21 / 368
四月四日目【予兆】
02
しおりを挟む
安久に見つかる前に学生寮へと戻ろう。そう判断し、昇降口へと向かっていたときのことだ。
いきなり背後からぶつかってきた何かに、バランス崩して床の上に転びそうになる。その上から、腕を掴み上げられた。
「み……見つけたぞ! コソコソネズミみたいに逃げ回りやがって……!」
安久だ。待ち伏せしていたのだろう。息を切らす安久のその額には汗も滲んでいる。
しまった、と慌てて安久から離れようとするが、手首を捻られ思わず怯む。
「は、離せってば……ッ」
「手間掛けさせやがって……来いよ!」
「ぅわ……ッ!」
体格はそう変わらないはずなのに、安久の力は強い。体ごと引っ張られ、必死に踏ん張ろうとするが敵わず、引き摺られる。
嫌だ、このまま連れて行かれたら何されるか分からない。
なんとしてでも逃げなければ。辺りを見渡すが、誰も見て見ぬふりだ。関わりたくないのだろう。安久に……阿賀松たちに。
そんなときだった。
「おい、なんの騒ぎだ?」
響いてきたのは、低い声。ざわついていた昇降口が、水を打ったように静まり返った。
聞き覚えのあるその声に振り返る。そこには、五味と見慣れない数人の生徒がいた。
その生徒たちの右腕にはいずれも『風紀』と刺繍された腕章が嵌められているのを俺は見た。
安久の表情が、あからさまにうんざりしたものになる。
「……別に? お前たちには関係ないだろ」
「何をしてるんだって聞いてるんだ。……おい、その手を離せ」
「……チッ」
近付いてくる五味に、安久は大きな舌打ちとともに俺を突き飛ばし、その場から逃げ出した。
尻餅付きそうになったところで五味に抱き留められる。人数差からして不都合だと判断したのだろうか。五味は風紀委員たちに目配せし、それに応えるように風紀委員たちは安久の後を追いかける。
その場に残された俺と五味。安久がいなくなったのを確認して、五味は肺に溜まった息を吐き出した。
「……おい、大丈夫か?」
「……すみません、大丈夫です……助かりました」
「そうか、ならいいが……。それにしても、面倒なやつに絡まれているな」
「……教室にまで来て、それで、ようやく逃げられたって思ったんですけど……」
「待ち伏せか」
五味の言葉に、俺は小さく頷き返す。
「……おい、これから時間大丈夫か?」
「え? ……はい、大丈夫です、けど……」
「ちょっと付いてきてくれ」
それだけを言い、五味は歩き出した。
断る理由もなかった。それに、五味と一緒に居ると良くも悪くも周りが距離を取ってくるので、安心感もある。
どこに行くのだろうか。不安になりながらも、付いていったその先は行ったこともない場所だった。
校舎四階……その最上階にある通路。
目の前の豪奢な扉には『生徒会室』と彫られたプレートが下げられていた。
「あの、ここって……」
狼狽える俺に構わず、五味は二回、扉をノックする。
それから、返事も待たずに五味は扉を開いた。
「ほら、お前も入れよ」
どうして生徒会室に、と固まる俺に、五味はそう目配せをした。あくまで無関係である俺が安安と足を踏み入れていいものか躊躇ったが、ここで棒立ちになってるわけにもいかない。
「失礼します」と呟きながら、俺は、生徒会室へと踏み入れた。
まず、視界に入ったのは壁一面ガラス張りの窓だ。学園の外を一望できるほどの絶景。それをバックにして佇むのは、芳川会長だ。
デスクの前、椅子に腰を掛けていた会長は入ってきた俺と五味を見るなり、立ち上がる。
「……齋藤君? どうしてここに?」
「まあなんだ、話したらちょっと長くなるんだが……さっき見回りしてたとき、昇降口でこいつが御手洗安久に連れていかれそうになってるのを見つけてな」
「なんだと?」
会長の眉が釣り上がる。
怒りを顕にする芳川会長を、五味は手で制した。
「御手洗はなんとか撒けたが……話を聞いたら教室前で待ち伏せをしていたそうだ。……恐らく、このままでは部屋にもいるんじゃねえかと思って、取り敢えず連れてきた」
「……そうか、よくやったぞ五味」
そう言って、会長はこちらに目を向けてくる。
