阪奈兄には気をつけろ!

田原摩耶

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おかしくないか?

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 ふわふわして、いい匂いがして、柔らかく包み込んでくれる。
 そりゃ誰だってそんな女の子が好きだろう。
 これってもう多分人間の遺伝子レベルで決定づけられてられると思う。
 だから、俺は女の子が好きだ。可愛くて柔らかそうな女の子はもっと好きだ。

 けれど、ゴツゴツして嫌にむちむちした筋肉とか汗臭え男はまじで勘弁。ねえわ。可愛さの微塵も感じられない。

 なのに、神様。

遊生ゆお君、うちの弟にならないか?」

 いやそんな告白ってあるか?普通。

 胸筋が見た目よりも柔らかいとかそんなこと知りたくなかった。
 人をぎゅうっと抱き締め、薄ら寒いことを言い出す目の前の男に俺は強い目眩を覚えたのだ。


【阪奈兄には気をつけろ!】


「ゆーお君っ、ゆお君!」
「んお、ふゆはちゃん! 待ってたよ~」
「うちも! ごめんね最近会えなくて。ね、ゆお君が来るからってふゆは、部屋の掃除頑張ったんだよ~」
「本当? ふゆはちゃんの部屋楽しみだなあ」
「うんうん、期待しててねえ」

 あーこれこれ、この感じ。
 ふわふわと柔らかそうな髪から鼻孔に染み渡る甘い匂いが俺を幸せにしてくれる。

 最近知り合ったふゆはちゃん――阪奈冬春ちゃんは隣町の高校に通う一つ年下の女の子だ。
 たまたま遊びに行った先で見かけ、あまりにもドタイプで速攻連絡交換した。
 そしてようやく家デートまでこぎつけたのだ。今までは『兄がいるから』『弟がいるから』『友達と遊ぶ予定があって』『部活が』とか色々な理由で直接デート会うこともできず、通話とメッセのやり取りしかできなかったがようやくだ。
 ようやく、ここまできた。

 見慣れない住宅街。ぷに、と柔らかいふゆはちゃんの手が俺の手を握り締めたまま引っ張ってくる。そしてそのままふゆはちゃんの家まで連れて行ってもらうのだ。ああ、なんて至福の時間だろうか。

「そういえばふゆはちゃん、今日家には誰にもいないんだっけ?」
「うん、そうなの。……久しぶりのゆお君とのデートだもん、ゆっくり二人で過ごしたいなって」
「うんうん、俺も! へへ、嬉しいなあ」
「……あ、ゆお君ここだよ、ふゆはの家」

 そうとある一軒家の前で立ち止まるふゆはちゃん。
 そこにはいかにも裕福そうな家が建っていた。庭付きだししっかりと花の手入れもされてある。ふゆはちゃんがしたのかな?なんかすげーわかる。なんてほわほわしてると、「ちょっと待っててね」と俺から手を離したふゆはちゃんはぱたぱたと玄関口に忍び寄る。そして、まるでスパイみたいな動きで辺りを警戒してる。

「ん? ……どうしたの、ふゆはちゃん」
「あ、いや……大丈夫そう。じゃあこっち、ゆお君」

 取り出した鍵で扉を開いたふゆはちゃんは、「どうぞ」と俺を招き入れるのだ。

「それじゃ、お邪魔しまーす。……うわ、きれいだね。なんかふゆはちゃんの家って感じた」
「えー? そうかな」
「いい匂いもするし、いいなあ。俺もここに住んじゃおっかな」
「もーゆお君ってば。あ、リビングこっちだよ」
「それより、ふゆはちゃんの部屋は」

「きれいになったふゆはちゃんの部屋、見たいなあ」と甘えれば、ふゆはちゃんは満更でも無さそうな顔をして「仕方ないなあ」と笑うのだ。

「ほら、こっちだよ。階段登ったところ」

 そして、先を歩いていくふゆはちゃんについていく。

 ふゆはちゃんから効いていた通り誰もいないようだ。紛うことなき二人きり――それにこの空気感、悪くない。
 いけるだろ、これ。と緩みそうになる口元を抑えながら階段を登りきったところ、「こっちだよ、ゆお君」と肩をくいっと引っ張られる。そして連れて行かれた通路の奥の扉、【ふゆは room】と女の子らしいドアフレームを確認し、「開けていい?」とふゆはちゃんを振り返れば「うん」と仄かに頬を赤らめたふゆはちゃんはうなずく。
 ごくり、と固唾を飲み込み俺は「じゃあ行くよ」と扉を開いた。そして、扉の向こう側にはふゆはちゃんのイメージによく似合うピンクと白のフリルたっぷりの部屋――と上裸の筋肉男がいた。

