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モンスターファミリー
腹ペコ狼※
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「っああ! くそ、腕いてぇ!」
そう声を上げ、四川は抱えていた俺を床に転がした。
勿論受け身を取る暇もなく落下した俺は「ぐえっ」と潰れたカエルさながらの悲鳴を上げる。
使用人たちから逃げ出すこと数分。どっかの空き部屋を見つけたのが数秒前で、これ幸いと人を転がしやがったのが今。
「ってめえ、せめて優しくおけよ!」
「うるせえな! 運んでやっただけでも感謝しろ! この愚図が!」
確かに、本当に助けてもらえるとは思ってもなかったし、有難いのだが、そんな風に言われると意地でもお礼を言いたくなくなる。
「なんだよ、じゃあほっとけばいいだろ…! 大体っ、別に助けろなんて言ってねえし!」
「はあ? 誰が助けただって?」
「……え? だって」
「ハッ! 自惚れんじゃねえよ。目の前にオナホにしかなんねえようなイカくせえ粗大ゴミがあったから拾ってきてやっただけだ、別に助けてねえから」
大概、俺もアマノジャクな方だがこいつの場合はずば抜けている。
そういうやつだとはわかっていることなのだが、どうやら先程の出来事のお陰で少なからず弱くなっていた俺のメンタルに四川の暴言は刺激が強すぎるようで。
視界がぐにゃりと歪んだと思えば、次の瞬間馬鹿みたいな量の涙がぼろぼろと溢れ出した。
「おい、なに泣いてんだよ」
「……っんだよ、泣き顔好きなんだろ…っ! 喜べよ、…っ、人が、泣いてやってんだからぁ…っ!」
堪える元気も残っていない俺は、まだ痺れの残った両手で濡れる目元を擦った。
嗚咽を漏らし、泣きじゃくる俺にばつが悪そうな顔をした四川は舌打ちをする。
「っし、舌打ちすんなよっ! なんだよ、お前、なんでイライラして……」
そう言いかけたとき、視界が暗くなった。
ふわりとシトラス系の爽やかな香りが鼻腔を擽り、それが四川のものだと気付いたとき。
唇に、柔らかい感触が触れる。目を見開けば、すぐ側にあった四川と目があった。
「……ほら、これでいいだろ」
「…四川」
ゆっくりと離れる唇。触れるだけの優しいキスに、俺は昂ぶっていた胸が僅かに落ち着くのを感じた。
「四川…お前、結構少女漫画とか好きだろ」
「うるせえ! 可愛くねえやつだな本当!」
◆ ◆ ◆
「っあー、クソッ!」
気持ちも落ち着いてきて、どっかに着れそうな服ないか部屋の中を探していると苛ついたように突然四川が吠える。
心臓に悪いのでせめて大声出す前に合図を出すくらいしてくれないだろうか。いや別にビビってはないけどな?ほら、心臓に悪いし。いやだからビビってねーよ?
「こ、今度はなんだよ!」
「…腹減った」
「はい?」
「腹が減ったって言ってんだよ」
いつもに増して不機嫌な四川は、呟く。
どうやら先程からやたらイライラしてるのも空腹のせいなのかもしれない。原因がわかっただけただ単に俺のせいだけではないと安心したが、問題はここからだ。
「腹減ったって、ずっと食ってないのかよ。…ってか、大体なんでお前が俺んちいるんだよ!」
「知らねえよ、こっちが聞きてえから」
「気がついたらあの眼鏡と一緒に地下に転がされていた」と面白くなさそうに続ける四川。
あの眼鏡と言われ、俺はさっきまで一緒にいた翔太のことを思い出す。
「もしかして、翔太か? 転がされてたってどういうことだよ」
不穏なものを感じ、つい俺は四川に詰め寄っていた。
「あぁ? そのまんまだよ、昨日の夜引っ張って来られてからなんも食ってねー」
「いやお前の腹じゃなくて、連れて来られたって」
「知らねーよ。よく覚えてねえし。つうか、お前のほうが詳しいんじゃねえの?」
皮肉たっぷりに返してくる四川にカチンと来たが、今の俺には四川と取っ組み合いの喧嘩をするほどの元気は残っていない。
誰かの思惑で四川がここに連れて来られたということか。普通に考えて強烈的なまでの心当たりがある人間が一人いるのだが、敢えて俺は目を瞑ることにした。俺も早死したくない。
「取り敢えず、ちょっと待ってろ。すぐに飯用意するから、服、着替えないと…」
どろどろでぐっちゃぐちゃになった服は正直いい気持ちはしない。できることなら今すぐ風呂にダイブしたいところだけど、そこまでの間を上手くやり過ごすためにはやはり服を着替える必要があるわけで。
運良く衣装部屋へと入り込んだお陰、なんとか服が見つかりそうだ。と思ったがハルカのばっかじゃねーか。流石に妹の服を着るのは忍びない。というか兄としての立場をこれ以上崩したくない。あるかどうかすら怪しいが。