「一先ず、座れ。立ちっぱなしも辛いだろう」
そう、会長は部屋の入り口の傍にある客席へと俺を案内してくれる会長。
会長の言う通り走り回ってたせいで足がガクガク震えていた。「ありがとうございます」と俺はお言葉に甘えることにする。
三人用ソファーに俺の隣に五味が座り、テーブルを挟んで向かい側に会長が腰を下ろす。なんだか落ち着かないが、我儘言ってる場合ではない。
「……また、阿賀松が騒いでるのか」
「俺らじゃなくて、こいつ目的らしいんだけどな」
「余計質が悪い。……阿賀松も君の部屋を知ってるんだろう?」
尋ねられ、俺は昨日の朝、阿賀松が部屋の前で待ち伏せていたことを思い出す。恐る恐る頷きかえせば、芳川は益々不愉快そうな顔をした。
「俺達までなら適当に無視しとけばよかったが……齋藤君がターゲットになるとなると、話が変わってくるな」
そう、会長が視線を彷徨わせたときだ。生徒会室の奥に取り付けられた扉がいきなり開いた。
誰かいるのか、と慌てて顔を上げれば、そこには生徒会副会長・栫井平佑が乱れた制服のまま現れた。
現れたそいつに、全身が硬直する。
「……」
「平佑、ちゃんと服を着ろ。だらしないだろ」
「……すみません、このまま寝ちゃって」
寝惚け眼のまま、ズルズルと現れていた栫井は、ソファーに座ってる俺を見つけるなり目を微かに開いた。
「……ここって部外者立ち入り禁止なんじゃないっすか?」
「今回は例外だ」
「例外って……」
「こいつ、御手洗安久に追い掛け回されてたんだよ。……どうやら、阿賀松に目を付けられてるみたいだ」
「……だったらそいつ、阿賀松に渡したらいいんじゃないっすか」
さも当然のように、栫井はそう続ける。
「……お前、阿賀松の性格は知ってるだろ」
「まあ、うぜーくらい絡まれるんで」
「ならこのまま放っておいていいと思ってんのか。それに、第一こいつが絡まれてる原因は……」
「大丈夫ですよ、五味さん。だってこいつ、阿賀松伊織と付き合ってんだし」
その言葉に、明らかに周囲の空気が変わるのを感じた。
空気だけではない、全身が、強張る。気付けば、俺は立ち上がっていた。
「付き合って……ないです……」
吐き出した声は震えていた。他人の口に戸は出来ないとわかっていたが、やはり噂は着実に広がっていっていたようだ。
「付き合ってないです」と、もう一度念を押せば、「大丈夫だ、齋藤君」と会長が優しく窘めてくる。
「平佑。……お前、口には気をつけろよ。」
「口も何も、事実でしょ。そいつ嘘吐いてるんですよ、そんで、会長たちの気を惹こうとしてる。……それも、阿賀松の作戦なんじゃないんですか?」
「平佑ッ!」
「……………………俺は信用してませんから」
言うなり、離れたデスクに腰を下ろす栫井。この部屋に栫井がいるというだけで、酷く落ち着かない。
信用もなにも、こちらのセリフだ。あんなことをしておいて、よく言える。
不快感が込み上げてくるが、お邪魔してるのも事実だ。
「……やっぱり、俺、帰ります、ありがとうございました」
そう立ち上がろうとする俺を止めたのは、芳川会長だった。
「あいつのことなら気にしなくてもいい」
「でも……」
「垂直に言おう、やつらに付き纏われてる君を知っておきながらも帰宅させ、何かがあった場合、俺は自分を許せない。……自己満足だ。君が気にすることなんて何もない」
「……会長」
芳川会長は、優しい。俺が遠慮しなくていいように、あくまで自分が強引に引き止めたようにするつもりなのだろう。
そんな人の優しさを無碍にするわけにもいかないし、俺にとっても素直に会長の気遣いは有り難いものだった。
「しかしまあ、相手は阿賀松だもんな。俺らにできることなんか限られてくるけどな」
「……? そうなんですか?」
「……ああ、そうか、お前転校生なら知らないか。……阿賀松伊織は理事長の孫だよ」
「……えッ!」
「それも、理事長は目に入れても痛くねえってくらい可愛がってるしな……実質、生徒会長のこいつよりも厚遇されてるのは事実だな。何をしても教師は目を瞑って見ないふり、他の生徒だって怖くて口出し出来ねえであいつはこの学園の王様気取りでやりたい放題だ」