「おい冬春、駄目じゃないか! ちゃんとこのお兄ちゃんたちとの家族写真は見えるところに立てておけって用意してやったのにこんなクローゼットの奥にしまい込んだりして!」

 凄まじい勢いで横から出てきたふゆはちゃんは扉を蹴り閉める。

「………………」
「はあっ、はあ………ごめん、ゆお君、部屋間違えたかも……」
「いや、でもここ確かに『ふゆは room』って」

『おーい! 冬春! なんでいきなり閉めるんだ! 今のが新しい彼氏君か?! お兄ちゃんにも挨拶させてくれ!!』

「………………」
「………………」

 ドンドン!と勢いよく内側から叩かれる扉を力づくで堰き止めてるふゆはちゃん。

「あ、あの、ふゆはちゃん……の、お兄さん……?」
「ん……んー……えっと、知らない」
「あ、そか、知らない人か~」

 なら仕方ないか。

「ところでふゆはちゃん、扉メキメキ言ってるけど……」
「う~ん、ちょっと立て付け悪かったかも……」
「あ、あーそお? そっか、立て付け悪いの大変だねえ……」

 と言った側からメキッとなにかしらの部品が曲がるような音ともに扉が大きく外れる。
 そして扉の向こうから現れた男に、俺も、そしてふゆはちゃんも青褪めていた。

「こら冬春、兄に対してそんな態度はないだろ? おっと、君が『ゆお君』だな。俺は阪奈大夏たいか、気軽にお兄ちゃんって呼んでくれて構わないからな」
「……」
「あ、こんな格好で挨拶になってしまって悪いな。丁度服全部洗濯してしまって着替えがなかったんだ、ははは!」

 快活な笑い声とともに俺の手をぎゅ!と握り締めてくる知らない人もとい阪奈大夏、自称お兄ちゃん。
 自分よりも遥かに高い体温、そして分厚く硬い手のひらにぎゅっと包み込まれた瞬間全身にサブイボが立つ。

「ご、ごめん、ゆお君……ゆお君?」
「む……」
「ん?」

「む、………………無理………………」

 ああ悍しい筋肉の塊に熱。
 ふわふわしてない。なんだこの生き物は。

「え、あ、ゆお君?! ゆお君ー?!」
「どうしたゆお君! 大丈夫か?!」

 暗転する視界。
 遠のく意識の中、ぎょっとした正反対の兄妹に覗き込む。
 ――お前がゆお君って呼ぶんじゃねー。
 そんな俺の叫びも言葉にならないまま、ぶつりと意識は途絶えたのだった。




 俺が好きなのはふわふわ……きらきら……。
 ムキムキは嫌だ……。

「……い……」

 そんなとろとろと微睡むような意識の中、遠くからなにか聞こえてくる。

「……い……、……かり……ろ……!」

 なんだ、この暑苦しい声は……。
 なんだかものすごく嫌な感じがする……。

「おい、しっかりしろ!!」
「おわあっ!!」

 なんだ?!なにが起きた?!

 うるせえ声に鼓膜を破られそうになり飛び起きれば、目の前にいたムキムキに二度目の悲鳴が漏れそうになる。
 なんと、そこにはさっきの自称ふゆはちゃんの兄がいた。今度はちゃんとTシャツを着ていたが、それでも何故か俺を抱いてるその筋肉質な腕に気付いた瞬間血の気が引いた。

「な、なんなんだよアンタ?!」
「おっと、悪い! 驚かせてしまったか?」
「驚くってか声がデケーんだよ……っ、ふゆはちゃんは?!」

 ここはどこだと辺りを見渡せば、そこはふゆはちゃんのベッドの上のようだ。通りでふわふわときらきら、そしてムキムキが混在したカオスな夢を見てしまったらしい。
 大夏と名乗るこの男は「ああ、冬春なら君のためにネギを買いに行ったぞ」とあっけらかんと答えた。

「え、なんで?!」
「熱があったからな、ほら首に巻くようのネギだ」
「今時んな原始的なボケ通用しねーよ!」
「因みに俺が買いに行かせた」
「お前のせいかよ!!」

 初対面相手に思わず突っ込んでしまった。なんなんだ、「ちゃんと腹から出たいい声だな」じゃねーんだよ。

「と、とにかく……熱は……大丈夫っす、とにかく一人にさせてもらっていいすか……」
「待て、そんな青白い顔して何言ってるんだ」

 いやこれがシラフだし……なんかいちいち突っ込むのも疲れてきた。

「ほら、ゆっくり休め」

 疲弊してる俺の体をそっとベッドに寝かしつけてくる大夏さん。妙に優しいのがまじで嫌。
 別にこの人に恨みがあるというわけではないけど、生理的に嫌なのだ。脳が拒否してる。そういうのってあるだろ?
 俺の場合は大夏さんがまじでそのタイプ。