もうこの際ハルカの奴隷用でもいいからないだろうかとクローゼットに頭から突っ込んで探している時、いきなり腰を掴まれる。
「っおい、邪魔すんなよ!」
徐に服を脱がされそうになり、慌てて背後に立つ四川を離そうとするが、いとも簡単に腕を取られてしまう。
「邪魔してねえよ。手伝ってやろうとしてんだろ」
「着替えの」と付け足す四川は口元を歪め、ニヒルな笑みを浮かべた。
先程から仏頂面ばっかしてた四川の見せた笑顔に安堵通り越して俺は戦慄する。
「着替えって……おいっ!」
言いかけた矢先、思いっきりたくし上げられた服の裾にぎょっとした俺。思わず四川の腕を掴む。
「なに脱がせようとしてんだよ…っ!」
「だから手伝ってやるって言ってんだろ」
「いらねえから!」
「うるせえな、遠慮してんじゃねえよ」
「ちょっ、うわ!」
半ば強引に脱がされそうになって、慌てて俺は服の裾を引っ張った。
ケツが丸見えになろうが意地でも脱ぎたくなかった俺はぐぐぐと服を引っ張る。思うようにできず、不機嫌色を強めた四川は「おい」と唸った。
「手、離せ」
「い…やだ…っ!」
「ったく…なに期待してんだよ」
馬鹿が、と小さく吐き捨てた四川はパッと服から手を離した。
引っ張ってくるものがなくなり、いきなり軽くなる服にびっくりして後ろを振り返ろうとしたときだ。履いていたパンツを下着ごと脱がされる。
「っ!!」
急に寒くなる下半身に青褪め、慌てて服の裾を引っ張って隠すが、遅い。
背後から両腕を束ねるように掴まれ、そのまま強引に引っ張られ抱き寄せられた。
「っおい、離せ…ッ」
「お前が素直に甘えねえからだろ」
「はぁ?! 俺のせいかよ!」
あまりの横暴っぷりに堪らず声を荒げたとき、「そうだよ」と耳元で囁かれた。
吐息混じりの投げやりな声に、先ほどの熱を持っている背筋がぞくりと震える。
「……知ってんだろ、俺が嫌がられんの好きだって」
知るかよ。知らねーよ。知ってたとしてもだからなんだよ。
言い返したいことはいっぱいあるのに、言葉を発しようとした矢先に項に舌を這わされ、驚きのあまりに頭が真っ白になって。
「や…っやめろってば、何考えてんだよ、お前、飯なら用意してやるっつってんだろ!」
「んな毒が入ってそうなのより、こっちのがいい」
「毒って…っんん…ッ」
確かに、あり得なくもない話しなだけに一概には言えないけど、だからってこれはいいとばっちり過ぎるんじゃないのか。
逃げようとするけど、腕を引っ張られて離れられなくなる。密着した背中が酷く熱くて、自然に汗が滲んだ。
首筋に滲む汗ごと舌で舐め取られれば、触れた箇所がじんじんと疼きはじめた。
「っ、……」
「…お前っていきなり大人しくなんのな」
「最初からそうしてろよ」と人を小馬鹿にしたように笑う四川の唇が、そのままゆっくりと背筋へと降りていく。
柔らかいその感触になぞられ、吹き掛かる吐息が、薄い膜越しに流れ込んでくる熱が、収まりかけていた熱を焚き付ける。
このままではまずい。どうにかして上手くやり過ごさなければ、俺のケツが重労働に耐え切れず悲惨なことになってしまう。
そう思案した矢先、空いたやつの手が下腹部に伸びてきて戦慄する俺。そして、閃いた。
「わかった、わかったから、ちょっと待て!」
咄嗟にやつの手首をぎゅっと掴んだ俺は必死にやつを制する。
そのお陰もあってか、「あ?」と訝しげな顔をした四川は渋々ながらも動きを止めてくれる。
「今度はなんだよ」
「と…っ取引をしよう…」
「はいい?」
うう、なんでこいつの声はこうも威圧感があるんだ、そんな声出したらビビると思ってんのかよ。こえーよ。
「だから、取引は取引だよ!」
「そんなくだらねえこと言ってる暇あるなら、可愛く鳴いてみせろよ」
「なッ……おい、聞けって!」
俺の意見も聞かず、下半身を弄る手に内股を撫でられ、四肢から力が抜けそうになった。
や、やばい、このままじゃまた流されてしまう…。
「あーくそ、ベタベタじゃねえか。きったねえな…」
なら触んなければいいんじゃないのかと叫びたい。
「ふ……風呂、入ってからでもいいだろ」
不機嫌そうな背後のやつを振り返った俺は、そう、振り絞るように喉奥から声を出す。
「あとでなんでもするから、頼む、今はやめてくれ…!」
この場を回避するため、咄嗟に口にした俺は恐る恐る四川を見上げた。
「……」
無言でこちらを見下ろしてくるやつ。
なんだこの異様な沈黙は。なんか変なこと言ったか?言ったか。
「…例えば?」
「へっ?」
「なんでもって、例えばなんだよ」
そうくるか。
ははーん、そうやって俺からあらぬ言葉を言わせて辱める作戦だな?その手には乗るかよ!