うんざりした調子で続ける五味の言葉に、俺は、今まで覚えた様々な疑問が全て結びつくのを感じた。
ただの爪弾き者ではない、周囲から明らかに浮いた異質な存在。教師からも何も言われず、他の生徒からも畏怖の念を抱かれてるその理由。
転校前、学園のパンフレットを見たとき、この学園の経営は大手企業グループが担っていると読んだ。あまりビジネス業界のことに疎い俺でも知っている、医療機関、そして教育機関などを重点に置いた企業だと。
実質経営者である理事長の孫であるということは、と、そこまで考えて血の気が引く。
そんな相手に付き纏われているのだと実感するとともに、途方もない恐怖を覚えた。
「ほとぼりが冷めるまで部屋に戻らない方がいいんじゃないか。……少なくとは今日は、誰かの部屋に泊まるべきだ」
「っ、でも……それは……」
「なら、俺の部屋に来るか?」
そう持ちかけたのは五味だ。
え、と驚くよりも先に、芳川会長は「ダメだ」と切り捨てる。
「ええ、あのでも会長……」
「……三年の部屋だと阿賀松がすぐに嗅ぎ付けるかも知れない。そういう意味だ」
「……ああ、なるほど。……それじゃあ、二年か一年になるな」
「そうだな。……五味、十勝はいまどこにいるんだ」
「ああ、あいつなら確か百合月学園の女と遊びに行くって言ってたけど……まさか、十勝の部屋に?」
「齋籐君と十勝は仲がいいみたいだからな。俺たちといるより気が楽だろう」
ウンウンと頷く会長。確かに、芳川会長や五味の部屋にとなると緊張で寝るどころではなくなるのは目に見えてる。
だけど、十勝の部屋となると……。
志摩の顔が過る。志摩が一緒なら、たしかに、いくらか気が楽だ。俺は頷き返した。
「なら、決定だな」
「いや、ちょっと待てよ会長、十勝と同室のやつ、あいつは大丈夫なのか?」
このままサクサクと話が進むと思いきや、横から口を挟んできた五味に俺と会長は目を丸くする。
「同室?」
「志摩亮太」
出てきた名前に、少し緊張した。
なんでここで志摩の名前が出てくるのか、それもこんな形で。なんとなく、嫌な気がして心がざわつく。
「……俺達ならまだしも、相手は齋藤君だ。どうこうするということもないだろう」
「けどな、なんかあいつ気になるんだよな。なんつーか、言っちゃ悪いが胡散臭いみたいな……」
「五味」
唸る五味を会長は止める。俺の反応に気付いたようだ。
もしかして、志摩と何かあったのだろうかと不安になる俺に五味は「ああ、お前同じクラスなんだっけ。悪い」と謝ってくる。
「あの、志摩、何かあったんですか?」
「いやー、あの、気にすんな、俺の杞憂だから」
「喋りすぎだ、馬鹿者が」
「ごめんな、悪く言うつもりはなかったんだが……心配でな。でも、気にするなよ」
「……はい……」
もやもやはなくならないが、五味も会長もそれから志摩のことには触れなかった。
それから、五味が十勝に連絡を入れるのだが、なかなか十勝への連絡がつかないようだ。
イライラしてる五味を他所に会長と他愛ない会話をきてるときだ、通路側の扉が二回、ノックされる。
「入れ」
その一言に反応するように、扉が開く。入ってきたのは見覚えのある男子生徒だ。
冷めきった無表情のその男子生徒は、確か……。
「只今戻りました」
「灘か。……どうだった?」
「……校内を確認したところ、姿は見えませんでした。恐らく自室にいるかと」
「そうか、ご苦労だった」
労う会長に、灘と呼ばれたその生徒はやはり無表情を貼り付けたまま軽く頭を下げる。
それから、会長の向かい側に座る俺を見た。また栫井のような反応を示されるのかと思い、緊張する。けれど、灘はすぐに俺から目を逸した。
「そう言えば、君はこいつとは初めてだったか?」
「あ、あの……見かけたことは、何度か……」
「こいつは灘和真、生徒会会計だ。……学年は君と同じ二年だ」
会長に紹介され、嫌そうな顔をするわけでもなく変わらない表情のまま、灘はペコリと会釈する。
「……どうも」
よろしくお願いします、とは言わなかった。