「……わかりました、じゃあ休むんで出てってもらっていいすか。あとはふゆはちゃんに……」
「へえ、ゆお君は基央遊生って書くのか」
「ってなんで人の学生証見てんだよ!!」
「ここ、隣町の学校だろ? 冬春とはどこで知り合ったんだ? 俺には全然話してくれないから興味あるんだよな」

 なんだ、なんなんだこいつは。もうこいつって言っちまったけどいいよな?
 目を離した隙きに勝手に人の鞄漁ってんじゃねーよ、と慌ててベッドから飛び起きようとしたときだった。
 ぽろっと学生証に挟まってたらしいゴムが落ちるのを見て俺は死を悟った。
 いくらこの能天気アホみたいな男でも避妊具くらいは分かるはずだ。そんなものをしっかり用意して遊びに来てる妹の彼氏なのかよくわからん男を前にすりゃ、流石にブチ切れる。俺の経験談がそう言ってる。
 そして、そのゴムを手にした大夏さんはそのままじっとそれを注視した。

「あ、あの……お兄さん……それは……っ」
「ふーん。なるほど偉いな、ちゃんと避妊してるのか」
「……え、」
「ん? どうした? そんな顔して」
「え、いや、あの……お、怒らないんすか」
「は? なんで」
「だ、だって妹さんと……」

 その、とごにょついたとき、大夏さんは口を大きく開けて笑う。

「君くらいの年頃なら別におかしくないだろ。寧ろ偉いぞ。俺は無理矢理持たされてたけどな」

 あ、そういうタイプなんすね。
 確かに女ウケ良さそうな顔はしてるけど。

「へ、へー……そすか」
「けど、君が冬春となあ?」
「や、やっぱお兄さん的には嫌すか……そーゆーの」

 ベッドに腰をかけてくる大夏さん。なんかジリジリ距離が近くなってる気がして嫌な汗が滲む。
 彼女予定の子の家族から、それもお兄さんに嫌われるのはこの先面倒だ。
 さっさと追い出そう作戦から取り敢えず下手に出て媚売ろう作戦に切り替えることにした。

「嫌というか、君がそういうタイプなのかって思ったら少し――いや大分興味が沸いてな」

「え」

 どういう意味だ、と聞き返すよりも先に視界が大きく暗転した。
 気付けば俺は再びベッドの上に転がされており、目の前には分厚い胸板。
 それから、冷ややかな笑みを浮かべた大夏さんは手にしていたゴムをベッドの上に放り捨てる。

「こんな面倒もの使わなくても、もっと楽に気持ちよくなれるぞ。遊生君」

「――男同士だったらな」なんて明るい笑顔でそんなことを言い出す大夏さんに俺は二度目の死を覚悟した。

「ま゛っ、ちょ、おい! なに……っ!」
「冬春も相変わらずいい趣味してるな、流石俺の妹だ。……なあ、遊生君。今から俺に乗り換えないか?」
「はあ?!」

 なにがどうなってそうなった?!

 気付けば、あっという間に両手首を頭の上で束ねられる。片手でも束ねられるその手の大きさにも慄くが、なによりもこの男の発言だ。

「あ、あんた、ホモかよ!」
「いや? 男も女もどっちも好きだぞ俺は」

 余計質が悪い、というか言いながら脱がさないでくれ。

「は、なせ……っ!」
「さっきも思ったが……細すぎるんじゃないか? まだ冬春の方が太いだろ」
「妹とサイズ感を比べんじゃねえ! っ、くそ……どこ触って……っ」

 シャツの上から分厚い手のひらで太腿を撫でられ、息が止まりそうになった。

「や、やめ……っ」
「なあ、遊生君」
「っ、さ、さわる……な……っ、ぁ……っ」

 足をジタバタさせ、なんとかやつの手の中から抜けようとしたときだった。大夏さんの指が足の付け根、更にその奥に触れ、びくりと下半身が震える。
 咄嗟に唇を噛み、「んっ」と漏れそうになる声を押し殺したときだった。大夏さんの目がこちらを向いた。
 そしてその口元には嫌な笑みが浮かんでいる。