「だからいろいろだよ、俺にできることならな」
「んじゃ脱げ」
「えっ」
「なんでもすんだろ? 脱げよ」
えっ、ちょ、話違う。
「ちょっと待て、だから、今は、その、そーいうのはダメなんだって!」
「うるせえな、さっきから匂いがしてくせーんだよ。脱げよ」
そんな無茶苦茶な。
抵抗するも、あっけなく強引に上の服まで脱がされ、見事自宅でマッパする羽目になった俺は胸と股間を隠しながら「なにすんだよ」と四川を睨み付けようとして、なにかが視界に覆い被さってくる。
もそもそと動きながら、投げつけられたそれを手に取った俺はそのまま硬直した。
「こ、これって…」
「着替え、それでいいだろ」
そう、俺から手を離した四川はぶっきらぼうに呟く。
どうやら俺を着替えさせるために脱がせたようだが、ちょっと待って、これハルカの服じゃねえか。
「何言っちゃってんのお前!冗談でもそんなこと口にすんじゃねえ!それもさっさと戻してこいよ!」
それもそうだ、俺の服と一緒に洗濯されるのが嫌で専用の洗濯機を取り付けた妹だ。もし俺がハルカの服を着て飛び出してみろ。なにをされるかわからない。
いち早く冷静を取り戻した俺は慌てて四川から服を引っ手繰ろうとする。
けれど、
「時川に聞いたけど、お前女装が好きらしいしなぁ」
にたりと、四川は笑う。どこぞの悪党みたいな凶悪な笑顔に、その口から発せられた言葉に、俺は凍り付いた。
時川って誰だ、と一瞬思考を停止したがすぐに先日最悪のタイミングで出くわしたバイト仲間のことを思い出した。司か。
「なっ、はっ? …んなわけねーじゃん、何言ってんだよお前馬鹿かよまじで信じらんねえ」
司め…お前なに吹き込んだんだよこいつに…!
狼狽えそうになるのを必死に殺してなんでもないふりしようとするけれど、声は裏返るわ舌は噛みそうになるわ散々だ。
そしておそらく、こいつも俺の動揺に気付いているだろう。慌てて四川の目から逃げようとするけれど、すぐに腰を掴まえられた。
「見せろよ」
「…あ…?」
「服ならこれでいいだろ。それともなんだ?他のがいいのか?」
なら探せよ、と四川は目の前に詰め込まれた大量の衣類に目を配せる。どれもハルカのものなので、当たり前のようにひらひらやらびらびらやらしたものが多い。
今だけはあいつの人形趣味を恨んだ。
「いい加減にしろよ…っこんなことして遊ぶ暇は………」
「おいおい、ホント失礼だよなお前。探してやってんだよ、わざわざ、この俺が。もっと感謝しろよ」
どこまでも上から目線。喋る度に吹き掛かる吐息が擽ったくて、せめて離れようとするけどがっちりと掴まれた腕は動けなくて。
それどころか、密着した背中が酷く熱くて、緊張する。…あ、変な汗出てきた。
「これなんてどうだ?」
そういって、目の前の服の山に手を突っ込んだ四川が取り出したのはおっそろしいほど丈が短い和服だった。
おいあいつこんな丈短いの履いてるのかどうなんだそれはちょっとなしだろ。という兄として微 妙な感想はともかく、それを着せられでもしてみろ。ハルカに合わせて造られているそれを俺が着たらぽろりどころの騒ぎではない。
「…なしだろ」
「じゃあこれ」
「それ服じゃないだろ! 水着だろ! しかも小学生用じゃねえか!!」
「はは、知能レベルにあってていいんじゃねえの?」
くそ、否定できないのがムカツク。
悩み、狼狽える俺を完全におちょくって楽しんでいる四川にぶちキレそうになったときだ。不意に、天井からけたたましいサイレンの音が鳴り始めた。
一斉に屋敷全体に響き渡るその聞き覚えのある警報に、俺と四川はぎょっとする。
「ああ? うるせえな、なんだよこれ。火事か?」
「…違う……」
「なに?」
「お兄ちゃんが、帰ってきたんだ……」
血の気が引いていくのを感じながら、俺は恐る恐ると天井を見上げた。
そこに、いない兄の鬼の形相を描きながら。
「おい、兄貴が帰ってきただけでサイレンってどうなんだよ」
「そういう事言ってる場合じゃねえよ、やばいって、早く帰らないとこんなところお兄ちゃんに見つかったら…」
「見つかったら……なんだよ」
「細切れにされて鶏の餌にされるぞ………!!」
というわけで、兄の無駄な行動力を身で知っている四川は渋々ながらも真剣に俺の服を探してくれることになった。そこまではよかったのだが、どこを探しても女物しかないわけで。
「どうしよう……早くしねえと……」
時間ばかりが過ぎていく中、スピーカーから響いていた警報の音が一層激しさを増す。警報の危機レベルを引き上げたようだ。
俺がいないことがバレた。直感でそう理解した。
警報に思考回路を掻き回され、あわわわとテンパる俺。それを眺めていた四川だったが、なにかを思いついたかのように面倒臭そうに舌打ちをした。
「っくそ、めんどくせえな…」
そう乱暴な仕草で髪を掻き毟ったときだ。
いきなり、四川は身に着けていた執事服に手を掛ける。
「はっ? ちょ、なに脱いで……っ、わぷ!」
投げ付けられたそれを慌てて手に取れば、それはたった今まで四川が着ていた白いシャツだった。
「なにもねえよりましだろ。…さっさと着替えろよ」
上半身裸になった四川は不機嫌そうに吐き捨てる。
まさかあの四川がわざわざ俺に手を貸してくれるとは思ってもいなくて、俺はまさに開いた口が塞がらない状態だった。
絶対「お前なんか全裸で十分だろ。今更恥ずかしがってんじゃねえよ」とか言って無理やり引っ張り出されると思っていたのに。
あの四川が、俺に。
「おい! さっさと着替えろよ、やべーんだろ!」
「わっ、わかった」
「あの………ありがとな」慌てて服を手にして物陰に引っ込んだ俺は、こっそりと頭を出して呟く。聞こえているのかいないのか、相変わらず不機嫌そうな四川は「ふん」とだけ呟いた。
それから言われるがまま着替えてみた。
着替えてみたはいいけど……。
「なあ…」
「あ?」
「こっ、これってなんか余計にあれじゃないか?」
「あれってなんだよ」
「や、その…なんつーか……」
汚れてて気持ち悪いという理由で下着を脱ぎ捨てたはいいが、いざ着替えてみるとシャツは結構大きい。
大きいのはいいのだが、隠れるに越したことはないのだが、なんかこう、余計こうちらちらしないかとか微妙な長さの丈がミニスカートかなにかみたいで落ち着かないというか…………っていうかこれ裸ワイシャツじゃね?!