同い年だとは思えないほど落ち着いているというか、敬語とその鷹揚のないトーンのせいだろうか。つられて俺も「よろしくお願いします」と敬語になってしまう。
挨拶するだけして、灘は栫井同様自分のデスクへと戻っていく。なんとなく、取っ付きにくそうな空気というか……まさに十勝とは正反対のタイプだと思った。
「だーっ! あいつ切りやがった!」
不意に、五味の怒鳴り声が響く。驚いて振り返れば、どうやら俺の知らないところで十勝との攻防戦が繰り広げられていたようだ。
「おい、どうするよ」
「どうするもこうするも、十勝を待つしかないだろう」
「一応既読もついてんだから分かってるとは思うが、ったく、電話にはすぐ出ろっつってんのに」
「……あはは……」
「それまで、ここを自由に使ってもいいからな。齋籐君」
「……すみません、なんか、あの、邪魔しちゃって……」
「そう思ってんなら帰れよ、図々しいやつ」
「平佑ッ」
会長に怒鳴られ、栫井はくるりとこちらに背中を向け、何事もなかったかのようにノートパソコンに向かい合う。
そして、十勝からの連絡を待つこと一時間近く経った。
「齋籐君、おかわりはいらないのか?」
「あ……じゃあ、すみません……いただきます」
「灘、お茶菓子ここになかったか?」
「恐らく午前中に会長が食べられたので最後だったかと」
「む……補充しておくべきだったな。……ちょっと買い足してくる」
「い、いえ、あの、お構いなく……!」
なんて、そんなやり取りを繰り広げているときだ。
おかわりしたミルクティーに口をつけたと同時に、勢い良く生徒会室の扉が開いた。
そして。
「なんなんすかもう! 何回も何回も電話してきて! お陰でせっかくいいところだったのに台無しだったんすけど!!」
頬にびっしりと赤い手型をつけた十勝は、そうぷりぷりと怒りながら生徒会室にやってきた。
そんな十勝に、五味はにやにやと笑う。
「なんだ、またフラれたのか」
「五味さんのせいっすよ! 五味さんの! もぉー! 会長ぉー、聞いて下さいよぉ! ユイのやつ……ん? あれ、佑樹?! え? あれ?! 佑樹も生徒会入ったの?」
「お前メッセージ見てなかったのかよ」
「俺、三行以上の文章読めないんで」
「馬鹿十勝が……!!」
キレる五味の代わりに、やれやれと言った感じで芳川会長がことのあらましを十勝に説明する。
最初はウンウンと聞いていた十勝だったが、最後まで聞き終え、十勝は「ウーン」と難しい顔をした。
「難しそうか?」
「いや、俺は全然いいんすけど……」
「なにか問題でもあるのか」
やけに歯切れの悪い十勝は、俺の方をちらりと見た。
俺がどうかしたのだろうか。やっぱり良くも知らない俺が泊まりに来ることに抵抗あるのだろうか。と、不安になってると、「いや、佑樹がいいんならいいっす」と首を横に振る。
なんとなく十勝の反応が気になるが、一先ず、十勝の部屋にお邪魔させていただくということで丸く収まることになった。
いきなり背後からぶつかってきた何かに、バランス崩して床の上に転びそうになる。その上から、腕を掴み上げられた。
「み……見つけたぞ! コソコソネズミみたいに逃げ回りやがって……!」
安久だ。待ち伏せしていたのだろう。息を切らす安久のその額には汗も滲んでいる。
しまった、と慌てて安久から離れようとするが、手首を捻られ思わず怯む。
「は、離せってば……ッ」
「手間掛けさせやがって……来いよ!」
「ぅわ……ッ!」
体格はそう変わらないはずなのに、安久の力は強い。体ごと引っ張られ、必死に踏ん張ろうとするが敵わず、引き摺られる。
嫌だ、このまま連れて行かれたら何されるか分からない。
なんとしてでも逃げなければ。辺りを見渡すが、誰も見て見ぬふりだ。関わりたくないのだろう。安久に……阿賀松たちに。
そんなときだった。
「おい、なんの騒ぎだ?」
響いてきたのは、低い声。ざわついていた昇降口が、水を打ったように静まり返った。
聞き覚えのあるその声に振り返る。そこには、五味と見慣れない数人の生徒がいた。
その生徒たちの右腕にはいずれも『風紀』と刺繍された腕章が嵌められているのを俺は見た。
