天国か地獄

田原摩耶

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四月三日目【狂言】

02

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 学生寮一階・ロビー。

「……齋籐君?」

 不意に声を掛けられる。振り返れば、そこには芳川会長がいた。
 その両脇には、女装男……もとい櫻田とクマのぬいぐるみを抱えた江古田がいた。
 珍しい組み合わせだが……今見たくない顔でもある。というか、こんな顔、見られたくなかった。

「随分と慌てているようだが、何かあったのか?酷い顔をしているぞ」
「な……なんでもないです」
「本当か?」

 こちらの目を覗き込んでくる芳川会長に、背筋に汗が流れる。
 ……会長には、知られたくない。それも、対立しているであろう阿賀松に絡まれてるなんて、絶対。
 俺は強張る表情筋を無理矢理動かし、笑みを作った。

「……はい、あの、ちょっと寝坊しちゃって……」
「寝坊?まだ予鈴には時間があると思うが」
「ええと、その……もう少し早起きするつもりだったんです……!そ、それで……慌ててしまって……」
「そうか、まあ……まだここに来て日も浅い。慣れるまでには時間も必要だろうしな」

 ……なんとか、誤魔化せたようだ。
 頷く会長にホッと安堵するのも束の間。早くここから移動しないとまた阿賀松が来るかもしれない。そう危惧した俺は「それじゃあこれで」と慌てて会長たちの前から立ち去ろうとした、その時だ。

「そうだ、齋藤君。君さえよければ一緒に朝食でもどうだ」

「その様子だと、まだなんじゃないのか?」鋭い。
 芳川会長は、善意のつもりなのだろう。それでも、会長を慕っている背後の櫻田の目が痛い。

「……いえ、俺は……」
「遠慮する必要はない。……それとも、友達と約束でもあるのか?」
「そういうわけではないですが……」
「なら、一緒にどうだ」

 口籠っていると、そっと顔を寄せてきた会長は「このメンツだけで食事は結構来るものがあるんだ」と耳打ちする。
 ……もしかしたら、そっちが目的か。
 確かに、この前櫻田に絡まれてる様子を思い出す限り会長は櫻田に対して苦手意識を持ってるようだ。
 ……このまま放っておくのも心が痛む。
 俺は、つい「分かりました」と折れてしまった。
 先程以上に目付きが鋭くなる櫻田に、早速選択肢を誤ってしまった気がしてならないが、一度頷いてしまえばおしまいだ。

「そうか、助かる。なら、行こう」

 そう会長に肩を軽く叩かれる。俺は、会長たちとともに そのまま食堂へと向かった。

 食堂は、学生食堂と呼ぶにはあまりにも豪華で、広かった。
 清潔感溢れる白い壁とタイル張りの床。マンモス校とはいえ、ここは高等部限定の食堂だ。それでも備え付けの机と椅子を見る限り、一度に数百人は容易に受け入れることが可能だろう。
 奥にはボックス席もあり、既に何人かの生徒たちが座っては談笑し合っているのが見えた。
 ガラス張りの壁の向こうには青空とガーデンテラスが広がっていた。会長が言うには天気がいい日はテラスが開放され、外の空気を吸いながら食事を取ることも可能のようだ。
 現に、天気のいい今日は既に先客で埋まってる。どうやら人気の席のようだ。
 俺たちは食事をする生徒たちの脇を通り抜け、食堂の奥に繋がる階段を上がり、他の席から隔離されたその空間に足を踏み入れる。心なしか一階のテーブルセットよりも豪華なデザインのソファーにテーブルに、俺は悟る。ここは、特別な生徒のみが使えるテーブル席なのだと。
 現に、大半の席は埋まってるにも関わらず二階の席には誰もいないのだ。
 芳川会長も何も言わないし、櫻田たちも何も言わないので、俺も何も言わずに席についた。
 備え付けのメニューから朝食を選び、やってきたウェイターにそれを頼む。
 学食と言うよりも、レストランと言った方が個人的にはしっくり来た。
 本当に、桁違いというか……力を入れるところと一般高校のそれとは違う。
 料理はすぐにやってきた。
 先程の出来事もあって余計食欲がないので、ワンプレートで済ませることにしたのだが、思ってた以上にボリュームがあるそれについ腹の虫が鳴る。
 会長はパンケーキ、櫻田はハンバーガー、江古田は塩鮭定食を頼んでいたようだ。……というか、会長、がっつりデザートのような気もするのだが……甘いものが好きなのだろうか?