「こんな姿でお兄ちゃんの前に出られるかよぉお…!!」
「今更だろ」
「いっ、今更だけど! 今更だからやなんだよ!」
泣きそうになりながら反論する。
こいつはいい。ちゃんと下履いてるし、上は裸だけどなんかこう鍛えた体見せびらかしたいイケメンみたいで様になってるし。くそ、言ってて腹が立ってきた。
「あーもう、ぴーぴーうるせえな。文句言うならそれ返せ!」
更に俺が噛み付くよりも先にブチ切れた四川は俺の着ていたワイシャツの裾を思いっきりたくし上げてきた。
「ぶわだっ!」と謎の奇声を上げた俺は、瞬間的にぽろりしそうになったそれを慌てて裾を引っ張ることによって間一髪隠すことに成功した。
「な…やめろってば!」
「じゃあ文句言うんじゃねえ! 服ひん剥いて放り出すぞ!」
コイツの場合まじでやり兼ねないんですけども。
これ以上は危険だ。そう悟った俺は、「わかったよ」と渋々大人しくした。
ここにはなくても他を探せばあるかもしれない。
それを兄と鉢合わせになる前に探し出し、兄の前に顔を出せばいい。
それからのことはそれから考えよう。
そう無謀にも近い策を捻り出しながら、俺たちはそこを後にした。
勿論、逃亡者である俺にそんな余裕が与えられるはずもなかったのだけれど。
そう声を上げ、四川は抱えていた俺を床に転がした。
勿論受け身を取る暇もなく落下した俺は「ぐえっ」と潰れたカエルさながらの悲鳴を上げる。
使用人たちから逃げ出すこと数分。どっかの空き部屋を見つけたのが数秒前で、これ幸いと人を転がしやがったのが今。
「ってめえ、せめて優しくおけよ!」
「うるせえな! 運んでやっただけでも感謝しろ! この愚図が!」
確かに、本当に助けてもらえるとは思ってもなかったし、有難いのだが、そんな風に言われると意地でもお礼を言いたくなくなる。
「なんだよ、じゃあほっとけばいいだろ…! 大体っ、別に助けろなんて言ってねえし!」
「はあ? 誰が助けただって?」
「……え? だって」
「ハッ! 自惚れんじゃねえよ。目の前にオナホにしかなんねえようなイカくせえ粗大ゴミがあったから拾ってきてやっただけだ、別に助けてねえから」
大概、俺もアマノジャクな方だがこいつの場合はずば抜けている。
そういうやつだとはわかっていることなのだが、どうやら先程の出来事のお陰で少なからず弱くなっていた俺のメンタルに四川の暴言は刺激が強すぎるようで。
視界がぐにゃりと歪んだと思えば、次の瞬間馬鹿みたいな量の涙がぼろぼろと溢れ出した。
「おい、なに泣いてんだよ」
「……っんだよ、泣き顔好きなんだろ…っ! 喜べよ、…っ、人が、泣いてやってんだからぁ…っ!」
堪える元気も残っていない俺は、まだ痺れの残った両手で濡れる目元を擦った。
嗚咽を漏らし、泣きじゃくる俺にばつが悪そうな顔をした四川は舌打ちをする。
「っし、舌打ちすんなよっ! なんだよ、お前、なんでイライラして……」
そう言いかけたとき、視界が暗くなった。
ふわりとシトラス系の爽やかな香りが鼻腔を擽り、それが四川のものだと気付いたとき。
唇に、柔らかい感触が触れる。目を見開けば、すぐ側にあった四川と目があった。
「……ほら、これでいいだろ」
「…四川」
ゆっくりと離れる唇。触れるだけの優しいキスに、俺は昂ぶっていた胸が僅かに落ち着くのを感じた。
「四川…お前、結構少女漫画とか好きだろ」
「うるせえ! 可愛くねえやつだな本当!」
◆ ◆ ◆
「っあー、クソッ!」