安久の表情が、あからさまにうんざりしたものになる。
「……別に? お前たちには関係ないだろ」
「何をしてるんだって聞いてるんだ。……おい、その手を離せ」
「……チッ」
近付いてくる五味に、安久は大きな舌打ちとともに俺を突き飛ばし、その場から逃げ出した。
尻餅付きそうになったところで五味に抱き留められる。人数差からして不都合だと判断したのだろうか。五味は風紀委員たちに目配せし、それに応えるように風紀委員たちは安久の後を追いかける。
その場に残された俺と五味。安久がいなくなったのを確認して、五味は肺に溜まった息を吐き出した。
「……おい、大丈夫か?」
「……すみません、大丈夫です……助かりました」
「そうか、ならいいが……。それにしても、面倒なやつに絡まれているな」
「……教室にまで来て、それで、ようやく逃げられたって思ったんですけど……」
「待ち伏せか」
五味の言葉に、俺は小さく頷き返す。
「……おい、これから時間大丈夫か?」
「え? ……はい、大丈夫です、けど……」
「ちょっと付いてきてくれ」
それだけを言い、五味は歩き出した。
断る理由もなかった。それに、五味と一緒に居ると良くも悪くも周りが距離を取ってくるので、安心感もある。
どこに行くのだろうか。不安になりながらも、付いていったその先は行ったこともない場所だった。
校舎四階……その最上階にある通路。
目の前の豪奢な扉には『生徒会室』と彫られたプレートが下げられていた。
「あの、ここって……」
狼狽える俺に構わず、五味は二回、扉をノックする。
それから、返事も待たずに五味は扉を開いた。
「ほら、お前も入れよ」
どうして生徒会室に、と固まる俺に、五味はそう目配せをした。あくまで無関係である俺が安安と足を踏み入れていいものか躊躇ったが、ここで棒立ちになってるわけにもいかない。
「失礼します」と呟きながら、俺は、生徒会室へと踏み入れた。
まず、視界に入ったのは壁一面ガラス張りの窓だ。学園の外を一望できるほどの絶景。それをバックにして佇むのは、芳川会長だ。
デスクの前、椅子に腰を掛けていた会長は入ってきた俺と五味を見るなり、立ち上がる。
「……齋藤君? どうしてここに?」
「まあなんだ、話したらちょっと長くなるんだが……さっき見回りしてたとき、昇降口でこいつが御手洗安久に連れていかれそうになってるのを見つけてな」
「なんだと?」
会長の眉が釣り上がる。
怒りを顕にする芳川会長を、五味は手で制した。
「御手洗はなんとか撒けたが……話を聞いたら教室前で待ち伏せをしていたそうだ。……恐らく、このままでは部屋にもいるんじゃねえかと思って、取り敢えず連れてきた」
「……そうか、よくやったぞ五味」
そう言って、会長はこちらに目を向けてくる。
「一先ず、座れ。立ちっぱなしも辛いだろう」
そう、会長は部屋の入り口の傍にある客席へと俺を案内してくれる会長。
会長の言う通り走り回ってたせいで足がガクガク震えていた。「ありがとうございます」と俺はお言葉に甘えることにする。
三人用ソファーに俺の隣に五味が座り、テーブルを挟んで向かい側に会長が腰を下ろす。なんだか落ち着かないが、我儘言ってる場合ではない。
「……また、阿賀松が騒いでるのか」
「俺らじゃなくて、こいつ目的らしいんだけどな」
「余計質が悪い。……阿賀松も君の部屋を知ってるんだろう?」
尋ねられ、俺は昨日の朝、阿賀松が部屋の前で待ち伏せていたことを思い出す。恐る恐る頷きかえせば、芳川は益々不愉快そうな顔をした。
「俺達までなら適当に無視しとけばよかったが……齋藤君がターゲットになるとなると、話が変わってくるな」
そう、会長が視線を彷徨わせたときだ。生徒会室の奥に取り付けられた扉がいきなり開いた。
誰かいるのか、と慌てて顔を上げれば、そこには生徒会副会長・栫井平佑が乱れた制服のまま現れた。
現れたそいつに、全身が硬直する。
「……」
「平佑、ちゃんと服を着ろ。だらしないだろ」
「……すみません、このまま寝ちゃって」