「会長ー、あーんしてやりましょうか。あーん」
「……食べ物で遊ぶな」
「えー、遊んでないですって俺! あ、これ美味いっすよ!これ!」
「いらん、自分で食え」

 揉めてる(というか、櫻田が一方的に絡んでいる)のを眺めてると、不意に、江古田が何か横でもぞもぞしてることに気付く。どうやら膝に置いたくまにナプキンを掛けて上げてるようだ。本当に可愛がっているようだ。
 なかなか不思議な光景だが、少し、和んだ。

「えと、江古田君……だったよね?これ、俺のあげるよ。……そのクマさんに使ったら、君の分がないよね?」

 つい、俺は声を掛けていた。使っていないナプキンを差し出せば、江古田は目を丸くして、こちらを見る。

「……あの、結構です……別に、僕は汚れても構わないので……」
「あっ、ご、ごめん……余計なお世話だったね……ごめんね?」
「……いえ、お気遣いありがとうございます……」
「……」
「……」

 き、気まずい。
「わーい、ありがとうございます」と喜んでくれるようなタイプではないと分かっていたが、ここまでバッサリと断れるとなんというか、取り付く島もないというか。
 おずおずと手を引っ込めれば、江古田はばつが悪そうに俯く。そして。

「……齋籐先輩、これあげます……」
「えっ? いいの?」
「……はい……」

 どういう風の吹き回しなのだろうか。こくりと小さく頷いた江古田は、取皿に載せられた卵焼きを二つ、そぅと俺の側に置いた。
 本当に貰っていいのだろうかと江古田を見るが、江古田は無言のまま俺をガン見するだけだった。
 ちょっと怖いが、もしかしたら気遣ってくれてるのだろうか。

「じゃあ……貰おうかな。ありがとう、江古田君」

 江古田は何も言わずに顔を逸らす。
 やっぱり、何を考えてるのか分からないが……いい方に取ってもいいのだろうか。どう接すればいいのか迷いながら、俺は江古田から貰った卵焼きを口にした。
 口にしたそれはほんのり甘かった。 

「齋籐君は、甘いものが好きか?」

 それは唐突な会長からの問い掛けだった。

「あ、はい……好きですね」
「会長、俺も甘いもの好きですよー!」
「お前には聞いていない」
「因みに俺が好きなのはカカオ100%のチョコレートですね」
「……それは……」

 甘いものが好きと呼べるのだろうか。思わず櫻田に突っ込みそうになるが、絡まれるのも嫌なので俺は口を紡ぐことにする。

「今度駅前通りにスイーツパーラーが新しくオープンしたようだ。興味があったのだが……一人ではなかなか行きづらくてな」
「た、確かに……行きづらそうですね」
「そんなことなら俺がお供しますよ、会長!」
「……君さえよければ一緒にどうだろうか」

 とうとう櫻田を無視し始めた会長。「ねーねー会長会長ってば!」とぶんぶん会長の腕を振り回す櫻田を見ないことにしてるのだからすごい。俺には出来ないだろう。
 正直、会長にそんな風に誘われるなんて思いもしなかった。
 生徒会役員と一緒に行かないのだろうかとも思ったが、確かに五味や栫井や十勝を思い出す限りデザートが好きって感じでも無さそうだったが……何故俺なのだろうか。
 良くしてもらえるのは嬉しいが、阿賀松の件もまだ解決していない今、あまり親睦を深めるわけにもいかない。
 ……こうして同じテーブルを囲んでるところだって、どこで誰に見られてるのか分からないのだから。