気持ちも落ち着いてきて、どっかに着れそうな服ないか部屋の中を探していると苛ついたように突然四川が吠える。
心臓に悪いのでせめて大声出す前に合図を出すくらいしてくれないだろうか。いや別にビビってはないけどな?ほら、心臓に悪いし。いやだからビビってねーよ?
「こ、今度はなんだよ!」
「…腹減った」
「はい?」
「腹が減ったって言ってんだよ」
いつもに増して不機嫌な四川は、呟く。
どうやら先程からやたらイライラしてるのも空腹のせいなのかもしれない。原因がわかっただけただ単に俺のせいだけではないと安心したが、問題はここからだ。
「腹減ったって、ずっと食ってないのかよ。…ってか、大体なんでお前が俺んちいるんだよ!」
「知らねえよ、こっちが聞きてえから」
「気がついたらあの眼鏡と一緒に地下に転がされていた」と面白くなさそうに続ける四川。
あの眼鏡と言われ、俺はさっきまで一緒にいた翔太のことを思い出す。
「もしかして、翔太か? 転がされてたってどういうことだよ」
不穏なものを感じ、つい俺は四川に詰め寄っていた。
「あぁ? そのまんまだよ、昨日の夜引っ張って来られてからなんも食ってねー」
「いやお前の腹じゃなくて、連れて来られたって」
「知らねーよ。よく覚えてねえし。つうか、お前のほうが詳しいんじゃねえの?」
皮肉たっぷりに返してくる四川にカチンと来たが、今の俺には四川と取っ組み合いの喧嘩をするほどの元気は残っていない。
誰かの思惑で四川がここに連れて来られたということか。普通に考えて強烈的なまでの心当たりがある人間が一人いるのだが、敢えて俺は目を瞑ることにした。俺も早死したくない。
「取り敢えず、ちょっと待ってろ。すぐに飯用意するから、服、着替えないと…」
どろどろでぐっちゃぐちゃになった服は正直いい気持ちはしない。できることなら今すぐ風呂にダイブしたいところだけど、そこまでの間を上手くやり過ごすためにはやはり服を着替える必要があるわけで。
運良く衣装部屋へと入り込んだお陰、なんとか服が見つかりそうだ。と思ったがハルカのばっかじゃねーか。流石に妹の服を着るのは忍びない。というか兄としての立場をこれ以上崩したくない。あるかどうかすら怪しいが。
もうこの際ハルカの奴隷用でもいいからないだろうかとクローゼットに頭から突っ込んで探している時、いきなり腰を掴まれる。
「っおい、邪魔すんなよ!」
徐に服を脱がされそうになり、慌てて背後に立つ四川を離そうとするが、いとも簡単に腕を取られてしまう。
「邪魔してねえよ。手伝ってやろうとしてんだろ」
「着替えの」と付け足す四川は口元を歪め、ニヒルな笑みを浮かべた。
先程から仏頂面ばっかしてた四川の見せた笑顔に安堵通り越して俺は戦慄する。
「着替えって……おいっ!」
言いかけた矢先、思いっきりたくし上げられた服の裾にぎょっとした俺。思わず四川の腕を掴む。
「なに脱がせようとしてんだよ…っ!」
「だから手伝ってやるって言ってんだろ」
「いらねえから!」
「うるせえな、遠慮してんじゃねえよ」
「ちょっ、うわ!」
半ば強引に脱がされそうになって、慌てて俺は服の裾を引っ張った。
ケツが丸見えになろうが意地でも脱ぎたくなかった俺はぐぐぐと服を引っ張る。思うようにできず、不機嫌色を強めた四川は「おい」と唸った。
「手、離せ」
「い…やだ…っ!」
「ったく…なに期待してんだよ」
馬鹿が、と小さく吐き捨てた四川はパッと服から手を離した。