寝惚け眼のまま、ズルズルと現れていた栫井は、ソファーに座ってる俺を見つけるなり目を微かに開いた。
「……ここって部外者立ち入り禁止なんじゃないっすか?」
「今回は例外だ」
「例外って……」
「こいつ、御手洗安久に追い掛け回されてたんだよ。……どうやら、阿賀松に目を付けられてるみたいだ」
「……だったらそいつ、阿賀松に渡したらいいんじゃないっすか」
さも当然のように、栫井はそう続ける。
「……お前、阿賀松の性格は知ってるだろ」
「まあ、うぜーくらい絡まれるんで」
「ならこのまま放っておいていいと思ってんのか。それに、第一こいつが絡まれてる原因は……」
「大丈夫ですよ、五味さん。だってこいつ、阿賀松伊織と付き合ってんだし」
その言葉に、明らかに周囲の空気が変わるのを感じた。
空気だけではない、全身が、強張る。気付けば、俺は立ち上がっていた。
「付き合って……ないです……」
吐き出した声は震えていた。他人の口に戸は出来ないとわかっていたが、やはり噂は着実に広がっていっていたようだ。
「付き合ってないです」と、もう一度念を押せば、「大丈夫だ、齋藤君」と会長が優しく窘めてくる。
「平佑。……お前、口には気をつけろよ。」
「口も何も、事実でしょ。そいつ嘘吐いてるんですよ、そんで、会長たちの気を惹こうとしてる。……それも、阿賀松の作戦なんじゃないんですか?」
「平佑ッ!」
「……………………俺は信用してませんから」
言うなり、離れたデスクに腰を下ろす栫井。この部屋に栫井がいるというだけで、酷く落ち着かない。
信用もなにも、こちらのセリフだ。あんなことをしておいて、よく言える。
不快感が込み上げてくるが、お邪魔してるのも事実だ。
「……やっぱり、俺、帰ります、ありがとうございました」
そう立ち上がろうとする俺を止めたのは、芳川会長だった。
「あいつのことなら気にしなくてもいい」
「でも……」
「垂直に言おう、やつらに付き纏われてる君を知っておきながらも帰宅させ、何かがあった場合、俺は自分を許せない。……自己満足だ。君が気にすることなんて何もない」
「……会長」
芳川会長は、優しい。俺が遠慮しなくていいように、あくまで自分が強引に引き止めたようにするつもりなのだろう。
そんな人の優しさを無碍にするわけにもいかないし、俺にとっても素直に会長の気遣いは有り難いものだった。
「しかしまあ、相手は阿賀松だもんな。俺らにできることなんか限られてくるけどな」
「……? そうなんですか?」
「……ああ、そうか、お前転校生なら知らないか。……阿賀松伊織は理事長の孫だよ」
「……えッ!」
「それも、理事長は目に入れても痛くねえってくらい可愛がってるしな……実質、生徒会長のこいつよりも厚遇されてるのは事実だな。何をしても教師は目を瞑って見ないふり、他の生徒だって怖くて口出し出来ねえであいつはこの学園の王様気取りでやりたい放題だ」
うんざりした調子で続ける五味の言葉に、俺は、今まで覚えた様々な疑問が全て結びつくのを感じた。
ただの爪弾き者ではない、周囲から明らかに浮いた異質な存在。教師からも何も言われず、他の生徒からも畏怖の念を抱かれてるその理由。
転校前、学園のパンフレットを見たとき、この学園の経営は大手企業グループが担っていると読んだ。あまりビジネス業界のことに疎い俺でも知っている、医療機関、そして教育機関などを重点に置いた企業だと。
実質経営者である理事長の孫であるということは、と、そこまで考えて血の気が引く。
そんな相手に付き纏われているのだと実感するとともに、途方もない恐怖を覚えた。
「ほとぼりが冷めるまで部屋に戻らない方がいいんじゃないか。……少なくとは今日は、誰かの部屋に泊まるべきだ」
「っ、でも……それは……」
「なら、俺の部屋に来るか?」
そう持ちかけたのは五味だ。
え、と驚くよりも先に、芳川会長は「ダメだ」と切り捨てる。
「ええ、あのでも会長……」
「……三年の部屋だと阿賀松がすぐに嗅ぎ付けるかも知れない。そういう意味だ」
「……ああ、なるほど。……それじゃあ、二年か一年になるな」
「そうだな。……五味、十勝はいまどこにいるんだ」