「なーんだ、遊生君。君は随分と可愛い声を出すんだな」
「っ、ち、が、今のは……っ」
「へえますます可愛いな」

 男相手に可愛いって言うのもやめろ、と声を上げるよりもさきに、覗き込んできたやつにキスされそうになり、慌てて顔を避ける。

「っ、大夏さんっ、いい加減にしてください! ま、まじで、ふゆはちゃんに……っ」
「なんだ? 冬春に言いつけるのか? 別に俺は一向に構わないぞ」
「――え」

 はったりか、と思わず大夏さんの方を見上げたときだった。

「……そのキョトンとした顔も可愛い」

 気付いたときにはすぐ鼻先にあった大夏さんから逃れることはできなかった。
 顎を掴まれ、咄嗟に閉じた唇ごとべろりと舐められる。嫌だ、なんだこれ。ほんのりとヤニ混じりの匂いがしてまじでやだ。
 それに、女の子はこんな性欲染みた舐め方してこなかった。

「ん……っ、うう……ッ!」
「……っ、遊生君、口開けてくれよ。それとも、無理矢理こじ開けられる方が好きか?」
「っ、……」

 ふざけんじゃねえこの野郎、と叫びたいところだがそんなことで口を開いたりでもしたらおしまいだ。
 それだけはわかったので、必死に大夏さんから逃げようと目の前、覆い被さってくる野郎を必死にベッドから蹴落そうとする。
 が、なんて体幹してやがんだ。びくともしない。

「ふ、ぅ゛ぐうう゛~~……っ」
「遊生君、冬春とはキスはしたのか? 俺は小さい頃に冬春とキスしたから今なら間接キスになるぞ、ほら、口を開けろ」

 んなキモイ誘い方するやつがいるか。というかカウントすんじゃねえ、ふゆはちゃんを汚すな。
 そう大夏さんを睨んだときだった。目があって笑った大夏さんは、そのまま俺の鼻の頭を摘むのだ。

「んう゛ッ」

 こいつ、まじか。と思った次の瞬間、脳の酸素が急激に薄れていく。息苦しさに堪らず口を開いた次の瞬間、唇を舐め回していた肉厚な舌が咥内へとねじ込まれるのだ。

「う、う゛ぅ~~……っ!!」
「……っ、ふ、……ッ」
「ん、む゛ぐ……ッ! ぅ、ふ」

 喉まで犯される、なんて恐怖、今までキスのときに感じたことすらなかった。
 器官を押し潰すような肉厚な舌に上顎から喉ちんこまでれろぉ、と舐め上げられ、恐怖諸々のあまり俺は凍りついた。

「っ、ふ、ぅ゛、お゛ご……ッ!」

 ――助けて、ふゆはちゃん助けて!

 泣きそうになりながら必死に顔を逸らそうとするが、長い舌は抜かれるどころか俺の舌に絡みついてきた。ねっとりと絡みついてくる舌に、どっかの性器みたいに執拗に擦り上げられる。ずる、と引っ張り出された舌を甘く吸い上げられた瞬間、全身が震えた。

「っ、ん゛、う゛……ッ、うッ、ふ、ぅう……ッ!」
「ふー……っ、遊生君、舌ちっせ……」
「っ、う、む゛」
「ん、逃げんなって……っ、ほら」
「んん……ッ!」

 嫌だ、怖い。食われる。
 恐怖ですくむ体をがっちりと抱き締められたまま、大夏は額を擦り付けるように更に深くキスをするのだ。

 今までこんなキスしたことなかった。触れるような、もっと可愛いキスしかしたことなかった俺にとって、性行為の延長線のようなキスにカルチャーショックを覚えていた。
 口の中で混ざり合う唾液を飲み込むこともできなくて、唇の端からとろりと垂れるそれを大夏さんは舐め取り、そして笑った。

「は……っ、なんだ? キスは初めてだったか?」
「……っ、は、ッ、ぁ、あ、あんた……ッ」
「随分と女の子みたいな反応するじゃないか、遊生君は」

 ぜえぜえと必死に呼吸を繰り返す俺を見下ろし、大夏さんは先程の爽やかな笑顔とは正反対の性欲を滲ませたような目で俺を見るのだ。
 ――ああ、だから嫌なのだ。男は。

 俺は大夏さんを思いっきり突き飛ばし、そのまま鞄を拾い上げ、逃げ出す。
 大夏さんは追いかけてこなかった。玄関まで猛ダッシュで駆け降りれば、丁度ふゆはちゃんが帰ってきたところだった。

「あ、ゆお君、具合は……」
「ごめん、俺帰る……っ!」
「え? あ、ちょっと、ゆお君――」

 ふゆはちゃんが何かを言いかけていたが、俺は立ち止まることはできなかった。

 ああもうめちゃくちゃだ。
 せっかく最高だったのに、今日こそ進展できると思ったのに――あの男のせいで。
 泣きそうになりながらも俺は涙を飲み、そのまま駅まで逃げ帰ったのだ。
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