば、五味は驚いたようにこちらを見る。
「……なんだ、お前灘から聞いたのか?」
「あ、すみません……その、志摩に聞いて……今日、生徒会の打ち上げがあるって……」
「志摩――ああ、あいつか」
正直に答えれば、納得したように五味は頷いた。
「あいつ、本当に口が軽いな」
「す……すみません」
「あ、いや違う違う、別にお前に言ってないから」
「でも、やっぱ場所変えるべきだったな。会長もなんでよりによって十勝の部屋にしたんだよ」一般生徒もいるってのに、と五味は不服そうだった。
芳川会長提案なのか、そのことに俺は驚いた。
「会長は狭くて騒ぎやすい方がいいと仰っていました」
そして、五味に言われた通り買い物かごの中身をいくつか減らしてきたらしい灘がいつの間にかに五味の背後に立っていた。普通に会話に入ってくるので驚いた。
そんな灘に驚くわけでもなく、相変わらずどこか浮かない様子の五味は「いい予感全くしねぇな」と深く溜め息を吐く。
どう答えればいいのかわからず、俺は小さく苦笑を溢した。
そのとき、ふとこちらを向いた五味は口を開けた。
「――そうだ、お前も来るか?」
一瞬なんのことか分からなかったが、話の流れからしてこれは恐らく――というか間違いなく打ち上げのことだろう。
「……俺ですか? いいんですか、でも」
「ああ、ほら、お前がいた方が会長も少しぐらいはゆっくり出来るだろうし」
人良さそうに笑いながらそう続ける五味に灘は「五味先輩」と小さく名前を呼ぶ。
どうやら咎めているようだ。そんな灘に対し、五味は「いいだろ?どうせ無関係ってわけじゃないんだから」と声を潜める。
……なんだろうか。なんとなくだけど、胸騒ぎがする。
ただの善意なだけとは思えなかったのだ。
けれど、誘われてなくて落ち込んでいた身としては素直に喜ぶ自分もいた。
「まあ、せっかくだしほら、暇だったら来いって。無理強いはしないけどな」
「ありがとうございます。……でも、せっかくの仲直りしたところに俺なんかが入っていいんですか?」
「仲直り?」
「……え?」
そう恐る恐る尋ねてみれば、五味は驚く。
まさかそんな反応されるとは思っていなかっただけに、こちらまでまずいこと言ってしまったのかと内心焦った。
「ち、違うんですか?」
「んーまあ、はは、そうだな。仲直りか……」
そして五味はわかり易いほど視線を泳がせ、その後頭部を掻いてみせた。そして、引きつったような笑みを浮かべる。
「そうそう、仲直り仲直り。仲直りしたんだよ、俺ら」
「正確には会長に呼集をかけられた、ですが」
そう誤魔化すように笑う五味に対し、相変わらず眉一つ動かさず灘は訂正を入れる。
……打ち上げとかいうからもっと楽しげなものかと思っていたが、なんだこの流れは。この不穏な空気は。
「……良いんですか?」
「構わねえって、別に。打ち上げには変わりねーんだから」
そして、そう最終確認をすれば五味は面倒臭くなったのかやけに投げ遣りな口調で続け「なあ、灘」と灘に同意を求める。それに対して灘は無言で頷いた。
喋らなければなに考えているかわからない灘だが、言動に嘘偽りはない……はずだ。
恐らく、打ち上げには変わりないのだろう。
打ち上げというものがよくわからなかったが、その内容は文化祭の総括的なものになるに違いない。
せっかく誘われてるのに断るのも申し訳ないが、だからといってノコノコついていって良いものなのだろうか。わからない。志摩の話によると他の委員会の人たちも来る可能性があるわけだし、知らない人もいるかもしれない。そんな中、全くの部外者が紛れ込んでいて大丈夫なのだろうか。
「で、どうする? 来てくれるんならこのまま付き合ってもらうけど」
最後にそう、確認するように問い掛けてくる五味。ここで断ったらもう後に退けない状況になるに違いない。
五味たちと一緒にいれば、壱畝と一緒の部屋にいなくても済む。その後、帰ってからなに言われるかわかったもんじゃないが一分一秒でも壱畝から離れられるならそれが一番好ましい。
「えっと、じゃあ、あの……ご一緒させていただきます」
――どちらにしろ、志摩の部屋にお邪魔させてもらうつもりだったしな。
そう、自分に言い聞かせるように口の中で呟いた。
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