「ああ、あいつなら確か百合月学園の女と遊びに行くって言ってたけど……まさか、十勝の部屋に?」
「齋籐君と十勝は仲がいいみたいだからな。俺たちといるより気が楽だろう」
ウンウンと頷く会長。確かに、芳川会長や五味の部屋にとなると緊張で寝るどころではなくなるのは目に見えてる。
だけど、十勝の部屋となると……。
志摩の顔が過る。志摩が一緒なら、たしかに、いくらか気が楽だ。俺は頷き返した。
「なら、決定だな」
「いや、ちょっと待てよ会長、十勝と同室のやつ、あいつは大丈夫なのか?」
このままサクサクと話が進むと思いきや、横から口を挟んできた五味に俺と会長は目を丸くする。
「同室?」
「志摩亮太」
出てきた名前に、少し緊張した。
なんでここで志摩の名前が出てくるのか、それもこんな形で。なんとなく、嫌な気がして心がざわつく。
「……俺達ならまだしも、相手は齋藤君だ。どうこうするということもないだろう」
「けどな、なんかあいつ気になるんだよな。なんつーか、言っちゃ悪いが胡散臭いみたいな……」
「五味」
唸る五味を会長は止める。俺の反応に気付いたようだ。
もしかして、志摩と何かあったのだろうかと不安になる俺に五味は「ああ、お前同じクラスなんだっけ。悪い」と謝ってくる。
「あの、志摩、何かあったんですか?」
「いやー、あの、気にすんな、俺の杞憂だから」
「喋りすぎだ、馬鹿者が」
「ごめんな、悪く言うつもりはなかったんだが……心配でな。でも、気にするなよ」
「……はい……」
もやもやはなくならないが、五味も会長もそれから志摩のことには触れなかった。
それから、五味が十勝に連絡を入れるのだが、なかなか十勝への連絡がつかないようだ。
イライラしてる五味を他所に会長と他愛ない会話をきてるときだ、通路側の扉が二回、ノックされる。
「入れ」
その一言に反応するように、扉が開く。入ってきたのは見覚えのある男子生徒だ。
冷めきった無表情のその男子生徒は、確か……。
「只今戻りました」
「灘か。……どうだった?」
「……校内を確認したところ、姿は見えませんでした。恐らく自室にいるかと」
「そうか、ご苦労だった」
労う会長に、灘と呼ばれたその生徒はやはり無表情を貼り付けたまま軽く頭を下げる。
それから、会長の向かい側に座る俺を見た。また栫井のような反応を示されるのかと思い、緊張する。けれど、灘はすぐに俺から目を逸した。
「そう言えば、君はこいつとは初めてだったか?」
「あ、あの……見かけたことは、何度か……」
「こいつは灘和真、生徒会会計だ。……学年は君と同じ二年だ」
会長に紹介され、嫌そうな顔をするわけでもなく変わらない表情のまま、灘はペコリと会釈する。
「……どうも」
よろしくお願いします、とは言わなかった。
同い年だとは思えないほど落ち着いているというか、敬語とその鷹揚のないトーンのせいだろうか。つられて俺も「よろしくお願いします」と敬語になってしまう。
挨拶するだけして、灘は栫井同様自分のデスクへと戻っていく。なんとなく、取っ付きにくそうな空気というか……まさに十勝とは正反対のタイプだと思った。
「だーっ! あいつ切りやがった!」
不意に、五味の怒鳴り声が響く。驚いて振り返れば、どうやら俺の知らないところで十勝との攻防戦が繰り広げられていたようだ。
「おい、どうするよ」
「どうするもこうするも、十勝を待つしかないだろう」
「一応既読もついてんだから分かってるとは思うが、ったく、電話にはすぐ出ろっつってんのに」
「……あはは……」
「それまで、ここを自由に使ってもいいからな。齋籐君」
「……すみません、なんか、あの、邪魔しちゃって……」
「そう思ってんなら帰れよ、図々しいやつ」
「平佑ッ」
会長に怒鳴られ、栫井はくるりとこちらに背中を向け、何事もなかったかのようにノートパソコンに向かい合う。
そして、十勝からの連絡を待つこと一時間近く経った。
「齋籐君、おかわりはいらないのか?」
「あ……じゃあ、すみません……いただきます」
「灘、お茶菓子ここになかったか?」
「恐らく午前中に会長が食べられたので最後だったかと」