引っ張ってくるものがなくなり、いきなり軽くなる服にびっくりして後ろを振り返ろうとしたときだ。履いていたパンツを下着ごと脱がされる。
「っ!!」
急に寒くなる下半身に青褪め、慌てて服の裾を引っ張って隠すが、遅い。
背後から両腕を束ねるように掴まれ、そのまま強引に引っ張られ抱き寄せられた。
「っおい、離せ…ッ」
「お前が素直に甘えねえからだろ」
「はぁ?! 俺のせいかよ!」
あまりの横暴っぷりに堪らず声を荒げたとき、「そうだよ」と耳元で囁かれた。
吐息混じりの投げやりな声に、先ほどの熱を持っている背筋がぞくりと震える。
「……知ってんだろ、俺が嫌がられんの好きだって」
知るかよ。知らねーよ。知ってたとしてもだからなんだよ。
言い返したいことはいっぱいあるのに、言葉を発しようとした矢先に項に舌を這わされ、驚きのあまりに頭が真っ白になって。
「や…っやめろってば、何考えてんだよ、お前、飯なら用意してやるっつってんだろ!」
「んな毒が入ってそうなのより、こっちのがいい」
「毒って…っんん…ッ」
確かに、あり得なくもない話しなだけに一概には言えないけど、だからってこれはいいとばっちり過ぎるんじゃないのか。
逃げようとするけど、腕を引っ張られて離れられなくなる。密着した背中が酷く熱くて、自然に汗が滲んだ。
首筋に滲む汗ごと舌で舐め取られれば、触れた箇所がじんじんと疼きはじめた。
「っ、……」
「…お前っていきなり大人しくなんのな」
「最初からそうしてろよ」と人を小馬鹿にしたように笑う四川の唇が、そのままゆっくりと背筋へと降りていく。
柔らかいその感触になぞられ、吹き掛かる吐息が、薄い膜越しに流れ込んでくる熱が、収まりかけていた熱を焚き付ける。
このままではまずい。どうにかして上手くやり過ごさなければ、俺のケツが重労働に耐え切れず悲惨なことになってしまう。
そう思案した矢先、空いたやつの手が下腹部に伸びてきて戦慄する俺。そして、閃いた。
「わかった、わかったから、ちょっと待て!」
咄嗟にやつの手首をぎゅっと掴んだ俺は必死にやつを制する。
そのお陰もあってか、「あ?」と訝しげな顔をした四川は渋々ながらも動きを止めてくれる。
「今度はなんだよ」
「と…っ取引をしよう…」
「はいい?」
うう、なんでこいつの声はこうも威圧感があるんだ、そんな声出したらビビると思ってんのかよ。こえーよ。
「だから、取引は取引だよ!」
「そんなくだらねえこと言ってる暇あるなら、可愛く鳴いてみせろよ」
「なッ……おい、聞けって!」
俺の意見も聞かず、下半身を弄る手に内股を撫でられ、四肢から力が抜けそうになった。
や、やばい、このままじゃまた流されてしまう…。
「あーくそ、ベタベタじゃねえか。きったねえな…」
なら触んなければいいんじゃないのかと叫びたい。
「ふ……風呂、入ってからでもいいだろ」
不機嫌そうな背後のやつを振り返った俺は、そう、振り絞るように喉奥から声を出す。
「あとでなんでもするから、頼む、今はやめてくれ…!」
この場を回避するため、咄嗟に口にした俺は恐る恐る四川を見上げた。
「……」
無言でこちらを見下ろしてくるやつ。
なんだこの異様な沈黙は。なんか変なこと言ったか?言ったか。
「…例えば?」
「へっ?」
「なんでもって、例えばなんだよ」
そうくるか。
ははーん、そうやって俺からあらぬ言葉を言わせて辱める作戦だな?その手には乗るかよ!
「だからいろいろだよ、俺にできることならな」
「んじゃ脱げ」
「えっ」
「なんでもすんだろ? 脱げよ」
えっ、ちょ、話違う。
「ちょっと待て、だから、今は、その、そーいうのはダメなんだって!」
「うるせえな、さっきから匂いがしてくせーんだよ。脱げよ」
そんな無茶苦茶な。
抵抗するも、あっけなく強引に上の服まで脱がされ、見事自宅でマッパする羽目になった俺は胸と股間を隠しながら「なにすんだよ」と四川を睨み付けようとして、なにかが視界に覆い被さってくる。
もそもそと動きながら、投げつけられたそれを手に取った俺はそのまま硬直した。
「こ、これって…」
「着替え、それでいいだろ」
そう、俺から手を離した四川はぶっきらぼうに呟く。
どうやら俺を着替えさせるために脱がせたようだが、ちょっと待って、これハルカの服じゃねえか。
「何言っちゃってんのお前!冗談でもそんなこと口にすんじゃねえ!それもさっさと戻してこいよ!」
それもそうだ、俺の服と一緒に洗濯されるのが嫌で専用の洗濯機を取り付けた妹だ。もし俺がハルカの服を着て飛び出してみろ。なにをされるかわからない。
いち早く冷静を取り戻した俺は慌てて四川から服を引っ手繰ろうとする。
けれど、
「時川に聞いたけど、お前女装が好きらしいしなぁ」
にたりと、四川は笑う。どこぞの悪党みたいな凶悪な笑顔に、その口から発せられた言葉に、俺は凍り付いた。
時川って誰だ、と一瞬思考を停止したがすぐに先日最悪のタイミングで出くわしたバイト仲間のことを思い出した。司か。
「なっ、はっ? …んなわけねーじゃん、何言ってんだよお前馬鹿かよまじで信じらんねえ」
司め…お前なに吹き込んだんだよこいつに…!
狼狽えそうになるのを必死に殺してなんでもないふりしようとするけれど、声は裏返るわ舌は噛みそうになるわ散々だ。
そしておそらく、こいつも俺の動揺に気付いているだろう。慌てて四川の目から逃げようとするけれど、すぐに腰を掴まえられた。
「見せろよ」
「…あ…?」
「服ならこれでいいだろ。それともなんだ?他のがいいのか?」
なら探せよ、と四川は目の前に詰め込まれた大量の衣類に目を配せる。どれもハルカのものなので、当たり前のようにひらひらやらびらびらやらしたものが多い。
今だけはあいつの人形趣味を恨んだ。
「いい加減にしろよ…っこんなことして遊ぶ暇は………」
「おいおい、ホント失礼だよなお前。探してやってんだよ、わざわざ、この俺が。もっと感謝しろよ」
どこまでも上から目線。喋る度に吹き掛かる吐息が擽ったくて、せめて離れようとするけどがっちりと掴まれた腕は動けなくて。
それどころか、密着した背中が酷く熱くて、緊張する。…あ、変な汗出てきた。
「これなんてどうだ?」
そういって、目の前の服の山に手を突っ込んだ四川が取り出したのはおっそろしいほど丈が短い和服だった。
おいあいつこんな丈短いの履いてるのかどうなんだそれはちょっとなしだろ。という兄として微 妙な感想はともかく、それを着せられでもしてみろ。ハルカに合わせて造られているそれを俺が着たらぽろりどころの騒ぎではない。
「…なしだろ」
「じゃあこれ」
「それ服じゃないだろ! 水着だろ! しかも小学生用じゃねえか!!」
「はは、知能レベルにあってていいんじゃねえの?」
くそ、否定できないのがムカツク。
悩み、狼狽える俺を完全におちょくって楽しんでいる四川にぶちキレそうになったときだ。不意に、天井からけたたましいサイレンの音が鳴り始めた。
一斉に屋敷全体に響き渡るその聞き覚えのある警報に、俺と四川はぎょっとする。
「ああ? うるせえな、なんだよこれ。火事か?」
「…違う……」
「なに?」
「お兄ちゃんが、帰ってきたんだ……」
血の気が引いていくのを感じながら、俺は恐る恐ると天井を見上げた。
そこに、いない兄の鬼の形相を描きながら。
「おい、兄貴が帰ってきただけでサイレンってどうなんだよ」
「そういう事言ってる場合じゃねえよ、やばいって、早く帰らないとこんなところお兄ちゃんに見つかったら…」
「見つかったら……なんだよ」
「細切れにされて鶏の餌にされるぞ………!!」
というわけで、兄の無駄な行動力を身で知っている四川は渋々ながらも真剣に俺の服を探してくれることになった。そこまではよかったのだが、どこを探しても女物しかないわけで。
「どうしよう……早くしねえと……」
時間ばかりが過ぎていく中、スピーカーから響いていた警報の音が一層激しさを増す。警報の危機レベルを引き上げたようだ。
俺がいないことがバレた。直感でそう理解した。
警報に思考回路を掻き回され、あわわわとテンパる俺。それを眺めていた四川だったが、なにかを思いついたかのように面倒臭そうに舌打ちをした。
「っくそ、めんどくせえな…」
そう乱暴な仕草で髪を掻き毟ったときだ。
いきなり、四川は身に着けていた執事服に手を掛ける。
「はっ? ちょ、なに脱いで……っ、わぷ!」
投げ付けられたそれを慌てて手に取れば、それはたった今まで四川が着ていた白いシャツだった。
「なにもねえよりましだろ。…さっさと着替えろよ」
上半身裸になった四川は不機嫌そうに吐き捨てる。
まさかあの四川がわざわざ俺に手を貸してくれるとは思ってもいなくて、俺はまさに開いた口が塞がらない状態だった。
絶対「お前なんか全裸で十分だろ。今更恥ずかしがってんじゃねえよ」とか言って無理やり引っ張り出されると思っていたのに。
あの四川が、俺に。
「おい! さっさと着替えろよ、やべーんだろ!」
「わっ、わかった」
「あの………ありがとな」慌てて服を手にして物陰に引っ込んだ俺は、こっそりと頭を出して呟く。聞こえているのかいないのか、相変わらず不機嫌そうな四川は「ふん」とだけ呟いた。
それから言われるがまま着替えてみた。
着替えてみたはいいけど……。
「なあ…」
「あ?」
「こっ、これってなんか余計にあれじゃないか?」
「あれってなんだよ」
「や、その…なんつーか……」
汚れてて気持ち悪いという理由で下着を脱ぎ捨てたはいいが、いざ着替えてみるとシャツは結構大きい。
大きいのはいいのだが、隠れるに越したことはないのだが、なんかこう、余計こうちらちらしないかとか微妙な長さの丈がミニスカートかなにかみたいで落ち着かないというか…………っていうかこれ裸ワイシャツじゃね?!
「こんな姿でお兄ちゃんの前に出られるかよぉお…!!」
「今更だろ」
「いっ、今更だけど! 今更だからやなんだよ!」
泣きそうになりながら反論する。
こいつはいい。ちゃんと下履いてるし、上は裸だけどなんかこう鍛えた体見せびらかしたいイケメンみたいで様になってるし。くそ、言ってて腹が立ってきた。
「あーもう、ぴーぴーうるせえな。文句言うならそれ返せ!」
更に俺が噛み付くよりも先にブチ切れた四川は俺の着ていたワイシャツの裾を思いっきりたくし上げてきた。
「ぶわだっ!」と謎の奇声を上げた俺は、瞬間的にぽろりしそうになったそれを慌てて裾を引っ張ることによって間一髪隠すことに成功した。
「な…やめろってば!」
「じゃあ文句言うんじゃねえ! 服ひん剥いて放り出すぞ!」
コイツの場合まじでやり兼ねないんですけども。
これ以上は危険だ。そう悟った俺は、「わかったよ」と渋々大人しくした。
ここにはなくても他を探せばあるかもしれない。
それを兄と鉢合わせになる前に探し出し、兄の前に顔を出せばいい。
それからのことはそれから考えよう。
そう無謀にも近い策を捻り出しながら、俺たちはそこを後にした。
勿論、逃亡者である俺にそんな余裕が与えられるはずもなかったのだけれど。
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