「あの……ありがとうございます。けど、すみません……遠慮しておきます」
「そうか。……君さえ良ければと思ったのだが、男同士であのような場所に行くにはやはり度胸がいるからな。……残念だが、仕方ないな」
「す……すみません」
「会長、なんなら、俺がついて行きますって!」
「断固お断りさせていただく」
「えっ?! なんで!! 俺が女装して行けばカップル風で周りから浮かないと思ったんすけど名案じゃないですかこれ!」
「……余計浮くし入店拒否されると思うけど……」
「されるかよ!! 俺みたいな美女が入店拒否なら世の中の女全員入店拒否だ!!」

 ……何を言ってるのだろうか。
 というか本気で女装して付いていくつもりなのだろうか。
 見てみたい気もするが、芳川会長が許すわけがないだろう。
 しかしこんなトンデモなくナルシスト発言でも、まあ……長身で体格がいい美少女と見えなくないと思ってしまうのがすごいと思う。
 喉仏と声は男子高校生のそれだが、正直喋らず首元を隠してたら俺は少し迷ってしまうだろう。


 というわけで、騒がしい朝食を済ませ、一階へと降りた俺達はそのまま食堂を後にした。
 通り過ぎていく生徒たちは、会長の姿を見るなり「おはようございます」と頭を下げる。会長は「ああ」とだけ返し、まるでいつものことでも言うかのように生徒たちの前を通り過ぎていくのだ。
 やはり、講堂のステージの上に立っていた会長なんだと思った。
 このマンモス校、矢追ヶ丘学園高等部の生徒たちの頂点に立つ生徒会長。
 そんな人と一緒にご飯を食べていたなんて、今更ながら夢を見ているような……そんな気になってしまう。
 初対面……ではないが、まだ出会って日も浅い。それなのに、会長はまるで昔からの知り合いみたいによくしてくれるのだ。……だからこそ、親身になってくれるからこそ沢山の生徒に慕われるのだろう。
 芳川会長が生徒会長に選ばれた理由が、俺はなんとなくわかった気がした。
 学生寮を出て、校舎へと繋がる通路の途中。

「齋籐君は、このまま教室に行くのか?」
「はい、そのつもりです」
「……そうだな、予鈴前に教室に入ってクラスメートたちと親睦を深めるのも大切なことだしな。……教室への行き方はもう覚えたか?」
「はい、教室だけは毎日通う場所なので早く覚えないとと思って……」
「そうか、なら大丈夫そうだな」

 会長はそう笑う。会長の笑った顔は、普段の堅い表情からは考えられないくらい優しくて、暖かかった。

「それでは、俺は生徒会室に用があるからここで失礼する。……君たちも、ちゃんと遅刻しないように教室に迎えよ」
「はーい!」
「……はい……」

 というわけで、昇降口前。俺達はその場で解散することになった。
 一年生である櫻田と江古田は、二年の教室がある棟とはまた別の棟に移動する必要がある。
 踵を返す江古田と櫻田だったが、不意に、櫻田は何かを思い出したように「あ、そーだ、せんぱーい」と俺に声を掛けてくる。

「えっ、ぁ……何?」

 櫻田は、苦手だ。
 切り揃えられたウィッグの前髪から覗く猫目が二つ、俺を捉える。

「齋藤先輩、気を付けた方がいいっすよ」
「え……?」
「さっきからお前、着けられてるみてーだから」
「着け……?!」
「親衛隊連中じゃなさそうだし、もしかしたら気付かないところで恨みでも買っちゃった?……ま、俺としてはどーでもいいんだけど、先輩になにか遭って一緒にいた会長の責任にされても困るしなぁ」

「っつーわけで、自分の身だろ? なんとかしろよ?」そう、耳打ちし、櫻田は「じゃあな」と手を振ってさっさと歩き出す。
 着けられてる……ってことは、尾行されてるということか。視線が痛いとは思っていたが、心当たりがありすぎて、俺は暫くその場から動けなかった。
 ……振り向くのが怖くて、とにかく、櫻田がわざわざ忠告してくれたというのだからそれを無碍にするわけにもいかない。俺は、早急にその場を移動することにした。
 それにしても、櫻田は信用していいのか悪いのか、よく分からない……。けれど、会長のメンツに関することならば、嘘を吐かないはずだ。
 面倒臭そうなやつだけど、それでもそれだけは信用していい気がしていた。
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