「む……補充しておくべきだったな。……ちょっと買い足してくる」
「い、いえ、あの、お構いなく……!」
なんて、そんなやり取りを繰り広げているときだ。
おかわりしたミルクティーに口をつけたと同時に、勢い良く生徒会室の扉が開いた。
そして。
「なんなんすかもう! 何回も何回も電話してきて! お陰でせっかくいいところだったのに台無しだったんすけど!!」
頬にびっしりと赤い手型をつけた十勝は、そうぷりぷりと怒りながら生徒会室にやってきた。
そんな十勝に、五味はにやにやと笑う。
「なんだ、またフラれたのか」
「五味さんのせいっすよ! 五味さんの! もぉー! 会長ぉー、聞いて下さいよぉ! ユイのやつ……ん? あれ、佑樹?! え? あれ?! 佑樹も生徒会入ったの?」
「お前メッセージ見てなかったのかよ」
「俺、三行以上の文章読めないんで」
「馬鹿十勝が……!!」
キレる五味の代わりに、やれやれと言った感じで芳川会長がことのあらましを十勝に説明する。
最初はウンウンと聞いていた十勝だったが、最後まで聞き終え、十勝は「ウーン」と難しい顔をした。
「難しそうか?」
「いや、俺は全然いいんすけど……」
「なにか問題でもあるのか」
やけに歯切れの悪い十勝は、俺の方をちらりと見た。
俺がどうかしたのだろうか。やっぱり良くも知らない俺が泊まりに来ることに抵抗あるのだろうか。と、不安になってると、「いや、佑樹がいいんならいいっす」と首を横に振る。
なんとなく十勝の反応が気になるが、一先ず、十勝の部屋にお邪魔させていただくということで丸く収まることになった。
32
お気に入りに追加
443
あなたにおすすめの小説
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
男子寮のベットの軋む音
なる
BL
ある大学に男子寮が存在した。
そこでは、思春期の男達が住んでおり先輩と後輩からなる相部屋制度。
ある一室からは夜な夜なベットの軋む音が聞こえる。
女子禁制の禁断の場所。
双葉病院小児病棟
moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。
病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。
この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。
すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。
メンタル面のケアも大事になってくる。
当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。
親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。
【集中して治療をして早く治す】
それがこの病院のモットーです。
※この物語はフィクションです。
実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。
塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
とある金持ち学園に通う脇役の日常~フラグより飯をくれ~
無月陸兎
BL
山奥にある全寮制男子校、桜白峰学園。食べ物目当てで入学した主人公は、学園の権力者『REGAL4』の一人、一条貴春の不興を買い、学園中からハブられることに。美味しい食事さえ楽しめれば問題ないと気にせず過ごしてたが、転入生の扇谷時雨がやってきたことで、彼の日常は波乱に満ちたものとなる──。
自分の親友となった時雨が学園の人気者たちに迫られるのを横目で見つつ、主人公は巻き込まれて恋人のフリをしたり、ゆるく立ちそうな恋愛フラグを避けようと奮闘する物語です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる